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第9話:王国との取り決め

 目を覚まして、最初に思ったことがある。


 今日は、何も起こりませんように。


 ……昨日も同じことを願った気がする。


 転生して三日目。


 初日にドラゴン、二日目にヒュドラ。


 この調子でいくと、三日目にはいったい何が現れるんだろう。


 ……いや、考えるのはやめよう。


 嫌な予感しかしない。


 私は寝台から起き上がり、窓を開けた。


 王都クーラルの朝は今日も賑やかだ。通りには荷車が行き交い、遠くの屋台からいい匂いが漂ってくる。


 身体はすっきりしている。


 昨夜作った《クリーン》のおかげで、汗や汚れも気にならない。


 ただし、風呂に入った満足感までは再現できなかった。


「……いつか絶対、お風呂のある家に住もう」


 そう決めて、階下の食堂へ向かった。


 今朝の朝食も、昨日と同じサンドイッチだった。


 新鮮な野菜、ベーコンに似た香ばしい肉、それから濃厚な卵。


「うん。やっぱりおいしい!」


 パンは少し硬いけれど、具材と一緒なら気にならない。


 昨日の夕飯の、獣臭いハンバーグもどきとは大違いだ。


 ……朝と夜で、料理の当たり外れが激しすぎない?


 そんなことを考えながら、私は朝食を平らげた。


 食後は少し街を見て回りたい。


 でも、まずはギルドで依頼を受けようかな。


 昨日の薬草はかなり綺麗に採れたし、リリーナさんも喜んでくれていた。


 今日もまた、のんびり森を歩く。


 うん。完璧な予定だ。


 ……この予定が、今まで一度も予定どおりに進んでいないことは、考えないでおこう。


     ◇


 ギルドの扉を開けると、リリーナさんが受付にいた。


「おはようございます!」


「おはようございます、リアリスさん」


 彼女は笑顔を浮かべた。


 ……よかった。


 昨日のヒュドラのことは、もう落ち着いたのかな。


「今日も薬草採取をお願いできますか?」


「もちろんです。昨日の分もとても品質がよかったので、助かります」


「ありがとうございます!」


 よし。これで今日の仕事が決まった。


 そう思って依頼書へ手を伸ばした、そのとき。


「……リアリス!」


 背後から、聞き慣れた声が飛んできた。


 ゆっくり振り返る。


 そこには、片腕のギルドマスターが立っていた。


 ……ああ。


 また、この展開か。


「おはようございます、シルベスターさん」


「依頼を受ける前に来い。王城から呼び出しだ」


「……またですか?」


「まただ!」


 即答だった。


 あのう、私、冒険者登録して三日目なんですけど。


 もう王城への出勤が日課になりかけてません?


「……薬草採取は?」


「後だ!」


「……はい」


 リリーナさんが、依頼書をそっと引っ込めた。


 その顔には、何とも言えない苦笑が浮かんでいる。


「行ってらっしゃいませ、リアリスさん」


「行ってきます……」


 私の穏やかな一日は、開始早々、またしても予定変更となった。


 シルベスターさんと並んで王城へ向かう。


 王都の道はもう、少しだけ見慣れてきた。


 それなのに、行き先が王城となると、どうにも落ち着かない。


「今日は何のお話なんでしょう?」


「王国として、お前の今後の扱いを決めたいそうだ」


「……扱い?」


 何だか、嫌な響きだなぁ。


 規格外の力を持つ主人公が国王に呼ばれ、国家のために働くよう命じられる。


 断ったら騎士たちに囲まれて……。


 いやいや。


 そんなお約束展開、実際に体験したいわけじゃないぞ。


「私、軍隊に入るとか嫌ですよ?」


「誰もそんな話はしていない」


「だって、こういうときって大体そうなるじゃないですか」


「何を基準に言ってるんだ、お前は」


 ……日本で読んでいた異世界小説です。


 とは、さすがに言わなかった。


 転生の秘密を知っているのはシルベスターさんだけだけど、だからといって何でも説明する必要はない。


 城門を抜けると、昨日と同じ兵士が案内してくれた。


 もう顔を覚えられている気がする。


 ……うん。絶対に覚えられている。


 王城の長い廊下を歩きながら、私は天井の装飾を眺めた。


 何度来ても立派だ。


 でも、自分の家として住みたいかと言われたら、ちょっと考えてしまう。


 部屋が広すぎるし、掃除も大変そうだ。


 ……あれ?


 私はいつの間に、自分の家のことを考えているんだろう。


 まだ宿暮らしなのに。


「……ちょっと、君」


 不意に声をかけられた。


 振り向くと、少し離れたところに少年が立っている。


 高校生くらいに見える年頃だろうか。茶色い髪は少し長めで、ふんわりと毛先が跳ねている。


 身なりはずいぶんいい。


 貴族の家の子なのかな。


「私ですか?」


「そう。君、この辺りでは見かけない顔だね」


「そうでしょうね。王城に来るのは、まだ三回目ですから」


「……三回目?」


 少年が目を丸くした。


 ……あれ、何か変なこと言った?


「この三日間で、ですけど」


「……なるほど。それは珍しいね」


 彼は少し笑った。


 なんだか、年齢の割に落ち着いた話し方をする子だ。


「君は、冒険者なの?」


「はい。Fランクです」


「Fランク……?」


 また首をかしげられた。


 何だろう。


 Fランクって、そんなに驚く肩書きなのかな。


「薬草採取をしてます。今日も受けようとしたら、こちらに呼ばれまして」


「そうなんだ。……ふふ、面白い人だね」


「えっ、何がですか?」


「いや。何でもないよ」


 少年は楽しそうに笑う。


 前を歩いていたシルベスターさんが、振り返った。


「リアリス。そろそろ行くぞ」


「あ、はい」


 私が振り返ると、少年は軽く手を上げた。


「また会えるといいね、冒険者さん」


「はい。また!」


 私は手を振り返し、シルベスターさんを追いかけた。


 ……結局、名前を聞きそびれたな。


 まあ、この広いお城でまた会う機会があるかは分からないけど。


 感じのいい少年だった。


 それだけは確かだ。


 謁見の間の大きな扉が開いた。


 中にはカバディ王と、宰相のミキサーさんがいた。


 兵士や使用人の姿はない。


 今日も人払いをしているらしい。


 ……あのう。


 これ、また私が何かやらかす前提になってません?


 シルベスターさんが王様の前で片膝をついた。


「陛下。リアリスをお連れしました」


「うむ。ご苦労」


 私はその隣で立ち止まり、頭を下げた。


「おはようございます、王様」


「……うむ。よく来てくれた、リアリス」


 王様は少し緊張しているように見えた。


 前回はヴィクサスの遺体を見て気絶。


 昨日は鑑定結果を聞いて、また気絶。


 ……もしかして、私が来ると何か嫌なことを思い出すんだろうか。


 今日はドラゴンを出す予定もないし、大丈夫なはずだけど。


「まず、昨日までの件について礼を述べたい」


 王様は真剣な表情で話し始めた。


「そなたがヴィクサスを討伐したことで、長く人々を苦しめてきた厄災が終わった。王国だけでなく、ほかの国々にとっても大きな出来事だ」


「いえ。街を襲わないでほしいってお願いしただけだったんですけど……」


「結果として、多くの命が救われた。感謝しておる」


「……ありがとうございます」


 真正面から礼を言われると、少し照れる。


 私としては、あのドラゴンと仲良くできれば、それが一番よかった。


 でも、今は無事に帰れたことを喜んでくれている人もいる。


 なら、あの判断には意味があったんだと思いたい。


「さて、今日はそなたの今後について話したい」


 ……来た。


 ここからが本題だね。


 私は思わず背筋を伸ばした。


「先に聞いておきたい。リアリス、そなたがこの国に望むことは何だ?」


「……望むこと、ですか?」


「うむ」


 意外な質問だった。


 国に仕える覚悟はあるか、とか聞かれるのかと思っていたのに。


 私は少し考えた。


「自由に暮らしたいです」


 口にしてみると、いつもどおりの答えになった。


「冒険者の仕事をしたり、旅をしたり、料理を楽しんだり。気に入った場所があれば、そこに住んで。なるべく人に迷惑をかけず、のんびり暮らしたいです」


「それだけか?」


「はい。あ、できればお風呂のある家も欲しいです」


 王様が瞬きをした。


 ミキサーさんも、なぜか一瞬固まる。


 ……いや、そこ重要なんですよ。


 二日も風呂に入れない生活が続いたんだから。


「……なるほど。そなたの望みは、地位でも富でもないのだな」


「はい。偉くなりたいわけじゃありませんし」


 そう答えると、王様はミキサーさんへ視線を向けた。


「では、王国からの提案をお伝えします」


 ミキサーさんが一歩前に出た。


「リアリス殿。シルク王国は、あなたと友好的な関係を築きたいと考えております」


「……はい」


「そのために、あなたの行動や暮らしへ、王国から不必要な干渉をしないことをお約束します」


 ……えっ?


「住む場所についても、王国内であれば自由にお選びいただいて構いません。王都でも、町でも、村から離れた場所でも」


「……ええっ?」


「冒険者として働くかどうかも、ご自身で決めていただきます。王国から一方的に任務を命じたり、軍への参加を強いたりすることもありません」


 ……えええっ!?


 私は思わずシルベスターさんを見た。


 彼は膝をついたまま、目を閉じている。


 何でそんなに落ち着いてるんですか!?


「あ、あの。ちょっといいですか?」


「どうぞ」


「これ、私が国に取り込まれるお約束展開じゃないんですか?」


「……お約束?」


 ミキサーさんが首をかしげた。


 しまった。


 思っていたことが口から出た。


「いえ、その。普通は『その力を国のために使え』って言われるものかと思いまして」


 王様が、わずかに苦笑した。


「そう考える者もおろうな」


 ミキサーさんは、静かな声で続けた。


「ですが、あなたが望んでいないことを無理にさせれば、どうなりますか?」


「……嫌だなぁ、と思います」


「そのとおりです。あなたほどの力を持つ方と敵対することは、王国にとってあまりに危険です」


 なるほど。


 そりゃそうか。


「我々には、あなたを力ずくで従わせる手段がない。ならば脅したり縛ったりするより、まずは誠意を示すべきでしょう」


 ミキサーさんはまっすぐ私を見た。


「あなたがこの国で安心して暮らせるようにする。それが、こちらからの提案です」


 ……あれ。


 何だか、想像していたよりずっとまともな話だ。


 無茶な命令を出す王様も、実力を試すために襲ってくる騎士も出てこない。


 というか、もう《完全拘束》を宰相さんに使ってしまったし、私の方がよほど問題人物なのでは?


 ……それは考えないようにしよう。


「つまり、私は好きなところに住んで、普通に暮らしていいってことですか?」


「はい。王国があなたの自由を妨げることはいたしません」


「お城に呼ばれ続けたりもしません?」


「……必要な相談があればお願いすることはありますが、強制はいたしません」


 ……よかった!


 危うく王城へ毎朝出勤する生活になるところだった。


 それでは、せっかく転生した意味がない。


「それなら、ぜひお願いします」


 私は頭を下げた。


 王様の表情が、少しだけ柔らかくなった。


「うむ。では、我らはそなたの自由を尊重し、友として接することを誓おう」


「ありがとうございます。私も、できるだけ迷惑をかけないようにします」


 そこでシルベスターさんが、かすかに咳払いした。


 ……何ですか、その反応。


 私だって、迷惑をかけようとしてるわけじゃないんですからね。


「一つだけ、こちらからも願いがある」


 王様が、少し真剣な表情に戻った。


「いつか我が国が困難に直面したとき、そなたの力を貸してもらえるとありがたい。無論、強制ではない」


 私は少し考えてから、うなずいた。


「私にできることなら、お手伝いします。でも、戦争とかは遠慮したいです」


「それでよい。そなたを兵として扱うつもりはない」


「ありがとうございます」


 王様はゆっくりと息を吐いた。


 何だか、昨日よりずっと元気そうだ。


 ……あっ、いや。


 気絶していないって意味ですよ。


 そんな失礼なこと、さすがに口には出さないけど。


「ヴィクサス討伐の報酬についても、追って話を進める。今は鑑定や各国への報告が必要でな」


「分かりました。急いでいませんし」


 確かに、あれだけの騒ぎだったのだから、後片づけも大変そうだ。


 それに私は、今日の薬草採取のことも考えたい。


 ……まだ依頼を受けられてないんだよね。


 ミキサーさんが一歩下がり、深く頭を下げた。


「以上が、王国からの提案です。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 私はもう一度頭を下げた。


 こうして、シルク王国との取り決めが成立した。


 異世界転生したら、国に目をつけられて、自由を奪われる。


 そういう展開を少し警戒していたけれど、どうやら今回は違ったらしい。


 むしろ、私の望みをきちんと聞いてもらえた。


 ……よかったなぁ。


 ようやく、のんびり暮らすための第一歩を踏み出せた気がする。


 謁見の間を出ると、シルベスターさんが隣に並んだ。


「……ひとまず、丸く収まったな」


「はい。王様もミキサーさんも、いい人ですね」


「お前があれだけの力を見せた後だからこそ、慎重なんだろうさ」


「そうなんですかねぇ」


「……まあ、その無自覚さは今さらか」


 シルベスターさんがため息をついた。


 あのう。


 今日も私、何かしました?


 ちゃんと魔法も使わず、おとなしく話をしていただけなんですけど。


「ギルドへ戻るぞ。まだ話しておきたいことがある」


「……はい」


 ……ああ。


 今日も結局、王城とギルドの往復になってしまうんだな。


 ギルドの応接室へ戻ると、シルベスターさんは椅子に腰を下ろした。


 私も向かいに座る。


 ……この部屋、すっかり見慣れてしまったなぁ。


「リアリス。王国との話は、あれでよかったんだな?」


「はい。私の自由を認めてくれるなんて、ありがたい話です」


「ああ。それはよかった」


 シルベスターさんは少しだけ表情を緩めたが、すぐに真剣な顔になった。


「ただ、ヴィクサスの件には一つ問題がある」


「……まだ何かあるんですか?」


「討伐されたという事実は、いずれ全大陸へ伝わる」


 ……全大陸?


「王国も、お前の名前を伏せて報告するくらいはできる。だが、いつまでも秘密にしておくのは難しいだろう」


「そうなんですか……」


「すまんな。お前が目立ちたくないのは分かっているが、あれほどの厄災が消えたとなれば、各国が放っておくはずがない」


 シルベスターさんは申し訳なさそうに頭を下げた。


 私は慌てて首を振る。


「いえ、シルベスターさんが謝ることじゃないですよ」


 むしろ、私の方こそ迷惑をかけっぱなしだ。


 ただ……そうか。


 せっかくFランクのままでいられても、ヴィクサスを倒したことが知られたら意味がないかもしれない。


 異世界のお約束、強すぎる主人公の身元が広まって各国から勧誘される展開。


 ……それだけは遠慮したいなぁ。


「できるだけ静かにしていましょう。私も、余計なことは言わないようにします」


「……お前の場合、余計なものを倒さないようにしてほしいんだが」


「えっ?」


 シルベスターさんがじっと私を見た。


「昨日のこと、忘れたわけじゃないだろうな」


「……ああ」


 ヒュドラだ。


 そういえば、昨日も大きな魔獣を倒したんだった。


「そっちも話しておきたい。ギルドとしては、あのヒュドラを買い取るつもりだ」


「本当ですか?」


「ああ。ただし、お前の名前は出さない。ギルドの職員が森で遺体を見つけた、という扱いにする」


「……いいんですか、それで」


「いいかどうかと言われれば、複雑だ。だが、お前が二日続けて伝説級の魔獣を倒したと公表したら、何が起きるか分からん」


 ……それは困る。


 昨日の二人の反応を思い出しただけで、十分だ。


「お願いします。なるべく目立たないようにしたいので」


「分かった。引き渡しの段取りはギルドで調整する。今は遺体を預かる前に勝手に出すなよ」


「はーい」


「……返事だけはいいんだよな、お前」


 また言われてしまった。


 でも、少しだけ安心した。


 この人は、私がどんなに非常識な力を持っていても、なるべく普通に暮らせるよう考えてくれている。


 ありがたいことだ。


「それで、リアリス。これからどうするつもりだ?」


 シルベスターさんが尋ねた。


「そうですねぇ……」


 私は窓の外を眺めた。


 王都の通りには、今日もたくさんの人が行き交っている。


 見知らぬ世界だったはずの場所が、三日で少しだけ身近になった。


「まずは、王都の近くに家でも建てようかと思います」


「……家を?」


「はい。宿暮らしも悪くないですけど、やっぱり自分の家が欲しいですし」


 お風呂も欲しい。


 柔らかい寝台も、料理のできる台所も欲しい。


 せっかく自由に暮らせることになったんだから、自分の好きな場所を作ってみたい。


「その後は、屋台でお昼ご飯を食べながら考えます」


「……ずいぶん気楽な計画だな」


「自由って、そういうものじゃないですか?」


 シルベスターさんは少し呆れたように笑った。


 けれど、すぐにその笑顔が消えた。


「一つ、忘れるなよ」


「何でしょう?」


「お前の力を知った国が、戦争に利用しようとする可能性はある。ここがそうしなくても、ほかの国が同じとは限らん」


 私は黙って考えた。


 戦争。


 その言葉だけは、どうしても好きになれない。


 せっかくこの世界で自由に生きられるのに、誰かの命令で人を傷つけるなんて。


 ……そんなの、嫌だ。


「私は戦争には行きません」


 自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。


「もしこの国が私を戦争に利用しようとするなら、瞬時に滅ぼします」


「…………は?」


 シルベスターさんの顔から、さっと血の気が引いた。


 その目は、さっきヒュドラを見せたときと同じくらい大きく開いている。


 ……あっ。


 ちょっと言い方が強すぎたか。


「じょ、冗談ですよ!」


「……冗談に聞こえん!」


「すみません! そんなことしませんから!」


 私は慌てて両手を振った。


「もし利用されそうになったら、別の国へ逃げます。《転移》もありますし。それが一番平和でしょう?」


「……最初から、そう言え」


 シルベスターさんは大きく息を吐いた。


 そして、片手で額を押さえる。


 ……本当に、すみません。


 でも、今の言葉は半分くらい本音だ。


 戦争に行きたくない。それだけは譲れない。


 私は人を守るために力を使うことはあっても、誰かが争いを始めるための道具にはなりたくなかった。


「……まあ、好きに生きろ。だが、何か困ったら相談くらいはしに来い」


「はい。ありがとうございます、シルベスターさん」


 私は立ち上がって、深く頭を下げた。


 この人と知り合えて、本当によかった。


     ◇


 ギルドを出ると、明るい日差しが目に飛び込んできた。


 空は青く、風は心地よい。


 王城で話をしたおかげで、もう国の命令に怯える必要はない。


 冒険者ランクもFのまま。


 あとは自分の好きなように暮らせばいい。


「……よし!」


 私は小さく拳を握った。


 日本では、病室の窓から空を眺める時間が長かった。


 行きたい場所へ行くことも、食べたいものを食べることも、いつしか当たり前ではなくなっていた。


 今は違う。


 この足で歩ける。


 知らない土地へ旅に出られる。


 自分の家を作って、好きな料理を食べて、のんびり暮らせる。


 ……まあ、最初の二日間は全然のんびりできなかったけど。


「今度こそ、平和な暮らしの始まりだ!」


 私は歩き出した。


 まずは、屋台で何か食べよう。


 それから家を建てる場所を探そうかな。


 お風呂は絶対に作るぞ。


 ふわふわのパンも、そのうち食べたい。


 考えるだけで楽しくなってくる。


 ……でも。


 異世界に来てからの出来事を思い返すと、一つだけ気になることがあった。


 私が「今度こそ平和に」と願うたびに、何か騒ぎが起きている気がする。


「……まさか、今回も?」


 いやいや。


 さすがに、もう大丈夫でしょ。


 私は空を見上げて笑った。


 こうして、私の異世界生活は、ようやく自由な一歩を踏み出した。


 ……お約束だらけの世界が、そのまま放っておいてくれるかどうかは、別の話だけどね。


 ……あ。


 そういえば、ギルドで受けようとした薬草採取依頼。


 王城へ呼ばれて、結局、依頼書を受け取っていなかった。


「あーっ!! 今日の薬草採取依頼、忘れてたぁー!!」

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