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第3話:壊れた王都に日常を

 シルベスターさんの雄叫びが、荒れ果てた街道に響き渡った。


 王国兵も冒険者も、それに応えるように剣を掲げている。


 ……ああ。


 終わったんだ。


 私は、ようやく刀を下ろした。


 隣の桜花も、静かに息をつく。


「リアリス様。お疲れさまでございました」


「桜花も、お疲れさま」


 目の前には、数えきれない魔獣の亡骸。


 倒された柵。


 抉られた地面。


 そして、遠くに続く王都への街道。


 先ほどまでの咆哮は、もう聞こえない。


 その代わりに、泣きながら抱き合う兵士たちの声が聞こえてきた。


 ……うん。


 勝ったんだよね。


 でも、ここで全部終わり、というわけじゃない。


     ◇


「……リアリス!」


 シルベスターさんが、こちらへ歩いてきた。


 右手に剣。


 左手に盾。


 鎧は血と泥で汚れているけれど、足取りはしっかりしていた。


「お疲れさまでした、シルベスターさん」


「……ああ」


 彼は、短く答えた。


 さっきまで涙を流していた顔は、もういつものギルドマスターの顔に戻っている。


 ……いや。


 戻そうとしてる、のかな。


 私は、あえて何も言わなかった。


「で、魔獣は本当に全部いなくなったんだな?」


「はい。襲ってきた群れの反応は、もうありません」


「……そうか」


 シルベスターさんが、深く息を吐く。


 それから、すぐに兵士たちへ向き直った。


「怪我人の確認だ! 歩けるやつは、まだ動けない仲間を探してくれ!」


 ……おお。


 休む暇もないね。


     ◇


「シルベスターさん。怪我なら私が治しますよ」


「分かってる。だからこそ、誰がどこにいるか先に調べるんだ」


 ……あっ。


 なるほど。


 魔法があっても、居場所の分からない人は治せないからね。


「桜花。手分けして探そう」


「かしこまりました」


 私は、少し高いところへ浮かび、戦場を見渡した。


 倒れた旗の陰。


 壊れた荷車の下。


 崩れた柵の近く。


 まだ、誰かが取り残されているかもしれない。


 ……よし。


 今、必要なのは、戦うことじゃない。


 ……そうだ。


 生きている人間だけを探し、倒れた木の陰や瓦礫の下に隠れていても、その居場所が分かる魔法。


 位置が意識の中に小さな光の点として浮かんでくれれば、探し漏らしも減らせるはずだ。


 ……うん。これなら。


 私は、そんな結果を頭にはっきりと思い描いた。


 名前は《生存者探知》。


『《想像魔法》にて《生存者探知》が完成しました。』


 よし、さっそく使おう。


「《生存者探知》」


 すると、意識の中に小さな反応がいくつも浮かんだ。


 ……いる。


 少し離れた林の端にも、一人。


 私は、すぐに桜花へ伝えた。


     ◇


 最初に見つけたのは、倒れた木の下敷きになっていた兵士だった。


 木の幹が、脚の上に乗っている。


 鎧は割れ、顔色も悪い。


「……た、助け……」


「大丈夫です。今、助けます」


「《フライ》」


 私は《フライ》で倒れた木の幹をゆっくり持ち上げ、兵士の脚にかかる重みを取り除いた。


 桜花が、慎重に兵士を引き出す。


「《完全回復》」


 兵士が、大きく息を吸った。


 折れていた脚が元に戻り、顔色も少しずつ良くなっていく。


「……生きてる……」


「はい。ちゃんと生きてますよ」


 私は、そう答えた。


 兵士の目から、涙がこぼれた。


 ……よかった。


 この人は、間に合った。


     ◇


 生存者を探しながら、戦場を進んだ。


 見つけた人には《完全回復》。


 大きな岩や木が邪魔なら、慎重に持ち上げる。


 桜花も、私が指示した場所から次々に人を運んできた。


 兵士たちは、助かった仲間を見つけるたびに声を上げていた。


 ……うん。


 こういう声なら、何度でも聞きたいね。


 ただ。


 全員を見つけても、救えたわけじゃなかった。


 反応のない場所にも、人が倒れている。


 その人たちには、もう《完全回復》をかけられない。


 私の魔法は、どんな傷でも治せる。


 でも、亡くなった人を生き返らせる魔法ではないんだ。


 ……ああ。


 ここが、苦しいね。


     ◇


 シルベスターさんは、亡くなった冒険者たちの前で足を止めていた。


 少し離れたところで、若い冒険者が頭を下げている。


「……ギルドマスター。確認、終わりました」


「……ああ。ご苦労」


 シルベスターさんが、ゆっくり頷いた。


 それから、亡くなった人たちへ目を向けた。


 何かを言いかけたようにも見えたけれど、声にはならなかった。


 私は、少し離れたところに立ったまま待った。


 ……今は、何も言わない方がいい。


 やがて、シルベスターさんがこちらを向いた。


「リアリス。頼みがある」


「はい」


「亡くなった連中を、王都まで運びたい」


 ……うん。


「もちろんです。手伝わせてください」


     ◇


 私たちは、亡くなった兵士と冒険者を丁寧に運んだ。


 泥や血に汚れた装備も、できるだけ一緒に。


 誰のものなのか分かるよう、名前の分かる人には記録してもらった。


 ……ここで私が適当に《収納》へ放り込んだら、後で困るからね。


 シルベスターさんも、ひとりひとりを確かめていた。


「この剣は、こいつのだ」


「はい」


「そっちの荷物も、一緒に頼む」


「分かりました」


 そこには、さっき魔獣と戦っていたときとは違う、静かな時間が流れていた。


 剣を振っていた人たちが、今は仲間を背負っている。


 勝ったからこそ、連れて帰れる人たちもいる。


 ……うん。


 最後まで、ちゃんと帰してあげよう。


     ◇


 王都の北門が見えてくる頃には、空が少し傾いていた。


 門の前には、たくさんの人が集まっている。


 兵士の家族。


 冒険者の帰りを待つ人たち。


 近くの村から避難してきた人たち。


 みんな、不安そうに街道の先を見つめていた。


 私たちに気づいた誰かが、声を上げた。


「……帰ってきた!」


 その一言で、人々が動き始めた。


「お父さん!」


「こっちだ! こっちにいるぞ!」


「よかった……本当に、よかった……!」


 あちこちで、人が抱き合っていた。


 ……ああ。


 ここまで、無事に帰ってきたんだね。


     ◇


 けれど、歓声ばかりではなかった。


 並んだ担架を前に、立ち尽くす人もいる。


 名前を聞き、顔を覆う人。


 何度も同じ名前を呼ぶ人。


 シルベスターさんは、その人たちの前でも足を止めた。


 何かを取り繕うこともせず、ひとりずつ話を聞いていた。


 私は、少し離れたところで桜花と並んだ。


「……リアリス様」


「うん」


 桜花が、私の手をそっと握った。


 私は、その手を握り返す。


 ……勝ったんだ。


 それは、間違いない。


 でも、失ったものが全部戻るわけじゃない。


 目の前の光景が、そのことを教えてくれていた。


     ◇


「リアリス殿!」


 人混みの向こうから、声がした。


 カバディ王だった。


 その隣には、宰相のミキサーさん。


 周囲には何人かの近衛兵もいる。


 ……おお。


 王様自ら、北門まで来たんだ。


「陛下。魔獣は、すべて倒しました」


 私が報告すると、国王は目を閉じた。


 深く、長く、息を吐く。


「……そうか」


 それから、私と桜花、シルベスターさんを順に見た。


「本当に……よく、戻ってきてくれた」


 国王が、頭を下げた。


 ……うわ。


 王様が、こんなところで?


 周囲の兵士たちも驚いている。


 でも、国王は顔を上げなかった。


     ◇


「陛下。お顔を上げてください」


 シルベスターさんが、静かに言った。


「まだ、やることが山ほど残っております」


 国王が、ゆっくり顔を上げる。


「……うむ。そのとおりだな」


 ミキサーさんが、一歩前へ出た。


「現在、北門周辺の確認を進めております。救護所は引き続き稼働しておりますが、避難してきた方々の滞在場所と物資が不足しております」


「……それは、困りましたね」


 私は、北門の向こうを見た。


 避難した人たちは、どこへ行けばいいのか分からず立っている。


 街道沿いの商店や民家も、いくつか壊れていた。


 街へ通じる道は、荷車が通りにくいほど荒れている。


 ……ああ。


 魔獣を倒しても、まだ大変なんだ。


     ◇


「どの辺りまで被害が出ているんですか?」


 私が尋ねると、ミキサーさんが説明してくれた。


「王都の城壁内は、大きな被害を免れました。しかし北門の外にある建物や街道、周辺の畑には甚大な被害が出ております」


「……なるほど」


「一部の商人は、荷物を運び出せずにおります。北方からの物資も止まり、王都の市場にも影響が出始めております」


 ……うーん。


 問題は、壊れた建物だけじゃないんだね。


 食べ物が届かない。


 仕事ができない。


 帰る家がない人がいる。


 それでいて、亡くなった人たちへの対応もしなくちゃいけない。


 ……よし。


 できるところから、手伝おう。


 ……でも、今の人数じゃ、とても手が足りない。


 ……あっ。


 そうだ。うちには、頼れる仲間がいるじゃないか。


 私は、すぐに《映像通話》を呼び出した。


「巴さん、聞こえますか?」


 画面に映った巴さんが、ほっとした顔をした。


「リアリスちゃん! 無事だったのね」


「うん。桜花も私も大丈夫。でも、王都の北門周辺が大変なことになってて……。みんなの力を借りたいんです」


「もちろんよ。何をすればいいかしら?」


「各国のリアリス邸から、救援に出せるメイドたちをできるだけ集めてもらえますか? 炊き出しや、負傷した兵士さんたちの看護を手伝ってほしいんです」


 巴さんは、すぐに頷いた。


「分かったわ。各邸の仕事に必要な人手を残して、動ける子を集めるわね」


「お願いします! ただし、各邸のフラワーズはそのまま警備を続けてもらってください。屋敷を空っぽにしたら、今度はそっちが心配なので」


「ええ。フラワーズには、それぞれの屋敷を守ってもらうわ」


 ……よし。


 これで、各邸の守りは大丈夫。


「あと、カトレアは王国邸に残しておいてください。モフ太に付き添ってもらえれば安心です」


「ふふ、任せてちょうだい。カトレアちゃんには私から伝えておくわ」


 ……うん。


 モフ太がいるなら、あの子も安心だろう。


     ◇


「それから、セバスにもお願いがあるんです」


 私は続けた。


「メイドたちと食料は、全部セバスの《転移》で現地まで運んでほしいんです。何度かに分けても構いません」


「分かったわ。各邸の子たちは《簡易転移》で王国邸に集めて、そこからセバスに送ってもらうわね」


「それと、セバス自身にも救護所で《完全回復》をお願いしたいんです。怪我人がまだいるので」


 画面の向こうで、巴さんが振り返った。


 すぐに、セバスが姿を見せる。


「旦那様。お話は伺いました」


「セバス、お願いできる?」


「もちろんでございます。メイドと食料の輸送、ならびに《完全回復》による負傷者の治療は、私にお任せください」


「ありがとう!」


「巴様は、現地の炊き出しを取りまとめられるとのことです」


「ええ。王都の方たちと相談しながら、私が仕切るわ」


 ……ああ。


 頼もしいなぁ。


 私が一人で頑張るより、ずっと多くの人を助けられる。


「じゃあ、北門の内側で合流しましょう。王国側にも話を通しておきます」


「了解よ、リアリスちゃん」


「かしこまりました、旦那様」


 通話が切れた。


 ……うん。


 よし。今度は、王国の人たちと相談しよう。


「ミキサーさん。少し相談してもいいですか?」


「……はい?」


「私の魔法で、直せるものがあると思うんです。それと、各国の屋敷から救援のメイドたちを呼びます。炊き出しや看護、負傷者の治療を、王国の皆さんと一緒に手伝わせてもらえませんか?」


 ミキサーさんの目が、大きく開いた。


「それは、願ってもないお申し出です。救護所と避難所、それぞれの担当者に引き合わせましょう」


「ありがとうございます!」


 ……よかった。


 人手だけ増やして現場を混乱させたら、元も子もないからね。


     ◇


 その場で何でも直し始めるのは、さすがにやめておいた。


 ……いや。


 以前の私なら、もうやってたかもしれないけどね。


 道路ひとつ取っても、誰が使うのか、どこを優先するのか、確認しないと困る。


 壊れた建物も、持ち主がどこにいるのか分からない。


 それに、誰かが中に残っていたら危ない。


 私は、国王とミキサーさんへ言った。


「まずは救護所と避難場所。それから、通れなくなった道を何とかしたいです」


 ミキサーさんが、すぐに頷く。


「その順番であれば、非常に助かります」


「では、場所を教えてください」


 国王が、私の手を取った。


「リアリス殿。……頼めるか?」


「はい」


 私は、できるだけ普段どおりに笑った。


「まだまだ、動けますからね」


     ◇


 シルベスターさんが、横から声をかけてきた。


「お前、今度は王都中を魔法で作り替えるつもりじゃないだろうな」


「……えっ?」


「……その顔は何だ」


「……いやぁ。そこまでは考えてませんよ?」


 ……うん。


 今のところは、ね。


 シルベスターさんが、深いため息をついた。


 左手で額を押さえている。


 ……あっ。


 戻った左腕、もう普通に使ってる。


 なんだか、ちょっと嬉しい。


「……何を笑ってやがる」


「いえ、何でもないです!」


 ……うん。


 まだ、左腕の件では怒られる可能性が高い。


 今は、余計なことを言わないでおこう。


     ◇


 北門の内側に指定された場所へ向かうと、ちょうどセバスが《転移》で現れた。


 傍らには、見慣れたメイドたちの姿。


 王国邸だけじゃない。他の国の屋敷で働いている子たちも、何人も来てくれている。


 さらに、セバスが運んできた食材や水、毛布などが次々に並べられていった。


「旦那様。各邸から出せる人員を集め、順次搬送しております。追加の食料も、私が《転移》でお運びいたします」


「ありがとう、セバス!」


 ……おお。


 思っていたより早い。


 巴さんも、メイドたちへ手際よく指示を出していた。


「お料理のできる子は私と一緒に炊き出しへ。看護の手伝いができる子は救護所へ行ってちょうだい。王国の方の指示も、ちゃんと聞くのよ」


「かしこまりました!」


 メイドたちが、それぞれの持ち場へ動き始める。


 セバスは、今度は救護所へ目を向けた。


「旦那様。負傷者の治療に参りましょう」


「うん。一緒に行こう!」


 ……頼もしいなぁ。


 各邸ではフラワーズが守りを続けている。カトレアのそばにはモフ太。


 だから、ここにいるみんなも、救援に集中できるんだよね。


     ◇


 セバスと一緒に向かったのは、北門の内側にある救護所だった。


 昼間は兵士たちが何列にも横たわっていた場所だ。


 今は治療を終えた人たちが座り込み、湯を飲んでいる。


 それでも、奥の方では何人もの治癒師が動き続けていた。


「すみません。まだ怪我をしている方はいますか?」


 私が声をかけると、年配の治癒師が振り向いた。


「……リアリス様!」


「はい。手伝いに来ました」


 治癒師は、驚いたように辺りを見回す。


「先ほどの方々は、皆さんのおかげで回復しております。ただ、街道から新たに運ばれてくる方が……」


「分かりました。では、そちらも」


 私は、案内された場所へ向かった。


     ◇


 怪我をした人の中には、兵士ではない人もいた。


 街道沿いの商人。


 荷車を置いて逃げた人。


 家の戸を閉めようとして転んだ老人。


 ……うん。


 戦場以外でも、こんなに人が傷ついていたんだね。


「《完全回復》」


 治療が終わると、老人がゆっくり立ち上がった。


「……腰が痛くない……」


「治ったと思いますけど、今日は休んでくださいね」


「ありがとうございます……!」


 私は、笑って頷いた。


 その隣で、小さな男の子がおばあさんに飛びついている。


 ……ああ。


 こういう光景が、少しでも増えたらいいな。


 隣では、セバスも負傷した兵士の前に膝をついていた。


「《完全回復》」


 苦しそうに息をしていた兵士が、驚いたように身体を起こす。


「……治った?」


「はい。ですが、しばらく安静になさってください」


 セバスが、いつもの穏やかな声で答えた。


 その後ろでは、メイドたちが治療を終えた人へ水を渡し、寝具を整えている。


 ……うん。


 私一人で治療するより、ずっと早く進みそうだ。


     ◇


 治癒師たちにも、休憩を取ってもらった。


 正確には、私が休ませたわけじゃない。


 ミキサーさんが人員を交代させ、うちのメイドたちも看護を手伝ってくれたんだ。


 私とセバスは、《完全回復》で治療することに集中できた。


 ……うん。


 治癒魔法が使えるからって、全部を私が決めたら、現場の人が困るからね。


「助かりました、リアリス様」


 さっきの治癒師が、深々と頭を下げた。


「いえいえ。治癒師さんたちも、ずっと大変でしたよね」


「まだ、仕事は残っておりますので」


 ……おお。


 この人たちも強いな。


 私は、空になった水差しへ水を補充して、救護所を後にした。


     ◇


 次は、避難してきた人たちの場所。


 王国軍が用意した建物と、空いている倉庫を使うことになったらしい。


 ……なるほど。


 広い屋根があるだけでも、助かるね。


 ただし、当然ながら人数分の寝床はない。


 床へ毛布を敷いて座っている人たちが、何人もいた。


「ここに、簡易ベッドを並べてもいいですか?」


 私は、案内役の兵士へ尋ねた。


「……ベッド、ですか? ですが、これだけの人数分となると……」


「大丈夫です。キャンプで使う『コット』っていう道具があったんですよ」


 ……うん。


 あれなら、いいかもしれない。


 コットは、脚の付いた折り畳み式の簡易ベッドだ。地面に直接寝なくて済むし、普通のベッドと違って、使わないときは小さく畳める。


「ただ、組み立てる人手が必要なんです。怪我が治って、無理なく動ける兵士さんたちにお願いできますか?」


「……それでしたら、手の空いている者を集めます!」


「ありがとうございます!」


 私は、部屋の広さを確かめた。


 通路を塞がない位置。


 出入り口を確保すること。


 子どもやお年寄りが、歩きやすいように。


 ……うん。


 これなら、かなりの数を並べられそうだ。


     ◇


「《取り寄せ》」


 キャンプ用のコットを、大量に取り寄せる。


 ……と言っても、完成したベッドをどーんと積み上げるわけじゃない。


 収納袋に入った、組み立て前のコットだ。


 袋が次々と床に並び、兵士たちが目を丸くした。


「こ、これがベッドですか?」


「はい。袋から部品を出して、脚を組んで、布を張ると……ほら」


 私は、ひとつを組み立てて見せた。


 細い脚の上に、丈夫な布がぴんと張られる。


「おおっ!」


「手順は難しくないですよ。まずはこちらから、動ける人だけでお願いします」


「任せてください!」


 治療を終え、身体を動かせる兵士たちが、手分けして組み立て始めた。


 一人が部品を出し、もう一人が脚を広げる。


 出来上がったコットは、通路を残して順番に並べていく。


 ……おお。


 みんな、慣れるのが早いね。


 私は足りない分をさらに《取り寄せ》し、毛布はセバスが運んでくれたものを配ってもらった。


 やがて、倉庫の床に簡易ベッドがずらりと並んだ。


「……すごい」


 近くで見ていた男の子が、目を丸くする。


「これ、使っていいの?」


「もちろん。兵士さんたちが頑張って組み立ててくれたんだよ」


「……ありがとう!」


 男の子が兵士たちへ頭を下げると、一人が照れくさそうに笑った。


「ゆっくり休めよ」


 母親も、何度も頭を下げている。


 ……ああ。


 誰かが手を動かして、誰かが安心して眠れる。


 こういうの、いいね。


     ◇


「リアリス様。こちらは、私どもで管理いたします」


 兵士が、組み立て終わったコットの数を数えながら言った。


「ありがとうございます。足りなくなったら、また教えてください」


「はい!」


 ……うん。


 大丈夫そうだね。


 倉庫の外では、巴さんが炊き出しを取り仕切っていた。


 大きな鍋。


 運ばれてくる野菜。


 パンを積んだ荷車。


 王都の料理人や近所の人たちも、各邸から来たメイドたちと一緒に動いている。


「リアリスちゃん、こっちは任せて! まずは温かいものを食べてもらわなくちゃ」


「はい、お願いします!」


 巴さんは、鍋の中身を確かめながら、次の食材を運ぶようメイドへ声をかけた。


 ……おお。


 いつもの厨房が、そのまま王都へ来たみたいだ。


 ……おお。


 みんなで動いてるんだ。


「食材は足りそうですか?」


 私が尋ねると、料理をしていた女性が首を傾げた。


「今晩は何とか。でも、明日からが心配でねえ」


 ……なるほど。


 物資が届かないのが、やっぱり問題なんだ。


     ◇


 私は、すぐにミキサーさんへ連絡を取った。


 食材を用意することはできる。


 でも、足りないものが何なのか分からないまま、大量に並べても困るだろう。


「今、必要なものは一覧にしていただけますか?」


「……承知しました。ただ、かなりの量になりますが」


「大丈夫です」


 私は、そう答えた。


 ミキサーさんが、少しだけ黙る。


「……リアリス様。念のため申し上げますが、国庫から費用をお支払いする準備はございます」


「……お金?」


「はい。救援物資の負担を、一個人に押しつけるわけにはまいりません」


 ……おお。


 さすが、宰相。


 こういうところ、きちんとしてるね。


「じゃあ、後で相談しましょう。まずは今日困っている人たちを優先で」


「……ありがとうございます」


 ……うん。


 話は通じたみたいだ。


     ◇


 北門の前では、壊れた街道の調査が始まっていた。


 作業員たちが、道の端に目印を置いている。


 その先には、車輪がすっぽり入るほど大きな穴。


 さらに先には、倒れた木が道を塞いでいた。


 ……うわ。


 これは、荷車が通れないわけだ。


「すみません。作業の責任者さんは?」


 私が尋ねると、作業員の一人が手を上げた。


「私です。何か?」


「まず、この道を通れるようにしたいんです」


「……それは、我々も同じですが」


 ……ですよね。


 私は、ちょっとだけ恥ずかしくなった。


「私の魔法で直せると思うので、どこから手をつけるべきか教えてください」


 責任者は、しばらく私を見つめた。


 それから、大きく頷いた。


     ◇


「でしたら、ここから北の分かれ道までです」


 責任者は、道の先を指した。


「そこが通れば、北方から来る荷車を王都へ入れられます」


「分かりました」


「ただし、道の下に排水のための溝があります。そこを塞ぐと、雨の日に困ります」


 ……あっ。


 そういう仕組みなのか。


 危ない危ない。


 見た目だけ平らにすればいいってものじゃないんだね。


「ほかに注意することはありますか?」


「この石畳の幅を変えないこと。それから、道の端の目印は残していただきたい」


「了解です!」


 私は、教えてもらった場所をじっと見た。


 昔から使われている道。


 その形を、元の状態へ戻す。


 ……よし。


 そういえば、道路だって人が造った建造物だよね。


 だったら、いつもの《建築》で元どおりにできるはず。


     ◇


「《建築》」


 崩れた石が、ゆっくり元の位置へ戻っていく。


 大きく開いていた穴が塞がり、歪んだ道が整った。


 倒れていた石畳も、ひとつずつ平らになる。


 ……うん。


 これなら、どうかな。


 私は、作業の責任者を見た。


「確認してもらっていいですか?」


「……は、はい!」


 責任者は、半ば呆然としながら道を歩き始めた。


 何度か地面を踏みしめ、端の溝も確かめる。


「……排水路も、元どおりです」


「よかった!」


「いや、これを『よかった』で済ませてよいものなのか……」


 ……えっ。


 そんなに驚くこと?


 ……うん。


 まあ、驚くよね。


     ◇


 道が通れるようになると、作業員たちが歓声を上げた。


 ただし、そこで終わりではなかった。


 荷車が実際に通れるか。


 道の端に崩れそうな場所はないか。


 門の前に人が集まりすぎていないか。


 そういう確認は、作業員たちの仕事だ。


 私は、その指示に従って、邪魔になっている木や岩だけを片づけた。


「リアリス様! 次は、あちらを!」


「はーい!」


 ……おお。


 なんだか、現場作業員になった気分だ。


 でも、こういうのも嫌いじゃない。


 私が勝手に決めるより、ずっと効率がいいしね。


     ◇


 途中、壊れた荷車が何台か見つかった。


 私は、近くにいた商人へ尋ねた。


「この荷車、持ち主は分かりますか?」


「……ああ。それはうちのだよ」


 商人は、肩を落としている。


「商品の大半は散らばっちまった。車輪も折れたし、もう使えねえ」


「……そうですか」


 私は、荷車の状態を確かめた。


 車輪が片方ない。


 荷台も、あちこち割れている。


 ……うん。


 そういえば、道路も《建築》で直せたんだ。


 荷車だって、部品を組み合わせて造ったもの。元の形をイメージすれば、同じ魔法でいけるよね。


「直しても、いいですか?」


「……直せるのか?」


「はい。元の形に戻すだけなら」


 商人は、しばらく固まっていた。


 それから、何度も頷いた。


「頼む!」


     ◇


「《建築》」


 木の車輪が、元の位置へ戻る。


 割れていた荷台が繋がり、曲がっていた金具もまっすぐになった。


 ……よし。


 私は、荷車を少し揺らしてみた。


 ちゃんと動く。


 商人が、目を丸くしていた。


「……おいおい、本当に直っちまった……」


「一応、使う前に確かめてくださいね」


「ああ! もちろんだ!」


 商人は、何度も車輪を回している。


 ……うん。


 よかった。


 荷車が使えるようになれば、また仕事ができる。


 この人にとっては、それが一番大きいんだろうね。


     ◇


 それからも、壊れた道具や荷車をいくつか修復した。


 ただし、持ち主が分からないものは勝手に触らない。


 持ち主が戻ってきたとき、何がどこにあるのか分からなくなったら困るからだ。


 作業員たちが目印をつけ、あとで確認できるようにしてくれた。


 ……うん。


 魔法が便利だからって、何でも一瞬で片づければいいわけじゃないんだね。


 それに。


 こんなに働いている人たちがいる。


 みんな、誰かのために動いている。


 私は、その手伝いをしているだけだ。


 ……まあ。


 手伝いの規模が、ちょっと大きい気はするけど。


     ◇


 日が傾く頃、ようやく北の街道を荷車が通れるようになった。


 最初にやってきたのは、食材を積んだ荷車。


 次に、毛布や衣類を運ぶ荷車。


 そのあとから、避難所へ向かう人たちが続いている。


 ……おお。


 道が一本通っただけなのに、こんなに違うんだ。


「リアリス様!」


 さっきの作業責任者が、こちらへ走ってきた。


「北側の道、ひとまず安全を確認できました!」


「よかったです!」


「これで、物資の運び込みを再開できます!」


 責任者の顔には、疲れが浮かんでいる。


 でも、嬉しそうだった。


 私は、思わず頷いた。


「皆さんのおかげですね」


「……いえ。これだけ直していただいて、そんな」


「でも、どこを直せばいいのか、私は分からなかったですし」


 ……うん。


 実際、最初はただ穴を塞げばいいと思ってたからね。


     ◇


 その夜、私は王国邸へ一度戻った。


 玄関の扉を開けると、いつもの温かな明かり。


 そして。


「お父さん!」


 カトレアが、まっすぐ駆け寄ってきた。


「ただいま!」


 私は、しゃがんで両手を広げる。


 小さな身体が、勢いよく飛び込んできた。


「おかえりなさい!」


「うん。ちゃんと帰ってきたよ」


 ……ああ。


 やっぱり、家はいいねぇ。


 肩の力が、少し抜けた。


 後ろから、桜花も屋敷へ入る。


「桜花も、おかえり!」


「ただいま戻りました、カトレア様」


 カトレアは、桜花の手もぎゅっと握った。


 ……うん。


 約束、守れてよかった。


     ◇


 食堂へ向かうと、救援の引き継ぎを終えて一足先に戻った巴さんが待っていた。


「リアリスちゃん、桜花ちゃん。おかえりなさい」


「ただいま、巴さん」


「お二人とも、よく頑張ったわね」


 そう言いながら、巴さんが温かいお茶を差し出してくれる。


 私は、素直に受け取った。


「……ああ。生き返る……」


「ふふ。お茶を飲む前に、まず座りなさいな」


「はーい」


 ……うん。


 いつもどおりだ。


 セバスも、静かに近づいてきた。


「旦那様。本日分のメイドたちを各邸へ送り届け、食料の運搬も終えました」


「ありがとう、セバス。《完全回復》もずいぶん助かったよ」


「恐れ入ります。明日も必要な人員と物資を《転移》でお運びいたします」


 ……ああ。


 本当に、頼りになるなぁ。


     ◇


 私たちは、今日の救援で足りなかったものを確認し合った。


 避難してきた人たちの寝床。


 明日以降の食事。


 それから、まだ治療や看護を必要としている人たち。


「明日も、炊き出しは私が仕切るわね」


 巴さんが、いつもの優しい声で言った。


「現地の人たちも頑張ってくれているから、上手に手分けすれば大丈夫よ」


「ありがとうございます、巴さん」


 セバスも、静かに頷いた。


「各邸のメイドの交代と、食料・物資の運搬は引き続き私が担当いたします。救護所での《完全回復》もお任せください」


 ……ああ。


 心強いなぁ。


 ……ああ。


 心強いなぁ。


「ありがとう、二人とも」


 私は、素直に頭を下げた。


 すると、巴さんが少しだけ眉を寄せた。


「ただし、リアリスちゃん」


「……はい?」


「今夜は、ちゃんと休むこと」


 …………。


 ……あっ。


 そこも、見抜かれてる。


     ◇


「いや、まだやることが……」


「明日も動くのでしょう?」


「……はい」


「だったら、きちんと寝なさい。何でも一人で抱え込まないの」


 ……うん。


 正論だね。


 私は、お茶を飲んだ。


 温かい。


 ……ああ。


 少し疲れてたのかな。


「分かりました。今日は休みます」


「よろしい」


 巴さんが、満足そうに頷いた。


 その横で、桜花も小さく頷いている。


 ……あれ。


 味方がいない。


「桜花まで……」


「リアリス様のお身体を案じてのことです」


「……はい」


 ……うん。


 勝てないねぇ。


     ◇


 夕食のあと、カトレアが私の隣へ座った。


 手には、いつもの花の記録帳。


 少し迷ったような顔をしている。


「……お父さん」


「なあに?」


「今日、たくさんの人が困ってるって聞いたよ」


「……うん」


 私は、カトレアの方へ身体を向けた。


「魔獣に襲われて、怪我をした人や、お家が壊れちゃった人がいるんだ」


「……みんな、大丈夫?」


 ……ああ。


 何て答えようかな。


 私は、少しだけ考えた。


「助かった人は、たくさんいるよ。今は、みんなで困っている人を助けてるところ」


 カトレアは、黙って聞いていた。


「……でも、帰ってこられなかった人もいる」


「…………」


 小さな手が、記録帳を握りしめた。


 ……うん。


 この子に、嘘はつきたくない。


     ◇


 しばらくして、カトレアが顔を上げた。


「……わたしにも、何かできる?」


 …………。


 ……ああ。


 そう来たか。


 私は、カトレアの頭をそっと撫でた。


「できることは、あると思うよ」


「ほんと?」


「うん。でも、危ない場所へは行かないこと。これは約束ね」


「うん!」


 元気な返事。


 ……よし。


 それなら、考えよう。


 私は、巴さんへ目を向けた。


 巴さんも、カトレアの話を聞いていたらしい。


「カトレアちゃん。お庭のお花で、小さな花束を作ってみる?」


「……お花?」


「ええ。元気になってほしい人へ、贈るのよ」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなった。


「作りたい!」


 ……うん。


 それなら、安全に手伝えるね。


     ◇


 翌朝。


 屋敷の食堂には、いつもより少し大きな荷物が並んでいた。


 食事を入れた容器。


 毛布。


 飲み水。


 それから、小さな花束。


「……おお!」


 私は、思わず目を丸くした。


 巴さんとセバスが、もう準備してくれたらしい。


 カトレアは、花束の前で嬉しそうにしている。


「お父さん、見て! みんなで作ったの!」


「すごいね!」


 色とりどりの小さな花束。


 ひとつずつ、細い紐で結ばれている。


 派手ではないけれど、とても綺麗だ。


「避難している人たちに、渡してもらっていい?」


「もちろん!」


 私は、カトレアへ大きく頷いた。


「お父さんが、ちゃんと届けるよ」


「えへへ!」


 ……ああ。


 こういう贈り物、いいなぁ。


     ◇


 セバスが、食事や毛布などの荷物を《収納》へまとめていた。


 今日もメイドたちと食料は、すべてセバスが《転移》で王都の現地まで運んでくれる。


 もちろん、全部の食事を屋敷だけで用意するわけじゃない。


 王都の炊き出しも、すでに動いている。


 うちから届けるのは、その手助けだ。


 セバスが、一覧表を差し出した。


「こちらが、お届けする品物の内訳でございます」


「ありがとう、セバス」


「受け入れ先へは、すでに確認を取っております」


 ……おお。


 さすが。


 巴さんも、微笑んだ。


「リアリスちゃん。足りなかったら、また相談してね」


「はい!」


 ……うん。


 この家にも、頼れる人がたくさんいる。


 私は、カトレアと桜花へ手を振った。


「じゃあ、行ってくるね」


「いってらっしゃい!」


     ◇


 王都へ着くと、北門の様子は昨日とは少し違っていた。


 兵士たちが荷車の通行を整理している。


 街道沿いには、作業員の姿。


 救護所からは、温かいスープの匂いが漂ってきた。


 ……おお。


 もう、少しずつ動き始めてるんだ。


 セバスが《転移》で運び込んだ荷物を、メイドたちが避難所へ運んでいる。


 私は受け入れの確認を手伝い、セバスが書いてくれた一覧を渡した。


「こちら、王都邸からです」


「……まあ! こんなに?」


「大丈夫です。ちゃんと食べてくださいね」


 担当の女性が、何度も頭を下げた。


 私は、慌てて手を振る。


「お礼なら、巴さんたちにお願いします!」


 ……うん。


 実際に運んでくれたのは、セバスとメイドたちだからね。


     ◇


 花束を渡すと、担当の女性が驚いた顔をした。


「……こちらは?」


「娘が、みんなで作ったんです。よかったら、飾ってください」


 女性は、小さな花束をそっと受け取った。


「……綺麗ですね」


 その横から、昨日の男の子が顔を出した。


「あっ! お花!」


「うん。お部屋に飾ってもらえたら嬉しいな」


 男の子が、嬉しそうに頷く。


「お母さん! ここ、お花があるよ!」


 その声につられて、何人かの子どもたちが集まってきた。


 ……ああ。


 少しだけ、明るくなったね。


 私は、残りの花束も担当の人へ預けた。


 帰ったら、カトレアへ報告しよう。


     ◇


 それから何日か、私は王都の復興を手伝った。


 朝は、北門周辺の状況を確認。


 セバスは各邸からメイドや食料を《転移》で運び、救護所では《完全回復》を続けてくれた。


 巴さんは炊き出しを仕切り、メイドたちは食事の配布や兵士さんたちの看護を手伝っている。


 各邸を守るのは、引き続きフラワーズ。カトレアのそばにはモフ太がいる。


 その間、私は職人さんたちに相談しながら、壊れた建物や道を直していく。


 王国軍は、安全の確認と避難した人たちの案内。


 宰相のミキサーさんは、各地の物資や人員の調整。


 ギルドでは、冒険者たちが荷物運びや街道の警戒に協力してくれていた。


 ……うん。


 最初の頃は、何もかも混乱していた。


 でも、少しずつ役割ができてきたみたいだ。


 私が行かなくても進む仕事が増えている。


 それは、いいことだと思う。


     ◇


 壊れた家を直すときには、必ず持ち主を確かめてもらった。


 中に大切なものが残っている場合もある。


 元どおりにするつもりで、勝手に形を変えてしまったら困るからね。


「この屋根だけ、直してもらえますか?」


「もちろんです」


「壁は、職人にお願いしたいんです。知り合いがいるので」


「分かりました」


 ……うん。


 全部私がやる必要はない。


 屋根があれば、とりあえず雨をしのげる。


 壁は、職人さんたちが仕上げてくれる。


 そうやって、一軒ずつ。


 できることから、進めていった。


     ◇


 ある日、街道沿いで小さな店を見つけた。


 最初に見たときは、看板が落ち、窓も割れていた店だ。


 今日は、その窓がきれいに直されていた。


 店先から、パンの匂いが漂っている。


 ……おっ。


 もう、営業を再開したんだ。


「こんにちは!」


 私が声をかけると、店の奥から男性が顔を出した。


「……ああ! この前の魔法使いさん!」


「お店、開けたんですね!」


「ええ。まだ少ししか焼けませんがね」


 男性は、笑った。


「でも、店を閉めたままじゃ、何も始まりませんから」


 ……うん。


 いい笑顔だなぁ。


     ◇


「よかったら、ひとつどうです?」


 男性が、焼きたてのパンを差し出してきた。


「えっ。いいんですか?」


「道を直していただいたお礼ですよ」


 ……おお。


 それなら、ありがたく。


 私は、パンを受け取ってひと口食べた。


 外側は少し香ばしい。


 中は、ふんわり柔らかい。


 ……おいしい!


「すごくおいしいです!」


「ははは! そりゃあよかった!」


 男性が、嬉しそうに笑った。


 ……うん。


 あの大災厄のあとで、また焼きたてのパンが食べられる。


 それだけのことが、今は何だか嬉しかった。


     ◇


 別の日には、シルベスターさんのところへ顔を出した。


 王都の冒険者ギルド。


 入口を開けると、いつもの受付にリリーナさんがいた。


「こんにちは、リリーナさん」


「リアリス様。お疲れさまです」


「シルベスターさんは、いますか?」


「はい。執務室におります」


 リリーナさんは、少しだけ笑った。


「……ただ、本日は書類の山と格闘されておりますが」


 …………。


 ……あっ。


 あの人、もう仕事に戻ってるんだ。


「お邪魔しても、大丈夫ですか?」


「少しだけなら」


 ……うん。


 やっぱり、忙しいんだね。


     ◇


 執務室の扉を開けると、シルベスターさんが机に向かっていた。


 書類が、山になっている。


「……シルベスターさん」


「……おう」


 顔を上げた彼の左手には、書類の束。


 右手には、ペン。


 ……おお。


 普通に両腕を使ってる。


「……何だ、その顔は」


「いえ、何でもないです」


 ……うん。


 今さら驚くことじゃないんだけどね。


 シルベスターさんは、机の上の書類を揃えた。


「復興の方は、どうだ?」


「少しずつ進んでます。北側の道も、荷車が通れるようになりました」


「……そうか」


 彼は、安心したように頷いた。


     ◇


「ギルドの方は、大丈夫ですか?」


 私が尋ねると、シルベスターさんは書類を見下ろした。


「……やることは多い」


 その一言で、十分伝わってきた。


 亡くなった冒険者たちの報告。


 残された荷物の確認。


 家族への連絡。


 新しく受ける依頼の調整。


 ……ああ。


 あの人が、ずっと向き合っているものなんだね。


「手伝えることがあったら、言ってください」


 私は、そう伝えた。


 シルベスターさんは、顔を上げた。


「……じゃあ、ひとつ頼めるか」


「はい!」


「次に王城へ行ったら、復興支援の依頼書をちゃんと出すよう、宰相に言ってくれ」


「……えっ?」


「ギルドへ仕事を頼むなら、手続きが必要だ。復興だからって、全部なあなあにするわけにはいかん」


 ……おお。


 さすが、ギルドマスター。


 こんなときも、仕事はきっちりだ。


「了解です!」


     ◇


「それと、もうひとつ」


 シルベスターさんが、左手を持ち上げた。


「……この腕のことだ」


 ……っ。


 私は、背筋を伸ばした。


 来た。


 やっぱり、来たね。


「……はい」


「勝手に治した件、まだ話は終わってねえからな」


「……分かってます」


 彼は、少しだけ目を細めた。


「ただ……」


 左手を、ゆっくり握る。


「これで仕事が減るわけじゃねえ。むしろ、周りが余計な期待をし始めてな」


 ……あれ?


「余計な期待、ですか?」


「『ギルドマスター、また冒険者に戻るんですか』だとさ」


 ……おお。


 なるほど。


     ◇


「……戻るんですか?」


 私が何気なく尋ねると、シルベスターさんが眉を吊り上げた。


「戻るわけねえだろうが!」


「……あっ」


「俺はギルドマスターだ。冒険者どもをまとめるのが仕事なんだよ!」


「……ですよね!」


 ……うん。


 そう言うと思った。


「でも、戦場では格好よかったですよ」


 私が言うと、彼は一瞬だけ言葉を止めた。


「……余計なこと言うな」


 そう言いながら、左手で書類を揃え直す。


 ……ああ。


 ちょっと照れてるのかな。


 私は、それ以上何も言わずに笑った。


     ◇


 ギルドを出ると、王都の通りには人の姿が増えていた。


 荷車が通る。


 市場で値段を交渉する声が聞こえる。


 誰かが、店の前を掃いている。


 ……うん。


 最初に来た日とは、ずいぶん違う。


 でも。


 閉じたままの店もある。


 窓に布を掛けた家もある。


 そこに暮らしていた人が、戻らない場所も。


 私は、通りの端で足を止めた。


 ……ああ。


 日常が戻る、というのは。


 全部が前と同じになる、ということじゃないんだね。


     ◇


 北門の近くには、小さな花が供えられた場所があった。


 亡くなった兵士や冒険者たちのために、人々が花を置いているらしい。


 新しい花。


 少し萎れた花。


 そのそばには、誰かが書いた短い言葉もあった。


 私は、しばらくそこに立っていた。


 勝利の雄叫びを上げたシルベスターさん。


 助かった兵士たち。


 また店を開けた商人。


 ……みんな、ここへたどり着くまでにいろいろなものを失ったんだよね。


 私は、近くの花屋で小さな花束を買った。


 そして、ほかの花の隣へそっと置いた。


 ……守ってくれて、ありがとうございました。


 心の中で、そう伝えた。


     ◇


 やがて、北門周辺の復旧も少しずつ形になっていった。


 荷車が通れる道。


 屋根のある寝床。


 再び店を開けられた人たち。


 王国軍と職人たちは、まだ忙しそうに働いている。


 私が直したのは、その中のほんの一部。


 それでも、最初に見た光景とは違っていた。


 北門の前で、子どもが笑っている。


 荷物を抱えた商人が、道を急いでいる。


 作業を終えた職人さんたちが、並んで食事をしていた。


 ……うん。


 いいね。


 あの大災厄で止まってしまった毎日が、また動き始めている。


     ◇


「リアリス殿」


 北門の前で、カバディ王に声をかけられた。


 隣には、相変わらず忙しそうなミキサーさん。


「復興への協力、感謝する」


「いえ。皆さん、頑張ってますからね」


 国王は、王都の外へ目を向けた。


「今回のことは、忘れてはならぬ」


「……はい」


「亡くなった者たちも、戻ってきてくれた者たちも。王国が何を失い、何を守れたのか、きちんと残さねばならぬな」


 ……うん。


 それは、王様の仕事なんだろうね。


 ミキサーさんが、隣で深く頷いた。


「避難された方々への支援も、引き続き進めてまいります」


「よろしくお願いします」


 私は、頭を下げた。


     ◇


「リアリス殿にも、ずいぶんと負担をかけた」


 国王が、少し申し訳なさそうに言った。


「……ああ、いえ」


 私は、首を振った。


「できることがあったので、手伝っただけですよ」


「それでも、感謝しておる」


 ……うん。


 素直に受け取っておこうかな。


「じゃあ、ひとつだけお願いしてもいいですか?」


「何だ?」


「今回頑張った兵士さんや冒険者さん、それから復興を手伝ってくれた人たちに、ちゃんとお休みを取らせてあげてください」


 国王は、少し驚いた顔をした。


 その隣で、ミキサーさんが小さく笑った。


「……それは、私どもも考えておりました」


「よかった!」


 ……うん。


 頑張った人には、休みも必要だからね。


     ◇


 屋敷へ戻ったときには、庭に柔らかな日差しが差していた。


 カトレアは、花壇の前で楓と一緒にしゃがんでいる。


 そのすぐそばには、モフ太も寝そべっていた。


 ……うん。今日もちゃんと見守ってくれてるね。


 桜花は、屋敷の入り口で私を待っていた。


「リアリス様。お戻りでございますね」


「うん。ただいま」


 私は、ゆっくり息を吐いた。


 巴さんが炊き出しを仕切り、メイドたちが負傷者の看護や食事の配布を手伝ってくれた日々。


 セバスが《転移》で各邸から人員と食料を運び、《完全回復》で負傷者まで治してくれたこと。


 フラワーズはそれぞれの屋敷を守り、モフ太はカトレアのそばにいてくれた。


 ……ああ。


 私ひとりだったら、こんなに動けなかっただろうな。


 王都を支えたのは、王国の人たち。


 そして、私を支えてくれたのは、家族のみんなだ。


     ◇


「お父さん!」


 カトレアが、花壇から顔を上げた。


「今日も、みんなのお手伝いしてきたの?」


「うん。お店がまた開いたりしてたよ」


「ほんと!?」


「うん。それから、カトレアの花束も、すごく喜んでもらえた」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなる。


「えへへ! よかった!」


 その隣で、楓が小さく頷いた。


「……よかった」


 ……うん。


 本当にね。


 私は、二人の隣へしゃがんだ。


 花壇には、以前より少し大きくなった花が咲いている。


 カトレアが、大切に育ててきた花だ。


「じゃあ、今日は何をしようか」


「お花の記録帳、書きたい!」


「いいね!」


     ◇


 夕食の時間。


 久しぶりに、みんなが少し落ち着いた顔で食卓を囲んでいた。


 巴さんが、お茶を注いでくれる。


 セバスは、食事の準備が整ったことを確認して、ようやく席についた。


 桜花も、いつもどおり私のそばにいる。


 ……うん。


 見慣れた風景だ。


 でも、ここへ戻ってくるまでに、たくさんの人が頑張っていた。


 王都の人たちも。


 兵士も、冒険者も。


 そして、うちの家族も。


 私は、みんなの顔を見回した。


 ……ああ。


 そういえば、ここのところ忙しかったね。


 そろそろ、何かお礼がしたいな。


 ……もちろん。


 私だけが楽しいお礼じゃなくて、みんなが休めるような。


「……リアリスちゃん?」


 巴さんが、不思議そうに首を傾げる。


「何か考え事?」


「……うん。ちょっとだけ」


 私は、お茶をひと口飲んだ。


 ……よし。


 今度、セバスや巴さんに相談してみようかな。


 みんなでのんびりできる、何かを。


 窓の外では、庭の花が静かに揺れていた。


 王都にも、少しずつ日常が戻ってきている。


 失ったものを忘れずに、それでも明日へ進んでいく。


 ……うん。


 そんな毎日が、これからも続いてほしいね。

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