道場破りの女
ミトを救い、邪馬台国に帰還した朔とユズリハは、旅装も解かぬまま、卑弥呼の私室へと召し出された。
そこには、卑弥呼とともに宰相タケヒコも、安堵と疲れの入り混じった表情で二人を待っていた。
「サク、ユズリハ。戻ったか。……して、ミトは」
卑弥呼の神聖な女王の仮面の下から、一人の友としての不安げな声が漏れた。
ユズリハが、一歩前に進み出た。
「はっ。ミト様は、サク殿の昼夜を分かたぬ看病と、彼が調合した『滋養食』により、奇跡的にご回復なされました。我らが発つ日には、ご自身の足で我らの見送りに来られるまでに……」
「なんと。もうそんなに……!」
卑弥呼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
言葉に詰まった卑弥呼に代わって、タケヒコが話を引き継ぐ。
「サク殿、よくやってくれた。科野国の王がさぞかし喜んだのではないか」
「はい。それなんですが」
朔は懐からあの『方鉛鉱』を取り出し、卓の上に置いた。
黒く、重々しくありながら、灯火の光を浴びると星のように白銀の輝きを放つ、奇妙な石。
「お礼に、これを交易品にしてくださると」
タケヒコは、それを手に取り、眉をひそめた。
「……サク殿。これは、一体……?」
彼はその石に触れようとし、あまりの重さに驚く。
「なんという重さだ。……鉄か? いや、鉄にしては……」
タケヒコはおそるおそる、自らの爪で、その石の表面を引っ掻いてみた。
すると、驚くほど簡単に鈍い銀色の筋が爪痕として残った。
「……石でも、鉄でもない……。サク殿、これは、何なのだ?」
タケヒコは、この国の誰よりも金属に詳しいという自負があったが、目の前のこの物質は、彼の知識のどの範疇にも属していなかった。
卑弥呼もまた、玉座から降り立ち、その奇妙な石塊に恐る恐る、白い指先で触れた。
「サクよ。この黒い石にそれほどの価値があるのか」
「はい。この石に含まれる金属をうまく用いると、今よりも優れた『壁』を作り出すことができます」
「なに」
「壁、と?」
卑弥呼とタケヒコが、とたんに真顔になった。
「陛下、タケヒコ様。言葉で価値を説明するより、その石で作り上げたものを実際に見て頂くのが早いでしょう……ふあ」
そこで朔は、ついあくびをしてしまう。
朔が連日連夜、ミトを看病していただろうことを見抜いた卑弥呼は、小さく笑いながら頷いた。
「……分かった。サクよ。そしてユズリハ。そなたたちはもう十分すぎるほど、働いてくれた。料理人としての責務はいったん忘れ、数日ゆっくりと休むが良い。見せてくれる日を楽しみに待っている」
「はい。ありがとうございます」
朔は畏まると、ユズリハと共に、私室を辞した。
◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。
朔が一週間ぶりに厨房へと足を踏み入れると、そこには、異様な空気が漂っていた。
料理人たちは、どこかしら不安げな様子で、朔を見るや、目で訴えかけてくる。
ユズリハは、その不穏な空気を即座に感じ取り、朔の半歩後ろに立ち、警戒を強めた。
料理人たちは、目で、オシヒト様に、と合図してくる。
朔は無言で頷き、オシヒトに近寄る。
「……オシヒト殿。なにかあったのか」
朔が、うずくまるように座っているオシヒトに声をかける。
「………」
しかし返事がない。
わざと無視されているのかと思ったが、どうやらそうではなく、ぽかんと口を開け、座ったまま、すっかり抜け殻になってしまっていた。
他の料理人にどうしたのか聞いてみると、どうやら三日前に、北の雪深い国から来たという一人の女が宮殿に現れ、『邪馬台国で、最も腕の立つ料理人と、勝負させろ』と啖呵を切ったらしい。
「おもしろい」と、オシヒトが、邪馬台国の、そして料理人衆の誇りを懸けてその挑戦を受けて立った。
そして、結果は見ての通りとのことである。
審判はタケヒコがやったそうだが、タケヒコは百歩譲っても、オシヒトを勝利させることはできなかったようである。
それだけ、その女の料理が優れていたということだ。
女は 『邪馬台国の食は所詮、この程度なの? 素材の味に頼るだけで、魂がこもってないわね。序列第一位のサクとやらも、たかが知れてるわね。どうせこの私から逃げたんでしょうけど』と吐き捨て、一月後、再び来ると言い残し、去っていったそうだ。
朔は屈み込み、体育座りしているオシヒトの肩に手を置いた。
「よく立ち向かってみせたな。ご苦労だったな、オシヒト殿」
焦点の合わぬままのオシヒトに、朔は丁寧に礼を言った。
「ぐぬ……」
オシヒトが抜け殻なりにリアクションしてくれた。
「一月後、か。……その女がもし、再びここへ来るようなことがあれば、その時は俺が相手をしよう。安心してくれ。必ず勝つ」
朔は立ち上がると、オシヒトを部屋に運び、数日休ませるように伝えた。
そして自身は厨房に立ち、さっそく料理人たちに細かな指示を飛ばすのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
料理人としての仕事が落ち着いた夕方、朔は自らの工房へと向かった。
「大丈夫だから、今日は休んでくれ」
朔が後ろをついてくるユズリハに、何度目かしれずそう声を掛ける。
彼女も科野国の時から、昼夜を問わずずっと働き通しである。
いや、狩りや野草を取りに行ってもらったりと、自分より肉体労働が断然多かった。
だがユズリハは頑として聞かず、湯に行っただけで、ずっと朔のそばを離れない。
「サクは休まないのか」
「俺は楽しくてしょうがないんだ」
そう言いながら、朔は炉に火を入れ始める。
朔の頭にあるのは、一月後の料理対決などではない。
ずっと欲しかった鉛を得ることだった。
朔は持ち帰った『方鉛鉱』を、坩堝の中に入れ、炉へとくべた。
ゴオオオオオッ!
ふいごが唸りを上げ、炉の中の炎が白銀の宝を産み出すために、赤々と燃え上がる。
さぁ、作りたかったものをやっと作れるぞ。
これが量産できれば、いろいろなことができるようになる。




