表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/135

赤き果実とツタの植物 後編

 

(……うわ)


 そこに漂うのは、土臭く、青臭い匂いだけ。


 彼が求めていた、あの独特の、苦味を伴う、華やかな香りは、微塵も感じられない。


 彼の手が、その蔓の断面を確かめる。

 これは、ツル科ですらない、ただの低木だ。


「……サク殿? 如何いかがかな? これぞ、まさしく……!」


「…すみません。せっかくなのですが」


 朔は、落胆を隠しきれず、力なく首を振った。


「ナガサ殿。これは、俺が探していたものではないようです」


「な、なんと!?」


 ナガサは、愕然とした。


「ようやく見つけ出したというのに……!」


「ですが!」と朔は、慌てて付け加えた。


「この三つ……トマトと唐辛子、そして、あの球根(玉ねぎ)を手に入れてくださった。これだけでも、とてつもない収穫です。おかげで、料理の幅がとんでもなく広がりました。この御恩は決して忘れません。陛下にも褒美を増やしていただくよう伝えておきます。本当にありがとうございました」


 朔の心からの感謝の言葉に、ナガサも、いくぶん気を良くしたようだった。


「……ふむ。まあ、赤い方と、土のものが本命であったのなら、良しとするか。……よし、者ども! 箱を片付けよ!」


 ナガサの部下たちが、空になった木の小箱を、無造作に片付け始めた。

 トマトが包まれていた苔や、唐辛子の麻袋、そして、あの「ハズレ」の植物が、雑多に箱に戻されていく。


 朔も、まだ立ち直りきれない落胆を引きずりながら、そんな彼らを手伝おうとした、その時だった。


 彼が、トマトが入っていた一番大きな小箱の底から、中敷きとして使われていた乾燥した植物を、掴み出した、その瞬間。


 フワリ、と。


 あの忘れもしない、懐かしい香りが、彼の鼻腔を微かに、しかし確かにくすぐったのだ。


「いや、ちょっと待て」


 朔は、息を呑んだ。

 彼は、掴み出したその植物の束を、慌てて、顔へと近づけた。


「まさか」


 この香り。


 甘く、華やかでありながら、どこか樹脂を思わせるような、爽やかで、そして、鼻腔の奥を心地よく刺激する、独特の苦味を伴った香り。


「まさか……!」


 彼は、震える手で、その草の束を、解きほぐした。


 それは、茶色く乾燥した、長いつるだった。


 そして、その蔓に無数に、あの小さな松かさのような形をした、緑がかった茶色い毬花きゅうかがくっついていた。


「な……ナガサ殿! ちょっと待ったぁ!」


 朔の、ただならぬ剣幕の声に、立ち去ろうとしていたナガサが、驚いて振り返った。


「サク殿? いかがされた……」


「これだ! 俺が探していたのは、これだ!」


 朔は、その乾燥したホップの蔓を、まるで王笏おうしゃくのように、高く掲げた。


「……は? いや、しかしサク殿、それは……」


 ナガサは、心底、訳が分からないという顔をした。


「それは、ただの緩衝材ですぞ。唐柿とかいう貴重な果実が船旅で傷まぬよう、大陸の商人が箱の底に敷き詰めていただけの、ただの『草』だ。……いや、草というより、あれは……」


 彼は、記憶を手繰り寄せた。


「そうだ。あれは、大陸の北方では、木に巻き付いて、木を枯らしてしまう『害草』だと、皆が嫌って刈り取っていた。だから、緩衝材としていくらでも使ってくださいと……」


 害草。緩衝材。


 その言葉に、朔は、天を仰いだ。


 なんと、皮肉なことか。


 大陸では、その価値を誰にも知られず、ただの厄介者として、捨てられていたのだ。


 それが奇跡のように、この箱の底で海を渡り、自分の元へとやってきた。


 朔は、その乾燥した毬花を、そっと揉んでみた。


 カサカサと、乾いた音がする。

 その拍子に、中から、芥子粒けしつぶよりもさらに小さい、黒褐色の硬い粒が数粒、彼の掌の上にこぼれ落ちた。


 種子だ。


 この乾燥しきった毬花の中に、まだ、命が残っている。

 朔の手が震えた。


(……信じられない……)


 朔はその小さな種子を、まるで世界で最も貴重な宝石であるかのように、掌で、そっと包み込んだ。


 心臓が、破裂しそうなほど、激しく打っていた。


「――ユズリハ!」


 朔は、顔を上げた。その目は、少年のように輝いていた。


「すぐに兵を。木材を集めてくれ!『太陽の家』を、新しく建てたい」


 朔は、もはや、一刻の猶予も待てなかった。


 トマトも、唐辛子も、ホップも、そして、あの小さな玉ねぎも、この邪馬台国の気候で育つという保証は、どこにもない。


 だからこそ急ぎ、専用の温室をつくり、できる限りのことをするのだ。


 唐辛子とホップはまだいいが、トマトと玉ねぎは、次に手に入れられるかどうかわからないほどの品かもしれない。



 数日後。


   朔の工房の脇には、大小様々な形の、しかし全てがガラスと鉄でできた、きらめく温室が、五つも連なって建っていた。


   大きなものは、ホップの蔓を天高く伸ばすための、背の高い構造。

 小さなものは、トマトや唐辛子が、太陽の光を独占できるような、低い、広々としたもの。

 玉ねぎのための温室は、地中の温度管理を重視した、特別な構造になっていた。


 それぞれの温室は、外の世界とは隔絶された、独自の世界を形成していた。


 ガラスを通して差し込む太陽光は、内部の土や植物の上に、きらきらと光の模様を描く。

   内部の空気は、外の蒸し暑さとは無縁の、常に清浄で、植物にとって最適な温度と湿度に保たれていた。


 卑弥呼やタケヒコが、その光景を初めて目にした時、彼らは言葉を失った。


  「これは……これは、一体……」


   卑弥呼は思わず、ガラスの壁にそっと指先で触れた。


 ガラス越しに伝わる、内部の暖かさ。

 そして壁の向こうで、青々と茂る植物の姿が鮮明に見える。


   まるで冬の最中に、春の野原を閉じ込めたかのような、神秘的な光景だった。


 朔は満足げに、その「水晶宮クリスタル・パレス」の連なりを眺めていた。


  「陛下。これこそ、この国の食の未来を育む場です」


   彼の言葉通り、それぞれの温室の中では、トマトの蔓には、既に小さな緑色の実がつき始め、唐辛子の苗には、鋭い葉が茂り、玉ねぎの球根は、土の中で確実に肥大化しつつあった。


 そしてホップの蔓は、ガラスの屋根の高さまで伸び、小さな毬花をつけ始めていた。


 これで満足している朔は、まだ知らない。


 このガラスと鉄でできた「祝福された水晶宮クリスタル・パレス」では、作物の成長速度が300%になっていることを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ