生ハム柿と海鮮塩ラーメン 中編
「では、最初の刻! 『昼の刻』担当、安芸の国!」
進行役の声が響き渡る。
先陣を切るのは、ホスト国の安芸。
彼らは「ホーム」の利点を最大限に活かした。
「――さあさあ、対馬の王、イサリビ殿! ようこそ我が領土へ!」
安芸の族長が豪快に笑い、手を叩く。
すると、浜辺に横付けされた数隻の漁船から、今しがた水揚げされたばかりの魚介類が次々と運び込まれた。
移動の疲れなど微塵もない、生きの良い真鯛、足をくねらせる巨大なタコ、そして殻付きのまま炭火に放り込まれるサザエやアワビ。
調理場など不要。
浜辺そのものが厨房だった。
酒はなくとも、その圧倒的な鮮度と香ばしい磯の香りが食欲をそそる。
「おお……! なんと新鮮な……!」
対馬王イサリビと、その民たち二十名の目が輝いた。
彼らも海の民だ。
魚の価値はよく知っている。
目の前にあるのは、生命力そのものだ。
イサリビは焼きたての鯛の藻塩焼きを頬張り、そのうま味に顔をほころばせた。
「美味い……。やはり、海は裏切らぬ」
その言葉に、安芸の族長は勝利を確信したように胸を張る。
「そうであろう! 対馬よ、求むべきは海の友だ。その港の権利、我らに回せば、いつでも新鮮な魚を送ろうではないか」
しかし、イサリビの笑顔は長くは続かなかった。
彼は食べ終えた魚の骨を見つめ、ふと表情を曇らせた。
(確かに美味い。だが……これは『今』の話だ。冬になり、海が荒れれば、安芸の漁船とて海には出られぬ。こいつらも同じ事態に悩む。その時、我々はどうなる? どうせ後回しにされて、港だけとられて……)
イサリビは感謝の意は示したものの、契約の確約は避けた。
安芸の「鮮度」は素晴らしかったが、魚だけでは対馬が抱える「冬の飢餓」という根本的な恐怖を拭い去るには至らなかったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇
日が落ち、安芸の浜辺に無数の松明が焚かれると、空気は一変した。
欲望と熱気が渦巻く、不弥国の独壇場である。
彼らは安芸の厨房を借り、圧倒的な物量を運び込んでいた。
「――ガハハハ! これからは力の時代、すなわち米と酒の時代よ!」
不弥国の使者が叫ぶと同時に、屈強な男たちが大甕を担いで現れた。
封が開けられると、甘酸っぱく、どこか饐えたような酒の香りが漂う。
大陸の製法を真似て作った、度数の低い濁り酒だ。
「さあ、飲め! 浴びるほど飲め! 我らとともにあらば、酒など水のように飲めるぞ!」
さらに、巨大な甑からはもうもうと湯気が立ち上り、山盛りの蒸し米が振る舞われた。
「おおお! 酒だ! 米だ!」
飢えていた対馬の二十名は、我を忘れて米を詰め込み、その無味な米を酒で流し込む。
度数が低いため、酔いが回る前に腹が膨れる。
制限時間は一刻(二時間)。
その「短さ」が、彼らをさらに焦らせた。
「時間がないぞ! 詰め込め! もっと飲め!」
イサリビもまた、杯が空く暇もなく次を注がれた。
味わう暇などない。
ただひたすらに、米と薄い酒で胃袋を拡張していく作業だった。
「……終了! 撤収っ!」
二時間が経過すると、不弥国は即座に料理を下げた。
浜辺に残されたイサリビたちは、それに反応できぬほどの満腹感に襲われていた。
「……食ったな」
「いや、食わされたといった方が」
「ああ、腹がはち切れそうだ……げふ」
彼らは重たい腹を抱え、千鳥足で邪馬台国が用意した安芸の片隅にある宿所へ戻った。
「のどが乾く……」
「水……」
夜中、彼らの身体の中では、大量の炭水化物と低アルコール酒の代謝が行われていた。
酒は今回のために慌ててかき集められた、粗末な酒ばかりだった。
相手は離島の貧民、どうせ味などわからぬ、と、十分な醸造に至らず、アルコール度数は1~2.5%程度。
とうてい酔いつぶれるほどではない。
だが、大量の水分排出(利尿作用)によって、体内の塩分と水分だけは急速に失われていく。
それは、「猛烈な渇き」への序章だった。
◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。
不弥国が狙った通り、対馬の一行は、好ましくないコンディションで目を覚ました。
安芸の冷たい海風が肌を刺す。
イサリビたち二十名は、浜辺の席につくなり、用意されていた水瓶に飛びついた。
「……水……水をくれ」
酒の度数が低かったせいで、頭痛は軽微だ。吐き気もない。
現代ならば、ごく軽症の二日酔いと診断されよう。
だが、口の中が砂漠のように乾き、体が干物になったかのような感覚に襲われていた。
イサリビは柄杓を奪い取り、がぶ飲みした。
ゴクゴク、ゴクゴク。
冷たい水が喉を通る。だが、どれだけ飲んでも「渇き」が癒えない。
「……なぜだ。水が、味がしない」
「飲めば飲むほど、腹がタプタプして気持ち悪い……」
他の者たちも同様だった。
水を飲めば飲むほど、胃の中でチャプチャプと揺れ、水っ腹になるだけで、体の芯にある「渇望」が満たされない。
むしろ、真水を大量に摂取したことで体液が薄まり、軽い目眩すら感じるようになっていた。
「……なんか、こう、違うんだ」
「腹も減っているが、何を食いたいのかわからん……」
彼らの体が求めているのは、水ではない。
失われた「ミネラル」と「塩」だった。
遠くでは、安芸の王ジリトたちが「あんなに水を飲んで、腹もタプタプだろう。邪馬台国の飯など入るまい」と嘲笑っている。
そんな彼らの前に、清潔な白衣を着た朔が現れた。
「おはようございます。対馬の皆様、喉が渇くでしょう」
朔は、彼らが水をがぶ飲みしている様子を見て、確信に満ちた笑みを浮かべた。
そして合図を送ると、侍女頭のユズリハが、盆に乗せた小さな皿を配り始めた。
皿の上には、見たこともない料理が盛られている。
鮮やかな橙色の果実の切り身に、薄紅色の透き通るような肉が、ふわりと纏わりついている。
「まずは、これを」
「……ぬ? これは……柿か? だが、何か肉が巻かれているが……」
イサリビは水で膨れた腹をさすりながら、疑わしげに皿を取った。
だが、鼻を近づけた瞬間、なんとも芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
熟した果実の甘い香りと、熟成された肉の香ばしい燻製の匂い。
(……良い匂いだ。だが、甘い果実に、しょっぱい肉だと?)
イサリビは恐る恐る、その奇妙な組み合わせを口に放り込んだ。
――瞬間。
イサリビの脳内で、閃光が弾けた。
「んんっ!? 甘い……いや、しょっぱい!? なんだこれは、美味いぞ!!」
それは、朔が塩漬けにした豚肉を冷涼な場で熟成させた「生ハム」と、完熟した「柿」の組み合わせだった。
熟れた柿の濃厚な甘露が舌の上でとろけ、そこに生ハムの強烈な塩気と、凝縮された肉の旨味が突き刺さる。
相反するはずの二つの味が、口の中で完璧なワルツを踊っていた。
「甘じょっぱい……! こんな味、初めてだ!」
「体が……体が喜んでいる!」
朔は頷き、説明する。
「今の皆様に必要な栄養は、ここに含まれています」
柿に含まれる『タンニン』と『ビタミン』は、残った酒の毒を分解し、『カリウム』が水っ腹の原因である余分な水分が出ていくのを助ける。
そして『生ハム』。
長期熟成によってタンパク質が『アミノ酸』の結晶となり、代謝を回し、身体が今、もっとも必要とする『塩分』がしっかりと含まれている。
「なるほど……! 確かに体が満たされる感じがするぞ」
イサリビは夢中で咀嚼した。
塩気が唾液を呼び、果糖が脳に直接エネルギーを送り込む。
干上がっていた体に、急速に活力が満ちていくのが、ありありとわかった。
「目が覚めた……! 力が湧いてくる!」
「もっとだ、もっとこれをくれ!」
「いや、腹の虫が暴れだしたぞ! もっとガツンとしたものが食いたい!」
彼らは昨夜あれほど食べたにもかかわらず、脂質ゼロ食だっただけに、すでに消化されつくし、血糖値が下がっているのだ。
しかも、突然の|大量に糖質が補充された日の翌日、身体はどうなるか。
安心した身体は低下していた基礎代謝を呼び覚まし、熱産生を抑制するのをやめ、活性を大きく上げるのである。
つまり、渇きの裏で、彼らはとんでもない空腹に陥っていたのだ。




