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第4話:明日は娘の誕生日です

 今日は、カトレアの九歳最後の日だ。


 明日になれば、十歳。


 ……十歳だよ?


 あの小さかったカトレアが。


 いや、今も小さいんだけど。


 ……それでも、もう十歳。


 私は、朝からどうにも落ち着かなかった。


「リアリスちゃん。パンが冷めちゃうわよ」


「……あっ、はい!」


 巴さんの声で、ようやく朝食へ意識が戻る。


 焼きたてのパン。


 温かなスープ。


 そして、目の前ではカトレアが機嫌よく苺を食べていた。


 ……ああ。


 可愛いなぁ。


     ◇


「お父さん、どうしたの?」


 カトレアが、首を傾げる。


「ううん。明日が楽しみだなって」


「えへへ。わたしも!」


 そう言って、カトレアが笑った。


 ……うん。


 それだけで、なんだか嬉しい。


 初めて、この家で迎える誕生日だ。


 どうせなら、忘れられないくらい楽しい日にしてあげたい。


「明日は、盛大にお祝いしようね」


「ほんと!?」


「もちろん!」


 勢いよく頷いたところで、巴さんがこちらを見た。


「リアリスちゃん?」


「……はい?」


「盛大なのはいいけれど、何でもかんでも買ってきちゃ駄目よ?」


 …………。


 ……あれ。


 まだ何も買ってないのに、見抜かれてる?


     ◇


「お祝いなんだから、多少はいいでしょう?」


「多少ならね」


 巴さんが、にっこり笑う。


 ……うん。


 その笑顔、ちょっと怖い。


「カトレアちゃんが喜ぶことを考えてあげてね。リアリスちゃんが欲しいものを山ほど並べるんじゃなくて」


「……はーい」


 ……ああ。


 先に釘を刺されちゃった。


 でも、明日は明日だ。


 今日は、その準備をしよう。


 庭に飾る花。


 食事。


 ケーキ。


 それから、みんなで集まる時間。


 ……うん。


 考えるだけで楽しいね。


 私は、もう一度カトレアを見た。


 カトレアは、苺をひとつ食べてから、少しだけ目を伏せていた。


 ……ん?


     ◇


「カトレア?」


「……お父さん」


 少し小さな声。


 私は、椅子から身体を乗り出した。


「どうしたの?」


「あのね。今日、行きたいところがあるの」


「うん。どこ?」


 カトレアは、両手を膝の上で重ねた。


 それから、ゆっくり私を見上げる。


「……前のお父さんと、お母さんのところ」


 …………。


 私は、すぐに頷いた。


「……お墓参りだね」


「うん」


 そうか。


 明日は、カトレアの誕生日。


 だから、その前に。


 ……うん。


 それは、とても大切なことだ。


     ◇


「もちろん、行こう」


 私は、できるだけ普段どおりに答えた。


「お花も持っていこうか」


「……うん!」


 カトレアの表情が、少しだけ和らいだ。


 向かいの巴さんも、そっと頷く。


「あら、それなら、お庭の花を少し摘んでいきましょうね」


「いいの?」


「もちろんよ。カトレアちゃんが選んだお花なら、きっと喜んでくださるわ」


 ……ああ。


 巴さんって、本当にすごいね。


 こういうとき、無理に明るくしたり、悲しそうな顔をしたりしない。


 いつもと同じ優しさで、そばにいてくれる。


 桜花も、静かにカトレアへ目を向けていた。


「お出かけの際は、私もご一緒いたします」


「ありがとう、桜花!」


     ◇


 朝食のあと、私たちは庭へ出た。


 よく手入れされた花壇。


 小さな花が、風に揺れている。


 カトレアは、しゃがんで一輪ずつ確かめていた。


 ……うん。


 いつもは、綺麗な花を見つけると嬉しそうに名前を教えてくれるんだけど。


 今日は、少し真剣な顔だ。


「これ、お母さんが好きだった色なの」


 カトレアが選んだのは、淡い青色の小さな花。


「そうなんだ」


「うん。それからね、お父さんは白いお花も好きだったよ」


 ……おお。


 じゃあ、両方持っていこう。


 私は、そっと頷いた。


「好きだった花を覚えてるんだね」


「……うん」


 カトレアが、小さく笑う。


 それが、何より嬉しかった。


     ◇


 摘んだ花を、巴さんが優しく束ねてくれた。


 青と白。


 その間に、庭に咲いていた小さな黄色い花を少し。


 カトレアは、できあがった花束を両手で受け取った。


「……きれい」


「うん。とっても綺麗だね」


「お母さん、喜ぶかな」


「きっとね」


 私は答えた。


 カトレアが大切に選んだ花だ。


 その気持ちは、きっと届いてほしい。


「準備できた?」


「うん!」


 ……よし。


 今日は、王都へ行こう。


     ◇


 庭の端では、モフ太がこちらを見ていた。


 小さな姿になっていても、立派なSランクの魔獣。


 王都の中へ連れていくわけにはいかない。


「モフ太。今日はお留守番、お願いね」


 私が言うと、モフ太が落ち着いた声で答えた。


「承知いたしました、ご主人様」


「ごめんね」


 カトレアが、その頭を撫でる。


「帰ったら、いっぱいモフモフするからね!」


「……お待ちしております、カトレア」


 ……うん。


 今日は、アレックスの話は出さなかったね。


 私は、花束を抱えたカトレアを見た。


「じゃあ、行こうか」


     ◇


 王都クーラルへ入ると、朝の通りにはいつもの賑わいがあった。


 店先で商品を並べる人。


 荷物を運ぶ商人。


 小さな子どもたちの笑い声。


 ……うん。


 みんな、普通の一日を過ごしている。


 カトレアは、私の手を握って歩いていた。


 もう片方の手には、花束。


 桜花は、少し後ろから静かに付き添っている。


 今日は寄り道をしないことにした。


 雑貨屋の看板も。


 焼き菓子の匂いも。


 今は、あとでいい。


 向かう場所は、王都の墓地だ。


     ◇


 王都の墓地は、賑やかな通りから少し離れたところにあった。


 石の門。


 整えられた小道。


 その左右に、静かに並ぶ墓石。


 風が吹くたび、木の葉が柔らかく揺れる。


 ……ああ。


 静かな場所だね。


 カトレアの両親が亡くなったのは、あの森での事件だった。


 馬車が襲われた、あの日。


 門兵が遺体の引き取りを手配してくれて、その後、王都の墓地で二人が弔われた。


 カトレアにとって、忘れることのできない出来事だ。


 ……私も、忘れていない。


 今ここへ来られたことを、大切にしたかった。


     ◇


「……こっちだよ」


 カトレアが、小さく言った。


 私は、その手を握ったまま歩く。


 桜花は、何も言わずに付いてきた。


 やがて、カトレアが足を止めた。


 二つ並んだ墓石。


 花を供えるための、小さな場所もある。


 ……うん。


 ここなんだね。


「お父さん。お花、置いてもいい?」


「もちろん」


 カトレアは、ゆっくりしゃがんだ。


 そして、両手に抱えた花束を、二つの墓石の前へそっと置いた。


 青と白の花。


 風に揺れる、小さな黄色。


 ……綺麗だね。


     ◇


 カトレアは、しばらく墓石を見つめていた。


 私は、少し離れて立つ。


 桜花も、隣に並んだ。


 言葉をかけようとして、やめた。


 今は、カトレアの時間だ。


 ……うん。


 私たちが何かを言わなくても、いい。


 やがて、カトレアが口を開いた。


「……お父さん、お母さん」


 小さくて、でも、はっきりした声だった。


「わたしね、明日で十歳になるの」


 風が、花束の上を通り過ぎた。


「お花のお勉強もしてるよ。お友達もできたの」


 私は、そっと目を伏せる。


 カトレアの声が、続いた。


「それから……」


 少しだけ、間が空いた。


     ◇


「お父さん、お母さん、私はもう大丈夫だよ。今はとても幸せです」


 …………。


 その言葉が、静かな墓地に落ちた。


 私は、何も言えなかった。


 ……ああ。


 この子は、ちゃんと覚えている。


 あの日のことも。


 大好きだった、お父さんとお母さんのことも。


 それでも、今は幸せだと言ってくれた。


 ……うん。


 それが、どれほど大きなことなのか。


 私は、きっと全部は分からない。


 ただ。


 ここに一緒に来られて、よかったと思った。


     ◇


「今ね、もう一人、お父さんがいるんだよ」


 カトレアは、墓石へ向けて続けた。


「とっても優しくて、時々変なこともするの」


 …………。


 ……おや。


 それ、私のこと?


「巴さんはね、お料理がすごく上手なの。それから桜花も、楓も、みんな優しいんだよ」


 カトレアは、少しだけ笑った。


「ニーナちゃんっていうお友達もできたんだ」


 ……ああ。


 話したいことが、いっぱいあるんだね。


 私は、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 あの日、家へ連れて帰った小さな女の子は。


 今では、誰かに話したいほど、たくさんの毎日を過ごしている。


     ◇


「だからね、心配しないで」


 カトレアは、墓石へ小さく頭を下げた。


「これからも、元気にするね」


 ……うん。


 それでいい。


 いつも元気じゃなくても、いい。


 寂しい日があったら、寂しいと言っていい。


 でも、今日のカトレアは、自分の言葉でそう伝えたかったんだね。


 私は、その背中を静かに見守った。


 しばらくして、カトレアが立ち上がる。


 こちらへ振り向いた目が、少しだけ潤んでいた。


「……お父さん」


「うん?」


「来てくれて、ありがとう」


 ……ああ。


「こちらこそ。連れてきてくれて、ありがとう」


 私は、そう答えた。


     ◇


 カトレアが、私へ手を伸ばした。


 私は、その手を握る。


 小さな指。


 いつもと同じ温かさ。


 ……でも。


 今日だけは、少し違って感じた。


「ねえ、お父さん」


「なあに?」


「明日、楽しい日にしようね」


「もちろん!」


 私は、笑って頷いた。


「この家で初めての誕生日だから、盛大にやろうね」


「……えへへ!」


 カトレアが、ようやくいつもの笑顔を見せた。


 ……うん。


 それで、十分。


 後ろでは、桜花が静かに目を細めていた。


     ◇


 墓地を出る前に、私も二つの墓石へ向き直った。


 少しだけ、頭を下げる。


 ……初めまして、ではないのかもしれない。


 あの日、森で出会っている。


 けれど、こうしてご挨拶するのは、また別だ。


 カトレアは、これからも私の大切な娘です。


 ……うん。


 心の中で、そう伝えた。


 私は、亡くなった二人の代わりにはなれない。


 なるつもりもない。


 ただ、カトレアが安心して帰れる場所を、これからも守っていこう。


 その約束だけは、胸を張ってできる。


 花束の青い花が、小さく揺れていた。


     ◇


 帰り道。


 カトレアは、いつものように街の花壇を見つけて足を止めた。


「お父さん、あのお花、見たことある?」


「……ええと。何だっけ」


「ニーナちゃんがね、名前を教えてくれたの!」


 ……おお。


 早速、授業が始まった。


 カトレアが、小さな花の特徴を楽しそうに説明してくれる。


 私は、頷きながら聞いた。


 ……うん。


 今日、墓地で泣いても。


 帰りには、花の話で笑っていい。


 その両方が、カトレアの一日なんだよね。


「お父さん、ちゃんと聞いてる?」


「もちろん!」


「じゃあ、今の花の名前は?」


 …………。


 ……あっ。


「……もう一回、教えてください」


 カトレアが、くすっと笑った。


 ……ああ。


 今日も、娘の先生は厳しいなぁ。


     ◇


 王都の通りを歩いて、私たちは屋敷へ戻った。


 玄関を開けると、巴さんが迎えてくれる。


「あら、お帰りなさい」


「ただいま!」


 カトレアは、花束を持っていない両手を広げた。


「お墓、行ってきたよ!」


「そう。お花、ちゃんとお供えできた?」


「うん! 綺麗にできたよ!」


 巴さんが、そっとカトレアの頭を撫でる。


「よかったわねぇ」


 ……ああ。


 カトレア、いい顔をしてる。


 少し泣いたあとみたいに目元は赤いけれど、今は笑っている。


 私は、その表情を見て安心した。


 無理して笑ってるようには、見えない。


 ……うん。


 よかった。


     ◇


「ねえ、巴さん」


「なあに?」


「明日のケーキ、わたしも少しだけ作っていい?」


 ……えっ。


 主役自ら、ケーキ作りに参加!?


 私は、驚いてカトレアを見た。


 巴さんは、楽しそうに頷く。


「もちろん。飾りつけを一緒にしましょうか」


「やった!」


 ……ああ。


 そうか。


 誕生日だからって、全部誰かにしてもらいたいわけじゃないんだね。


 自分で楽しむ時間も、欲しいんだ。


「じゃあ、お父さんも手伝おうか?」


「お父さんは、明日まで見ちゃ駄目!」


 …………。


 ……あっ。


「秘密なの?」


「うん! 巴さんと作るの!」


 ……おお。


 まさかの、父親だけ仲間外れ。


 ……いや。


 可愛い秘密だから、いいけどね。


     ◇


 巴さんは、ふふっと笑った。


「リアリスちゃんには、ほかのお仕事をお願いしようかしら」


「……はい」


「お庭の飾りと、お客様の席を考えてくれる?」


「任せてください!」


 ……よし。


 それなら、私にもできる。


「でも、飾りを増やしすぎないでね」


「……はい」


 …………。


 ……あれ。


 私、そんなに信用されてないのかな。


 桜花が、隣で静かに微笑んだ。


 ……うん。


 否定、してくれないね。


     ◇


 午後。


 私は、庭に置く椅子の数を考えていた。


 明日は、屋敷のみんなにも集まってもらいたい。


 もちろん、学校や各邸のお仕事を止めるわけにはいかないから、交代で来てもらうつもりだ。


 ……うん。


 カトレアが大好きなフラワーズたちにも、声をかけておこう。


「桜花、椅子はこのくらいで足りるかな?」


「必要でしたら、追加の準備も可能でございます」


「そっか」


 ……ああ。


 気づけば、すっかり大きな家族になったね。


 初めは、一人でのんびり暮らすつもりだったのに。


 今は、みんなで娘の誕生日を祝う準備をしている。


 ……うん。


 こういう予定なら、忙しくても嬉しいな。


     ◇


「旦那様」


 背後から、セバスの声がした。


「……ん?」


 振り返ると、いつもどおりの落ち着いた顔。


 ただし、手には一枚の書状がある。


「シルク王国の冒険者ギルドより、連絡が届いております」


「ギルドから?」


「はい。ギルドマスターのシルベスター様が、旦那様へお会いしたいとのことでございます」


 ……おっ。


 シルベスターさん?


 最近は学校や国宝のことで忙しくて、あまり顔を出してなかったんだよね。


「何かあったのかな」


「王城から、緊急の討伐依頼に関する連絡があったそうです」


 …………。


 ……あれ。


 急に、嫌な予感が。


     ◇


 書状を受け取って、内容を確かめた。


 王国から、緊急の依頼。


 ギルドマスターが詳細を説明したい。


 そして、可能なら国王との面会をお願いしたい。


 ……うん。


 嫌な予感、当たったね。


「明日は、カトレアの誕生日なのに……」


 私は、小さく呟いた。


 桜花が、こちらを見る。


「面会だけであれば、本日中に済ませられるかと存じます」


「……そうだね」


 ……明日は、絶対に空けたい。


 今日のうちに話だけでも聞いておこう。


「セバス。申し訳ないけど、少し出かけてくるよ」


「承知いたしました。こちらの準備は、わたくしにお任せください」


「ありがとう」


 ……ああ。


 こういうとき、セバスがいてくれてよかった。


     ◇


 私は、カトレアのいる厨房の前へ向かった。


 中からは、巴さんの楽しそうな声が聞こえる。


「カトレアちゃん、苺はそちらに並べましょうね」


「うん!」


 ……おお。


 もう、ケーキの準備が始まってるんだね。


 私は、扉の外から声をかけた。


「カトレア。お父さん、ちょっとギルドに行ってくるね」


「……お父さん?」


 小さな足音。


 扉の隙間から、カトレアが顔を覗かせる。


「すぐ帰ってくる?」


「うん。今日はお話だけの予定だから」


「……そっか!」


 カトレアは、ほっとしたように笑った。


「明日は、ずっと一緒?」


「もちろん!」


 私は、即答した。


 ……うん。


 明日だけは、譲れない。


     ◇


 ギルドへ向かう途中、私は桜花へ尋ねた。


「……急な討伐依頼って、何だろうね」


「詳細は、まだ分かりません」


「……だよね」


 王都の通りには、いつもの人通り。


 屋台の呼び込み。


 荷車の車輪の音。


 ……うん。


 この街は、今日も平和に見える。


 だけど、王城から緊急の連絡が来たということは、どこかで問題が起きているんだろう。


 それは、分かる。


 分かるけれど。


 明日である必要は、ないよね?


 ……いや。


 もう、今から妙な予感がしてるけど。


     ◇


 冒険者ギルドへ入ると、受付のリリーナさんがこちらに気づいた。


「あ、リアリスさん」


「こんにちは。シルベスターさん、いますか?」


「はい。応接室でお待ちです」


 ……おお。


 待っててくれたんだ。


 リリーナさんは、少し声を落とした。


「王城から、正式な使いの方も来られていたんです」


「……そうなんだ」


「詳しいことは、ギルドマスターからお聞きください」


「分かりました」


 私は、桜花と一緒に奥へ向かった。


 ……うん。


 受付で話せないようなことなのかな。


 ますます、面倒な予感がしてきたね。


     ◇


 応接室の扉を叩く。


「入れ」


 聞き慣れた、低い声。


「失礼します」


 中には、シルベスターさんがいた。


 大きな身体。


 鍛えられた肩。


 そして、いつもの険しい顔。


 ……うん。


 今日は、いつも以上に険しいような。


「よく来たな、リアリス」


「こんにちは。何かあったんですか?」


 シルベスターさんは、私を見るなり深いため息をついた。


「……お前、明日は予定があるんだったな」


「はい。娘の誕生日です」


「そうか」


 ……ん?


 どうして、最初にそれを聞くんだろう。


     ◇


「……まさか、明日の話ですか?」


 私は、思わず身を乗り出した。


 シルベスターさんは、もう一度ため息をついた。


「先に言っておくが、俺が持ち込んだ話じゃない」


「……えっ」


「王城から、直接お前に依頼したいと連絡が来たんだ」


 ……ああ。


 なるほど。


 ギルドが普通に持ってきた依頼じゃないんだね。


「何の依頼なんです?」


「北方の街道付近で、危険な魔獣の群れが確認された。近くの砦から、緊急の報告があったらしい」


「……それは、大変ですね」


「そうだな。だが、まだ被害は限られている」


 ……うん。


 それなら、今すぐに町が壊滅するような状況ではないのかな。


「王は、お前の力でまとめて片づけたいと考えているらしい」


 ……あっ。


 その言い方。


 ……また、私頼み?


     ◇


「シルベスターさんは、どう思います?」


「まず、詳しい報告を確認したい。それから、ギルドにいる冒険者で対応できるか判断する」


 ……おお。


 すごく、まとも。


 ……いや。


 ギルドマスターなんだから、当たり前なのかな。


「俺を通さず、お前に話を進めるのは困る」


 シルベスターさんは、机を軽く指で叩いた。


「だから、俺も王城へ行く」


「……一緒に?」


「当然だ。依頼の内容、報酬、危険度、それから冒険者の手配。確認することが山ほどある」


 ……ああ。


 そういうことか。


 依頼として受けるなら、ギルドマスターがいるべきなんだね。


「むしろ、俺抜きで勝手に決めるなよ?」


「……はい」


 ……うん。


 言われなくても、今日は決めるつもりないけどね。


     ◇


 シルベスターさんは、棚から書類を一枚取り出した。


「国王陛下には、すでに面会の許可を取ってある」


「……おお」


「お前が来たら、俺が王城まで案内する」


「助かります」


 私は、頷いた。


 ……うん。


 これなら、王城へ行ってから突然知らない依頼を押しつけられるより、ずっといい。


 シルベスターさんが、桜花へ目を向ける。


「桜花も、行くんだな」


「はい。リアリス様のお供をいたします」


「……そうか」


 シルベスターさんは、なぜか少し安心した顔をした。


 ……ん?


 桜花がいると、何か違うのかな。


 ……まあ、頼もしいのは確かだけどね。


     ◇


 王城へ向かう馬車の中で、シルベスターさんは資料を読んでいた。


 王城から届けられた、北方の状況報告だ。


 私は、隣で窓の外を眺める。


 ……うん。


 今日、墓地で見た花束の色を思い出す。


 青と白。


 カトレアが、自分で選んだ花。


 ……ああ。


 明日は、あの子の誕生日なんだ。


 私は、シルベスターさんへ尋ねた。


「……もし三日も家を空けるような依頼だったら、断ってもいいですよね」


 …………。


 シルベスターさんが、書類から顔を上げた。


「……三日?」


「何となく、嫌な予感がするんです」


 彼は、一瞬考えてから頷いた。


「冒険者への依頼は、受けるかどうかを本人が決めるものだ」


「……ですよね!」


「ただし、危険な仕事を誰かに頼むなら、筋は通す必要がある」


 ……うん。


 それは、私もそう思う。


     ◇


「お前が断ったら、俺が別の冒険者を手配する」


 シルベスターさんは、そう続けた。


「人手が足りなければ、複数のパーティを組ませる。それが俺の仕事だ」


 ……おお。


 格好いい。


 冒険者ギルドの長って、こういうところが頼りになるよね。


「ありがとうございます」


「……礼を言う前に、今日の話を聞け」


「……はーい」


 ……うん。


 確かに、まだ詳しいことは分かってない。


 私は、背筋を伸ばして座り直した。


 でも。


 カトレアとの約束だけは、もう決めている。


 今日、墓前で聞いたあの言葉。


 そして、明日を楽しみにしている笑顔。


 ……それは、何より大切だ。


     ◇


 王城へ着くと、兵士が私たちを迎えてくれた。


 シルベスターさんが書状を見せると、すぐに奥へ通される。


 ……おお。


 手続きが早い。


 私一人だったら、まず何の用事で来たのか説明するところからだっただろうね。


「シルベスターさん、ありがとうございます」


「まだ何もしていない」


「いえ。王城へ入るだけで、もう助かってます」


「……お前は本当に」


 シルベスターさんが、少し呆れた顔をした。


 ……あれ。


 褒めてるんだけどなぁ。


 桜花が、隣で静かに一礼する。


 ……うん。


 今日も、いつもどおりだね。


     ◇


 案内されたのは、王城の奥にある一室だった。


 広い机。


 壁に掛けられた王国の地図。


 そして、机の向こうにはカバディ王。


 隣には、宰相のミキサーさんもいる。


 ……ああ。


 今回は、国の偉い人が揃ってるんだね。


「よく来てくれた、リアリス殿」


 カバディ王が、声をかける。


「こんにちは、国王」


 私は、軽く頭を下げた。


 シルベスターさんは、いつものようにきちんと礼を取っている。


 ……うん。


 この人、こういう場所だと本当にちゃんとしてるね。


 ……いや。


 ギルドマスターなんだから、当然か。


     ◇


「シルベスターも、同席するのか」


 国王が、少し意外そうに尋ねた。


「はい、陛下」


 シルベスターさんが、低い声で答える。


「今回のお話は、冒険者ギルドを通じた依頼として承りたいと考えております」


「……ふむ」


「危険度の判断と、ほかの冒険者の手配も、我々の責務ですので」


 ……おお。


 しっかりしてるなぁ。


 ミキサーさんが、シルベスターさんへ頷いた。


「もっともな話です。報告書も用意しております」


 ……うん。


 ギルドマスターが来た理由、ちゃんと伝わったみたいだね。


 よかった。


     ◇


 国王は、机の上に地図を広げた。


「北方の街道で、危険な魔獣の群れが確認された」


「……はい」


「現地の砦からは、巡回路の一部が使えなくなったと報告がある」


 ミキサーさんが、補足する。


「近隣の集落には避難の準備を伝えています。現時点で大きな被害は出ていませんが、放置はできません」


 ……うん。


 それは、確かに大変だ。


 私は、地図へ目を落とした。


 王都から、ずいぶん離れた場所。


 山と森が入り組んでいる。


 ……ああ。


 現地へ行くだけでも、普通の冒険者なら時間がかかりそうだ。


「依頼というのは、討伐ですか?」


「調査と討伐だ」


 国王が答えた。


     ◇


「群れの正確な規模は、まだ分からぬ」


 ミキサーさんが、地図の一か所を指した。


「まずは巣を探し、街道と集落への危険を取り除いていただきたいのです」


「……なるほど」


 巣を探す。


 周辺も調べる。


 必要なら討伐する。


 ……うん。


 思ったより、やることが多そうだね。


「どのくらいかかる想定ですか?」


 私が尋ねると、国王は少しだけ身を乗り出した。


「そなたの《転移》を使えば移動は早い。だが、探索と安全確認には時間が必要だろう」


 ……うん。


「およそ、三日間だ」


 …………。


 …………。


 ……三日!?


     ◇


「……三日、ですか」


 私は、聞き返した。


「うむ。現地の地形が複雑でな。一日では終わらぬと見ている」


 ……ああ。


 嫌な予感、当たっちゃった。


 私は、思わずシルベスターさんを見た。


 彼は、何とも言えない顔で頷いた。


 ……うん。


 さっきの馬車の中の話、覚えてるよね。


「国王。申し訳ありませんが、その依頼は受けられません」


 私は、はっきり伝えた。


 国王が、目を丸くする。


「……何?」


「明日は、娘の誕生日なんです」


 ……うん。


 理由は、それだけ。


 でも、私にとっては十分な理由だ。


     ◇


「……誕生日?」


「はい。十歳になります」


 国王は、少し考えた。


「祝いの準備があるのか」


「あります」


「では、せめて一日だけ……」


「明日は、一日空けています」


 私は、即答した。


 国王が、口を閉じる。


 ……うん。


 そこは譲れないんだ。


「明後日からなら、改めて相談できます。でも、今回の依頼は明日から三日間ですよね?」


「……うむ」


「でしたら、ほかの方にお願いしてください」


 ……ああ。


 自分でも、こんなにはっきり断るとは思ってなかった。


 だけど、今日のカトレアの顔を見たら。


 ……もう、迷う理由がない。


     ◇


「リアリス殿」


 国王が、少し困ったように言った。


「北方の住民たちの安全がかかっておる。そなたなら、速やかに解決できるだろう」


「……それは、分かっています」


「王国のためにも、力を貸してはくれぬか」


 …………。


 私は、しばらく黙った。


 困っている人を助けたくないわけじゃない。


 むしろ、できることなら力を貸したい。


 でも。


 私が動かなければ、誰も動けないというわけではない。


 この国には、冒険者がいる。


 兵士だっている。


 それに。


 私には、守りたい約束がある。


     ◇


「陛下」


 シルベスターさんが、静かに口を開いた。


「今回の依頼は、ギルドでも対応を検討できます」


 国王が、彼へ目を向ける。


「しかし、時間が……」


「至急、経験のある冒険者を集めます。必要なら複数のパーティを組ませ、砦の兵士とも連携させます」


 ……おお。


 ほらね。


 ちゃんと、ほかの方法がある。


「危険を軽く見るつもりはございません。ですが、一人の冒険者の私事を無視して、依頼を強制することはできません」


 シルベスターさんの声は、落ち着いていた。


 ……うん。


 言うべきことを、きちんと言ってくれる人だ。


 心強いなぁ。


     ◇


 国王は、腕を組んだ。


「……そなたほどの力があれば、安心なのだが」


 ……ああ。


 まだ、言う?


 私は、少しだけ息を吐いた。


 国王にも、国を守りたい気持ちはあるんだろう。


 でも、今日の私には。


 明日の約束を後回しにする理由が、どうしても見つからなかった。


 ……だって。


 あの子は、今日、実の両親のお墓に花を供えたんだ。


 そして、自分は今、幸せだと言ってくれた。


 明日は、その子が十歳になる日。


 この家で、初めて祝う誕生日。


 私は、あの笑顔を見たい。


     ◇


 その気持ちが、つい口から漏れた。


「……カトレアの誕生日を祝えないくらいなら、国が滅んで依頼そのものがなくなればいい」


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 しまった。


 声に、出てた?


 私は、顔を上げた。


 国王が、固まっていた。


 ミキサーさんも、手に持っていた書類を止めている。


 シルベスターさんは、額を押さえていた。


 …………。


 ……ああ。


 聞こえちゃったみたいだね。


     ◇


「……リ、リアリス殿」


 国王の声が、少し震えた。


「い、今のは……」


 …………。


 私は、困ってしまった。


 脅すつもりなんて、なかった。


 誰かに聞かせようとして、言ったわけでもない。


 ただ。


 それくらい、カトレアの誕生日を大切にしたかった。


 ……本当に、それだけ。


「……すみません。独り言です」


 私は、正直に答えた。


「王国をどうこうするつもりで言ったわけじゃありません。ただ、明日は家族との約束を守りたいんです」


 …………。


 国王は、私を見つめたままだった。


 ……うん。


 もう少し、言葉は選んだ方がよかったかな。


     ◇


「……陛下」


 ミキサーさんが、静かに口を開いた。


「私からも、申し上げます」


 国王が、はっとしたように振り向く。


「ギルドから代替の手配を受けるのが、最善かと」


「……そ、そうだな」


 国王が、大きく頷いた。


 ……あれ。


 急に、話が進んだ。


「ミキサー!」


「はい、陛下」


「ただちに、ほかの冒険者を手配せよ。必要な報酬と人員は、ギルドマスターと相談するのだ!」


「承知いたしました」


 ……おお。


 決断、早いね。


 ……いや。


 その。


 今の独り言のせい、かな?


     ◇


 シルベスターさんは、深いため息をついた。


「……陛下。ギルドで、責任を持って手配いたします」


「うむ。頼んだぞ」


「はっ」


 ミキサーさんは、すぐに書類を整理し始めた。


 北方の地図。


 砦からの報告。


 任務に必要な人数。


 依頼の報酬。


 ……うん。


 ちゃんと、話し合いが始まった。


 私は、少し離れた椅子に座る。


 ……ああ。


 よかった。


 私が三日間いなくても、進められる話なんだね。


 ……いや。


 シルベスターさんには、負担を増やしちゃったけど。


     ◇


「リアリス殿」


 国王が、少し落ち着いた声で呼んだ。


「……はい」


「そなたの娘の誕生日を、邪魔するつもりはなかった」


「……ありがとうございます」


「ただ、住民のことが心配でな」


「それは、分かっています」


 私は、頷いた。


「でも、国には冒険者ギルドもありますから。みんなで守ればいいと思うんです」


 国王が、ゆっくり視線を落とす。


 ……うん。


 私一人じゃなくても、できることはある。


 それを知ってくれたら、嬉しいな。


「……そうだな」


 国王が、静かに答えた。


     ◇


 しばらくして、依頼の内容がまとまった。


 ギルドから経験のある冒険者たちを集める。


 砦の兵士と連携し、危険な場所を分担して調べる。


 群れの規模が分かり次第、適切な戦力で対応する。


 ……うん。


 これなら、無理のない方法だと思う。


 シルベスターさんも、納得したように頷いた。


「今夜中に、必要な人員へ連絡する」


「ありがとうございます」


 私が頭を下げると、彼は少しだけ眉を上げた。


「礼を言われることじゃない。ギルドマスターの仕事だ」


 ……ああ。


 格好いいなぁ。


 私には、ああいう仕事は向いてなさそうだね。


     ◇


 王城を出たところで、私はシルベスターさんへ声をかけた。


「今日は、ありがとうございました」


「……まったく」


 シルベスターさんは、眉間を押さえた。


「お前は、相変わらず王の前で、とんでもないことを言うな」


「……すみません」


「しかも、独り言だと?」


「……はい」


 …………。


 シルベスターさんは、一度空を見上げた。


「……あのな、リアリス」


「はい」


「お前が本気で言っているのは、分かった。だからこそ、余計に困るんだ」


 ……うん。


 私も、少し反省した。


 明日の誕生日を大切にすることと、言葉の選び方は別の問題だもんね。


     ◇


「でも、ひとつだけ言わせてください」


 私は、シルベスターさんを見た。


「私は、明日の約束を守りたいんです」


「……分かっている」


 彼は、短く答えた。


「だから、別の冒険者を手配する」


「ありがとうございます」


「その代わり、今後は早めに予定を伝えろ」


「……はい」


 ……おお。


 予定を先に伝えておけば、こういうことも減るかもしれないね。


 私は、少しだけ笑った。


「シルベスターさんも、よかったら明日来てくださいね」


「……明日?」


「カトレアの誕生日会です」


 …………。


 シルベスターさんが、目を瞬かせた。


     ◇


「俺は、そんなに暇じゃない」


「……あっ。そうですよね」


 今夜から、緊急依頼の手配もあるんだもんね。


 私は、頷いた。


「無理はしないでください」


 シルベスターさんは、少し黙った。


「……仕事が片づいたら、顔くらいは出せるかもしれん」


 ……おっ!


「本当ですか?」


「約束はできんぞ」


「それでも、嬉しいです!」


 私は、思わず笑った。


 ……うん。


 来てくれたら、カトレアも喜ぶだろうな。


 シルベスターさんが、困ったように視線を逸らした。


「……さっさと帰れ。娘が待ってるんだろう」


「はい!」


     ◇


 私は、桜花と一緒に王都の門を出た。


 夕方の風が、少し涼しい。


 ……ああ。


 今日は、いろいろあったね。


 朝は、お墓参り。


 昼は、誕生日の準備。


 午後は、ギルドと王城。


 ……うん。


 結構、忙しかった。


 でも。


 大事な約束は、守れた。


「桜花」


「はい、リアリス様」


「明日は、誰にも邪魔されずにお祝いできそうだね」


「はい」


 桜花が、静かに微笑んだ。


「カトレア様も、お喜びになることでしょう」


 ……ああ。


 楽しみだなぁ。


     ◇


 屋敷に戻ると、庭から甘い匂いがしてきた。


 ……おっ。


 何だろう。


 私は、思わず鼻を動かした。


 厨房の方から、焼き菓子の匂い。


 ……ああ。


 明日のケーキの準備、まだ続いてるんだね。


「お父さん!」


 玄関の奥から、カトレアが走ってきた。


 水色のおかっぱ頭が、ふわりと揺れる。


「ただいま、カトレア」


「お帰りなさい!」


 カトレアは、私の手を握った。


 ……うん。


 あの花束を持っていたのと、同じ手だ。


 私は、そっと握り返した。


     ◇


「お父さん、明日は一緒?」


「もちろん!」


「やった!」


 カトレアが、嬉しそうに飛び跳ねる。


 ……ああ。


 今日、王城で断ってよかった。


 こんな笑顔を見たら、三日も家を空ける気にはなれない。


「……そのかわり」


 私は、少しだけ声を落とした。


「明日は、お父さんもいっぱい楽しむからね」


「うん!」


「それに、カトレアがやりたいことがあったら、何でも言ってね」


 カトレアは、少し考えた。


 それから、小さな声で言った。


「……みんなと、一緒がいい」


 …………。


 ……ああ。


 それが、一番いいね。


「うん。みんなでお祝いしよう」


     ◇


 夕食の席では、巴さんが明日の準備を楽しそうに話していた。


「ケーキの飾りつけは、明日のお楽しみね」


「はい!」


 カトレアは、嬉しそうに頷く。


 ……うん。


 私は、何も知らない。


 完全に秘密だ。


 その横で、桜花が小さく微笑んでいる。


 ……あれ。


 桜花は、知ってるのかな。


「桜花、ケーキってどんな感じ?」


「当日までのお楽しみでございます」


 …………。


 ……おお。


 味方が、いない。


 私は、思わず笑った。


 ……まあ、いいか。


 楽しみは、明日に取っておこう。


     ◇


 食後、カトレアは少しだけ私の隣へ寄ってきた。


「ねえ、お父さん」


「なあに?」


「今日、お墓に行けてよかった」


 私は、静かに頷いた。


「うん。私も、一緒に行けてよかったよ」


「……お父さん」


「うん?」


「また、行ってもいい?」


 …………。


 私は、カトレアの頭をそっと撫でた。


「もちろん。何度でも行こう」


「……うん!」


 カトレアが、安心したように笑う。


 ……そうだね。


 誕生日の前じゃなくても。


 何か伝えたいことがあったら、いつでも。


 それでいいんだ。


     ◇


 しばらくして、カトレアは眠くなったのか、小さくあくびをした。


 巴さんが、優しく声をかける。


「カトレアちゃん。今日は、少し早めに寝ましょうか」


「……うん」


「明日は、楽しい一日になるものね」


 ……ああ。


 そうだった。


 いよいよ明日だ。


 私は、立ち上がった。


「じゃあ、お父さんも、おやすみを言いに行こうかな」


「うん!」


 カトレアは、私の手を握り直した。


 ……うん。


 こうして部屋まで一緒に歩く時間も、大切だね。


     ◇


 部屋の前で、カトレアが振り向いた。


「お父さん」


「なあに?」


「明日、楽しみにしてるね!」


「うん。私も!」


 カトレアは、嬉しそうに笑って扉の中へ入っていった。


 私は、その背中を見送った。


 ……ああ。


 明日は、きっといい日になる。


 今日、墓前に供えた青と白の花が、ふと頭に浮かんだ。


 あの花を選んだときも。


 墓石の前で、幸せだと言ったときも。


 カトレアは、ちゃんと自分の言葉で伝えてくれた。


 ……うん。


 あの子が笑って過ごせるように。


 明日も、今日と同じようにそばにいよう。


     ◇


 廊下へ戻ると、桜花が待っていた。


「リアリス様。明日のご予定は、すべて調整済みでございます」


「……おお! ありがとう!」


「セバスからも、各邸への連絡が済んだと報告を受けております」


 ……ああ。


 みんな、手伝ってくれてるんだね。


「それじゃ、あとは明日を迎えるだけか」


「はい」


 桜花が、静かに頷く。


 ……うん。


 国宝の事件も終わった。


 王城の依頼も、ギルドにお願いした。


 今日のお墓参りも、できた。


 あとは、家族でお祝いするだけ。


 ……よし。


 今度こそ、安心して眠れそうだね。


     ◇


 私は、窓の外へ目を向けた。


 庭には、明日のために用意した飾りが少しだけ見えている。


 夕暮れの色が、ゆっくり薄くなっていく。


 ……ああ。


 長い一日だったなぁ。


 でも、不思議と疲れていない。


 カトレアが、あの花束を墓石へ供えた姿。


 そして、帰ってきて笑った顔。


 その両方を、私は忘れたくない。


 ……うん。


 明日は、十歳。


 この家で迎える、初めての誕生日。


 私は、そっと笑った。


「……お誕生日、おめでとうは、明日だね」


 桜花が、隣で微笑む。


「はい、リアリス様」


 ……さあ。


 明日は、カトレアを思いきりお祝いしよう。

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