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第二章② 元マクシミリアン隊

 馬車の影が朝靄に溶けて消えた後、衛兵たちが「戻れ」と短く命じた。鎖の軋む音が響き、マクシミリアン隊の隊員たちは一人ずつ再び城内の石牢へと押し込められていく。分厚い鉄扉が閉ざされると、石と鉄の冷たさだけが支配する空間が残った。

 やがて、壁際に腰を下ろしていたダヴィットが低く吐き出すように言った。

「……グウェナエル、あいつも……いよいよ逝ったか」

 その声には皮肉も怒りもなく、ただ深い諦観と哀惜が滲んでいた。

「隊の誰よりも、律儀に、真っ直ぐに……。馬鹿みたいに正しい奴だったのにな」

 ダヴィットは拳を膝に落とし、鉄の鎖が乾いた音を立てた。誰も返す言葉を見つけられない。

「……結局」

 ダヴィットの呟きに続くようにジョルジュが口を開いた。

「復讐も失敗に終わったんです。存在自体が剣みたいだったあの人も、無駄死にじゃないですか」

「おい、それは言い過ぎだろう」

 ダヴィットが即座に反論した。

「グウェナエルは俺たちと一緒に戦った。あいつの死が無駄だなんて、俺は認めねぇ」

「けど、結果は事実だ」

 重い鎖の音を鳴らしながらサミュエルが低く言い放った。

「大元帥は生きてる。マクシムの復讐は果たせなかった。あいつは……グウェナエルは報われずに逝ったんだ」

「それでもだ!」

 ダヴィットが堪えきれずに声を張り上げる。

「俺たちがこうして生きてるのは、グウェナエルが身を張ってくれたからだろ! 無駄なんかじゃない!」

 言葉が交錯するたびに牢の空気は熱を帯び、しかしその熱は行き場をなくして石壁にぶつかっては虚しく消えていく。

 シャルルだけは何も言わず背を壁に預けたまま静かに皆を見ていた。その沈黙は彼なりの答えだった。

 その時、リゼーヌが低く呟いた。

「……わたしたち、この先どうなるのでしょうか」

 声は小さかった。だが、狭い牢内には十分すぎるほど響き渡った。リゼーヌは顔を伏せ、指先をいじりながら続ける。

「隊長は怪我で寝たきり。ルキフェルも同じ。……あの人たち、助かるのでしょうか? それとも、治ったら処刑されるの?」

 その言葉に口々に言い合っていた隊員たちが一斉に黙り込む。誰も答えられなかった。シャルルの瞳だけが淡く光を帯びていた。声を発することなく、じっとリゼーヌの横顔を見つめる。

 スザンヌが小さく肩をすくめて自嘲気味に呟いた。

「これで、実家の名を汚すことになりました」

 リラも俯きながら口を開いた。

「父は……天国で恥じているに違いない……」

 二人の声は震えていたが、牢の冷たい空気に溶け込むように静かに響いた。それぞれが目を伏せ、言葉を押し殺す。

 牢内の重苦しい沈黙の中、今度はペネロペが小さな声で口を開いた。

「ルキフェルたちは復讐を止めたいと言って、実際にやってのけた。けど、あいつらだって海軍を殺し回ってたのに…どうして、あたしたちだけ牢の中なんだろう……」

 その言葉に短く鋭い返事が返る。

「実行犯だから」

 ロザリーの声は冷静で無駄な感情を含まない。言葉は短いが、その重さは牢内に確実に響いた。

 ペネロペは小さく息をつき、視線を伏せる。

 沈黙の中、シャルルがゆっくりと口を開く。

「……最愛の友人を失った。確かにな。でも、忘れてはいけない。ぼくたちは、多くの命を奪ったんだ」

 言葉は冷たく重く、石壁に反響する。

「その者たちにも家族がいるだろう。ぼくたちが今後どんな目で見られるか、その罪の重さを決して忘れるな」

 ダヴィットは肩を落とし、床を見つめる。リゼーヌは唇を噛み、手を握りしめた。

 ジョルジュは拳を握り、指先が白くなっている。誰も声を出せず、ただ自分たちの行いと、失った友のことを静かに噛み締めるしかなかった。

 重苦しい沈黙を破ったのはアニータだった。小さく息を吐きながら震える声で口を開く。

「……それでも最後に、一瞬でもグウェナエルの姿を見ることができて……よかった」

 その言葉が牢内に落ちたとき、重く澱んでいた空気が、ほんの一瞬だけ和らいだ。誰も言葉を返さなかったが、誰も否定しなかった。

 鉄格子の向こうから差し込む細い光が、石畳の上に揺らめき、囚われの影を淡く引き延ばす。


 エリオットの執務室は静かな緊張に包まれていた。厚い木製の机に向かい合い、エリオットとアルフォンスが被害状況の報告を交わす。

「中庭での戦闘は予想以上の損耗です」

 アルフォンスが書類を手にしながら静かに報告する。

「あの二人は、特別治療室で処置中か」

 エリオットは淡々とした声で問い、深く息をついた。アルフォンスは頷き、隊員たちの負傷状況、中庭の被害範囲、海軍側の損害、そして捕縛されたマクシミリアン隊の処遇を続けて報告する。エリオットは書類に目を落とし、眉間に深い皺を寄せた。

「これで、まずは収束に向けた基礎は整いましたね」

「ああ。だが、各隊員の治療と処遇、そして王宮への報告…まだやるべきことは山積みだ」

 エリオットの声は静かだが鋭く、戦場の指揮官としての決意が滲む。窓の外では朝の光が城壁に差し込み、中庭の荒廃した景色を淡く照らしていた。

 エリオットは深く息をつき、再び書類に目を落とした。



 冬の冷たさは少しずつ緩み、ブレストの街に春の気配が忍び寄っていた。

 凍てついた川面の氷は徐々に溶け、湿った土の匂いとともに新しい息吹を運んでくる。

 夜空を見上げれば、かつて強く燃えた紅い星と二つの蒼い星はいつの間にか空の彼方へと消え、静かな夜の闇に溶けていった。

 ソフィーは城壁の上から海を見下ろし、ゆるやかに揺れる波を眺めた。深呼吸すると冷たく湿った空気が胸の奥まで届き、ずっと渦巻いていた戦いの記憶が少しずつ静まるのを感じる。


 やがて、日々の治療と安静の甲斐あってマクシムはほぼ完治に至った。

 折れた右腕を抱えるルキフェルも戦場での痛々しい痕跡は次第に薄れ、日常を取り戻せるほどの回復を見せていた。しかし、マクシムは国家の最重要重罪人として再び牢屋へと送られる。


 一方、牢に閉じ込められていた他の隊員たちはブレスト城内で自由に過ごすことを許されることになり、窓から差し込む光の下で城内の庭や通路を行き来できるようになった。

 ソフィーもまた事件の重要参考人としての役目を終え、一応の自由を手にした。


 柔らかな朝日が城内の石畳に差し込む。

 ソフィーは朝食を整えながら海賊たちの様子をちらりと見やった。

 ニールは城の庭で小さな花壇の土を掘り返している。

 マテオは壁に寄りかかり、暖かな日差しを浴びてうたた寝の真っ最中だ。

 コリンは何やら小さな木片を削りながら手先の作業に没頭している。

「おはよう、皆」とソフィーが声をかけると、ニールは土まみれの手を振って笑い、マテオは伸びをして目を細め、コリンはちらりと顔を上げて軽く頷いた。

 ジャスパーは階段の手すりに肘をつき、遠くの海を思い描いているようだ。


 皿を並べ、簡単な朝食を口に運びながらコリンが不機嫌そうに腕を組む。

「それで? これからどうなるの」

 隣でコーヒーをすするジャスパーが肩をすくめ、淡々と答える。

「あの大元帥が王宮に手紙送ったらしいぞ。マクシミリアンとその部下たち、あとおれたちの処遇をどうするか聞いてるな」

 ソフィーはパンを齧りながら小さくため息をつく。

 マテオは黙って両手でナイフを握り、焦点の定まらない目でテーブルを見つめている。

 ニールは口の端に笑みを浮かべるが、それはどこか皮肉めいていた。

 ジャスパーは手元のコーヒーカップを軽く打ち鳴らし、少し声を落として言う。

「まあ……おれたちは生きてここにいる。まだなんとかなるだろう」

 コリンはぶすっとした顔のまま、視線はソフィーに向けられる。

「ソフィーだってあの事件で色々巻き込まれたよね」

 ソフィーは静かにうなずき、パンのかけらを噛みながら言った。

「ええ、でも……今は、とにかく目の前のことを見ていくしかない」

 マテオがナイフを置き、眉をひそめながら口を開く。

「ルカはどこいった?」

 ニールはテーブル越しに軽く笑みを浮かべて答える。

「マクシミリアンのところじゃない? よく面会に行ってるよ」

 ジャスパーはコーヒーをひと口飲み、軽く肩をすくめる。

「それにしても……あの二人、よく回復したな」

 ソフィーはパンを手に取り、静かに口を動かす。

「……ほんとに」

 窓から差し込む春の光が柔らかくテーブルを包む。庭の木々は淡く芽吹き、風が優しくカーテンを揺らす。戦いの傷跡はまだ残るが、束の間の平穏が彼らの間に広がっていた。

 ソフィーは食卓を後にし、海賊たちと別れるとブレスト城内の隊員たちの様子を見に行く。歩き始めて間もなく城内の警備兵がそっと近づき、一通の手紙を差し出してきた。

 叔父からだ。ソフィーはすぐに封を切り、紙面に目を走らせる。


 無事にエトルタに到着しました。これから新しい生活を始めます。

 ブランシェ殿の墓の手配も済ませました。葬儀の立会人は私と妻、そして葬儀を快く引き受けてくださった神父さまのみで行います。

 なおリー・ウェンは到着後、あの黒い馬に乗って颯爽とそちらに帰って行きました。


 その一文を目にした瞬間、ソフィーは思わず吹き出してしまった。

 黒い馬に乗ったリー・ウェンの姿を想像するだけで、風と一緒に駆け抜けていったかのような気配が脳裏に浮かぶ。久しぶりの軽やかな音となって静かな城内に響いた。そして、ソフィーは再び紙面に目を光らせる。


 ソフィーが今どうしているか、私とクラリスも心配でたまりません。

 また三人で穏やかに過ごせるよう私も尽力する。

 ——だから今度こそ、必ずみんなで穏やかに過ごそう。


 胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 遠く離れた叔父夫婦が静かに手続きを進めてくれたこと。それだけで心が少し軽くなる気がする。

 ソフィーは手紙を丁寧に折りたたむと、隊員たちの元へと向かっていった。柔らかな日差しの差し込むホールには、貴族出身の隊員たちを中心とした面々が待っていた。

 みんな、それぞれ手紙を読んでいたようだ。空気は一瞬張り詰めたものの彼らの表情には怒りや動揺ではなく、どこか諦めと予想通りの色が混じっていた。

「……ふん、思った通り」

 シャルルは手紙を軽く握りつぶすようにして呟く。実家からの怒りの文面と勘当の通知が書かれているのは明白だが、彼の瞳には驚きはない。

「まあ、想定内よね」

 リラも淡々と言った。ダヴィットは肩をすくめて苦笑し、サミュエルは何も言わずに手紙を折りたたむ。

「やっぱり、こうなるんだな」

「……当然ですね。私たちは自分で覚悟して加担したんですもの」

 リゼーヌは手紙に目を落としつつも、凛とした落ち着きがあった。彼女の隣でスザンヌは苦笑している。

「やっと縁が切れた。せいせいする」

 ロザリーは手紙を机の上に置き、皮肉交じりに笑った。

 全員が加担の代償として受け入れるべき結果だと知っていたからだ。

 ソフィーは少し間を置き、柔らかな声で尋ねた。

「皆さんは……これから、どうしたいとか、ありますか?」

 シャルルは手紙を机に置き、遠くを見るように瞳を泳がせる。

「ぼくは……どうだろうな。とりあえず、溜めたままで手をつけていなかった本でも読もうか。この先のことは、今は考える気になれん」

 リラは小さく肩をすくめ、静かに笑った。

「私は……海のそばで少しでも穏やかに過ごせればいいわ」

 ダヴィットはリラの横で苦笑しながら肩を叩く。

「まあ、俺も似たようなもんだな。しばらくはゆっくりしたい」

 サミュエルは短く言った。

「……自由に動けるなら、今はそれでいい」

 リゼーヌは軽く手を組み、凛とした表情で答える。

「私は……家族の呪縛から離れて、やりたいことを見つけたいです。春の星空観察とか」

 スザンヌは少し首を傾げ、微笑みを混ぜて言った。

「ふふ、まずは実家に顔を出さずに済む日々を楽しみたいですわ」

 そしてロザリーは、やや誇らしげに手を組み替えながら言った。

「私はもう、何も縛られない。これからは自分のために生きるだけよ」

 重苦しい空気が少しずつ溶けていった。その後、ソフィーはふと思い出したように言葉を続ける。

「そういえば、叔父から手紙が届きました。グウェナエルさんの葬儀と墓の用意を、ただちに行なったそうです」

 隊員たちはその報告に小さく頷き、胸の奥で少しだけ落ち着きを取り戻した様子だった。

 リラがそっと息を吐き、目を伏せながらも微かに笑む。

「ありがとう、隊長とグウェナエルの元に駆けつけてくれて」

 シャルルは軽く肩をすくめ、しかし柔らかい目でソフィーを見つめた。

「グウェンも、最期に君と逢えてよかったと思うよ」

 ソフィーは静かに頷く。

「ええ、安心して旅立って行きました」

 ソフィーの言葉に、隊員たちは一瞬沈黙した。

 ダヴィットは拳を軽く握り、静かに言った。

「……俺たちがここまで来られたのも、グウェナエルのおかげだな」

 隊員たちは互いに言葉少なに頷き合った。

 シャルルが小さく肩をすくめ、軽く笑った。

「さて、ここで解散しますか。あんまり集まってると変な疑いをかけられる」

 ロザリーはまだ少し笑みを浮かべながら立ち上がった。

「これで本当に一区切りね」

 窓の外には春の朝の光が差し込み、少しずつ温かさを帯びていく。

 あの紅い星と二つの蒼い星は消え、静かに春の空だけが広がっていた。

 隊員たちは互いに軽く笑い合い、それぞれの道へと歩き出す。

 ソフィーも心の中で小さな決意を固めながら彼らの後ろ姿を見送った。

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