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寿綾乃という女 第3部  作者: トモサン


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108/122

寿綾乃という女 第3部 108

しかしながら、和子の長井さんを見る目は、冷ややかだった…


 あっさりと、


 「…なに、泣いてるの?…バカじゃない?…」


 と、皮肉った…


 「…女の涙が、武器になるのは、男の前だけ…しかも、若いときだけ…それを、よく覚えておきなさい…」


 と、皮肉った…


 「…アナタは、これから、一般人…それを、肝に銘じて、生きていきなさい…」


 「…一般人…」


 「…そう、お金持ちでもなんでもない…普通のひと…」


 「…」


 「…五井長井家は、昔の大名で、いえば、改易…お取り潰しね…」


 和子が、笑う…


 「…お取り潰し?…」


 「…当然でしょ?…こんな大それたことを、しでかしたんだから…」


 「…」


 「…と、言いたいところだけれども、アナタのお父様は、五井長井家から、追放して、アナタの母親…あの長井センセイのお姉さま…後妻に入った方を、暫定的な当主に、据えて、将来は、アナタが、継げばいい…伸明が、承知すれば…」


 「…伸明さんが、承知すれば?…」


 と、長井さん…


 「…伸明が、五井の当主…決めるのは、伸明です…」


 「…」


 「…でも、まだ、今は若い…圧倒的に、経験が足りてない…あと、二十年もして、伸明が、アナタを五井長井家の当主として、認めるならば、アナタの復帰も認めましょう…」


 「…」


 「…すべては、伸明次第、そして、アナタ次第…」


 「…私次第?…」


 「…アナタが、二十年後、伸明に認められるぐらいの器量を持てるようになりなさい…」


 「…器量…」


 「…器量がなければ、誰もひとは、ついてきませんよ…」


 あっさりと言う…


 「…アナタのように、若ければ、ひとは、騙せます…」


 「…騙せる?…」


 「…そうです…騙せます…」


 「…どんなふうに、騙せるんですか?…」


 「…頼りがいがあったり…いわゆる威風堂々としていれば、騙せる人間もいます…ただ、それは、若いときだけ…」


 「…若いときだけ?…」


 「…三十歳や四十歳にもなって、それが、わからなければ、ただのおバカさん…」


 「…」


 「…もっとも、それが、わからないようでは、とても、ひとの上には、立てないし、まともな社会生活は、営めないでしょう…」


 「…そんな…」


 「…そんなもこんなもない…それが、真実…生きるってことを、甘く見るんじゃない!…」


 和子が、長井さんを一喝した…


 「…アナタのお父様は、それが、できなかった…」


 「…父が?…」


 「…上ばかり見て、足元を見ることもなかった…結果、ありもしない投資話に騙された…そして、ユリコの話に乗った…」


 「…」


 「…すべては、アナタのお父様の欲…欲望…欲望がありすぎる…野心がありすぎる…」


 「…」


 「…そして、アナタもまた、あのお父様の血を引いています…だから、よくよく気をつけること…」


 「…なにに、気を付けるんですか?…」


 「…我欲…己の欲望…」


 「…我欲…」


 「…それよりも、他人に尽くしなさい…」


 「…他人に?…」


 「…今、アナタがやっている看護師…それこそが、他人に尽くすことじゃないの?…」


 「…」


 「…それを続ければ、自然と我欲を抑えられる…自分の欲望を抑えられる…」


 「…」


 「…看護師という職業のいいところは、数多くのひとと、出会えることです…」


 「…数多くのひと…」


 「…入院患者は、入れ替わります…これは、当たり前ね…だから、例えば、この五井記念病院に勤めていても、患者の面子は、自然と変わる…」


 「…」


 「…その結果、数多くの人間と接することが、できる…数多くのひとと、会うことができる…」


 「…」


 「…それは、この看護師という仕事の利点…他の職業では、あまりない利点です…」


 「…それが、一体、なんの…」


 「…少しでも、多くのひとと接する…老若男女を問わず、接する…そうすれば、この世の中、いろいろな人間がいるものだと、知ることができる…実感ができる…」


 「…」


 「…本を読んだり、ネットで、知った記事ではなく、生身の人間と接することで、おおげさに、言えば、自分の世界が、広がる…」


 「…自分の世界…」


 「…その結果、アナタの器が広がる…」


 「…」


 「…ところで、誰が、アナタに看護師になれと、言ったの?…」


 「…母です…」


 「…そう…ならば、きっと、アナタのお母さまは、こうなることを、予見していたのかも、しれない…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…アナタのお父様が、いずれ、危ない目に遭うかも、しれないと、考えていたのかも、しれないってこと…」


 「…」


 「…もしかしたら、そのために、アナタに看護師の道に勧めたのかも、しれない…」


 「…」


 「…もっとも、これは、うがちすぎ…私の思い込みに過ぎないかも、しれない…」


 「…」


 「…いずれにしろ、五井長井家は、本家で、一時預かりとします…復活するか、どうかは、アナタ次第…」


 「…私次第…」


 「…名目上は、アナタの義理のお母さま…長谷川センセイのお姉様を、暫定的な当主に、据えますが、地位もお金も、もう、ほとんどないでしょう…」


 和子が、断言する…


 「…だから、アナタは、一般人…もはや、五井長井家の人間でも、なんでもない…いえ、五井長井家出身であることは、事実…五井の血を引くのは、事実…でも、もはや、なんの力もない…だから、誰も、アナタに近寄らない…なんの力もなくなったアナタに、近寄らない…もちろん、あのユリコも…」


 「…」


 「…でも、それでも、アナタが、五井の血を引くのは、事実…まぎれもない事実…だから、気をつけなさい…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…アナタを利用しようと思う人間が、今後も現れるでしょう…今回のユリコのように…」


 「…」


 「…でも、それが、五井の宿命…五井に生まれた者の宿命…誰も、そこから、逃れることは、できない…もちろん、私も…」


 「…」


 「…これは、お金持ちの家に生まれた宿命ね…」


 和子が、笑った…


 「…だから、長井さん…他人に利用されない…他人に隙を見せない…そして、ひとを、見切る…」


 「…ひとを、見切る?…」


 「…どんな人間か、わかるようにする…信用できるか否か、自分自身で、判断できるようにする…」


 「…」


 「…そのためには、看護師のように、さまざまな人間と接触できる仕事が、いい…きっと、アナタのお母さまの狙いもそれね…」


 和子が、笑った…


 実に、楽しそうに、笑った…


 そして、


 「…おしゃべりは、これで、おしまい…さっさと、仕事に戻りなさい…」


 と、別人のように、厳しい表情で、告げた…


 これには、長井さんも、驚いた様子だった…


 が、


 不満も見せず、


 「…今回は、申し訳ありませんでした…」


 と、和子に頭を下げて、席を立った…


 そして、おおげさに、言えば、逃げるように、この場から、立ち去った…


 彼女にしてみれば、一刻も早く、この場から、逃げ出したかったに違いない…


 それが、動作に現れたということだ(笑)…


 私は、彼女の後ろ姿を見て、そう、思った…


 そう、考えた…


 そして、彼女が、立ち去ると、私は、和子と二人きりになった…


 五井の女帝と二人きりになった…


 正直、息苦しい…


 プレッシャーが、半端なかった(苦笑)…


 とりわけ、今、見た長井さんの父親の末路を聞いたから、なおさらだった…


 和子は、私と二人きりになると、


 「…寿さんも、今度の件では、迷惑をかけたわね…」


 と、私に言った…


 …迷惑?…


 なんの迷惑をかけられたのだろ?


 私は、思った…


 私は、考えた…


 すると、それが、私の表情に出たのだろう?


 「…寿さん…私が、アナタになんの迷惑をかけたか、わからないようね?…」


 と、聞いた…


 だから、私は、素直に、


 「…ハイ…」


 と、頷いた…


 「…藤原さんのことです…藤原ナオキさん…」


 「…ナオキ?…」


 「…そう…藤原さんが、逮捕されて、アナタも随分、心配したでしょ?…」


 「…それは…」


 曖昧に、言葉を濁した…


 たしかに、その通りだが、それを、口にすることは、できない…


 「…寿さん…ゴメンナサイ…」


 と、いきなり、和子は、言って、私に頭を下げた…


 私は、ビックリした…


 まさか、五井の女帝に頭を下げられるとは、思いもしなかったからだ…


 だから、私は、慌てて、


 「…お顔を上げて下さい…」


 と、言った…


 ずばり、懇願した…


 「…別に、私は、社長が、逮捕されても…」


 と、言った…


 慌てて、言った…


 が、


 和子は、納得しなかった…


 頭を上げた和子は、納得しなかった…


 「…寿さん…アナタにとって、藤原さんは、特別なひとでしょ?…」


 この和子の質問に、私は、答えられなかった…


 事実、その通りだったからだ…


 が、


 同時に、私は、伸明に憧れている…


 大金持ちの伸明に憧れている…


 正直、結婚したいと思っている…


 だから、どう言って、いいか、わからなかった…


 とっさに、なんと、言っていいか、わからなかった…


 「…寿さん…藤原さんのことを、好きじゃないの?…」


 直球だった…


 直球の質問だった…


 が、


 さすがに、この質問に答えないわけには、いかなかった…


 「…好きです…」


 と、即答した…


 「…でも、その好きが、男女の関係かと言うと…」


 正直、言えなかった…


 難しい…


 実に、難しい問題だった(苦笑)…


 どう、和子に答えて、いいか、悩む問題だった…


 だから、少し悩んで、


 「…長すぎた春というか…いまさらというか…」


 と、言った…


 「…それは、どういう意味?…」


 「…ナオキとは、もう知り合って、十五年になります…正直、昔は、男女の関係にありました…でも、今は…」


 「…今は…」


 「…今は、会社の同士というか…秘書として、長い間、ナオキを見てきました…ナオキを支えてきました…だから、男女の好きというより、互いに会社を支えた同士というか…」


 「…」


 「…それ以上に、家族という感じです…」


 「…家族?…」


 「…ユリコさんの息子のジュン君を含めて、家族という感じです…ジュン君は、ずっと、ナオキの息子だと思って、育ててきました…ご存じかどうかは、わかりませんが、私は、ずっと、ジュン君と二人きりで、今のマンションで暮らしてきました…ナオキが、家を出たからです…だから、ジュン君をまるで、息子のように、面倒を見て、きました…」


 「…」


 「…私は、母子家庭出身です…唯一の肉親である母は、私が、中学のときに亡くなりました…だから、私は、天涯孤独です…だから、ナオキとジュン君は、家族…私にとって、疑似家族です…」


 私は言った…


 思いの丈を、和子に、言った…


 今さら、隠していても、仕方がない…


 いや、


 それどころか、私が、口にしなくても、すでに、和子は、知っているだろう…


 とっくに、私の身辺調査は、したはずだ…


 だから、言った…


 正直に、言った…


 すると、和子は、笑った…


 実に、楽しそうに、笑った…


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