第6話:転生の秘密と異世界の夜
シルベスターさんの足取りは、王城へ向かうときよりもずっと速かった。
「……あの、少しゆっくり歩きません?」
「黙ってついてこい」
「はい……」
王城を出てから、これで何度目のため息だろう。
シルベスターさんはほとんど口を開かない。私の方はといえば、空腹がそろそろ限界だった。
異世界転生初日に王様と謁見して、しかもその王様が気絶する。
考えてみれば、ずいぶん豪華なお約束だ。
規格外の魔獣を倒したら国に目をつけられる。実力を疑われて魔法を見せれば、今度は周りが大混乱。
小説で読んでいたら「またこの展開か」と笑っていたかもしれない。
実際に巻き込まれてみると、笑うより先にお腹が鳴る。
「ぐぅ……」
「……お前、こんな状況で腹が減るのか」
「今日、まだ何も食べてないんですよ」
シルベスターさんが足を止めた。
「……何?」
「朝からずっと動きっぱなしで。ほら、宿代もなかったですし」
しばらく沈黙が続いた。
「……もういい。とにかくギルドだ」
また歩き出してしまった。
あれ? 今ちょっと、同情してくれた気がしたんだけど。
ギルドへ戻ると、シルベスターさんは受付に何かを伝え、そのまま私を奥の応接室へ案内した。
朝、測定器を三台壊した後に通された部屋だ。
まさか一日に二回もお世話になるとは思わなかった。
「座れ」
「失礼します」
向かい合って腰を下ろす。
机の上に置かれた茶器がかすかに音を立てた。シルベスターさんは残った右手で湯気の立つカップを寄せたが、飲もうとはしない。
「リアリス。ここから先は、ふざけずに答えろ」
声の調子が変わった。
先ほどまでの呆れた様子とは違う、真剣な目だ。
「……はい」
「お前は何者だ」
直球だった。
「名前はリアリスですけど……」
「そういう話をしてるんじゃない」
ですよね。
私も、分かって言ってみた。
「魔力量は測定不能。ドラゴンの炎を浴びても無傷。見たこともない魔法を使い、ヴィクサスを一人で討伐した」
シルベスターさんは指を折るように、起きたことを並べていく。
「そのうえ、国王陛下の前で宰相を拘束した。……普通の冒険者にできることじゃない」
「まあ、それは……そうですね」
言い逃れは難しそうだ。
名もない村の出身だという話も、かなり無理があったし。
「正直に話してもらうぞ。隠していることがあるんだろう?」
私はカップに映った自分の顔を眺めた。
赤い髪。若い顔。昨日までの私とは何もかも違う。
この人に、どこまで話していいものだろう。
でも――初日からこれだけ騒ぎを起こしてしまった以上、誰か一人くらい事情を知ってくれる人がいた方がいいのかもしれない。
「話す前に、一つお願いしてもいいですか?」
「何だ」
「これから話すことは、絶対に誰にも言わないでほしいんです」
シルベスターさんが眉をひそめる。
「……内容による、と言いたいところだが」
「国王様にも、リリーナさんにも、です」
「相当な秘密らしいな」
「はい」
私はうなずいた。
「私一人の秘密なら、別にいいんです。でも、知られたら今よりもっと大騒ぎになると思うので」
ほんの少し考えた後、シルベスターさんは姿勢を正した。
「分かった。お前が誰かを害するつもりでない限り、ここで聞いた話は俺の胸にしまっておく。約束する」
「……ありがとうございます」
不思議と、その言葉は信用できた。
初対面で測定器を壊した私を、頭ごなしに追い出さなかった人だ。ドラゴンのことも、まずは確かめようとしてくれた。
きっと、根は面倒見のいい人なんだろう。
……今日の私は、その面倒見のよさに甘えっぱなしだけど。
「実は私、この世界の人間じゃないんです」
「…………は?」
予想どおりの反応だった。
「別の世界で暮らしていて、そこで病気で死にました。四十三歳でした」
「お前が? どう見ても二十歳前後だぞ」
「この身体は若いんですよ。中身は四十三歳だった人間です」
シルベスターさんは私の顔をまじまじと見た。
その目が、だんだん険しくなっていく。
「……続けろ」
「死んだ後、神様に会ったんです。オリミスという神様で、その神様にステラへ導いてもらいました」
私はそこで一度、息をついた。
「それで、《想像魔法》という力を授かったんです」
「……オリミス、だと?」
「はい。この世界を創った神様だと聞いています」
「聞いています、って……」
シルベスターさんは額に手を当てた。
ああ、まただ。
今日はこの人の額が休まる暇がないな。
「つまり、お前は死んだ後に神と会い、その神の力でこの世界へ来た、と?」
「そういうことです」
「それを今、普通に説明しているのか?」
「ほかに説明のしようがなくて……」
シルベスターさんはカップを持ち上げた。
一口飲もうとして、やめた。
そして、ゆっくり机に戻した。
「……ちょっと待て。考える時間をくれ」
「どうぞ」
部屋が静かになる。
壁の向こうから、ギルドのざわめきが小さく聞こえた。
こんな話をしていると、そこだけ時間が止まったような気分になる。
……いや、今のは比喩だよ。
《想像魔法》で本当に時間を止めるつもりはないからね。
「……その《想像魔法》というのは、何なんだ」
しばらくして、シルベスターさんが口を開いた。
「頭に思い描いた結果を、そのまま実現する魔法です」
「……意味が分からん」
「私も最初はそう思いました」
そこは本当に同感だ。
「たとえば、遠い場所へ行きたいと思ったら《転移》を作って使えます。危ない攻撃を防ぐ《絶対防御》も、探し物を見つける《サーチ》も、同じ方法で作りました」
「……何でもできると言うつもりか」
「少なくとも、私が想像できる範囲では。できないこともありますけど」
「魔力はどうなっている」
「減らないみたいです。そもそも魔力量は無限らしくて」
シルベスターさんの手が止まった。
「……無限?」
「はい」
「測定器が壊れた理由はそれか……」
彼はしばらく黙っていたが、突然、深く息を吐いた。
「俺は長いこと冒険者をやってきた。色んな魔法も見てきたが、そんなものは聞いたことがない」
「ですよねぇ」
「他人事みたいに言うな!」
「すみません!」
思わず背筋を伸ばした。
……でも、考えてみれば、この世界の常識を私はほとんど知らない。
何でもできるからと気軽に使っていたけれど、周りからすれば、そんな軽い話ではなかったらしい。
「だから、お前はFランクのままでいたがったのか」
「それもありますけど、一番はのんびり暮らしたいからです」
「……本気か?」
「本気です。旅をして、おいしいものを食べて、気に入った場所で暮らす。せっかくもう一度生きられるんですから」
私は笑ってみせた。
病室の窓から眺めるばかりだった外の景色を、今なら自分の足で見に行ける。
それだけで、十分に嬉しいのだ。
シルベスターさんは何か言いかけ、結局やめた。
「……分かった。今聞いた秘密は守る」
「ありがとうございます」
「ただし、これ以上騒ぎを大きくするな。目立たずに暮らしたいなら、なおさらだ」
「はい、気をつけます」
「……今日はもう、取り返しがつかんがな」
あっ。
それを言われると、返す言葉がない。
転生初日。
登録したギルドでは測定器を三台壊し、ドラゴンを倒し、国王様まで気絶させてしまった。
静かな暮らしから、ずいぶん遠い所へ来ている気がする。
「……明日からは普通に暮らしたいですね」
「頼むからそうしてくれ」
心の底からのお願いに聞こえた。
話が一区切りついたところで、ようやく空腹を思い出した。
……いや、正確には一度も忘れていなかった。
ずっと我慢していただけだ。
「シルベスターさん。そろそろ食事に行っても……」
「その前に、今夜泊まる場所は決まっているのか?」
「……まだです」
このやり取り、さっきリリーナさんともしたような。
今日手に入れた報酬はあるけれど、この世界の宿代がいくらかも分からない。
果たして足りるんだろうか。
「近くの宿を手配してやる。今日の宿泊費はギルドで持つ」
「えっ、いいんですか?」
「お前を放り出して、どこかでまた問題を起こされても困るからな」
……あれ。
親切な理由が少しおかしい。
「本当にありがとうございます!」
「夕飯を食べて、今日は大人しく寝ろ。分かったな?」
「はい!」
「妙な魔法の実験もするなよ」
「……はい」
先回りされた。
今夜は別に何か作るつもりなんてなかったんだけど。
……今のところは。
シルベスターさんは疲れた顔のまま立ち上がり、私をギルドの近くにある宿へ連れていってくれた。
建物は二階建てで、派手ではないが清潔そうだ。入口には木の看板が揺れている。
中へ入ると、食事の匂いが漂ってきた。
もう駄目だ。お腹が鳴る。
「こちらの青年を一晩頼む。宿代はギルドで払う」
シルベスターさんが宿の人と話し、手配を済ませてくれた。
私は何度も頭を下げる。
「本当に助かりました」
「ああ。明日以降のことは、また相談だ。今夜は休め」
「シルベスターさんも、ゆっくり休んでくださいね」
「……誰のせいで疲れたと思ってる」
……ごもっともです。
宿の人が案内してくれたのは、二階の小さな部屋だった。
寝台と机、椅子が一つずつ。窓を開けると、街の屋根が並んで見える。
豪華とは言えないけれど、十分だ。
「ちゃんと寝る場所がある……!」
朝は何も持たずに草原へ降り立ったのに、今は宿に泊まれる。
しかも、初めて自分で稼いだお金まである。
……途中で王様を気絶させなければ、もっと素直に喜べたんだけどね。
部屋に荷物はないので、そのまま食堂へ下りることにした。
今日こそ、異世界で初めての食事だ。
食堂では、数人の客が夕飯を食べていた。
木の卓に素朴な椅子。厨房からは肉を焼く音が聞こえる。
私は空いている席に座り、宿の人が運んできた料理を前にした。
「おお……!」
焼いた肉、温かいスープ、それにパン。
ようやくだ。
草原に降り立ってから、どれだけこの瞬間を待ったことか。
「いただきます!」
思わず日本語のつもりでそう言い、肉を一口食べた。
……うん。
なかなかおいしい。
少し固いけれど、噛むほどに肉の味が出てくる。濃すぎない塩味も悪くない。
異世界の肉ってどんな味かと思ったけれど、意外と普通に食べられるものだ。
続いて、スープ。
「……ん?」
もう一口。
……薄い。
何かの野菜が入っているのは分かるけれど、味付けはずいぶん控えめだった。
いや、悪くはないんだよ?
肉の味がしっかりしている分、スープはこれくらいでもいいのかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら、パンをちぎった。
「……固っ!」
思わず小声が漏れた。
力を入れて、ようやく一切れ。
食べられないほどではないけれど、日本で買っていた柔らかいパンとはまるで違う。
ああ、焼きたてのふわふわしたパンが恋しい。
……いや、まだ転生初日だよ?
もう食文化の違いに驚いているのか、私は。
それでも、空腹には勝てなかった。
スープにパンを少し浸してみると、食べやすくなった。これはなかなかいい。
気づけば、皿は全部空になっていた。
「ごちそうさまでした」
お腹が満たされるだけで、こんなに気分が落ち着くんだな。
さて、後は部屋に戻って寝るだけ。
……その前に、一つ確認したいことがある。
「あの、こちらってお風呂はありますか?」
食器を片づけていた宿の人が、不思議そうな顔をした。
「風呂? そんなものはないよ」
「えっ、ないんですか?」
「風呂なんて貴族が使うものだろう。うちにはないよ」
「……そうなんですね」
来た。
来てしまった。
異世界生活のお約束、風呂がない問題!
ギルドの新人いびりや国王への呼び出しはともかく、これだけはちょっと困る。
日本では、体調が許すときには風呂に入るのが楽しみだったんだ。
若返った身体で、ゆっくり湯船につかってみたかったのに。
……いや、落ち着こう。
今日は初日だ。
何もかも日本と同じというわけにはいかない。
今は寝床も食事も確保できたんだから、それだけで十分ありがたい。
「ありがとうございました。おいしかったです」
宿の人に礼を言って、部屋へ戻った。
窓の外はもう暗い。
街の灯りがぽつぽつと浮かび、どこか遠くで人の笑い声が聞こえた。
私は寝台に腰を下ろした。
……長い一日だったなぁ。
四十三歳で病気に倒れ、神様に会って、見知らぬ世界で目を覚ました。
冒険者にもなったし、ドラゴンとも話した。
国王様が気絶するところまで見てしまった。
こんな一日、物語の主人公でもそうそう経験しないんじゃないかな。
……いや、異世界ものなら、わりとあるのか?
「まったく、お約束だらけだなぁ」
私はひとりで笑った。
明日はもっと静かな日にしたい。
町を見て歩いて、おいしいものを探して、少し仕事をして。
そんな普通の一日でいい。
「……おやすみなさい」
布団を引き寄せ、目を閉じる。
最後に思い浮かんだのは、昼間のドラゴンでも王様の顔でもなかった。
温かいお風呂と、柔らかいパン。
……いつか、絶対に何とかしよう。
そう決めたところで、意識はゆっくりと眠りに落ちた。




