024「令嬢、追いかける」
「残念、きら……え?」
動き出したグングニル号に向けて進路を変えようとする帝国艦隊。
その陣形の先頭を切り、ひときわ派手な真紅の船――高速フリゲート艦ロートファルケ号の船首に立つ三人の人影に向かって、ソエルが上げた無邪気で容赦のない叫び声に対し、ノアが訳が分からず間の抜けた呟きを漏らしてしまう。
「見つけたわグングニル号、そして逆賊ラリー・ヒューアっ! いいかげん年貢を納めなさい!」
拡声の魔導具を通し、海風を切り裂いて甲高い少女の怒声が返ってきた。
声の主は片手を腰に当て、もう片方をグングニル号に向けてビシィッと指を突き出した、見目麗しい貴族の令嬢だ。
長く艶やかな亜麻色の髪を左右にまとめた愛らしいツインテール。
ピンクを基調とした優雅な貴族服に、幾重にもフリルが重なる白いスカートと黒い編み上げのロングブーツを合わせている。
胸の中央には上等なシルクの藤色のスカーフが巻かれ、その起点部には巨大で豪奢なルビーのブローチがギラギラと輝いている。
彼女こそがロートファルケ号の主、カロリーネ・フォン・エンツェンスベルガー公爵令嬢であった。
「キャンディ! こんなとこで何してんだよ!」
ラリーはグングニル号の船首から身を乗り出し、旧知の悪友にでも話しかけるようなからかう大声で応じた。
「その名前で呼ぶなぁっ!」
キャンディが顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
そもそもキャンディという通称は、以前ラリーが彼女のツインテールを見て『キャンディの包み紙みたいだ』とからかったことに由来する。
言うまでもなく、誇り高き公爵令嬢をそんなあだ名で呼ぶ命知らずはラリーただ一人であった。
「ワルトとローグの旦那がたも、ご苦労なこったな!」
ラリーの視線はキャンディの背後に控える二人の青年貴族へと向けられた。
一人は岩のような巨躯を緑色のコートで包み、肩にかかる位の象牙色の髪を後ろで束ねた大男のワルト。
もう一人は仕立ての良い青いコートをキッチリと着込み、知的な眼鏡をかけた黒髪の青年ローグである。
ちなみにキャンディに付き従う彼らもまた高貴な身分の出だが、今は割愛しよう。
「貴様に言われる筋合いはない!」
巨漢のワルトが顔を真っ赤にして巨大な拳を振り上げる。
「今日はあの仮面はしてないのか?」
そう、メダリアでノアを追い回していた仮面の男たちこそ、このワルトとローグなのだった。
何か重大な情報を持った少女が街にいるという情報を得たローグが、彼女を保護しようとしたのだ。
が、そこでワルトが『貴族だとバレてはいけない』などと言い出し、あのような怪しい格好でノアを追い回す結果となってしまったのである。
無論、旧知の仲であったラリーにはバレていたが。
「はてさて、何のことです?」
眼鏡のローグがすんっと澄ました顔でとぼけてみせる。
「キャンディもあのバカみたいなの着けたらいいんじゃないの?」
「あんなだっさい仮面、冗談じゃ無いわっ! ……あんたたち、バレバレだったんじゃないのさ!」
ラリーの挑発にまんまと乗ったキャンディがくるりと振り返り、背後に立つ二人の青年貴族をキッと睨みつけて叱り飛ばした。
「そ、そんなことはっ……ださい、ですか……」
ワルトが目に見えてショックを受け、巨体を窄めて項垂れる。あの仮面はどうやら彼の自信作だったらしい。
「だから言ったんですよ、あんなデザインでは、分かる人には分かると」
ローグがやれやれと首を振り、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「だっはっはっは! おっさんの発案か、こりゃいいや!」
緊迫した追撃戦の最中だというのに敵艦の上で内輪揉めを始めた彼らを見て、ラリーはついに堪えきれなくなり腹を抱えて甲板の上で大爆笑した。
「おっさ……! 貴様、またしても!」
自身の美的センスを完膚なきまでに叩きのめされた上におっさん呼ばわりされ、ワルトの堪忍袋の緒が完全にちぎれ飛ぶ。
怒り狂うワルトを尻目に、ラリーは笑い涙を拭いながらビシッと前方の艦隊を指差した。
「悔しかったらここまで来てみな! ……よし、進路このまま。奴らのど真ん中を突っ切ってやれ」
ラリーが背後のウォルフに下した操舵指示は、あまりにも常軌を逸していた。
現在、帝国第四艦隊は入り江の出口を塞ぐように美しい三日月型の陣形を展開している。その中心へと真っ直ぐ突っ込むということは、自ら集中砲火の十字砲火を浴びにいくようなものだ。
「ちょっと! そんなことしたらいい的じゃありませんこと!?」
リアが血相を変えて抗議する。
「同士討ちが怖くて撃ってきやせんよ」
だが舵輪を握るウォルフは白髭を揺らしてニヤリと老練な笑みを浮かべた。
幸いにも、陣形から突出した形でグングニル号に迫って来ていたロートファルケ号が、帝国艦隊の砲撃を躊躇させてくれている。
その隙に敵の陣形の最も奥深く、密集地帯のど真ん中に素早く飛び込めば、帝国艦隊は外れた砲弾が陣形の反対側にいる味方の艦に直撃することを恐れて大砲を撃つに撃てなくなる。
更には艦隊を突っ切って離れていく頃には敵は砲撃の修正が間に合わず、無事突破出来るという算段だった。
「そういうこった。とっつぁん、最大出力だ!」
ラリーの叫びに応え、ウォルフが機関の出力を全開にする。
――ギュオオオオオオンッ!!!
喉鳴りのような重低音とともに、グングニル号が爆発的な勢いで突進する。
次の瞬間、真正面から突っ込んできていたロートファルケ号のすぐ脇を、グングニル号は文字通り暴風となってすれ違った。
互いのマストやロープが触れ合わんばかりの超至近距離。
引き裂かれた海風と跳ね上がった白波が、容赦なく両船の甲板へと叩きつけられる。
すれ違う、まさにその刹那。
猛烈な突風がキャンディのツインテールを激しく巻き上げる。
手を伸ばせば届きそうな超至近距離。
不敵に歯を見せるラリーの黄金の瞳と、驚愕に見開かれたキャンディの緑色の瞳が、火花を散らすようにピタリと交錯し、そして次の瞬間には、ロートファルケ号の姿は遥か後方へと完全に置き去りにされていた。
「ん~~~もう! ど真ん中を突っ切るとはいい度胸ね、ラリー・ヒューア! 二人とも! アレをやるよ!」
猛スピードで黒い艦隊の隙間へと飛び込んでいくグングニル号の航跡を見て、キャンディは真っ赤な顔をして甲板を激しく踏み鳴らした。
大きく揺れるツインテールと苛烈な執念の炎を燃やす緑色の瞳。
彼女が背後の二人に命じたのは、彼女らにのみ許された『特例』の戦術だった。
「アレって、まさか!?」
「しかしお嬢、味方を巻き込んでは……」
ワルトとローグが驚愕と焦燥の声を上げる。
彼らの焦り方から察するに、どうやら味方を巻き込みかねない危険な代物であるようだ。
「四の五の言ってるヒマにあいつらに逃げられてもいいの!?」
「それは……」
「あんたら二人とも、クビ飛ぶわよ!」
有無を言わさぬ究極の脅し文句。キャンディの絶対的な命令に二人の青年貴族は完全に白旗を揚げた。
「りょ、了解!」
二人は即座に直立不動の姿勢をとり、それぞれの配置についた。
大砲の火薬の匂いとは違う、機械の駆動音ともまったく違う不思議なうなり音が海上の空気を震わせ始める。
ロートファルケ号の船首あたり、キャンディの胸元で生み出された強烈な光の球は、周囲の空間を熱で歪ませながら急激に膨張していく。
それはまさに、海戦の常識が一切通用しない、理不尽な破壊の予兆であった。




