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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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異国の花4


 彼女にとって、厨房は新たな修練の場となっていた。

 煮込み料理の火加減を見る時は、呼吸を整え、鍋の中で起こる熱の対流を感じ取る。


 麺を打つ時は、全身のバネを使い、均一な力を生地に伝える。


 その動きは舞のように美しく、無駄がない。


 厨房の熱気の中、彼女は暑さを逃がすために襟元を少し緩めていた。

 そこから覗く鎖骨は、華奢に見えて、鋼のような芯の強さを感じさせる。


 額に滲んだ汗が、白磁のような頬を伝い、顎先から滴り落ちる。

 彼女はそれを無造作に手の甲で拭う。


 その仕草一つにも、どこか高貴な色気が漂う。


 ふわり、と動くたびに、湯気で湿った黒髪が揺れ、甘いような、それでいて清冽な香りを撒き散らす。


 長い睫毛に縁取られた瞳は、竈の炎を映して揺らめき、獲物を狙う獣のように鋭く、そして濡れていた。


 ただ野菜を切り、鍋をかき混ぜているだけだというのに、その立ち姿は見る者の目を奪う引力を持っていた。

 

「……見惚れてるんじゃないわよ、そこの人たち」

 

 アカネに言われ、通りすがりの男たちが、はっと我に返る。

 確かに、今の彼女は美しすぎた。

 

 戦うための刃が、鞘に収まりながらも妖しい光を放っているような、危険な美しさというべきか。

  

 そんなある日のこと。

 不穏な足音が、厨房の穏やかな空気を乱した。

 

「――おい、そこの女」


 入り口に立ったのは、鍛え抜かれた肉体を持つ偉丈夫だった。


 邪馬台国の衛兵隊長、ハヤトである。

 その後ろには配下を二人、連れている。


 彼は不敵な笑みを浮かべ、土足で厨房へと踏み込んできた。

 

「ハヤト、土足厳禁だ。何度言ったら分かる」

  

 厨房ゆえ、朔が遠慮なしに咎める。

 が、ハヤトは聞く耳を持たない。

 

 彼は手に持っていた木刀を、放り投げた。

 

 カラン、と乾いた音がして、木刀がフヨウの足元に転がる。

 

「……暇つぶしだ。それで俺に打ち込んでこい。大陸の女」

 

 ハヤトは腰の真剣に手をかけたまま、顎をしゃくった。

 

「俺がハヤトだ。邪馬台国連合では、俺に敵う奴はいない」

 

「ハヤト、やめろ。彼女は今、仕込みの最中だ」

 

 朔が割って入ろうとするが、ハヤトはフヨウに詰め寄る。


 代々武家の出身であるハヤトは、幼少の頃から鍛え上げられており、とてつもなく強い。

 だが、それゆえかプライドも高く、このように性格に少々難がある。


 こと戦いとなると、言うことを聞かなくなってしまうと卑弥呼も嘆いていたことがあるくらいである。

 

「こい。特別に無料タダで指導してやろう」


  フヨウは、足元の木刀を見もしなかった。

 湯気の立つ大鍋をかき混ぜ、出汁の香りを確かめている。

 

「……無視か。俺を相手にいい度胸だ」

 

 ハヤトは鞘ごと剣を構えると、フヨウの背後から強引に間合いを詰めた。

 

「――俺を見ろオラァァッ!」

 

 鋭い一撃。

 鞘に収まっているとはいえ、当たれば骨が砕ける速度だ。

 

 瞬間。

 

 フヨウは振り返りもせず、足元にあった木刀を足の甲で跳ね上げた。

 

 空中に浮いた木刀を、右手で無造作に掴む。

  

 ――ガィィンッ!

  

 硬質な音が響き、ありえない火花が散った。


 フヨウは、振り下ろされたハヤトの剣を、片手の木刀だけで軽々と受け止めていた。

 

「な……ッ!?」

 

 ハヤトの目が見開かれる。

 渾身の力で押し込もうとするが、フヨウの細腕は岩のように動かない。


「……邪魔です」

 

 フヨウが短く呟くと同時に、彼女の手首が返った。

 力を込めていたハヤトの剣が見事に流され、大きくバランスを崩される。

 

「ぬぅッ!」

 

 ハヤトは顔を真っ赤にして体勢を立て直し、怒号と共に二撃目を繰り出した。


 怒りに任せた、手抜きの一切ない、横なぎの一閃。

 

 ――ヒュン。


 フヨウが小さく脚を開き、木剣を下から上へ振るう。


「ぐあっ!?」


 ハヤトの横薙ぎの刃がフヨウの一撃を受け、あっさりと撥ね飛ばされる。


 剣がくるくると飛んでいく横で、フヨウの身体が、ふわりと沈み込む。

  痺れ上がった手首を押さえて呻くハヤトに、傾いたフヨウの身体が吸い込まれる。

 

 ――ドガッ!


鉄山靠てつざんこう】。

 肩全体を使って相手に体当りする、中国武術の一つである。


 鈍い音が響き、次の瞬間には、ハヤトが厨房の入り口まで派手に吹き飛ばされていた。


「かはっ……」


 彼は無様に尻餅をつき、白目を剥いて泡を吹いている。

 完全なる敗北。


 手も足も出ないとはこのことだ。

  

 フヨウは木刀を足元にそっと置くと、何事もなかったかのように鍋に向き直り、お玉を手に取った。

 

「……塩が足りません」

 

 彼女は何食わぬ顔で、塩壺に手を伸ばした。

 その呼吸は乱れ一つなく、着物の裾すら乱れていない。

 

「……た、たたたた、隊長ーッ!?」

 

 部下の兵士たちが悲鳴を上げて駆け寄り、泡を吹いて気絶しているハヤトを、ずるずると引きずって退散していく。


 後に残されたのは、静寂と、鍋の煮える音だけ。

 

「……すごい」

 

 アカネが口をあんぐりと開けている。

 朔が、苦笑した。


「後ろから襲ってあれか……ま、ハヤトにはいい薬だったな」


 フヨウにとって、今の優先順位は明白だった。

 襲いかかる敵よりも、鍋の中のスープの出来の方が、遥かに重要なのだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「サクさん、これはどういう理屈ですか?」


 彼女は頻繁に朔に質問した。


「なぜ、塩を入れるタイミングで味が変わるのですか? なぜ、肉を焼く前に休ませるのですか?」


「それはな、浸透圧とタンパク質の変性が関係していて……」


 彼女が本当に極めたがったのは、技術ではなく「味」だった。


「サクさんの料理は、食べると身体の奥が温かくなります。……私も、そういう料理を作りたい」


 そう言って彼女が挑戦したのは、『豚の角煮と煮卵』だった。


 皮を綺麗に取り除いた豚バラ肉を、箸で切れるほど柔らかくなるまで煮込む料理だ。


 食材にじっと我慢強く向き合わねばならず、それゆえに誤魔化しが効かない。


 火加減、素材を入れるタイミング、そして味付けの塩梅。全てが調和しなければ、朔の作るような「とろける味」にはならない。


「あのねぇ……元々才能があるあたしだって、サクのまねしてずっと練習してるけど、全然なのよ。ぽっとやってきたフヨウが、そんなすぐに美味しいのを作れるわけないでしょ」


 味から覚えてから丸1年かかるわよ、とアカネが先取りして忠告する。


 その通り、最初は失敗の連続だった。


「……硬いな。火が強すぎて肉の繊維が縮こまってる」


「……塩辛い。煮詰まる分を計算に入れないと」


 朔の指摘が入るたび、フヨウは唇を噛み締め、また一から作り直した。


 彼女は妥協を知らなかった。


 武人が一つの型を何千回と繰り返すように、彼女は鍋と向き合い続けた。


 時には涙を拭きながら、鍋を見つめ続けたこともあった。


 だが、そんな中でもフヨウが欠かさなかったのは、自分の作った料理の味を、しっかりみて反省することだった。


 夜が更けても、なにがいけなかったかを、不器用な舌で自分なりにきちんと見極め続けた。


 しかしアカネの言う通り、そんなひたむきな努力があろうと、一朝一夕で朔と同じようなものが作れるようになるはずもなかった。


「少し休もう。頑張りすぎだ」


 夜の厨房の隅で、失敗した料理を前に何度目か知れず涙ぐむ彼女に、朔がハンカチと麦茶を差し出す。


「……料理って、とても難しいですね」


 フヨウはハンカチを受け取りながら自嘲した。


「まあな。奥が深いのは間違いない」


 朔は座り込む彼女の隣にどかっと腰を下ろし、自分の茶を飲んだ。


「ちょっと気晴らしでもしてきたらどうだ」


「私、やりだしたら、ひとつのことしか考えられないたちで」


 フヨウが目元を拭いながら、麦茶を見つめている。


「たしかにそんな感じだな」


 二人が茶を口にして、しばし星空を見上げるだけの、無言の時間が流れる。


「……でも、してみたいなと思っていたことはありました」


 ふと、フヨウが、小声で呟いた。


「してみたいこと?」


「この門前町を……歩いてみたいなって」


「ああ、あそこは活気があって面白いもんな。いいんじゃないか」


「……サクさん」


 フヨウが空を見上げたまま、言った。


「……もし、私がこのお料理を、サクさんに認めてもらえるくらい上手く作れるようになったら……」


「なったら?」


 フヨウは頬を微かに染める。


「……私と、一緒に門前町を歩いてもらえませんか」


「わかった」


 フヨウの不安をよそに、朔はあまりにあっさりと頷いてくれた。


「ほ、本当ですか……!?」


「ああ、約束する」


 パッと顔を輝かせた彼女の表情は、どこまでも純粋だった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 そして、何十回目かの挑戦となった、ある夕暮れ時。


 厨房に、ふわりと甘く、濃厚な醤油の香ばしい湯気が立ち上った。

 豚の脂と甘辛いタレが溶け合い、そこに微かな生姜と八角の香りがアクセントを加えている。


「……どうでしょうか」


 緊張した面持ちで、彼女が朔に皿を差し出す。

 皿の上には、飴色に輝く角煮と、タレがしっかり染み込んだ茶色い煮卵。


 朔は箸を入れた。

 

 力など全くいらなかった。


 スッ、と箸が通り、肉がほろりと崩れる。

 一口食べると、口の中で脂身が甘く溶け出し、赤身からは肉汁が溢れ出す。


 次に煮卵を割る。

 中からとろりと、半熟の黄身が流れ出した。


 朔はゆっくりと味わうと、目を細めた。


「……お見事。文句なしだ」


 朔が椀を置き、フヨウの目を見て力強く頷く。


「美味い。本当に美味いよ、フヨウ。優しい味がする。君の性格が出てる」


 これなら、自分が勤めていたレストランで出せるほどの味だ、と朔は思ったくらいだった。


「あ……」


 その言葉に、フヨウの瞳が揺れた。

 戦場で敵を倒した時でさえ感じたことのない、魂が震えるような充足感。


 誰かのために一生懸命作り、それで誰かが笑顔になる。

 それがこんなにも嬉しいことだなんて。


「……嬉しい……です……」


 彼女はその場に座り込み、涙を拭った。

 

 湯気の向こうで、アカネが「え!? もう完璧? ……ふ、ふーん、やるじゃない」とそっぽを向き、入り口ではユズリハが静かに微笑んでいた。



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