027【幕間〜弐〜】
その窓一つない石造りの部屋は、まるで深海にいるかのように冷たい静寂に支配されていた。
部屋の中央に置かれた円卓の上で、巨大な水晶球が不気味な脈動を繰り返している。
その滑らかな球体が放つ青白い魔力の光に照らされ、闇に溶けそうな深い黒の衣装に身を包んだ女は、食い入るようにその表面を見つめていた。
水晶球の中に映し出されているのは、絶海を漂う一隻の帆船と、眩い光を放つ小さな『ナイトの駒』の姿だった。
「ああ……あれこそまさに、私が求めていたもの……。スレイプニル、奴が依代としていた事は想定外だけれど、大した問題にはならないでしょう」
女の唇から蜜のように甘く、それでいて暗い悦びに満ちた声が漏れる。
かつて太古に失われた、強大な力の根源。まさかそれに、伝説に名高い幻馬スレイプニルが宿ってしまっているとは。
ほんの僅かな誤算ではあったが、彼女の持つ絶大な魔力の前にしては、その存在など些末な問題に過ぎなかった。
やがて、彼女の視線は光り輝く水晶の駒から、それを力強く握りしめている一人の男へとゆっくりと移っていった。
銀髪を逆立てた傲岸不遜な海賊、ラリー・ヒューア。
「それにしても、この男……」
先程までの暗い歓喜がスッと影を潜め、女の瞳に複雑な感情の渦がよぎる。
彼女は細く青白い指先を水晶球の冷たい表面に這わせ、狂おしいほどの愛おしさを込めて、そこに映る男の輪郭をそっとなぞった。
ふと、静まり返った石室に、深く、悲痛なため息が落ちる。
「ありえない。そんなことは分かっているのに、どうしても……面影を探してしまっている……」
気の遠くなるような長い年月が過ぎた。
自分が知る『彼』は、とうの昔に歴史の闇へと消え去ったはずなのだ。
今、南洋の太陽の下で笑うこの男が、彼であるはずがない。
それは単なる偶然が生み出した他人の空似であり、己の未練が生み出した残酷な幻影に過ぎないと、頭では完全に理解している。
それでも、男の不敵な笑みや、射抜くような強い眼差しを見るたびに、何百年も前に凍りついたはずの彼女の胸の奥が、痛いほどに激しく鳴動してしまうのだ。
「ああ……ジオ……」
祈りのように、あるいは呪いのように、ただ一つの名が震える唇から紡ぎ出された。
その途方もない哀しみと、抑えきれずに溢れ出した女の強大な魔力に呼応するように、石室の空気がビリビリと震え始める。
――ヴゥゥゥン、ヴゥゥゥゥン……。
部屋全体を揺るがすような、重く不気味な魔法のうなり音が響き渡る。
脈動する青白い光が壁に巨大な影を落とす中、名前も知れぬその女は水晶球に縋りつくように。
永遠にも似た記憶の牢獄の中でただ一人、静かに立ち尽くしていた。




