寿綾乃という女 第3部 121
…エッ?…
…先代当主、建造さんの願い?…
でも、それは、私を本物の寿綾乃と、誤解していたから…
従妹の寿綾乃と誤解していたから…
従妹の寿綾乃は、建造の娘…
五井家先代当主、諏訪野建造の娘だ…
だから、自分の息子ではあるが、血の引いていない、伸明と結婚させようとしたのか?
そう、思った…
そう、考えた…
だから、とっさに、
「…でも、私は、寿綾乃じゃ…」
と、言った…
と、口に出した…
すると、だ…
「…いえ、アナタが、本物の寿綾乃であろうとなかろうと、そんなことは、関係ない…」
と、和子が、静かに告げた…
「…関係ない?…」
「…そう、関係ない…」
和子が断言する…
そして、
「…建造さんは、バカでは、ないわ…」
と、いきなり、言った…
「…どういう意味ですか?…」
「…アナタが、建造さんの血を引いた娘ではないことは、建造さんには、わかっていた…」
「…エッ?…」
「…ビックリしたようね…」
「…」
「…どうして、建造さんが、気付いたか、わかる?…」
「…いえ…」
「…本物の親子なら、どこか、似るものなの…」
「…どこか、似る…でも、顔は…」
「…そう、顔は、建造さんが、愛した女性に似ている…でも、問題は、それ以外…」
「…それ以外?…」
「…ハッキリ言えば、動作…ちょっとした歩き方や、手の動き…表情…そんな些細なことが、親子なら、似ている…以前、歌手の松田聖子さんが、娘の神田沙也加さんと、共演したとき、動作が、そっくりなんで、世間で、話題になった…それが、好例…」
「…」
「…でも、寿さん…アナタは、建造さんが、愛した女性と顔意外、まるで、似ていなかった…だから、建造さんは、気付いた…ひょっとして、違うんじゃないかと、気付いた…」
「…だったら、どうして?…」
「…寿綾乃を名乗る以上、まったくの他人じゃない…なにしろ、顔が似ている…だから、親戚か、なにかと、考えた…」
「…」
「…それになにより、建造さんは、あの女性を愛していた…だから、アナタが、本物の寿綾乃であろうとなかろうと、あの女性の縁者なら…血がつながった者なら、ぜひ伸明と結婚してもらいたい…そう、願っていた…それが、建造さんの本心…」
和子が、告げる…
これまで、私が、思っても、みないこと…
これまで、私が、考えても、みないことを、告げた…
「…だから、私も建造さんの願いを叶えて、上げたかった…また、アナタは、器量もあるルックスではない、器量もある…五井家を仕切り、五井家を守る器量もある…だから、余計に、建造さんの願いを叶えて、やりたかった…」
「…」
「…でも、物事は、うまくいかないものね…私は、寿さんは、伸明を好きだと、思っていた…伸明も、寿さんが、好き…だから、うまくいくと、思っていた…」
「…」
「…でも、違った…寿さんは、伸明よりも、藤原さんの方が、もっと好きだった…それが、わかった…」
和子の声は、落胆した様子だったが、同時に、サバサバした感じだった…
吹っ切れた感じだった…
「…物事は、うまくいかない…自分の思う通りには、いかない…世の中、そんなもの…」
「…」
「…でも、私は、建造さんの願いを叶えてやりたかった…亡くなった建造さんの願いを叶えてやりたかった…」
和子が、告げる…
穏やかに告げる…
が、
穏やかに告げれば、告げるほど、悔しいというか…
自分の思い通りにいかない現実に、苛立ったというか…
歯がゆいというか…
とにかく、そんな感じがした…
私は、それを、見て、どうして、いいか、わからなかった…
だから、とっさに、
「…ごめんなさい…」
あるいは、
「…申し訳ありません…」
と、口にしかけた…
が、
その前に、
「…叔母さま、そんなに、気落ちすることは、ありませんよ…」
と、伸明が告げた…
私は、ビックリした…
文字通り、ビックリした…
まさか、いきなり、伸明が、この場で、こんな発言をするとは、夢にも、思わなかったからだ…
「…ボクも叔母さまと同じです…」
伸明が言う…
…同じ?…
…どう、同じなんだろ?…
「…寿さんと、結婚したいと、思った…でも、それは、ハッキリ言えば、父が、それを、望んだから…」
…エッ?…
…建造さんが、望んだから?…
…どういうこと?…
「…父が、言葉にせずとも、寿さんと、僕が結婚してくれればと、考えているのは、わかっていた…」
…エッ?…
…ウソ?…
「…叔母さまも、ご承知のように、父は、ボクの恩人です…血が繋がってないにも、かかわらず、血が繋がった弟の秀樹を差し置いて、ボクを五井の後継者に推してくれた…文字通り、大恩人です…」
「…」
「…だから、ボクは、叔母さまと同じく、父の願いを叶えてやりたかった…だから、寿さんと、結婚したかった…それが、一番の理由です…」
伸明が、言う…
これまで、思ってもいなかったことを、言う…
私は、仰天した…
文字通り、仰天した…
これまで、思ったことのない、伸明の気持ちを聞けた…
これまで、考えたことのない伸明の気持ちを聞けたからだ…
だから、仰天した…
「…父にとって、建造にとって、本物の寿綾乃さんの母親は、忘れえぬひとだった…忘れることが、できないひとだった…それが、父の姿を見て、わかった…」
伸明が、しみじみと、言う…
「…だから、突然、現れた寿さんを大事にしたかった…たとえ、本物の寿綾乃では、なくても、大事にしたかった…きっと、今、叔母さまが言ったように、父は、寿さんが、本物の寿綾乃ではないと、わかっていたんだと、思う…でも、父が愛したひとと、顔が、そっくり…だから、姪か、なにかだと、見当をつけていたのかも、しれない…」
伸明が、言う…
和子と同じことを、言う…
私は、伸明の言うことを、聞いて、仰天したが、それは、和子もまた同じだったようだ…
ただ、ただ、驚いていた…
驚いた表情で、伸明を見ていた…
「…伸明…アナタ、知っていたの?…」
和子が、聞く…
「…叔母さま…ボクだって、バカじゃ、ありませんよ…」
伸明が笑う…
「…きっと、叔母様の中では、ボクが、十歳ぐらいの子供の頃から、成長が、止まっているんだと、思う…」
伸明が、告げると、和子が、仰天した…
驚きの表情で、伸明を見た…
「…正直、ボク自身も、寿さんが、嫌いじゃない…好きだった…でも、今、ボクでなく藤原さんを選んだことで、目が覚めたというか…」
「…目が覚めた?…」
和子が言う…
「…どうしても、ボクが、寿さんと、結婚する必要がないことが、わかった…」
伸明が、淡々と告げる…
そして、おそらく、それは、伸明の本心に違いなかった…
なぜなら、伸明の顔がすっきりしていたから…
まるで、憑き物が落ちたかのように、すっきりしていたから…
これには、驚いたが、私自身、伸明のこの告白で、すっきりした…
なぜなら、これまでは、なぜ、伸明が、私を好きなのか?
それが、わからなかったからだ…
私は、正直、美人で、ルックスには、自信がある…
しかしながら、この世の中には、私ぐらいの美人なら、うじゃうじゃいる(苦笑)…
まして、伸明は、お金持ち…
日本、
いや、
世界に知られた五井家のトップだ…
そんなお金持ちが、どうして、私を好きなのか?
これまで、理解できなかった…
伸明の地位から、すれば、私より、若くて、キレイな女は、いくらでも、手に入るからだ…
だから、なぜ、私なのか?
私、寿綾乃なのか?
私、矢代綾子なのか?
それが、わからなかった…
いくら、考えても、わからなかった…
それが、今、わかった…
伸明のみならず、和子も同じ…
なぜ、私を大切にしてくれるのか?
その理由が、わかった…
まるで、推理小説ではないが、謎が解けた…
そんな気持ちだった…
だから、私もすっきりした…
これ以上ないほど、すっきりした…
すると、だ…
「…それで、いいの?…」
と、誰かが、言った…
いや、
誰かではない…
マミさんが、言った…
「…伸明さん…寿さんが、好きなんじゃ…」
あとは、言わなかった…
いや、
言えなかった…
だから、誰も、なにも、言わなかった…
いや、
言えなかった…
いや、
少しすると、伸明が、
「…終わったことです…」
と、告げた…
「…すべて、終わったことです…」
伸明が、繰り返す…
私は、その言葉を聞いて、どう答えて、いいか、わからなかった…
その言葉を発したのを、聞いたとき…
あるいは、
その言葉を発した伸明の表情を見たとき…
自分で、言うのも、なんだが、明らかに、伸明が、私を好きなのだと、気付いた…
伸明が、今、言った、私を好きになった理由…
血が繋がってない、父親の建造から、実子である、弟の秀樹を差し置いて、自分を後継者に指名した…
その恩に報いるために、私と結婚しようとした…
それが、私と結婚しようとした理由だと、告げたが、それだけではない…
伸明の表情からは、明らかに私を好きだと、言うことが、わかった…
誰の目にも、わかった…
私のみならず、和子にも、マミさんの目にも、わかった…
だからこそ、マミさんが、
「…伸明さん…それで、いいの…」
と、言ったわけだ…
また、和子が、
「…人生は、思い通りにいかない…」
と、嘆いたわけだ…
が、
そんなことを言われても、どうしていいか、わからなかった…
ひとの心は、金で買えないというと、おおげさだけれども、そういうことかも、しれない…
伸明は、好きだけれども、ナオキは、もっと好き…
そういうことだろう…
自分でも、今度のことで、わかった…
正直、今でも、伸明に憧れる…
五井家の当主に憧れる…
でも、ナオキと伸明…
どっちを選べと言われたら…
正直、答えは、出ない…
考えても、答えは、出ない…
しかしながら、今回のようなことが、ない限り、答えは、出ない…
和子が、海難救助に例えて、ナオキと伸明のどちらを助けるか?
と、言ったが、そんな極限の状況に置かれでもない限り、答えは、出ない…
そして、そんなことを、考えたとき、もしや、仕組まれた?
今回の件は、仕組まれた?
と、考えた…
思い過ごしかも、しれないが、考えた…
たしかに、こんなことでも、ない限り、私が、ナオキと伸明のどちらが、好きなのか?
と、問われても、自分でも答えが出ないからだ…
だから、仕組まれたかも、しれないと、気付いた…
が、
そんなことは、今さら、言っても、後の祭りというか…
私は、伸明ではなく、ナオキを選んだ…
藤原ナオキを選んだ…
それが、わかった…
今まで、いくら、考えても、答えが出ないことが、今回、わかった…
そういうことだった…




