018「古代遺跡」
鬱蒼とした密林を抜け、一行が足を踏み入れた太古の石窟の中は、外の熱気が嘘のようにひんやりと冷たく、そして重く湿った空気がよどみなく流れていた。
人工的に切り出されたと思われる滑らかな石畳の通路は、光の届かない漆黒の奥底へと延々と続いている。
先頭を歩くラリーが掲げた松明の炎が、じりじりと音を立てて燃え、彼らの足元と苔むした壁面だけを辛うじて照らし出していた。
——ピチョン。
どこか遠くで、天井から垂れた水滴が水溜まりを叩く音が響く。
そのかすかな音が何倍にも反響して聞こえるほどの、耳が痛くなるような静寂。
暗闇と静けさがもたらす重圧に耐えかねたのか、ラリーがふと立ち止まり、肩越しに振り返って口を開いた。
「なあ、ノア」
ビクリ、とノアの肩が大きく跳ねる。張り詰めていた緊張の糸が弾かれたように、彼女は慌てて顔を上げた。
「は、はいっ」
「ほんとにこんなところに、財宝なんてあるのか?」
ラリーは松明を持たない方の手で首の後ろを掻きながら、心底不思議そうに尋ねた。
無理もない。道中、古代の遺跡であることを示すような風化した石柱などはいくつか見かけたものの、金銀財宝の匂いなど欠片もしないのだ。
ただただ、不気味なほどの虚無が広がっているだけである。
「それは……わたしにも、よく分かりません……ごめんなさい」
ノアはきゅっと唇を噛み、申し訳なさそうに視線を落とした。
自分でも歯がゆかった。
胸の奥で何かが警鐘を鳴らしているのに。ここへ来なければならないという確信だけが、熱病のように自分を突き動かしているのに、肝心の『それ』の正体がどうしても思い出せないのだ。
「いや、責めてるわけじゃないんだが」
しゅんとしてしまったノアを見て、ラリーは慌ててフォローを入れた。
——ピチョン、ポタン。
再び、冷たい水滴の音が暗闇の奥へと吸い込まれていく。
「確かに……拍子抜けするくらい何も起こりませんわね」
暗がりの中から、リアの冷静な声が響いた。
彼女は油断なく周囲の壁や天井へと鋭い視線を配っている。
その両手には、いつでも腰のホルスターから銃を抜き放てるよう、自然な位置で待機していた。
「ああ。お宝につき物の、罠だの仕掛けだの守護者だのがまったく見あたらねぇ」
ラリーもそれに同意する。
海賊として、あるいは冒険者としての勘が、何かがおかしいと告げていた。
侵入者を阻むためのトラップの一つや二つ、あるいは古代の防衛機構が作動してもおかしくないような場所なのに、拍子抜けするほど何も起こらないのだ。
「わたしはただ……かけがえのない物がここにある、と……それだけしか……」
ノアは自身の胸元を両手でぎゅっと握りしめ、震える声で絞り出した。
彼女の脳裏には、自分を追ってきた仮面の男たちの冷たい視線が焼き付いている。
「ふぅむ、そいつを他の奴らに渡さないために必死で逃げてたってのは分かるんだが」
ラリーが松明を少し高く掲げ、ノアの顔を真っ直ぐに見つめる。
その瞳には、疑いよりも純粋な気遣いの色が浮かんでいた。
その眼差しを受けた瞬間、ノアの奥底に眠る想いが、理屈を越えて激しく噴き出した。
「ぜ、絶対に誰にも渡してはならないんです!」
自分でも驚くほど、切実で、悲痛な叫びだった。
石窟の壁にノアの声が反響し、クルーたちの間に一瞬の沈黙が落ちる。
「あ、ああ……」
気圧されたようにラリーが小さく相槌を打つ。
ノアは小さく肩を震わせ、今にも泣き出しそうな瞳で言葉を繋いだ。
「それが何なのか、どうして大切なのかも分からない……。でも、私はこれを見つけなければならないんです」
彼女の魂に刻み込まれた、絶対の使命。
記憶を失ってなお、彼女を彼女たらしめている唯一の理由。
その悲壮なまでの決意を前にして、ラリーはふっといつもの温かい笑みを浮かべた。
「分かってるよ、俺たちが見つけてやるさ。しかしなぁ……お宝ウッハウハってのを期待したのは早まったかも知れねぇな」
冗談めかしたその言葉に、ノアの肩から少しだけ余分な力が抜ける。
張り詰めていた空気を和らげるような船長の軽口に、リアが眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら冷静なツッコミを入れた。
「確かに、かけがえのないもの、イコール財宝とは限りませんものね」
金塊か、魔導具か、あるいはもっと別の概念的な何かなのか。
一行がそんな推測を巡らせていると、最後尾を静かに歩いていたエイダリアが、ふいに足を止めた。
「ラリー」
透き通るような彼女の声が、静寂の石窟に波紋のように広がる。
「あん?」
ラリーが振り返ると、エイダリアは岩壁にそっと手を触れ、目を閉じて壁の奥の向こう側にある何かを探るような仕草をしていた。
「私たちの通るところだけ、罠が勝手に解除されてく」
「魔法的な罠か?」
「うん……何か変。まるで、私たちが通るのが分かっているみたい」
エイダリアの放った言葉に、リアの表情がサッと険しいものに変わる。
罠が存在しなかったわけではない。
彼らが気づく前に、遺跡そのものが道を空けているのだ。まるで、主の帰還を歓迎するかのように。
それは紛れもなく異常事態であったが、ラリーの反応は極めて単純明快なものだった。
「うさんくせぇな……ま、何とかなるだろ!」
ニカッと歯を見せて笑い、まったく意に介さない様子で前を向く。
そのあまりの真っ直ぐな大雑把さに、ノアの顔にようやくパッと明るい光が灯った。
「頼もしいです!」
「お気楽なだけですわよ」
すかさず冷や水を浴びせるリアの追撃。
「何だとう!」
ラリーがむきになって言い返そうとした、まさにその時だった。
「あっ、ラリーさん」
「ん? どうしたノア」
ノアが松明の光の先、闇のベールが薄れた空間を真っ直ぐに指差した。
「あそこにそれっぽい扉があります!」
「それっぽいって……いや確かにそれっぽいな。これは、ついに来たか?」
ラリーが松明を前に突き出すと、通路の突き当たりに、巨大な一枚岩で造られた重厚な石の扉が立ちはだかっていた。
表面には、今はもう誰も読むことのできない古代文字がびっしりと刻み込まれ、明らかにここまでの通路とは違う、異様で荘厳な空気を放っている。
間違いなく、この遺跡の最奥部——彼女の言う『何か』が封じられている場所だ。
「エイダリア様、お気をつけを」
リアが油断なく二丁の魔導銃を構え、主であるエイダリアの盾になるように立ち位置を変える。
「うん」
エイダリアもまた、静かに頷き、周囲の魔力の動きに神経を研ぎ澄ませた。
ノアはごくりと固唾を呑み、胸の前で両手をきつく組んだ。この扉の向こうに、自分のすべてがある。
ラリーはニヤリと好戦的な笑みを浮かべると、腰の鈍器の柄を力強く握りしめ、巨大な石の扉の隙間に手をかけた。
——ズズズズズズッ……!!
数百年、あるいは数千年の間、一度も動くことのなかった重い扉が、長い眠りから覚めるような重低音を響かせてゆっくりと開いていく。
隙間から、一際冷たく、そして濃密な空気が漏れ出してきた。
「ええい、行くぞ!」
ラリーの力強い号令とともに、一行はついに、未知なる遺跡の最深部へとその足を踏み入れた。




