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月夜に獣は夢をみる  作者: 忍田そら
エルデの民とルフトの民
21/35

01

 あたしは《大地ける》の集落で生まれ育った。


 人の手が入っていない未開の森や、起伏の激しい荒れた大地に囲まれた集落は、荒れた大地から吹く少しだけ埃っぽい風の舞う場所だった。

 しかし、集落の外が乾いていることに反し、水が豊富に湧き出る場所を中心に栄える集落には、至るところに水路が張り巡らされていた。人の多く住むこの地には、レンガや木で造られた家が多く建ち並び、いつも人々の声で活気溢れる集落だった。


 ここは幾つか点在するエルデの集落の中でも、大きい部類に入る場所だった。



 ……と言っても、あたしはその集落にある、下層のスラムで暮らしていた。



 物心ついた頃にはすでに父親の姿はなく、あたしと母は小さな小屋のようなボロ家に住んでいた。風が吹けば壊れてしまいそうな家に、ずっと同じ物を着続け薄汚れてしまっている服。そして食事もまともにとれない日々。

 そんな荒んだ環境のせいか、母はよく愚痴を溢していた。


『お前のとーさんは、私たちを捨てて他所の女の所に行ったんだよ』


『私たちは、可愛くない女なんだよ。捨てられた惨めな女なんだよ』


 何度も何度も繰り返し聞かされ、幼いながらに自分が捨てられた子どもだとは自覚していた。

 父親に捨てられたことが原因なのか、これが原因で捨てられたのか分からないが、母は朝から酒浸りの毎日を送っていた。母はどこでどうやって得たか分からない酒を飲み、常に酔っていた。もちろん、そんな母が子どもの食事を作るなんてことはしなかった。


 いつも空腹だったあたしは、店や人の多い中央集落に出ては盗みを働いていた。そうやって、自分の命を食い繋いでいたのだ。何度か危ない目に遭うこともあったけど、その度に持ち前の脚力で逃げ切っていた。



 連日に及ぶ過剰な酒の摂取のせいか、母は意外なほど呆気なく死んだ。

 結局、その女は最後まで父親の愚痴ばかりで、子どもに愛情を向けることはなかった。あたしは、たった一人の肉親である母親が死んでも、涙一つ流すことはなかった。

 いや……その当時、あたしには感情というものが欠如していたのかもしれない。あたしは母の死に悲しみを感じることもなく、一人になった寂しさも感じることがなかった。



 あたしは一人になった。

 だけど、それは今までの生活と、なんら変わりはなかった。変化といえば、愚痴を聞かされなくなったということくらいだ。


それからも変わらず、生きるために盗みを働き、時には相手を傷付けることもした。両手は血と泥で汚れ、今の自分がどんな姿をしているかなんて確かめる余裕もなかった。


 生きるために、それが当たり前になっていた。



 しかし、そんな生活は突然、終わりを告げた。とうとう捕まってしまったのだ。



 その日、盗みの標的にしたのは、身なりの良い父子だった。子どもは自分と同い年くらいで、父親の手を握り楽しそうに笑っていた。

 何も感じていないつもりだったけど、あたしはその親子に嫉妬していたのかもしれない。自分が与えられなかった愛情を、他人が見ても分かるほどに溢れさせる、その楽しそうな姿に……。


 普段なら成功率重視で、複数人や若い相手は標的にしない。だけど、その日は自分の中に目覚めた僅かな嫉妬の感情が、その判断を鈍らせた。

 結果、あたしは標的とした父親に捕まった。


 そいつは兎種の男だった。兎種は時に、あたしの種である狼種よりも瞬発的に速い動きをすることがある。ましてや、子どもと大人。歩幅に加え、脚力に使える筋力にも大きな差がある。

 だけど、兎種は狼種のように他者を傷付ける爪や牙は持っていない。まだ逃げる余地があると、高を括っていた。あたし剥き出しの鋭い爪を振りかざし、攻撃を繰り出した。しかし、それはあっさり返り討ちにあってしまう。


 その男は大人しい兎種には珍しい、武闘派だった。あたしは、たった一撃の掌底で意識を沈められてしまった……。



 目が覚めると、そこは知らない場所だった。淡いクリーム色の壁紙に、嗅いだことのない甘い香り。明るく、眩しさを感じる部屋。フワフワとした浮遊感。そして、あたしの身体を包む柔らかな布。

 すべてにおいて、見たことも感じたことのない別世界。


「…………?」


 どうして、こんな場所に居るのか理解できない。

 状況を確認しようと、ゆっくりと上体を起こそうとする。だが、ふと腹部に妙な重みがあることに気づき、そちらに視線を移す。

 そこには、あたしのお腹を枕にし眠る女の子がいた。その子の頭には、真っ白な髪に紛れるように長い兎の耳が垂れ下がっていた。その子はあの兎種の男と一緒に居た子だった。

 そして、さらに気づく。その子の小さく綺麗な手が、あたしの粗暴で汚れた手を握っていることに。


あたしは、その手を空いていたもう一方の手で覆い、強く握り返してしまった。どうしてそんなことをしたのか、よく分からなかった。その白く小さな手から伝わる温もりが、そうするように導いたように感じた。


「……あ……、気が付いた……?」


 身体を動かしたことで、その子も目を覚ましたようだ。ゆっくりと寝ぼけ眼な顔を上げ、あたしの顔を見るとニッコリと嬉しそうに笑いかけてきた。


 それが、あたしと親友ユウイの出会いだった。



 ◇ ◇ ◇



 目が覚めるなり、あたしはユウイの家族に取り囲まれ、怒濤の勢いで話を進められていった。要約すると、この集落で道場を営んでいるユウイの父が、あたしの動きを見て鍛えてみたいと思ったのが発端らしい。


 他人に対し警戒心を強く持っていたあたしは、この場からすぐさま逃げ出そうと考えていた。しかし、目の前には一度負けてしまった男が居る。まだ子どもだったあたしには、目の前に居る大人の男がとても大きな存在に思え、抵抗する気力が削がれてしまっていた。


 あたしの警戒を察してか、ユウイの父は昼間の勇ましさを感じさせない柔らかな物腰で話しかけてくる。しかし、素直に「はい、お願いします」なんて言えるわけもない。あたしは自分が孤児であり道場に通えるような金もないと言い、無難に逃げられるような道を作った。

 しかし、ユウイの父は、


「道場はタダで構わん。家もここに住めばいい。手っ取り早く、わしの娘になれっ!!」


 と、ハチャメチャなことを言ってのけたのだ。

 あまりに突拍子もない発言に、開いた口が塞がらないまま固まるあたしを余所に、ユウイの父は揚々と話を進めていく。


 そもそも、あたしは彼から金を盗もうとした犯罪者。どうしてそんな犯罪者を娘にしようという思考になるのか、全く理解できなかった。あたし自身がその提案を理解できないのだ。もちろん、彼の家族も理解できず反対するだろうと思った。


 ……だが、そうではなかった。


 母親も賛成しているのか、すでに歓迎ムードになっている。そして、ユウイに至っては興奮して、キャー、キャー言いながらあたしに抱きついてくる始末だった。

 垂れ下がった長い兎の耳をブンブンと振り回し、全身で喜びを表すユウイ。母はホワホワと、父は鼻息荒く、これからの生活についての話しをしてくる。

 この時のあたしは、この家族は揃ってバカなのかと、呆れていたのを覚えている。



 自分の意思とは無関係に、流されるままユウイの家族との生活が始まった。

 温かな食事に、家族の会話。義母から与えられる、新品の可愛らしい服。義父との厳しい稽古。そして、いつも傍にいてくれる同い年の女の子、ユウイ。

 初めて接する、家族と呼べるであろう存在。


 だけど、一人でゴミ溜めに住んでいたあたしにとって、この環境は居心地が悪かった。


 ユウイや義両親と、どんな風に接すればいいのか分からなかったのだ。

 優しくされた時、どんな顔をすれば良いのか分からない。何かを伝えたい時、どうやって話しかければ良いのか分からない。分からないことばかりだった。


 だけど、しばらく一緒に生活していくと、あたしの気持ちに変化が生まれ始めた。

 優しさを素直に嬉しく感じるようになり、その嬉しさを言葉として伝えることができるようになっていった。そして、この温かな場所に身を委ねても良いんだなと、思えるようになった頃、あたしは生まれて初めて『笑う』ということができるようになっていた。



 それからは毎日が充実して楽しかった。


 道場の稽古も楽しく、毎日のように通っていた。

 ユウイは身体を動かすことが苦手で、道場に来ることは滅多になかった。でも、道場には自分と同い年くらいの子も多く通っており、寂しさはなかった。その子どもの中に、あたしと同時期に通い始めた赤い瞳の少年が居た。それが、コータだった。


 コータはあたしと同じ狼種。狼種は気性の荒い人間が多いが、コータは人懐っこく明るい性格をしていた。すぐに誰とも打ち解け、仲良くなる。狼というより、犬っぽい男の子だった。

 その性格のお陰か、あたしともすぐに仲良くなり、滅多に来ないユウイとも仲良くなっていた。


 あたしとユウイとコータ。仲良くなった三人は、道場以外でも一緒に遊ぶことが多かった。小さな頃は、三人で色んな場所を探検したり、遊んだりしていた。時には、ちょっと危険な場所に行ってみたり、ちょっとしたイタズラをすることもあった。そして、そんな可愛らしい悪事がバレて、義父やコータの父親にこってりと叱られることも多々あった。


 でも、そんなことも楽しくて大切な思い出になった。



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