第2話:国宝は森の中?
視界が切り替わった瞬間、湿った土の匂いがした。
頭上には、枝葉を大きく広げた木々。
その隙間から、細い陽光が差し込んでいる。
……うん。
森だね。
知ってたけど、やっぱり森だ。
さっきまでいたエルフ国邸とは、空気がまるで違う。
風が通るたびに葉が揺れ、どこかで鳥が鳴いた。
「桜花。周りは大丈夫?」
「はい。すぐ近くに、人の気配はございません」
「ありがとう」
私は、つないでいた手を離して、足元を確かめた。
柔らかな苔。
露出した木の根。
少し先には、獣道らしい細い道が続いている。
……おお。
ちゃんと安全なところに出られたみたいだね。
◇
まずは、脳内マップを開く。
現在地の赤い点。
そして、少し離れた場所で点滅する青い光。
国宝の反応だ。
森都ベルツリーから約五キロ。
転移先は、その反応から少し距離を置いた場所にした。
……うん。
あまり近くに出て、いきなり鉢合わせしたら困るからね。
「国宝は、あっちみたい」
私は、木々の間を指さした。
「承知いたしました」
桜花が、静かに頷く。
腰には、いつもの日本刀。
……うん。
頼もしい。
でも、できれば抜かずに済むといいな。
相手が誰なのかも、まだ分からないんだし。
◇
木の根を避けながら、ゆっくり進む。
地面は平らじゃない。
場所によっては、草に隠れた小さな窪みもある。
……ああ。
こういうところを、国宝を積んだ運搬隊が一か月も歩くんだね。
それは、大変だ。
私は、歩きながら周囲を見回した。
太い幹。
高い枝。
見たことのない形の葉。
……さすが、エルフ国の森。
植物が元気そうだ。
カトレアが来たら、きっと喜ぶだろうな。
……いや。
今日の目的は、お花見じゃなかった。
ちゃんと国宝を探さないとね。
◇
「リアリス様」
桜花が、すっと立ち止まった。
「……ん?」
「こちらに、足跡がございます」
私は、桜花の視線を追った。
湿った土の上に、いくつかの跡。
大きさは、私の足より少し小さい。
ただし、形がおかしい。
人間の靴とは違う。
先端が細く、地面をえぐったような傷も残っている。
「……爪、かな?」
「そのように見受けられます」
……ふむ。
二本足で歩く魔獣かもしれない。
前回、国宝を盗んだ魔獣も、人型だったよね。
……いやいや。
まだ決めつけない。
足跡だけなら、ほかの魔獣の可能性だってあるんだから。
◇
さらに進むと、少し開けた場所へ出た。
倒木が一本、斜めに横たわっている。
その向こうには、地面を覆う背の低い草。
……うん。
静かだね。
私は、脳内マップを確かめた。
「……あれ?」
青い点は、もう目と鼻の先にある。
間違いなく、この辺りだ。
なのに。
国宝らしいものは、どこにも見えない。
緑色の結晶。
持ち主らしい人影。
荷物を置いた跡。
……何もない。
「……おかしいなぁ」
私は、辺りをぐるりと見回した。
青い反応が示す場所には、苔と草しかない。
……まさか。
国宝が、地面に埋まってる?
◇
「桜花。ここ、掘ってみようか?」
「少々、お待ちください」
桜花が、地面へ視線を落とした。
次に、足元の傾斜を確かめる。
そして、静かに口を開いた。
「……地下ではございませんか」
…………。
「……地下?」
「はい。反応がこの位置にあっても、地表にあるとは限りません」
……あっ。
そうか!
脳内マップは、上から見た位置を教えてくれる。
でも、地中の深さまでは分かりにくいんだ。
……なるほど。
「さすが桜花!」
「恐れ入ります」
……うん。
私が地面を掘り返す前に気づいてくれて、よかった。
あの広さを全部掘ってたら、すごいことになってたよ。
◇
とはいえ。
地下にあるからといって、いきなり真下へ《転移》するわけにはいかない。
岩の中へ出たり、相手の目の前に飛び出したりしたら困る。
……うん。
安全な場所が分からないうちは、入口を探そう。
「ここに地下室か洞窟があるなら、どこかに出入り口があるはずだね」
「はい」
桜花が、木々の間へ目を向ける。
「周囲を確認いたします」
「じゃあ、一緒に探そう」
私は、倒木の手前へ歩いた。
地面に何かの跡がないか、注意しながら進む。
……ああ。
国宝探しのつもりが、今度は入口探しになっちゃったね。
◇
草の間には、小さな足跡がいくつか残っていた。
さっき見つけたものと、形が似ている。
どれも、倒木の向こうへ続いていた。
私は、しゃがんで地面を覗き込む。
「……これ、行きと帰りの跡が混じってる?」
足先の向きが、ばらばらだ。
同じところを、何度も通ったように見える。
「何者かが、出入りしているのでしょう」
桜花が答えた。
「……そうみたいだね」
少なくとも、一度通っただけの道じゃない。
……それにしても。
足跡を隠す気は、ないのかな。
それとも。
こんな森の奥まで、誰も来ないと思ってるのかもしれないね。
◇
倒木を回り込んだ、そのとき。
桜花が、私の袖をそっと引いた。
「リアリス様。あちらを」
視線の先には、大きな岩。
その周囲を、太い木の根が覆っている。
一見すると、ただの岩場に見える。
でも、近づくと岩の下に不自然な隙間があった。
……おっ。
暗い。
奥が見えない。
私は、少し身をかがめた。
ひんやりした空気が、隙間から流れてくる。
……うん。
ただの窪みじゃないね。
「入口、かな?」
「おそらく」
桜花は、短く答えた。
……ああ。
見つけたね。
◇
隙間の手前には、また足跡があった。
それに、岩の表面についた新しい擦り傷。
何か大きなものを、ここへ運び込んだのかもしれない。
私は、少し考えた。
国宝そのものは、小さな結晶だ。
わざわざ、岩に擦り傷がつくほどの荷物じゃない。
……となると。
ほかにも何か運んでいるのかな。
それとも、ただ荷車か箱がぶつかっただけ?
……うん。
現場を見ただけじゃ、まだ分からないね。
「ここから入れそう?」
「はい。内部へ通じております」
「よし。行ってみよう」
……ちょっと、洞窟探検みたいになってきたね。
◇
岩と根の間を抜けると、思っていたより広い空間に出た。
外から見た隙間は小さかったのに、中は普通に立って歩ける高さがある。
……おお。
隠し通路みたいだ。
背後では、木漏れ日が細く差し込んでいた。
でも、奥は暗い。
私は《収納》から、小型の懐中電灯を取り出した。
雑貨屋で取り寄せた現代の道具だ。
……うん。
こういうときは、便利だね。
スイッチを押すと、白い光が通路を照らした。
濡れた石の壁。
所々に露出した木の根。
それから、奥へ続く道。
「桜花、足元に気をつけてね」
「はい、リアリス様」
◇
洞窟の道は、意外なほど単純だった。
右にも左にも、分かれ道がない。
真っすぐ。
ただ、奥へ続いているだけ。
……うん。
迷子には、ならなさそうだ。
「この先で、国宝の反応と重なりそうだね」
私は、脳内マップを確認した。
青い点は、まだ動いていない。
さっき地上で見た位置の、少し先。
……ああ。
やっぱり、地下だったのかな。
私たちは、明かりを少し下に向けたまま歩いた。
光が遠くまで届くと、こちらの位置も知られるかもしれないからね。
◇
しばらく進むと、水の滴る音が聞こえてきた。
ぽたん。
ぽたん。
静かな洞窟に、妙にはっきり響く。
……ああ。
何だか、ちょっと緊張してきた。
前回は、森の中で犯人を見つけた。
今回は、地下。
同じ国宝なのに、ずいぶん違うところへ隠されるんだね。
……いや。
そもそも隠されないでほしいんだけど!
「リアリス様」
桜花の声が、少しだけ低くなった。
私は、足を止める。
「……何かあった?」
「奥に、複数の気配がございます」
……あっ。
やっぱり、誰かいるんだ。
◇
「何人くらい?」
「正確な数は、まだ」
桜花が、通路の先を見つめた。
「ですが、少なくはございません」
……うん。
そうなんだ。
私は、懐中電灯の光を消した。
目が暗闇に慣れてくると、奥の方に微かな明るさが見えた。
……おや。
向こうには、明かりがあるんだね。
その明かりの周りに、何かが動いている。
ときどき、石を打つような小さな音も聞こえた。
……うーん。
これ、ただの洞窟じゃないのかもしれない。
「桜花。もう少し近づいてから、様子を見よう」
「承知いたしました」
◇
足音を抑えながら、通路の奥へ進む。
やがて、壁が途切れた。
私は、そっと顔を覗かせる。
…………。
……おお。
……広っ!
そこには、想像を超える空間が広がっていた。
天井は高く、奥の壁までかなり距離がある。
地面には、大きな岩や石の塊が点在している。
私が作った三階建てのリアリス邸。
……あれが、丸ごと入るくらい広いんじゃない?
地上では、小さな岩の隙間にしか見えなかったのに。
……地下に、こんな場所があったんだ。
◇
でも。
驚くのは、広さだけじゃなかった。
空間の中央に、いくつもの影が動いている。
地面へ膝をついているもの。
岩の上に座っているもの。
何かを運んでいるもの。
……一人、二人。
いや。
もっと。
私は、目を凝らした。
「……桜花」
「はい」
「あそこ、ものすごくたくさんいるね」
「はい」
桜花は、静かに頷く。
「三十体ほどかと存じます」
「……三十!?」
私は、慌てて声を落とした。
……ああ。
叫んだら気づかれちゃう。
……危ない、危ない。
◇
影が、中央の明かりを横切った。
そこで初めて、姿がはっきり見えた。
人間に似た二本の脚。
長い腕。
細い指。
けれど、顔つきも皮膚の色も、人間とは違っている。
暗い青紫色。
光を受けると、黒に近い紫にも見えた。
……ん?
……あれ。
どこかで見たような。
「……桜花。あれ、どこかで見たことあるな」
私は、小声で尋ねた。
「前回、国宝を盗んだ魔獣と同種かと存じます」
…………。
……あっ!
そうだ!
前の犯人!
たしかに、あんな感じの人型の魔獣だった。
……ええっ。
また、同じようなのが!?
◇
私は、もう一度、中央を見た。
あのときの犯人は、一体だけだった。
でも、ここには三十体ほどいる。
……うん。
別の個体だとは思うけど、見た目はよく似てる。
彼らは、何かを囲んでいるようだった。
小さな石の台。
その上に、布のようなものがある。
……ん?
私は、脳内マップを開いた。
青い点が示す位置。
……あっ。
ちょうど、あの台の辺りだ!
「桜花。国宝、あそこかも」
「その可能性が高いかと」
……うん。
ついに、近くまで来たね。
あとは、実物を確かめるだけだ。
◇
「何かいますね。殲滅しますか?」
桜花が、いつもどおりの落ち着いた声で尋ねた。
……おお。
思い切りがいいね。
いや、頼もしいんだけど。
「まずは様子を見ようか。敵じゃない可能性もある」
「承知いたしました」
桜花は、静かに頷いた。
……うん。
たとえ前回と同じ種類の魔獣でも、ここにいる全員が泥棒とは限らない。
国宝を持ってきたのが、そのうちの一体だけかもしれない。
それに、今すぐ誰かを襲っているわけでもない。
……まずは、何をしているか見ないとね。
◇
私たちは、通路の影に身を隠した。
中央では、三体ほどが石の台を囲んでいる。
残りは、少し離れた岩場や壁沿いに散らばっていた。
……あれ。
思ったより、きちんと役割が分かれてる?
中央の一体が、布の端を掴んだ。
何かを大事そうに包んでいる。
……おっ。
緑色の光が、布の間から漏れた。
私は、息を呑む。
その手が、ゆっくりと布を開く。
そして。
石の台の上に、小さな結晶が姿を現した。
……ああ。
あれは。
深い緑色。
見覚えのある模様。
両手に収まる大きさ。
……《グリーンクリスタル》!
ついに、見つけた。
◇
石の台を囲んでいた魔獣の一体が、結晶を両手で持ち上げた。
ほかの魔獣たちも、興味深そうに顔を寄せている。
……うん。
あれが何か特別なものだってことは、分かっているみたいだね。
結晶を持った魔獣が、それを頭の上へかざした。
次に、自分の腕へ押しつける。
…………。
……あれ。
もしかして。
「桜花。あの子たち、国宝を使おうとしてるのかな?」
「そのように見受けられます」
……なるほど。
だけど、あれはエルフにしか効果がない。
しかも、使ってすぐに強くなれるわけじゃない。
……うん。
前の犯人と、同じ勘違いをしてるのかもしれないね。
◇
しばらくすると、魔獣が結晶を石の台へ戻した。
何も変化が起きなかったのが不満らしく、隣の魔獣へ唸り声を上げている。
……ああ。
使い方以前の問題なんだけどねぇ。
今度は別の魔獣が、結晶を持ち上げた。
やっぱり、頭の上へ。
腕へ。
……それから、胸へ。
…………。
……いや。
場所を変えても、効果は出ないと思うよ?
私は、つい口に出しそうになって、ぐっとこらえた。
こちらの姿が見つかったら、それこそ面倒だからね。
◇
そのとき、奥から一体が歩いてきた。
手には、汚れた布。
それを中央の石の台へ投げる。
布が広がり、中から木箱の破片が転がり出た。
……ん?
留め具のついた箱の一部。
その布には、何かの印が描かれている。
……あっ。
森王が話していた、運搬隊の箱だろうか。
形までは教わっていないけど、こんな森の地下へ箱の破片が勝手に落ちてくるとは思えない。
「……荷物ごと、運び込んだのかな」
桜花が、静かに頷いた。
「その可能性が高いかと」
……うん。
国宝を持ち去った者たちだと考えて、よさそうだね。
◇
ただ、ひとつ引っかかることがあった。
国宝が消えたのは、南部セリィネへ向かう運搬路の途中。
ところが、この洞窟は森都ベルツリーから約五キロしか離れていない。
……ずいぶん、戻ってきたんだね。
人間の足では何日もかかる場所でも、魔獣なら別の道を通れるのかな。
それとも、ここがもともとの住処なんだろうか。
……まあ。
今、考えても答えは出なさそうだ。
とにかく国宝は見つかった。
あとは、無事に返してもらえるかどうかだね。
◇
「桜花。そろそろ、声をかけてみようか」
「承知いたしました」
私は、隠れていた岩から姿を出した。
前に会った魔獣は、たどたどしいながらも人間の言葉を使っていた。
同じ種類なら、今回も言葉が通じるかもしれない。
……その可能性に、期待してみよう。
「こんにちは!」
私は、なるべく普通の声で呼びかけた。
「少し、お話できるかな?」
…………。
中央の三体が、ぴたりと動きを止めた。
ほかの魔獣たちも、次々にこちらを向く。
……おお。
見つかった。
……いや。
こっちから声をかけたんだけどね。
◇
「その緑色の結晶、エルフ国の大事なものなんだ。返してもらえないかな?」
私は、ゆっくり言った。
結晶を持つ魔獣が、首を傾げる。
その口から漏れたのは、低い唸り声だった。
「……グルルル」
……うーん。
返事、なのかな。
私が一歩近づくと、魔獣は結晶を抱え直した。
まるで、渡すつもりはないと言っているようだ。
「危害を加えるつもりはないよ。結晶を返してほしいだけなんだけど……」
「ギャアッ!」
突然、一体が叫んだ。
その声に呼応するように、周囲の魔獣たちが立ち上がる。
……あっ。
まずいかも。
◇
次の瞬間。
右側にいた一体が、地面を蹴った。
細く長い腕を伸ばし、鋭い爪を振り上げてくる。
……おお。
速いね。
でも。
桜花は、もっと速かった。
すっと銀髪が揺れたかと思うと、刀が魔獣の腕を受け止めていた。
硬い音が、広い洞窟に響く。
「リアリス様。お気をつけください」
「うん。ありがとう」
……ああ。
やっぱり、話し合いにはならなさそうだ。
そもそも、言葉が通じている様子もない。
前の個体は少し喋れたけど、ここの魔獣たちは唸るばかりだ。
……うん。
無理に近づいて、国宝を壊されても困るね。
◇
私は、周囲へ目を向けた。
奥にいた魔獣たちも、こちらへ走ってくる。
爪を立てるもの。
石の塊を握りしめるもの。
口を大きく開け、牙を見せるもの。
……うん。
敵意は、十分伝わった。
「桜花」
「はい」
「殲滅しちゃおうか」
「承知いたしました」
桜花が、静かに刀を構える。
……よし。
国宝を奪い、運搬隊に怪我をさせた相手だ。
ここで放っておいて、また誰かが襲われたら困る。
私も《収納》から日本刀を取り出した。
……そういえば。
今日は、冒険者ギルドで手頃な依頼を探す予定だったんだよね。
……手頃。
…………。
……全然、手頃じゃない仕事をしてる気がする。
◇
「私は右から行くよ」
「では、左側を」
私たちは、短く頷き合った。
中央にある国宝には、絶対に傷をつけない。
それだけ気をつければいい。
先頭の魔獣が、再び飛びかかってきた。
桜花が、半歩踏み込む。
銀色の刀が、暗がりを横切った。
一体目が崩れる。
続いた二体も、ほとんど同時に動きを止めた。
……おお。
相変わらず、すごいね。
私は、右側から迫る三体へ目を向けた。
……さて。
私も、仕事をしようか。
◇
一体が爪を振り下ろした。
私は、その腕が届く前に横へ動く。
刀を振る。
それだけで、一体が倒れた。
続いて、背後から一体。
……おっと。
挟み撃ちのつもりかな。
私は身体を返し、二体目も倒す。
さらに、三体目。
……うん。
終わり。
見た目は、前回の国宝泥棒とよく似てる。
強さも、たいして変わらないみたいだね。
……まあ。
桜花と一緒に戦えるほどの相手なら、もっと大変だっただろうけど。
◇
「グァァッ!」
洞窟の奥で、ひときわ大きな声が上がった。
残っていた魔獣たちが、一斉に動き始める。
……おお。
合図を出して、集まったんだ。
ちゃんと連携する知恵はあるみたいだね。
でも、実力差は埋まらない。
私は、右から回り込んだ二体を続けて倒した。
桜花は反対側で、数体を相手にしている。
足音。
短い金属音。
そして、また静けさ。
刀を大きく振り回す必要はなかった。
国宝のある石の台から離れた位置で、確実に倒していく。
◇
そんな中、中央の一体が国宝を抱えたまま走り出そうとした。
……あっ!
そっちに行っちゃ駄目!
私は、すぐに回り込んだ。
驚いた魔獣が、結晶を持っていない方の腕を振る。
……うん。
そこまで。
私は、相手の動きを見切って刀を振り抜いた。
魔獣は、結晶を手放して倒れた。
……おっと。
国宝まで落ちる!
私が手を伸ばすより先に、桜花が駆けてきた。
結晶を、そっと受け止める。
……おお!
さすが!
「ありがとう、桜花!」
「問題ございません」
……いや。
今のは、本当に助かったよ。
◇
桜花は、結晶を傷つけないよう、石の台の奥へ避けて置いた。
そのまま、こちらへ振り返る。
「リアリス様。残りはわずかでございます」
「うん。分かった!」
……おお。
もう、ほとんど終わってたんだ。
逃げようとした魔獣たちが、奥の通路へ駆け出す。
……ああ。
外へ出たら、また誰かを襲うかもしれない。
ここで止めておこう。
私と桜花が、同時に走った。
ほんの短い間に、残る魔獣たちも動きを止める。
……それで、終わり。
洞窟には、水滴の落ちる音だけが戻った。
◇
私は、ゆっくり刀を下ろした。
「桜花、怪我はない?」
「はい。問題ございません」
「よかった」
「リアリス様も、ご無事で何よりでございます」
「うん。大丈夫!」
……ああ。
桜花が強いことは、よく知ってる。
でも、こういう確認は大事だよね。
私たちは、周囲を見回した。
もう、動いている魔獣はいない。
三十体ほどいた人型の魔獣は、すべて討伐した。
……うん。
これで、国宝を持って逃げる者もいないね。
……さて。
今度こそ、回収しようか。
◇
私は、中央の石の台へ戻った。
桜花が落ちる前に受け止めてくれた、おかげでね。
「……これで、間違いないよね」
私は、改めて覗き込んだ。
透き通る深い緑。
表面には、細かな模様。
光が当たるたび、内側から色が変わって見える。
……うん。
前に取り戻した、あの結晶だ。
私は、脳内マップを確かめる。
青い光は、ちょうど石の台の位置で点滅していた。
……おお。
《サーチ》も、ちゃんと一致してる。
◇
「桜花。お願いしてもいい?」
「かしこまりました」
桜花が、刀を鞘へ納めた。
それから、台へ近づく。
結晶を両手でそっと持ち上げ、表面を確かめた。
……うん。
傷は、なさそうだね。
「破損は見受けられません」
「……よかった!」
私は、思わず笑った。
落として割れたら、どうしようかと思ったよ。
……いや。
実際に割れるかどうかは、知らないけどね。
少なくとも、国宝が無事なのは大事なことだ。
桜花は、私が《収納》から出した柔らかい布で結晶を包んだ。
それを、両手で大切に抱える。
……ああ。
ようやく、取り戻せたね。
◇
私は、洞窟の奥を見回した。
岩の上には、いくつもの荷物が置かれている。
木箱の破片。
汚れた布。
紐。
それから、何に使うのか分からない道具。
……うん。
ずいぶん、いろいろ持ってきたみたいだね。
「運搬隊の荷物も、あったのかもしれないなぁ」
私は、崩れた箱のそばでしゃがんだ。
中身は、ほとんど残っていない。
……あれ?
箱の底に、少しだけ乾いた葉が入っていた。
荷物を守るための緩衝材だったのかな。
……まあ。
今は、そこまで詳しく調べる必要もないね。
国宝は回収した。
あとは、森王に伝えればいい。
◇
「……ただ、変だよね」
私は、立ち上がりながら呟いた。
「何がでございましょうか」
「ここ、森都から五キロくらいしか離れてないでしょう?」
「はい」
「なのに国宝は、南の町へ運ぶ途中でなくなった」
桜花が、小さく頷く。
「そうですね」
「どうやって、あんな遠くからここまで戻ってきたんだろう」
魔獣は人よりずっと速く動けることもある。
森の中なら、近道もあるかもしれない。
……でも。
この洞窟へ、わざわざ結晶を持って帰ってきた理由までは分からない。
「ここが住処だったのかな」
「その可能性はございます」
……うん。
確かに、荷物も多かった。
ここで暮らしていたのかもしれないね。
◇
「まあ、森王には洞窟の場所も伝えておこう」
私は、そう決めた。
今回の魔獣たちは討伐したけれど、またほかの魔獣が住みつく可能性もある。
そもそも、これだけ大きな地下空間が森都の近くにあることを、エルフの人たちは知ってるのかな。
……うん。
知らせておいた方がいいね。
「入口の位置も、地図に記しておこうか」
桜花が、頷いた。
「はい。捜索の記録として、残しておくのがよろしいかと」
「そうだね」
私は、借りてきた地図を広げた。
森都からの方角。
大きな岩。
倒木。
……ああ。
今度は、ちゃんと場所を覚えている。
……いや。
それが普通なんだけどね。
◇
地図に印をつけ終えたところで、私は少し考えた。
森王は、国宝が二度なくなったことを、本当に反省していた。
……少なくとも、さっきまでは。
前回は、取り戻して、そのまま返した。
そして、また盗まれた。
今回も同じように返せば、三回目が起きるかもしれない。
……私は、前例を知っている。
あのポンコツと、同じだ。
◇
――そのころ、神界。
「へっくしょん!」
オリミスが、盛大なくしゃみをした。
「あれ? あなた、風邪?」
エレサリアが、不思議そうに首を傾げる。
「神が風邪などひくものか!」
「じゃあ、誰かに噂されてるんじゃない?」
「……誰が、わしの噂を?」
オリミスは、なぜか落ち着かない様子で周囲を見回した。
◇
……うーん。
さすがに、それは勘弁してほしい。
だから、今度は保管方法をきちんと決めよう。
国宝の所有者はエルフ国。
それを変える必要はない。
ただ、置き方と運び方は、見直せるはずだ。
……うん。
これは、帰ってからの相談だね。
◇
「リアリス様」
桜花が、小さな声で呼んだ。
「……ん?」
「そろそろ、お戻りになりますか」
「そうしようか」
私は、頷いた。
実際のところ、これ以上ここにいても、できることはあまりない。
魔獣の名前も、何を考えていたのかも、分からないまま。
でも、国宝は取り戻せた。
……まずは、それで十分だね。
私は、桜花が抱えている結晶を見た。
布に包まれているから、緑の輝きは見えない。
けれど、脳内マップの青い光は、今も桜花のいる位置で点滅している。
……おお。
こうして見ると、何だか不思議だね。
「《サーチ》って、やっぱり便利だなぁ」
「はい」
桜花が、ほんの少し微笑んだ。
◇
「そういえば、桜花」
「はい」
「さっきは、ありがとうね」
「……何のことでございましょうか」
「国宝を落とさず受け止めてくれたこと」
私は、そう言って笑った。
「あのまま地面に落ちてたら、壊れてたかもしれないから」
「当然のことでございます」
……うん。
そう言うと思った。
「でも、助かったよ」
桜花は、小さく頭を下げた。
「お役に立てましたなら、幸いでございます」
……ああ。
相変わらずだね。
褒められても、まったく大げさに喜ばない。
でも。
こういうところが、桜花らしくて好きだな。
◇
私たちは、いったん広い空間の入口まで戻った。
さっきは魔獣たちの声が響いていた場所も、今は静かだ。
一本道の向こうから、わずかな外の光が届いている。
「……やっぱり、広いなぁ」
私は、もう一度天井を見上げた。
リアリス邸が丸ごと入りそうな地下空間。
……何に使ってたんだろう。
秘密基地?
……いや。
魔獣の秘密基地って。
…………。
ちょっと面白い響きだね。
「リアリス様」
「……あっ。ごめん!」
桜花が、静かに待っていた。
……うん。
寄り道は、ここまで。
森王だって、きっと待ってるはずだから。
◇
洞窟の外へ出ると、木漏れ日が眩しかった。
私は、思わず目を細める。
空気が、さっきよりずっと温かく感じた。
……ああ。
外って、いいねぇ。
まだ森の中だけど。
少し離れた枝では、小鳥が鳴いている。
地面には、さっき見た足跡もそのまま残っていた。
……うん。
これも、森王に伝えよう。
国宝を持ち去った魔獣たちが、どこに隠れていたのか。
今後の警備に、役立つかもしれないからね。
◇
「それにしても……」
私は、木々の間を見渡した。
「こんな森の奥で、よく見つけられたね」
桜花が、静かに頷く。
「《サーチ》がございましたので」
「……そうだった」
……ああ。
使うのを思い出させてくれたのは、桜花だったね。
あのまま《歴史閲覧》のことばかり考えていたら、まだ地図を見つめていたかもしれない。
徒歩一か月の道の途中を、ひたすら探そうとして。
……いやぁ。
考えるだけで、疲れちゃう。
私は、桜花を見た。
「今度から、探し物をするときは《サーチ》を先に考えるよ」
「承知いたしました」
……うん。
できれば、国宝を探す機会そのものが、もう来ない方がいいけどね。
◇
私は、エルフ国邸の位置を思い浮かべた。
慣れた玄関。
緑色の調度品。
敷地の中へ続く道。
……うん。
帰る場所が決まっていると、楽だね。
「桜花。国宝、しっかり持っててね」
「はい」
桜花は、布に包まれた結晶を抱え直した。
……ああ。
丁寧だねぇ。
私は、その姿を見て少し笑った。
さっきまで刀を振るっていたのに、今は国宝を壊さないよう、そっと抱えている。
◇
「じゃあ、帰ろうか」
「はい、リアリス様」
私は、桜花の手を取った。
彼女のもう片方の腕には、《グリーンクリスタル》。
……うん。
今回も、無事に取り戻せた。
森王には、まずそのことを報告しよう。
そのあとは。
保管場所のこと。
式典へ運ぶときのこと。
そして、三回目が起きないようにする方法。
……ああ。
考えることは、まだあるね。
でも、今はひと安心だ。
「《転移》」
魔法を発動する。
森の景色が、ゆっくり消えていく。
◇
次の瞬間、私たちはエルフ国邸の敷地に戻っていた。
屋敷の玄関へ続く道。
……ああ。
帰ってきたね。
私は、桜花が抱える包みを見た。
確かに、ある。
今回の目的は、達成した。
「桜花。お疲れさま」
「リアリス様も、お疲れさまでございました」
私は、頷いた。
……さて。
森王は、まだ客間にいるのかな。
出発するときは、ずいぶん落ち込んでいたけど。
国宝が戻ったって聞いたら、きっと喜ぶだろう。
……うん。
よかった、よかった。
私は、玄関の扉へ手を伸ばした。
まずは、無事に帰ってきたことを伝えよう。
そのあとで、国宝をどう守るか。
今度こそ、しっかり話し合わないとね。




