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第三章③ 裁判 開廷

 トゥーロンの裁判所は、重厚な石造りの建物だった。

 高い天井から差し込む淡い光が法廷を静かに照らしている。開廷を告げる槌の音が、乾いた音を響かせた。


 法廷に出席しているのは裁判官、書記官、検察官、弁護人。

 被告、マクシミリアン・ブーケとその隊員たち。

 参考人として呼ばれたソフィー・ルノアール。

 海軍側からは、エリオット・レオパード大元帥、イザベル・ボナパルト副司令官、ユルリッシュ・ルソー准将、アルフォンス・シャトレ司令官。

 そして、参考人として出席する海賊たち。

 傍聴席には噂を聞きつけた市民たちが詰めかけていた。


 隊員たちは互いに距離を置かれ、隔離された席に座らされている。

 中でもマクシムは首謀者として他の被告から離され、ひときわ孤独な緊張を背負っていた。

 海賊たちは参考人席に着き、警備兵が付き添っている。傍聴席から注がれる視線は生々しい好奇と期待に満ちていた。

 裁判官が静かに口を開く。

「これより、マクシミリアン・ブーケおよびその隊員による、エリオット・ド・レオパード大元帥暗殺未遂ならびにブレスト城襲撃事件について審理を行う。被告、参考人、関係者の出席を確認する」

 書記官が順に名を読み上げる。マクシム。隊員たち。ソフィー。海賊たち。全員の出席が確認されると、裁判官は視線を上げて告げた。

「被告マクシミリアン・ブーケ。証言台へ」

 マクシムは重苦しい空気の中、ゆっくりと歩を進めて証言台に立った。

 隊員たちの視線が一斉に集まる。被告でありながら、彼の背中は孤立していた。

 検察官が感情を排した声で問いかける。

「マクシミリアン・ブーケ。あなたはエリオット・ド・レオパード大元帥暗殺未遂、ならびにブレスト城襲撃事件の首謀者とされています。その事実を認めますか」

 マクシムは一瞬、目を閉じた。深く息を吸って吐き出してから、低くはっきりと答える。

「……認める」

 法廷が凍りついた。検察官は間を置かず、質問を重ねる。

 隊員たちへの指示。襲撃当日の行動。

 マクシムは時折声を抑えながらも逃げずに答え続けた。

 今この場で語られる言葉ひとつひとつが隊員たち、そして自分自身の運命を決める。

 その自覚が彼の姿勢を崩させなかった。

 ソフィーは証言台を見つめていた。胸の奥が強く締めつけられる。

 隊員たちは身じろぎもせず、彼の言葉を聞き逃すまいとしている。

 やがて、検察官が核心に踏み込む。

「では……今回の襲撃を決行した動機を、具体的に述べなさい」

 法廷の空気が重く沈む。マクシムは深く息を吸い、正面を見据えたまま言った。

「……報復です。フランス海軍に対する、報復のためにやりました」

 ざわめきが広がる。

「……報復、ですか」

 検察官が眉をひそめる。だがマクシムは動かない。その言葉の重さだけが法廷に落ちていた。

 ソフィーは膝の上で手を強く握りしめる。心臓が早鐘を打つ。

 ——報復。

 その一語が、事件の性質を冷酷なほど鮮明に浮かび上がらせた。

 検察官が声を強める。

「理由を述べなさい。なぜ、あなたは海軍を襲撃するに至ったのですか」

 マクシムはゆっくりと顔を上げ、法廷に集まるすべての視線を受け止めた。その瞳には、冷たさと同時に深い悲しみが宿っている。

「……おれは、多民族集団の出身です」

 低く、噛みしめるように続ける。

「その中で、ゼフィランサスは……島の仲間にとって恩人であり、英雄でした。彼を奪ったのが、フランス海軍です」

 誰も言葉を発しない。

「ゼフィランサスを失ってから、故郷の仲間たちは二十年苦しみ続けた。おれは、その怨みを晴らすために海軍に入りました。復讐の機会を、ずっと待っていた」

 隊員たちは息を詰め、ソフィーはただ彼の言葉を受け止めるしかなかった。

「……あのゼフィランサスが……」

 傍聴席から、かすかな囁きが漏れる。

 伝説の名が、現実の裁判と結びついた衝撃が場を支配していた。

 マクシムは一歩、身を乗り出した。額に浮かぶ汗をそのままに声を震わせる。

「おれの行動は、おれ一人のものじゃない」

 拳を握りしめる。

「ゼフィランサスを奪われ、未来を壊された者たちの怨みを背負ってきた。同じように踏みにじられた世界の誰かのためにも、おれは立ち上がった」

 ざわめきが大きくなり、検察官が声を荒げた。

「だからといって、国家に反旗を翻していい理由にはならない!」

 マクシムは睨み返すように視線を巡らせる。

「国だの、王宮だの、そんなもののためにおれは命を賭けたわけじゃない」

 吐き捨てるように言い切る。

「仲間の命を、見世物みたいに消費されるのは絶対に許せない。おれが守りたかったのは、踏みにじられた仲間たちだ。自由を奪う者が現れるなら、その時はこの手で抗う。それだけが、おれの誇りだ」

 隊員たちは顔を伏せ、ソフィーは胸の奥で渦巻く感情を必死に押さえながら日記の端を強く握りしめていた。裁判官はしばし法廷を見渡し、場に残るざわめきが静まるのを待ってから低く告げる。

「被告人は一度席に戻り、冷静さを取り戻しなさい」

 マクシムは唇を噛みしめ、大きく息を吐く。やがて法廷係に促され、証言台を離れて自席へ戻った。

 隊員たちは誰一人声を出さず、その背中を見送る。

 裁判官は視線を移し、改めて宣告した。

「続いて、海軍総司令部を代表し、エリオット・ド・レオパード大元帥に証言を求める」

 法廷にはっきりとした緊張が走った。

 エリオットは静かに立ち上がる。長い制服の裾が床を擦る音が、静寂の中でかすかに響いた。法廷係に導かれ、証言台へ向かうその歩みは揺るぎない。

 ソフィーはその背中を見つめていた。この人は、逃げない。そう確信させる立ち姿だった。

 証言台に立ったエリオットに裁判官が静かに問いかける。

「襲撃事件の経緯について、貴殿の認識を法廷に述べなさい」

 エリオットは一度だけ深くうなずき、息を整えた。そして、法廷全体を見渡す。

 拘束されたマクシムと隊員たち。緊張に満ちた傍聴席。自らを見つめる部下たちの視線。そのすべてを受け止めた上で静かに口を開いた。

「襲撃日より前、私は一通の手紙を受け取りました」

 声は低く、よく通る。

「差出人は、被告人マクシミリアン・ブーケ。内容は、私と二人きりで話がしたいというものでした」

 エリオットは間を置き、続けた。

「私は、その手紙を読んだ上で決断しました。彼の要求に応えるためではありません。この件を、私一人で引き受ける覚悟を決めたのです。彼が何を考え、何を背負っているのか。それを、直接受け止めるために。しかし……」

 エリオットの声音がわずかに低くなる。

「私の意図とは無関係に、第八部隊および第九部隊が配置されていました。彼らを拘束するためです。……あの状況下では、戦闘を回避することは不可能でした」

 その言葉には言い訳も感情もなかった。ただ事実と、それを背負う者の声だった。

 エリオットの冷静さ。威厳。そして、誰にも見せない孤独。民衆のざわめきも、隊員たちの緊張も、その声の重みによって静かに押さえ込まれていった。

 裁判官は静かに書類へ視線を落とし、しばらく黙考したのち、ペンを置く。

「大元帥。あなたはかつて、ゼフィランサスからこの国を守った英雄と称される存在です。本件において、被告人が語った動機……そして、ゼフィランサスの名が挙がったことについて、あなたはどのように受け止めていますか」

 エリオットは一度、目を閉じた。ほんのわずかな沈黙のあと、静かに息を吐いて口を開く。

「……率直に申し上げます」

 声は低く、抑えられているが法廷の隅々まで届いた。

「被告人の言葉には、正直驚かされました。私は彼の才覚を評価し、その力を正しく使わせるためにあえて彼専用の部隊を編成しました」

 わずかに視線を落とす。

「しかし……祖国や王宮に背いてでも守りたいものを彼が抱えていたとは、当時の私は見抜けていなかった。それがかつて私が戦い、討ち取った者の名——ゼフィランサスに由来するものだったとは。彼の目的や感情を、理解できるかと問われれば……答えは、単純ではありません」

 エリオットは正面を見据えた。

「私は海軍の人間であり、大元帥です。国を守る責任がある。その立場は、決して揺るぎません。……ですが同時に、故郷を奪われ、未来を断たれ、長い年月、怨念を抱えて生きてきた者の心情を……完全に否定することも、私にはできない。私にできることは一つだけです。国家として裁きを下す。そして、その裁きが無辜の犠牲を生まないよう、責任をもって見届ける。それが……今の私の役目です」

 会場は静まり返った。裁判官が小さく頷いた、その直後。検察官が勢いよく立ち上がる。

「お言葉ですが、大元帥」

 鋭い声が法廷を切り裂く。

「被告人は国家を明確に敵と見なし、動機を『報復』と断言しています。それでもなお、理解できる余地があるとお考えなのですか?」

 エリオットは一度、視線を伏せてから静かに答えた。

「理解することと、許すことは違います」

 はっきりとした口調だった。

「私は、被告人の行為を正当化しているのではない。ただ、なぜ彼がそこまで追い詰められたのか。その背景に目を向ける必要があると言っているのです。もし国が人々から誇りや未来を奪っていたのだとしたら、それを見過ごしてきたのは我々の責任でもある」

 その一言が法廷に重く落ちた。民衆がざわめき始める。

「国の責任、だと……?」

「大元帥が、そんなことを……」

 裁判官が手を上げ、場を制した。その瞬間、拘束されていたマクシムが衝動的に立ち上がる。

「そうだ!」

 張り詰めた声が法廷に響く。

「今の言葉こそ、真実だ!」

 鎖が鳴る。

「おれの故郷は奪われた。未来も、仲間も、誇りも——全部だ! それなのに、この国は何事もなかったようにゼフィランサスを殺し、都合のいい『英雄譚』にすり替えた!」

「ゼフィランサス……やはり……」

「海軍は、何かを隠していたのか?」

 検察官が机を叩き、声を荒げた。

「被告人、静粛に! ここは証言の場であって、あなたの演説の場ではありません!」

 マクシムは荒い息を吐き、睨み返す。歯を食いしばり、それ以上は言葉を飲み込んだ。だが、投げかけられた疑念はすでに法廷の空気に深く食い込んでいた。

 エリオットは彼を一瞥し、すぐに視線を落とした。そこにあったのは怒りでも責める色でもなく、胸の奥に刺さったまま抜けない棘のような痛ましさだった。

 裁判官は一度目を閉じ、静かに息を吐く。

「大元帥。あの日、被告人から何を受けたのか、ここで明らかにしていただきたい」

 エリオットはしばし沈黙し、やがて穏やかに口を開く。

「……約束どおり、私は屋上で彼を待っていました。互いに言葉を交わし、理解を探ろうとしました。しかし、衝突は避けられなかった。最終的に、剣を交えるほか選択肢は残されていませんでした」

 間髪入れず、検察官が立ち上がる。

「大元帥。その証言を裏付ける資料があります」

 机の上に一通の調書が置かれ、冷静な声で読み上げられる。

「当日、軍医による診察記録。被検者、すなわち大元帥の身体に切創複数。加えて、殴打による広範な痕跡が確認されました。特に肩部および胸部の打撲は、相当の力を伴うものであり偶発的とは考えにくい、との所見です」

 民衆が顔を見合わせる。

「大元帥が……殴られていた?」

「本当に、殺されかけたのか……?」

 検察官は視線を鋭くし、言い切った。

「すなわち被告人は大元帥を討つ意思を持ち、剣のみならず拳によっても暴力を行使した。未遂であろうと、これは暗殺の意思を示すに十分な行為です」

 マクシムは拘束されたまま顔を上げた。反論の言葉が喉までせり上がる……が。木槌が机を打つ。

「静粛に!」

 鋭い一声が空気を断ち切った。マクシムは口を閉ざした。何も言わず、検察官を真正面から睨み返す。瞳には燃え尽きかけた炎のような決意が静かに揺れていた。

 ソフィーはその沈黙を見つめながら、胸の奥に重いものが沈むのを感じていた。

 ここで黙るという選択が彼にとっての答えなのだと。

 傍聴席の一角で海賊たちもその様子を見逃していなかった。

 マテオが小さく舌打ちし、隣のルキフェルへ身を寄せる。

「……あいつ、黙って睨んでりゃ、首が締まるだけだろ」

 ルキフェルは視線を逸らさず、わずかに口元を歪めた。

「いや。今でも、あいつは国と戦ってる」

「戦ってる? こんな法廷でか?」

「そうだ。あいつにとって、ここも戦場のひとつなんだ。……勝てるかどうかは、別としてな」

 二人の囁きは誰にも届かない。しばしの静寂の後、裁判官が静かに木槌を打つ。

「……被告人は答弁を控える意思のようだ。では、弁護側。発言を許可する」

 弁護人は立ち上がり、書類を整えながら軽く咳払いをした。

「被告人が沈黙を選んでいるのは、敵意や軽視の表れではありません。むしろ、故郷を奪われた過去と仲間を思うあまりに募った激情がある。それは、単なる暴力衝動とは明確に異なるものです」

 裁判官が眉を寄せた。

「つまり、被告の行為には正当性があったと主張するのか」

 弁護人は即答せず、慎重に言葉を選ぶ。

「少なくとも、彼が一貫して『自らの同胞を守りたい』と願い続けてきたことは事実です。どうかその点を情状としてご斟酌いただきたい」

 傍聴席がざわめく。

「守るために刃を振るった、か……」

「報復と正義、結局は同じ根から生えてるんじゃないのか……」

 裁判官は木槌を軽く打ち、場を鎮める。

「では弁護側には、より具体的な弁明を求める。被告の行為が守るためであったのか、それとも単なる怨恨であったのか。その点を明確にせよ」

 弁護人は深く一礼し、裁判官に向き直る。

「では、被告人およびその部隊がこれまで果たしてきた功績について申し述べます」

 弁護人は書面を開き、はっきりとした声で読み上げた。

「被告人はこれまで幾度となく戦場に赴き、我らが祖国フランスのために剣を振るってまいりました。直近の例としては、サン・マロにおける海賊掃討。迅速かつ的確な作戦行動により街は奪還され、市民は平穏を取り戻しています」

 傍聴席から小さな声が漏れる。

「……あの時は、本当に助かった」

「街が焼かれる寸前だったんだ……」

 弁護人は次の書面に目を落とし、続ける。

「また、エドガー海賊団率いる海賊同盟によるブレスト城三度の襲撃においても、被告人とその隊は二度目、三度目の戦闘で中核を担いました。特に三度目の戦闘では、被告人が立案した『ブレスト鉄壁の盾作戦』が奏功し、二名の隊員がその功績により昇進しています」

 裁判官が記録に目を落とし、静かに頷く。軍人らしき傍聴者たちの間にも低い納得のざわめきが走った。

 弁護人はあえて声を強める。

「さらに……大海賊フランソワとの対峙です。生け捕りには至らなかったものの、彼を討ち果たしたことはフランスにとって重大な脅威を取り除いたに等しい。この功績が王宮と市井の双方から喝采を受けたことは、皆様の記憶にも新しいはずです」

 その瞬間。傍聴席の一角、五人組の海賊たちが露骨に反応した。

 マテオが舌打ちし、ルキフェルは視線を伏せて拳を握り締め、ジャスパーは苦々しげに鼻を鳴らす。

「……英雄気取りかよ」

「フランソワを『悪』と呼ぶとは」

 裁判官が木槌を打ち、ニールとコリンが素早く三人を宥める。弁護人は気づかぬふりで言葉を締めた。

「以上の通り、被告人とその隊はこれまで国家に多大な貢献を果たしてきました。今回の件を単なる裏切りとして断じるのは尚早ではないでしょうか。これは……長年積み重なった苦悩と葛藤がついに破綻した結果であると考えるべきです」

 裁判官が小さく頷き、検察官へ視線を移す。検察官はすっと立ち上がり、資料を整える。

「……被告人およびその部隊の功績については、否定しません」

 空気がわずかに緩む。しかし次の瞬間、声が鋭さを帯びた。

「しかし……功績は功績。罪は罪です。いかなる功績も、今回の反逆行為を帳消しにはできません。今、法の下で裁かれているのは『祖国に刃を向けた者』、その一点です」

 検察官がゆっくりとマクシムを見据える。

「被告人は、自らの手でその栄光を汚した。今ここで背負うべきは、罪の重みです」

 弁護人は悔しげに唇を噛み、傍聴席から「……厳しいな」という囁きが漏れた。

 ——罪の重み。

 マクシムの耳の奥で低く反響した。

 ……ああ、思い出す。ソフィーも……同じことを言ってたな。あの朝。あの場所で。

 

 ——あなたが成し遂げなかった復讐も、今も胸に抱えている復讐心も……全部、誰かの命の上にある……!

 だから……その重さから、逃げないでください……!


 検察官の詰問よりも。民衆の視線よりも。あれは、裁きだった。

 ——彼女が見ていたのは、理念でも、復讐でもなく。自分自身だった。

「……だから、黙ってるんだろうな」

 今ここで何を言っても、あの時すでに自分は答えを突きつけられている。

 罪の重さを、誰かに教えられる必要はない。もう、知っている。

 裁判官が静かに木槌を打った。

「よろしい。双方の主張、確かに聞き届けた。……では、次の証言に移る」

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