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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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大陸からの使者2 前編


 河内かだいの司馬家の一角に、不敵な笑みを浮かべて書を閉じる若者がいた。


 名を司馬懿しばい、あざなを仲達ちゅうたつという。


狼顧ろうこの相」を持ち、首を真後ろまで回して周囲を睥睨するその男は、今はまだどの英雄にも仕えず、乱世の行く末を静かに見極めていた。


 そんな彼の耳に、衝撃的な報せが届く。

 曹操の腹心として名高い天才・楊修ようしゅうが、外交使節として訪れた東の島国・邪馬台国から帰還するなり、精神を病んだというのだ。


「……楊修が狂っただと?」


 司馬懿は低く笑った。

 彼にとって、楊修はその才を認める数少ない好敵手の一人であった。

 その男が、政務も軍略も忘れ、ただうっとりとした目で「思い出」を語り続ける廃人と化した。


『……あの黄金の衣……噛みしめた瞬間の、脳髄を揺らす音、重なる白きマヨ……。そして、喉越し最高の、泡の水……。ああ、思い出すだけで、なんとも筆舌に尽くしがたく……』


 噂によれば、楊修が持ち帰ったのは外交の成果ではなく、ただ一人の「料理人」に『脂で屈服させられた』という屈辱的な敗北の記憶だけだったという。


 (脂料理ごときで天賦の才が腐るはずがない。楊修の目が曇ったか、あるいは、その島国に魏の屋台骨を揺るがすほどの『何か』があるのか……)


 司馬懿は決意した。


 曹操からの仕官の誘いを病と称して断り続けていた彼だったが、この「謎」だけは放置できなかった。


 己の知性が否定される前に、その正体を暴かねばならない。

 彼は司馬家の私兵を引き連れ、自ら「東方の実態調査」と称して、極寒の海へと乗り出したのである。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 空は鉛色に閉ざされ、玄界灘げんかいなだの荒波が、狂った獣のように船腹を打ち据えていた。


 大陸の黄河、あの濁流すらも飲み込むような冷たい波飛沫が、甲板を白く染める中、司馬懿は船首に立っていた。


 (……待っていろ、楊修。貴殿がいかに貧弱な胃袋と精神の持ち主であったか、私が証明してやる。未開の蛮族が作る脂まみれの食い物など、私の理知で飲み込んでくれるわ……ん?)


 だが。

 霧の向こうに現れた那の津の港を目にした瞬間、司馬懿の「理知」は激しく揺らいだ。


「……なんだ、これは」


 不意に、驚愕が漏れた。

 そこには、彼が想像していた「掘っ立て小屋が並ぶ蛮族の港」など存在しなかった。


 岸壁は石を積み上げたものではなく、継ぎ目のない灰色の巨大な岩――コンクリートによって強固に固められ、定規で引いたように鋭い直線を海に描いている。


「仲達様、あれを……! 帆がないのに動いております!」


 従者が絶叫し、指差す。


 その先には、帆を持たず、船腹に巨大な水車のような外輪を備えた異形の船。


 それが規則的な音を立てて波を蹴り、黒煙を吐きながら、あり得ない速度で港から出ていくところであった。


「なん……だと」


 司馬懿の頬を、汗が流れ落ちた。

 いったいどうやって動いているのかも見当がつかない。


 さらに港から内陸へと続く道のごく一部だが、黒々とした滑らかな大地――アスファルトが敷き詰められ、馬車がカポカポいいながら、滑るように走っている。


 (これほどの港、そしてあの怪鳥のような船……。この島国、ただの蛮族の地ではない。楊修の奴、これを見て狂ったか。……いや、まだだ。まだ私は認めぬぞ)


 司馬懿は己の動揺を押し殺し、黒々と光るアスファルトの道を一歩、一歩と踏みしめて進んだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 邪馬台国の王都・山門やまとは日が長くなりつつも、まだ寒々しい雪化粧に覆われていた。

 

 そんな静かな春の折である。


 大陸からの謎めいた賓客が来訪したという報せが、瞬く間に駆け巡った。


 謁見の間。


「むぅ……」


 司馬懿は、案内された広間の床を見て、再び足を止めた。

 そこは、皇帝の宝物庫でも見られぬような、純白の白磁タイルで隙間なく覆われていた。

 窓から差し込む冬の陽光を反射し、室内は異様なまでの清潔感と輝きに満ちている。


(なんと……これほど広大な空間を陶器で埋め尽くすとは。この国には土を焼く竈がいくつあるのだ……)


 さらに彼を驚かせたのは、その温度だった。


 外はまだ雪が舞う肌寒い時期だというのに、足の裏からはじんわりと、春の陽だまりのような温もりが伝わってくる。


(……まさか床の下で火を焚いているのか? 炎の気配はないというのに、この温かさ。不思議な術を……)


 目新しいものばかりに驚いている間にも、女王の前に来てしまった。


 司馬懿は大きな咳払いをする。


「……やれやれ。私としたことが」


 マウントを取られつつある自分に気づき、司馬懿は胸を張りなおし、慇懃無礼な礼と共に、女王・卑弥呼を見据えた。


「河内の司馬仲達である」


 司馬懿は洗練された倭国の言葉で挨拶をしてみせ、マウントを取り返す。

 司馬家には倭国から渡って来た召使がおり、その者から言葉を学んでいたのである。


 案の定、女王は目を瞠り、重臣らしきものたちもざわざわとする。


 そして。


(ほう、この男か)


 その鋭い視線を、女王の傍らに控える一人の若者へと突き刺した。

 楊修を「たぶらかした」と噂される、この国の賢者である。


 司馬懿は袖を払い、朔に向かって冷ややかに言い放った。


「……単刀直入に申そう。私は、楊修のように線が細くはない。聞けば楊修は、貴国の料理の『脂の思い出話』だけで腑抜けになっていると聞く。実に嘆かわしいことだ。言葉だけで美化された幻想にすがりつくとは」


 司馬懿の言葉には、明確な敵意と、楊修への嘲笑が滲んでいた。


「私は違う。私は天をも喰らう狼だ。幻想など愛さぬ。……私の舌と胃袋で、その化けの皮を剥いでやる。さあ、楊修を骨抜きにしたという『脂まみれの料理』とやらを出してみよ。私は違うぞ。脂ごとき、いくらでも底なしに食らってやる!」


 それは料理への注文というよりは、己の知性と胃袋の容量を賭けた決闘の申し込みだった。


 朔は想像だにしない大物がやってきたことに驚愕しつつも、その瞳の奥にある底なしの食欲を読み取った。

 この男は、料理を食べに来たのではない。


 楊修を否定し、己の優越を証明しに来たのだ。


「やれやれ」


 卑弥呼は軽くうんざりしたような顔をし、タケヒコと朔に任せると言って私室へと消えた。


 卑弥呼の態度ももっともである。

 わざわざ、どこの馬の骨とも知らぬ大陸人に言われた通りにご馳走してやる道理などないのだ。


 だが朔は知っている。

 この人物こそ、三国志の動乱に終止符を打ち、最終的に「天下」をその手に引き寄せることになる男であることを。


「わかりました。やらせていただきます。ですが、最高の脂を用意するには、仕込みに時間がかかります。……一日、お待ちいただけますか」


「一日か。よかろう。逃げる時間を与えるつもりはないぞ」


 司馬懿は余裕たっぷりに頷いた。

 むしろ戦いを前に、絶好のコンディション(空腹)をつくるのに好都合である。


「明日の夜、楽しみにしているぞ。楊修殿の貧弱さを、証明する夜になろう」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 翌日の夜。

 用意された別室には、香ばしい揚げ油の匂いが漂っていた。


 司馬懿は上座に座り、腕組みをし、目を閉じながら待ち構えていた。

 これからの戦いに備え、当然のように、司馬懿は丸一日水だけでなにも食してはいない。


「お待たせいたしました」


 朔が運んできたのは、皿に盛られた「鶏の唐揚げ」だった。


「ほう……これが噂の。見た目はただの肉塊だが」


 司馬懿は値踏みするように鼻を鳴らし、箸を伸ばして一つ口に放り込んだ。


 ザクッ……!!


 刹那、司馬懿の眉がピクリと跳ねた。

 膝の上で拳に力がこもる。


「……ッ!?」


 咀嚼した瞬間、脳天を突き抜けるような破裂音。

 そして、カリカリに揚がった衣の中から、熱した油のように熱い肉汁が、奔流となって口の中に溢れ出したのだ。


「熱っ……! な、なんだこの肉汁の量は!?」


 司馬懿は慌ててハフハフと息を吐きながら、しかしその顔には隠しきれない驚愕が浮かんでいた。


 楊修の言葉は、決して大袈裟ではなかった。

 いや、言葉では伝えきれていなかったのだ。この破壊力は。


「む……? この香りは……生姜しょうがか! 隠し味に、生姜を使っている」


 司馬懿が叫んだ。朔は静かに頷いた。


「御明察です。大蒜にんにくでパンチを効かせつつ、生姜で後味を引き締める。これこそが、無限に食べ続けられる秘訣です」


「……小賢しい真似を!」


 司馬懿は悔しげに唸った。


 否定したい。楊修が褒めたものを、自分も褒めるなど癪に障る。

 だが、舌が嘘をつけない。どうにも美味いのだ。


「むぅ」


 ――カリッ、サクッ!


 手が止まらなくなっている。


「仲達殿。よろしければ、次はこちらをつけて味変してみてください」


 朔が差し出したのは、例の「マヨネーズ」だった。


「……出たな」


 倭の国の魔術、マヨ。

 これが楊修のやつを狂わせたと言っても過言ではない。


「いいだろう」


 司馬懿が座り直す。

 これに勝負を挑まねば、来た意味がないというもの。


 ――サクッ。


「………ば、ばかな!!」


 口から、まばゆい虹光とともに唐揚げの破片が飛び散った。


 濃厚な卵のコクと酢の酸味。

 それらが唐揚げの脂と混ざり合い、口の中で爆発的な化学反応を起こしたのだ。


 矛盾した快楽。


「ただでさえ完成された味に、さらに奥行きを与えるだと!? この酸味……脂を中和するどころか、より食欲を煽ってくるではないか!」


 司馬懿は、もはやなりふり構わず、唐揚げにマヨネーズをたっぷりとつけ、貪るように食べ始めた。


 さらに、朔の仕掛けた罠にハマるように、そっと置かれていた白米を一緒に掻き込む。


「ご、ご飯が進んでしまうだと!?」


 楊修への対抗心など、どこかへ吹き飛んでいた。

 今はただ、この白い悪魔のソースと黄金の肉に溺れたい。


 (いかん。これでは楊修と同じになってしまう)


 司馬懿は、ご飯を完食してしまったところで我に返り、椀を置いた。

 司馬懿は咳払いをし、努めて冷静な声を出した。


「……ふん。軽いな」


「軽い、ですか?」


「ああ。確かに美味だ。マヨとやらも衝撃的だった。だが……この程度の脂ならば、いくらでも食べられるぞ? 楊修はこれで満足したらしいが、私は河内の狼! 残念であった、ではこれにて」


 司馬懿が席を立ち、後ろを振り返り(狼顧)、去ろうとした。

 軽くゲップが出そうになるのを、こらえる。


 その時、朔の声が響いた。


「まだ『前菜』なんですが、もう帰ります?」


 司馬懿の足がピタリと止まった。


「ぜ……前菜?」


「どうぞ。こちらが仲達様への主皿になります」


 朔が手を叩くと、奥の調理場から、強烈で野太い獣の匂いが漂ってきた。


 ドンッ!!


 地響きのような重厚な音と共に、司馬懿の目の前に置かれたのは、巨大な黒い陶器のはちだった。


 そこには、「山」があった。


 甘く煮込まれて透き通った大量の玉葱と、野蒜や浅葱が、小高い山のように積み上げられている。

 その頂上には、雪崩のように、白濁した脂の塊と、刻まれた生の大蒜が鎮座している。

 麓には、巨大な豚肉の塊が二つ、岩石のように横たわっている。


 朔が重々しく告げた。


「『豚骨醤油とんこつしょうゆ二郎式じろうしき』『全マシマシ』になります」


「じろう……? 全……マシ……?」


 司馬懿は言葉を失った。

 顔がサァーッと青くなっていく。




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