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第6話:ありがとう!

 食堂の扉が開いた瞬間、私は思わず足を止めた。


 ……おお。


 何これ、すごい!


 広い食堂いっぱいに長いテーブルが並び、その上には料理がずらりと用意されていた。


 焼きたてのパンに、香草のいい香りがする肉料理。彩り豊かな野菜の盛り合わせ。それから、大きな鍋で運ばれてきた熱々のスープ。


 少し離れたテーブルには、山で採れるキノコを使った料理まである。


 ……ああ。


 温泉に入って、おいしいものを食べる。


 まさに、私が望んでいた休暇そのものじゃないか!


「お父さん、いい匂い!」


「うん。すごくおいしそうだね!」


 カトレアが、私の手をぎゅっと握った。


 その腕にはモフ太が抱えられている。


 ……というか、モフ太。


 カトレアが歩くたびに上下に揺れてるけど、大丈夫?


「ご主人様。お気遣いには及びません。快適でございます」


 ……そうですか。


 本人が幸せそうなら、まあいいか。


 食堂の奥では、別荘の方々が料理の仕上げをしていた。


 ミゲイルさんが、たくさんの人数でも安心して泊まれると言っていた理由が、ようやく分かった気がする。


 ……これだけの食事を準備するの、大変だっただろうなぁ。


 帰る前に、きちんとお礼を伝えないとね。


     ◇


「皆様、どうぞお好きなお席へ」


 案内してくれた男性が、穏やかに微笑んだ。


 ……お好きな席。


 それは、いいね!


 今回の旅行は、家族全員で楽しむためのものだ。


 普段どの国で暮らしているとか、何をしているとか、そういうのは気にせず座ってほしい。


「みんな、好きなところに座ってね! せっかくだし、普段あまり話せない子とも一緒に食べよう!」


 声をかけると、あちこちで楽しそうな相談が始まった。


「隣、いいですか?」


「もちろん! 久しぶりですね!」


「向こうのお料理も、あとで一緒に取りに行きましょう」


 ……うん。


 こういうの、いいなぁ。


 私はカトレアたちと一緒に、食堂の中央に近い席へ向かった。


 桜花が隣に座り、反対側にはカトレア。


 その近くにセバス、エーデルさん、キャッツも腰を下ろす。


 ……あれ?


「巴さんは?」


 さっきまでいたと思ったのに、姿が見えない。


 桜花が、そっと厨房の方へ目を向けた。


「巴でしたら、先ほど料理長の方にお声がけをされておりました」


 …………。


 ……まさか。


 私は、嫌な予感を覚えながら立ち上がった。


     ◇


 厨房を覗くと。


「そうなのねぇ。こちらのキノコは、こうして煮込むのね」


「はい。山の香りがよく出るんですよ」


「まあ、素敵。少し味見させてもらってもいいかしら?」


 ……いた。


 しかも、ものすごく楽しそうだ。


 巴さんは料理長らしい女性の隣で、鍋の中を覗き込んでいた。


 ……いや。


 旅行に来たんですよね、私たち?


「巴さーん?」


「あら、リアリスちゃん。どうしたの?」


「どうしたの、じゃないですよ。お仕事してません?」


「ふふ。お仕事じゃないわよ。少し作り方を教わっていただけ」


 ……本当に?


 料理長さんに目を向けると、笑顔で頷かれた。


「巴様には、こちらの料理のお話を熱心に聞いていただいております。ぜひ一品、ご一緒に作ってみたいとおっしゃってくださって」


「……一品?」


「ええ。お手伝いは少しだけよ」


 ……ああ。


 そういえば、第4話で約束したんだった。


 料理は巴さんにとって、仕事だけじゃなくて楽しみでもある。


 好きなことまで我慢させたら、何のための旅行か分からないもんね。


「じゃあ、一品だけですよ? 終わったら、一緒に食べましょう」


「はーい」


 …………。


 何だろう。


 この素直な返事、いつも私が巴さんにしてる返事と同じような気がする。


「ふふ。リアリスちゃん、心配しなくても大丈夫。今日は私も楽しませてもらうわ」


「……うん。それならよかったです」


 巴さんが、にっこり笑った。


 料理長さんも、楽しそうに頷いている。


 ……まあ、いいか。


 きっと、すごくおいしい一品ができるんだろうな。


 ……あっ。


 そう思ったら、お腹が鳴りそう。


 早く席に戻ろう。


     ◇


 全員の席が決まり、料理も並び終わった頃。


「旦那様。皆様、お揃いでございます」


 セバスが、そっと耳打ちしてきた。


「ありがとう、セバス」


 ……よし。


 それじゃあ、始めよう。


 私は、席から立ち上がった。


 食堂にいたみんなが、自然とこちらを見る。


 ……おお。


 さっきまでにぎやかだったのに、急に静かになったぞ。


 何だか、また式典の挨拶をするみたいだなぁ。


 ……いやいや。


 今日は国王の前じゃない。


 家族のみんなに、ありがとうを言うだけだ。


「えーっと。まずは、みんな。今日は来てくれてありがとう!」


 何人かが、笑顔で頷いてくれた。


「普段は各国の屋敷やお店、学校で、それぞれ頑張ってくれているよね。今回の王国の件でも、私がいないところでたくさん助けてくれました」


 巴さんが、優しく微笑んでいる。


 桜花も、隣で静かに頷いていた。


「私は好き勝手にあちこち飛び回ってるし、急にお願いすることも多いけど……」


 ……あれ。


 こうして口にすると、結構ひどい家主じゃない?


 自分で言っておいて、ちょっと反省。


「……それでも、みんながいてくれるから、毎日安心して過ごせています。だから、今日は本当に何もしなくていいからね。温泉に入って、おいしいものを食べて、好きなだけ休んでください!」


 そこで一度、みんなの顔を見回した。


 見慣れた顔も、普段は遠くの国で暮らしている顔もある。


 そして、今はその全員が、同じ食堂にいる。


 ……うん。


 言いたかったことは、やっぱりこれだな。


「みんな、いつも支えてくれてありがとう! これからもよろしくお願いします!」


 私は、飲み物の入った杯を持ち上げた。


「かんぱーい!」


「乾杯!」


「かんぱーい!」


 たくさんの声が重なった。


 あちこちで杯を合わせる音が響く。


 カトレアも、両手で持った果実の飲み物を高く掲げている。


「お父さん、かんぱーい!」


「乾杯、カトレア!」


 ……ああ。


 よかった。


 みんな、楽しそうだ。


 ……って。


 そろそろ座ろう。


 お料理が冷めちゃう!


     ◇


 まず私が手を伸ばしたのは、キノコと野菜がたっぷり入ったスープだった。


 ひと口飲むと、やさしい香りが口いっぱいに広がる。


「……おお!」


 何これ。


 おいしい!


 濃厚なんだけど、しつこくない。


 温泉のあとには、ちょうどいい感じだ。


「リアリスちゃん。どう?」


 いつの間にか席に戻っていた巴さんが、こちらを見ていた。


「すごくおいしいです! ……あれ、もしかして?」


「ふふ。少しだけ、お手伝いさせてもらったの」


 ……やっぱり。


 巴さん、満足そうだなぁ。


「こちらのキノコは、いい香りが出るでしょう?」


「はい! お肉にも合いそうですね」


「そうなの。帰ったら、また作ってみたいわ」


 ……ああ。


 帰ってからの献立が増えそうだ。


 それはそれで、楽しみだね。


「巴さんも、ちゃんと食べてくださいよ?」


「分かってるわよ。ほら、リアリスちゃんも、冷めないうちに」


「はーい!」


 ……うん。


 ここまで来ると、私の方が子供みたいだな。


     ◇


「リアリス様! こちらのお魚、すごくおいしいです!」


 キャッツが、目を輝かせている。


 手元の皿には、香草を添えて焼かれた川魚。


 表面はこんがり、身はふっくら。


 ……おお。


 これは絶対おいしいやつだ。


「私も一口もらっていい?」


「もちろんです!」


 キャッツが元気よく頷く。


 ……あっ。


 私の分も、ちゃんと用意してあるのに。


 つい、人が食べているものっておいしそうに見えるよね。


 ひと口食べてみる。


「……うん! おいしい!」


「ですよね!」


 キャッツが、自分のことのように喜んだ。


 ……ふふ。


 本当に魚が好きなんだねぇ。


「お父さん、私も食べたい!」


「いいよ。小骨があるから、気をつけてね」


 すると、エーデルさんがカトレアの皿へ魚を少し取り分けてくれた。


「カトレア様、こちらは骨を取っておきますね」


「ありがとう、エーデルさん!」


 カトレアがひと口食べる。


 それから、ぱっと顔を輝かせた。


「おいしい!」


 エーデルさんも、嬉しそうに笑った。


 ……ああ。


 何だか、こういう光景を眺めているだけで、満足してしまいそう。


「リアリス様、こちらもどうぞ!」


 キャッツが、別の魚料理を差し出してきた。


「えっ、まだあるの?」


「はい! こっちは少し味付けが違います!」


 ……おお。


 さすがキャッツ。


 魚に関しては、ものすごい行動力だね。


 ……というか。


 もう何皿目?


 私がそう尋ねようとした瞬間。


「キャッツちゃん」


 巴さんの声が聞こえた。


「お魚だけじゃなくて、お野菜も食べるのよ?」


「……はい」


 ……うん。


 今日も、お母さんの勝利だね。


     ◇


「カトレア」


「なあに、モフ太?」


 腕の中から、モフ太が顔を上げた。


 カトレアは席に着いてからも、モフ太を大事そうに抱えている。


「私にも、そのお魚の香りを少し……」


「モフ太、お魚食べたいの?」


「いえ。カトレアが召し上がるものに、どのようなお味があるのか気になりまして」


 ……なるほど。


 つまり、食べたいんだね。


 私は、モフ太用に取り分けてもらっていた料理を、小さな皿ごと差し出した。


「モフ太の分もあるよ。もちろん、食べやすいようにしてあるからね」


「おお。ありがとうございます、ご主人様」


 モフ太が、丁寧に頭を下げた。


 ……いや。


 その大きさで礼儀正しくお辞儀されると、何だかおかしい。


「モフ太、おいしい?」


「はい。たいへん美味でございます」


「よかった!」


 カトレアが、にこにこと笑っている。


 ……うん。


 モフ太も、幸せそうだなぁ。


 ちなみに、キャッツはもう次の魚を取りに行っていた。


 ……早い!


 あの子、お料理の場所を完全に把握してるね。


     ◇


 少しお腹が落ち着いたところで、私は周りを見渡した。


 フラワーズの八人は、少し離れたテーブルに集まっている。


 全員、浴衣姿。


 いつもどおり、表情はほとんど変わらない。


 でも、料理を取り分けたり、同じ皿を覗き込んだりしている姿は、何だかとても楽しそうだった。


 ……うん。


 ……いや。


 よく見ると、ものすごく楽しそうだ。


 牡丹が大きめの肉料理を皿に取る。


 その隣で、蘭が小さな野菜の盛り合わせを指さした。


 牡丹がこくりと頷き、半分を交換する。


 ……おお。


 無言で意思疎通してる。


 仲がいいなぁ。


 私は、皿を持ってそちらへ向かった。


「みんな、楽しんでる?」


 八人が、そろって顔を上げた。


 ……また、揃った。


 ちょっと面白い。


 藤が、少しだけ目を細めた。


「はい。とても」


「そっか。よかった!」


 杏子は、皿の上にある小さな焼き菓子を見せてくる。


「リアリス様。これ、おいしい」


「へえ。どれどれ?」


 ひとつもらって、口に入れた。


 外はさっくり、中はしっとり。


 ……おお。


 これは、お茶が欲しくなる味だ!


「本当だ。おいしいね!」


 杏子が、小さく頷いた。


 その横では、朝顔が料理の並んだテーブルを眺めている。


「どれを選んでも、おいしいですね」


「うん。私も、まだ全部は食べられてないよ」


 撫子が、ふっと視線を上げた。


「……では、あとでご一緒に」


「もちろん!」


 ……ああ。


 よかった。


 普段はみんなが同じ場所にいられる時間も限られているからね。


 今日は、八人でおしゃべりするのもいいし、私と一緒に食べるのもいい。


 好きなように過ごしてほしい。


「楓は?」


 近くに座っていた楓を見る。


 楓は、小さな菓子を両手で持っていた。


 ひと口食べてから、私へ目を向ける。


「……おいしい」


「うん。よかったね」


 頭を撫でると、楓はほんの少し目を細めた。


 ……可愛いなぁ。


 そして。


 残りの七人が、順番にこちらを見る。


 …………。


 ……また!?


 いや、別にいいんだけど!


 私は、結局八人の頭を一通り撫でてから、自分の席へ戻ることになった。


 ……あれ。


 もしかして、今回の旅行。


 一番働いてるの、私の右手だったりする?


     ◇


 食堂の奥では、学校で子供たちに勉強を教えてくれている子が集まっていた。


 ……おっ。


 アンナたちだね。


 みんな浴衣姿のまま、何やら熱心に話している。


「こちらでは、授業の最初に少しお話しする時間を作っています」


 オリアナが言った。


「子供たちが、前の日にあったことを教えてくれるんです」


「なるほど。それなら、話す練習にもなりますね」


 アンナが真面目な顔で頷く。


「ただ、話が盛り上がりすぎることもありまして……」


「分かります!」


 サーシャの声が、食堂に元気よく響いた。


 ……おお。


 元気だねぇ。


 温泉に入ったあとでも、声量は変わらないんだ。


「こちらでも、話したい子が次々に手を挙げるんです!」


「ふふ。みんな、先生に聞いてほしいのねぇ」


 ホリーが、嬉しそうに笑った。


 ナターシャは、のんびりとお茶を飲んでいる。


「私はぁ、焦らず、順番にお話ししてもらってますぅ」


「それも、いい方法ですね」


 シェリルが穏やかに頷いた。


 ……うん。


 何だか、いつもの会議みたいになってる気がする。


 でも。


 みんな楽しそうだから、別にいいかな。


 私が近づくと、ラナがこちらを振り返った。


「あら、リアリス様。お食事はちゃんと召し上がっていますか?」


「はい! すごくおいしいですよ」


「ふふ。よかったです。温泉のあとですから、しっかり食べてくださいね」


 …………。


 ……あれ?


 私、子供扱いされてる?


 ラナは、にこにこ笑っている。


「リアリス様、お野菜も食べました?」


「食べました!」


 ……おお。


 何だろう。


 反射的に答えちゃった。


 周りのみんなが、小さく笑い始める。


「ラナ。リアリス様は子供ではありませんよ」


 アンナが、少し呆れたように言った。


「そうでしたね。つい、いつもの癖で」


 ……ああ。


 この子、本当に誰に対しても先生なんだなぁ。


「みんなも、今日は学校のことばかり考えずに楽しんでね」


「もちろんです!」


 カレンが、元気よく答えた。


 その勢いで、手元の菓子皿が少し傾く。


「わっ!」


 隣のホリーが、さっと皿を支えた。


「カレン、気をつけてね」


「す、すみません!」


 …………。


 ……うん。


 みんな、元気そうで何よりだ。


     ◇


 宴会が進むにつれ、席のあちこちで輪ができていた。


 最初は同じ国の屋敷で過ごしている子たちが近くに座っていたけど、気づけば違う国の子同士がお皿を見せ合っている。


「今度、そっちのお店にも行ってみたいです」


「ぜひ! 最近、お客さんが増えたんですよ」


「このお菓子、王都の雑貨屋でも人気が出そうですね」


 ……うん。


 みんな、楽しそう。


 ときどきお店の話になるのは、もう仕方ないね。


 こうして会うと、話したくなることもたくさんあるだろうし。


 私は、飲み物を片手にあちこちの席へ挨拶して回った。


 すると、思いがけないことを言われた。


「リアリス様。次も、こういう旅行をしていただけるのでしょうか?」


 ……えっ。


 次?


 まだ一回目の途中なんだけど。


「うーん。みんなが楽しいなら、また計画したいね」


 そう答えると、近くにいた子たちが嬉しそうに顔を見合わせた。


「ぜひ、お願いします!」


「次は海もいいですね!」


「森の中で過ごすのも楽しそうです!」


 …………。


 ……あっ。


 これ、次の旅行先の相談が始まる流れだ。


 誰かが、山のおいしい料理の話をする。


 別の子が、海沿いの景色を勧める。


 さらに、どこかの国の珍しいお菓子の話まで出てきた。


 ……うん。


 大変なことになりそうな予感。


 でも、まあ。


 それも楽しそうだね。


     ◇


「リアリスちゃん、おかわりは?」


 席に戻った途端、巴さんが声をかけてきた。


「いただきます!」


 ……あっ。


 そういえば、さっきのスープがおいしかったんだよね。


「もう少し、お野菜も食べましょうね」


「はーい」


 ……やっぱり。


 完全に、いつもの食卓だ。


 隣で、セバスが小さく笑った。


「旦那様。すっかりおくつろぎのご様子でございますね」


「うん! こんなにのんびりご飯を食べられるなんて、久しぶりかも」


「とてもよろしい催しかと思います」


「ごもっともです」


 桜花も、微笑みながら頷く。


「……あれ?」


 私は、二人の顔を見た。


「もしかして、私だけがこんなに浮かれてる?」


「いいえ、リアリス様。皆様、お喜びでございます」


「そうですよ、リアリスちゃん。あなたが楽しんでくれないと、私たちも寂しいわ」


 ……そっか。


 じゃあ、遠慮なく楽しませてもらおう。


 私は、おかわりのスープをひと口飲んだ。


 ……ああ。


 おいしい。


 本当に、幸せだなぁ。


     ◇


「お父さん!」


 カトレアが、急に私の袖を引いた。


「ん?」


「こっち、見て!」


 差し出されたのは、小さな皿。


 その上には、果物を使った色鮮やかな焼き菓子が乗っていた。


「おお! きれいだね!」


「えへへ~」


 カトレアは、嬉しそうに笑った。


「エーデルさんと一緒に選んだの!」


「そうなんだ!」


 エーデルさんが、少し照れたように微笑む。


「カトレア様が、リアリス様にも召し上がっていただきたいと」


「そっか。ありがとう、カトレア」


 私は、小さな菓子をひとつ口に入れた。


 甘酸っぱい果物と、香ばしい生地。


 ……おお。


 これもおいしい!


「おいしいよ!」


「やったぁ!」


 カトレアが、両手を上げた。


 その拍子に、膝の上にいたモフ太が少しだけ揺れる。


「……カトレア。お皿には、どうぞお気をつけください」


「あっ、ごめんね、モフ太!」


「いえ。お気になさらず」


 ……ふふ。


 この二人、相変わらずだね。


 キャッツが、すっと顔を近づけた。


「リアリス様、そのお菓子はどちらに!?」


 …………。


 ……あっ。


 もう見つかった。


「向こうのデザートのところだよ」


「ありがとうございます!」


 ものすごい速さで立ち上がるキャッツ。


 ……あはは。


 あの子、本当に元気だなぁ。


 モフ太は、キャッツの背中を少しだけ見つめた。


 ……ん?


 また、張り合うのかな?


 でも、カトレアが頭を撫でると、すぐに目を細めた。


「モフ太も、あとでおいしいもの食べようね」


「……はい。喜んで」


 ……うん。


 やっぱり、カトレアには勝てないんだね。


     ◇


 食事がひと段落すると、食堂にはゆったりとした時間が流れ始めた。


 誰かがお茶を飲み、誰かが外の山の景色を眺めている。


 まだ料理を楽しんでいる子たちもいる。


 ……というか。


 キャッツは、まだ食べてるの?


 見ていると、巴さんがそっと立ち上がった。


「キャッツちゃん。そろそろ少し休んだ方がいいわよ?」


「……あと一皿だけ!」


「ふふ。お腹いっぱいになったら、ちゃんと終わりにしましょうね」


「はい!」


 ……うん。


 あれなら、大丈夫そうだ。


 その一方で、フラワーズは八人並んでお茶を飲んでいた。


 みんな、相変わらず表情はほとんど変わらない。


 それでも、時々視線を交わして小さく頷く姿が、普段よりずっと柔らかく見えた。


 ……ああ。


 何だか、こっちまで嬉しくなるね。


     ◇


 夜。


 食事を終えたあと、私は少しだけ外へ出た。


 別荘の庭は静かで、遠くの山が月明かりに浮かんでいる。


 建物の窓からは、まだ楽しそうな声が聞こえてきた。


 ……うん。


 誰も、今日のことを急いで終わらせようとしていない。


 それが、いいね。


「リアリス様」


 後ろから、桜花が声をかけてきた。


「桜花。どうしたの?」


「こちらにいらっしゃると思いまして」


「そっか」


 桜花が、隣に並んだ。


 しばらく、二人で夜の山を眺める。


 ……静かだなぁ。


「リアリス様。皆様、今日はとても楽しそうでございました」


「うん。よかったね」


 私は、窓の方へ目を向けた。


 笑い声が、かすかに聞こえる。


「今回、王国のことで大変だったでしょう。みんなにも無理をさせちゃったし。だから、少しでも休んでもらえたらと思ったんだ」


「はい」


「でも、こうしてみると、私の方が楽しませてもらってる気がするよ」


 桜花が、少しだけ微笑んだ。


「それで、よろしいのではありませんか?」


「……そうかな?」


「リアリス様が楽しんでおられることも、皆の喜びでございます」


 ……ああ。


 そうだね。


 私が難しい顔をしてたら、せっかくの旅行が台無しだ。


「じゃあ、明日も思いっきり楽しもう!」


「はい。ご一緒いたします」


 ……うん。


 頼もしい返事だね。


     ◇


 翌日も、その次の日も。


 私たちは、のんびり過ごした。


 朝は少し遅く起きて、みんなで食事をする。


 温泉に入る。


 山の景色を眺めたり、ドボロクの町を歩いたり。


 カトレアは、見たことのない花を見つけるたびに、嬉しそうに私を呼んだ。


 エーデルさんも一緒になって花を眺め、桜花はその横で静かに微笑んでいる。


 巴さんは、気づけば町のお料理の話を聞いていた。


 ……ふふ。


 やっぱり、そこは変わらないんだね。


 セバスは、最初こそ時間を気にしていたけれど、二日目には予定表を開く回数がずいぶん減った。


 ……よし。


 ちゃんと休むこと、覚えてくれたかな?


 キャッツは、相変わらず食べ物の話ばかり。


 モフ太は、相変わらずカトレアのそばを離れない。


 そして、フラワーズは八人で一緒に過ごす時間を、存分に楽しんでいた。


 大きな事件も起きなかった。


 誰かが急に助けを求めてくることもなかった。


 ……うん。


 たまには、こういう日があってもいいよね。


     ◇


 旅行の最終日。


 別荘を出る前に、私はみんなと一緒に建物の前へ並んだ。


「それじゃあ、最後に記念写真を撮ろうか!」


「わあ! 写真!」


 カトレアが、ぱっと顔を輝かせた。


 ……うん。


 せっかく全員揃ったんだし、残しておきたいよね。


 人数が多いから、並ぶのもひと苦労。


 前の方に小柄な子たちが集まり、背の高い子たちは後ろへ。


 セバスが全体を見ながら、みんなの位置を少しずつ調整してくれた。


「旦那様。これで、皆様がお入りになるかと存じます」


「ありがとう、セバス! でも、セバスもちゃんと入ってね!」


「……かしこまりました」


 ……あれ。


 また、自分だけ後ろへ下がろうとしてた?


 私は、セバスの袖をつかんで、みんなの中へ引っ張った。


「今回の主役は、家族全員なんだから!」


 セバスが、小さく目を見開いた。


 それから、穏やかに頭を下げた。


「……ありがとうございます、旦那様」


 ……うん。


 それでよし!


 カトレアは、モフ太を抱きかかえて一番前。


 桜花は私の隣。


 巴さん、エーデルさん、キャッツも近くに並ぶ。


 フラワーズの八人も、きれいに横一列になった。


 ……おお。


 すごい。


 みんな、自然と息ぴったりなんだなぁ。


 私は、用意した撮影用の道具を置き、全員が写るように位置を調整した。


「よーし! みんな、こっち見て!」


 あちこちから返事がする。


「カトレア、笑って!」


「えへへ!」


「モフ太も!」


「承知いたしました!」


 ……いや、モフ太。


 声で返事してくれるのは嬉しいけど、動かないでね。


 私は、みんなの真ん中へ急いで戻った。


 桜花が、そっと私の袖を引く。


「リアリス様。こちらでございます」


「ありがとう、桜花!」


 その隣で、楓が私の手をちょこんと握った。


 ……ああ。


 こういうとき、楓は本当に可愛いなぁ。


 そして。


「撮るよー!」


 ぱしゃり。


 小さな音が響いた。


 ……うん。


 きっと、いい写真になったね。


     ◇


 帰りも、私とセバスが《転移》でみんなを順番に送った。


 別荘の方々には、全員でお礼を伝えた。


 巴さんは料理長さんと最後まで楽しそうに話していたし、キャッツはお土産に焼き菓子を選んでいた。


 ……あれ。


 また食べ物なんだ。


 まあ、キャッツらしいね。


 ミゲイルさんにも、あとで《映像通話》で改めてお礼を伝えよう。


 こんなに大勢で泊まらせてもらったんだし、感謝してもしきれない。


 ……それに。


 ここ、また来たいなぁ。


 温泉も料理も、最高だったからね。


     ◇


 シルク王国邸へ戻ると、見慣れた庭が私たちを迎えてくれた。


 《結界》の設定を普段どおりに戻し、出入りに問題がないことを確認する。


 ……よし。


 これで、ひと安心だね。


 各国の屋敷へ戻る子たちも、順番に《簡易転移》の扉を通っていく。


「またね!」


「次に会うときは、お土産のお話も聞かせてください!」


「お疲れさまでした!」


 みんな、名残惜しそうに手を振っている。


 ……ああ。


 また、いつもの暮らしに戻っていくんだね。


 でも。


 今回は、みんなで笑って過ごした思い出がある。


 あの写真も、きっと大切な一枚になるだろう。


「お父さん!」


 カトレアが、私の服を引っ張った。


「また、みんなで旅行に行こうね!」


「もちろん!」


「今度は、どこがいいかなぁ」


 ……おお。


 もう次の旅行の話だ。


 カトレア、気が早いねぇ。


 でも。


 その気持ちは、私も同じだよ。


     ◇


 その日の夕食。


 いつもの食堂に、いつもの家族が集まった。


 巴さんの料理が並び、セバスが席につく。


 桜花は、いつものように私の隣。


 カトレアは、モフ太を抱えながら今日の写真の話をしている。


 ……うん。


 何だか、久しぶりの我が家だ。


「リアリスちゃん、おかわりは?」


「いただきます!」


 ……ああ。


 温泉の料理もおいしかったけど、やっぱり巴さんのご飯も最高だね。


「お父さん、今日も楽しかったね!」


「うん。すごく楽しかったよ」


 カトレアが、にっこり笑った。


 その隣で、モフ太も小さく頷く。


「私も、たいへん有意義な旅でございました」


 ……ふふ。


 モフ太も、満足してくれたみたいだ。


 桜花が、そっと私へ目を向けた。


「リアリス様。皆様、明日からも元気に過ごせることと存じます」


「うん。そうだといいね!」


 私は、みんなの顔を見回した。


 大変なこともあったけれど。


 こうして、笑って食卓を囲める。


 そして、遠くの国にいる家族とも、いつでもまた会える。


 ……ああ。


 やっぱり、こういう暮らしが好きだなぁ。


 私は、思わず拳を握った。


「よーし! 明日からもがんばるぞー!」


「おーっ!」


 カトレアが、元気よく手を上げた。


 巴さんが笑い、桜花も優しく微笑む。


 ……うん。


 次は、どんな日常が待っているんだろうね。


 まあ、できれば。


 しばらくは、事件なんて起きずに過ごしたいものだ。


 ……本当にね!

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