雑談(のつもりだったけど結構大事なこと話してるわ)
軽い運動、というと、思い浮かべるのはテレビやスマホで動画を見ながらスクワット十回とか、家の周りをちょっとウォーキングしてみるとか、大概の人はその程度だと思うだろう。
「スティラさん、まだやるんですか!?」
「今日は昼ご飯のあとストレッチだけにしたから、もうちょっと。疲れたならミコトは休んでていいよ、これから出かけるし」
スティラは家でできる運動にしようと言いながら、踏み台昇降をかれこれ数十分は続けている。その上、手には握力を鍛えるための器具をもち、握ったり放したりしている。みことは当然ながらデスクワーク続きで体がなまっており、数分で息が切れてしまった。握力を鍛える器具も、スティラが貸してくれたものは、みことが力いっぱい握ってもどれもびくともしなかった。一体何キロ必要で、スティラの握力が何キロなのか、まったく見当がつかなかった。
「それよりも、急に前ももとふくらはぎに負荷かけたから、何もしないと筋肉痛になるよ。前もも伸ばすストレッチとかしとくといくらかマシだよ」
確かに、みことは自分の体が軟らかくない自覚があった。学生時代にバスケットボール部の友人が、フットワークのトレーニングで前ももを筋肉痛にして、歩きにくそうにしていたのを思い出すと、スティラの言葉に従っておいた方がよさそうだった。
「私の世界だと湿布っていうシールみたいな薬があって、それを筋肉痛になりそうなところに貼っておくと筋肉痛が和らいだりしたんですけど、そういうのってあるんですか?」
「あるよ。筋肉痛に効く薬草のエキスを抽出して、それを布に染み込ませて貼っとくみたいな感じかな」
「護符術じゃないんですか」
「やるなら少なくとも水属性の護符がいるね。医療系は難しいんだよ。水属性を使えた上で、人の体の構造を熟知してないと正しい治療効果が得られなかったりするから。あとは、ケガとか病気の種類によって他の属性との複合術が必要だったたりして、それもまた難易度を上げてる。だから医療系のちゃんとした護符術者は貴重だし、反対にヤブもまあまあいるよ。そうなると、きちんと効く薬に頼ったほうがまだいいってことになる。安易に護符術での治療を勧めたりしないのがいい医者の一つの条件かも」
説明を聞くに、ゲームのように回復魔法を唱えてぱっと傷が治るような世界ではないことは確かだった。大ケガや大病をしたら、腕のいい医者がいなければ治らず、いたとて治るかどうかは怪しいというところは現実世界と同じで、その割に護符術という致死ダメージを簡単に与えられそうなものが存在する。スティラは戦闘にもかなり長けていそうな雰囲気があるが、みことには格闘技の心得など、もちろんない。今朝の朝市のようなひったくりくらいならまだしも、凶悪な意思をもった人が近づいてきたら? ――悪い方向に考えてしまうのは良くないくせだと思い、みことは頭を振った。
「大丈夫だよ、ミコト。確かにルルちゃんの言ってた通り、悪いやつはいるにはいるよ。でも、攻撃用の護符術って、まず難しいんだわ。そんでもって、相手を傷つけるための護符術よりも、自分の身を守る護符術の方が簡単に発動できるようになってるんだ。身を守るための護符術は、大抵護符に触れたまま使うから彩気のコントロールが簡単なんだけど、攻撃のための護符は手から離すことが多くて、そうなると途端に彩気のコントロールが難しくなる」
そうか、とみことは思う。ひったくり犯が自分の足を速くするだけの護符術を使っていて、周りの人を直接傷つけるような術ではなかったのは、そもそもそれが難しかったから。スティラは護符術に相当長けている側なので、あの拘束術を出せた――。
「私、みんながみんなスティラさんくらいとは思わなかったんですけど、とはいえ普通に護符術をバンバン使えるんだと思ってました」
「あはは! その辺は、護符術の大きい大会見るといいかもしれないね。普通がどのくらいのもんかってのはさ。とはいえ、世界大会はちょっと前に終わっちゃったんだよなー……年に二回で一回に一属性ずつやるんだ。前回土だったから、次は風なんだけど、アタシはあんまり風得意じゃないから出場はしないかな」
このスティラの口ぶりからすると、彼女の得意属性に含まれていた土属性では大会に出場したようだった。ベルノの話ではスティラは世界でもかなりの実力者ということだったので、もしかしたら優勝したのではと思い、みことは素直に尋ねてみることにした。
「土属性のときは出たってことですか? もしかして、優勝したとか」
「出たけどさすがに優勝は無理だったねー。土はね、んーと、この世界には長命種がいくつかいるんだけど……ルルちゃんとは別の長命種のお嬢様がもうぶっちぎりで強いし上手いしで、その子が取ってったよ。しかも百五十歳くらいだから、あの種族の中ではまだまだ若手らしくてさ。向こう三十年くらいは土で優勝するのは厳しそう」
「三十年……?」
「ああ、十回連続で優勝すると殿堂入りになって、大会には出られなくなるんだよ。で、一属性に注目すると、世界大会は三年に一回だから、まあ約三十年。フツーの寿命の人にはこの年月も結構キビシーけどね」
「……ということは、そのお嬢様、って、初優勝だったんですか?」
「うん。何回か大会には出てたけど、それまではルルちゃんが出た回は優勝してたんだよね。お店が忙しいときと大会がかぶったときはお店優先してたから連続優勝でもなくてさ。そんで、ルルちゃんは『もう大会はいいや〜』って言ってたから、殿堂入りはしてないけど、もう出る気ないんだと思う。大会用の護符の用意も大変だし、お店はここんとこずっと忙しそうだったから、もうお店に注力したいんじゃないかな」
そんな実力者かつ、多忙な人が、自分のために時間を使って良いのだろうか、とみことは疑問に思う。それが表情に出ていたのか、心配しなくていいよ、とスティラは言う。
「ルルちゃんもさ、アタシと同じで面白そうなことには首突っ込みたいタイプなんだよ。大昔になくなった弩級に難しい術の再現、しかも理論上使える人がいないって話なのに、使えそうな人が出てきたとなりゃあ、面白いことこの上ないでしょ。それに、忙しかったら忙しいってちゃんと言ってくれるから。安心して」
スティラの笑顔に、みこともつられて笑みがこぼれた。現実世界の職場では、気難しい年配の営業や、他部門のお局様など、気を遣ってばかりで、それでも気遣いや察する力がが足りないと理不尽な文句を言われることも多かったことを思い出す。コミュニケーションに余計な煩わしさがないというだけで、こんなに楽だとは。みことは一つ、伸びをした。
スティラも踏み台昇降をやめ、一息ついた様子だ。実はしゃべっている間もスティラは踏み台昇降を続けていたのだが、息をまったく切らしていない。スティラの化け物じみたフィジカルに、みことは慣れてきたのか、あまり驚かなくなってきていた。
「ふう、少しだけど動けはしたな。歩いていったら開店時間にちょうど良さそう。ほら、朝市行く途中でさ、声かけられたとこあったでしょ。今日はそこに行こ」
あの恰幅のいい男性の店か、とみことは思い出す。スティラが親しげに話していた様子からして、その店の常連であることは明らかだった。となれば、顔なじみの客、スティラが仲間だと言っていた人物もいるだろう。
二人は支度を済ませ、オレンジがかった空の下、飲み屋街へと繰り出していった。




