02
楽しい日々を送っていると、あっという間に年月が過ぎてしまう。気が付くと、あたしたちの子ども時代は終わり、大人へと変わっていた。
大人になったあたしとコータは相変わらず、道場に通い続けていた。
コータは幼少期から変わらず、格闘術を熱心に学んでいた。あたしの方はというと、興味は格闘術から剣術に変わり、同じ道場内の別の師範から稽古を受けていた。一方、ユウイは完全に道場から離れ、絵を描くという趣味に熱心になっていた。
「ねえ、ユウイ。絵を描くのって楽しい?」
あたしは甘い香りのするユウイのベッドに寝転がりながら、白い紙の上に様々な色を重ねていくユウイに尋ねる。
「楽しいよ。自分の想像するものを表現するのって大変だけど、それが思った通りに現せた時は、すごく達成感もあるし満足感も味わえるよ」
ユウイは少し幼さの残る笑みを浮かべ答える。
ベッドに寄り掛かり絵を描いているユウイの手元を、ベッドの上から覗き込んでみる。しかし美的感覚がほぼ無いに等しいあたしには、『綺麗だな』という単純な感想こそ出てくるが、そこから先の感想は出てこなかった。
描かれている物の意味など、全く理解できないあたしは、早々にユウイの絵に対し関心が薄れてしまう。
そんななか、ふいにユウイの髪が視界に入り、次の関心がそちらに移った。女にしては骨ばった粗暴な手で、ユウイの真っ白な髪に触れてみる。
「どーしたの? ミヤ」
「んー。ユウイの髪って柔らかくて気持ち良いよね」
ユウイの白い髪は、幼い子どものものみたいに柔らかい。そして、長いわりに指に引っ掛からない綺麗な髪質をしている。あたしはフワフワな感触を楽しむように撫で回す。ユウイはくすぐったそうにしているが、止めることなく撫で続ける。
「あたしの髪って、こんなんでしょ。正直、羨ましいなって思って」
少し硬く、癖のある自分の髪を掴み、ユウイの髪と比べてみる。
ユウイは絵を描いていた手を止め、言われるままに双方の髪質を見比べてみた。
「そうだよね。ミヤの髪は、少しだけゴワゴワしてるよね。でも、これって狼種の特徴なんじゃないの? 狼種の人って、こういう髪質の人が多いよね」
「そうなんだけどね。でも、コータはけっこうサラサラしてるよね」
「言われてみれば、そうだね。コーくんはさらっとしてるね。体質の違いかな?」
体質の違いと言われても、いまいち納得できないあたしは、膨れっ面でふて腐れる。そんなあたしの姿を見て、ユウイがニヤニヤとしている。
「なになに。どうしちゃったの、急に色気づいちゃって。もしかして、恋でもしちゃったの?」
ユウイの突拍子もない発言に、あたしの膨れっ面はどこかに消え去り、あんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
「こ、恋って……。あたし、そんなの全然、興味ないよ」
「えー。興味ないわけないでしょー」
ユウイは大袈裟に驚いている。
「羨ましいって思ったのは、この髪がクシを通す時に引っ掛かったりして、痛いからだよ。かといって、短くしたらしたで、今度はあっちこっち跳ねて、これはこれで面倒なんだよね」
恋の話題に繋がらなかったことに、今度は露骨に残念な素振りをみせるユウイ。
ユウイは昔から恋愛物や空想物の本を好んで読んでいた。彼女自身、こういった話題が大好きで、ちょくちょく話題に振ってくる。
あたしたちの年頃な女性なら、恋の一つや二つ経験し、それらを女同士で語り合ったりするのが普通なのかもしれない。早い人なら、結婚し、子どもを産み育てているかもしれない。だけど、あたしは恋愛というものに、全く関心がなかった。ただ、身体を鍛え、自分の力を高めていく。それしか興味はなかった。
楽しそうに恋の話をするユウイたちを見ていると、あたしは女としては異質な存在なのかもしれないと、感じることも時々あった。
「でもさ、わたしはミヤの髪って好きだよ」
「な、何? 突然」
「で、この尻尾も。少し毛質は硬いけど、大地の匂いがして、とっても落ち着くよ」
そう言って、ユウイはあたしのゴワゴワとした太い尻尾に全身で覆い被さり、頬擦りをする。
「もおっ。くすぐったいよ」
あたしは尻尾を大きく揺らし、ユウイの頬擦り攻撃から逃げ出す。しかし、ユウイは自分から離れる尻尾を懸命に追いかける。
「もー。逃げないでよね」
楽しそうにユウイは追いかけてくる。あたしも笑いながら、尻尾を左右に揺らし捕まらないように逃げる。こんな些細で意味もない遊びでも、心の底から楽しめた。笑っていられた。
あたしが、こんなにも素直に感情が出せるようになったのも、全てユウイたち家族と、コータを初めとした友人たちのお陰だ。
毎日、生きるか死ぬかの生活を送っていた幼い頃には、こんな日が来るなんて思いもしなかった。
自分がこんなにも感情豊かな人間だなんて知らなかった。
自分にこれほど大切に思える場所ができるなんて、考えもしなかった。
あたしは毎日、笑顔を絶やすことなく日々を送っていた。
家も楽しく、道場も楽しい。楽しくも代わり映えのない毎日を暮らしていたある日、あたしは自分の力を試してみたいと考えるようになった。
道場の稽古では、もちろん対人戦を模した稽古もある。しかし、それは形式ばったものだ。ある程度の緊張感はあるが、物足りなさがあった。
あたしが求めていたのは、『死』を意識するような極限の緊張感だった。
これは狼種の人間が持つ闘争本能なのだろうか。それとも、あたし個人が持つ性質なのか。あたしは血の沸くような高い興奮を求めていた。
いつ頃からか、あたしは時間が空けばフラりと出掛け、強そうな人間を捜しては決闘を吹っ掛ける日々を送るようになっていた。
死を覚悟する本気の戦いは、あたしに恐ろしいほどの興奮を与えてくれた。
――こいつを殺したら、どう感じるんだろう……。
と、相手に『死』を与えたくなる衝動に駆られることも、時々あった。だけど、その一線を越えることはなかった。
最後の一歩を踏み止めさせていたのは、やはり家族の存在だった。
道場外で闇雲に決闘を繰り返しているあたしを、家族が良い顔をするはずはなかった。義父には道場で何度も説教され、義母やユウイには悲しい顔をさせていた。怪我をして帰ってきたあたしを、ユウイは泣きながら手当てしてくれた。
あたしは自分の手で、大切な場所を壊そうとしていたのかもしれない。相手を殺したりしたら、居場所は本当に無くなってしまうだろう。それが怖かった。だから、一線を越えることを止めることができていた。
しかし、一度解放されてしまった闘争本能は、留まることを知らなかった。
あたしは半ば、戦闘中毒に陥っていたのかもしれない。
そんな時だ。彼がこの《大地を駆ける者》の集落にやって来たのは――




