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第九章① ソフィー

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          特集記事

     「ルキフェル脱走劇──港町騒然」

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 昨日早朝、港湾都市トゥーロンで行われた五鬼衆の頭目にして

 凶悪海賊ルキフェルの死刑執行は、前代未聞の混乱の末、中断された。

 処刑用の船に乗せられたルキフェルは執行直前、突如として白煙に包まれ、

 煙が晴れた時にはその姿は忽然と消失していた。


 さらに五鬼衆の残る四名、ならびに元マクシミリアン・ブーケ隊の囚人たちも同時に脱走。

 徒刑所の牢は破壊され、市街は一時深刻な混乱に陥った。

 火器使用の痕跡は確認されていないものの、処刑に使用された船も行方不明となっており、

 当局は計画的犯行の可能性が高いとして捜索と調査を続けている。


 現場付近にいた市民の証言によれば、一連の脱走は極めて迅速かつ統率の取れた動きだったという。

 当局関係者は「現場はすでに制圧された」としているが、港湾部を中心に警戒態勢は続いている。


「やはり、奴は"東洋の悪魔"、鬼だ」


 事件後、そんな囁きが再び街に広がっている。


 ────────────────────────


 ソフィーは新聞を胸に抱えたまま、しばらく動かなかった。視線は紙面に落ちているのに文字はもう追っていない。白煙。消えた船。徒刑所の破壊。同時多発的な脱走。つぎはぎの情報が、頭の中でゆっくりと噛み合っていく。

「……やっぱり、全部つながってる」

 ぽつりと声が漏れた。海上の処刑場。混乱を起こし、視線を集める。その裏で徒刑所が破られ、囚人たちが解き放たれる。時間差。役割分担。無駄のない動き。

「計算通り、だね……」

 胸の奥がまだわずかに震えている。怖くないわけじゃない。けれど、頭の中は驚くほど静かだった。

 なぜ、ここまで用意したのか。なぜ、自分を含めて誰も巻き込まなかったのか。答えは、考えるまでもなかった。

 責任を、全部自分で背負うつもりだった。最小限の犠牲で、最大限の自由を手に入れるために。

 ソフィーは新聞をゆっくりと畳み、机の上に置く。指先がほんの少しだけ震えた。

 英雄。反逆者。鬼。呼び方はいくらでもある。けれど、昨日あの場で見た「英雄の崩壊」が、彼女の心を不思議なほど冷ましていた。

「……この状況でも、ちゃんと考えられる」

 誰に言うでもなく、そう呟く。


 重たい廊下を抜け、ソフィーはエリオットの執務室の扉を静かに開けた。軋む音は小さかったが、室内の張りつめた空気にはっきりと響いた。

 中にイザベル、ルソー、アルフォンス、ベルリオーズ。

 全員がそれぞれ机に向かい、書類を広げ、報告を書き込んでいる。

 誰も顔を上げない。声もない。ただ紙をめくる音とペン先のかすかな擦過音だけが部屋を満たしていた。机の上には今朝の新聞。現場の状況をまとめた報告書。脱走経路を推測した走り書きのメモ。散らばった紙の隙間から昨日の混乱が「出来事」として切り分けられ、冷静な言葉に置き換えられていくのがわかる。

 ソフィーは邪魔にならないよう、そっと椅子を引いて腰を下ろした。胸の奥にはまだ小さなざわめきが残っている。けれど、目の前に積み上がる情報と黙々と作業を続ける彼らの背中を見ているうちに思考が自然と切り替わっていくのを感じた。視線を落とし、資料を一枚ずつ追う。

 そこに並ぶのはルキフェルたちの動きと、それに呼応して起きた混乱の連鎖。

 偶然じゃない。衝動でもない。すべてが意図された流れだ。

 ソフィーは小さく息を吐き、視線を前に戻した。

「……ここから、だね」

 誰に向けた言葉でもなかった。けれど、その一言で自分の立ち位置がはっきりした。

 昨日までとは違う。もう、ただ巻き込まれる側じゃない。情報を読み取り、全体を見て、次を考える。それが今の自分にできることだ。執務室には相変わらず重たい沈黙が漂っていたが、ソフィーの頭の中だけは静かに回り始めていた。執務机いっぱいに広げられた報告書を上から順に目で追っていく。

 最初に目に入るのは、海上処刑場の調査報告。乾いた文字の列の向こうに計画的に仕組まれた「騒動」の輪郭が透けて見える。


 海上処刑場調査報告(速報)


 一、処刑の経緯

 処刑は、関係者全員の証言によれば当初は滞りなく進行していた。

 不審人物の侵入や明確な異常行動は事前には確認されていない。


 ——最初から騒がせる気はなかった。その気になれば静かに終わらせることもできたはずだ。


 二、港で発見された監視官について

 騒動後、港湾倉庫内にて新人の監視官が発見された。

 衣服や装備はすべて剥ぎ取られており、峰打ちによって気絶していた形跡がある。命に別状はなし。

 この状況から五鬼衆の一員が監視官を襲撃し、変装した可能性が高いと判断される。


 ——殺していない。ここでも線は越えていない。


 三、白煙発生の状況

 船上で発生した白煙については布片および火薬の残骸が確認されており、爆弾によるものと推測される。

 処刑執行人の証言によれば、「甲板にボール状の物体が投げ込まれた直後に爆発、白煙が広がった」とのこと。また船上・船内の両方から爆弾の残骸が確認されており、複数箇所で同時に白煙が撒かれた可能性が高い。


 ——視界と意識を、完全に奪うため。


 四、侵入者の有無について

 当初は、監視官に変装した海賊による単独犯行と考えられていた。しかし、別の監視官の証言により「変装していた人物は騒動中、特に何もしていなかった」との報告があがる。

 この証言から、船内には変装海賊とは別にもう一人以上の侵入者が存在した可能性が浮上している。


 ——役割分担。一人が目を引き、もう一人が動く。


 五、推測される経路と手口

 ・海賊の一人が監視官を襲撃し、変装。

 ・変装した海賊が船内への侵入を補助。

 ・処刑のタイミングに合わせ、別の侵入者が爆弾を設置。

 ・白煙により船上・船内を撹乱。


 当初、ルキフェルの逃走経路は海上への飛び込みが想定されていたが、処刑用の船そのものが行方不明となったことから船内に潜伏したまま奪取された可能性が高い。なお新人監視官に変装していたと見られる海賊は徒刑所到着後の騒動以降、目撃されていない。


 ソフィーはゆっくりと息を吐いた。

「……ほんとに、綺麗な手口」

 偶然でも衝動でもない。最初から、ここまで見えていた。

 ソフィーは報告書の端に指を添え、静かに次の資料へと視線を移した。

 次に彼女が目を落としたのは、徒刑所脱走に関する報告書だった。紙面に並ぶ文字は海上処刑場のそれよりも荒々しく、どこか暴力的な匂いを帯びている。


 トゥーロン徒刑所脱走調査報告(速報)


 一、施設管理状況

 徒刑所内は当日も厳重な管理体制が維持されていた。

 看守の配置、人員数ともに通常通り。

 火器の使用、煙の発生はいずれも目撃されておらず、報告も確認されていない。

 牢の鍵が盗まれた形跡もなし。


 ——中から壊した、ってことね。


 二、元マクシミリアン・ブーケ隊牢屋の破壊状況

 該当牢屋の壁には火薬の痕跡や焼損は見られない。

 調査の結果、強力な衝撃波によって破壊された可能性が高いと推定される。

 牢屋外に設置されていた震撃砲は、本来であれば地面や砲台に固定される兵器であるが、現場には引きずった痕跡がなく時間をかけて慎重に移動された形跡が確認された。

 なお震撃砲はトゥーロン徒刑所の備品ではなく、外部から持ち込まれた可能性が極めて高い。

 入手経路および搬入経路については現在も調査中。


 ——持ち込み。しかも、相当慣れてる。


 三、その他牢屋の被害状況

 同時刻、他の牢屋でも衝撃波による破壊跡が確認された。

 これにより複数の囚人が脱走した可能性が高い。

 その後、徒刑所内は一時的に暴動状態に陥ったと推測される。

 使用された震撃砲の特殊弾は残弾なくすべて使用されていた。


 四、武器の特性と操作について

 震撃砲は本来、対船体用の兵器であるが、専門家の見解では城壁や牢屋への使用も十分可能とされる。

 牢内にいた囚人に重傷者が出ていないことから衝撃の間合いを正確に調整できる熟練の砲手が操作していたと考えられる。

 また衝撃波を主とするため、火薬の使用量は最小限で済んでいる。


 ——無差別じゃない。壊す場所も、加減も、全部計算してる。


 五、推測される経路と手口

 海上へ向かわず徒刑所内に残っていた五鬼衆の一員が外部から持ち込まれた震撃砲を用い、元マクシミリアン・ブーケ隊の脱走を支援した可能性が高い。なお計画外の事態として他の囚人も解放されたと見られる。

 その結果、徒刑所内は短時間で混乱状態に陥った。


 ソフィーは報告書から目を離し、静かに息を吐いた。

 壁を砕く衝撃波。精密に操られた震撃砲。想定外として切り捨てられた、他の囚人たちの解放。

 すべてが狂気じみているほど理詰めで、同時に自由の匂いがした。胸の奥がわずかに震える。けれどそれは、恐怖だけじゃない。

「……なるほど」

 声に出すか出さないか、その境目で呟く。頭の中ではもう分析が始まっていた。

「海と陸、同時進行。混乱を最大化して、その隙に仲間を逃がす……」

 指先で紙を押さえながら時間、距離、人数、武器の特性を組み立てていく。以前なら感情に引きずられていたはずの情報が今は驚くほどすんなりと整理できた。

「やっぱり……偶然じゃない」

 その言葉に恐れは混じっていない。ただの冷えた確信だった。

「……私も、動かないと」

 崩れ落ちた英雄の姿を見たあと、もう迷いは残っていなかった。今、必要なのは冷静な判断とそれに基づく行動だけだ。

 ソフィーは背筋を伸ばし、報告書を一度だけ見返してから視線を前へ戻した。机の上に広がる痕跡と証言の山。それは混乱の記録であり、同時に次の一手を示す羅針盤だった。

「……ちっ、やってられん!」

 突然、ルソーが椅子を蹴るように立ち上がり、羽ペンを机に放り投げた。インク壺が揺れ、黒い雫が報告書の端に飛び散る。

「戦場ならまだしもよ、こんな細っけぇ字の羅列を一日中相手にするなんざ拷問だろ。オレは剣振って兵を動かす方が、よっぽど性に合ってる!」

 大柄な身体で執務室をうろつき始めると張りつめていた空気がわずかにざわめいた。

「准将、落ち着いてください」

 アルフォンスが慌てて声をかける。

「これは現場記録です。乱雑に扱えば、せっかく集めた証言が台無しになります」

「分かってる! 分かってるが……これはオレの仕事じゃねえ!」

 ルソーは両手を振り回しながら不満を吐き出す。その様子を見ていたベルリオーズがそっと書類を引き寄せた。

「……よろしければ、私が代わりに整理しましょうか」

「おお、助かる!」

 即答だった。ルソーは子どもみたいな顔で笑い、ベルリオーズの肩をばんばん叩く。

「さすがだな! じゃあこの束、ぜんぶ頼む!」

「……全部、ですか」

 さすがにベルリオーズの口元が引きつったが、それでも何も言わずペンを取って机に向き直った。

 一方、ルソーはすっかり肩の荷が下りた様子で腕を組んだまま室内を歩き回り、窓の外を覗き込んだりしている。その様子を横目にソフィーはほんの少しだけ口元を緩めた。重苦しい空気の中で、こういう人間臭さが今は不思議と救いだった。

「准将……もしよろしければ、ですが」

 ソフィーが声をかけるとルソーはぱっと振り返る。

「お、話し相手か? それは助かる。机とにらめっこしてると気が滅入ってな」

 彼は大股でソフィーの前に来て、腕を組んだまま真っ直ぐに問う。

「なあ、正直に答えてくれ。ルキフェルの脱走計画……あいつから、何か聞かされてたか?」

 ソフィーは一度、静かに息を整えた。

「いいえ。何も。むしろ……私を遠ざけるような態度でした」

 ルソーは眉をひそめ、低く唸る。

「……そうか。じゃあ昨日の処刑だ。最後まで見ずに帰ったって聞いたが、どこで何をしてた?」

「……耐えられなかったんです。途中で自室に戻りました。騒ぎに気づいたのはずっと後です」

 ルソーの表情が少しだけ緩んだ。

「そうだったか……。昨夜は、眠れたか?」

 ソフィーは小さく首を振る。

「眠れるわけがありません。不安で……」

「……だよな」

 ルソーは頭をかき、苦笑する。

「オレもだ。ここにいる連中も、たぶん誰一人まともに寝ちゃいねえ」

 その笑みには隠しきれない疲労が滲んでいた。そして少し間を置いてから真剣な眼差しでソフィーを見る。

「正直に言う。お前も計画に噛んでるんじゃないかって疑ってた」

 ソフィーは息を呑んだが、何も言わず続きを待った。

「でもな……お前の証言と、看守や門番の目撃が一致した。本当に、部屋に戻っただけだってな」

 ルソーは深く息を吐く。

「……ホッとしたよ」

 その一言にソフィーの胸の奥が静かに揺れた。信じてもらえた。だが、それは何かを成し遂げたからではない。ただ疑いが晴れただけだ。安堵と同時にまだ形を持たない不安が沈殿する。それでもソフィーは視線を逸らさず、まっすぐに受け止めた。もう、逃げない。心の中で言い切った。

 ルソーがぱっと表情を変える。

「よし。話したら、ちょっと気が晴れたな」

 そう言って、わざとらしく大きく伸びをする。場の空気を切り替えるようなその仕草に、ソフィーの唇がわずかに緩んだ。その流れで彼女はふと思いついたように言う。

「……リー・ウェンを呼びましょうか。あの人なら、きっと退屈しませんよ」

 ルソーの目がぱっと輝く。

「おお、それはいい! 話は突拍子もねぇが、あいつの話は嫌いじゃねぇ。ぜひ頼む!」

 朗らかな笑いが執務室に広がり、束の間、重苦しさが和らぐ。だが、その空気を静かに切るようにイザベルがソフィーへと向き直った。

「ソフィー。来て早々で悪いんだけど……医務局に行ってくれない?」

「医務局、ですか?」

「ええ。エリオットの様子を見てきてほしいの。直接、あなたの目で」

 声は落ち着いているが、その奥に焦りが滲んでいた。

「……承知しました」

 ソフィーは迷いなく頷く。軽く一礼し、執務室を後にする。

 向かう先は中庭。おそらく、リー・ウェンがいる。

 医務局へ向かう前に彼に会うため、ソフィーは歩調を速めた。

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