9-6 そして二人は幸せなキスをして……
「さて、と」
棺から現れた魔族な瑞穂は、近くにいた石鎧と気に入らない石鎧を優先してパイプ髪を突き刺していた。アルヴも外縁軍も内縁軍も関係ない。僧侶級の精神を操る特性を生かして、手勢を増やしている。
「ドーム世界の秘密が瑞穂だった訳だが……これまでありがとう、ナイナー。行っていいぞ」
地下は狭く下半身はまだ棺の中だというのに、世界を壊すと奇声を上げて暴れている。鷹矢王子の言葉通り、遺跡には世界の滅びが存在した。ドーム世界の行く末は瑞穂の気分次第なのだろう。
鬼兎の性能を引き出せば、勝てるかもしれない。
だが、俺は厄介な女の対処をもう一人の俺に一任する。
「お前が長年逢いたかった女じゃないか。ウズウズしていて体が痒い。俺から出て行きたいんだろ。さあ、行けって」
ナイナーは私情を抑えた思念で、しかし、と俺に返答する。
「死別したと思っていた相手が生きていた。ここで素直にならないと、次はない」
行くならば共に行けば良い。こうナイナーは俺を誘ってきたが、辞退する。黒い髪を散乱させる凶暴な女に近づきたくない、が理由ではない。
魔族な瑞穂に背を向けて、俺は階段の上方へと視線を向ける。
「野暮用があるから、ナイナー一人に任せる。……ああ、代わりと言うのは難だが、俺の幼馴染の方の瑞穂を救ってくれないか」
階段の上では、暗くても見分け易い白い石鎧が、赤くカメラレンズを瞬かせていた。光信号で、来い、と告げている。
白い石鎧の背後では、長くて大きい物体が壊れている。
蛇の頭部のような場所から石兎の上半身が飛び出て、最後に一矢報いようとした様子であるが……体には短剣が数本刺し込まれ、石兎の硬い頭が中央に向かって埋没していた。
蛇に変容した女の化物、ラミアーを連想させる異形石鎧を撃破したというのに、白い石鎧は貪欲に獲物を欲している。指名された通り、俺が行くしかないだろう。
頭を上下に振って、頷いてやる。
すると白い石鎧、アキレウス・ネオプトは指で誘ってから階段から姿を消した。騒がしい地下ではない、誰にも邪魔されない上で勝負を望んでいるようだ。
「エージは俺の相手だ。俗に言う、ここは俺に任せて先に行け、の場面だろ。少し違うか」
ナイナーが憑依を解いてしまうと、借り物であった爵位権限『ソリテスの藁』を使用できなくなる。散々頼ってきた力なので心細くはあるが、いつまでも借りていられるものではないだろう。
そもそも、英児なる男に対して、魔的な力を使ったぐらいで勝てないのは予科生時代に散々経験済みだ。
「心配するな。今日こそはエージを倒す。ナイナーこそ心配だから……魔的な力はすべて持っていけ。ああ、藁だけでなくワニもだ」
俺が最後に聞いたナイナーの思念は、別れの挨拶だ。
「ああ、じゃあな。俺」
憑き物が剥がれ、肩が軽くなるような感じがする。オレンジ色の残滓が、装甲板をくすぐる。
背後に俺の気配が生じたが、ドッペルゲンガーを見ると寿命が縮むという。だから振り返らず、階段を兎のように跳び上がった。
英児が選んだ舞台は、遺跡の一階にあるホールである。
屋内空間としては広いが、細い柱が建っており完全に自由に動きまわれる場所ではない。ドーム内への侵入、制圧も任務にしている石鎧にとって、ありふれた戦場だ。
アキレウスの強化亜種。ネオプトと追記される白い石鎧が、かつかつ、と摩擦指数の低い床を足底で叩く。
『一日千秋っていうのか。本当に長かった。最後の最後で色々邪魔されて、流石に疲れたぜ。俺の知っている九郎はそんな大そうな男ではないだろうに』
「大した事ない俺に固執しているのはお前だ、エージ」
『二年前から待たせ過ぎで、不満が溜まっている。実を言えば、軍学校での初めての演習、お前との初対決以上に満足できた戦闘はない。合計して、五年ストレスを発散できていない事になるよな』
軍学校の入学当時、大戦を生き残り、魔族という未知との敵からも生き残った俺は己を過信していた。今思い返すと恥ずかしくて悶死してしまいそうで、酷く粋がっていたと思う。
同年代を、ふっ、子供だな、とか、呟いていた俺をタイムパラドックスが起きても良いから殴りたくて仕方がない。
そんな幼稚な俺を、良くも悪くも叩き潰してくれたのが英児である。
学生の遊戯みたいな演習で、命のやり取りを行う破目になると誰が予想できただろうか。反則としか思えない技能で英児は俺を追い詰め、爵位権限がなければ殺されていただろう。
『壊しても壊しても動く九郎に、俺は感動したんだぜ。軍学校には俺でも楽しめる同年代がいると錯覚させて、落胆させたのも九郎だが』
「魔族でもアルヴでもないのに、異常なエージは結局何者だ」
『生粋のドーム人類で間違いない。親はキノコ栽培をしている』
「くそ、農家か。羨ましい奴め」
足底で床を叩く力を少しだけ強めて、ネオプトは俺を睨む。
『皮肉を言うなよ。宣戦布告なく潰したくなるだろうが』
「俺が羨ましいのか? ああ、身を挺してくれる仲間には恵まれているが」
『…………瑞穂の事だ』
どうして惑星内外で、あんな狂気な女ばかりが人気なのだろうか。
わざわざ精神攻撃を仕掛けてこなくても、英児は技量で俺を圧倒できるだろうに。
『最初は九郎への制裁のつもりだったのによ。つい、本気になったのが間違いの始まりだ。演習で何度も圧倒して、ようやくプロポーズのOKを貰えたと思えば……瑞穂はお前しか見ていない。どいつもこいつも、俺をDV亭主みたいに言いやがって。たく……』
英児の溜息が長い。自分の言葉でショックを受けているらしい。
『あー、欝になるから止めだが、九郎に言っておく。お前が勝てば、俺と瑞穂は離婚する』
「……どうぞ、ご勝手に?」
『白々しいな。九郎のためにも、俺のためにも、瑞穂のためにも勝ってみせろよ』
俺にはもう月野がいるので、瑞穂がフリーになろうと関係ない。脳の浅い所では確かにそう思っている。
だが、無意識に手は拳を作ってしまう。
否応なしに気持ちのギア比が変わる。
地下にいるナイナーという証明がいるように、俺は百年経っても瑞穂を忘れられない男なのだろう。
月野が恋人であるのは間違いないが、瑞穂も大切な女である。それが恋であるとは言えないが、愛の一種だとは自覚していた。
『やる気を出したな。いい表情だから、そろそろヤろうぜ』
ネオプトが連戦で消耗していると信じたいところであるが、白い塗装が剥げている箇所は発見できない。装備や電力、固形燃料を消費している程度であり、戦闘行動に支障はないのだろう。
瑞穂のアキレウスと同じく、ネオプトは短剣を両手に構える。左は逆手だ。
俺は脇下のホルスターからハンドガンを取り出して構え、左手にはナイフを装備して応じる。
『全力を出し尽くせ。そうしないと……三秒で終わるぞ』
英児の通信が終わった瞬間、ネオプトの姿が掻き消えた。そう見えるだけで、高速移動しているだけだと判断できたのは、AIのクロック数を限界まで高めていたからだろう。
電磁筋肉の伸縮とスラスター噴射の融合機動で、ネオプトは左回りに迫っていた。伸ばされた剣先を、ハンドガンの銃身を盾にして防御する。もう片方の短剣は、刃の根元にナイフをかち合わせて食い止めた。
一度、均衡状態になった後は、俺から動く。足技、回し蹴りを放つ。
スウェーでネオプトが足蹴を避けた時が、戦闘開始してから丁度三秒だ。
九郎は地下空間の最奥にいる瑞穂を見詰めて……正直、どうしたものかと悩んでいた。
瑞穂が暴れられる程に元気一杯に生きているのは心底嬉しい。が、癇癪を起している間の瑞穂はニトログリセリン級に危険なのだ。幼少の頃からの経験が、慎重な行動を九郎に強いてしまう。
それに、助けなければならないもう一人の瑞穂もいる。悲しい瑞穂だ。本人の意思の問題もあったにせよ、魔族が火星に現れなければ九郎と結ばれたはずの子である。
恋慕の消化不良で暴走した瑞穂を、まだ若い九郎は難儀に感じていた。が、魔族たる九郎は、瑞穂の人生を狂わせてしまった罪の意識が強く、助けたい気持ちでは九郎に勝っているだろう。
市民級に似た九郎は、全長十メートル。男爵級に相当する魔族である。
その九郎から見て、棺の中から現れた瑞穂は子爵級に相当すると判断された。
墨汁色と化した外皮と蠢く魔族紋は魔族特有のものである。まず間違いなく、瑞穂は魔族だ。
ただし、ルナティッカーに地球を滅亡させられる前に火星へと旅立った瑞穂が、どうして魔族化しているのかは不明確だ。
……いや、それは違うのかもしれない。
長く、火星人類と同化していた九郎の価値観は交じり合い、火星に傾倒している。人間の姿といえば、ルナティッカーに似た形状をまず思い浮かべてしまうが、大前提として、ルナティッカーは人間に似てはいなかったはずだ。
狭苦しく天井をぶつからないように背を丸め、膝を曲げた格好で九郎は必死に思い出す。
人間は確か……最初から魔族のような姿だったのではないかと――。
“――これは、一体、どういう??”
九郎の思考がまとまり掛けた瞬間を見計らったかのごとく、近場の天井が崩落した。
入口から階段を伝う正式ルートを通らず、地面を掘っての侵入。赤い土煙の中から登場したのは、数体の魔族に守られたゼノンである。
地下の状況をまったく予期していなかったゼノンは、最初に疑問を口走り、続けて驚喜によって口を震わせていく。目まぐるしい表情の変化は、魔族的ではなく、一人の父親のようであった。
“――み、瑞穂っ。おお、ああ、生きている。生きて、おったのか”
“こんな失敗した世界で、九郎と結ばれるはずがないッ!! 全部、世界の所為だ!!”
“分かるか。パパだっ! 大きくなって、さあ、一緒に地球へ帰ろう!”
ゼノン。本名、曽我善之は九郎の義理の父だ。魔族化した後も幼少の頃からの縁により、または、娘と結婚させたかったお隣の幼馴染の男児をゼノンは贔屓にした。
ただ、やはり、実娘に対しては貴族級としての威厳を台無しにする程に甘い声を発している。
残念ながら、狂乱状態の瑞穂はゼノンを親だと認識できていない。
瑞穂はパイプ髪で応戦し始めたが、伯爵級たるゼノンにとっては赤子のパンチに等しい。精神汚染をニタニタ笑いながら受け止めている。
ゼノンの出現は突破口になる。手の付けられない瑞穂を制御できるのは、父親たるゼノンだけだったからである。
“パパに甘えてくるとは、瑞穂はいつまで経って可愛いな――ん、どうしたのだ、ナイナー?”
九郎は一声を掛けて、ゼノンを正気に戻させた。
暴れる瑞穂をゼノンに抑えてもらい、その間に九郎が接近。瑞穂にダイレクトな説得を試みる。
“分かった。任されよう。ほら、お前達も協力するのだ。だが、我が娘の大事な髪だ。傷付けるのは厳禁であるぞ”
正常状態ならば頼もしいゼノンは、側近の男爵、子爵級と共にパイプ髪と精神支配を受けた石鎧の制圧に向かう。
魔族の中でも特異な僧侶級とはいえ、数人で取り囲めばどうとでもなるはずであったが……石鎧の卓越した動きに翻弄されている。石鎧すべてが火星瑞穂と同じ動きを見せ、一方で図体のでかい貴族級は地下空間で身を屈めているのだから仕方がない。
そんな中、ゼノンがゆっくりと歩き出す。
“――爵位権限『歩く偏屈』発動。さあ、娘が待っておる”
ゼノンの爵位権限により硬直した瑞穂の防衛線を、九郎は突破した。
床を蹴り上げて、瑞穂に抱き付こうと九郎は跳ぶ。障害は何一つな――。
『九郎がいないッ!! 私の九郎は、どこ!?』
剣を上段に振り上げたアキレウスが、九郎の視界内に入り込んだ。
九郎にとって、まさか、という思いだっただろう。伯爵級の権限を振り解いて、アキレウスが動いた事……にではない。瑞穂との再会を瑞穂に邪魔される事に対して、驚いたはずだ。
アキレウスの妨害は、厳罰だ。火星の九郎と瑞穂を邪魔した罰として、これ程に等価値なものはない。
だから、九郎はアキレウスの剣を避けず防がず、米噛みに突き刺さる傷みを受け入れる。爵位権限『ソリテスの藁』さえ発動させず、ただ痛みに耐えた。
九郎は藁ではない、もう一つの爵位権限を選んだのだ。
“――俺は俺達の未来を予言する。予言が的中した場合、瑞穂は俺を受け止める。予言が外れた場合、瑞穂は俺を拒絶する”
火星の九郎にも所有権があったはずの『クロコディルズ』を発動しながら、九郎は怒れる瑞穂へと跳び付く。
“――瑞穂ッ! 俺はお前にッ、追い付いたぞ! もう離れない、離れはしない!!”
髪を振り回す瑞穂は、確かに錯乱していたはずだ。近寄る九郎を認識できなかったのだから、距離が縮まった程度で何かが変わるはずがない。
それでも……瑞穂は、九郎を両腕で抱き締めた。指で触れ、手で触れる。たったそれだけの事で、瑞穂は安定していった。
互いを柔らかな感触に包まれながら、二人は顔を見合わせて抱擁する。
“火星に来るのに一世紀も掛かった。ごめん、瑞穂”
“ああっ、九郎。九郎が来てくれたなら、もう私、何もいらない”
めちゃくちゃな文様で顔は酷いあり様だったが、気にする余裕なく、二人は唇を密着させた。




