寿綾乃という女 第3部 11
「…ユリコさんが、動き出した?…」
私は、ナオキの言葉を繰り返した…
そして、驚いたふりをした…
驚いたふりをしたというのは、あまり驚かなかったからだ…
なにしろ、あのユリコだ…
おとなしくしているはずがない(笑)…
以前、五井グループの会社の株を買い占めて、高値で、売ろうと目論んだ…
私が、以前、あの五井記念病院に入院したとき、見舞いに訪れた、五井の人間と知り合い、五井の内情を探ったのだ…
そして、五井の弱点を掴んだ…
その弱点とは、五井は、連合体であること…
五井は、十三家あるが、主に、本家と、東西南北の分家の5家が、力を持っていて、その5家の話し合いで、物事が、決まってゆく…
それを、見抜いた…
そして、いわば、のけ者にされているというか、冷や飯を食わされている、本家と東西南北意外の分家の一部から、株を買い取り、それを、五井本家に、高値で、買わそうとした…
それを、思い出した…
そして、あの五井記念病院で、ユリコと再会したのは、それ以来でも、あった…
厳密には、ジュン君の裁判があったから、そこで、何度も顔を合わせていた…
が、
やはり、私の中では、あの出来事が大きい…
病院での出来事が、大きい…
なにより、ジュン君の裁判は、ただ聞くだけ…
ただ、裁判を傍聴するだけで、私もユリコも、当事者でも、なんでもないからだ…
だから、顔を合わせても、ろくに、口をきくこともなかった…
が、
やはりというか…
それとは、別に、私の入院をきっかけに、五井の人間に食い込むしたたかさというか…
生き馬の目を抜く、ユリコの行動に、舌を巻いた…
そして、それこそが、ユリコ…
あの藤原ユリコの真骨頂だった…
私は、あらためて、それを、思った…
そして、私が、そんなことを、考えていると、ナオキが、ぐったりとした表情で、ソファに、座り込んだ…
やれやれと、いう感じだった…
実際、
「…やれやれ…」
と、ナオキが、呟いた…
私は、そんなナオキを見て、
「…社長…どうされたんですか? …その様子は…まるで、お爺ちゃんですね…社長は、まだ四十代前半ですよね?…」
と、からかうように、言った…
すると、ナオキが、
「…綾乃さん…お願いだから、プライベートで、社長というのは、やめてくれ…」
と、嘆いた…
私は、それを、受けて、
「…これでは、どっちが、病人か、わかりませんね…」
と、笑った…
途端に、ナオキの顔が、真剣になった…
「…綾乃さん…そういえば、聞き忘れていたけれど、病気は、どうなったの?…」
「…どうなったと、おっしゃいますと?…」
「…綾乃さん…はぐらかさないで…」
ナオキが、真剣な表情で、言った…
私は、それを、受けて、
「…現状維持というか…」
と、歯切れ悪く言った…
「…現状維持って?…」
「…オーストラリアに治療にいって、だいぶ、良くなりました…でも、全快とは、いえませんでした…」
私は、言った…
事実、オーストラリアに癌の治療に行った…
オーストラリアでは、まだ日本で認められていない癌の治療方法を実践していたからだ…
それは、放射線治療の一部で、カラダの中に、放射能を取り込んで、その放射能で、癌細胞を撲滅すると、いうやり方だった…
私もそれを、知り、五井家に資金を戴き、オーストラリアに渡った…
が、
ダメだった…
効果は、あったが、癌細胞を撲滅させることは、できなかった…
オーストラリアの癌の治療法も、万能ではないと、いうことだ…
事実、事前に、癌の種類によって、効果がある場合と、効果がない場合があるとの説明があり、私の場合は、微妙だった…
そして、実際にやってみたが、その通りだった(涙)…
癌が、完治することは、なかった…
が、
だいぶ、良くなったのは、たしか…
現実に、生活をする上で、困ることは、あまりなかった…
だから、今、一人で、生活ができている…
それを、思えば、十分満足な結果だった…
なにしろ、一人で、生活できるのだ…
もちろん、それが、いつまで、続くか、わからない…
が、
それでも、満足…
十分すぎるほど、満足だった…
物事は、何事も、自分の思い通りには、いかない…
むしろ、思い通りにいけば、驚かなければ、ならない…
それが、普通だ…
だから、あまり、期待しすぎるのも、よくない…
うまくいかなかったときに、落胆するからだ…
私は、いつも、そんな生活信条というか…
そんな信条で、生きてきたから、癌が治らなくても、思ったほど、落胆しなかった…
正直、
…やっぱり、ダメか!…
とは、思った…
が、
そこまでの落胆はなかった…
むしろ、日本で、末期の癌患者と、診られていたのが、だいぶ、良くなった…
それが、嬉しかった…
ハッキリ言えば、少しだけ、生かされた感じだった…
が、
その少しだけ、生かされた意味が、私になにか、あるのだろうか?
とも、思った…
もし、この世界に神様がいたとしたら、私になにか、させたいことがあるのだろうか?
とも、考えた…
そして、そんなことを、考えたとき、以前、五井記念病院に入院したときに、ユリコが、私に言った…
…ミッション…
と、いう言葉が、脳裏に思い浮かんだ…
ユリコは、私に、
「…占星術では、この世の中に、生まれたものの中には、ミッションを持って、生まれたものと、ミッションを持って、生まれないものがいる…」
と、説明した…
「…ミッション?…」
と、私が、意味がわからず、ユリコに、問い返すと、
「…ミッションは、使命…この世の中で、なにか、なすべき使命を持って生まれたか、否か…」
と、説明した…
「…使命?…」
私が、繰り返すと、
「…そう、使命…私は、寿さんは、使命を持って、この世に生まれたと、思っている…」
と、ユリコが、真剣な表情で、告げた…
そして、それを聞いたときに、ユリコには、失礼だが、私は、内心、吹き出す寸前だった…
「…一体、どんな使命を持って、私が、この世に生まれたというのか?…」
「…私は、天使でも、クリスチャンでも、なんでもない…そんなおおげさなこと、あるわけないじゃない!…」
と、思ったものだ…
が、
オーストラリアに行き、その認識が変わった…
おおげさに言えば、私は、生きているのではなく、生かされているというように、考えが、変わった…
癌にかかり、自分が、死ぬ一歩手前から、数歩手前ぐらいに、なったことで、考えが、変わったのだ…
やはり、どんなことも、体験だと、思う…
よく、死にそうになった、と、大げさに騒ぐものが、いるが、それが、本当に、死にそうになったか否か?
本当に、死にそうになったら、やはり、その体験が、違うからだ…
例えば、誰もが、ありがちな例で言えば、街で、クルマに轢かれそうになったとか?
そんな死にそうな体験ひとつでも、体験したか否かは、大きな違いだ…
あるいは、海で、泳いで、溺れかかって、死にそうになったとか?
そんな体験でも、いい…
とにかく、どんな体験でも、体験したことがあるのと、ないのでは、やはり、違うものだ…
私自身、今度のことで、それが、痛いほど、わかった…
私は、天涯孤独の身…
正直、いつ死んでもいい…
と、いつも、心の中で、思っていたが、癌にかかった今、生きたいと、いう心情が生まれた…
これは、自分でも、意外だった…
なぜなら、そんな心境の変化が、自分でも、意外だったからだ…
そして、それは、自分のためではなく、ユリコが、言った、ミッション…
もし、私になにがしかのミッションがあって、そのために、本来は、死ぬ予定だったのに、それが、少しばかり、延びた…
あと、少しばかり、生きることになった…
それが、本当なら、一体、自分になんのミッションがあるのか、知りたくなったからだ…
どんな使命が、私に与えられたのか、知りたくなったからだ…
いわば、好奇心…
自分自身に対する好奇心だった…
そして、それが、今の私が、生きる上での糧になった…
…なぜ、神様は、私を生かしたのか?…
それが、知りたかった…
そして、それは、もしかしたら、ユリコのため?
あの藤原ユリコに、私が、対抗するため?
とも、思った…
あのユリコは、天敵…
この寿綾乃=矢代綾子の天敵だった…
あのユリコに対抗させるため、神様が、私を生かした?
もしかしたら、単なる私の妄想かも、しれないが、そう、思った…
あのユリコは、強敵…
正真正銘の強敵だ…
対抗できる人間は、少ない…
そして、私もまた、彼女に対抗したが、正直、心の底から、疲れた…
ユリコに対抗するには、全力で、なければ、ならない…
それは、例えば、百メートルを、全力で走るようなもの…
あるいは、ボクシングで、闘うようなもの…
互いに、パンチは、繰り出さずとも、相手の出方を窺うだけで、疲れる…
それと、似ている…
つまりは、ユリコに対抗するのは、私が、ユリコと、グローブをはめて、リングに上がるのと、同じと、いうことだ…
私が、そんなことを、考えていると、ナオキが、
「…実は…」
と、切り出した…
私は、慌てて、考えるのをやめた…
考えていては、ナオキの言葉が、耳に入らないからだ…
が、
ナオキは、
「…実は…」
と、言った後、言いよどんだ…
その後、口を利かなかった…
だから、私は、
「…実は、なに?…」
と、ナオキに言った…
ナオキが、言いよどんで、いつまでも言葉を口にしないからだ…
だから、別の言い方をすれば、私に言いにくいことかも、しれないと、気付いたのだ…
が、
それでも、ナオキは、すぐには、口を開かなかった…
だが、今度は、なにも、言わず、ナオキが、口を開くのを待った…
一度、口を開きかけた以上、待っていれば、ナオキが、口を開くのが、わかっていたからだ…
だから、待っていると、
「…実は、諏訪野さんに、頼まれて…」
と、ナオキは、重い口を開いた…




