寿綾乃という女 第3部 4
ユリコが、長谷川センセイを知ったきっかけは、私だった…
私、寿綾乃の入院だった…
すでに、幾度となく、説明したように、私は、ユリコの息子である、ジュン君の運転するクルマにはねられた…
それゆえ、ジュン君は、警察に逮捕された…
それを知ったユリコは、慌てて、私に面会を申し込んだ…
これも、幾度となく説明したように、これから、起きるジュン君の裁判で、被害者である、私に、加害者である、ジュン君を擁護してもらいたかったからだ…
だから、私の容体が、安定すると、急いで、ユリコが、面会にやって来た…
そこで、ユリコは、私の担当医である、長谷川センセイに出会った…
「…イイ男ね…」
それが、ユリコが、長谷川センセイを見て、言った最初の感想だった…
が、
それだけではない…
ねっとりとした口調と、いかにも、狙っていると、誰もが、わかる目で、言ったのだ…
それを見た私は、つい、ユリコをからかってみたくなった…
だから、私は、開口一番、
「…裸を見られました…」
と、ユリコに、言った…
すると、ユリコが、
「…」
と、絶句した…
それを見た、私は、畳みかけるように、
「…全裸を見られました…」
と、とどめの一撃を加えた…
途端に、ユリコの顔色が変わった…
ありえないことだが、私と長谷川センセイが、男女の仲だと、とっさに思ったに違いない…
が、
すぐに、ユリコは、私の狙いに、気付いた…
「…それは、寿さんの担当医だから、当たり前よね…」
と、必死になって、自分を落ち着かせるように、言った…
必死になって、自分を説得させるように言った…
必死になって、自分の動揺を隠すように、言った…
イケメンを目の前にしたことで、小躍りする自分を、必死に、落ち着かせるように、言った…
誰にでもない、自分自身を落ち着かせるように、言ったのだ…
それを、見て、私は、内心ニンマリした…
目の前のユリコに、一矢報いた気分だった…
このユリコは、天敵…
まさに、この寿綾乃の天敵だった…
だから、うわべはどうあれ、私とユリコは、互いに、天を戴くことはない…
同じ場所で、同じ空気を吸うことはない…
それほど、互いに、互いを憎みあっている…
だから、たった今、ジュン君の運転するクルマにはねられたことで、私が、入院していて、それゆえ、ジュン君の母親のユリコが、詫びに来ても、どうということはない…
ユリコが、
「…この度は、息子のジュンが、大変なことをして、申し訳ありませんでした…」
と、おおげさに言えば、土下座して、詫びても、それが、ユリコの本心ではないことが、分かっている…
ユリコの本心は、
「…あら、寿さん…あんな事故に遭っても、生きているんだ? …さすが、寿さん、悪運が、強いのね…」
と、でも、言いたかったに違いない…
あるいは、
「…寿さん…しぶといわ…まるで、ゴキブリ並みの生命力ね…」
と、でも、言いたかったに違いない…
が、
さすがに、それは、言えなかった…
なにしろ、私をクルマではねた加害者が、自分の息子なのだ…
だから、言えなかった…
ホントなら、
「…さっさと、死んでしまえ!…」
と、でも、言いたかったのだろう…
それが、偽らざるユリコの本音だろう…
が、
さすがに、それを、口にすることは、できない…
何度も言うように、自分の息子が、私をクルマで、はねたからだ…
だから、詫びるしかない…
本心は、どうあれ、私に詫びるしかない…
そういうことだ…
そして、何度も言うように、ジュン君の裁判が、終わり、一息ついた…
だから、ユリコは、長谷川センセイにアタックすることに、したのだろう…
私は、思った…
最大の懸念である、ジュン君の裁判が、終わったことで、ユリコの肩の荷が下りた…
だから、今度は、自分のために、動き出したのだろう…
ユリコは、待つ女ではない…
行動する女だ…
自分から、仕掛ける女だ…
仕事も、プライベートも、そう…
ユリコは、常に自分から、仕掛ける…
そして、それは、ハッキリ言えば、ユリコの頭の良さ…
これも、幾度となく、説明したように、ユリコは、平凡なルックスの持ち主…
どこにでもいる、平凡なルックスの持ち主だ…
集団の中にいれば、周囲に埋没してしまう、ルックスの持ち主だ…
つまりは、それほど、目立たない、どこにでもいる、平凡なルックス…
地味で、取り柄も、なにもない…
ハッキリ言えば、目立たない…
頭の良いユリコは、そんな自分のルックスが、よくわかっている…
だから、男に対しては、自分から、仕掛ける…
自分から、行動する…
美人で、有名な佐々木希ではないのだから、自分から、仕掛けず、ただ待っていても、男から、口説かれることはありえない…
それが、痛いほど、よくわかっているのだろう…
そして、私が、ユリコが、頭が良いといったのは、ユリコが、若くして、自分の価値に気づいたから…
大抵は、若ければ、自分の価値に気づかない…
自分のことは、大抵の人間が、多少なりとも、過大に評価するからだ…
が、
ユリコは、違った…
おそらく、等身大の自分の価値に気づいていたのだろう…
自分の価値=評価に気づいていたのだろう…
これは、なかなか、できることではない…
若ければ、若いほど、自分の価値=評価に、気付かないものだ…
だから、それを、考えたとき、敵ながらあっぱれというか…
実に、自己観察ができている…
実に、自分のことが、よくわかっていると、感心する…
なにより、若さ…
別段、ルックスが、良くない女が、若いときに、武器にするとすれば、それは、若さしかない…
ハッキリ言えば、若さだけが、武器だ…
そして、大抵の若さしか武器がない女が、若さを失ってから、慌てる…
若さしか、武器がない女が、若さを失ってから、男選びに奔走する…
が、
当たり前だが、ルックスの良くない女が、そのときになって、慌てても、遅すぎる…
若くて、ルックスの良くない女は、若さだけが、唯一の武器…
その武器を失ってから、慌てても、すでに勝負にならないからだ…
若くして、そんな事態が、よくわかっているユリコは、実に、優れている…
自分自身の評価を冷徹に見据えることが、できるからだ…
が、
それが、良かったのか、どうかは、わからない…
なぜ、私が、そう思うのか?
それは、結果として、ユリコは、ジュン君の父親に捨てられたからだ…
だから、結果として、若くして、男を作っても、成功したとは、言い難い…
が、
それでも、子供を作れたことは、よしとしなければ、ならないかも、しれない…
ルックスもよくもない平凡な女が、ただ待っていても、男は、寄ってこないからだ…
いや、
ユリコにとって、そんなことを、私に言われるのは、心外かも、しれない…
なにしろ、この私は、まもなく33歳になろうとするのに、子供は、いないからだ…
だから、子供もいない私にそんなことを、言われるのは、心外…
頭に来るに違いない…
私は、今、この五井記念病院で、ユリコに再会して、そんなことを、思った…
このユリコを眼前にして、そんなことを、考えたのだ…
すると、
「…寿さん…お元気そうね…」
と、ユリコが、満面の笑みを浮かべて、言った…
とっさに、私は、これは、ユリコのお世辞だろうか?
それとも、単なる社交辞令…
いや、
それとも、このユリコは、私が、癌であることに、気付いているのだろうか?
とっさに、考えた…
わずか、
「…寿さん…お元気そうね…」
と、いう言葉だけで、とっさに考えた…
相手が、ユリコだから、考えたのだ…
これが、相手がユリコでなければ、考えない…
相手が、ユリコでなければ、思わない…
いや、
それだけではない…
私、寿綾乃に、ユリコに知られたくない、秘密があるから…
秘密=弱点があるからだ…
癌という弱点があるから…
そして、なにより、相手がユリコだから…
相手が、私の天敵である、ユリコだから…
私の天敵だから、余計に、私の弱点を知られたくない…
私の弱点を知れば、
「…お可哀想に…寿さん…おカラダに気を付けてくださいね…」
と、いかにも、私を心配するようなことを、言って、その直後に、
「…ざまあみろ、いい気味ね!…」
と、私を嘲笑することが、わかっているからだ…
「…私の夫と、子供を奪った罪よ…せいぜい、もがき苦しんで、死になさい!…」
と、私を面罵するだろう…
私に、捨て台詞を吐くだろう…
私には、それが、わかっている…
嫌というほど、分かっている…
だから、この女にだけは、私の秘密を知られたくない…
私が、癌であることを、知られたくない…
私は、あらためて、そう、思った…
そう、強く思ったのだ…
が、
ユリコは、そんな気配は、微塵もなかった…
私の秘密を知っている感じでは、なかった…
ただの社交辞令で、
「…寿さん…お元気そうね…」
と、言っただけかも、しれない…
その証拠に、ユリコは、満面の笑みのままだった…
私は、なんて言っていいか、わからなかった…
だが、なにか、言わなければ、ならない…
なにか、言葉を返さなければ、ならない…
だから、とっさに、
「…おかげさまで…」
と、返した…
この返事が、一番無難だからだ…
だから、とっさに、返した…
すると、だ…
「…いいわね…寿さん…」
と、いきなり、ユリコが、言ってきた…
「…なにが、いいんですか?…」
「…だって、寿さん…長谷川センセイって、言ったっけ…あの長身のイケメン…あのイケメンに定期的に、検診して、もらっているのでしょ?…それで、今日もここに、来たのでしょ?…」
「…ええ…私の担当医のセンセイですから…」
「…寿さん…長谷川センセイに裸も見られてるし、すぐに男女の仲になっても、おかしくは、ないわね…なにしろ、美人の寿さんのカラダのすべてを、余すところなく、見ているのだから…」
これには、どう返答して、いいか、わからなかった…
ユリコが、私に皮肉を言っているのは、わかる…
だが、それに、反応するのは、大人げない…
なにより、ここは、五井記念病院のロビー…
周囲には、大勢の人間が、行きかっている…
そんな場所で、言い合いになることは、できない…
反論することは、できない…
だから、
「…」
と、黙った…
「…」
と、なにも、答えなかった…
すると、だ…
「…あの長谷川センセイって、この五井記念病院の人間…五井家の人間なんですって…」
と、いきなり、ユリコが、告げた…
あまりにも、意外なユリコの言葉だった…




