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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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異国の花1


 今日の邪馬台国は、深い霧の中から始まった。

 鳥たちのさえずりさえもまだ遠く、世界は乳白色の静寂に沈んでいる。


 王宮から少し離れた岬の先に、特別な浜辺がある。

 

 この朝靄の中、その浜辺へと続く小道を歩くのは、朔とユズリハであった。


 二人はその浜辺に建てられた、変わった建造物を目指し、歩いている。

 木枠と美しいガラスで囲われた小屋――朔がクラフトした「水晶宮クリスタル・パレス」である。


 彼はここで太陽の熱を効率よく集め、海水を自然の力で濃縮し、塩を作っているのだ。


「大丈夫だといいが……」


「たしかに昨晩のはひどい風だった」


 朔が不安げな声を発したのは、他でもない。

 昨晩、台風のような風がこの辺り一帯を吹き荒らしたのだ。


 王宮にある水晶宮クリスタル・パレスは応急処置ができたが、こちらまで出向くのはとても無理だった。


 それゆえ、二人は嵐が止んだ朝早くにこうしてやってきているのである。


「ユズリハでもそう思うくらいだったか……ガラスの重さがあっても簡単に吹き飛びそうだったからな。……お、大丈夫そうだな」


 朔は温室の前に立つと、ガラスの張りを指で確かめる。

 はんだを作れるようになってから、ガラスの隙間をはんだで溶接しておいたのが良かったらしい。


「よし、被害はないな。中の結晶も順調に育ってる。……ついでに海藻も見ていくか。嵐の後は、深場から変わったものが寄っているかもしれない」


「……その料理への執念は異常だな」


 ユズリハは溜息をつきつつも、その表情はどこか柔らかい。

 彼女にとって、朔のこの屈託のなさは、張り詰めた宮廷生活の中での数少ない安らぎでもあった。


「ん……? ちょっと待て」


 朔が波打ち際へと歩き出した、その時だった。

 霧が晴れ始めた波打ち際の向こう、波の花が散る岩場の陰に、不自然な黒い塊が見えた。


「あれは……」


 朔が目を凝らす。


 流木ではない。

 波に揉まれて形を失っているが、それは明らかに人工物――打ち砕かれた小舟の残骸であり、その中心に、人が倒れていた。


「――下がって!」


 朔が声を上げるよりも早く、ユズリハが疾風のように前に出た。

 彼女は流れるような動作で、すでに剣の鯉口を切っていた。


 波音にかき消されそうなほど静かな、しかし肌を刺すような張り詰めた殺気が彼女の全身から立ち上る。


「……生きている?」


「息はある。だが……嫌な気配だ」


 ユズリハは眉をひそめ、油断なく倒れている人を見据えた。


「こいつからは、血の匂いがする。それも、ただ岩場で怪我をした者の匂いじゃない。多くの血を吸い、鉄と泥にまみれた、戦場の獣の匂い」


 朔はそっと近寄り、ユズリハの肩越しに倒れている人物を見た。


 長い黒髪が濡れた砂にまみれ、顔を覆っている。


 女だ。

 身に纏っているのは、邪馬台国の衣ではない。

 鮮やかな刺繍が施された、大陸風の筒袖つつそでの上衣と、動きやすそうな袴である。


 しかしその上質な布地はあちこちが裂け、海水で洗われてもなお落ちきらない赤黒い血が滲んでいた。


「ユズリハ、剣を納めてくれ。ひどい怪我をしているようだ。これじゃあ立つことさえままならないだろう」


「甘いぞ、サク。その女の手を見てみろ」


 ユズリハが切っ先で示したのは、砂に投げ出された女の右手だった。

 泥と血に汚れてはいるが、指の付け根と掌に、分厚く硬化した皮膚が見える。


「あれは農具のマメじゃない。剣ダコだ。それも、尋常な修練じゃない。幼い頃から武器を握り続けなければ、あんな手にはならない。相当な手練れだ」


「だとしても、今はただの遭難者だ。助けを必要としている」


 朔はユズリハの制止を振り切り、女のもとへ駆け寄った。

 近くで見ると、その惨状は明らかだった。


 左肩には深く矢が刺さった跡があり、背中には鋭利な刃物による切り傷が走っている。


 傷口は海水に洗われて白くふやけ、高熱を発しているのか、触れた肌は熱かった。


 彼女がしがみついていたらしい舟の板には、黒々とした焼け焦げた跡がある。


 朔は女の脈を診ながら、周囲に散らばる漂流物を目で探った。

 割れた陶器の水瓶、焦げた布切れ。


 その紋様に見覚えがあった。


 決定的なのは女が着ている服だ。

 彼女の衣服の織り方は、『大陸織り』と呼ばれるものであった。


「……まさか、大陸から、ここへ?」


 朔が信じられない様子で言った。


「いや、噂に聞く、東の渡来人の村のものかもしれない」


 ユズリハが応じる。

 朔が、なるほどと理解する。


「あの、大陸からの流れ者が集まって暮らしているという集落か」


 朔もタケヒコが話していたのを、聞いたことがあった。


 地図上では、山口県のあたりだったか。

 渡来人がつくる集落は、話す言葉も違って孤立しているという噂だ。


 そんな彼らを、好ましく思わない倭の国があるとも聞いている。


「……ユズリハ、見てくれ。この舟の壊れ方、岩礁にぶつかっただけじゃない」


 朔は舟板の断面を指差した。

 そこには、船底に突き刺さったまま、折れている矢が数本あった。


「この矢羽根の形……」


 ユズリハの声が苦渋に沈んだ。

 推測が確信へと変わる。


 矢は倭国のものだった。


「彼女の村は何者かに襲われたんだろう。おそらく、倭のどこかの国に。彼女は命からがら小舟で逃げ出したが、海上で追撃を受け、矢を射かけられながら、ここまで流された……」


 朔は脳裏に理不尽な暴力の光景が浮かび、言いながら怒りが湧いてきた。


 異国の地で、故郷を想いながら慎ましく暮らしていた人々が、炎と刃に追われ、海へと追い落とされる姿。


 この女は、そんな地獄から逃げ延びてきたのだ。


「……倭人として、いや、人として放ってはおけない」


「サク」


「ダメだ。助ける」


 朔はアイテムボックスから、清潔な水、包帯と蒸留酒、さらにピンセットなど、万が一のために用意してあった処置箱を取り出し、彼女の傷を応急処置し、血止めをした。


 ユズリハは舌打ちしながらも、その処置を隣で手伝う。


 朔の処置には『祝福』が宿る。

 応急処置だけでも血は止まり、その傷は治癒へと向かうのだ。


「ありがとう。じゃあ運ぶぞ、ユズリハ」


「連れて行くのか」


「当たり前だ。こんな適当な処置だけでは、助かるものも助からない。さあ手伝ってくれ」


 朔は返事も待たずに、女の体を背負い上げた。

 ユズリハはため息をつきながらも、サクを支え、王宮への道を急ぎ戻った。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 王宮の裏手には、厨房に近い勝手口がある。

 早朝ということもあり、幸いにも人影はなかった。


 朔とユズリハは息を潜め、裏庭を抜けて、厨房のさらに奥にある古い資材置き場へと滑り込んだ。


 そこはかつて穀物庫として使われていた離れで、今は予備の薪やかめが積まれているだけで、人の出入りはほとんどない。


 埃っぽい空気の中に、乾燥した木材の匂いが漂っていた。


「……よし、いったんここで」


 朔は部屋の隅にある古い木台の上に、麻袋と予備の布を重ねて簡易の寝床を作ると、背中の女をそっと下ろした。


 女はぐったりとして意識がなく、浅く速い呼吸を繰り返している。

 顔色は土気色で、額には脂汗が滲んでいた。


「ユズリハ、すまないが厨房から湯を持ってきてくれ。それと清潔な布を」


「……分かった」


 ユズリハが足音を忍ばせて出て行こうとした、その時だった。

 

 バンッ!

 

 入り口の扉が、外から乱暴に押し開けられた。

 差し込んだ朝の光と共に、数名の武装した兵士たちが雪崩れ込んでくる。


「動くな!」


 鋭い一喝と共に、穂先の鋭い槍が突きつけられた。

 そして兵士たちの後ろから、冷徹な瞳をした男がゆっくりと姿を現す。


 ユズリハが、ち、と舌を鳴らした。


 衛兵の長、ハヤトだった。


「……見回り兵から報告があったぞ。お前たちが浜から『大きな荷物』を運び込んだとな」


 ハヤトは部屋の中を見渡し、寝台に横たわる女を見て目を細めた。


「やはりな。大陸の服……それに武具か。ただの遭難者ではない」


「ハヤト」


 朔が女を庇うように前に出る。


「塩の浜に流れ着いていた。ひどい怪我をしている。至急手当てを……」


「――待たれよ」


 そこでハヤトの後ろから現れた者がいた。

 宰相のタケヒコだった。


「タケヒコ様……」


「サク殿。話は聞いた。気持ちはわかるが、事態はそなたが思う以上に複雑だ」


「……複雑?」


 タケヒコは静かに、諭すように言った。


「東の集落が襲われたという情報が入った。その生き残りならば、これは大きな火種。我が国に災いを持ち込む可能性がある。この者には可哀想だが、政治的にはここで始末をつけるか、あるいは海へ戻すのが賢明な判断」


 その声には、国を守る者としての苦渋が滲んでいた。


「料理人。情けで国を滅ぼすことにもなりかねんと言っているのだ。ここは引いてもらおう」


 ハヤトの言葉にも、朔は引き下がらなかった。

 真っ直ぐにタケヒコを見つめ返す。


「逆に、このまま死なせれば、倭国全体と大陸との火種になる可能性もあるでしょう。自分は力を尽くして助ける方を選びます」


「サク殿」


「断じて譲れません」


 二人の視線が交錯する。

 理想と現実、慈悲と政治。


 その均衡を、意外な人物が破った。


「ふむ。朝から随分と騒がしいな」


 兵士たちが慌てて道を開け、一斉に平伏する。

 現れたのは、純白の寝間着の上に羽織を数枚纏っただけの卑弥呼だった。

 まだ寝起きなのか、黒髪は緩く結われたままで、数名の侍女を連れている。


「姉上。なぜこのような埃っぽい場所に」


 タケヒコが動揺して駆け寄ろうとするが、卑弥呼はそれを手で制し、ふらりと作りたての寝台の方へ歩み寄った。


「妙な夢見でな。赤い龍が、庭先で泣いている夢だ。起きてみると、どうしてか厨房の方に行かねばならぬ思いがしてな。なるほど、こういうわけであったか」


 卑弥呼は楽しげに口元を緩め、朔の背後で苦しげに息をする、女の顔を覗き込んだ。



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