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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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命の理 前編



 卑弥呼は、厨房へと向かった。

 そこでは、朔が止まることなく作業を続けていた。


 彼の目の下には、濃い隈ができていたが、その手は休むことなく動き続けている。


 彼は、ミトのために米を極限まで柔らかく煮込んだ重湯と、数種類の野菜を煮詰めて作った、命のスープを用意していた。


 卑弥呼は、彼の横に立つと、まっすぐに、その目を見つめた。


「……サクよ」


「はい、陛下」


「昨夜のことだ。ミトの血を止めたのは……」


 彼女は一度、言葉を切り、そして確信に満ちた声で問いかけた。


「……まさか、とは思うが。そなたの力か?」


 朔は首を振った。


「陛下。あれは私の力ではなく、ミト様ご自身の生きようとする力です」


「なに」


 朔は卑弥呼が反論する前に、続けた。


「人の体は、様々な『栄養』によって成り立っております。肉や魚から得られる栄養、穀物から得られる栄養。同じように、ごく特定の、新鮮な果実や草木の新芽にしか含まれない、特別な『栄養』の素があります」


 彼は、卑弥呼の目をまっすぐに見つめ返した。


「その特別な栄養素が、人の体から長く失われると、体は自らを繋ぎとめる力を失い、血が漏れ出しやすくなるのです。ミト様の症状は、まさにそれでした。科野国は冬が長く、新鮮な果実や野草が食卓から消える。それだけのことで、人の命は儚くも枯渇してしまう。私はただ、その枯渇した栄養素を凝縮して補っただけで、妖術や神の力でもなんでもないんです」


 卑弥呼は、言葉を失って、朔の話を聞いていた。

 

 呪いでも、祟りでもない。

 神の怒りでもない。


 ただ、何かが「足りなかった」だけ。


 そして、それを補えば、体は元に戻ろうとする。

 その、あまりに単純で、しかし揺るぎない論理。


 それは、彼女が拠り所としてきた神託や祈祷とは、全く違う次元の、世界の真理だった。


 自分の祈りが無力だったことへの絶望と、友が救われたという事実。


 そして、目の前の男が持つ、底知れない知恵への畏敬の念。

 その全てが、彼女の中で渦を巻いて、一つの感情へと収束していく。


 それは、純粋で、そして圧倒的な、感謝だった。


「……サク」


 彼女は、もう一度、彼の名を呼んだ。

 その声は、女王のものではなく、ただのヒミコとしての、か細く、震える声だった。


 次の瞬間、彼女は、まるで何かに突き動かされたかのように、朔の胸に、その小柄な体を預けていた。


「……っ!?」


 朔の思考は、完全に停止した。

 腕の中に、信じられないほど華奢で、そして温かい、女王の感触。


 髪から漂う、香油と、彼女自身の清らかな香り。

 耳元で聞こえる、嗚咽を堪える、小さな息遣い。


 何が起こったのか、理解できなかった。

 この国の、神にも等しい存在が、今、自分に抱きついている。


「……ありがとう……。本当に、ありがとう……」


 くぐもった声で、彼女は何度も、何度も、そう繰り返した。

 それは、女王が臣下に向ける、労いの言葉ではなかった。


 絶望の淵から救い出された、一人の人間が、もう一人の人間に捧げる、魂からの感謝の言葉だった。


 朔は、どうすればいいのか分からなかった。


 その華奢な体を抱きしめ返すことも、突き放すこともできず、ただ、両腕を宙に浮かせたまま、石のように硬直していた。


「本当に、心から感謝している」


「……いえ、陛下。陛下が間に合わないのも覚悟で、出向くと決めたからこそ、ミト様は助かったようなもの」


「それ以上に、そなたがいてくれたからだ」


 夜明けの光が、厨房に差し込み、寄り添う二つの影を静かに、そして長く照らす。


「サク。集めてきたぞ――」


 暗がりの中、野草を摘んできたユズリハが、それを両手いっぱいに抱えてやってくる。


 しかし、通路に伸びる寄り添った影を見て、はっとして足を止めた。


「………」


 ユズリハは、厨房の中を覗くことができない。

 そこにいるひとりは、間違いなく朔なのだ。


 もう一人が誰かは、わかってしまっていた。


「………」


 ユズリハのその目に、涙が溢れていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇





 夜明けの光が、科野国の厨房に差し込み、寄り添う二つの影を、静かに、そして長く、照らし出していた。


 朔の胸に顔を埋め、女王・卑弥呼は、友を失うかもしれなかった恐怖と、それが奇跡的に回避された安堵から、か細く震え続けていた。


「すまぬ。こんなことをしている場合でもないな。私は早々に国に帰らねば」


 朔は頷いた。


「ミト様の危機は去りましたが、枯渇した『力の源』を、体に戻すには、まだ時がかかります。もしお許しいただけるなら、私はもう数日、この国に残り、ミト様の食のお手伝いをします。彼女がご自身の足で、再び立てるようになるまで」


 その申し出は、卑弥呼にとって、望外のものだった。


「……まことか、サク」


「はい。明らかに快方に向かうまで、いいでしょうか」


 やがて卑弥呼は、強く頷く。


「……サク。ミトの命、そなたに預ける。私は邪馬台国へ戻る。ユズリハ。サクの護衛と科野国との繋ぎ役としてここに残れ。兵も十名ほど残そう。サクの指示に何事も従うように、と」


「……はっ」


 ユズリハは、通路の外で畏まった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 卑弥呼の率いる一行が、慌ただしく邪馬台国へと帰還していった。


 朔はその日から、王女ミトのためだけの特別な料理人となった。


 科野国の厨房を借り受けた彼は、まずユズリハに兵を指揮させ、宮殿周辺の森から、彼が指示する食材を徹底的に集めさせた。


 新鮮な山菜セリやヨモギ、川魚、そして猪や鹿の新鮮なレバー。


 朔はまず懐にあった鶏の骨と昆布で、清らかで力強い出汁を引いた。

 次に猪のレバーの血抜きを行い、その臭みを酒と生姜で完全に消し去る。


 そしてそれを食べやすいようにすり潰し、山芋と混ぜ合わせ、ふわりとした「肝のつみれ」を作った。


 別の鍋では、川で獲れたばかりの「しじみ」を煮出し、その濃厚なエキス(ビタミンB12の宝庫)を鶏の出汁と合わせる。


 完成した汁物は、もはや単なる栄養スープではなかった。

 それは彼の持つ不思議な「祝福」の力が宿った、「命の薬」だった。


 朔はそのスープと、ビタミンCのペーストを、昼夜を問わずミトに与え続けた。


 ユズリハもまた朔の指示に従い、ミトの体を清め、寝具を取り替えるなど献身的に看病を手伝っていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 その夜。


「いったいどうなのだ。大丈夫なのか」


 科野国の王は、娘の容態が気になって気になって、自室で休むこともできず、とうとう寝室の様子をうかがいに来ていた。


「ワシにも見せろ」


 彼は臣下たちを遠ざけ、扉の隙間からそっと中の様子を覗き込んだ。


 そこには、彼が見たこともない異様な、しかしどこか神聖な光景が広がっていた。


 娘のミトは寝台の上でまだぐったりとしてはいるが、その呼吸は昨日よりも明らかに穏やかになっている。


 その枕元には、邪馬台国から来たあの見慣れぬ男(朔)が、膝をついていた。


 彼は、侍女ユズリハが持つ土鍋から、さじで、温かな汁物をすくい取ると、意識の朦朧もうろうとしたミトの唇を優しくこじ開け、一滴、また一滴とまるで赤子に与えるかのように、根気強く流し込んでいた。


 その男の横顔は、夜通しの看病で疲れ切っているはずなのに、不思議なほどの集中力と、慈愛に満ちていた。


 それは呪術師が神に祈る姿とも、医者が薬草を煎じる姿とも、全く違う。


 ただひたすらに、目の前の命を「養おう」とする、純粋な意志の力に満ちていた。


 侍女ユズリハもまた、その傍らで、汗をかいたミトの額を、濡れた布で、優しく拭っている。


「……あれは、どなただ……?」


 王は傍らに控える自らの侍従に、小声で尋ねた。


 側近は、王の耳元で、おそれを込めた声で、囁き返した。


「はっ。あれこそが、卑弥呼女王が国の礎とまで頼る『賢者』サク殿。あの方こそが姫様の命を、死の淵から生き返らせた張本人にございます」


「な……!」


 王は、息を呑んだ。


 あの男が?


「祈祷はどうした」


 王の言葉に、側近が畏まる。


「畏れながら、昨日からずっとされておりません」


「祈祷なしで良くなっていると申すか」


「はっ。サク殿が与える汁物こそ、目に見えて効き、私どもがみている間にも、みるみる……」


「なんと」


 王は、もう一度、室内の光景を見つめた。


「あんな、ただの汁物で……」


 朔の疲れ切った、しかし、どこまでも真剣な横顔。


 そしてその汁物を口にするたび、ミトの蒼白だった頬に、僅かながら血の気が戻っていくかのような、不思議な感覚。


 王は言葉を失い、ただその光景を立ち尽くして見守っていた。



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