5-4 初恋が実れば、初恋は実らず
大地の上にある直径数百から十キロの半球状の構造物体。ドーム。
ドームの頭頂部から眺める惑星の地形は果てしなく広い。
有機物の欠片も見出せない。赤く酸化した大地が永遠と続くだけ、と侮れない。
風化によって生じた奇妙な起伏の岩場地帯。
数億年前、水の惑星だった頃に形成され、今も残る谷。
さらさらとした砂が積もる砂漠。どれも不毛である事は共通しているが、一様ではない。
地球で言う所のグランドキャニオンやサハラ砂漠のような地形なのだろう。観光として訪れる場所であるのなら、それなりに集客を望める。
だが……こんな貧しい惑星に永住しなければならない人類は、悲惨だ。
大気はあっても薄い。
重力はあっても小さい。
土地はあっても開墾できない。
青い地球を離れて他惑星に、人類は移民するべきではなかった。常々思う。
この貧しい惑星の事を、地球時代の人間は何と言っていたか。度忘れしてしまったが、普段、この惑星の人間は惑星としか言わないので仕方が無い。
人類発祥の星、地球への憧憬は、この惑星の住民であれば誰もが持っている。ほとんど桃源郷のような扱いであるが。ロケット技術が廃れてしまっており、現在のドーム人類全員を帰還させるだけの資源もないので、皆は憧れるに留めていた。
……ただ、どうして裕福な地球から援助が来ないのか。この疑問を抱く者は少ない。
地球が滅び、今は魔族が住まう魔星と化してしまっている事実を知る者は極小だ。滅びているのに惑星間航行技術は失われておらず、五年前には複数の貴族級魔族が惑星に到来していた、と言っても誰も信じないだろう。
そして今日、大戦以来、新たな貴族級魔族が惑星に降り立ったという。一大事だ。世界が混乱し、大きな戦争が起きてしまうかもしれない。
魔族の貴族は眷属を率いて襲ってくるので、ドームという重要拠点を持つ人類は苦戦を強いられるだろう。魔族の所以たる非常識的な力は、戦闘経験者でなければ翻弄される。
特別、貴族級のみが持つ爵位特権は、物理現象そのものを歪める特殊性がある。まともに戦っても、討伐は困難だ。
例えば、俺の爵位権限。
凡人が『ソリテスの藁』という名のダメージ半減能力を有していても、大した事はないだろう。が、生身で大砲に耐える生物がこの常識外れな能力を有していた場合、石鎧が持つ武器では歯が立たなくなる。
実際、五年前は、たった一体の男爵級魔族によって奈国は滅びかけたのだ。
魔族襲来を察知したのであれば、何をおいても殲滅しなければならない。
「……初手、ブースト加速で後退しながらの掃射……アキレウスに回避された。射線を見切られて接近を許し……頭部脱落。後ろに回られた……モニターが死んでいて気付かない。背中から串刺し……爵位権限で耐え……駄目だ。背面ブースター破壊。装着者死亡」
だが、そんな世界の危機を気にしている余裕は俺にはないのだった。
瑞穂の事を思うと、苦い思いで心が一杯になってしまう。胸が一杯で他の事に集中できそうにない。
とはいえ、本当にこのまま学生気分を続けていて良いのか少しは不安だったので、数時間前に、隊長達とは連絡を取っていた。
「――はぐれではなく、新手の魔族が現れたのですか」
『偵察部隊が降下ユニットを確認した。予想していた中では最悪の事態だが、地球から魔族が再来している。が、最悪の中ではマシな分類ではあるな。確認できた降下ユニットは一基だけ。貴族級は一体しかいない』
「自分も原隊復帰するべきなのでしょうか」
『九郎君は我々の保険となってもらう。襲撃対象となっているドームに防衛戦力を残しておくのは定跡である。我々の全滅を見越して、予備を残しておく事も定跡だな』
無骨で重い通信機を片手に、俺は隊長とコンタクトを取っている。
無線機は主に外縁軍が用いている品で、砂嵐の中でも相互通信が可能である。ただし、中継器なしでの通信距離は地平線までと短い。
『因縁があるのだろうな。降下ユニットが降りていたのは、我々の故郷だ』
第三試合では負傷者も出てしまった。度重なる魔族の強襲は見逃せない。
隊長達の苦労の甲斐あって、魔族の本拠地を発見している。
隊長達、旧闘兎の評価試験中隊は、既に魔族討伐のために出陣しているのだろう。地平線の傍にいるであろう隊長達の無事を祈る。
「隊長……俺は、瑞穂を倒します」
『かまわん。魔族などという非常識は我々に任せておけ。学生は学生らしくはげみたまえ。では、娘をよろしく頼む。……通信アウトだ』
曽我瑞穂との勝負に集中したい俺にとって、これ以上ない程にありがたい命令だった。相手方の父親公認とは心強い。外堀から埋めていくのも手段の内である。
最大の問題は、瑞穂に勝てる自信がない事なのだが……。
早朝に月野製作所から逃げて、隊長達の通信を経て、今はもう夜。
「百連敗達成かー。イメージトレーニングって負けるトレーニングを積むものじゃないはずだよなー」
瑞穂との対戦を脳内でシミュレートしているのだが、どうにも勝てるイメージに辿り着けずにいる。連戦連敗。大体の場合、蹴り殺されるか串刺しにされて負けている。
気密スーツを着て、ドームの頭頂部で悩み続ける。座禅をしているのは雰囲気作りのためである。
低酸素なドームの外は無人だ。誰にも邪魔されないので環境としては悪くない。特にドームの頭頂部は景色が良いので、気密スーツ越しの逢瀬が許せて、強風にあおられるのを耐え切れるのであれば、カップルにもお勧めできるデートスポットだ。
そろそろ空気残量メーターが危険域に入るが、それでも帰る気にはなれない。
決して、景色が良いからではない。
「ワイズが悪い訳じゃない。俺の技術が足りないだけだ」
賢兎は装着者の生存に重きが置かれた良い石鎧だ。基本性能も悪くない。一般的な予科生が相手であれば、石鎧の性能だけで優位に立てる。
ただし、瑞穂は一般的ではない。性能の良い石鎧も着ている。オリンポス製のほとんどワンオフのような性能を持った石鎧を着ているのだから反則的だ。
「瑞穂は金棒を持たせた鬼か」
お手上げ状態なので、両腕を伸ばしながら背中から倒れ込む。
視線が空を向いて、俺は夜空をまっすぐに見る。
「やっぱり瑞穂は強い。イメージの中でぐらい、俺に手加減してくれよ」
気の早い星が高い空の中で輝いていた。
手を伸ばしても掴めないその星は、瑞穂という名前なのだろう。
溜息しか出せない夜空を長く眺めていると、ふと、紫色に光る三対の流れ星が眼下から跳び出して来た。
願いを叶えてくれる流星が六つも現れるとは、俺は幸運な男なのだろうか。
「星に願い……を?」
それ等の流星は、まるでLEDが発光しているような紫色をしている。馴染み深い発光であるが、外から見ると新鮮である。
……あまり正体に気付きたくなかったので眺め続けているが、流星の中の人の操縦はうまくない。正直に言うと下手だ。Runner《走行》オプションの跳躍力を見誤って限界高度に到達してしまっているが、あの高さからの自由落下だとうまく着地しないと脚部が破損してしまう。
『避けてェェェッ!』
夜空を遮る足底が、視界内に広がっていく。
少女の悲鳴のような警告が聞こえた。まさか製作者自ら装着しているはずがないと首をひねってみるが、そのお陰で頭を潰されずに済む。先程まで頭があった所から衝撃音が響く。
ドームの天井を踏み抜きそうな勢いで落下してきたのは――ついでに俺を殺しかけたのは、賢兎だ。
そして、賢兎を着ている者の正体は少女だった。
……声質的に、月野で間違いない。
「おい、月野! 頬を叩かれる覚えはあっても、ワイズで踏み殺される覚えはないぞッ」
『やっと見つけたっ! この家出息子!』
月野海は母親となってくれたかもしれな……んな馬鹿な。
『紙屋君が何を考えているのかさっぱりだし、変な人間なのは今更だけど! ぼくだけは信じているからっ!』
月野の賢兎は俺を覗き込むように姿勢を下ろしていく。視界の上方から顔を覗き込んでくる無機質なカメラレンズが、何故だか優しげに見えてしまう。
『ぼくは信じている。紙屋君なら、曽我瑞穂にだって勝てる!』
瞬間、気密スーツに穴が開き、低気圧に曝された体と血が沸騰する。
そんな錯覚で死んでしまいそうなぐらいに、月野の言葉は俺の心臓を鼓動させたのだ。ゾクゾクと、全身が痺れてしまう程の血の暴走で息が苦しいはずなのに、爽快感を覚えてしまう。
重圧で潰れかけていたはずの心が、復調していく。
『酷い勘違いをしていたぼくだけど、最初の直感だけは間違いない! 紙屋君はぼくの初こ……初めて認めた装着者だからっ』
森で迷った子供を救おうと満月が光で帰り道を示した。そんな童話があっただろうか。袋小路に陥っていた俺の心を、月野が優しい光で導いてくれる。
月野がどれほど過信していようと、本来、現実は変わらない。俺の無力は不変だ。
『ぼくがあの女に勝たせてあげるからっ。ぼくのワイズは無敵だからっ。だから、ぼくを置き去りにするな!』
だからもう、無力な俺は無視してしまおう。
素直に、現れてくれた少女に頼り、心の内を吐露してしまった方が良い人生を送れそうな気がする。
『紙屋君は……曽我瑞穂の事が好きなんですね』
「向こうがどう思っているかは知らないが、俺は昔から好きだった。卒業試験の優勝は月野との約束のはずなのに、すまない。今回は私的に戦わせてもらう」
『紙屋君が勝つのと、月野製作所が救われるのはイコールですから大丈夫です。全力で戦ってください』
「ありがとうな、月野」
俺達は誰にも邪魔されない、ドームの天井に座って語り合う。
友人の月野に対して、瑞穂への想いを全部明かしてしまった。不純な動機で決勝に挑もうとしている俺は、月野に嘘を付けない。
「月野が応援してくれたから、前向きになれそうだ」
『紙屋君が一人で悩んでばっかりで、馬鹿だっただけです』
「まったくだが、手厳しい」
耳元で警報が鳴る。気密スーツの空気残量がゼロになる直前だ。
瑞穂に勝つためにも、工場に戻って組み立ててしまいたい物ができた。戻ろう、と月野に伝えてから立ち上がる。
『……本当に馬鹿。紙屋君も、ぼくも』
月野も少し遅れてから、賢兎を立ち上がらせた。
卒業試験、決勝の地は軍学校に隣接する演習場だ。試合当日の朝になって、ようやく運営から通達された。
王族が観戦する試合である。先の魔族襲撃により警戒が強まっていたため、ぎりぎりまで試合会場の公表が控えられていたのだ。石鎧は大地さえあればどこでも戦えるので、俺はさして気にしていない。
いや、戦場を気にしている余裕がない。
早く戦闘を開始して楽になりたいという気持ちで心が満たされているから、戦えるのならどこでだって構わない。
『両チーム、レギュレーションチェックの証明証を提示せよ』
石鎧で戦うには小奇麗が過ぎ、磨かれたかのように平べったい戦場であっても文句は言わない。王族が観戦し易いようにという計らいで、遮蔽物のない平野で俺達は戦う。
『その色と、耳の形はッ!?』
試合開始直前となった。定例通り、二つのチームがフィールド中央で平行に並ぶ。
俺の真向かいに見えるのは、白い石鎧。オリンポス製のアキレウスだ。
装着者は曽我瑞穂。俺が恋している相手なのに、最大の敵。
『お前はッ。よりにもよってっ、闘兎で私に挑むか!』
瑞穂と対峙する俺が装着している石鎧の名は、賢兎。
オプションは……Runner《走行》プラスClassic《古典》の二重装備である。足周りの良好さはそのままに、賢兎の前身となった闘兎と同じ装備で戦闘力強化を図ったオプションだ。
Cオプションを追加したいと頼んだ際、月野は無表情となったが、俺が無理を通した。
慣れた装備でなければ、瑞穂とは戦えない。
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“石鎧名称:賢兎・RC装備
製造元:月野製作所
スペック:
身長二・五メートル。中肉中背の石鎧にRunner《走行》オプションとClassic《古典》オプションを同時装着したタイプ。
駆動系が強化されており、外装は変わっていなくても内部の電磁筋肉は高品質な物に換装されている。
長距離歩行と中距離走行に向いているが、戦闘駆動も十分に可能。燃費は数あるオプションの中で最も良い。開発者が意図した訳ではないが、副次的に跳躍力も上がっている。
また、前身となった石鎧、闘兎に装備されていた大型環境センサーに耳が換装されている。索敵機能を強化しているというよりも、傷付き易いセンサーを保護している意味合いが強い。
その他、闘兎の標準的な装備を各種揃えてあるが、石鎧として特殊な物がある訳ではない。
色は賢兎の塗料をケチったメタリックカラーから、闘兎のカラーリングに塗り替えられている。サンドカラーが主体であるが、腕や脚の装甲板は赤褐色である。
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