9-7 俺達友達でした
床を蹴る振動は無視しろ。環境センサーに音が届いた時には、ネオプトはもう肉迫している。
最初の一撃を防げたからといって安心するな。次の攻撃に繋げる布石が必ず潜んでいる。常に全力で応じろ。
白い残像の先にいる本体を、感じるのではなく捕捉するのだ。三対のカメラで視野を限界まで広げて、撮影間隔をスーパースローカメラ並に増大させろ。
「こなくそッ!?」
思うすべてを、俺は完璧にこなしていく。
液体コンピューターが処理負荷により熱せされ蒸発寸前だが、これだけ機能強化して、どうしてまだ競り負けるのか分からない。
『いつになく、操縦が上手じゃないか』
短剣とナイフで競り合った瞬間、ナイフに鍔がないため指を斬られそうになる。が、そう思わせた罠であり、俺はナイフの柄から手を離し、磨がれた左の五指でネオプトの手首を狙う。
鋭く構えた左手は、空を裂く。罠だと見破られていたらしい。
そして、片手の局所的な読み合いに集中していると、下方から脚が襲ってくる。
足底から突き出す短剣に胸を縦に斬られたが、傷は五ミリと浅い。
「いつまでもサンドバッグをやっていられるか! 今日は全力だ」
ハンドガンで銃撃しながら距離を取り、仕切り直す。
英児との実力差は想像していた程ではない。百メートル走で一歩進むごとに、一センチずつ距離を引き離されていく感覚だ。
そう。だから、俺は英児に圧倒されてしまう。世に存在する優れた人間とは、凡人のニ倍優秀という訳ではない。たったの一割平均を上回るだけで、他人を圧倒するには十分なのだ。
常に一センチ遅れていくという事実。百メートル走においてでさえ、勝利のしようがない絶望を意味する。生まれ持ったポテンシャルが違う。
亀と兎。
一次方程式と二次方程式。
俺が凡才で、英児は天才だ。
「どう攻略しろってんだか……」
アサルトライフルを三点バーストにセットし片手で放つ。床に三つずつ穴を生じさせながら、逃げるネオプトを射線が追う。
ホルスターに収納し、自動で弾込めし直したハンドガンも構える。アサルトライフルで追い立てながら、ハンドガンでネオプトの未来位置を予測して狙い撃つ作戦である。
柱をネオプトが横切る。発射のタイミングを誤魔化せる今がベストタイミングだ。
ネオプトが柱から現れた瞬間をイメージしながら、トリガーを引いた。
弾はまっすぐに、柱の傍の虚空を飛んでいく。そのまま、素通りしていく。
ネオプトは柱の影に右から入って、右から現れた。左を狙ったのだから弾が外れていくのは当たり前であるが、どうして奴は右にいる。
柱で姿が見えなくなったコンマ五秒の間に、旋回したのか。侵入速度と脱出速度が等しいまま。そんな出鱈目は考えられないと動揺していると、右の主カメラが一つ射抜かれてしまう。隙を作った罰則としては軽い。
残り五つのカメラで機能は補える。損傷を気にせず銃撃を続けていると、先の出鱈目の正体が判明した。
大前提として、ネオプトの足底には短剣が隠されている。胸部を斬られたばかりなので記憶に新しい。
ネオプトは直線移動中に床を強く蹴り付けて、蹴り付けた脚部を軸にして百八十度ターンした。フィギュアスケートの軽やかさはない。好印象に例えても、錆び付いたゴーカートのスリップだろう。
短剣を遺跡の床に突き刺し、アンカーに仕立てる。短剣がひん曲がるのを気にせずにスパイクとして用いて、強引に旋回していた。これが正体だ。
「曲芸してくれるんじゃねぇぞ、エージッ」
『ハッ、床が固くて出来そうだったから、試しただけだ!』
思い付きで新戦術を使うから、本当は英児を天才と呼びたくはない。天才と馬鹿は紙一重とも言うが。
固形燃料を消費し尽くしたのだろう。ネオプトは腰の円柱増槽を投棄する。
同じ円柱増槽は見受けられないので、投棄したのが最後の一本だ。ガス欠になって止ってしまえと呪ってやるが、その前に決着を付けようとするはずだ。
総重量の減ったネオプトは、更に加速して突撃する。
『九郎。お前の長所は、いくら斬っても倒れないところだ! 小利口な戦い方していないで、いつも見たいに泥試合をしようぜ』
迎撃のために繰り出した回転脚を、ネオプトは体を地面擦れ擦れまで下げて潜り抜けてしまう。
間合いの内側への侵入を許してしまった。
二つの斬撃は止められず、胸部をバツの字に、深く抉られた。返す刀で耳と首筋を斬られて、最後は脇腹へと短剣を刺し込まれる。
少し遅れてから液体コンピューターの鮮血が噴出する。白いネオプトを赤く染めていく。
血染めのネオプトは、己の戦果に不信感を持った顔付きで俺を見上げてくる。
『九郎……お前、いつものオレンジ色はどうしたんだ? 物凄く柔らかいが?』
ダメージコントロールは得意であるが、限界はある。
演算能力七割損失。索敵能力六割減少。機体強度三割低下。
どれも補える限界を超えている。
「ああ、それなら、さっき返した」
『はっ? 俺と戦うなら、九郎は全力で挑むしかないはずだろ! 俺を舐められる立場にないはずだろ、お前。馬鹿か!』
「まったくもってその通りだ」
ぎこちなく動く手で、俺を突き刺しているネオプトの手を握る。油圧も兼ねている液体コンピューターの流出により、力は入らない。
「だけどな、エージ。……お前は俺を舐め過ぎだ」
『壊れかけに何ができる?』
カメラをギラ付かせているネオプトへと、ほくそ笑む。
瞬間、ネオプトが貧血したかのように機体を傾かせる。血を流している俺ではない。ネオプトの方が脚部の力を抜いていった。
もっと正確に言うと、体に浴びた液体コンピューターからの電子的攻撃により、ネオプトはAI機能が麻痺したのだ。
「『鬼の角』の最大出力だ! 歯を食い絞れ、エージッ!」
斥力場を機体前方十センチの距離から生成する。最大強度で生み出された斥力場は正面衝突してくるトラックに等しい。ネオプトの軽い装甲板で耐え切れる衝撃ではない。
フレームはひん曲がり、最悪、内部の装着者もグロテクスにトランスフォームしてしまうが、英児ならばどうにかするだろう。たぶん。
『血を操るとか真性の化物か、九郎ッ! てめぇぇぇッ』
英児はAI制御を強制終了させて、手動でネオプトを操作する。
見事な手際であり、生死が掛かった人間の生存能力の高さを実感させてくれたが、無傷で斥力場の膨張から逃れられた訳ではなかった。
俺から見て右側、ネオプトの左腕が膨張する力場に巻き込まれて、金属の塊と化しながら後方へと飛んでいく。
無理やり引き千切られた片腕が痛々しいが、ネオプトの交戦意欲はむしろ高まったように見受けられる。反撃で短剣を投擲してくるぐらいには、好戦的だ。
「SAの通常兵装で斥力場は突破できない。ふはは、悪いな、エージ」
『がりがり電力消費しているのが丸分かりだ。だが、良くもやってくれた! だからこその九郎だ!!』
アルヴの正式機と違って、鬼兎の燃費は悪い。亀のように危機が過ぎ去るまで隠れているとエネルギーが枯渇して動けなくなるため、鬼の角の連続使用はできない。直に機能をオフにする。
斥力場の喪失と共にネオプトが接近戦を仕掛けた。片腕を失った分、手数が減る。が、足癖が悪化して蹴りを多用するようになる。
瑞穂や隊長を比較しても見劣りするどころか、一層洗練された体術に押されてしまう。片腕分のハンディキャップがあっても、まだ実力差は埋まらない。随分と分厚い一センチだ。
だが、他の何かに比べれば足技は対処し易い。俺も使える数少ない石鎧格闘術は、足技だ。
ネオプトの足底短剣斬りを邪魔するように脚を絡める。同時に、右脚を振り上げてネオプトの顎を狙う。単調な動きだったので首を捻られて避けられてしまうが。
右脚はネオプトの頭上へと達した。
そのまま、電気筋肉のバネの縮小によって引き戻される。脳天を狙うかかと落としに技は繋がり――、
『危ねぇな、お……んっ、げッ』
――紙一重で脚を避けようとしたネオプトの頬を、足底の鉤爪が飛び出し、ざっくりと斬り裂いた。
賢兎を着た経験のある英児は、鉤爪の有無を知っていたはずである。ただし、石鎧の動作をすべて手動でこなしているため、思い出している余裕がなかったようだ。
『くそ、どうして兎の癖に、月野は鉤爪なんて付けたのか分からない!』
「ああ、それは兎の数え方が一羽、二羽だからさッ」
体勢をワザと崩して隙を見せて、ネオプトが攻撃してくる瞬間を狙って鬼の角を起動する。二度目は成功といかず、ネオプトは悠々と後退してしまう。
五メートル以上距離が開くと、今度は銃撃戦が始まる。命中精度でネオプトは鬼兎のAI射撃を上回っているが、前触れなく、形勢は俺に傾いた。
ついに、ネオプトが弾切れを起したのだ。連戦の影響が、ようやく現れ始めた。
『ルカの成果だ。あの女に弾も剣も消耗させられた』
「短剣もそれで終わりか?」
『足底を含めてたったの二本か。電気も固形燃料も枯渇寸前。そういう訳だから、次で勝負を仕掛けてやる』
俺が勝つ確率が一番高いのは、英児の提案にならず徹底的な消耗戦をし掛ける事だろう。今が、ただの殺し合いだったならば実行に移したはずだ。
だが、最後の一本となった短剣を構えるネオプトに同意し、俺も武器を手にする。頼りなくも使い慣れた、ハンドガンとナイフ。
「俺達って、いったいどういう関係なんだろうな」
『九郎は俺を厄介者扱いしていたが、俺はお前を友人だと思っていた。恥ずかしいから、嘘じゃないぞ』
お前、友達だったのか。思わず口に出してしまう程の衝撃的事実だ。石鎧で斬りあう仲を友達と定義するのであれば、確かにそうなってしまう。友達とは奥が深い。
『覚悟を決めろ』
動揺が冷めていないのに、ネオプトは真剣味を増して短剣を突きの形に構えた。
俺達が動き出したのは完璧に同時だ。見計らった訳ではなく、偶然、二機とも寸分の狂いもなく静止から攻撃に転じた。
ハンドガンの銃撃を、ネオプトは当然といった面持ちで避ける。その分、最短距離での移動が叶わないはずなのに、刃を叩き付けるまでに走った距離はネオプトの方が長い。
短剣をナイフで防御する。装甲さえ破る硬質ナイフが欠けて、中ほどからボロボロと崩れていく。
左手を手刀に切り替えてネオプトの頭部を突こうとするが、指の第二関節あたりから先を短剣で切断された。構わず頭部を殴りつけ、厳つい顔の左半分を損壊させる。
ハンドガンを持つ右手を蹴られたが、絶対に落とさない。ネオプトの肩に銃口を押し付けてから乱射。残弾が残り一発になる。
暗器の肘カッターに左腕を半分斬られた。仕返しにネオプトの膝を蹴り付け、関節を潰す。
「エージィィィッ!!」
『九郎ォォォォッ!!』
お互いに攻撃をミスって前のめりになって、相手を素通りしてしまう。
背中には敵がいる。悠長に振り向いている時間はない。
突っ張るために踏み出した左足に最大級の力を込めて、床を踏む。その際、足底の鉤爪を限界まで引き出して、スパイクのように床に突き刺した。燃料切れ前提で背面ブースターを全力で噴射し、力付くの高速旋回を実現する。
ネオプトも、まったく同じ機動をしていた。考案者は英児なので当然だ。
間に合うと信じながらハンドガンを突き出し、ネオプトの胸の中心を狙い撃つ。
銃身は……ネオプトの右拳にかち上げられていた。最後の弾が、天井に向かって跳んでいってしまう。
『望んでいたものと違ったが、楽しめから満足だ。俺の勝ちだ』
ネオプトの短剣は、折れていない。健在だ。
一方で俺には武器がない。悠長に新たな武器を探している間に、頭部を断たれて床に転がってしまう。
斥力場の発動が間に合えば、相打ちにはできるかもしれない。だが、俺は英児に勝ちたいのだ。苦し紛れの勝者潰しに意味を見出せない。
それでも、尖った鬼の角は使える。
「いや――エージの負けだ」
短剣を横に振るう動作よりも、俺が角でアキレウスの頭を突き刺す方が断然速い。
きっと英児はカメラを失ってもセンスのみで戦闘継続は可能だったと思われる。相打ちで、首を狩るのはできたと思う。
けれどもこれが帽子取りならば、頭の上の帽子を取られた瞬間に勝敗が付くのが道理だ。
俺を友達だと言い放った英児は、きっと対等な遊び相手を求めていただけである。
『――――たく。俺の負けかよ』
だからこの場での勝者は、間違いなく俺であった。
『人生初黒星。悔しくて嫌になるな』
「笑いながら言っても説得力がないぞ、エージ」
『そうか? 俺笑っているか??』
背中同士になって座り、俺と英児は心底疲れていた。地下の瑞穂や世界の行く末は気になるものの、体が消耗している。しばらくは駄弁りたい。
『悔しいから、お前に良い話と悪い話、二つを教えてやる』
「意味分からないな、それ」
『九郎。どっちから聞きたい?』
「断然、良い話からだな」
背中の英児は自分から話を振っておきながら、やや言い辛そうに口を滑らせる。
『俺と瑞穂は一緒のベッドで寝た。夫婦だったからな』
「……どのあたりが良い話だ??」
『悲しい事に、夫婦なのに言葉通りの事しかしていない』
「…………これ、悲しい話の間違いだろ。それに俺が、瑞穂の男性体験で今更態度を変えるかよ」
友達が一人しかいない状態で、英児はよく悲しみに耐えたものだ。俺なら、そんな夫婦生活に耐えられずに身投げしてしまうかもしれない。
『それなら、悪い話の方だ。俺と瑞穂は一緒のベッドで寝た』
「…………あれ、話変わってなくないか?」
『俺が最後の最後で、萎えた。瑞穂は間違いなく好みだったが、あいつはこう言いやがったんだ。子供はキャベツ畑か――』
この作品最後の石鎧戦闘です。
書くのに力がいるので、シナリオ後半は抑え気味でした。
作者的に瑞穂が処女である必要はないと思っていたのですが、キャラ的にはそうなります。ええ、オリジナルも含めて。百年間の純潔ですね。




