表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/51

第五章⑥ 運命談義

 ソフィーは空を見上げ、やわらかな日差しに目を細めながら、ぽつりとこぼした。

「それにしても……不思議ですよね。マクシム隊と出会ったのも、グウェナエルさんと出会ったのも。あとから振り返ると、全部つながってたみたいで」

 ジョルジュが腕を組んだまま「うん」と頷く。

「まあな。偶然にしちゃ出来すぎだとは思う」

 リゼーヌも静かに同意する。

「いくつもの出来事が重なって、今がある……そんな感じですね」

 その穏やかな空気をアニータがわざとらしく横から切った。

「ねえソフィー。もしそれが偶然じゃなくて、最初から仕組まれてたとしたら……どう思う?」

 ソフィーはきょとんとして眉を寄せる。

「仕組まれてた、って……?」

 そこで今まで黙っていたリー・ウェンが静かに口を開いた。

「東洋では、『縁』という考え方をとても大切にします。偶然に見える出会いも実はすでに決まっていた必然だ、と」

 その声は穏やかで庭の空気にすっと溶けた。

「前世から続く縁、魂同士の結びつき……出会うべき人とは、どんな形であれ必ず出会うと考えるのです」

 アニータが目を瞬かせる。

「へえ……ロマンチックね」

 ソフィーは小さく息を吐いて、ふっと笑った。

「そう考えると……なんだか、くすぐったいですね。港でのあの出会いも、マクシム隊との縁も……意味があったのかも、って」

 シャルルが軽く肩をすくめ、にやりと笑った。

「『運命の赤い糸』ってやつだな。アニータとリゼーヌは聞いたことあるだろう?」

 ジョルジュの方を一切見ない。名前を呼ばれた二人は顔を見合わせ、少しはにかんだように頷く。

「うん……名前だけは知ってるわ」

「恋愛の話でよく出てきますよね」

 女子二人の会話を横で聞いていたジョルジュが少し遅れて口を開いた。腕を組み、わざとらしく咳払いをひとつ。

「……あの」

 間を置いてから、むっとした顔で続ける。

「なんでボクだけ聞かれてないんですか?」

 アニータが一瞬きょとんとし、すぐにくすっと笑う。リゼーヌも口元を押さえた。

 シャルルはわざとジョルジュをゆっくりと見やり、片眼鏡の奥で楽しそうに目を細める。

「おや。気づいてしまったかい、ジョルジュ」

 ジョルジュは眉をひそめる。

「なんでですか? ボクだってそのくらいの話、わかりますよ」

 シャルルはふっと笑い、わざとらしく首を振った。

「いやいや。『わかる』と『信じる』は別だろう?」

 片眼鏡の縁を指で押し上げながら淡々と言う。シャルルの言葉を聞いた瞬間、ジョルジュは間髪入れず声を上げた。

「ちょっと待ってくださいよ! なんでそうなるんですか! 聞いてもないのに、勝手に決めつけて!」

 アニータが思わず吹き出す。

「はいはい、出た出た」

 シャルルは一切慌てず、むしろ楽しそうに片眼鏡の奥で笑った。

「ほら、もう感情が先に走ってる」

「それが悪いみたいに言わないでください!」

 ジョルジュはむっとしつつもすぐに言葉を重ねる。

「運命でしょ? 赤い糸でしょ? 別に信じないって言ってません!」

 リゼーヌが首を傾げる。

「……じゃあ、信じてるんですか?」

「……」

 ジョルジュが一瞬だけ詰まる。

「……えっと……信じるっていうか……可能性はあるだろ! 世界広いし!」

 その様子にシャルルは完全に先輩士官の顔で頷いた。

「うん、今の返答。実に君らしい。勢いで肯定して、あとから理由を探すタイプだ」

「だからそれが何なんですか!」

 シャルルはわざとらしく肩をすくめる。

「いや、悪いとは言ってないさ。ただ、赤い糸の話はね」

 少しだけ声を落とす。

「理屈じゃなく、腑に落ちた瞬間に信じる人間向けなんだ」

 ジョルジュは一瞬、口を開きかけて止まる。眉をひそめ、悔しそうに唇を噛む。

「……なんですか、それ。じゃあボクは向いてないってことですか」

 シャルルは即答した。

「うん。今はね」

 アニータがすかさずツッコむ。

「今は、って言ったわよ。ジョルジュ」

 リゼーヌも小さく笑う。

「先輩、ちゃんとフォロー入れてます」

 ジョルジュは一瞬ぽかんとし、次の瞬間、顔を赤くして叫ぶ。

「今はって何だよ今はって! じゃあいつなんだよ!」

 シャルルはくすっと笑い、視線を外す。

「……命がけで誰かを守りたいって思った時、かな。君はそういうタイプだろ?」

 ジョルジュは言葉を失い、しばらく黙る。やがて、ぷいっと顔を背けた。

「……ちぇ。言い返せねえのが一番ムカつく」

 ソフィーは思わず微笑んだ。この人は考えるより先に動いて、誰よりもまっすぐに人を想う人なのだと。

 ジョルジュはぷいっと顔を背けたまま、ちらりとリー・ウェンの方を見る。少しだけ間を置いて、ぶっきらぼうに口を開いた。

「……なあ」

 全員の視線が集まる前にジョルジュは早口で続ける。

「もしかしてさ。リーも、その……赤い糸の話、知ってるのか?」

 一瞬の沈黙。

 リー・ウェンはきょとんとした顔で瞬きを一つし、あっさりと言った。

「ええ。知っていますよ」

 即答だった。ジョルジュの肩が分かりやすくがくっと落ちる。

「……だよな……」

 しかし、落ち込みきる前にリー・ウェンは間髪入れずに言葉を重ねた。

「もともと中国に伝わる、かなり古い伝説ですから」

 少しだけ口角を上げる。

「『月下老人』の話ですね」

 ジョルジュが顔を上げる。

「……げっか、なに?」

 アニータがくすっと笑い、リゼーヌが興味深そうに身を乗り出した。

「月の下のおじいさん、ですか?」

「そうです」

 リー・ウェンは頷き、指で空に小さな円を描くような仕草をする。

「夜、月明かりの下で赤い糸を持って人と人を結びつける老人がいる、という伝説です。身分も距離も関係なく、縁のある者同士を結ぶ存在だとされています」

 ジョルジュは腕を組み、むむっと唸る。

「……じいさんが勝手に決めるのかよ」

 シャルルがすかさず口を挟む。

「そこが『運命』ってやつだろう?」

 リー・ウェンはくすりと笑った。

「もっとも、東洋ではそれを縛りとは考えません」

 ソフィーがそっと視線を向ける。

「縛り、じゃない……?」

「ええ」

 リー・ウェンは静かに頷く。

「赤い糸は、引っ張られるものではなく、『何度離れても、自然と戻るもの』とされます。気づかないうちは、誰も無理に信じなくていい」

 その言葉にジョルジュの眉がわずかに動く。

「……信じなくて、いい?」

「はい」

 リー・ウェンは穏やかに続ける。

「信じたくなった時に、腑に落ちればいい。それだけの話です」

 その瞬間、シャルルがちらりとジョルジュを見る。ジョルジュは気づいたように目を逸らし、ぼそっと呟いた。

「……なんだよ。じゃあ、別に今わかんなくてもいいってことじゃん」

 リー・ウェンは月のない昼の空を見上げ、静かに言った。

「見えないからこそ、意味があるのです。見えないまま、確かに結ばれている——それが『縁』ですから」

 その言葉はソフィーの胸の奥でラピスラズリの光と静かに重なった。

「……そうか」

 ソフィーは小さく呟く。

「全部、意味があったんですね」

 朝の光が庭いっぱいに広がる。見えない糸の記憶は、今もソフィーの胸の奥で静かに輝いていた。


 庭の柔らかな日差しを背に、ソフィーはゆっくり歩き出した。さっきまでの笑い声が嘘みたいに、足音だけが石畳に残る。建物の影に入ると空気が少し冷える。扉の前で足を止め、ひと息ついてから中へ入った。部屋は静かだった。机の上には、グウェナエルの短剣が置かれている。

 ソフィーはそっと手を伸ばし、柄に触れた。

「……あの人が、ここにいた証みたい」

 それだけで胸の奥が落ち着いた。短剣を手に取り、庭へ戻る。朝の光に包まれると、木々の間にリー・ウェンの姿が見えた。背中に向かって、控えめに声をかける。

「リー……ちょっといい?」

 彼が振り返り、穏やかに頷く。

「どうしました?」

 ソフィーは短剣を両手で差し出す。

「さっきの話なんだけど……これ、直せるかなって」

 リー・ウェンは受け取り、刃先を丁寧に確かめた。

「……うん。問題ありません。少し時間はかかりますが、きれいに仕上げられますよ」

 その言葉にソフィーはほっと息をつく。

「ありがとう。リーにお願いできてよかった」

「お任せください」

 短剣を布で包む彼の手つきは、とても丁寧だった。それを見てソフィーは胸の内で思う。

 ——大切なものを、ちゃんと託せる人がいる。

 鳥の声が庭に響く。短剣を預けたその瞬間、ソフィーの中に穏やかな安心が広がっていった。

 リー・ウェンは短剣を包み終えたあと、ふと思い出したように視線を上げた。

「そういえば……あの首飾り、今も大事にしてるんですか?」

 ソフィーは一瞬だけ驚いたようにして、すぐに微笑む。指先で首元に触れると、銀の冷たさと宝石の感触が伝わった。

「うん。ずっと身につけてる」

 首飾りをそっと持ち上げる。龍と蛇が絡み合う銀細工の中央で、アクアマリンが朝の光を受けて輝いた。

 リー・ウェンは柔らかく目を細める。

「……大切な人との、約束の品ですね」

「そう」

 ソフィーは小さく頷いた。

「私にとっては、ただの飾りじゃないの。迷った時とか、怖くなった時に……ちゃんと前を向かせてくれるもの」

 リー・ウェンは少し考えるように間を置いてから穏やかに言った。

「なるほど。だから、あなたは立っていられるんですね。大切なものがある人は……強い」

 ソフィーは首飾りから手を離し、胸元に戻す。

「強いっていうより……思い出せる、って感じかな。自分が何を大事にしてきたか」

 リー・ウェンは頷く。

「なら、この短剣も責任をもって預かります。必ず、きれいにしてお返ししますよ」

「ありがとう、リー」

 その一言に胸の奥が軽くなる。風が庭を抜け、鳥の声がやさしく響いた。小さな宝石と、一本の短剣。どちらも今のソフィーにとって欠かせないものだった。

 ソフィーは首飾りを軽く握りしめ、視線を落とす。

「……ねえ、リー。もうひとつだけ、話してもいい?」

「はい」

 ソフィーは息を整え、静かに続けた。

「この首飾りをくれた子……ラウルって言うんだけど。大元帥の息子だったの」

 リー・ウェンの眉がほんのわずかに動く。

「……そうだったのですか」

「うん。二十年前の事件で……彼も、家族も、みんな亡くなったって」

 言葉が庭に落ちる。一瞬、風が止まったように感じられた。

 リー・ウェンはすぐには言葉を返さなかった。やがて、低く口を開く。

「……それは……重い約束ですね」

 ソフィーは頷く。

「でもね。だからこそ、私は忘れない。あの子との約束も、この首飾りも……全部」

 リー・ウェンは、迷いなく応じた。

「それでいいと思います。過去を抱えて生きることは、弱さじゃない」

 ソフィーは小さく笑う。

「……うん」

 庭に再び光が差し込み、アクアマリンが淡くきらめいた。

 過去の痛みも、失われた命も、未来への覚悟も——

 すべてが細い糸のようにつながって、今の彼女を形作っている。

 ソフィーは胸元の首飾りにそっと手を当て、目を閉じた。

 ——切れそうで、切れない糸。

 それが、運命と呼ばれるものなのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ