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第4話:自業自得と家族旅行をしよう

 ……やっと、少し落ち着いた。


 王都の北門周辺は、まだ復興の途中だ。


 でも、街道を荷車が行き交うようになり、避難していた人たちにも少しずつ帰る場所ができている。


 王国の兵士さんや職人さんたちも、毎日頑張っているらしい。


 ……うん。


 ここまで来れば、私が一日中ついていなくても大丈夫そうだね。


 そう思いながら、私は食堂で朝食を食べていた。


「リアリスちゃん、おかわりは?」


「いただきます!」


 巴さんが、炊きたてのご飯をよそってくれる。


 湯気が立つお味噌汁。


 焼き魚。


 卵焼き。


 ……ああ。


 やっぱり、日本の朝ご飯っていいなぁ。


「お父さん、今日はどこか行くの?」


 隣に座ったカトレアが尋ねてきた。


「今日はね、みんなと相談したいことがあるんだ」


「相談?」


「うん。ちょっと楽しいこと」


 ……ふふ。


 まだ、秘密にしておこうかな。


 私は、焼き魚をひと口食べた。


 そのときだった。


     ◇


「旦那様。王城より使者がお見えでございます」


 食堂へ入ってきたセバスが、静かに頭を下げた。


 ……えっ?


 朝ご飯の途中なんだけど。


「王城から?」


「はい。至急、お目通りを願いたいとのことでございます」


 ……至急?


 嫌な予感しかしない。


「何か、また魔獣でも出たのかな……」


 私が呟くと、桜花が首を振った。


「そのような報告は、届いておりません」


「……だよねぇ」


 北門の件が終わって、ようやく落ち着いたところだ。


 また大騒ぎは勘弁してほしい。


「分かった。今、行くよ」


 私は、残っていたお味噌汁を飲み干した。


 ……うん。


 ごちそうさまでした。


 せめて食事くらい、ゆっくりさせてほしいなぁ。


 玄関に出ると、王城の紋章が入った服を着た使者が待っていた。


「リアリス様。突然の訪問、失礼いたします」


「いえ。それで、何かあったんですか?」


「陛下より、至急王城へお越しいただきたいとのお言葉を預かっております」


「……理由は?」


「詳しくは、陛下より直接お伝えするとのことです」


 ……ええ。


 ますます気になるんですけど。


「かしこまりました。すぐに伺います」


「ありがとうございます。馬車をご用意しておりますので」


 ……おお。


 馬車まで?


 いつもなら《転移》で行くところだけど、今回は正式なお迎えらしい。


 私は桜花へ振り返った。


「桜花、一緒に来てもらっていい?」


「もちろんでございます、リアリス様」


 ……うん。


 とりあえず、二人なら心強い。


 玄関の向こうから、カトレアが手を振っていた。


「お父さん、いってらっしゃい!」


「いってきまーす!」


 巴さんも、微笑んでいる。


「気をつけてね、リアリスちゃん」


 ……あれ。


 何だろう。


 巴さん、少し楽しそうな顔をしてない?


 ……気のせいかな。


     ◇


 王城へ着くと、いつもとは違う入口へ案内された。


 絨毯が敷かれた廊下。


 磨かれた窓。


 それに、妙に礼儀正しい兵士さんたち。


「リアリス様。こちらへどうぞ」


 ……あの。


 私、そんなに偉い人じゃないんですけど。


 思わず桜花を見ると、彼女はいつもどおり落ち着いている。


 ……うん。


 まあ、桜花はこういう場でも平気だよね。


 やがて、案内された部屋の扉が開いた。


「……おう」


 中から、聞き慣れた声がする。


「シルベスターさん!?」


 そこにいたのは、王都の冒険者ギルドマスターだった。


 いつもの鎧ではなく、きちんとした上着を着ている。


 しかも、何だかものすごく機嫌が悪そうだ。


「リアリス。お前も呼ばれたのか」


「はい。シルベスターさんも?」


「ああ。理由も聞かされずに連れてこられた」


 ……おお。


 仲間がいた。


「何なんでしょうね?」


「知らん。だが、ろくなことじゃねえだろうな」


 ……うん。


 そこは、私も同感です。


「失礼いたします」


 扉の向こうから、ミキサーさんが入ってきた。


 いつもの穏やかな表情。


 でも、その手には分厚い書類の束がある。


 ……うわ。


 嫌な予感が増した。


「リアリス様。シルベスター殿。お待たせいたしました」


「ミキサーさん。何かありましたか?」


「ええ。お二人には、陛下より大切なお話がございます」


「ここで聞いちゃ駄目なんですか?」


「陛下から直接お聞きいただくことになっておりますので」


 ……ええ。


 頑なだなぁ。


 シルベスターさんも、眉間に皺を寄せている。


「おい、宰相。まさか、また面倒な仕事を押しつけるつもりじゃねえだろうな」


「いいえ。今回は、お二人への感謝をお伝えするためです」


「……感謝?」


 私とシルベスターさんの声が重なった。


 ミキサーさんは、にっこり微笑んだ。


「それでは、参りましょう」


 ……あっ。


 これ、もう逃がしてもらえないやつだ。


     ◇


 案内された先には、カバディ王が待っていた。


 左右には、王国の重臣たち。


 壁際には、近衛兵さんたちが並んでいる。


 ……うわ。


 想像していたより、ずいぶん大ごとだ。


「リアリス殿、シルベスター殿。よく来てくれた」


「陛下。お招きいただき、ありがとうございます」


 私は、頭を下げた。


 隣では、シルベスターさんも礼をしている。


 ……おお。


 こうして見ると、ちゃんとギルドマスターだね。


「今日は二人に、改めて礼を言いたくてな」


 カバディ王は、静かに続けた。


「先日の大襲撃。そなたたちがいなければ、王都にどれほどの被害が出ていたか分からぬ」


「いえ。私は、できることをしただけですから」


「俺も、ギルドマスターとして当然のことをしたまでです」


 ……うん。


 こういう話なら、まだ大丈夫そう。


 私は、少しだけ肩の力を抜いた。


 ……その判断が甘かった。


     ◇


「そこで、二人を叙勲することに決めた」


「……はい?」


「……は?」


 …………。


 いま、何て?


 叙勲?


 ……叙勲って、あれだよね。


 功績のあった人に、国から勲章を授ける、あれ。


「陛下。申し訳ありませんが、もう一度……」


「王国への功績をたたえ、正式に勲章を授ける。そして、国民にも二人の働きを広く知らせる」


 …………。


「辞退します」


「俺も辞退する」


 また、声が重なった。


 ……おお。


 息ぴったりだね、シルベスターさん!


 彼も、こちらを見た。


 目だけで、何かを伝え合う。


 ……うん。


 ここは、二人で頑張って断ろう。


「私は、あまり目立ちたくないので……」


「俺はギルドの仕事をしただけだ。兵士や冒険者も頑張った。わざわざ俺一人を表彰する必要はねえ」


 カバディ王が、ゆっくり頷いた。


「二人の気持ちは、よく分かった」


 ……おっ。


「だが、辞退は認めぬ」


 ……ですよねぇ!!


「陛下、それはあんまりでは?」


 思わず私が言うと、ミキサーさんが一歩前へ出た。


「リアリス様。今回の襲撃については、すでに兵士たちや避難された方々から多くの報告が届いております」


 ……えっ。


「魔獣の群れを正面から食い止め、最も多く討伐された方がいらっしゃること。救護所で次々と命を救い、復興にも力を貸してくださったこと」


 ……うん。


 確かに、全部やったけど。


「その方が、王国やギルドから何も説明されないままでは、民の間に様々な憶測が広がってしまいます」


「……ああ」


 ……そうか。


 あれだけ大勢の人に見られてたんだ。


 今さら、何もなかったことにはできないよね。


「今回の最大の功労者が誰なのか。王国として、きちんと示す責任がございます」


 ……なるほどなぁ。


 理屈は、分かる。


 分かるけど。


 目立ちたいかと聞かれたら、絶対に嫌だ。


     ◇


「それなら、シルベスターさんだけで……」


「おい!?」


 シルベスターさんが、すかさず私を睨んだ。


 ……しまった。


 口に出てた。


「悪いが、俺もお前だけでいいと思ってるぞ」


「……えっ?」


「魔獣を一番倒したのはお前だろうが。俺なんぞ、後ろで踏ん張ってただけだ」


 ……いやいやいや。


「それは違いますよ」


 私は、思わず身体を向けた。


「シルベスターさんがいなかったら、撤退した兵士さんたちも、戻ってきた冒険者さんたちも、あんなに落ち着いて動けなかったと思います」


「……それは」


「私、正面の魔獣を倒すことで手一杯でしたからね。全部の人を見ながら指揮するなんて、できませんでしたよ」


 ……うん。


 いくら魔獣を倒しても、抜けた魔獣に襲われたら被害は出る。


 それを食い止めたのは、シルベスターさんだ。


「私は、シルベスターさんがいてくれて、本当に助かりました」


 シルベスターさんが、少し黙った。


 それから、顔を背ける。


「……だからって、お前の功績がなくなるわけじゃねえぞ」


「それは、シルベスターさんだって同じでしょう?」


「……ちっ」


 ……あれ?


 これ、結局お互いの功績を認め合ってるだけじゃない?


「うむ。二人とも、そのとおりだ」


 カバディ王が、大きく頷いた。


「リアリス殿は、戦場で最も多くの魔獣を倒し、その後も負傷者を治療し、避難してきた者たちの生活を支えてくれた。今回の災厄全体を通して、最大の功労者であることは間違いない」


 ……うっ。


 改めて言われると、何だか恥ずかしい。


「そして、シルベスター殿。そなたが前線を守り抜き、兵士と冒険者を逃がし、再び戦える者たちをまとめてくれたこともまた、大きな功績だ」


 国王は、シルベスターさんをまっすぐ見た。


「リアリス殿がいかに強くとも、そなたの指揮がなければ、犠牲はさらに増えていたであろう」


 シルベスターさんは、何も答えなかった。


 戻った左手が、膝の上でゆっくり握られる。


 ……うん。


 あの人は、ちゃんと守ったんだ。


「ゆえに、二人をそれぞれの功績でたたえる」


 国王の声は、静かだった。


 でも、不思議と反論できない重みがあった。


「もちろん、亡くなった兵士や冒険者たちの働きを忘れるわけではない」


 国王が続けた。


「生き残った者たちも、復興に尽くしてくれた者たちも、皆が王国を守った。国として、彼らへの支援と感謝はこれからも続けていく」


 ……ああ。


 それなら、よかった。


「二人に勲章を授けることで、ほかの者たちの働きを軽んじるつもりはない。むしろ、その功績を国民に伝える機会にしたいのだ」


 私は、隣のシルベスターさんを見た。


 彼も、少しだけ表情を緩めている。


 ……うん。


 そこまで考えてくれているなら、文句は言えないね。


 ……いや。


 言いたいことは、あるんだけど。


 目立つのが嫌だっていう、とても個人的な文句が。


     ◇


「ちなみに、叙勲をお断りした場合は……」


 最後の望みをかけて尋ねてみた。


 ミキサーさんが、書類を一枚広げる。


「すでに王国としての決定はなされております。兵士や冒険者の証言もまとめ、国民への発表の準備を進めております」


「……えっ」


「式典の席も整えました」


「……もう?」


「はい」


 ……あっ。


 順番、おかしくない?


 本人たちの返事を聞いてから準備するものじゃないのかな!?


「おい、宰相。俺たちの意思はどうなる」


「お二人が控えめなお人柄だということは、陛下も承知しております」


「承知してて、これか」


「はい」


 ミキサーさんの笑顔が、まったく揺らがない。


 ……強い。


 この人、ある意味シルベスターさんより強いんじゃない?


「だが、ひとつだけ安心してほしい」


 カバディ王が、口を開いた。


「そなたたちを、貴族の仕事に縛りつけるつもりはない。今回の叙勲は、あくまで王国からの感謝と名誉を示すものだ」


 ……おお。


 そこは大事!


「じゃあ、いつもどおりの暮らしを続けても?」


「もちろんだ。リアリス殿には、これまでどおり自由に過ごしてもらいたい」


「俺もギルドマスターを続けていいんだな?」


「無論だ。そなたがギルドを離れたら、こちらも困る」


 ……ふう。


 それなら、まだ大丈夫かな。


 ……うん。


 大丈夫だと、思いたい。


 その隣で、ミキサーさんが書類を揃えた。


「なお、国民へのお披露目では、お二人の顔とお名前も紹介いたします」


「……えっ」


 ……待って。


 それ、一番大変なところじゃない!?


「これまで王国は、リアリス殿の力をむやみに広めぬよう努めてきた」


 カバディ王が、少し困ったように笑った。


「だが、あれほどの戦いと救援を、民の目から隠し通すことはできぬ」


 ……うん。


 自分でも、分かってる。


 それに、いろんな場所で魔法を使いまくったしね。


 人助けを優先して、隠すことなんて考えていなかった。


 ……ああ。


 どう考えても、自業自得だ。


「公表するのは、あくまで王国を救ってくれた人物としての働きだ。魔法の細かな仕組みまで明かすつもりはない」


「……それなら、お願いします」


 私は、素直に頭を下げた。


 秘密にしておくべきことは、まだある。


 でも、助けた事実まで隠す必要は、もうないのかもしれない。


 シルベスターさんが、大きなため息をついた。


「……これで、やっと胃が痛くならずに済むかもしれんな」


「シルベスターさん、それ私のせいですか!?」


「お前以外に誰がいる!」


 ……あっ。


 ですよねぇ。


 私は、思わず苦笑した。


 隣の桜花は、静かに微笑んでいた。


     ◇


「では、式典は明日の昼に行う」


「……明日!?」


 思わず、声が裏返った。


 カバディ王は、何でもないことのように頷く。


「復興の状況も考え、長い式にはせぬ。だが、民の前で感謝を伝えるには、ちょうどよい頃合いであろう」


 ……明日かぁ。


 明日の予定、全部なくなったな。


「それと、リアリス殿」


「……はい」


「ギルドに登録している名が、本名と違う件については、シルベスター殿と話を合わせておいてくれ」


 ……おお。


 そこも、見逃してもらえないよね。


「登録名はリオンですけど、身分を偽って悪いことをしたわけじゃありませんよ?」


「分かっておる。だからこそ、今後は混乱が起きぬように頼む」


「……はい」


 私は、シルベスターさんへ目を向けた。


「すみません。ギルドの方も、よろしくお願いします」


「……まったく、お前ってやつは」


 シルベスターさんが、左手で額を押さえた。


「ギルドに戻ったら、受付と職員には事情を通しておく。表の登録まで勝手に変える必要はねえが、同一人物だってことは分かるようにしとくぞ」


「ありがとうございます!」


「……礼を言われる筋合いでもねえ」


 ……うん。


 何から何まで、すみません。


     ◇


 王城を出る頃には、すっかり昼近くになっていた。


 シルベスターさんは、廊下を歩きながらぶつぶつ言っている。


「勲章なんぞ、机に飾っても仕事は減らねえぞ……」


「本当ですよ。あんな立派なものをいただいても、どうしたらいいのか……」


「お前はまだいい。俺はギルドの連中から、絶対にからかわれる」


 ……おお。


 それは、確かに。


「でも、シルベスターさんが国民の前で表彰されるところ、見てみたい気もします」


「お前も一緒だろうが!」


「……あっ」


 ……そうだった。


 自分のことを忘れてた。


 シルベスターさんが、盛大にため息をつく。


「……リアリス。ひとつだけ言っとくぞ」


「何ですか?」


「式典で余計な魔法は使うなよ」


「……え?」


「空を飛んで入場するとか、突然花火を打ち上げるとか、そういうのはやめろ」


 …………。


「私、そこまでしませんよ!」


「今までのお前を見てると、念を押したくなるんだよ!」


 ……ひどい。


 いや、これまでの行動を振り返ると、あまり強く反論できないけど。


 横を歩いていた桜花が、小さく頷いた。


「シルベスター様のお気持ちも、理解できます」


「桜花まで!?」


 ……ああ。


 今日も、味方がいない。


     ◇


 屋敷に戻ると、カトレアが玄関まで迎えに来てくれた。


「お父さん、おかえり!」


「ただいま!」


「王様に、何のお話だったの?」


 ……あっ。


 説明しないといけないんだった。


 私は、靴を脱ぎながら答えた。


「明日ね、王様から勲章をもらうことになっちゃった」


「……くんしょう?」


「うん。頑張った人にくれる、国からのご褒美みたいなものかな」


 カトレアは、しばらく考えていた。


 それから、ぱっと顔を輝かせた。


「お父さん、すごい!」


 ……おお。


 そんなに喜んでくれるのか。


「でも、私だけじゃないよ。シルベスターさんも一緒だからね」


「シルベスターさんも!?」


「うん」


 カトレアが、嬉しそうに両手を握りしめる。


「じゃあ、おめでとうって言わなくちゃ!」


 ……ああ。


 この子に喜ばれると、少しだけ悪くない気がしてきた。


 ……少しだけね。


 巴さんにも事情を説明すると、なぜかとても楽しそうだった。


「まあ、リアリスちゃん。ついに国の英雄になっちゃうのね」


「……いや、巴さん。なっちゃうのねって」


「ふふ。前から、いつかこうなると思っていたわよ」


 ……えっ。


 そんな予感、あったんですか!?


「リアリスちゃん、困っている人を見つけたら、放っておけないもの」


 ……うん。


 それは、まあ。


「でも、今までずっと上手く隠れてたじゃないですか」


「隠れていた、というより……周りの皆さんが頑張って隠してくださっていたんじゃないかしら」


 …………。


 ……ああ。


 それも、そうだね。


 シルベスターさんの胃が痛くなるわけだ。


「それで、明日はどんな服を着ていくの?」


「……え?」


 巴さんの目が、きらりと光った。


 ……あっ。


 これ、別の意味で逃げられないやつだ。


     ◇


 翌日。


 私は、鏡の前で立っていた。


 いつもの服ではない。


 黒を基調にした、きちんとした上着。


 胸元には、派手すぎない飾りがある。


 ……おお。


 なんだか、私じゃないみたいだ。


「よくお似合いですよ、リアリス様」


 桜花が、微笑んだ。


「ありがとう。でも、ちょっと落ち着かないなぁ」


「本日のリアリス様は、王国の英雄としてお招きされておりますので」


「……うっ」


 その言葉を聞くたびに、胃の辺りがむずむずする。


 ……ああ。


 シルベスターさんの気持ちが、少し分かってきたかもしれない。


 巴さんは、襟元を整えてくれた。


「ほら、背筋を伸ばして。せっかく立派な式典なんだから」


「はーい」


 ……うん。


 今日は、素直に従っておこう。


 カトレアが、私の周りをくるりと回った。


「お父さん、かっこいい!」


 ……おお。


 その一言だけで、ちょっと報われた。


     ◇


 王城の前には、昨日よりも大勢の人が集まっていた。


 王都の住民だけじゃない。


 制服姿の兵士さんたち。


 冒険者らしい人たち。


 あのとき避難していた人たちの姿も見える。


 ……うわ。


 本当に、こんなに集まったんだ。


「……帰りてえ」


 隣から、低い声が聞こえた。


「シルベスターさん、心の声が出てますよ」


「お前も同じ顔してるぞ」


「……そうですか?」


「そうだ」


 ……うん。


 たぶん、そうなんだろうなぁ。


 シルベスターさんも、今日は正装をしている。


 普段のギルドマスターの姿とは、ずいぶん違った。


 左腕まできちんと袖が通っている。


 ……ああ。


 その姿を見ると、やっぱり嬉しくなる。


 シルベスターさんが、こちらを睨んだ。


「……また腕を見て笑ってねえか?」


「いえいえ! 似合ってるなぁと思っただけです!」


「……ふん」


 ……危ない危ない。


     ◇


 やがて、式典が始まった。


 カバディ王が、集まった人々の前へ進み出る。


 ざわめいていた広場が、少しずつ静かになった。


「シルク王国の民よ。先日の大襲撃では、多くの者が傷つき、そして命を落とした」


 国王の声が、広場に響いた。


「今日、この場で王国を守ってくれた人々へ、改めて感謝を伝えたい」


 兵士さんたちが、ゆっくり頭を下げた。


 その向こうには、亡くなった人の名前を縫い込んだ布を、大切そうに抱いている人もいた。


 ……ああ。


 あの人も、誰かを待っていたんだろうね。


「我々は、犠牲になった者たちを忘れぬ。生き残った者、復興に尽くす者への支援も続ける。そして、王国を守り抜いたその働きを、正しく語り継ぐ」


 私は、自然と背筋を伸ばした。


 ……うん。


 そうしてくれたら、嬉しい。


     ◇


「まず、王都北方の防衛線を守り抜いた、冒険者ギルドマスター、シルベスター殿!」


 名前が呼ばれた。


 シルベスターさんが、軽く息を吸う。


「……行ってくる」


「頑張ってください!」


「……お前もすぐだからな」


 ……あっ。


 そうだった。


 シルベスターさんが、一歩前へ出た。


 広場の一角から、声が上がる。


「ギルドマスター!」


「シルベスター殿ーっ!」


 ……おお。


 みんな、知ってる人たちだ。


 あの戦場にいた兵士さんもいる。


 腕を振っている冒険者さんもいる。


 シルベスターさんは、驚いたようにその声の方を見た。


「そなたは、絶望的な戦況の中で防衛線を維持し、兵士と冒険者の撤退を導いた。再び戦える者たちをまとめ、敵の侵入を防ぎ続けた」


 カバディ王が、ひとつずつ言葉を重ねる。


「そなたの指揮がなければ、王都に迫った脅威を抑えることはできなかったであろう」


 シルベスターさんは、黙って聞いていた。


 やがて、深く頭を下げる。


「……身に余るお言葉です」


 ……うん。


 何だか、本当に格好いいな。


 国王から渡された勲章を、シルベスターさんが受け取る。


 左手が、その勲章を静かに支えた。


 大きな拍手が、広場に響いた。


「ギルマスーっ!」


「ありがとうー!」


 その声に、シルベスターさんが一瞬だけ顔をしかめる。


 ……あっ。


 照れてる。


 でも、さすがに今日は怒鳴らなかった。


     ◇


「続いて、リアリス殿!」


 ……来た。


 ついに、来てしまった。


「リアリス様」


 桜花が、そっと声をかけてきた。


「皆様は、感謝を伝えたいだけなのだと思います」


 ……ああ。


 そうだね。


「うん。行ってくる」


 私は、大きく息を吸った。


 それから、広場の前へ歩き出した。


 ……うわ。


 視線が、ものすごい。


 あれだけ大勢の魔獣に囲まれたときより、落ち着かないかもしれない。


 ……いや。


 さすがに、それは言い過ぎかな。


「リアリス殿は、押し寄せた魔獣の大群を正面から迎え撃ち、最も多くを討伐した」


 カバディ王の声が、はっきりと聞こえる。


「その後も、怪我をした者を癒やし、避難してきた者を支え、壊れた街道と住まいの復旧にも力を尽くした」


 ……うっ。


 ここまで、全部言われるとは。


「今回の災厄を通して、王国を救うために働いてくれた、最大の功労者である」


 広場が、どっと沸いた。


 私は、思わず目を見開いた。


「リアリス様ー!」


「ありがとう!」


「うちの家族を助けてくれた方だ!」


 ……えっ。


 あっちからも、こっちからも。


 見覚えのある顔が、たくさんある。


 避難所で会った男の子。


 街道で荷車を直した商人さん。


 救護所の治癒師さんまで。


 みんな、手を振っている。


 ……ああ。


 あのときの人たちだ。


「リアリス殿。王国を守ってくれたこと、心より感謝する」


 国王が、勲章を差し出した。


 私は、両手で受け取る。


 手の中で、小さな金属が静かに光った。


 ……おお。


 思ったより、ずっしりしている。


「ありがとうございます、陛下」


 私は、頭を下げた。


 すると、カバディ王は少しだけ微笑んだ。


「本来ならば、そなたたち二人とも、もっと大きな褒美を与えたいところだが……」


 ……えっ?


 まだ、何かあるの!?


「今日は、そなたたちの望むとおり、名誉を示すことにとどめよう」


 ……ああ。


 よかった!


「……助かります」


 思わず本音が出た。


 国王が、少しだけ笑う。


 ……しまった。


 ここ、もう少し格好よく答えるところだったかな。


 広場からの拍手が、なかなか止まなかった。


 私は、どうしたものかと立ち尽くす。


 すると、隣へ戻ってきたシルベスターさんが小さく言った。


「……手でも振っとけ」


「……えっ?」


「せっかく来てくれた連中だ。無視するのも失礼だろうが」


 ……ああ。


 それも、そうだね。


 私は、ゆっくり手を上げた。


「皆さん、ありがとうございました!」


 さらに、大きな歓声が上がった。


 ……うわぁ。


 これは、慣れるまで時間がかかりそう。


 シルベスターさんも、渋々手を上げる。


「ギルドマスター、万歳!」


「シルベスター殿ー!」


 ……おお。


 あっちも、すごいな。


 二人で顔を見合わせた。


「……リアリス」


「……はい」


「お前、今後は覚悟しとけよ」


「……何をですか?」


「これから街を歩くのが、今までみたいにはいかねえぞ」


 …………。


 ……えっ。


 そこまで?


     ◇


 式典が終わっても、集まった人々の声はなかなか収まらなかった。


 王国の兵士さんたちが、広場の通行を整理している。


 シルベスターさんは、ギルドの職員たちに囲まれていた。


「ギルドマスター! おめでとうございます!」


「さすがです!」


「……おい、仕事はどうした」


「今日くらいは、いいじゃありませんか!」


 ……あはは。


 早速、からかわれてる。


 シルベスターさんが、こちらへ助けを求めるような目を向けた。


 ……うん。


 すみません。


 今、そっちへ行ったら、私まで捕まりそうなので。


 私は、桜花と一緒に少し離れた場所へ移動した。


「リアリス様。お疲れさまでございました」


「……桜花。私、もう帰りたい」


「ふふ。もう少しだけ、頑張りましょう」


 ……ああ。


 やっぱり、今日は逃げられないんだね。


     ◇


 その後、ようやく王城を出た私たちは、王都の通りを歩いていた。


 せっかくだし、帰りにパンでも買っていこう。


 そう思って、いつもの店へ向かったんだけど。


「……あっ! リアリス様!」


 店の前を掃除していた女性が、こちらに気づいた。


「こんにちは!」


「あ、こんにちは」


 私は、反射的に挨拶を返した。


「先ほどの式典、拝見しましたよ! 本当に、おめでとうございます!」


「……ありがとうございます」


 ……うん。


 まあ、これは想定内。


 むしろ、知ってる人に声をかけられただけだ。


 ……そう思った次の瞬間。


「リアリス様!」


「王国を救ってくださった方だ!」


 通りの向こうから、別の人たちが声をかけてきた。


 …………。


 ……あれ?


 なんだか、増えてない?


「リアリス様、こんにちは!」


「先日は、ありがとうございました!」


「うちの子も助けていただいたんです!」


 ……おお。


 みんな、覚えてくれてたんだ。


 嬉しい。


 嬉しいけど。


 ちょっと、恥ずかしい!


「いえいえ! 皆さんも、頑張ってましたから!」


 私は、何度も頭を下げた。


 桜花が、横で楽しそうに微笑んでいる。


「リアリス様。皆様に愛されておりますね」


「……桜花。今まで、こんなに目立ってなかったよね?」


「はい。本日からは、少し状況が変わるかと」


 ……少し?


 これを少しって言う!?


 近くの店から、さっきのパン屋さんが顔を出した。


「英雄様! 今日は焼きたてですよ!」


「……あっ、ありがとうございます!」


 ……うん。


 パンを買いたかっただけなのに、英雄様って呼ばれちゃった。


 私は、手にしたパンを見つめた。


 ……ああ。


 もう、普通の買い物が普通じゃなくなってきた気がする。


     ◇


 屋敷へ帰ると、カトレアが勲章を見せてほしいと言ってきた。


 私は、小さな箱を開けて見せる。


「わあ……! きれい!」


「うん。ちゃんと大事にしまっておこうね」


「お父さん、みんなにお祝いされた?」


「……うん。たくさんね」


「よかった!」


 カトレアは、満面の笑み。


 ……ああ。


 この子が喜んでくれるなら、まあ、悪くないかな。


 その隣で、巴さんも微笑んでいた。


「リアリスちゃん。これから、お出かけするときは大変ね」


「……はい。今日だけで、よーく分かりました」


 ……うん。


 王様たちが、隠し通せないと言っていた理由も。


 シルベスターさんが、あれほど嫌がっていた理由も。


 ようやく、分かった気がする。


 ……ただ。


 自分で散々やってきた結果なので、文句を言う相手がいない。


 ……ああ。


 これも、自業自得ってやつだね。


     ◇


 私は、勲章の箱を棚へしまった。


 それから、食堂の方へ戻る。


 巴さんが、いつものようにお茶を淹れてくれていた。


 ……うん。


 やっぱり、こっちの方が落ち着く。


 王国の英雄より、ここの家主でいる方が、ずっと性に合ってるね。


 ……あっ。


 そういえば、王城に呼び出される前に考えていたことがあったんだった。


「巴さん。ちょっと相談してもいいですか?」


「もちろんよ。どうしたの?」


「今回、各国のみんなには本当に助けてもらいましたよね」


「ええ。みんな、よく頑張ってくれたわ」


「それで、何かお礼がしたいんです」


 巴さんが、優しく微笑んだ。


「気持ちだけでも、きっと喜ぶと思うわよ」


「それだけじゃ、足りない気がして」


 私は、少し考えた。


 ……うーん。


 いつも、いろいろなことを支えてもらってる。


 今回の救援でも、食事に看護に、あちこち走り回ってもらった。


 各国の屋敷で頑張ってくれている家族の中には、なかなか顔を合わせられない子もいる。


 ……そうだ。


「みんなで、旅行なんてどうでしょう?」


「……旅行?」


「はい。仕事をお休みにして、みんなでのんびりするんです」


 巴さんが、一瞬だけ目を丸くした。


 それから、嬉しそうに笑う。


「まあ。素敵じゃない」


 ……おお。


 好感触!


「ただ、どこへ行くかは、まだ決めてないんですよね」


「そうなの?」


「せっかくなら、普段行けない場所がいいなぁって。温泉なんかも、よさそうですけど」


 ……ああ。


 温泉。


 日本にいた頃も、たまに行ったなぁ。


 湯船にゆっくり浸かって、ご飯を食べて、何もせずに寝る。


 ……最高だね。


「お父さん、温泉って何?」


 カトレアが、隣から顔を出した。


「地面から、温かいお湯が湧いているところだよ。みんなでお風呂に入れるんだ」


「お風呂!」


 ……おお。


 食いつきがいい。


「大きなお風呂なの?」


「場所によるけど、広いお風呂もあるよ」


「行きたい!」


 ……うん。


 私も、行きたい。


 あとは、どこにあるかだね。


     ◇


「リアリス様。お客様がお見えでございます」


 そこへ、セバスが声をかけてきた。


「……また王城から?」


 思わず、身構えてしまった。


 ……今日は、もう勘弁してほしい。


 セバスが、少しだけ微笑んだ。


「アリーナ様でございます」


「……あっ。アリーナさんか」


 ……よかった。


 いや、王女様なんだけどね。


 最近は、もう普通のお客さんみたいな感覚になってきたなぁ。


「お通しして」


「かしこまりました」


 やがて、薄桃色の長い髪を揺らしながら、アリーナさんが入ってきた。


「リアリス様! 先ほどの式典、拝見いたしました!」


「こんにちは、アリーナさん」


「本当に、おめでとうございます!」


 アリーナさんは、嬉しそうに頭を下げた。


 ……ああ。


 ここでも、お祝いされるのか。


「ありがとうございます。でも、まだ慣れないですね」


「ふふ。国中の皆さんが、リアリス様に感謝しておりますもの」


 ……うん。


 その言葉も、今日は何回聞いたかなぁ。


「アリーナお姉ちゃん!」


 カトレアが、ぱっと立ち上がった。


「カトレアちゃん!」


 アリーナさんが、すぐに笑顔になる。


 二人は、楽しそうに手を取り合った。


 ……うん。


 相変わらず、仲がいいね。


「ねえ、お姉ちゃん。温泉って知ってる?」


「温泉?」


「うん! お父さんが、みんなで旅行に行こうって!」


 ……あっ。


 まだ、行き先も決まってないんだけど。


 アリーナさんの目が、ぱっと輝いた。


「まあ! リアリス様、旅行へ行かれるのですか?」


「はい。今まで頑張ってくれた家族みんなと、ゆっくり過ごしたいなと思って」


「それは、素敵ですわ!」


 ……おお。


 また、好感触。


「ただ、温泉のある場所を、あまり知らなくて」


 私がそう言うと、アリーナさんが少し考えた。


「それでしたら、シギラ国のドボロクはいかがでしょう?」


「……ドボロク?」


 ……おお。


 なんだか、聞いたことがあるような、ないような。


「ドボロクは、ガルドバから北西の山あいにある町ですわ」


 アリーナさんが、楽しそうに説明してくれた。


「温泉で有名で、景色もよくて、ゆっくり過ごせるところだと聞いております」


「……おお!」


 温泉の町!


 それは、いいね!


「温泉に入れる宿もありますし、大人数で過ごすための別荘をお持ちの方もいらっしゃいます」


「別荘、ですか?」


「はい。リアリス様のように、ご家族が大勢いらっしゃる方でしたら、貸し切りで過ごせる場所の方がよろしいかと」


 ……なるほど。


 確かに。


 今回、行きたいのは私だけじゃない。


 屋敷も、学校も、雑貨屋も、美容サロンも。


 各国で頑張っている家族みんなに休んでもらいたいんだ。


 普通の宿だと、部屋が足りないかもしれない。


 ……うん。


 別荘なら、よさそうだね。


「ありがとうございます、アリーナさん!」


「お役に立てて、嬉しいですわ」


 アリーナさんが、にっこり笑った。


「そういえば、シギラ国ならミゲイルさんがいますね」


 私は、ふと思い出した。


 ギーラとシーラの争いが終わったあと、結婚したあの二人。


 ミゲイルさんとイリーナさん。


 ……うん。


 元気にしてるかな。


「ミゲイルさんなら、大きな別荘をご存じかもしれませんね」


「ええ。ご相談なさるとよろしいかと思います」


 ……よし。


 それなら、話は早い。


「桜花。あとで一緒にガルドバへ行かない?」


「かしこまりました、リアリス様」


 ……うん。


 善は急げ、だね。


 そのとき、アリーナさんが少しだけ首を傾げた。


「ところで、リアリス様。その旅行には、わたくしも……」


「今回は、うちの家族みんなで行く旅行なので……」


 私が申し訳なさそうに答えると、アリーナさんはすぐに微笑んだ。


「ふふ。そうでしたわね。皆さん、きっと喜ばれますわ」


「ありがとうございます」


 ……うん。


 こういうところ、アリーナさんは優しいな。


 カトレアは、すっかり温泉へ行く気になっている。


「お姉ちゃん! 帰ってきたら、お話するね!」


「ええ。ぜひ聞かせてちょうだい」


 ……ああ。


 行き先が決まる前から、楽しみが増えてるね。


     ◇


 アリーナさんを見送ったあと、私は桜花と一緒にガルドバへ向かった。


「《転移》」


 見覚えのある街並みが、目の前に広がる。


 ドワーフたちが行き交う、石造りの町。


 鍛冶場からは、金属を打つ音が響いている。


 ……おお。


 久しぶりだなぁ。


 そういえば、以前はギーラ国の首都だったんだよね。


 今はイリーナさんとの結婚で、シギラ国になっている。


 ……うん。


 あの結婚式も、にぎやかだったなぁ。


「リアリス様。まずはミゲイル様へお知らせいたしましょうか」


「そうだね。突然押しかけたら、悪いし」


 ……いや。


 もう来ちゃってるんだけどね。


 私は、近くの役人さんに取り次いでもらうことにした。


     ◇


「……リアリス殿! お久しぶりです」


 案内された部屋で、ミゲイルさんが目を丸くした。


 赤い短髪が、以前と変わらない。


「お久しぶりです、ミゲイルさん」


「……驚きました。突然いらっしゃるとは。何かございましたか?」


 ……あっ。


 やっぱり、ちょっと驚かせたかな。


「すみません。急に相談したいことができまして」


「……そうでしたか。リアリス殿からご相談とは、珍しいですね」


 ミゲイルさんは、笑いながら椅子を勧めてくれた。


 桜花も、静かに礼をする。


「お久しぶりでございます、ミゲイル様」


「桜花殿も、ようこそお越しくださいました」


 ……うん。


 相変わらず、丁寧で穏やかな人だね。


「イリーナさんは、お元気ですか?」


「はい。今もあちらで仕事をしております。後ほどお顔を見せていただければ、きっと喜ぶと思います」


「それは、よかったです」


 ……おお。


 新しい国になってからも、忙しそうだね。


「……それで、ご相談というのは?」


 ミゲイルさんが尋ねてきた。


「実は、各国で頑張ってくれている家族みんなで旅行をしようと思ってるんです」


「……旅行ですか?」


「はい。いつも頑張ってくれているので、お礼に」


 ミゲイルさんが、穏やかに頷いた。


「……なるほど。それは素敵なことですね」


 ……おお。


 この人も、即賛成だ。


「それで、ドボロクの温泉へ行きたいなと。かなりの人数になるので、皆で泊まれる場所を探してるんです」


「……ドボロクですか」


 ミゲイルさんの顔が、ぱっと明るくなった。


「あちらは温泉がよいことで知られています。それに、山の景色もとても美しいんですよ」


「……いいですね!」


「……そうでしたら、私が持っている別荘をお使いになりませんか?」


「……えっ?」


 …………。


 ……持ってるんですか!?


「家族や大勢のお客様をお迎えするために造った、大きな別荘があるんです」


 ミゲイルさんが、楽しそうに説明してくれた。


「客室も多く、温泉も引いてあります。皆様でお越しになっても、十分にお過ごしいただけると思います」


 ……おお!


 完璧じゃない!?


「本当に、お借りしてもいいんですか?」


「もちろんです。リアリス殿には、私たちが大変お世話になりましたから」


 ……ああ。


 そう言ってもらえると、ありがたい。


「ただ、家族は各国の屋敷やお店、学校にもいるので、全員となるとかなり大人数になると思います」


「構いませんよ。人数をお知らせいただければ、別荘の管理を任せている者にも準備するよう伝えておきます」


 ……助かる!


「ありがとうございます!」


 私は、思わず立ち上がって頭を下げた。


「ただ、お食事やお世話になる方々のお仕事まで、すべて甘えるわけにはいきませんので」


 私が言うと、ミゲイルさんは笑った。


「……リアリス殿は、いつも気を遣ってくださいますね」


「……えっ?」


「私たちも、皆様をおもてなししたいのです。どうぞ、遠慮なさらずお越しください」


 ……うーん。


 それは、ありがたいんだけど。


「じゃあ、人数と食事の好みを、事前にお伝えします。必要な食材はこちらでも用意しますので」


「ふふ。そこまでおっしゃるのでしたら、お任せします」


 ……うん。


 これなら、お互いに気持ちよく準備できそうだね。


 ミゲイルさんが、机の上の地図を広げてくれた。


「こちらがドボロクです。別荘は町の外れにあります。温泉と景色を楽しみながら、どうぞゆっくりお休みください」


 ……ああ。


 想像しただけで、楽しみになってきた。


「貸していただく期間は、短い休暇だけのつもりです。詳しい日程は、屋敷のみんなと相談してからでいいですか?」


「もちろんです。皆様と相談なさってから、ゆっくりお決めください」


 ……よかった。


 私は、桜花を見た。


「桜花。なんだか、本当に行けそうだね」


「はい。皆も、さぞ喜ぶことでしょう」


 ……うん。


 今度こそ、みんなでのんびりするんだ。


     ◇


 屋敷へ戻った私は、さっそく巴さんとセバスを呼んだ。


 二人とも、食堂のテーブルについてくれる。


 桜花も、隣に座った。


「実は、旅行先が決まりそうなんです」


「まあ、もう決めたの?」


 巴さんが、少し驚いた顔をした。


「はい。アリーナさんに教えてもらったドボロクっていう温泉の町で、ミゲイルさんの別荘を借りられることになりました」


「温泉ですか。それは、よろしゅうございますね」


 セバスが、穏やかに微笑む。


「ただ、問題がひとつありまして」


「……問題?」


 私は、二人の顔を見た。


「全員で行きたいんです」


 巴さんとセバスが、同時に瞬きをした。


「……全員?」


「はい。各国の屋敷や学校、お店で頑張ってくれている家族も、全員です。もちろん、キャッツもエーデルさんも、モフ太も一緒に」


「……旦那様」


 セバスが、少しだけ姿勢を正した。


「その場合、各邸の管理は、いかがなさいますか?」


 ……うん。


 そこなんだよね。


「今回ばかりは、留守番なしにしたいんです」


 私は、はっきり答えた。


「いつも、誰かが屋敷を守ってくれてますよね。今回の救援でも、残ったフラワーズが各邸を守ってくれてた。でも、旅行まで留守番してもらったら、その子だけ休めなくなっちゃいます」


 巴さんは、黙って聞いていた。


「だから、旅行の間は屋敷もお店も全部お休み。鍵をかけて、《結界》の条件も一時的に変えて、留守中は許可のない人が入れないようにしようと思います」


 ……うん。


 あの結界なら、私がいなくても効力は続く。


 フラワーズがその場にいなくたって、ちゃんと守ってくれる。


「旅行が終わったら、条件を元に戻せばいいですし」


 セバスが、ゆっくり頷いた。


「各邸の設備と安全については、その方法で問題ないかと存じます」


「よかった!」


 ……ひとつ、解決!


「ただし、お店を閉めるなら、先にお知らせしなくちゃね」


 巴さんが言った。


「各国の雑貨屋さんも、美容サロンも。いつも来てくださるお客様が、突然お休みだと困ってしまうわ」


「……あっ」


 確かに。


 私たちは《転移》で簡単に行き来できるけど、お客さんたちはそうはいかない。


 せっかく来たのに閉まってたら、がっかりするよね。


「じゃあ、少し前から休業のお知らせを出しましょう」


「ええ。それなら大丈夫」


 セバスも、頷いた。


「学校につきましても、事前に授業の調整と保護者の方々へのご案内が必要でございます」


「……そうだった!」


 うちの家族には、学校で子供たちに教えてくれている子もいるんだった。


 ……ああ。


 仕事、増やしちゃったかな。


「短いお休みにするつもりなので、無理のない日程で調整しましょう。準備の手伝いは、私もしますから」


「かしこまりました。各邸の予定を確認し、休業とお休みのご案内を進めます」


 ……おお。


 こういうときのセバスは、本当に頼りになる。


「それで……リアリスちゃん」


 巴さんが、少し遠慮がちに口を開いた。


「旅行先でも、お料理の手伝いくらいはさせてもらえるかしら?」


 …………。


 ……早い!


 もう、働く気になってる!


「巴さん。今回は、休んでもらうための旅行なんですよ?」


「分かってるわよ。でも、知らない土地のお料理を見るのって、楽しいでしょう?」


 ……あっ。


 そういうことか。


 巴さんにとっては、料理も趣味みたいなものなんだよね。


「……じゃあ、無理のない範囲でお願いします」


「ふふ。ありがとう」


 ……うん。


 全く料理をするな、という方が、巴さんにはストレスなのかもしれない。


 セバスが、静かに口を開く。


「旦那様。ミゲイル様の別荘には、管理をされている方々もいらっしゃるのでしょうか」


「はい。人数を伝えれば、用意してくださるそうです」


「承知いたしました。では、私どもは、お客様としてお世話になる準備をいたしましょう」


 ……おお。


 それ、それ!


「セバスも、今回はちゃんと休んでね」


「……善処いたします」


 …………。


 ……あれ?


 ちょっと怪しい返事だなぁ。


     ◇


 その日のうちに、各邸の予定を確認した。


 巴さんとセバスが中心になって、誰がどこで働いているのか、どの日なら休みを合わせられるのかを整理していく。


 雑貨屋と美容サロンは、旅行中は全店舗休業。


 学校も、きちんと事前に連絡した上で短いお休みを設ける。


 旅行先の別荘は、ミゲイルさんが貸してくれる。


 移動は、私とセバスの《転移》。


 ……うん。


 こうして並べると、意外と何とかなりそうだ。


 私は、セバスがまとめた予定を眺めた。


「これなら、全員参加できそうですか?」


「はい。少なくとも、留守番のために残る者はおりません」


 ……よし!


「じゃあ、みんなにも知らせましょう!」


     ◇


 全員に話を伝えるため、各邸で頑張ってくれている家族にも順番に知らせてもらうことにした。


 手が空いた子たちには、王国邸へ集まってもらう。


 離れた邸の子たちには、巴さんやセバスが先に内容を伝えてくれている。


 ……うん。


 せっかくだし、私の口からもちゃんと言いたい。


 みんなが揃ったところで、私は少しだけ緊張しながら口を開いた。


「えーっと。皆さん、いつも本当にありがとうございます」


 ……あっ。


 なんだか、式典の挨拶みたいだな。


 私は、小さく咳払いをした。


「今回の王国の救援でも、皆さんにはたくさん助けてもらいました。食事を作ったり、怪我人の看護をしたり、各邸を守ってくれたり……。それ以外にも、普段から本当にお世話になってます」


 集まったみんなは、静かに聞いてくれている。


「そこで、みんなで温泉旅行に行くことにしました!」


 …………。


 少しの間。


 誰も声を出さなかった。


 ……あれ?


 説明、下手だったかな。


「……温泉、旅行でございますか?」


 一人の子が、恐る恐る尋ねてきた。


「はい。ドボロクっていう町です。大きな別荘を借りられることになったので、みんなで行きましょう!」


「で、ですが……屋敷のお仕事は?」


「お休みです!」


「……雑貨屋の方は?」


「お休み!」


「学校は……?」


「そこも、事前にお知らせして、お休みにします!」


 みんなは、顔を見合わせた。


「……では、誰がお屋敷のお留守番を?」


「誰も残りません!」


 私は、大きく頷いた。


「今回は、家族みんなで行くんです! どこの屋敷にいても、学校やお店にいても、全員で!」


 しばらくの沈黙。


 それから。


「……本当に、全員で?」


「はい!」


 誰かが、小さく声を上げた。


 その声をきっかけに、周りのみんなの表情が、ぱっと明るくなる。


「温泉ですって!」


「みんなと一緒に旅行なんて、初めてです!」


「どんなところなのでしょう!」


 ……おお!


 喜んでもらえたみたいだ!


 フラワーズの子たちも、集まっていた。


 みんな、普段とほとんど変わらない表情だ。


 ……うん。


 でも、なんとなく楽しそうな雰囲気がする。


「楓も、温泉楽しみ?」


 私は、近くにいた楓へ尋ねた。


 楓は、こくりと頷く。


「……楽しみ」


 ……おお。


 それなら、よかった!


 ほかのフラワーズも、静かに頷いている。


 桜花も、微笑んだ。


「リアリス様。皆も、大変喜んでおります」


「うん。見てたら、分かる気がするよ」


 ……ああ。


 普段はそれぞれ別の屋敷で頑張っているからね。


 久しぶりに全員でゆっくりできるのも、楽しみなんだろう。


「お父さん! モフ太も行けるんだよね?」


 カトレアが、モフ太を抱きしめながら尋ねてきた。


「もちろん! モフ太も家族だからね」


 モフ太が、嬉しそうに尻尾を揺らした。


 ……うん。


 この子を置いて行くわけないよね。


 カトレアは、さっそく桜花へ話しかけている。


「桜花、一緒にお風呂入ろうね!」


「はい、カトレア様。楽しみでございます」


 ……ああ。


 もう、みんな旅行の話でいっぱいだ。


 キャッツとエーデルも、何やら楽しそうに話している。


 どんな料理があるのか気になるらしい。


 ……おっ。


 それ、私も気になるなぁ。


 温泉に入って、美味しいものを食べて。


 何もしないで、ゆっくり休む。


 ……最高だね!


 話がひと段落した頃、セバスが私のそばへ来た。


「旦那様。全員参加での予定をまとめました。あとは、各地へのお知らせと別荘側への人数のご連絡でございます」


「ありがとう、セバス」


「もったいないお言葉でございます」


 ……うん。


 これで、準備も進みそうだ。


「それと、旦那様。旅の間に必要なものは、私の方でも確認しておきます」


「助かります。でも、荷物は持ちすぎなくていいからね。向こうでのんびりするのが目的だし」


「かしこまりました」


 ……うん。


 こういうときも、つい準備を任せちゃうんだよね。


 でも、今回はちゃんと休んでもらいたい。


 私は、もう一度みんなの方を見た。


 普段は各国の屋敷で、それぞれの毎日を過ごしている家族。


 みんな、笑ったり、頷いたり、旅行の話をしている。


 ……ああ。


 計画して、よかったなぁ。


     ◇


 数日後に向けて、少しずつ準備が始まった。


 各国の雑貨屋と美容サロンには、休業のお知らせを掲げてもらう。


 学校にも、保護者の人たちへお休みの案内を出した。


 各邸の戸締まりと《結界》の設定は、旅行の直前に私が確認する。


 ……うん。


 忘れ物がないように、しておこう。


 そんなことを考えながら、私は王都へ買い物に出た。


 旅行に持っていく、ちょっとしたお菓子を探したかったんだ。


 ……まあ。


 《取り寄せ》でも買えるんだけどね。


 せっかくだし、王都のお店も覗きたいじゃない?


 ……そして、忘れていた。


「リアリス様! こんにちは!」


「……あっ。こんにちは」


 店の前にいた女性が、嬉しそうに手を振ってくる。


「温泉旅行に行かれるそうですね! 楽しんできてください!」


「……あ、ありがとうございます!」


 ……えっ。


 もう、旅行の話まで知られてるの!?


「英雄様! 旅のお供に、うちの焼き菓子はいかがですか!」


 別の店から、声がした。


 ……うわ。


 また、増えた!


 私は、思わず空を見上げた。


 ……ああ。


 私が望んでいたのは、静かでのんびりした毎日なんだけどなぁ。


 でも。


 笑顔で声をかけてくれる人たちを見ていると、悪い気はしない。


 王都に、ちゃんと日常が戻ってきているんだ。


 それが、少し嬉しかった。


     ◇


 その夜。


 屋敷へ戻ると、食堂ではみんなが旅行の話をしていた。


 カトレアは、持っていくものを考えているらしい。


 巴さんは、温泉の町のお料理に興味津々。


 セバスは、旅の予定をきちんと整理してくれている。


 桜花は、そんなみんなを優しく見守っていた。


 ……うん。


 大丈夫そうだね。


「リアリスちゃん。お茶、淹れましょうか?」


「お願いします、巴さん」


 私は、いつもの席に座った。


 差し出されたお茶を、ひと口飲む。


 ……ああ。


 落ち着くなぁ。


 今日は王国の英雄として、大勢の人の前に立った。


 街でも、何度も声をかけられた。


 でも、家に帰ってくれば、いつもの時間がある。


 そして、これからはみんなで温泉旅行。


 ……うん。


 楽しみだ。


「よーし。今度こそ、みんなでゆっくり休もう!」


 私が言うと、カトレアが元気よく手を上げた。


「おーっ!」


 ……あはは。


 誰よりも楽しみにしてるのは、カトレアかもしれないね。


 窓の外には、穏やかな夜が広がっていた。


 いろいろあったけれど。


 こうして、また笑って過ごせる日が戻ってきた。


 ……さあ。


 次は、温泉だ!

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