寿綾乃という女 第3部 31
…伸明さん?…
とっさに、気付いた…
そして、伸明に気付いた私は、慌てて、伸明の後を追おうとした…
が、
止めた…
なぜなら、伸明の傍らに、一人の女が、慌てて、駆け寄って来たからだ…
私は、その女を知っていた…
明らかに、私の見知った女だった…
そして、それは、諏訪野マミ…
伸明の腹違いの妹のマミだった…
私に伸明が、どこかに、失踪したと、告げたマミだった…
…これは、どういうこと?…
…どうして、伸明とマミさんが、ここに?…
冷静になって、考えた…
すると、すぐに、答えが浮かんだ…
ここは、五井記念病院…
五井家の運営する病院だ…
だから、隠れるのに、これ以上、最適な場所はない…
政治家ではないが、身を隠すには、病院が、一番…
誰もが、病院に入院すると、いえば、手が出せないからだ…
だから、伸明は、ここに、入院した…
当たり前のことだった…
そして、それに、気付いた私は、慌てて、どこかに、身を隠そうと思った…
なぜなら、ここに、私が、いては、マズい…
ここで、私の姿を二人に、見られるのは、マズいと、思ったからだ…
私の姿が、伸明に見られるのは、構わない…
が、
マミに見られるのは、困る…
なぜ、困るのか?
それは、先日、マミが、伸明は、今、どこかに、身を隠して、居場所がわからない、と、私に告げたからだ…
それが、今、マミは、伸明と共にいる…
好意的に見れば、あのときは、マミは、伸明の居場所が、わからなかった可能性もある…
が、
普通に考えれば、その可能性は、低い…
わずか、数日前のことだ…
普通に、考えれば、マミが、私にウソをついた可能性の方が、高い…
なぜ、マミが、ウソをついたのか?
それは、わからない…
しかしながら、普通に考えれば、マミが、私を騙した可能性が、高い…
だから、いうなれば、私は、被害者…
加害者ではない…
それゆえ、被害者の私が、逃げるのは、おかしいが、やはりというか…
私を騙したマミに、私の姿を見られるのは、マミに、悪いと思ったのだ…
きっと、マミは、私の姿を見れば、バツの悪い顔をするだろう…
私にウソをついたことが、バレるからだ…
だから、本当は、悪いのは、マミだが、ここで、マミにバツの悪い思いをさせるのも、どうか? と、思った…
なぜなら、私は、マミさんが、好き…
マミさんも、私が、好きと、思っているからだ…
マミさんが、私の敵とは、寸分も思っていないからだ…
だから、慌てて、身を隠すことにした…
身を隠すと言っても、たいしたことではない…
マミの視線の先に入らないように、静かに、移動した…
そうすれば、マミに気付かれないからだ…
だから、心の中では、慌てていたが、小走りに走るのではなく、普通に、二人の視線からは、決して、目に入らない場所に、移動した…
そして、それは、すごく簡単だった…
なにしろ、五井記念病院は、大きい…
私が、今いる、その五井記念病院の一階のロビーも、また広い…
そして、ロビーのひとも、また多い…
だから、二人の視線に届かない場所に移動するのは、造作もなかった…
それゆえ、安心して、二人の視線から、外れる場所に、移動した…
そして、遠くから、二人が、ロビーから、ゆっくりと、どこかに、歩いていく姿を、目で、追った…
二人が、私の視界の届かない場所に、消えるまで、目で追った…
そして、二人の姿が、視界から、消えると、ホッとした…
同時に、恥ずかしくなった…
こんな行動をしている、自分の姿が、恥ずかしくなった…
…一体、なんで、私が、隠れなければ、いないのか?…
…ウソをついたのは、マミさんなのに、どうして、私が、身を隠すような真似をしなければ、ならないのか?…
それを、考えると、頭に来た…
これでは、まるで、私が、被害者ではなく、加害者だ…
まるで、私が、なにか、悪いことをしたようだ…
ウソをついたのは、マミさんなのに、どうして、私が、こんな真似をしなければ、ならないのか?
頭に来た…
そして、これは、まるで、妻が、自分の夫の不倫現場を、偶然、目撃したようなものだと、気付いた…
街を歩いていて、偶然、夫に出会う…
声をかけようとすると、夫の隣には、見知らぬ女がいる…
そして、二人の仲は、誰が見ても、恋人か、夫婦に見える…
それが、わかると、自分は、悪くないにも、かかわらず、急いで、身を隠す…
夫に気付かれないためだ…
夫が、不倫している現場を見たことを、気付かれないためだ…
それと、似ている…
今の私の状況が、それと、そっくり…
そう、気付いた…
そして、それに、気付くと、なんだか、笑えて来た…
これでは、まるで、私が伸明の妻のようだからだ…
まだ、結婚もしていない伸明の妻のようだからだ…
ただ、一度キスをしただけなのに、伸明の妻気取り…
そんな自分になんだか、笑えて来た…
そして、そんな心の内が、顔に出たのだろう…
「…どうしたんですか? …寿さん…?…」
と、突然、背後から、声を、かけられたから、仰天した…
息が、止まるほど、驚いた…
私は、慌てて、声のする方向を振り返った…
と、そこには、長谷川センセイの姿があった…
白衣を着た、私の担当医の長谷川センセイの姿があった…
私は、驚くと共に、ホッとした…
相手が、長谷川センセイだからだ…
相手が、長谷川センセイとわかって、ホッとした…
なにしろ、長谷川センセイは、この五井記念病院の勤務医…
ここで、会っても、おかしくもないからだ…
だから、ホッとした…
「…どうしたんですか? …寿さん?…」
長谷川センセイが、繰り返す…
「…センセイ…どうしたと、おっしゃいますと?…」
「…いえ、寿さんが、なんだか、こそこそと、身を隠しているような…」
長谷川センセイが、答える…
が、
私は、それを、認めるわけには、いかなかった…
だから、とっさに、
「…気のせいでしょう…」
と、返答した…
「…気のせい?…」
「…そうです…」
私は、長身の長谷川センセイの目を見て、ハッキリと言った…
堂々と、言った…
堂々と、ウソを言った(苦笑)…
すると、長谷川センセイは、
「…」
と、なにも、言わなかった…
おそらく、おかしいと思ったに違いないが、なにも、言わなかった…
それから、
「…寿さん…今日は、どうして、ここへ?…」
と、長谷川センセイが、話題を変えた…
私は、
「…今日は、定期健診の日ですよ…センセイ…」
と、言った…
「…エッ?…」
長谷川センセイは、一瞬、当惑した…
明らかに、戸惑った…
それから、
「…そう…そうでした…」
と、慌てた口調で、言った…
私は、当たり前だが、そんな長谷川センセイの言動に、疑問を感じた…
だから、長谷川センセイをジッと、凝視した…
まじまじと、正面から、見据えた…
「…どうしましたか? …寿さん…そんなふうに、ボクを見て…」
長谷川センセイが、抗議する…
が、
それを、無視して、ジッと、長谷川センセイを無言で、凝視し続けた…
「…ホント、どうしたんですか? …寿さん…」
と、長谷川センセイが、抗議する…
当たり前だった…
が、
私は、それでも、
「…」
と、無言で、長谷川センセイを、見続けた…
すると、
「…寿さんのような美人に睨まれるのは、光栄だけれども、その理由が、わからないと…」
と、音を上げた…
「…寿さんのような美人に、睨まれるのは、滅多にあることじゃないから…」
長谷川センセイが、言い訳する…
そして、その言い訳は、私が、待っていた言葉でも、あった…
「…センセイ…今、私が、美人だと、おっしゃいましたね…」
「…言いました…寿さんのような美人は、滅多にいない…忘れるわけが、ないじゃないですか? …男なら、きっと、覚えていますよ…」
「…ですが、今日、私が、センセイの元に、定期健診にやって来るのを、忘れてましたね?…」
「…それは…患者は、寿さんだけじゃ、ありませんから…」
「…それは、そうですが、もし、私が、長谷川センセイの記憶に残る美人なら、私が、今日、来ることを、事前に知っているはずですよ…」
「…どういうことですか?…」
「…長谷川センセイが、私が、気になるなら、今日、私が、来ることを、事前に調べるはずです…」
「…どういうことですか?…」
「…男でも、女でも、気になる異性が、いれば、今度は、いつ、やって来るのだろうか? と、考える…それが、普通でしょ?…」
「…それは…」
「…つまり、長谷川センセイが、それを、しないのは、私を、美人と言ったのは、単なる社交辞令か…それとも…」
「…それとも…なんですか?…」
「…私以上に、気になることが、あるか?…」
「…寿さん以上に、気になることって?…」
「…今、さっき、諏訪野伸明さんを、この病院で、見かけました…今、話題になっている藤原ナオキの融資の件で、諏訪野さんも、話題になってますね…」
「…」
「…もっとも、五井家の力で、あまり、話題には、なっていませんが…」
私は、わざと、言った…
「…融資を受けた側は、逮捕され、融資をした側は、逮捕されない…それどころか、たいして、話題にもならない…おかしいですね?…」
「…」
「…その五井家当主を、この病院で、見かけました…」
「…」
長谷川センセイが、困った顔になった…
どう返答していいか、わからない様子になった…
そこで、私は、とどめの一撃を言った…
「…そういえば、長谷川センセイも、五井の一族出身ですね…」
と、言った…
途端に、長谷川センセイの顔色が、変わった…




