第4話:明日は娘の誕生日です
今日は、カトレアの九歳最後の日だ。
明日になれば、十歳。
……十歳だよ?
あの小さかったカトレアが。
いや、今も小さいんだけど。
……それでも、もう十歳。
私は、朝からどうにも落ち着かなかった。
「リアリスちゃん。パンが冷めちゃうわよ」
「……あっ、はい!」
巴さんの声で、ようやく朝食へ意識が戻る。
焼きたてのパン。
温かなスープ。
そして、目の前ではカトレアが機嫌よく苺を食べていた。
……ああ。
可愛いなぁ。
◇
「お父さん、どうしたの?」
カトレアが、首を傾げる。
「ううん。明日が楽しみだなって」
「えへへ。わたしも!」
そう言って、カトレアが笑った。
……うん。
それだけで、なんだか嬉しい。
初めて、この家で迎える誕生日だ。
どうせなら、忘れられないくらい楽しい日にしてあげたい。
「明日は、盛大にお祝いしようね」
「ほんと!?」
「もちろん!」
勢いよく頷いたところで、巴さんがこちらを見た。
「リアリスちゃん?」
「……はい?」
「盛大なのはいいけれど、何でもかんでも買ってきちゃ駄目よ?」
…………。
……あれ。
まだ何も買ってないのに、見抜かれてる?
◇
「お祝いなんだから、多少はいいでしょう?」
「多少ならね」
巴さんが、にっこり笑う。
……うん。
その笑顔、ちょっと怖い。
「カトレアちゃんが喜ぶことを考えてあげてね。リアリスちゃんが欲しいものを山ほど並べるんじゃなくて」
「……はーい」
……ああ。
先に釘を刺されちゃった。
でも、明日は明日だ。
今日は、その準備をしよう。
庭に飾る花。
食事。
ケーキ。
それから、みんなで集まる時間。
……うん。
考えるだけで楽しいね。
私は、もう一度カトレアを見た。
カトレアは、苺をひとつ食べてから、少しだけ目を伏せていた。
……ん?
◇
「カトレア?」
「……お父さん」
少し小さな声。
私は、椅子から身体を乗り出した。
「どうしたの?」
「あのね。今日、行きたいところがあるの」
「うん。どこ?」
カトレアは、両手を膝の上で重ねた。
それから、ゆっくり私を見上げる。
「……前のお父さんと、お母さんのところ」
…………。
私は、すぐに頷いた。
「……お墓参りだね」
「うん」
そうか。
明日は、カトレアの誕生日。
だから、その前に。
……うん。
それは、とても大切なことだ。
◇
「もちろん、行こう」
私は、できるだけ普段どおりに答えた。
「お花も持っていこうか」
「……うん!」
カトレアの表情が、少しだけ和らいだ。
向かいの巴さんも、そっと頷く。
「あら、それなら、お庭の花を少し摘んでいきましょうね」
「いいの?」
「もちろんよ。カトレアちゃんが選んだお花なら、きっと喜んでくださるわ」
……ああ。
巴さんって、本当にすごいね。
こういうとき、無理に明るくしたり、悲しそうな顔をしたりしない。
いつもと同じ優しさで、そばにいてくれる。
桜花も、静かにカトレアへ目を向けていた。
「お出かけの際は、私もご一緒いたします」
「ありがとう、桜花!」
◇
朝食のあと、私たちは庭へ出た。
よく手入れされた花壇。
小さな花が、風に揺れている。
カトレアは、しゃがんで一輪ずつ確かめていた。
……うん。
いつもは、綺麗な花を見つけると嬉しそうに名前を教えてくれるんだけど。
今日は、少し真剣な顔だ。
「これ、お母さんが好きだった色なの」
カトレアが選んだのは、淡い青色の小さな花。
「そうなんだ」
「うん。それからね、お父さんは白いお花も好きだったよ」
……おお。
じゃあ、両方持っていこう。
私は、そっと頷いた。
「好きだった花を覚えてるんだね」
「……うん」
カトレアが、小さく笑う。
それが、何より嬉しかった。
◇
摘んだ花を、巴さんが優しく束ねてくれた。
青と白。
その間に、庭に咲いていた小さな黄色い花を少し。
カトレアは、できあがった花束を両手で受け取った。
「……きれい」
「うん。とっても綺麗だね」
「お母さん、喜ぶかな」
「きっとね」
私は答えた。
カトレアが大切に選んだ花だ。
その気持ちは、きっと届いてほしい。
「準備できた?」
「うん!」
……よし。
今日は、王都へ行こう。
◇
庭の端では、モフ太がこちらを見ていた。
小さな姿になっていても、立派なSランクの魔獣。
王都の中へ連れていくわけにはいかない。
「モフ太。今日はお留守番、お願いね」
私が言うと、モフ太が落ち着いた声で答えた。
「承知いたしました、ご主人様」
「ごめんね」
カトレアが、その頭を撫でる。
「帰ったら、いっぱいモフモフするからね!」
「……お待ちしております、カトレア」
……うん。
今日は、アレックスの話は出さなかったね。
私は、花束を抱えたカトレアを見た。
「じゃあ、行こうか」
◇
王都クーラルへ入ると、朝の通りにはいつもの賑わいがあった。
店先で商品を並べる人。
荷物を運ぶ商人。
小さな子どもたちの笑い声。
……うん。
みんな、普通の一日を過ごしている。
カトレアは、私の手を握って歩いていた。
もう片方の手には、花束。
桜花は、少し後ろから静かに付き添っている。
今日は寄り道をしないことにした。
雑貨屋の看板も。
焼き菓子の匂いも。
今は、あとでいい。
向かう場所は、王都の墓地だ。
◇
王都の墓地は、賑やかな通りから少し離れたところにあった。
石の門。
整えられた小道。
その左右に、静かに並ぶ墓石。
風が吹くたび、木の葉が柔らかく揺れる。
……ああ。
静かな場所だね。
カトレアの両親が亡くなったのは、あの森での事件だった。
馬車が襲われた、あの日。
門兵が遺体の引き取りを手配してくれて、その後、王都の墓地で二人が弔われた。
カトレアにとって、忘れることのできない出来事だ。
……私も、忘れていない。
今ここへ来られたことを、大切にしたかった。
◇
「……こっちだよ」
カトレアが、小さく言った。
私は、その手を握ったまま歩く。
桜花は、何も言わずに付いてきた。
やがて、カトレアが足を止めた。
二つ並んだ墓石。
花を供えるための、小さな場所もある。
……うん。
ここなんだね。
「お父さん。お花、置いてもいい?」
「もちろん」
カトレアは、ゆっくりしゃがんだ。
そして、両手に抱えた花束を、二つの墓石の前へそっと置いた。
青と白の花。
風に揺れる、小さな黄色。
……綺麗だね。
◇
カトレアは、しばらく墓石を見つめていた。
私は、少し離れて立つ。
桜花も、隣に並んだ。
言葉をかけようとして、やめた。
今は、カトレアの時間だ。
……うん。
私たちが何かを言わなくても、いい。
やがて、カトレアが口を開いた。
「……お父さん、お母さん」
小さくて、でも、はっきりした声だった。
「わたしね、明日で十歳になるの」
風が、花束の上を通り過ぎた。
「お花のお勉強もしてるよ。お友達もできたの」
私は、そっと目を伏せる。
カトレアの声が、続いた。
「それから……」
少しだけ、間が空いた。
◇
「お父さん、お母さん、私はもう大丈夫だよ。今はとても幸せです」
…………。
その言葉が、静かな墓地に落ちた。
私は、何も言えなかった。
……ああ。
この子は、ちゃんと覚えている。
あの日のことも。
大好きだった、お父さんとお母さんのことも。
それでも、今は幸せだと言ってくれた。
……うん。
それが、どれほど大きなことなのか。
私は、きっと全部は分からない。
ただ。
ここに一緒に来られて、よかったと思った。
◇
「今ね、もう一人、お父さんがいるんだよ」
カトレアは、墓石へ向けて続けた。
「とっても優しくて、時々変なこともするの」
…………。
……おや。
それ、私のこと?
「巴さんはね、お料理がすごく上手なの。それから桜花も、楓も、みんな優しいんだよ」
カトレアは、少しだけ笑った。
「ニーナちゃんっていうお友達もできたんだ」
……ああ。
話したいことが、いっぱいあるんだね。
私は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
あの日、家へ連れて帰った小さな女の子は。
今では、誰かに話したいほど、たくさんの毎日を過ごしている。
◇
「だからね、心配しないで」
カトレアは、墓石へ小さく頭を下げた。
「これからも、元気にするね」
……うん。
それでいい。
いつも元気じゃなくても、いい。
寂しい日があったら、寂しいと言っていい。
でも、今日のカトレアは、自分の言葉でそう伝えたかったんだね。
私は、その背中を静かに見守った。
しばらくして、カトレアが立ち上がる。
こちらへ振り向いた目が、少しだけ潤んでいた。
「……お父さん」
「うん?」
「来てくれて、ありがとう」
……ああ。
「こちらこそ。連れてきてくれて、ありがとう」
私は、そう答えた。
◇
カトレアが、私へ手を伸ばした。
私は、その手を握る。
小さな指。
いつもと同じ温かさ。
……でも。
今日だけは、少し違って感じた。
「ねえ、お父さん」
「なあに?」
「明日、楽しい日にしようね」
「もちろん!」
私は、笑って頷いた。
「この家で初めての誕生日だから、盛大にやろうね」
「……えへへ!」
カトレアが、ようやくいつもの笑顔を見せた。
……うん。
それで、十分。
後ろでは、桜花が静かに目を細めていた。
◇
墓地を出る前に、私も二つの墓石へ向き直った。
少しだけ、頭を下げる。
……初めまして、ではないのかもしれない。
あの日、森で出会っている。
けれど、こうしてご挨拶するのは、また別だ。
カトレアは、これからも私の大切な娘です。
……うん。
心の中で、そう伝えた。
私は、亡くなった二人の代わりにはなれない。
なるつもりもない。
ただ、カトレアが安心して帰れる場所を、これからも守っていこう。
その約束だけは、胸を張ってできる。
花束の青い花が、小さく揺れていた。
◇
帰り道。
カトレアは、いつものように街の花壇を見つけて足を止めた。
「お父さん、あのお花、見たことある?」
「……ええと。何だっけ」
「ニーナちゃんがね、名前を教えてくれたの!」
……おお。
早速、授業が始まった。
カトレアが、小さな花の特徴を楽しそうに説明してくれる。
私は、頷きながら聞いた。
……うん。
今日、墓地で泣いても。
帰りには、花の話で笑っていい。
その両方が、カトレアの一日なんだよね。
「お父さん、ちゃんと聞いてる?」
「もちろん!」
「じゃあ、今の花の名前は?」
…………。
……あっ。
「……もう一回、教えてください」
カトレアが、くすっと笑った。
……ああ。
今日も、娘の先生は厳しいなぁ。
◇
王都の通りを歩いて、私たちは屋敷へ戻った。
玄関を開けると、巴さんが迎えてくれる。
「あら、お帰りなさい」
「ただいま!」
カトレアは、花束を持っていない両手を広げた。
「お墓、行ってきたよ!」
「そう。お花、ちゃんとお供えできた?」
「うん! 綺麗にできたよ!」
巴さんが、そっとカトレアの頭を撫でる。
「よかったわねぇ」
……ああ。
カトレア、いい顔をしてる。
少し泣いたあとみたいに目元は赤いけれど、今は笑っている。
私は、その表情を見て安心した。
無理して笑ってるようには、見えない。
……うん。
よかった。
◇
「ねえ、巴さん」
「なあに?」
「明日のケーキ、わたしも少しだけ作っていい?」
……えっ。
主役自ら、ケーキ作りに参加!?
私は、驚いてカトレアを見た。
巴さんは、楽しそうに頷く。
「もちろん。飾りつけを一緒にしましょうか」
「やった!」
……ああ。
そうか。
誕生日だからって、全部誰かにしてもらいたいわけじゃないんだね。
自分で楽しむ時間も、欲しいんだ。
「じゃあ、お父さんも手伝おうか?」
「お父さんは、明日まで見ちゃ駄目!」
…………。
……あっ。
「秘密なの?」
「うん! 巴さんと作るの!」
……おお。
まさかの、父親だけ仲間外れ。
……いや。
可愛い秘密だから、いいけどね。
◇
巴さんは、ふふっと笑った。
「リアリスちゃんには、ほかのお仕事をお願いしようかしら」
「……はい」
「お庭の飾りと、お客様の席を考えてくれる?」
「任せてください!」
……よし。
それなら、私にもできる。
「でも、飾りを増やしすぎないでね」
「……はい」
…………。
……あれ。
私、そんなに信用されてないのかな。
桜花が、隣で静かに微笑んだ。
……うん。
否定、してくれないね。
◇
午後。
私は、庭に置く椅子の数を考えていた。
明日は、屋敷のみんなにも集まってもらいたい。
もちろん、学校や各邸のお仕事を止めるわけにはいかないから、交代で来てもらうつもりだ。
……うん。
カトレアが大好きなフラワーズたちにも、声をかけておこう。
「桜花、椅子はこのくらいで足りるかな?」
「必要でしたら、追加の準備も可能でございます」
「そっか」
……ああ。
気づけば、すっかり大きな家族になったね。
初めは、一人でのんびり暮らすつもりだったのに。
今は、みんなで娘の誕生日を祝う準備をしている。
……うん。
こういう予定なら、忙しくても嬉しいな。
◇
「旦那様」
背後から、セバスの声がした。
「……ん?」
振り返ると、いつもどおりの落ち着いた顔。
ただし、手には一枚の書状がある。
「シルク王国の冒険者ギルドより、連絡が届いております」
「ギルドから?」
「はい。ギルドマスターのシルベスター様が、旦那様へお会いしたいとのことでございます」
……おっ。
シルベスターさん?
最近は学校や国宝のことで忙しくて、あまり顔を出してなかったんだよね。
「何かあったのかな」
「王城から、緊急の討伐依頼に関する連絡があったそうです」
…………。
……あれ。
急に、嫌な予感が。
◇
書状を受け取って、内容を確かめた。
王国から、緊急の依頼。
ギルドマスターが詳細を説明したい。
そして、可能なら国王との面会をお願いしたい。
……うん。
嫌な予感、当たったね。
「明日は、カトレアの誕生日なのに……」
私は、小さく呟いた。
桜花が、こちらを見る。
「面会だけであれば、本日中に済ませられるかと存じます」
「……そうだね」
……明日は、絶対に空けたい。
今日のうちに話だけでも聞いておこう。
「セバス。申し訳ないけど、少し出かけてくるよ」
「承知いたしました。こちらの準備は、わたくしにお任せください」
「ありがとう」
……ああ。
こういうとき、セバスがいてくれてよかった。
◇
私は、カトレアのいる厨房の前へ向かった。
中からは、巴さんの楽しそうな声が聞こえる。
「カトレアちゃん、苺はそちらに並べましょうね」
「うん!」
……おお。
もう、ケーキの準備が始まってるんだね。
私は、扉の外から声をかけた。
「カトレア。お父さん、ちょっとギルドに行ってくるね」
「……お父さん?」
小さな足音。
扉の隙間から、カトレアが顔を覗かせる。
「すぐ帰ってくる?」
「うん。今日はお話だけの予定だから」
「……そっか!」
カトレアは、ほっとしたように笑った。
「明日は、ずっと一緒?」
「もちろん!」
私は、即答した。
……うん。
明日だけは、譲れない。
◇
ギルドへ向かう途中、私は桜花へ尋ねた。
「……急な討伐依頼って、何だろうね」
「詳細は、まだ分かりません」
「……だよね」
王都の通りには、いつもの人通り。
屋台の呼び込み。
荷車の車輪の音。
……うん。
この街は、今日も平和に見える。
だけど、王城から緊急の連絡が来たということは、どこかで問題が起きているんだろう。
それは、分かる。
分かるけれど。
明日である必要は、ないよね?
……いや。
もう、今から妙な予感がしてるけど。
◇
冒険者ギルドへ入ると、受付のリリーナさんがこちらに気づいた。
「あ、リアリスさん」
「こんにちは。シルベスターさん、いますか?」
「はい。応接室でお待ちです」
……おお。
待っててくれたんだ。
リリーナさんは、少し声を落とした。
「王城から、正式な使いの方も来られていたんです」
「……そうなんだ」
「詳しいことは、ギルドマスターからお聞きください」
「分かりました」
私は、桜花と一緒に奥へ向かった。
……うん。
受付で話せないようなことなのかな。
ますます、面倒な予感がしてきたね。
◇
応接室の扉を叩く。
「入れ」
聞き慣れた、低い声。
「失礼します」
中には、シルベスターさんがいた。
大きな身体。
鍛えられた肩。
そして、いつもの険しい顔。
……うん。
今日は、いつも以上に険しいような。
「よく来たな、リアリス」
「こんにちは。何かあったんですか?」
シルベスターさんは、私を見るなり深いため息をついた。
「……お前、明日は予定があるんだったな」
「はい。娘の誕生日です」
「そうか」
……ん?
どうして、最初にそれを聞くんだろう。
◇
「……まさか、明日の話ですか?」
私は、思わず身を乗り出した。
シルベスターさんは、もう一度ため息をついた。
「先に言っておくが、俺が持ち込んだ話じゃない」
「……えっ」
「王城から、直接お前に依頼したいと連絡が来たんだ」
……ああ。
なるほど。
ギルドが普通に持ってきた依頼じゃないんだね。
「何の依頼なんです?」
「北方の街道付近で、危険な魔獣の群れが確認された。近くの砦から、緊急の報告があったらしい」
「……それは、大変ですね」
「そうだな。だが、まだ被害は限られている」
……うん。
それなら、今すぐに町が壊滅するような状況ではないのかな。
「王は、お前の力でまとめて片づけたいと考えているらしい」
……あっ。
その言い方。
……また、私頼み?
◇
「シルベスターさんは、どう思います?」
「まず、詳しい報告を確認したい。それから、ギルドにいる冒険者で対応できるか判断する」
……おお。
すごく、まとも。
……いや。
ギルドマスターなんだから、当たり前なのかな。
「俺を通さず、お前に話を進めるのは困る」
シルベスターさんは、机を軽く指で叩いた。
「だから、俺も王城へ行く」
「……一緒に?」
「当然だ。依頼の内容、報酬、危険度、それから冒険者の手配。確認することが山ほどある」
……ああ。
そういうことか。
依頼として受けるなら、ギルドマスターがいるべきなんだね。
「むしろ、俺抜きで勝手に決めるなよ?」
「……はい」
……うん。
言われなくても、今日は決めるつもりないけどね。
◇
シルベスターさんは、棚から書類を一枚取り出した。
「国王陛下には、すでに面会の許可を取ってある」
「……おお」
「お前が来たら、俺が王城まで案内する」
「助かります」
私は、頷いた。
……うん。
これなら、王城へ行ってから突然知らない依頼を押しつけられるより、ずっといい。
シルベスターさんが、桜花へ目を向ける。
「桜花も、行くんだな」
「はい。リアリス様のお供をいたします」
「……そうか」
シルベスターさんは、なぜか少し安心した顔をした。
……ん?
桜花がいると、何か違うのかな。
……まあ、頼もしいのは確かだけどね。
◇
王城へ向かう馬車の中で、シルベスターさんは資料を読んでいた。
王城から届けられた、北方の状況報告だ。
私は、隣で窓の外を眺める。
……うん。
今日、墓地で見た花束の色を思い出す。
青と白。
カトレアが、自分で選んだ花。
……ああ。
明日は、あの子の誕生日なんだ。
私は、シルベスターさんへ尋ねた。
「……もし三日も家を空けるような依頼だったら、断ってもいいですよね」
…………。
シルベスターさんが、書類から顔を上げた。
「……三日?」
「何となく、嫌な予感がするんです」
彼は、一瞬考えてから頷いた。
「冒険者への依頼は、受けるかどうかを本人が決めるものだ」
「……ですよね!」
「ただし、危険な仕事を誰かに頼むなら、筋は通す必要がある」
……うん。
それは、私もそう思う。
◇
「お前が断ったら、俺が別の冒険者を手配する」
シルベスターさんは、そう続けた。
「人手が足りなければ、複数のパーティを組ませる。それが俺の仕事だ」
……おお。
格好いい。
冒険者ギルドの長って、こういうところが頼りになるよね。
「ありがとうございます」
「……礼を言う前に、今日の話を聞け」
「……はーい」
……うん。
確かに、まだ詳しいことは分かってない。
私は、背筋を伸ばして座り直した。
でも。
カトレアとの約束だけは、もう決めている。
今日、墓前で聞いたあの言葉。
そして、明日を楽しみにしている笑顔。
……それは、何より大切だ。
◇
王城へ着くと、兵士が私たちを迎えてくれた。
シルベスターさんが書状を見せると、すぐに奥へ通される。
……おお。
手続きが早い。
私一人だったら、まず何の用事で来たのか説明するところからだっただろうね。
「シルベスターさん、ありがとうございます」
「まだ何もしていない」
「いえ。王城へ入るだけで、もう助かってます」
「……お前は本当に」
シルベスターさんが、少し呆れた顔をした。
……あれ。
褒めてるんだけどなぁ。
桜花が、隣で静かに一礼する。
……うん。
今日も、いつもどおりだね。
◇
案内されたのは、王城の奥にある一室だった。
広い机。
壁に掛けられた王国の地図。
そして、机の向こうにはカバディ王。
隣には、宰相のミキサーさんもいる。
……ああ。
今回は、国の偉い人が揃ってるんだね。
「よく来てくれた、リアリス殿」
カバディ王が、声をかける。
「こんにちは、国王」
私は、軽く頭を下げた。
シルベスターさんは、いつものようにきちんと礼を取っている。
……うん。
この人、こういう場所だと本当にちゃんとしてるね。
……いや。
ギルドマスターなんだから、当然か。
◇
「シルベスターも、同席するのか」
国王が、少し意外そうに尋ねた。
「はい、陛下」
シルベスターさんが、低い声で答える。
「今回のお話は、冒険者ギルドを通じた依頼として承りたいと考えております」
「……ふむ」
「危険度の判断と、ほかの冒険者の手配も、我々の責務ですので」
……おお。
しっかりしてるなぁ。
ミキサーさんが、シルベスターさんへ頷いた。
「もっともな話です。報告書も用意しております」
……うん。
ギルドマスターが来た理由、ちゃんと伝わったみたいだね。
よかった。
◇
国王は、机の上に地図を広げた。
「北方の街道で、危険な魔獣の群れが確認された」
「……はい」
「現地の砦からは、巡回路の一部が使えなくなったと報告がある」
ミキサーさんが、補足する。
「近隣の集落には避難の準備を伝えています。現時点で大きな被害は出ていませんが、放置はできません」
……うん。
それは、確かに大変だ。
私は、地図へ目を落とした。
王都から、ずいぶん離れた場所。
山と森が入り組んでいる。
……ああ。
現地へ行くだけでも、普通の冒険者なら時間がかかりそうだ。
「依頼というのは、討伐ですか?」
「調査と討伐だ」
国王が答えた。
◇
「群れの正確な規模は、まだ分からぬ」
ミキサーさんが、地図の一か所を指した。
「まずは巣を探し、街道と集落への危険を取り除いていただきたいのです」
「……なるほど」
巣を探す。
周辺も調べる。
必要なら討伐する。
……うん。
思ったより、やることが多そうだね。
「どのくらいかかる想定ですか?」
私が尋ねると、国王は少しだけ身を乗り出した。
「そなたの《転移》を使えば移動は早い。だが、探索と安全確認には時間が必要だろう」
……うん。
「およそ、三日間だ」
…………。
…………。
……三日!?
◇
「……三日、ですか」
私は、聞き返した。
「うむ。現地の地形が複雑でな。一日では終わらぬと見ている」
……ああ。
嫌な予感、当たっちゃった。
私は、思わずシルベスターさんを見た。
彼は、何とも言えない顔で頷いた。
……うん。
さっきの馬車の中の話、覚えてるよね。
「国王。申し訳ありませんが、その依頼は受けられません」
私は、はっきり伝えた。
国王が、目を丸くする。
「……何?」
「明日は、娘の誕生日なんです」
……うん。
理由は、それだけ。
でも、私にとっては十分な理由だ。
◇
「……誕生日?」
「はい。十歳になります」
国王は、少し考えた。
「祝いの準備があるのか」
「あります」
「では、せめて一日だけ……」
「明日は、一日空けています」
私は、即答した。
国王が、口を閉じる。
……うん。
そこは譲れないんだ。
「明後日からなら、改めて相談できます。でも、今回の依頼は明日から三日間ですよね?」
「……うむ」
「でしたら、ほかの方にお願いしてください」
……ああ。
自分でも、こんなにはっきり断るとは思ってなかった。
だけど、今日のカトレアの顔を見たら。
……もう、迷う理由がない。
◇
「リアリス殿」
国王が、少し困ったように言った。
「北方の住民たちの安全がかかっておる。そなたなら、速やかに解決できるだろう」
「……それは、分かっています」
「王国のためにも、力を貸してはくれぬか」
…………。
私は、しばらく黙った。
困っている人を助けたくないわけじゃない。
むしろ、できることなら力を貸したい。
でも。
私が動かなければ、誰も動けないというわけではない。
この国には、冒険者がいる。
兵士だっている。
それに。
私には、守りたい約束がある。
◇
「陛下」
シルベスターさんが、静かに口を開いた。
「今回の依頼は、ギルドでも対応を検討できます」
国王が、彼へ目を向ける。
「しかし、時間が……」
「至急、経験のある冒険者を集めます。必要なら複数のパーティを組ませ、砦の兵士とも連携させます」
……おお。
ほらね。
ちゃんと、ほかの方法がある。
「危険を軽く見るつもりはございません。ですが、一人の冒険者の私事を無視して、依頼を強制することはできません」
シルベスターさんの声は、落ち着いていた。
……うん。
言うべきことを、きちんと言ってくれる人だ。
心強いなぁ。
◇
国王は、腕を組んだ。
「……そなたほどの力があれば、安心なのだが」
……ああ。
まだ、言う?
私は、少しだけ息を吐いた。
国王にも、国を守りたい気持ちはあるんだろう。
でも、今日の私には。
明日の約束を後回しにする理由が、どうしても見つからなかった。
……だって。
あの子は、今日、実の両親のお墓に花を供えたんだ。
そして、自分は今、幸せだと言ってくれた。
明日は、その子が十歳になる日。
この家で、初めて祝う誕生日。
私は、あの笑顔を見たい。
◇
その気持ちが、つい口から漏れた。
「……カトレアの誕生日を祝えないくらいなら、国が滅んで依頼そのものがなくなればいい」
…………。
…………。
……あっ。
しまった。
声に、出てた?
私は、顔を上げた。
国王が、固まっていた。
ミキサーさんも、手に持っていた書類を止めている。
シルベスターさんは、額を押さえていた。
…………。
……ああ。
聞こえちゃったみたいだね。
◇
「……リ、リアリス殿」
国王の声が、少し震えた。
「い、今のは……」
…………。
私は、困ってしまった。
脅すつもりなんて、なかった。
誰かに聞かせようとして、言ったわけでもない。
ただ。
それくらい、カトレアの誕生日を大切にしたかった。
……本当に、それだけ。
「……すみません。独り言です」
私は、正直に答えた。
「王国をどうこうするつもりで言ったわけじゃありません。ただ、明日は家族との約束を守りたいんです」
…………。
国王は、私を見つめたままだった。
……うん。
もう少し、言葉は選んだ方がよかったかな。
◇
「……陛下」
ミキサーさんが、静かに口を開いた。
「私からも、申し上げます」
国王が、はっとしたように振り向く。
「ギルドから代替の手配を受けるのが、最善かと」
「……そ、そうだな」
国王が、大きく頷いた。
……あれ。
急に、話が進んだ。
「ミキサー!」
「はい、陛下」
「ただちに、ほかの冒険者を手配せよ。必要な報酬と人員は、ギルドマスターと相談するのだ!」
「承知いたしました」
……おお。
決断、早いね。
……いや。
その。
今の独り言のせい、かな?
◇
シルベスターさんは、深いため息をついた。
「……陛下。ギルドで、責任を持って手配いたします」
「うむ。頼んだぞ」
「はっ」
ミキサーさんは、すぐに書類を整理し始めた。
北方の地図。
砦からの報告。
任務に必要な人数。
依頼の報酬。
……うん。
ちゃんと、話し合いが始まった。
私は、少し離れた椅子に座る。
……ああ。
よかった。
私が三日間いなくても、進められる話なんだね。
……いや。
シルベスターさんには、負担を増やしちゃったけど。
◇
「リアリス殿」
国王が、少し落ち着いた声で呼んだ。
「……はい」
「そなたの娘の誕生日を、邪魔するつもりはなかった」
「……ありがとうございます」
「ただ、住民のことが心配でな」
「それは、分かっています」
私は、頷いた。
「でも、国には冒険者ギルドもありますから。みんなで守ればいいと思うんです」
国王が、ゆっくり視線を落とす。
……うん。
私一人じゃなくても、できることはある。
それを知ってくれたら、嬉しいな。
「……そうだな」
国王が、静かに答えた。
◇
しばらくして、依頼の内容がまとまった。
ギルドから経験のある冒険者たちを集める。
砦の兵士と連携し、危険な場所を分担して調べる。
群れの規模が分かり次第、適切な戦力で対応する。
……うん。
これなら、無理のない方法だと思う。
シルベスターさんも、納得したように頷いた。
「今夜中に、必要な人員へ連絡する」
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、彼は少しだけ眉を上げた。
「礼を言われることじゃない。ギルドマスターの仕事だ」
……ああ。
格好いいなぁ。
私には、ああいう仕事は向いてなさそうだね。
◇
王城を出たところで、私はシルベスターさんへ声をかけた。
「今日は、ありがとうございました」
「……まったく」
シルベスターさんは、眉間を押さえた。
「お前は、相変わらず王の前で、とんでもないことを言うな」
「……すみません」
「しかも、独り言だと?」
「……はい」
…………。
シルベスターさんは、一度空を見上げた。
「……あのな、リアリス」
「はい」
「お前が本気で言っているのは、分かった。だからこそ、余計に困るんだ」
……うん。
私も、少し反省した。
明日の誕生日を大切にすることと、言葉の選び方は別の問題だもんね。
◇
「でも、ひとつだけ言わせてください」
私は、シルベスターさんを見た。
「私は、明日の約束を守りたいんです」
「……分かっている」
彼は、短く答えた。
「だから、別の冒険者を手配する」
「ありがとうございます」
「その代わり、今後は早めに予定を伝えろ」
「……はい」
……おお。
予定を先に伝えておけば、こういうことも減るかもしれないね。
私は、少しだけ笑った。
「シルベスターさんも、よかったら明日来てくださいね」
「……明日?」
「カトレアの誕生日会です」
…………。
シルベスターさんが、目を瞬かせた。
◇
「俺は、そんなに暇じゃない」
「……あっ。そうですよね」
今夜から、緊急依頼の手配もあるんだもんね。
私は、頷いた。
「無理はしないでください」
シルベスターさんは、少し黙った。
「……仕事が片づいたら、顔くらいは出せるかもしれん」
……おっ!
「本当ですか?」
「約束はできんぞ」
「それでも、嬉しいです!」
私は、思わず笑った。
……うん。
来てくれたら、カトレアも喜ぶだろうな。
シルベスターさんが、困ったように視線を逸らした。
「……さっさと帰れ。娘が待ってるんだろう」
「はい!」
◇
私は、桜花と一緒に王都の門を出た。
夕方の風が、少し涼しい。
……ああ。
今日は、いろいろあったね。
朝は、お墓参り。
昼は、誕生日の準備。
午後は、ギルドと王城。
……うん。
結構、忙しかった。
でも。
大事な約束は、守れた。
「桜花」
「はい、リアリス様」
「明日は、誰にも邪魔されずにお祝いできそうだね」
「はい」
桜花が、静かに微笑んだ。
「カトレア様も、お喜びになることでしょう」
……ああ。
楽しみだなぁ。
◇
屋敷に戻ると、庭から甘い匂いがしてきた。
……おっ。
何だろう。
私は、思わず鼻を動かした。
厨房の方から、焼き菓子の匂い。
……ああ。
明日のケーキの準備、まだ続いてるんだね。
「お父さん!」
玄関の奥から、カトレアが走ってきた。
水色のおかっぱ頭が、ふわりと揺れる。
「ただいま、カトレア」
「お帰りなさい!」
カトレアは、私の手を握った。
……うん。
あの花束を持っていたのと、同じ手だ。
私は、そっと握り返した。
◇
「お父さん、明日は一緒?」
「もちろん!」
「やった!」
カトレアが、嬉しそうに飛び跳ねる。
……ああ。
今日、王城で断ってよかった。
こんな笑顔を見たら、三日も家を空ける気にはなれない。
「……そのかわり」
私は、少しだけ声を落とした。
「明日は、お父さんもいっぱい楽しむからね」
「うん!」
「それに、カトレアがやりたいことがあったら、何でも言ってね」
カトレアは、少し考えた。
それから、小さな声で言った。
「……みんなと、一緒がいい」
…………。
……ああ。
それが、一番いいね。
「うん。みんなでお祝いしよう」
◇
夕食の席では、巴さんが明日の準備を楽しそうに話していた。
「ケーキの飾りつけは、明日のお楽しみね」
「はい!」
カトレアは、嬉しそうに頷く。
……うん。
私は、何も知らない。
完全に秘密だ。
その横で、桜花が小さく微笑んでいる。
……あれ。
桜花は、知ってるのかな。
「桜花、ケーキってどんな感じ?」
「当日までのお楽しみでございます」
…………。
……おお。
味方が、いない。
私は、思わず笑った。
……まあ、いいか。
楽しみは、明日に取っておこう。
◇
食後、カトレアは少しだけ私の隣へ寄ってきた。
「ねえ、お父さん」
「なあに?」
「今日、お墓に行けてよかった」
私は、静かに頷いた。
「うん。私も、一緒に行けてよかったよ」
「……お父さん」
「うん?」
「また、行ってもいい?」
…………。
私は、カトレアの頭をそっと撫でた。
「もちろん。何度でも行こう」
「……うん!」
カトレアが、安心したように笑う。
……そうだね。
誕生日の前じゃなくても。
何か伝えたいことがあったら、いつでも。
それでいいんだ。
◇
しばらくして、カトレアは眠くなったのか、小さくあくびをした。
巴さんが、優しく声をかける。
「カトレアちゃん。今日は、少し早めに寝ましょうか」
「……うん」
「明日は、楽しい一日になるものね」
……ああ。
そうだった。
いよいよ明日だ。
私は、立ち上がった。
「じゃあ、お父さんも、おやすみを言いに行こうかな」
「うん!」
カトレアは、私の手を握り直した。
……うん。
こうして部屋まで一緒に歩く時間も、大切だね。
◇
部屋の前で、カトレアが振り向いた。
「お父さん」
「なあに?」
「明日、楽しみにしてるね!」
「うん。私も!」
カトレアは、嬉しそうに笑って扉の中へ入っていった。
私は、その背中を見送った。
……ああ。
明日は、きっといい日になる。
今日、墓前に供えた青と白の花が、ふと頭に浮かんだ。
あの花を選んだときも。
墓石の前で、幸せだと言ったときも。
カトレアは、ちゃんと自分の言葉で伝えてくれた。
……うん。
あの子が笑って過ごせるように。
明日も、今日と同じようにそばにいよう。
◇
廊下へ戻ると、桜花が待っていた。
「リアリス様。明日のご予定は、すべて調整済みでございます」
「……おお! ありがとう!」
「セバスからも、各邸への連絡が済んだと報告を受けております」
……ああ。
みんな、手伝ってくれてるんだね。
「それじゃ、あとは明日を迎えるだけか」
「はい」
桜花が、静かに頷く。
……うん。
国宝の事件も終わった。
王城の依頼も、ギルドにお願いした。
今日のお墓参りも、できた。
あとは、家族でお祝いするだけ。
……よし。
今度こそ、安心して眠れそうだね。
◇
私は、窓の外へ目を向けた。
庭には、明日のために用意した飾りが少しだけ見えている。
夕暮れの色が、ゆっくり薄くなっていく。
……ああ。
長い一日だったなぁ。
でも、不思議と疲れていない。
カトレアが、あの花束を墓石へ供えた姿。
そして、帰ってきて笑った顔。
その両方を、私は忘れたくない。
……うん。
明日は、十歳。
この家で迎える、初めての誕生日。
私は、そっと笑った。
「……お誕生日、おめでとうは、明日だね」
桜花が、隣で微笑む。
「はい、リアリス様」
……さあ。
明日は、カトレアを思いきりお祝いしよう。




