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第三章② ソフィー 続き

 五日間の航海を経て、船はトゥーロンの港へと静かに近づいていた。潮の匂いを含んだ風は重く、どこか不穏な気配を孕んでいる。

 ソフィーは甲板に立ち、牢の中のジョルジュ、アニータ、リゼーヌへと視線を向けた。三人の顔には濃い疲労の影が落ち、瞳の奥には拭いきれない恐怖が宿っている。

 港はすでに人で埋め尽くされていた。厳重な警備の向こうで民衆が押し寄せ、罪人の姿を一目見ようと身を乗り出している。嘲笑と好奇が混じった視線が容赦なく彼らを貫いていた。船が接岸すると、すぐに列が組まれた。

 先頭には鎖に繋がれたマクシム。その後ろにマクシミリアン隊、続いて海賊たち。

 そして最後尾に、参考人として同行するソフィー。彼女だけが鎖をつけられていない。だが、その事実がかえって胸を重くした。

 マクシムはかつての軍服の名残をわずかに留めた灰色の粗布をまとい、手首には薄い鉄鎖を巻かれていた。足取りは重い。だが背筋は崩れていない。

 続く隊員たちは囚人服に身を包み、手足を鎖で繋がれている。小声で励まし合う声も、民衆の視線に晒されるたびに途切れがちだった。

 海賊たちの衣服はさらに粗野で汚れが目立つ。声を荒げる者もいたが嘲笑に掻き消され、やがて口を閉ざした。

 列の最後尾でソフィーは歩いていた。鎖はない。それでも、胸にかかる重圧は同じだった。無遠慮な視線が、嫌悪と好奇を押し付けてくる。

「……これが、裁判の前の日常……」

 小さく息を吐く。前方では、鎖に縛られたマクシムの背中が以前よりも遠く感じられた。街角を曲がるたびに徒刑所の重厚な壁が姿を現す。鉄格子の窓、冷たい石壁、監視兵の無機質な視線。

 やがて巨大な鉄の門が視界を塞いだ。黒光りする扉の前で民衆の歓声は狂気じみて高まった。

 門が開かれ、石造りの建物が牙を剥くように現れる。押し込まれるようにマクシム、隊員たち、海賊たちが中へと導かれていく。鎖が擦れる音。荒い息遣い。すべての音が異様に大きく響いた。

 その後、マクシムは重罪人として扱われ、隊員たちとは完全に切り離された独房へと押し込まれた。声も届かない。通路の気配すら遮断された、徹底した隔絶。鎖に縛られた手足をわずかに動かすたび鉄の冷たさが骨に食い込む。暗闇は濃く、湿った空気が肺を重くした。

「……おれは、こんな場所に──」

 呟きは壁に吸われ、すぐに消えた。返ってくるのは沈黙だけだ。外では隊員たちが同じ牢へと収容されている。誰かがいる、という感覚さえもマクシムには与えられていなかった。通路の奥で鎖が鳴り、扉が軋む音がするたび、誰かが連れていかれるのだと分かる。それでも彼は手を伸ばすことも、声をかけることもできない。隊員たちのために戦ってきた誇りも、彼らを率いてきた自負も今は慰めにはならず、ただ鋭い痛みとなって残る。

 一方、隊員たちは同じ牢に押し込められていた。薄暗い牢内には鉄の匂いと湿った空気が満ちている。ジョルジュは床に腰を下ろして膝を抱え、アニータは壁に背を預けて目を閉じて静かに呼吸を整えていた。リゼーヌは鉄格子に手をかけ、外の気配に耳を澄ませている。

「……こんな場所、もう嫌だな」

 ジョルジュが小さく呟いた。誰もすぐには答えない。それでも、同じ空間に誰かがいるという事実だけで、孤独は完全には彼らを飲み込まなかった。牢の外では民衆のざわめきが断片的に届く。叫び声、嘲笑、何かが投げつけられる鈍い音。身体は拘束され、自由は奪われている。

「……ボクたち、やっぱり酷い目に遭わされる」

 ジョルジュの囁きにアニータは小さく頷き、リゼーヌも視線を落とした。首謀者と、その隊員。与えられる孤独の形はあまりにも違う。

 隣の牢に収容されるはずだった海賊たちが別の監視兵に連れられて移動させられようとした、その瞬間だった。廊下の奥から慌ただしい足音が響いてくる。

「おい、待て! そいつらは——」

 駆け込んできた別の監視兵が息を切らしながら声を張り上げる。周囲を一瞥し、すぐに首を振った。

「違う、違う! そいつらは応接室だ。海軍大元帥の命令だ!」

 その言葉に隊員たちが一斉に顔を見合わせた。鉄格子越しに小さなざわめきが広がる。

 ソフィーも名を呼ばれ、監視兵に促されるまま彼らと共に歩き出す。鎖はない。だが、廊下に漂う緊張は牢の中と何ら変わらなかった。

 応接室に通されてから、しばらく沈黙が続く。やがて、その沈黙を裂くように扉が開く。

「——失礼」

 穏やかだが、否応なく背筋を正させる声。

 エリオットが入室し、続いてイザベル、ルソー、アルフォンスが姿を現した。

「さて……」

 エリオットは一度、海賊たちを静かに見渡すとソフィーに視線を向けた。

「君は隣の部屋で待っていてくれ。イザベル、ルソー、アルフォンスも一緒にだ。……彼らとは、こちらで話をする」

 ソフィーは小さく頷き、何も言わずに従う。扉の前で一瞬だけ振り返るとエリオットはすでに海賊たちに向き直り、静かに口を開こうとしていた。


 ソフィーは隣室の椅子に腰を下ろし、ゆっくりと息を整えた。しばらくして、ぽつりと疑問がこぼれる。

「……隊員たちは牢に入れられているのに。どうして海賊たちは、こんな扱いなんですか?」

 イザベルが静かに頷き、声を落として答える。

「あなたも含めて、彼らは大元帥の権限で"保護対象"になっているの。自由にしているわけじゃない。管理の仕方が違うだけ」

 ルソーは腕を組み、遠くを見るように言葉を継ぐ。

「重要度と危険度が高すぎる。普通の牢に入れれば、余計な騒ぎを呼ぶ。エリオットはそれを避けているんだ」

 ソフィーは小さく息を吐き、視線を机に落とした。

「……そういうことなんですね」

 イザベルはわずかに微笑み、軽くソフィーの肩に触れる。

「大丈夫。ここにいる間は、あなたの身は私たちが守る」

 ルソーも低く言った。

「今は状況を見ていろ。余計なことは考えなくていい」

 ソフィーはそう答え、静かに息を吐いた。胸の奥でひとつ覚悟が定まるのを感じる。

 やがて扉が静かに開くと、エリオットがゆっくりと入ってくる。

「裁判所では、今まさに準備が進められている」

 エリオットは淡々と告げ、ソフィーに視線を向けた。

「マクシミリアンと部隊員たちの裁判だ。……三日後に開かれる。君には、参考人として出席してもらう」

 ソフィーは小さく息を呑んだ。

 ——三日後。思っていたよりも、ずっと近い。

 マクシム、隊員たち、そして海賊たち。すべての運命が短い時間の中で動き出すのだと思うと胸の奥がざわついた。

「……わかりました。三日後ですね」

 エリオットは短く頷くとそれ以上は何も言わず、応接室を後にした。扉が閉じ、再び静寂が戻る。

 ——怖い。

 正直な気持ちだった。けれど、もう逃げるわけにはいかない。

 三日後、自分は証言者として立つ。

 沈黙を破るようにイザベルが低い声で言った。

「怖くて当然よ。でもね、ソフィー。あなたは一人じゃない」

「あなたの証言が、きっと事態を少しでも前に進めます」

 アルフォンスも穏やかに微笑む。

 ルソーは短く頷いた。

「三日ある。焦るな。心を整えろ」

 ソフィーは三人を見て、静かに頷いた。


 三日間、ソフィーの心は張りつめたままだった。

 海軍総司令部の役人や裁判関係者が、応接室や隣室をひっきりなしに出入りする。

 隊員たち、そして海賊たちへの事情聴取が連日続いた。

 マクシム本人は別室に隔離され、法廷関係者に囲まれて厳しい尋問を受けていた。

 隊員たちも一人ずつ呼び出され、緊張で顔をこわばらせる者、無表情を装う者。だが、誰一人として平静ではいられなかった。

 ソフィー自身も証言に備えて日記を何度も読み返した。

 マクシムと隊員たちの行動、海賊たちとのやり取り、自分が見聞きした事実。感情を交えず、事実として語れるか。声に出して確認し、何度も頭の中で繰り返す。


 そして三日後——。

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