寿綾乃という女 第3部 116
まさか、この私が、非常勤の取締役として、FK興産に出社するとは?
考えれば、考えるほど、笑える…
自分でも、爆笑してしまう…
私は、ただの秘書…
社長である、ナオキの秘書に過ぎない…
そんな社長秘書に過ぎない私が、臨時の取締役会に、取締役として、出席するなんて(苦笑)…
まさに、夢…
悪夢かも、しれない夢…
なぜ、悪夢かも、しれないのか?
それは、一見、いいことのように、思えるが、実は、なにが、あるか、わからないからだ…
人間万事塞翁が馬…
いいことも、悪いことも、長くは、続かない…
私は、それを、この一年で、学んだ…
嫌というほど、実感した(苦笑)…
癌にかかり、内心、どうしていいか、悩んだ…
誰にも、打ち明けずに、悩んだ…
なぜ、誰にも、打ち明けなかったのか?
それは、ちょうど、その時期に、私が、五井家の人間と接したから…
五井家の当主、諏訪野建造や、その息子、伸明と接して、母が、遺言した、本物の寿綾乃と勘違いした、大金持ちの人間と接したからだ…
だから、誰にも、打ち明けることは、できなかった…
なにより、ナオキ自身、私が、寿綾乃だと、信じていた…
だから、私にそんな裏があるとは、夢にも、思っていなかったに違いない…
寿綾乃を名乗る偽者だとは、考えもしなかったに違いない…
また、私自身、気持ちが昂っていた…
…来た!…
…いよいよ、来た!…
と、内心、ドキドキした…
母の遺言した、来るべきものが、来たのだ…
だから、癌で、悩んでは、いられなかった…
また、癌では、あったが、最初は、それほどとは、思わなかった…
それほど、悪いとは、思わなかった…
それも、大きい…
現実に、日常生活で、支障がなかった…
不便がなかった…
だから、周囲の人間にバレることは、なかった…
正直、痛みが、激しければ、それどころではない…
五井家と知り合ったからと、いって、どうのこうの言っていられない…
痛くて、仕方がないからだ…
でも、私は、そうではなかった…
幸運にも、違った…
痛みは、それほどでも、なかった…
だから、自分の病状を甘く見ていた…
だから、旗から見れば、普段通り、行動していた…
だから、これは、幸運…
実に、幸運だった…
それが、一転して、ジュン君の運転するクルマにはねられてた…
これは、不幸…
不幸に、決まっている…
しかしながら、奇跡的に、助かった…
五井記念病院に入院して、回復した…
だから、幸運…
幸運だ…
そして、オーストラリアに癌の治療に行った…
日本では、まだ認可されていない、放射線治療を行うためだ…
カラダの中に、放射能を取り込んで、その放射能で、癌を撲滅する…
しかしながら、それは、癌の種類による…
癌の種類によって、効果がある場合と、ない場合がある…
私の場合は、微妙…
実に、微妙だった…
だから、幸運かと、言われれば、幸運ではない…
癌が、完治しなかったからだ…
ならば、不幸なのかと、問われれば、それも、違う…
オーストラリアに治療に行った結果、以前と比べれば、大分良くなったからだ…
だから、不幸でもない…
要するに中途半端…
良くも、悪くもない…
言ってみれば、微妙…
実に、微妙だった…
そして、そんなことを、考えれば、考えるほど、人間万事塞翁が馬という言葉を実感する…
良いことは、長く続かないし、悪いことも、また、長くは、続かない…
普通は、そういうものだ…
ごく稀に、生まれたときから、死ぬまで、一生たいした苦労もしない、人間もいるし、また真逆に、生まれたときから、死ぬときまで、苦労の連続の人生を歩むものもいる…
しかしながら、それは、少数…
ごく少数の人間だ…
生まれたときから、お金持ちの家に生まれ、本人もまた、能力もあり、会社で出世したり、あるいは、実家の会社を継いで、結婚し、子供にも恵まれ、人並み以上の生活を一生続ける…
そんな人間が、この世の中にいるだろうことは、誰にも、想像が、つくが、普通はそんな人間に、滅多にお目にかかったことはない…
それぐらい、稀だ…
ただ、以前、そんな事例をネットで見た…
そのひとは、物腰も丁寧で、穏やかな紳士だったという…
いわゆる、深夜のホテルの受付をバイトでしていて、いかにも、そんな仕事には、不釣り合いな人間だったという…
なぜなら、ホテルといっても、そのホテルは、男女が、セックスをするために利用するいかがわしいホテルだったからだ…
そして、そのネットの記事を書いたひとは、同じバイトをしていて、偶然、その紳士の履歴書を見て、驚いたそうだ…
いわゆる有名大学を出て、誰もが、憧れる立派な経歴を持っていたそうだ…
だから、二人きりになったとき、
「…なぜ、こんなことをしているんですか?…」
と、直球で、聞いたそうだ…
すると、その紳士は、
「…自分は、生まれてこのかた、たいした苦労はしていない…生まれた家は、お金持ちだったし、大学も、いい大学に入れ、今は、実家の家業を継いで、子供にも恵まれ、誰もが、羨む人生を歩んでいる…だから、生涯一度くらい、こんな仕事をしてみたかった…人の裏といっては、なんだけれど、見てみたかった…」
と、言ったそうだ…
真逆に、貧乏な家に生まれ、本人もまた、性格が悪く、どこに行っても、嫌われ、他人とうまく折り合えない…
そんな人間もまた存在する…
しかしながら、そんな人間も稀…
ごく稀だ…
が、
そうはいいながらも、後者の方は、お目にかかったことがある…
いや、
誰でも、そうだが、後者の方が、会ったことがある人間の方が、多い…
前者の方は、もっと少ない…
だから、余計に会ったことがない…
そういうことだ…
しかしながら、こんな例は、稀…
実に稀な例であって、大抵の人間は、人間万事塞翁が馬…
良いことがあったり、次に、悪いことがあったり…
そんな人生を歩んでゆく…
そして、それは、私も例外ではない…
私、寿綾乃もまた例外ではない…
矢代綾子もまた例外ではないということだ…
私は、思った…
私は、考えた…
そして、そんなことを、考えながら、ほぼ一年振りに、FK興産に向かった…
FK興産に出社した…
臨時の取締役会が、行われるのは、FK興産の本社だからだ…
そして、取締役会が、行われるのは、FK興産の会議室に決まっている…
株主総会ではないのだから、FK興産の本社ではなく、どこか、別の大きな会場を借りて、開催する必要もないからだ…
取締役会議なのだから、出席するのは、数名…
おそらく、十人に満たない…
いや、
ひょっとすると、片手の指の数で、足りるかも、しれない…
以前は、事実、5人だった…
FK興産は、社員千人の企業…
取締役の人数が、5人というのは、ちょうど、良いのかも、しれない…
社長のナオキを筆頭に、5人…
といっても、FK興産が、金を借りた銀行から、二人の人間が、社外取締役として、招かれていて、純粋に、FK興産の人間は、社長のナオキを除けば、二人だけ…
つまりは、社員千人で、取締役の肩書を持つ者は、社員では、わずか3人に過ぎないということだ…
私は、取締役会議が、行われるたびに、秘書として、接客したというか…
ぶっちゃけ、お茶を出したり、食事の手配をしたりした…
それが、取締役会議の思い出…
正直、面倒臭いというか…
疲れる(苦笑)…
FK興産出身の取締役は、いい…
しかしながら、外部の人間は、疲れる…
正直、緊張する…
一年に何度か、顔を会わせるに過ぎない関係だからだ…
その点、FK興産出身の取締役は、楽…
普段から、接しているから、楽だ…
なにしろ、ナオキを含めて、FK興産出身の取締役は、入社以来の顔なじみ…
歳も若い…
四十代前半のナオキを筆頭に、皆、大差ない年齢だからだ…
だから、取締役会議が、開かれ、社外の取締役が、やって来ると、緊張する…
なにしろ、普段、お目にかかれない、顔なじみのない人間だし、おまけに、年齢も、50代になっている…
だから、緊張する…
FK興産出身の取締役は、取締役といっても、皆、入社以来の顔なじみ…
だから、ハッキリ言えば、大学のサークルのノリというか…
若いときからの顔なじみ…
ずっと、いっしょにやって来た仲間だからだ…
だから、取締役会議を開くといっても、正直、肩書だけ…
メンバーは、皆、創業メンバーだからだ…
しかしながら、社外の取締役は、銀行から派遣された者たち…
ハッキリ言って、銀行からのお目付け役だ…
金を貸した会社が、しっかりやっているのか?
それを、調べるためにやって来た者たちだからだ…
だから、私も緊張した…
それが、わかっているから、緊張した…
が、
それが、今は、立場が、逆…
まさか、接待する側の秘書だった私が、接待される側の取締役になるとは、思わなかった…
夢にも、思わなかった…
まさに、人生は、わからない…
どうなるか、わからない…
その典型だった(爆笑)…
そして、それを、思うと、数年前に、日産で、レースクイーン出身の女性が、取締役になったと言って、世間の話題になったことを、思い出した…
なにしろ、レースクイーンだ…
正直、見た目は、派手…
が、
それは、若いときだけ…
長身で、スタイルが良く、顔も良ければ、レースクイーンになれるだろう…
しかしながら、それは、外見…
見た目の優秀さに過ぎない…
大企業の社外取締役になるには、中身…
なにより、中身…
頭の良さが、必要になるからだ…
だから、驚いた…
私のみならず、世間が驚いた…
レースクイーンと大企業の取締役では、求められる能力が、真逆…
真逆だからだ…
だから、驚いた…
そして、そんなことを、考えたとき、この私…
私、寿綾乃が、取締役になったことは、たいしたことがないのでは?
と、思った…
なにしろ、かくゆう、私…
私、寿綾乃もまたFK興産の古参社員の一人…
創業メンバーに近い社歴を持っている…
だから、社歴だけで、判断した場合は、私も十分取締役の資格がある(笑)…
社歴=その会社に勤務してからの年数だからだ…
それゆえ、古参社員の私は、資格がある…
取締役になる資格がある…
私は、そう思った…
もはや、こじつけ…
無理やり、こじつけたに過ぎない(爆笑)…
だが、資格はある…
そういうことだ…
そして、そんなことを、考えながら、FK興産の入っている高層ビルに入った…




