第7話厄災の終焉と昇格拒否
目を覚ますと、見慣れない天井があった。
「……ああ、そうか」
ここは異世界ステラ。私は昨日、四十三歳の人生を終えて、若い身体で転生してきたのだ。
ギルドで測定器を三台壊し、ドラゴンを倒し、国王様を気絶させて、最後はシルベスターさんに宿を手配してもらった。
……改めて並べてみると、初日の出来事とは思えない。
「今日は普通の一日にしたいなぁ」
寝台から起き上がり、窓を開ける。
朝の王都クーラルには、すでに人々の声が響いていた。荷車の車輪が石畳を転がり、どこかの店から焼き物の匂いが漂ってくる。
身体は驚くほど軽い。
昨日はあれほど歩き回ったのに、疲れが残っていない。
「若返るって、いいねぇ」
私は伸びをして、階下の食堂へ向かった。
まだ宿代の心配をしなくていいのは、シルベスターさんのおかげだ。朝食まで用意してもらえるらしい。
テーブルに置かれた皿を見て、私は思わず頬を緩めた。
「おお、サンドイッチ!」
薄く切ったパンに、緑の野菜と焼いた肉、それから卵が挟まれている。
野菜をかじると、しゃきっとした歯応えがした。
「……おいしい!」
肉はベーコンに似た香ばしい味で、卵は思った以上に濃厚だ。
パンは少し硬い。昨日の夕食よりは食べやすいけれど、やっぱり日本のふわふわしたパンとは違う。
でも、野菜と肉の汁気が合わさると、これがなかなかいい。
私は夢中で食べ進めた。
昨日の夕飯は、硬いパンと薄いスープに驚いたものだけど、今朝はかなりの当たりだ。
「……これは、また食べたいなぁ」
食べ終わったところで、宿の入口が開いた。
「リアリスさん!」
聞き覚えのある声に振り返る。
そこにいたのは、冒険者ギルドの受付嬢、リリーナさんだった。
「あ、おはようございます!」
「おはようございます。こちらにいらっしゃってよかったです」
彼女はほっとしたように笑った。
「ギルドマスターがお呼びです。朝から申し訳ないのですが、ギルドまでお越しいただけますか?」
「……シルベスターさんが?」
「はい」
おかしい。
今日は普通の一日を過ごす予定だったんだけど。
「……もしかして、また何か起きました?」
「昨日のドラゴンの件です」
「ああ……」
そういえば、王城の中庭に置いてきたんだった。
すっかり忘れていた。
……いやいや、あんな大きなものを忘れるなよ、私。
リリーナさんと一緒にギルドへ向かう。
朝の街には、焼きたてのパンを売る店や、荷物を運ぶ人の姿があった。
昨日は何もかも初めてで、立ち止まってばかりだったけれど、今日は少し落ち着いて周りを見られる。
そう思った矢先に王城の件で呼び出されるとは、何とも私らしい。
ギルドに着くと、中には冒険者が数人いるだけだった。
昨日の賑やかさが嘘のように静かだ。
「ギルドマスターは応接室でお待ちです」
「ありがとうございます」
奥の部屋へ行くと、シルベスターさんが椅子に座っていた。
「来たか」
「おはようございます。昨日はお世話になりました」
「ああ。飯は食ったか?」
「はい! 今朝のサンドイッチ、とてもおいしかったです」
「そうか。それならいい」
何だか少しほっとしたような顔をされた。
昨日は散々心配をかけたし、今度何かお礼をしないとな。
「で、今日はいったい……?」
「王城から呼び出しが来ている」
「……また王様に会うんですか?」
「ああ。昨日のドラゴンの鑑定結果が出たそうだ」
ほほう。
異世界のお約束、その続きが来た。
規格外の魔獣を倒した主人公が翌日呼び出され、偉い人から結果を告げられる。
……もしかして、これって褒美がもらえる展開?
ちょっと期待してもいいかな。
「リアリス。何をにやにやしている」
「いえ、何でもありません」
いかんいかん。
私は褒美をもらうためにドラゴンを倒したんじゃないんだから。
街を守りたかっただけだ。
でも、もしお礼においしい料理でもごちそうしてくれるなら、断る理由はない。
「いいか。昨日みたいに勝手に魔法を使うなよ」
「分かってますって」
「それを昨日も聞いた気がするんだが……」
シルベスターさんが立ち上がる。
あれ、この人、もう朝から疲れてない?
私のせいではない……と言い切れないのがつらい。
私たちはギルドを出て、昨日と同じ道を王城へ向かった。
王城の門をくぐると、昨日と同じ兵士に案内された。
磨かれた床も、高い天井も、昨日のままだ。
ただ、私を見た兵士が一瞬ぎくりとした気がする。
……あれ? 気のせい?
「こちらです。謁見の間でお待ちください」
大きな扉が開かれた。
中には国王カバディ・シルク十四世と、宰相のミキサーさん。それから、見知らぬ年配の男性が立っていた。
ほかの兵士や使用人は退出している。
昨日と同じく、人払いをしたらしい。
シルベスターさんが片膝をついた。
「陛下。冒険者ギルドのシルベスター、参りました」
私は隣で立ったまま、頭を下げた。
「おはようございます」
シルベスターさんの肩が小さく揺れた。
……昨日より丁寧に言えたと思うんだけどな。
「よい、顔を上げよ」
王様は私を見てから、少し気まずそうに咳払いした。
「昨日は……その、取り乱してしまったな」
「あ、いえ。お身体は大丈夫ですか?」
「うむ。問題ない」
王様はそう答えたものの、私の方を見る目がどこか慎重だった。
……そりゃそうか。
目の前に二十メートルのドラゴンが現れて、気絶してしまったんだもんね。
ミキサーさんが一歩前に出る。
「リアリス殿。昨日の魔獣について、王城の上級鑑定士が調査を行いました」
彼は隣の男性に目を向けた。
「報告を」
「かしこまりました」
鑑定士は手にしていた記録を開いた。
「昨日、中庭へ運び込まれた個体の血液を採取し、王城に保管されていた古い資料と照合いたしました」
……血液?
そんなものまで残っているのか。
さすが王城。魔獣の研究もしているらしい。
「過去にヴィクサスが各国を襲撃した際、戦闘の中で採取された血液が保管されております」
鑑定士の声が、少し重くなった。
「照合の結果――昨日の個体は、記録にあるものと完全に一致いたしました」
部屋が静まり返った。
「……それは、同じ種類ということですか?」
私が尋ねると、鑑定士は首を横に振った。
「いいえ。同一の個体です」
……同じ個体?
昨日のドラゴンが、昔から生きているということ?
なるほど、長生きなんだなぁ。
「ヴィクサスは、数千年にわたり各国を脅かしてきた厄災でございます」
鑑定士は淡々と続けた。
「幾度も勇者や冒険者が迎え撃ちましたが、討伐には至らず。今回、ようやく……」
「……討伐された、ということか」
王様の声が震えた。
「はい。間違いございません」
ミキサーさんが一歩よろめいた。
シルベスターさんは片膝をついた姿勢のまま、ぴくりとも動かない。
……あの。
みんな、そんなに驚く話なの?
「ええと、あのドラゴンって、そんなに有名だったんですか?」
誰も答えてくれない。
王様はしばらく口を開けていたが、やがて椅子の肘掛けをぎゅっと握った。
「数千年の……厄災が……」
……数千年?
私はようやく話の大きさを理解し始めた。
あの、寝ていたところを起こしてしまったヴィクサスさんが?
昨日、私が「街を襲わないでください」とお願いした、あのドラゴンが?
「う、嘘ではあるまいな……」
「陛下。王家に伝わる血液資料との照合を重ね、鑑定でも同一個体と確認しております」
鑑定士がはっきりとうなずく。
「…………」
王様の顔が、みるみる青くなった。
……待って。
この表情、昨日も見たぞ。
「王様? 大丈夫ですか?」
私が声をかけた、その瞬間。
王様の目がくるりと上を向いた。
椅子にもたれた身体が、すうっと横へ傾く。
「陛下!?」
ミキサーさんが叫んだ。
鑑定士も慌てて駆け寄る。
……また気絶した!
二日連続で!?
さすがにこれは予想してなかった。
シルベスターさんはまだ固まっている。
ミキサーさんは、王様の様子を確かめながら震える声で言った。
「ついに……終わったのですね」
その声が、静かな謁見の間に響いた。
「世界を脅かしてきた、数千年の厄災が……」
私は思わず息をのんだ。
この人たちにとっては、きっと昨日まで当たり前に続いていた恐怖だったのだろう。
胸の奥に、少しだけ重いものが残った。
……そんな相手だったのか、ヴィクサスさん。
知らなかったとはいえ、ずいぶん大変なことをしてしまったらしい。
駆けつけた兵士たちが王様を別室へ運び、鑑定士も報告書をまとめるために退出した。
謁見の間には、私とシルベスターさん、ミキサーさんが残る。
シルベスターさんは、ようやく動き出したところだった。
「……リアリス」
「はい?」
「お前、本当にあれを一人で倒したんだな……」
「昨日からそう言ってますよ?」
シルベスターさんは頭を抱えた。
いや、私だって今聞いたばかりなんですって。
ミキサーさんは深く息を整え、私に向き直った。
「リアリス殿。改めて伺います。あなたはいったい何者で、何を望んでいるのですか?」
……また来た。
異世界の主人公、王城で正体を問い詰められる。
これも定番といえば定番だけど、さすがにもう少し穏やかな展開が欲しい。
「リアリスです。小さな名もない村の出身で、冒険者になるために王都へ来ました」
昨日と同じ答えだ。
もちろん、村の話は嘘。
でも本当のことを知っているのは、シルベスターさんだけでいい。
「目的は、あちこち旅をしながらのんびり暮らすことです」
「……それほどの力をお持ちなのに?」
「強さと、暮らし方は別ですから」
ミキサーさんは困惑したように眉を寄せた。
「では、そのドラゴンを倒した魔法について、説明していただけますか?」
「はい。それは話しても大丈夫です」
隣でシルベスターさんがちらりと私を見た。
私は小さくうなずく。
転生のことは秘密にすると約束した。でも、《想像魔法》を使っていることは、今後隠し続けるのも難しいだろう。
「私は《想像魔法》という魔法を使えます。頭の中で思い描いたものを、実際に作ったり、起こしたりできるんです」
「……想像、魔法?」
「はい。昨日の《完全拘束》も、ドラゴンを倒した《即死》も、そうして作りました」
ミキサーさんは黙ったまま私を見つめている。
「魔力の消費もないので、普通の魔法とはずいぶん違うみたいですね」
「……魔力の消費がない?」
「はい」
ミキサーさんの顔色がまた悪くなった。
あっ、言い過ぎたかな。
でも、嘘ではない。
「そのような魔法は聞いたことがありません」
「私も、ほかの人が使うところは見たことないです」
「……あなた自身が使っているではありませんか」
ごもっともです。
ミキサーさんは、今度こそ深々と息を吐いた。
「……承知しました。すべてを理解したとは申し上げられませんが、あなたの力が特別なものだということは分かりました」
ミキサーさんがそう言うと、隣のシルベスターさんが小さく息を吐いた。
「陛下がお休みになっていますので、ヴィクサス討伐の正式な扱いと報酬については、改めて協議させてください」
「はい。分かりました」
……褒美の話、今日はなしなのか。
いやいや、何を期待しているんだ私は。
「それと、今後も何かありましたら、お話を伺うことになるかもしれません」
「できれば、あまり騒ぎにならないといいんですけど」
「……それはこちらも同じ気持ちです」
ミキサーさんと目が合った。
お互い、何とも言えない顔で笑う。
こうして謁見は終わった。
王城を出ると、空気が少し暖かく感じられた。
「……ふぅ」
私が息を吐くと、シルベスターさんも同じタイミングでため息をついた。
「お疲れさまでした」
「……ああ。本当にな」
「ところで、シルベスターさん。昨日から気になってたんですけど」
「何だ」
「ヴィクサスって、そこまで恐れられていたんですか?」
シルベスターさんが足を止めた。
「……今の話を聞いていなかったのか?」
「聞いてましたよ。でも、昨日会ったときは普通に寝てましたし。そんなに昔からいるとは思わなくて」
「記録によれば、最後にあいつが国を襲ったのは五百年以上も前だ。それ以前にも何度も各国が被害に遭い、そのたびに勇者たちが命懸けで追い払ってきたと記されているだ」
「……そうだったんですか」
私は昨日の金色の瞳を思い出した。
人間の願いなど聞かないと言った、低い声。
あの言葉が決して大げさではなかったのだと、ようやく実感した。
「……街を守れて、よかったです」
思わず本音が出る。
シルベスターさんは少し黙ってから、何かを考えるようにうなずいた。
「……そうだな」
その一言だけは、とても静かだった。
◇
ギルドへ戻ると、私たちは再び応接室に通された。
目の前に温かいお茶が置かれる。
私は一口飲み、ようやく肩の力を抜いた。
……ふう。
これで、今日は普通の冒険者として過ごせるかな。
そう思ったのだけれど。
「リアリス。今後のことを話そう」
シルベスターさんが真面目な顔で言った。
……ああ、まだ続くんだ。
「昨日のヴィクサス討伐、それに今朝の鑑定結果を考えれば、お前の実力は疑いようがない」
「ありがとうございます」
「そこでだ。お前をSランク冒険者に推薦したい」
「……はい?」
私はカップを持ったまま止まった。
えっ。
Sランク?
確か、冒険者ギルドで一番上のランクだよね?
昨日Fランクで登録したばかりなんだけど。
「世界にSランク冒険者は三人しかいない。認められれば、お前が四人目だ」
「……四人目」
なるほど。
転生した主人公が、初日から規格外の実力を見せて一気に最高ランクへ。
来た。
いかにも異世界ものらしい昇格イベント!
……いや、待てよ。
これ、喜んでいいことなんだろうか。
Sランクって、ものすごく目立つよね?
面倒な依頼とか、各国からの呼び出しとか、次々に来そうじゃない?
「……お断りします」
「何っ!?」
シルベスターさんが勢いよく立ち上がった。
お茶がこぼれそうになり、私は慌ててカップを置く。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください!」
「落ち着けるか! 世界に四人目だぞ!」
「そこなんですよ。四人しかいないなら、絶対に目立つじゃないですか」
「……は?」
「私は、静かに暮らしたいんです。国から呼ばれたり、大きな魔獣を倒せと言われたりするのは、できれば遠慮したくて」
「お前はもう国王に呼ばれてるだろう!」
「そうなんですよねぇ……」
困ったことに、まったくそのとおりだ。
でも、だからこそこれ以上目立ちたくない。
「そもそも、ヴィクサスが何千年も恐れられていたことだって、今日初めて知ったんですよ」
「それも信じられん話だ……」
「名前は聞きましたけど、そんな大事件になるとは思ってませんでしたし」
シルベスターさんが、ゆっくりと椅子に座り直す。
「……お前な。あいつを倒せる人間がどれだけ貴重か、分かっているのか」
「今、少しずつ分かってきたところです」
「分かっていて断るのか?」
「はい。Fランクのままでお願いします」
きっぱりと言った。
私は強くなりたくて、ここに来たわけじゃない。
朝ご飯がおいしくて、午後は気楽に仕事ができて、夜はゆっくり眠れる。
そんな暮らしがしたいだけだ。
……まあ、風呂はまだないんだけど。
「……はぁぁぁ……」
シルベスターさんが今日一番長いため息をついた。
そして、片手で頭を抱える。
「今日はもう結論を出さん。昇格については、後日改めて話すぞ」
「はい。でも、私はFランクがいいです」
「分かったから! 少し黙ってくれ!」
「……はい」
また怒られてしまった。
でも、私の希望はちゃんと伝えられたはずだ。
私はお茶を飲み干し、窓の向こうを見た。
いい天気だ。
せっかく冒険者になったんだし、今日は薬草でも採りに行こうかな。
ドラゴンにはもう会ったことだし、次こそ普通の依頼だけで終わるはず。
……終わるよね?




