#15 空っぽなウチと恋の結末。
* * * * * *
数日後。合格発表の日。結果を見て真っ先に、カケルくんの倉庫に走った。
細かい雪がちらつく日だった。
しゃっこい風が通り抜けて、耳元でヒューヒュー鳴った。雪にかっちゃかれて頬がヒリヒリする。凍った空気の塊を飲み込んだように喉が痛む。
それでも構わず青い屋根のカマボコ倉庫を探した。
ひょっとしたらまぁるい綿帽子を乗っけてるかも――
「……あれ? え? うそ」
チーズケーキのように白くて四角いじゃが芋畑。
目印にしていた消火栓の標識。
ここで間違いないはずなのに、道路を挟んだ向かい側にカマボコが見当たらない。
除雪車が削って行った跡。道路の端にできる白い壁。その向こうはゴツゴツした白い塊。それ以外は何もない。
道路から玄関まで雪はねして作る通路もない。
倉庫の隣、といっても数十メートル向こうに離れている民家の前で、おじさんが除雪作業をしているのが目に入った。
サクサク雪を踏んで進んで、そのおじさんに倉庫のことを訊いてみた。
「あぁ? したらタカミさんとこの倉庫だわ。壊す前に人に貸してたって聞いたけど、もう去年の秋には潰したんでないかい」
「でも誰か住んでましたよね?」
「あぁ、若い絵描きさんがいたっけなぁ。したら、あんた知り合いかい?」
「いえ……なんもないです。ありがとうございました」
呆然としたままおばあちゃんのコンビニに寄ったら、おばあちゃんはいなくて、たまに見掛けるおばさんがいた。店の中はコンビニのコーナーが増えて、おばあちゃんのコーナーがなくなっていた。
訊いてみたら、おばあちゃんは今年の初めにトクロウに入ったのだと聞かされた。だから息子夫婦で駅前の商店とここの両方を見ることになったのだと。
「ここに、お手伝いに来ていた人は?」と訊いても知らないと言う。
「品出しを手伝ってもらってるって話は時々聞いたけどねぇ……でもほら、あたしが来れない時だったしょ。したら会わないさぁ」
書類の入った封筒は、細かい雪に当たって湿っていた。ところどころに染みもできていて、おばさんに指摘されてようやくバッグにしまう。
夏の終わりに感じた、悲しい予感が当たってしまった。
カケルくんだけでなく、おばあちゃんまでいなくなった。
「嘘つき……」
怒りたかったのに涙が出た。
ウチは、前より空っぽになってしまった。
* * * * * *
四月。
一番早く乾くのは国道。それから駅前の通り。
でも道路脇の草地には、まだまだ雪がしがみついている。余裕で一メートル、高い所では二メートル近くも。
雪のカタマリは煤や埃でまだらになっていてみったくないけど、雪解け水がちょろちょろと道路の隅を流れているのは、春らしくて好きだった。
入学式の日はきれいに晴れた。
パステルカラーの空にふわふわの白い雲。空気はまだ冷たいけど、白っぽい陽の光が春っぽさを演出している。
あたしは真新しい制服に身を包みコートを羽織り、履き慣れないローファーでくるぶしを擦りながら、同じように神妙な表情の新入生と一緒に高校へ向かう。
マフラーもまだ必需品。春休み中にショートカットにしたら、首元が更に寒くなったし。
親子で一緒に来ている人も多い。
ママはカスミとトオルをばあばに預けて来るから、あたしはひとり。
「釘宮ぁ、お前よく受かったよなぁ」と、通りすがりに声を掛けて来たのは笹上智。同中で同じ塾だった元野球部員。伸び掛けた髪を脱色してる。
「あんたこそ、マジ奇跡っしょや」と軽口を返すと、ニカっと笑いながら「おう」とこたえた。
笹上はまた野球部に入るんだろうか。
「あれぇ? 香織ちゃんだよねえ?」と、後ろから声を掛けられた。
振り返ったら、中一の二学期の途中で転校してった、三波薫子ちゃんがいた。
「え……三波ちゃん? なしているの? 同じ高校なの?」
「お父さん、またお仕事こっちになってねえ。しばらく転勤もないから、こっちで高校に通うことになったの。香織ちゃん一緒なんだね。嬉しい」
「あたしも嬉しい。また一緒に遊べるね」
友だちとの再会は、とても嬉しかった。
「あれ、香織ちゃんなんか大人っぽくなったね……お化粧してるんだ?」
「ってゆーか、二年振りだし髪型も違ったのに、よくわかったね?」
でもあたしの心の中は、あの時からずっと空っぽなまま。
* * *
カマボコ型の体育館は冷えていた。大きな送風機型の暖房が後の方でゴウゴウ鳴っているのに全然空気が温まらない。
退屈な式次第。校長先生の挨拶が終わって、クラス担任や教科担任の紹介が始まった。
「――則子先生。一年C組、田中和央先生。一年D組、成田――」
耳慣れない名前。新入生と保護者たちの前で、晒し者にされている凸凹の列。
これからの三年間、顔を突き合わせていかなきゃない大人たち。
「――美術担当、山本翔先生」
「へぁっ?」
呼ばれたと同時に一歩前に出た眼鏡の小柄な教師を見た瞬間、変な声が出た。
髪が短くなってるけど、スーツなんか着ちゃってるけど――でもあの変な寝癖、斜め後ろにちょこんと跳ねてる頑固な寝癖。
「うそ……だぁ?」
一礼した美術教師は、あたしの声を聞き咎めたように、その瞬間だけぴくんと反応した――ように見えた。
でも、すっと顔を上げてまっすぐ前を向いたまま、よそ見せずまた一歩下がる。
あいつ、あいつ、あいつ……いなくなったと思ったのに。
なしてこんなとこにいるのさ?
だって美術展は? 就職は?
その後の話は、もうまったく頭に入らなかった。
* * *
「失礼します!」
勢い込んで開けた職員室のドア。先生たちが目を丸くしてあたしを見た。
職員室内を見回しても、あの寝癖頭は見当たらなかった。ってゆーか、大声張り上げたんだから、もしもいたらこっち振り向くはずだし。
「新入生だね、どうしたの?」
立ち話をしていた先生っぽくない雰囲気の若い人が、あたしに微笑み掛ける。
「あの、えっと、美術の、カ、や、ヤマモト? 先生――」
なしていないの? もう帰っちゃったの? それとも、まさか人違い?
「あぁ、彼は美術準備室じゃないかな。美術は授業の準備や後片付けなんかもあるから、普段からほぼそこにいることになると思うよ――場所、わかる? 三階の西の……」
あたしはお礼もそこそこに、かろうじて走っていないという速さで廊下や階段をすっ飛んで行った。
三階の、西側の――美術室より向こう側の小さなドア。
どんな顔したらいいんだろう。
黙って消えたことを怒ってやろうと思ってた。
置いてかれてどれだけ悲しかったか、泣いて訴えてやろうと思ってた。
なしてこんなとこにいるのか、問い詰めてやろうとも考えた。
深呼吸する。
ノックする手が震える。
「はい……? 開いてますよ?」
不審げな、でも懐かしい声がする。
途端に、言葉にできない感情のカタマリが込み上げる。
あたしは――ウチは、もう一度深呼吸してから、引き戸に手を掛けた。
ひとまずこれで、香織とカケルのなれそめの物語はおしまいになります。
ここまでお読みくださってありがとうございます。
その後の彼らのエピソードは、『目にはさやかに見えねども』の#129、#156、#252辺りにも、ちょっとだけ書いてあったります。
機会があれば彼らの話の続きを書きたいと考えておりますので、その時はまた、お付き合いの程よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。




