第8話:今度は大きなヘビですか?
「……終わるよね?」
窓の外へ向かってつぶやいたところで、返事があるはずもない。
私は空になったカップを置き、シルベスターさんに向き直った。
「あの、そろそろ依頼を受けに行ってもいいですか?」
「……お前、本当に薬草採取をするつもりなのか」
「もちろんです。昨日も楽しかったですし」
シルベスターさんは何か言いたそうだったが、結局、片手で額を押さえただけだった。
「……いいか。今日は妙なものを拾ってくるなよ」
「分かりました!」
「昨日もそんな返事を聞いた気がするんだが」
……うん。
さすがに否定できない。
私は応接室を出て、受付へ向かった。
「リリーナさん、こんにちは!」
「あっ、リアリスさん。お疲れさまです」
リリーナさんはいつもの柔らかい笑顔で迎えてくれた。
この人の笑顔を見ると、何だかほっとするなぁ。
「今日も薬草採取をお願いしたいんですけど」
「実は、ちょうど私からもお願いしようと思っていたんです」
「おや?」
「昨日納品していただいた薬草、とても品質がよかったんですよ。採取の状態も丁寧でしたし、またお願いできると助かります」
「本当ですか?」
「はい。もしよろしければ、今日も同じ依頼を受けていただけませんか?」
私は黙って、こくりとうなずいた。
……嬉しい。
こういうふうに仕事を褒められると、素直にやる気が出る。
「ありがとうございます。では、こちらが依頼書です」
リリーナさんが紙を差し出してくれた。
「森の奥へ入りすぎないよう、気をつけてくださいね」
「はい。今日は普通に帰ってきます!」
彼女の笑顔が、ほんの少しだけ引きつった。
「……お願いしますね」
……あれ?
どうしてそんな顔をするのかな。
昨日のことは、もう忘れてほしいんだけど。
冒険者カードと依頼書を確かめ、私はギルドを出た。
空は快晴。
おいしい朝食も食べたし、仕事も決まった。
「よし。今日はのんびり採取だ!」
今度こそ、お約束の事件なんて起きないはず。
……たぶん。
……の前に、お昼ご飯。
王都の広場に近づくと、昨日から気になっていた肉串の屋台が目に入った。
炭火の上でじゅうじゅう音を立てる肉。立ち上る煙。
おお、これだ。
この匂いを嗅いでから、ずっと食べたかったんだよねぇ。
「すみません、肉串を二本ください!」
「はいよ!」
店主が手際よく二本を差し出してくれる。
昨日稼いだ報酬から硬貨を渡した。
人生二度目、いや、ステラでは初めての屋台飯だ。
期待を込めて、一口。
「……ん?」
もう一口。
……塩だ。
肉と、塩。
以上。
香ばしい匂いに期待していた分、少し肩透かしだった。
焼き加減は悪くないし、食べられないわけじゃない。
でも、肉そのものの臭みが少し残っていて、味に奥行きがない。
タレとか、胡椒とか、にんにくとか……欲しいなぁ。
「……これ、醤油があれば化けると思うんだけど」
思わず日本の焼き鳥を思い浮かべる。
甘辛いタレが絡んで、表面が少し焦げていて……。
ああ、駄目だ。
思い出したら余計に食べたくなってきた。
もう一本も食べ終えたけれど、満足感はいまひとつだった。
「ま、まあ、異世界の食事なんて最初はこんなものか」
私は包みを返し、店主に礼を言って歩き出した。
それにしても、こういうときに現代日本の料理知識で無双するのも、異世界ものの定番だよね。
……いつかやってみる?
いやいや。
今日は薬草採取だってば。
王都の門へ向かうと、昨日とは違う門兵が立っていた。
「こんにちは。森へ薬草を採りに行ってきます」
「おう。ギルドの依頼か。気をつけてな」
「ありがとうございます!」
笑って手を振る。
昨日の門兵さんも親切だったけれど、この人も感じがいい。
同じ人ばかり門にいるわけじゃない。当たり前のことなのに、新鮮だ。
私は森の方へ足を向けた。
森に着いてから、私は依頼書を取り出した。
昨日と同じ薬草だから、特徴はもう覚えている。
細長い葉と、根元の白い模様。
「《サーチ》。この薬草を探して」
頭の中の地図に、青い点がいくつも灯った。
相変わらず、便利すぎる。
これがなかったら、似たような草を一本ずつ調べるところだ。
点滅を追って歩くと、木の根元に薬草が生えていた。
「おっ、これこれ」
しゃがみ込んで葉の形を確認し、傷めないように採り取る。
昨日は魔法で見つけることばかり考えていたけれど、今日は採るときの手つきにも少し余裕がある。
余計な葉を折らないようにして、土を軽く払う。
採り終わったものは《収納》へ。
昨日の薬草の品質がよかったと言われたのだから、今日はもっと綺麗に採りたい。
「こういうのも、少しずつ上達するんだろうなぁ」
何だか楽しくなってきた。
木陰の株には、根元が傷ついていない立派な葉がそろっていた。
別の場所では、土が湿っているせいか、葉がつやつやしている。
一本ずつ確かめるのも悪くない。
しばらくして、依頼に必要な量を十分に確保できた。
「よし。昨日よりいい出来じゃない?」
《収納》の一覧に並んだ薬草を見て、私は満足げにうなずく。
これなら、リリーナさんにも喜んでもらえそうだ。
……さて。
まだ日も高いし、すぐに帰るのは少しもったいない。
せっかくだから、森を少し歩いてみようかな。
危険な場所には近づかない。
これ、大事。
「何かあれば、すぐ《転移》で戻ればいいんだし」
私は木漏れ日の下を歩き始めた。
遠くで鳥のような鳴き声が聞こえる。
風で葉が揺れ、足元には小さな花が咲いていた。
ああ、こういう時間が欲しかったんだよ。
昨日はドラゴン、今朝は国王様。
今度こそ、静かな異世界散歩だ。
……そのはずだった。
少し先へ進むと、森の雰囲気が急に変わった。
「……あれ?」
倒れた木が何本も重なり、地面が大きく削れている。
岩の表面には、何かがこすれたような深い傷。
……うん。
こういう場所は、普通なら引き返すべきだ。
昨日も、似たようなことを考えた気がする。
あれは確か、ドラゴンが寝ていた山で……。
「いや、嫌なこと思い出したな」
私は踵を返そうとした。
そのとき。
ずしん。
背後で、地面が揺れた。
「……え?」
振り返った先に、巨大な影があった。
太い四本の脚を持つ、長い胴体。
そこから、蛇のような首が四本も伸びている。
それぞれの首の先には鋭い牙を持つ頭があり、四対の目がこちらを向いていた。
全長は、ざっと二十メートル。
……昨日も、そんな大きさの生き物を見なかったっけ?
「今度は大きなヘビですか?」
いや、脚もあるし、首は四本だし。
何なの、これ。
異世界に来て二日目なのに、もう怪獣図鑑みたいになってるよ?
四つの頭が、別々の方向から私を見下ろした。
「ええと……こんにちは?」
返事はない。
ひとつの頭が、しゅうっと息を漏らした。
残る三つも、まるで獲物を確かめるように首を揺らしている。
「私はリアリスといいます。ちょっと散歩をしていただけなので、すぐ帰りますね」
……無反応。
昨日のヴィクサスさんは、一応しゃべってくれたんだけどな。
あの人はあの人で、いきなり炎を吐いてきたけど。
「……会話、できませんか?」
その問いにも、もちろん答えはない。
代わりに、正面の頭が大きく口を開いた。
……あっ。
この流れ、知ってる。
いや、知ってても嬉しくない!
次の瞬間、紫がかった霧が一気に噴き出した。
「うわっ!」
私はとっさに腕で顔を覆った。
紫色の霧が視界を覆い、森の木々が見えなくなる。
……これ、何?
煙? それとも……毒?
思わず息を止めたけれど、完全には間に合わなかった。
少し吸い込んでしまった気がする。
……まずい。
毒だったら、どうなるんだ?
私は喉と胸の辺りを確かめた。
「……あれ?」
息苦しくない。
痛みも、めまいも、手足のしびれもない。
呼吸を整えても、身体には何の異変も起きなかった。
……そうか。
「《状態異常無効》!」
転生して最初に作り、自分へかけた魔法だ。
昨日は《絶対防御》に助けられたけれど、今日はこっちか。
毒が効かないって、本当にありがたい。
……いや、ちょっと待って。
昨日は炎、今日は毒?
私の防御魔法を一日一個ずつ確認するために、魔獣が順番待ちしてるんじゃないよね?
そんなわけないか。
霧が薄くなったところで、四つの頭がいっせいにこちらを向いた。
そのうちのひとつは、さっきから喉の奥に光を集めている。
……また何か吐くつもり?
「ちょっと! もうやめませんか!」
手を振ってみる。
返事はない。
別の頭が牙をむき出しにした。
ああ、もう。
せめて話を聞いてほしい。
こちらは薬草採取の帰りに散歩していただけなんだってば。
「……やっぱり、無理か」
昨日のヴィクサスさんは言葉が通じた。
それでも、街を襲うことをやめてくれなかった。
目の前の魔獣は、そもそもこちらの言葉に反応しない。
森のあちこちには、すでに大きな爪痕や倒木が残っている。
放っておけば、ここへ来た別の人が襲われるかもしれない。
……仕方ない。
「《即死》」
作ってあった魔法を、四つの頭を持つ魔獣に使った。
光りかけていた喉が、ふっと暗くなる。
巨体がゆっくり傾き――。
ドォォン!
地面に激しい振動が伝わった。
倒れた木の葉がばらばらと落ちる。
私はしばらく、その場で動けなかった。
「……また、倒しちゃった」
昨日に続いて、二度目だ。
しかも、今度は首が四本。
……異世界の森って、普通こんなに危険なの?
倒れた魔獣のそばへ、恐る恐る近づいた。
四つの頭は動かず、重たい呼吸も止まっている。
どうやら、ちゃんと倒せたらしい。
「……とりあえず、これも持って帰るか」
こんな大きな死体を森に置いておくのは、やっぱり気になる。
私は《収納》を使い、巨体をしまった。
頭の中の一覧に、新しい項目が増える。
ドラゴンの遺体は昨日、王城の中庭に預けたまま。
今は採りたての薬草と、四つ首の大きな魔獣が並んでいる。
……この収納、何のために作ったんだっけ。
もっと平和な物をしまいたかった気がするんだけどなぁ。
森が急に静かになった。
さっきまで騒がしかった鳥の声も、少しずつ戻ってくる。
私は木々の間から見える空を見上げた。
日が傾き始めている。
「あっ、もうこんな時間か」
まずいまずい。
リリーナさんに、今日も無事に戻るって言ったばかりだ。
ここで暗くなるまで歩き回っていたら、それこそ心配をかけてしまう。
私は来た道を戻り始めた。
途中、《サーチ》で薬草の場所が見えても、今日はもう十分だと自分に言い聞かせる。
それより、今夜こそまともな夕飯が食べたい。
「ふんふふーん……」
鼻歌が自然と漏れる。
何だかんだ言っても、今日も怪我はなかった。
薬草だって昨日より綺麗に採れた。
……うん。
問題なし!
いや、巨大な魔獣を一匹倒した時点で、何かおかしい気もするけれど。
その辺りは、ひとまず考えないことにした。
夕暮れの王都の城門が見えてきた。
ギルドへ戻ると、受付にはリリーナさんがいた。
「ただいま戻りました!」
「あっ、リアリスさん! お帰りなさい」
笑顔で迎えてくれる。
……やっぱり落ち着くなぁ。
「薬草、採ってきました。今日は昨日より丁寧に採れたと思うんですけど」
「それは楽しみですね。確認させてください」
私は《収納》から薬草を取り出した。
リリーナさんは慣れた手つきで、一本ずつ葉の状態を調べていく。
「……あら」
「どうですか?」
「すごいです。昨日よりさらに綺麗ですよ。根元の傷みも少ないですし、これなら十分に依頼を達成しています」
「よかったぁ!」
今日はこれを聞くために頑張ったと言ってもいい。
さっきの巨大な魔獣より、よほど嬉しい報告だった。
リリーナさんは依頼の完了処理を済ませ、報酬を渡してくれた。
「お疲れさまでした、リアリスさん」
「ありがとうございます!」
私は硬貨を受け取り、ふと《収納》の中身を思い出した。
……そうだ。
あれも、見てもらった方がいいよね。
「あの、リリーナさん。今日も魔獣を一匹倒したんですけど」
彼女の手が止まった。
「…………はい?」
「薬草を採った後、森を歩いていたら出会いまして」
「……リアリスさん?」
「はい?」
「いま、『今日も』とおっしゃいました?」
「ええ。昨日もドラゴンを倒しましたし」
リリーナさんは笑顔のまま固まった。
あれ?
何だか昨日も、こんな会話をしたような。
「そ、その魔獣は……どんな姿でしたか?」
「大きいヘビ……でしょうか?」
「…………」
リリーナさんは深く息を吸った。
「……ギルドマスターを呼んできます」
「あ、はい」
そして奥へ駆けていく。
……まただ。
これで何度目だろう。
どうして私が魔獣を持ってくると、毎回こうなるんだろうね。
しばらくして、シルベスターさんが現れた。
「……リアリス」
「こんにちは。今日は測定器も壊してませんよ」
「そういう問題じゃない!」
……あっ、怒られた。
「また魔獣を倒したそうだな」
「はい。昨日みたいに、大きいヘビかもしれないですけど」
シルベスターさんが目を見開き、思わず声を張り上げた。
「な、何だと!? 大きなヘビだと!? まさかジャイアントスネークじゃないだろうな! あれはAA級だぞ! お前、昨日の今日でまたそんな化け物に出くわしたのか!?」
「AA級……」
魔獣にもランクがあるんだ。
名前だけ聞くと、ずいぶん強そうだなぁ。
「とにかく、現物を見せろ。まさかここで出すつもりじゃないだろうな」
「まさか。昨日、勉強しましたから」
「……だったらいいが」
シルベスターさんはリリーナさんを呼び、私たち三人で街の外へ向かった。
空が夕焼けに染まり始めている。
……ああ、今日もこんな時間だ。
本当は早く宿へ戻って、のんびりしたかったんだけど。
街道から離れた、人のいない開けた場所で足を止める。
「ここならいいですか?」
「ああ。昨日と同じように、十分に距離を取って出してくれ」
「分かりました」
二人が下がったのを確認して、私は《収納》を開いた。
四つの首を持つ魔獣の遺体を選び、地面に出す。
どすんっ!
巨体が現れ、夕日に長い影を落とした。
「はい。これです」
シルベスターさんが口を開いた。
そのまま固まった。
リリーナさんが、四本の首を見上げる。
「……ひっ」
一拍置いて。
「きゃああああっ!」
森の鳥が飛び立ちそうな勢いの悲鳴だった。
「リ、リリーナさん!?」
私は慌てて振り返った。
彼女は両手で口を押さえたまま、まっすぐ魔獣を見つめている。
シルベスターさんも、さっきまでとは別人のように青ざめていた。
「……ヒュドラ」
「へ?」
「SS級の……ヒュドラ……」
……SS級。
さっき言っていたAA級より、上?
あれ。
もしかして、また間違えちゃった?
「あの、これ、ジャイアントスネークじゃなかったんですか?」
「…………」
返事がない。
「シルベスターさん?」
彼は四つの首を見上げたまま、ぴくりとも動かない。
……大丈夫かな。
「リリーナさん?」
「リ、リアリスさん……どうして、こんなものを……」
「森を散歩していたら、向こうから出てきまして」
「お散歩で遭遇する魔獣じゃありません!」
……ですよねぇ。
でも、私だって好きで会いに行ったわけじゃない。
昨日はドラゴン。今日はヒュドラ。
いや、待って。
これもまた異世界のお約束なの?
規格外の魔獣を倒して帰ってきたら、ギルドが大騒ぎ。
同じ展開を二日連続でやるなんて、いくら何でも詰め込みすぎでしょ!
「……ええと、とりあえずしまいますね」
私はヒュドラの遺体を《収納》へ戻した。
シルベスターさんは、まだ呆然としている。
リリーナさんも、何か言いたそうなのに言葉が出てこない様子だった。
「今日の薬草の依頼は終わりましたし、私、そろそろ宿へ戻りますね」
……返事がない。
まあ、明日になれば落ち着くかな。
「それじゃ、お疲れさまでした!」
私は二人をその場に残して、王都へ戻った。
◇
宿に戻る頃には、すっかり夜になっていた。
食堂で出された夕飯は、丸く焼かれた肉料理と、昨日と同じような硬いパンだった。
「……ハンバーグ?」
期待して一口食べる。
「……うーん」
見た目は似ている。
でも、肉に独特の獣臭さが残っていて、味付けも物足りない。
パンもやっぱり硬い。
朝のサンドイッチはあんなにおいしかったのになぁ。
何とか食べ終えて、私は部屋へ戻った。
そして、ふと気づく。
「……今日もお風呂に入れないんだよね」
昨日に続いて、二日連続だ。
さすがに身体をさっぱりさせたい。
……あれ?
わざわざ魔獣を倒す魔法まで作れるのに、汚れを落とす魔法を作らない理由がないんじゃない?
「そうか。《クリーン》だ!」
身体や衣服についた汚れを取り除き、清潔な状態に戻す魔法。
名前も分かりやすくていい。
『《想像魔法》にて《クリーン》が完成しました。』
「よし。《クリーン》!」
自分と着ている服を対象に使ってみる。
すると、汗のべたつきや土の汚れがすっきり消えた。
「おお……気持ちいい!」
疲れそのものが消えるわけではないし、湯船につかった満足感もない。
でも、これなら気持ちよく眠れそうだ。
私は寝台へ横になった。
転生して二日。
ドラゴンにヒュドラに、国王様の二度目の気絶。
「……普通の一日って、何だっけ」
小さく笑って、目を閉じる。
明日こそ、平和でのんびりした日になりますように。
……本当に、お願いします。




