005「クルー」
人々で賑わう繁華街から離れていくよう、ラリーはずんずんと海の方へと向かって進んでいく。
その後ろをノアはおっかなびっくりついていった。
前へ進むのも難儀なほどの人混みは徐々に少なくなっていき、通り沿いに並ぶ店もまばらになっていく。
そうして彼らは中央通りの端、港湾地帯へと辿り着いた。
港町メダリアの中枢である港湾地帯。
言うまでもないことではあるが、そこには数多の船舶が停泊している。
二人乗りが精一杯のボート。
数人しか乗れないような漁船。
数はぐんと少ないが客船や貿易船などもおり、港から何本も伸びている桟橋の周りは大小入り乱れた船たちによって埋め尽くされていた。
昼となった時分の今は小型の漁船群が並ぶあたりは閑散としているが、代わりと言わんばかりに大型の貿易船や客船が並ぶ区域は賑わっている。
そしてそんな賑わう区画の中に一隻、異彩を放つ船が波に揺れていた。
「ふゎ……」
ノアの口から思わず声が漏れる。
初めて間近で船を見る彼女にすら感じられるほど、その船には他に無い凄みを感じたのだ。
重厚なオーク材をベースに組み上げられた船体は長年の航海による潮風と太陽の光を浴びて、深く渋い飴色に艶光りしている。
甲板から天を突くようにそびえ立つのは、一本の堅牢なメインマスト。
そこに畳まれている分厚い帆布には、三叉の槍を手にした優雅な人魚の紋章が大きく描かれており、いざ風を孕めば凄まじい推進力を生み出すことが容易に想像できた。
流線型のシャープなシルエットは、波の抵抗を極限まで減らして速度を稼ぐためのものだろうか。
帆船に詳しい者が見れば、扱いやすい中型スループとしての高い機動性と、航海を乗り切るための堅牢性を掛け合わせた、実用性重視の洗練された船だと表現するだろう。
後方には、雨天でも快適に過ごせるよう設計された頑丈な木造のキャビンが設けられている。
そこには巨大な歯車や小型のボイラー、真鍮のパイプが複雑に絡み合った見慣れない機械装置が鎮座しており、この船の特異さを物語っていた。
そしてそのすべてを率いるようにバウスプリットの根元に備え付けられているのは、波間から姿を現し、胸元にそっと手を添える美しい人魚を象った見事な木製の船首像であった。
軍船と呼ぶには軽装で、商船と呼ぶにはあまりにも牙が鋭い。
帆船、グングニル号。
それはまさに、自由とロマンと危険を求めて海を駆ける者のために造られたような、なんとも不思議で魅力的な船だった。
ラリーは迷うことなくその船へと歩みを進めていく。
船の存在にやや圧倒されながらも、早足で後をついていくノア。
船の眼前まで来た二人の目に飛び込んできたのは、帆を張る為に船首から前方に伸びた棒——バウスプリットの上で、四肢を投げ出して干した洗濯物のような状態で寛ぐ少女だった。
揺れる船の更に不安定な場所にいながら、少女はリラックスした状態ですやすやと寝息を立てている。
ラリーとノアが更に船に近づくと、少女が二人に気付きぱっと顔を上げる。
「あ、せんちょーおかえり〜♪」
少女はラリーを見やるとそういって手を降ってきた。
そんな彼女にラリーは片手を上げて応える。
「おう。ちょっと上に皆を集めてくれるか?」
「おっけい。みんなー、しゅーごー!」
そう言って少女は起き上がると、甲板へと駆けていった。
そして甲板から船内へ通じている穴の中へぴょいっと飛び込んでしまい、少女の姿はノアの視界から消えてしまう。
「あ、あの、今の子は……?」
「あぁ、これからまとめて紹介してやるよ」
ニッと笑ってラリーはそう言い、桟橋から船へと渡されたタラップを渡っていく。
ノアもその後をついていくが、波に揺られる船と桟橋に掛けられたタラップは揺れない地上と違ってバランスを取るのも一苦労だ。
慣れないノアは慎重に一歩一歩進んでいくが、ふいに訪れた大きな揺れによろけそうになる。
「わ、わわっ」
「おっと、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
ラリーはそんなノアに気付き彼女の手を掴む。
同じように揺れる足場にいるはずなのに、ラリーの手は大地に根を下ろした大樹の如く、がっしりと安定していた。
しっかり支えてくれる安心感と大きくて無骨ながらも暖かな手にノアは僅かに頬を赤らめる。
足元に気をつけながらどうにか甲板に辿り着くと、先程の少女を含め数名の男女が集まっていた。
「お前ら! 今日から新しいクルーが増えたぞ!」
「ひょっ!?」
集まった彼ら彼女らを見やったラリーはそう声を張り上げた。
まるで宝物を見つけたことを知らしめるかのように。
船に乗らないかと誘われはしたが、てっきり船を見せてくれるだけだと思っていた。
まさかクルーとしてのお誘いだったとは露とも思っていなかったノアの喉からは変な音が漏れた。
しかし行くあてもない彼女としては文字通り、渡りに船な話ではあった。
そして船員たちの反応はというと、目を見開く者、嘆息を吐く者、一切表情が変わらぬ者などと実に様々であった。
「というわけで! おいノア、自己紹介だ」
「は、ははははいっ、ノアと申します!」
いきなりラリーからそう振られたノアは混乱したまま言われるがままに自己紹介をした。
そうして少しの間、船体に当たって砕ける波の音とウミネコの鳴き声だけが響く。
「っと……そんだけ?」
続く言葉を待っていたラリーだが、間の長さからついそう訪ねてしまう。
「えっと…その、こういったことは初めてでして、何を言ったら良いのかわからなくてっ。あのっ、何の取り柄も無いですけれども、その、と、とにかくよろしく、お願い、しましゅ……」
初めこそ元気一杯に答えていたノアだが気恥ずかしさが上回ってきたのか、徐々に声が弱々しくなっていく。終いには噛んでしまった。
彼女は俯き、頭から湯気を立ち上らせながら小さくなる。
「はあ〜い、わたしソエル! よろしくね、ノア!」
何とも言えない微妙な空気を打破したのは、ぴょこんという擬音が聞こえてきそうな足取りで一団の中からノアに一歩近づいた小柄な女の子だった。
先程、船の先端で洗濯物になっていた少女である。
年齢は十代前半だろうか。
あどけなさを残すエメラルド色の大きな瞳と、赤みを帯びたショートヘアが特徴的な、ひどく小柄で華奢な少女だった。
彼女の細い身体を包んでいるのは、あまりにも不釣り合いなほどダボダボの、色鮮やかなオレンジ色のアウターだ。
肩からずり落ちそうなほど大胆に着崩されたその隙間からは、黒いハイネックのインナーと華奢な肩が覗き、長すぎる袖は彼女の小さな手を完全にすっぽりと隠してしまっている。
頭にも、アウターと同じ鮮やかなオレンジ色のふっくりとした大きな帽子を被っていた。
背中には自身の体格に迫るほど大きなリュックサックを背負い、その横には鋭い牙を剥き出しにしたツギハギだらけの不気味なクマのぬいぐるみが、ひょっこりと顔を覗かせている。
華奢な身体とオーバーサイズの衣服、そして愛らしさと不気味さが同居するそのアンバランスな立ち姿は、周囲の目を惹きつけて離さない強烈な個性を放っていた。
「あ、は、はい。あなたみたいな小さな子も、クルーなのね」
「むー、ちいさくないよぉ!」
「ご、ごめんなさい」
少女というにもあまりに幼すぎる印象にそう呟いたノアだったが、ソエルは心外だと言わんばかりに頬を膨らませて抗議する。
どうやら子供扱いされるのはあまり好きではないらしい。
慌てて謝罪するノア。
「小さくてかわいい、ってことだろ?」
「んむ、それならおっけい!」
ラリーがそうフォローを入れる。
彼の言葉にあっさりと機嫌を直し満足そうな笑みを浮かべふんぞり返るソエル。
そんな彼女のコロコロ変わる表情に、思わずノアの笑みがこぼれた。
「あは、よろしくね、ソエルちゃん」
「はーい! よ・ろ・し・くぅ〜♪」
「わわっ」
握手を求めてソエルが差し出した手を掴むと、そのまま大きくぶんぶんと振られノアは軽くよろけてしまう。
そしてソエルはそのままノアの手を繋いだまま、空いた手で並んだ一団の端にいた女性を指した。
「そんでね、この人はエイダリア。巫女さんなんだよ」
ノアと同じ金色の、それでいて腰まで届くほど長く、真っ直ぐな髪が光を受けてサラサラと揺れている。
淑やかな白いブラウスの上に、落ち着いたモカブラウンのロングドレスを上品に着こなした女性だった。
まるで良家のお嬢様のような出で立ちにノアは驚き見蕩れ、更に彼女の背後を見やり、二度驚いた。
彼女の背にあったのは、到底その華奢な姿には似つかわしくない、巨大で重厚な剥き出しのエンジン機構が先端に備わった長い杖だった。
ノアであればそれを持って立つことはおろか、そもそも持ち上げることが不可能でありそうな長杖を、エイダリアはさして気にした様子も無く平然と背負っている。
その美しさと無骨さという、相反する要素を自然に持つその姿は、一度見たら忘れられないほどの強烈な存在感と、不思議な魅力を放っていた。
「エイダリアです」
彼女は短くそう名乗り、静かに、そして優雅に軽く頭を下げる。
コロコロと表情を変えるソエルとは打って変わって、エイダリアの顔にはあまり表情に変化が見られない。
彼女の透き通るような瞳は凪いだ海のように静かで、どこか遠くを見つめているかのようだった。
あまり人と話すのは好きでは無いのだろうか、とノアは内心で少し身構えてしまう。
「えっと……巫女さん、ですか?」
「うん。形だけね」
「形?」
どういう意味か分からず、ノアは思わず聞き返す。
「いろいろ、あるからね」
「いろいろ、ですか」
淡々と答えるエイダリア。
抑揚のないその声は決して冷たいわけではなく、ただ事実をそのまま口にしているだけのようだった。やはりどういう意味か分からず、そのままオウム返しをしてしまうノア。
会話の糸口が掴めず困惑する彼女の下へ、ソエルが元気よく助け舟を出す。
「ノアにもいろいろあるね」
「うん」
否。助け舟どころかむしろ謎を増やしていった。
ソエルの唐突な言葉に、エイダリアが静かに首肯する。エイダリアの静かな瞳が、ノアの心のずっと奥底までを見透かすように真っ直ぐに向けられた気がして、ノアはびくりと肩を揺らした。
「え? わ、私にも?」
「うん、ちょっと不思議な力を感じたものだから」
「ソエル、初めて見るかもしれないよ」
何のことか分からず疑問を口にするノアに答えるエイダリアとソエルだが、やはりその意味がまったく理解できず、ノアは困惑したように小さく首を傾げるしかなかった。




