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第2話:希望の叫び

「リアリス、俺の役目は変わらん。お前が前を切り開け」


「はい」


「桜花は、左右から防衛線を越えようとする連中を頼む」


「かしこまりました」


「抜けたやつは、俺が全部引き受ける」


 シルベスターさんは、剣を軽く振ってから盾を正面へ向けた。


 もう、誰も後ろにいない。


 それでも、その場所から一歩も引くつもりはないらしい。


「いいな。行くぞ!」


「お願いします!」


 私は、刀を構えた。


 桜花が、音もなく横へ並ぶ。


 三人で、もう一度前を向いた。


 押し寄せる魔獣が、再び距離を詰めてくる。


 シルベスターさんは、盾の持ち手を強く握り込んだ。


     ◇


 次の魔獣が突進してきた。


 角が二本。


 太い前脚。


 その後ろには、鎧のような殻を持つ別の魔獣。


 私は前へ踏み込む。


「【一閃】!」


 正面を斬り開く。


 左右へ逃れた魔獣が、背後へ回り込もうとした。


 左から来たものは桜花が斬る。


 右から来たものは、シルベスターさんが盾で受けた。


「そっちは俺がやる!」


 踏み込んだ剣が、魔獣の身体を貫く。


 続けて盾を半回転させ、別の敵の牙をはね返す。


 ……おお。


 両腕の使い方が、さっきよりさらに馴染んでいる。


 私たちが前へ出れば出るほど、後ろに残るのはシルベスターさん一人になる。


 なのに、抜けた魔獣は一体も王都の方へ向かえなかった。


     ◇


 大きな魔獣が、私の刀を避けて真横へ跳んだ。


 私は、そちらへ身体を向けかける。


「追うな、リアリス!」


 シルベスターさんの声が飛んできた。


「お前は正面を崩せ! ここは俺の場所だ!」


 その直後。


 どんっ、と盾が鳴った。


 魔獣が勢いを失い、シルベスターさんの剣が振り下ろされる。


 ……確かに。


 あの人がいるなら、後ろへ気を取られる必要はない。


 私は、もう一歩前へ。


 桜花も、左右から迫る魔獣を正確に迎え撃った。


 私の役割は、群れそのものを切り崩すこと。


 桜花の役割は、防衛線を越えさせないこと。


 そして、漏れたものは。


 すべて、あの盾が止めていた。


     ◇


「……はっ!」


 シルベスターさんの剣が、空気を切った。


 斬撃を避けた魔獣が横へ回る。


 彼は盾を前へ出すのではなく、斜めに傾けた。


 魔獣の爪が滑る。


 できた隙間へ踏み込み、剣の柄を打ち込む。


 巨体がよろめいたところを、刃が貫いた。


 ……すごいな。


 力で押すだけじゃない。


 相手が次に動く位置まで、読んでいる。


 その間にも、彼の目は周囲から離れなかった。


 森の縁。


 崩れた防壁。


 王都へ続く一本道。


 どこから抜けられれば危険なのか、全部把握しているようだった。


「右に回るぞ!」


 その声を聞き、桜花が動く。


 次の瞬間には、言われた場所へ魔獣が飛び出した。


 桜花の刀が、迷いなくそれを迎え撃った。


     ◇


 やがて、私たちの足元に倒れた魔獣が増えていった。


 森からの足音は、まだ続いている。


 でも、先ほどの勢いとは違う。


 押し寄せる間隔が、少しずつ長くなってきた。


 シルベスターさんも、それに気づいたらしい。


「……来る数が減ったな」


「はい」


 私は、目の前の一体を斬り伏せた。


 桜花が、防衛線の左を見回す。


「現在の群れは、まもなく途切れます」


 そのとき、大きな魔獣が一体、崩れた柵を飛び越えた。


 王都へ向かって一直線に走り出す。


 ……っ。


 シルベスターさんが、地面を蹴った。


     ◇


 盾を斜めに構え、正面から受け止める。


 ずんっ!


 衝撃で、地面に深い跡が刻まれた。


 それでも彼の足は、滑らなかった。


「……行かせん!」


 身体をひねり、巨体の突進を横へ流す。


 そのまま、剣を突き立てた。


 魔獣が倒れる。


 シルベスターさんは盾を下ろさず、周囲を確認した。


 一体。


 また一体。


 最後に、森の端から飛び出した小さな魔獣を斬り伏せる。


 そこまで終えると、ようやく剣先を地面へ向けた。


 風が、血の匂いを遠くへ運んでいった。


 ……一旦、止まった。


     ◇


 私は、周囲へ意識を広げた。


 森の奥に、まだ大きな群れがいる。


 今の群れは、先頭に過ぎない。


 距離と移動速度を考えると、次が来るまで十分ほど。


 ……それなら。


「シルベスターさん。次の群れが来るまで、少し時間があります」


「どのくらいだ」


「十分くらいです」


 彼は、短く頷いた。


「……そうか」


 息を整えながら、盾を地面へ立てる。


 その動きは自然だった。


 いや、自然に見せていたのかもしれない。


 彼は、立てた盾を左手で支えたまま、しばらく黙っていた。


 新しく戻った指を、一本ずつ曲げている。


 さっきまで、あれほど激しく戦っていたのに。


 今になって、腕があることを確かめ始めたらしい。


     ◇


「……シルベスターさん」


 私は、彼の横に立った。


 桜花は少し離れた場所から、森の奥を見張っている。


「左腕、勝手に直しちゃってごめんなさい」


 彼の指が、ぴたりと止まった。


「……遅えよ」


 低い声だった。


「……はい」


「俺は前に、治さなくていいと言ったはずだな」


「覚えてます」


「覚えてて、やったのか」


「……はい」


 シルベスターさんが、こちらを向いた。


 怒っている。


 当たり前だ。


「お前には、何でも簡単に治せるんだろうな。だが、俺にとってこの腕は、そんな簡単な話じゃねえ」


 私は、目を逸らさなかった。


 言い訳をしたら、駄目だと思った。


「……過去のこと、聞いてもいいですか?」


 シルベスターさんは、しばらく黙っていた。


「……今さら、隠す話でもねえ」


     ◇


「左腕をなくしたのは、まだ俺が冒険者だった頃だ」


 シルベスターさんは、盾から手を離さずに言った。


「仲間がいた。長いこと一緒に戦ってきたやつらだ」


 声が、少しだけ低くなった。


「俺は、その中でも前衛を任されていた。剣と盾で、仲間の前に立つのが役目だった」


 ……今と同じだ。


 魔獣の進路を読み、背後へ通さない。


 さっき目の前で見た、その戦い方。


「ある依頼で、読みを誤った。引くべき場所で、俺はまだ戦えると思った」


 シルベスターさんは、左手を見つめた。


「そのせいで、仲間を逃がすのが遅れた」


     ◇


「友人が、俺の目の前で倒れた」


 ぽつりと、彼は言った。


「助けようとした。盾を掲げて、魔獣の前へ飛び込んだ。だが、間に合わなかった」


 風が吹いた。


 シルベスターさんの声は、途切れなかった。


「別の仲間まで、俺を逃がすために残った」


 私は、黙って聞いていた。


「最後には、何人も死なせて……俺自身も左腕を持っていかれた」


 ……ああ。


 それで。


「生き残った連中は、俺を責めなかった。だが、俺は自分を許せなかった」


 彼は、苦しそうに息を吐いた。


「腕を治したら、いつかあの判断を忘れてしまうんじゃないかと思った」


 左腕を失ったことが、戒めになった。


 その痛みを覚えていれば、二度と同じ失敗を繰り返さない。


 そうして、何年も戦い続けたんだね。


     ◇


「何度も治療の話はあった。だが、俺は断り続けた」


 シルベスターさんは、強く拳を握った。


「この腕がない限り、あいつらを忘れずにいられると思ったからだ」


 私は、しばらく黙っていた。


「その人たちは、どんな人たちだったんですか?」


 彼は、しばらく答えなかった。


 そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……馬鹿ばっかりだったよ」


「酒が好きで、金の使い方が下手で、依頼が終わるたびに次は休むって騒ぐような連中だった」


 遠くを見る目になった。


「それでも、誰かが倒れりゃ、全員で助けに行く。そういうやつらだった」


 私は、静かに頷いた。


     ◇


「その人たちを、ずっと覚えていたいんですね」


「……ああ」


 答えは、短かった。


 シルベスターさんは、戻った左手をもう一度開く。


「この腕は、俺があいつらを忘れないためのものだったんだ」


 私は、ひと呼吸置いた。


「左腕、治してしまってごめんなさい」


 今度は、言葉を続けた。


「でも、死んだ人たちがそれを望んでいるとは、私には思えません」


 シルベスターさんの顔が、上がる。


 彼は、何も言わなかった。


「私は、その人たちに会ったことがありません。だから、分かったようなことは言えないんですけど」


 私は、彼の左手を見た。


「それでも、ひとつだけ、間違いなく言えます」


     ◇


「みんな、シルベスターさんには生きていてほしいと願ってるはずです」


 シルベスターさんは、私を見つめた。


 怒りの残る目。


 その奥に、別の感情が揺れていた。


「……お前は」


「今日も、シルベスターさんが守った人たちがいます」


 私は、王都の方を指した。


「さっき、走って逃げた兵士たちも、冒険者たちも。みんな、きっとギルドマスターが帰ってくるのを待ってます」


 私は、微笑んだ。


「シルベスターさんなら、左腕があってもなくても忘れないでしょ。私はそう信じてます」


 しばらく、沈黙が続いた。


 彼は、何も言わずに自分の左手を見つめていた。


 指を握り、開き。


 それから、盾を強く掴んだ。


     ◇


「……お前はほんと、無茶苦茶だな……」


 シルベスターさんは、小さく笑った。


 笑ってはいる。


 でも、目元は少し赤かった。


「……はい」


「許したわけじゃねえからな」


「分かってます」


「後で、たっぷり説教だ」


「……覚悟してます」


 彼は、深く息を吸った。


 それから、盾を持ち上げる。


 その顔に、もう迷いはなかった。


「だが……腕を戻された以上、今日やるべきことは変わらん」


 私は、頷いた。


 シルベスターさんは、王都へ続く街道を振り返った。


 今頃、さっきの兵士たちは門の中へ戻れただろうか。


 きっと、必死で走っているはずだ。


     ◇


「リアリス様、シルベスター様!」


 桜花の声が、緊張を帯びた。


 森の奥を見張っていた彼女が、こちらへ振り向く。


「第二波、来ます!」


 地面が、低く揺れ始めた。


 木々の向こうから、先ほどより重い足音が響いてくる。


 シルベスターさんが、剣を掲げた。


 その左手には、盾。


 何年も空だった場所で、今はしっかりと仲間を守るための盾を握っている。


「俺は戦う、そして全員守る!」


 力強い声が、戦場に響いた。


「お願いします!」


 私が応えると、シルベスターさんは大きく頷いた。


 桜花が、静かに刀を構える。


 森を押し潰すような足音が、近づいてきた。


 シルベスターさんが、一歩前へ出る。


 その背中を見た私は、思った。


 ……ああ。


 この人は、まだまだ誰かを守っていくんだ。


     ◇


 森の奥から、低い地鳴りが近づいてきた。


 倒れた木々の向こうに、黒い影。


 一体。


 十体。


 ……いや。


 そんな数ではない。


 先ほど押し返した群れより、さらに大きな波が迫ってくる。


 シルベスターさんは、剣を下ろさなかった。


 右手に剣。


 左手に盾。


 その構えは、もう迷いのないものになっていた。


「来るぞ!」


 短い声が響く。


 私は、刀を構えた。


 桜花は、静かに防衛線の左へ回る。


 そして。


 最初の一体が、崩れた柵を飛び越えた。


     ◇


「リアリス、正面を頼む! 桜花は防衛線を越えさせるな!」


「はい!」


「承知いたしました!」


 シルベスターさんの指示を受け、私たちは動いた。


 正面へ踏み込む。


「【一閃】!」


 斬撃が、群れの先頭を切り開いた。


 その向こうから、また別の魔獣が押し寄せる。


 私は、そのまま前へ。


 桜花は左右へ散った魔獣を迎え撃ち、背後へ抜けようとするものを止めた。


 それでも、数体は私たちの間をすり抜けていく。


 ……しまった。


 そう思った瞬間。


 がんっ!


 盾の音が響いた。


     ◇


「俺がいる!!」


 シルベスターさんの剣が、魔獣の胴を斬り裂いた。


 左の盾で二体目を押し返す。


 背後へ回ろうとした三体目には、踏み込んで剣を突き立てた。


 その間、彼は一度も防衛線から離れなかった。


 私が正面を崩す。


 桜花が左右を塞ぐ。


 そこを抜けたものを、シルベスターさんが確実に仕留める。


 ……ああ。


 この人の守りがあるから、私たちは前へ出られる。


 戻った左腕には、もう迷いが見えなかった。


 盾の角度も、剣を振るう速度も、戦いが進むほど鋭くなっていく。


 長年積み重ねた鍛錬は、片腕で終わっていなかったんだ。


     ◇


 巨大な魔獣が、一際大きな咆哮を上げた。


 角の生えた頭。


 木の幹ほどもある前脚。


 その身体が、防衛線へ向かってきた。


「……でかいな」


 シルベスターさんが、低く呟いた。


 私は、振り返る。


「そちらに――」


「前を見ろ!」


 その声に、身体が止まった。


「お前が振り返れば、正面が空く。こいつは俺の獲物だ!」


 ……っ。


 私は、刀を握り直す。


 その言葉に、迷いはなかった。


「……お願いします!」


 私は前へ進んだ。


 背後で、重い足音が止まる。


     ◇


 どんっ!


 大きな衝撃が響いた。


 シルベスターさんは、巨大な魔獣の突進を盾の真正面で受け止めていた。


 ただ、力任せではない。


 足を開き、盾を斜めへ傾ける。


 角が縁を滑り、重い頭が地面へ落ちた。


 すかさず、右の剣を振るう。


 一撃目。


 硬い皮膚を裂く。


 二撃目。


 魔獣の脚を崩す。


 そして、三撃目。


「……おおおっ!」


 シルベスターさんが踏み込み、剣を突き立てた。


 巨体が、ゆっくり傾く。


 轟音とともに地面へ倒れた。


 ……すごい。


 あの人は自分の技だけで、この大きな魔獣を止めたんだ。


     ◇


 その直後、魔獣の群れが大きく乱れた。


 私は、正面の密集した一団へ踏み込む。


「【一閃】!」


 何体もの魔獣が倒れる。


 桜花が、横から押し寄せる別の群れを迎え撃った。


 すると、左右へ散った魔獣たちが、一斉にシルベスターさんの方へ向かった。


 ……まずい。


 さっきの大型魔獣を倒した直後だ。


 隙があるかもしれない。


 でも。


「来い!」


 シルベスターさんは、すでに盾を構え直していた。


 剣を低く構え、最初の一体を斬る。


 次は盾で受け流す。


 その次は、身体をひねって刃を返す。


 一体倒すごとに、足を元の位置へ戻していた。


 後ろに、敵を通さないためだ。


 ……この人、ずっとそれだけを考えてるんだね。


     ◇


 遠くから、鐘の音が聞こえた。


 王都の避難を知らせる鐘だ。


 シルベスターさんが、一瞬だけ南へ目を向けた。


 もう、ここには守るべき兵士たちは残っていない。


 けれど、王都には大勢の人がいる。


 彼は、再び前を向いた。


「……もう、二度と」


 声が、風に混じる。


「仲間を置いていく戦いは、させん……!」


 剣が、ひときわ鋭く振り下ろされた。


 魔獣が一体倒れる。


 さらに、もう一体。


 私は、その背中に何も言わなかった。


 今は、言葉よりも。


 一緒に前へ進むことが大事なんだと思った。


     ◇


 第二波の勢いは、簡単には収まらなかった。


 森からは、次々と魔獣が飛び出してくる。


 今まで倒した数が、分からなくなるほどだ。


 私は、正面を大きく切り崩した。


 桜花は、防衛線を越えようとするものを迎撃する。


 そして、シルベスターさん。


 魔獣がどこから漏れるのかを、常に見ていた。


 右へ走ったものを盾で止める。


 足元を抜けようとした小型の魔獣を、剣で斬る。


 正面から押し寄せたものは、踏み込んで押し返す。


 再生した左腕が、戦場の真ん中で何度も動いていた。


 それは、彼がずっと求めていなかった腕だ。


 でも今は、その盾で確かに誰かを守っている。


     ◇


 そのとき。


 後ろの街道から、声が聞こえた。


「ギルドマスター!!」


 ……えっ。


 私は、思わず振り返りそうになる。


 でも、シルベスターさんは先に気づいていた。


「……何だと?」


 王都へ戻ったはずの兵士たちが、走ってきていた。


 その中には、さっき逃がした冒険者たちもいる。


 鎧は泥だらけ。


 誰もが息を切らしていた。


 ……戻ってきたんだ。


 シルベスターさんの顔が、険しくなる。


「馬鹿野郎! 下がれと言ったはずだ!」


 先頭の兵士が、足を止めた。


「負傷者は、王都まで運びました!」


「だからって、戻ってこいとは言ってねえ!」


「……ですが!」


 兵士の声が、震えていた。


     ◇


「俺たちも、戦えます!」


 一人の冒険者が、剣を握り直した。


「ギルドマスターだけを、ここに置いていけません!」


「……お前ら」


 シルベスターさんは、言葉を詰まらせた。


 戻ってきた兵士たちは、しっかり立っている。


 王都で負傷を治してもらった人もいるのだろう。


 戦う力が戻ったから、もう一度ここへ来た。


 ……ああ。


 あの人が守ったものが、こうして戻ってきたんだね。


 けれど、戦場はまだ危険なままだ。


 シルベスターさんは、すぐに表情を引き締めた。


「……よし。戻った以上は、俺の指示に従え!」


「はっ!」


     ◇


「俺の後ろで隊を組め! 無理に前へ出るな!」


 シルベスターさんが、盾を上げて指示する。


「リアリスが崩した群れから抜けてくる魔獣を仕留めろ! 桜花が止めたものには手を出すな!」


 兵士たちが、素早く隊形を作る。


「一人で追うな! 必ず二人以上で対処しろ!」


「了解!」


「怪我をしたら、すぐに下がれ! 今度こそ命令を守れ!」


「はっ!」


 ……うん。


 シルベスターさんらしい。


 戻ってきたことは、まだ怒ってる。


 でも、帰れとはもう言わない。


 今できる役目を与えて、全員が生き残る方法を考えてるんだ。


「冒険者は左! 王国兵は右! 俺が間を守る!」


 大きな声が、戦場を貫いた。


     ◇


「シルベスター殿に続けーっ!」


 王国兵の一人が叫んだ。


「おおおおっ!!」


 冒険者たちも、剣を掲げる。


「ギルドマスター! 俺たちもやります!」


「うおおおっ!!」


 鬨の声が、森へ響いた。


 ついさっきまで、逃げることしかできなかった人たちだ。


 その声に、恐怖がないわけじゃないだろう。


 でも、誰も一人ではない。


 目の前には、剣と盾を構えたギルドマスターがいる。


 彼は、振り返らずに右手の剣を高く上げた。


「……行くぞ!!」


 声に応えるように、兵士たちが盾を打ち鳴らした。


     ◇


 隊列が整うと、シルベスターさんは盾を前へ突き出した。


「右から三体! 兵士は固まって受けろ!」


「はっ!」


「左の一体は俺が取る!」


 冒険者たちが素早く道を開ける。


 その隙間へ、シルベスターさんが踏み込んだ。


 左手の盾が、魔獣の爪を受け流す。


 返す右手の剣が、首元を斬り裂いた。


 続けて、別の魔獣が隊列へ突進してくる。


「慌てるな! 盾を下ろすな!」


 指示を受け、王国兵たちが踏みとどまった。


 一人が盾を構え、隣の兵士が槍を突き出す。


 魔獣が倒れる。


 ……おお。


 さっきまで、ただ押し込まれていた人たちなのに。


 今は、自分たちの役割を分かって動いている。


     ◇


 私は、正面の群れを薙ぎ払った。


「【一閃】!」


 開いた空間へ、次の魔獣が入り込む。


 さらに斬る。


 刀を返す。


 倒れたものを踏み越えてくる魔獣を、また斬り伏せる。


 その間、桜花は防衛線の左右を守り続けていた。


 そこを抜けた魔獣が、兵士たちへ向かう。


 けれど、以前のように混乱は起きない。


「右へ二体! 槍隊、備えろ!」


 シルベスターさんの声。


「一体ずつだ! 孤立するな!」


 命令に合わせ、兵士と冒険者が動く。


 シルベスターさん自身も先頭へ出て、盾で一体を受け止めた。


 ……うん。


 これなら、私も正面に集中できる。


     ◇


 そのとき、森の中からひときわ大きな魔獣が現れた。


 背中には、岩のような厚い殻。


 長い尾が、地面を削りながら動いている。


 王国兵たちが、一瞬だけ動きを止めた。


「……あれは!」


 冒険者の一人が、青ざめる。


 シルベスターさんが声を張り上げた。


「見るな! 自分の前の敵だけを見ろ!」


 兵士たちの視線が戻る。


 彼は、私へ向かって叫んだ。


「リアリス! でかいのは頼む!」


「はい!」


 私は、その魔獣へ刀を向けた。


 正面の大きな影を断ち切る。


 地響きとともに、巨体が倒れた。


 背後で誰かが歓声を上げかけたが、シルベスターさんがすぐに制した。


「まだ終わってねえ! 気を抜くな!」


 ……ああ。


 この人、戦場の状況を本当によく見てる。


     ◇


 大きな魔獣が倒れても、群れの流れは止まらなかった。


 何体もの魔獣が、左右へ広がる。


 一体が桜花を避けて、兵士の隊列へ向かった。


 シルベスターさんが、すかさず横へ動く。


「俺が止める!」


 盾の縁が、魔獣の顔を打つ。


 続く剣が、胴を斬り裂いた。


 だが、その背後から別の一体。


 彼は、戻った左腕で盾を引き戻し、再び構える。


 がんっ!


 二度目の衝撃を受け止めた。


 ……おお。


 片腕で鍛えた剣技が、盾と組み合わさっている。


 今の動きを見たら、シルベスターさんがどれほど鍛錬を続けてきたのか、よく分かる。


 彼は、魔獣を押し返しながら叫んだ。


「そこだ! 冒険者、合わせろ!」


「了解!」


 二人の冒険者が踏み込み、魔獣を仕留めた。


     ◇


「……よし!」


 シルベスターさんが、短く頷く。


 その顔には、戦いの厳しさが残っている。


 でも、もう絶望はなかった。


 仲間たちも同じだ。


 兵士は、盾を構える。


 冒険者は、剣を握り直す。


 誰かが倒れそうになれば、隣の者が支える。


 その中央で、シルベスターさんは動き続けた。


 彼の左手は、何度も盾を持ち上げる。


 守り切れなかった過去が、消えたわけではない。


 今日倒れた冒険者たちも、戻ってこない。


 それでも。


 今ここにいる人たちを、一人でも多く生きて帰す。


 シルベスターさんは、そのために剣を振るっていた。


     ◇


 戦場の音が、少しずつ変わり始めた。


 途切れなく響いていた魔獣の咆哮が、間遠になっていく。


 足元に倒れた魔獣は数えきれない。


 森の奥から押し寄せていた黒い影も、明らかに薄くなっていた。


 シルベスターさんが、すぐに気づいた。


「……終わりが見えてきたぞ!」


 兵士たちが、一斉に顔を上げる。


「隊列を崩すな! 最後まで守り切れ!」


「おおっ!」


 歓声ではない。


 まだ、戦うための声だ。


 私は、正面に残った群れへ向き直った。


 桜花も、防衛線の端で最後の追撃を止めている。


 ここまで来たんだ。


 あと少し。


     ◇


 森から飛び出した三体の魔獣が、最後の勢いで防衛線へ突進した。


 そのうち二体は、桜花が斬り伏せる。


 残る一体は、私の斬撃を避けて横へ走った。


「……しまった。」


 だが、シルベスターさんが一歩前へ出る。


「させるか!」


 盾を構え、突進を受け止めた。


 衝撃が、地面を震わせる。


 彼はそのまま身体をひねり、相手の力を横へ逃がす。


 そして、剣を突き立てた。


 魔獣が倒れる。


 その場に、短い静寂が訪れた。


 兵士たちは、すぐには声を上げなかった。


 誰もが、森の向こうを警戒していた。


 シルベスターさんも、剣を構えたままだった。


     ◇


「……リアリス」


 シルベスターさんが、こちらを呼んだ。


「まだ、いるか?」


「確認します」


 私は、《サーチ》を使った。


 王都北側から森の奥まで。


 近くに残る魔獣の反応を、ひとつずつ確かめる。


 ……ない。


 前方。


 左右。


 遠くの森。


 何度確かめても、もう襲撃してきた魔獣の反応は見つからなかった。


 私は、顔を上げた。


 シルベスターさんは、盾を構えたまま待っている。


 兵士たちも、冒険者たちも。


 誰も、まだ勝利を口にしていない。


 私は、ゆっくり近づいた。


「シルベスターさん」


「……どうだ?」


 私は、大きく頷いた。


「全部倒しました。もう、魔獣はいません」


     ◇


 その言葉を聞いたシルベスターさんは、しばらく動かなかった。


 左手には盾。


 右手には、刃こぼれした剣。


 鎧は血と泥にまみれている。


 でも、今度は自分の傷じゃない。


 左腕も、しっかりそこにある。


 彼は、ゆっくり辺りを見回した。


 王国兵たちが立っている。


 冒険者たちも、誰一人その場で倒れていない。


 みんな、彼を見ていた。


「……終わった、のか」


 絞り出すような声だった。


「はい」


 私が答えると、シルベスターさんは大きく息を吸った。


 その肩が、わずかに震えた。


     ◇


 兵士の一人が、兜を脱いだ。


 その頬を、涙が流れている。


「……ギルドマスター……」


 別の冒険者が、剣を地面へついて膝を折った。


「……生き残った……」


 シルベスターさんは、一人ずつを見た。


 自分が逃がした兵士。


 戻ってきて、もう一度並んで戦った冒険者。


 肩を貸し合いながら立っている仲間たち。


 その顔を確かめるたび、彼の目元が赤くなっていく。


 ……ああ。


 今日、守れたんだ。


 全員を救えたわけじゃない。


 すでに失った命もある。


 それでも、ここにいる人たちは帰れる。


 そのことを、誰よりもシルベスターさんが噛みしめているようだった。


     ◇


 シルベスターさんは、左手の盾をゆっくり下ろした。


 戻った指が、持ち手から離れる。


 右手には、長年使い続けた剣。


 彼は、それを胸の前へ持ち上げた。


 一度だけ、空を仰ぐ。


 何かを言いかけて、やめた。


 頬を、涙が一筋伝う。


 あの人が泣くところを、私は初めて見た。


 シルベスターさんは、剣を強く握った。


 それから。


 天へ突き上げるように、右腕を高く掲げた。


「うぉおおおおおおおおおおっ!!」


 戦場の中心で、雄叫びが響いた。


     ◇


「おおおおおおっ!!」


 王国兵たちが、応えた。


「ギルドマスター、万歳!!」


「みんな、生き残ったぞーっ!!」


 冒険者たちも、剣を掲げる。


 歓声が、荒れ果てた街道を伝わっていった。


 シルベスターさんは、涙を流しながら剣を掲げ続けていた。


 勝利の喜び。


 仲間を守れた安堵。


 そして、今までずっと抱えてきた後悔。


 そのすべてを、声にしているようだった。


 シルベスターさんの雄叫びは、いつまでも戦場に響いていた。

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