017「探索」
それは、ごつごつとした黒々しい岩肌と、空を覆い隠すほどに鬱蒼と生い茂る原生林に支配された島だった。
不気味なほどに静まり返っており、鳥の鳴き声一つ聞こえない。
ウォルフが慎重に舵を切り、島の入り江へとグングニル号を滑り込ませていく。
水深が深く、船は岸壁のすぐそばまで寄ることができた。
錨を下ろす音が、静寂の島にやけに大きく響き渡る。
岸辺の木々は異常なほどに成長しており、何本もの太い蔦や巨大な紫色の葉が、海面を越えてグングニル号の甲板の上にまで覆い被さるように垂れ下がっていた。
「おいおい、お宝が眠ってる島だってぇのに随分と静かじゃねぇか。獣一匹いやしねぇぞ」
ラリーが人間の顔ほどの大きさがある奇妙な紫色の葉っぱを鈍器で叩き落としながらぼやく。
「油断しないで下さいませ。こういう場所には、得てして古代の守護獣などが潜んでいるものですわ。……それに、足元にも気をつけて。毒を持つ虫や蛇がいないとも限りませんから」
リアが神経質そうに足元を確認しながら忠告する。
下ろそうとしているタラップの先、苔生した岸辺を鋭い視線で睨みつけていた。
「リアの言う通り。……ここ、自然の命の気配が薄すぎる。何かに吸い取られているみたい」
エイダリアの静かな警告に、一行の間に冷たい空気が走った。
生命力に溢れているように見えるこの鬱蒼とした植物たちすらも、その内側はひどく空虚で、ただ形だけを保っているような、そんな歪な感覚。
「何かに、吸い取られている……?」
ノアは思わず自分の胸元をぎゅっと握りしめた。
近づくにつれて、心臓の鼓動が早くなっていく。何かが自分を呼んでいる。
それは温かい声ではなく、凍りつくような冷ややかな引力。
「……ねえ、ノア」
不意に、ソエルの小さな声が静寂を破った。
「えっ?」
繋いでいた手を、ソエルがキュッと強く握りしめた。
彼女の顔からはいつもの無邪気さが消え、動物のような警戒心が剥き出しになっている。
「なんか、あっちから変な匂いがするよ」
ソエルが小さな鼻をヒクヒクとさせながら、森のさらに奥、一段と暗闇が濃くなっている方角を指差した。
「変な匂い?」
ラリーが怪訝な顔で、ソエルの指差す密林の暗闇を睨みつける。
確かに、潮の香りとは全く違う、古いカビと鉄錆が入り混じったような気味の悪い臭いが、森の奥から微かに漂ってきている。
野生の勘が告げる明確な危険信号に、ラリーは唇に不敵な笑みを浮かべた。
「よし、上陸メンバーは俺とノア、リア、エイダリアだ。とっつぁん、ここで船の留守番を頼む」
「おう、合点承知よ。……こんな得体の知れん島だ、お前たちも気をつけるんだぞ」
ウォルフは愛用の巨大なレンチを肩に担ぎ直し、船首へとどっかりと腰を下ろした。
「ああ。……それと、ソエル。お前も留守番だ」
ラリーが、ノアの手を握ったままの小さな少女へと視線を落とす。
「えーっ! なんでー! ソエルもいくー!」
案の定、ソエルはあからさまに不満そうな声を上げて、甲板の板をドンドンと踏み鳴らした。
お宝探しという大冒険を目の前にして、自分だけお留守番など納得できるはずもない。
「駄目だ。今回はピクニックじゃねぇんだぞ」
ラリーは腕を組み、冷たく突き放すように言い放つ。
「むーっ! ソエルだってたたかえるもん! ばばーんってやっつけるもん!」
頬をぷくっと膨らませて抗議するソエルに、ラリーはしゃがみ込んでその小さな目線を合わせた。
「分かってるさ。だがな、万が一この島全体に何かヤバい仕掛けがあったらどうする? 俺たち全員で降りて、もし船に何かあったら、二度と帰れなくなるんだぜ」
ラリーの静かな問いかけに、ソエルはハッとしたように目を丸くした。
「それは……」
「だから、とっつぁんと一緒にこのグングニル号を守っててくれ。お前みたいに強くて頼もしい奴が残ってくれねぇと、俺も安心してお宝探しに行けねぇんだよ」
ラリーの真剣な言葉に、ソエルはうっと言葉を詰まらせた。
自分が必要とされている、という事実は、子ども扱いされるのが嫌いな彼女にとって何よりも誇らしいことだったからだ。
「……ほんとに?」
確認するように上目遣いで尋ねる彼女へ、ラリーは力強く頷いた。
「ああ、本当だ」
「むー……わかったぁ。ソエル、ふね、まもってる」
ソエルはぶーたれながらも、最後は渋々と納得して力強く頷いた。
「でも! おたから見つけたら、ぜったいソエルにもちゃんと見せてね!」
「おう、約束するぜ」
ラリーが笑って彼女の帽子をポンと撫でる。
ノアも、繋いでいたソエルの手を優しく握り返した。
「行ってきます、ソエルさん。お留守番、よろしくね」
「うんっ! 気をつけてね、ノア!」
§
船の側面からタラップを下ろし、四人は静まり返った孤島の岸辺へと降り立った。
ザクッ、という足音がやけに大きく響く。
砂浜というよりも、細かい黒い砂利が敷き詰められたような殺風景な岸辺。
そこから一歩森の中へと足を踏み入れると、昼間だというのに太陽の光はほとんど遮断され、鬱蒼とした深い緑と黒の世界が広がっていた。
空気を吸い込むだけで肺が重くなるような、異様な湿気。
獣道すら存在しない密林を、ラリーが無骨な鈍器で容赦なく邪魔な蔦や枝を払い除けながら突き進んでいく。
その後ろを、ノアが不安げに周囲を見回しながら歩き、さらに後方からエイダリアとリアが隙のない足取りで続く。
「それにしても、不気味な森ですわね……」
リアが、ホルスターの魔導銃に手をかけながら油断なく視線を走らせる。
ソエルが船から指摘した変な臭いは、森の奥へと進むにつれてさらに濃厚になっていった。
ノアの心臓は、もはや早鐘のように打ち鳴らされている。
怖い。けれど、進まなければならない。
「……あっちです」
ノアは、まるで見えない糸で引き寄せられるかのように、最も濃い暗闇の方角をすっと指差した。
その細い指先は小刻みに震え、焦点の定まらない瞳は、目前の木々ではなくもっとずっと遠くにある何かを捉えているようだった。
「よし、この先だな」
迷いのないラリーの声が、張り詰めた空気をビリッと震わせる。
彼はノアを庇うように一歩前へ出ると、行く手を阻む大蛇のように太い蔦の壁を、愛用の鈍器で力任せに叩き割った。
「ノア、大丈夫か? 顔色が悪いぜ」
蔦を乱暴に払い除けたラリーが振り返り、ひどく青ざめているノアの顔を心配そうに覗き込んだ。
彼女の額には冷たい脂汗がにじみ、浅い呼吸を繰り返す様子は、今にもその場に倒れ込んでしまいそうに痛々しい。
「平気、です……ラリーさん、あそこ!」
気丈に首を振ろうとして顔を上げたノアの言葉が、途中でふいに驚きへと変わる。
彼女は、ラリーが切り開いた薄暗い視界の先を、弾かれたように指差した。
彼女が指差した先。突然、密林がふっつりと途切れていた。
そしてそこにあったのは、巨大な岩山の壁面にぽっかりと大口を開けた、絶望的なまでに暗い洞窟であった。
いや、ただの洞窟ではない。入り口の左右には、風化して原型を留めていない石柱のようなものが辛うじて立っており、さらにその上部には、何かの紋章らしきものが彫り込まれた巨大な石のアーチが半分崩れかかった状態で架かっていた。
間違いなく、そこはかつて何らかの建造物であったことを示している。
「ひゅー、こりゃビンゴだな。いかにも何か隠してありますって面構えだ」
ラリーは口元にニヤリと笑みを浮かべ、腰のポーチから松明を取り出して火を点けた。
ボウッ、と音を立ててじりじりと燃える炎が、ひんやりと湿った洞窟の奥をわずかに赤く照らし出す。
だが、光が届くのはほんの数メートル先までで、その奥は底知れない漆黒の闇に飲まれていた。
「人工物……こんな場所に遺跡があるなんて。しかもこの石柱に刻まれた紋様、どの歴史書でも見たことがありませんわ」
リアが、風化した石柱の表面を注意深く観察しながら息を呑む。
「さあ、お宝探しと行こうぜ。ノア、お前の『かけがえのないもの』ってやつ、絶対に見つけてやるからな」
ラリーが、怯えるノアの肩をポンと軽く叩き、底抜けに明るい笑顔を向けた。
その温かい手の感触と、一切の迷いのない言葉に背中を押され、ノアは大きく頷いた。
「……はいっ!」
四人の足音が、太古の静寂を破り、湿った石窟の奥へと響いていく。
カツン、カツンと。
天井から滴り落ちる水滴が冷たい石畳を叩く音が、まるで彼らの来訪を告げる時計の針のように、一定のリズムで不気味に鳴り響いていた。




