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第4話:大人も通える学び舎へ

 学校には先生が揃った。


 カトレアには、お友達ができた。


 そして、八つの学校では、今日も元気な声が響いている。


 ……うん。


 私がやりたかったことは、だいたい形になった気がする。


 ……気がするんだけどね。


「旦那様。こちらを、ご確認いただけますでしょうか」


 その日の朝。


 私は、シルク王国邸の居間で、セバスから一枚の書類を受け取った。


 ……あれ。


 見覚えがある。


 たしか、昨日も似たような紙を見たような。


     ◇


 書かれていたのは、学校に寄せられた質問だった。


『子どもではなくても、勉強を教えていただけますか』


 ……うん。


 やっぱり、昨日のあれだね。


「これ、ほかの国からも来てるの?」


「はい、旦那様。八つの学校すべてに、同様のお問い合わせがございます」


「……全部!?」


 私は、思わず顔を上げた。


 セバスは、いつもどおり穏やかだ。


「商人、職人、農業に携わる方、ご家族のために文字を覚えたい方など、事情はさまざまでございます」


「……そっか」


 私は、書類を見つめた。


 学校を作るとき、対象は五歳から十八歳にした。


 一日三時間。


 授業料は無料。


 ……子どもたちに学ぶ場所が必要だと思ったから。


 でも。


 勉強したい大人だって、いるんだよね。


     ◇


「リアリス様」


 隣に座っていた桜花が、静かに声をかけた。


「本日は、学校へ行かれますか」


「うん。ちょっと様子を見てこようかな」


「承知いたしました」


 私が立ち上がると、セバスが一礼した。


「すでにアンナへ連絡しております。お話を伺えるよう、時間も確保しております」


 …………。


 ……はやっ。


「セバス。もしかして、もう全部準備してる?」


「旦那様が実際にご覧になって判断なさる方がよいかと存じまして」


 ……おお。


 私の考えを、先に読まれてる。


 いや、助かるんだけどね。


 この人が敵じゃなくて、本当によかった。


     ◇


 シルク王国邸の学校までは、敷地内を少し歩くだけだ。


 花壇の横を通ると、楓がカトレアと一緒にしゃがんでいた。


「お父さん!」


「おはよう、カトレア」


「もう学校行くの?」


「うん。ちょっと先生とお話してくるよ」


 カトレアは、ぱっと笑った。


「私も行く!」


「もちろん。でも、授業の時間になったら、ちゃんとアンナ先生のお話を聞くんだよ」


「はーい!」


 隣で楓が、小さく頷いた。


「……いってらっしゃい」


「うん。行ってくるね、楓」


 ……ああ。


 いつもの平和な朝だね。


 ……書類の枚数を除けば。


     ◇


 校舎の入口には、何組かの親子がいた。


 その少し離れたところに、大人だけの人たちが立っている。


 大きな荷物を背負った男性。


 前掛けをつけた女性。


 杖を手にしたお年寄り。


 ……あれ。


 この人たち、授業を見に来たのかな。


「おはようございます」


 アンナが、眼鏡を直して一礼した。


「おはよう、アンナ。忙しいところ、ごめんね」


「問題ございません。授業の準備は整っております」


 ……うん。


 さすがだ。


「それで、相談がある人たちって?」


「こちらにお越しいただいております」


 アンナが、大人たちを手で示した。


 ……おお。


 もう直接、話せるんだね。


     ◇


 最初に話しかけてきたのは、少し日に焼けた男性だった。


「お屋敷の方で、学校を作られた方ですか?」


「うん。リアリスって言います」


「私は、王都で荷物の運搬をしております」


「そうなんだ。何か困ってるの?」


 男性は、少し困ったように笑った。


「仕事で荷札を読まなきゃいけないことがありまして」


「……うん」


「読める文字もあるんですが、長い文章になると難しくて……。子どもの頃は家の仕事を手伝っていたものですから」


 ……ああ。


 なるほど。


 学校へ通う機会がなかったんだね。


「今から覚えるのは、遅いでしょうか」


 …………。


「……そんなことないよ!」


 私は、思わず声を上げた。


     ◇


「覚えたいって思ったときに、勉強していいと思う」


 男性は、少し驚いた顔をした。


「ですが、私はもう大人で……」


「大人だから、勉強しちゃいけないってことはないでしょう?」


「……それは、そうですが」


 私は、少し笑った。


「それに、仕事で必要なんだよね。だったら、覚えたらきっと役に立つよ」


 男性は、しばらく私を見ていた。


 それから、ゆっくり頭を下げた。


「ありがとうございます」


 ……うん。


 喜んでもらえてよかった。


 ……って。


 まだ、通えるって決めたわけじゃなかった!


 私は、慌ててセバスを見た。


 セバスは、静かに微笑んでいる。


 ……ああ。


 もう、答えが顔に出ちゃってたね。


     ◇


 続いて、杖を持ったおばあさんが前に出てきた。


「わたしも、よろしいでしょうか」


「もちろん!」


「孫がね、最近、文字を覚えてきたんですよ」


「……おお。いいことだね」


「それで、わたしに手紙を書いてくれたんです」


 おばあさんは、布に包んだ紙を大切そうに取り出した。


 そこには、小さな文字が並んでいた。


「でもね、わたし、全部は読めなくて」


 ……ああ。


 その言葉を聞いた瞬間、胸が少しだけ温かくなった。


「孫が書いたものを、自分で読めるようになりたいんですよ」


「……うん」


 私は、頷いた。


「ぜひ、覚えてほしいな」


 おばあさんは、にっこり笑った。


「では、若い子たちの邪魔にならないよう、端に座らせてもらえますか」


 …………。


 ……いや。


 そんな遠慮しなくていいのに。


     ◇


「アンナ」


「はい、リアリス様」


「この学校に、大人も通えるようにしたいんだけど、どう思う?」


 アンナは、少しだけ考えた。


「私としては、賛成です」


「……よかった!」


「ただし、授業の進め方は工夫が必要です。五歳の子どもと、大人の方では、できることも必要なことも異なります」


 ……うん。


 そうだよね。


「文字を一から覚える方もいれば、帳簿をつけたい方もいるでしょう。授業内容は、一律にせず分けるべきかと」


「そっか」


「それと、年齢による上下関係を、教室の中に持ち込まないことです」


 ……おお。


 そこまで考えてるんだ。


「大人だからといって、子どもの質問を笑ってはいけません。子どもだからといって、大人の失敗を笑うことも、もちろん禁止です」


 ……うん。


 アンナらしいね。


     ◇


 私は、子どもたちが座る教室を覗いた。


 大学の講義室みたいに、段差のある座席。


 一人ずつの机には、黒板と同じ文字や映像が映る画面。


 横には、取り寄せマシーンで用意した練習用の教材も置ける。


 ……よし。


 教える仕組みは、もうあるんだ。


 なら、年齢で区切る理由はあまりないよね。


「……決めた!」


 私は、アンナとセバスを見た。


「五歳から十八歳までっていう年齢制限、なくそう!」


 ……うん。


 自分で言っておいて、何だかすっきりした。


「大人も、お年寄りも、勉強したい人なら誰でも通えるようにしよう」


 アンナが、頷いた。


「承知いたしました」


 セバスも、静かに一礼する。


「各国へ同様の方針をお伝えいたします」


 ……おお。


 話が、進んだね。


     ◇


「ただ、授業の時間も少し見直したいな」


 私は、続けた。


「今は一日三時間でしょう? でも大人の人にはお仕事があるし、子どもたちだって得意な科目は違うよね」


 アンナが、頷いた。


「はい。文字だけを学びたい方も、計算を中心に学びたい方もいらっしゃいます」


「じゃあ、一時間ずつ科目を分けるのはどう?」


 ……おっ。


 自分で言っておいて、いい案かもしれない。


「一日六コマ。読み書き、計算、歴史、暮らしの知識とか。受けたい時間だけ来てもらえばいいんだ」


 セバスが、微笑んだ。


「通常授業は週五日。残る二日は通常の授業をお休みし、自習と個別指導に充ててはいかがでしょうか」


「……それ、いいね!」


 自習の日には、分からないところを先生にじっくり聞ける。


 先生たちは交代で勤務して、きちんとお休みも取る。


 ……うん。


 学校へ通う人にも、教える人にも、無理のない形がいい。


     ◇


 セバスは、校舎の掲示板に出す案内の文面をまとめた。


『年齢を問わず、どなたでも学ぶことができます』


 ……うん。


 分かりやすい。


 でも。


「……これ、文字を読めない人に伝わるかな?」


 私は、首を傾げた。


 セバスが、一瞬だけ目を細めた。


「……ごもっともでございます」


 …………。


 あっ。


 ちょっとだけ、盲点だった?


「案内は、絵でも分かるようにしましょう」


 アンナが、すぐに答えた。


「子どもと大人が並んで机に向かう絵を添えて、口頭でもご説明いたします」


「いいね!」


 ……ああ。


 先生って、本当に頼もしいね。


     ◇


 そして、その日の午後。


 各国の学校にも、年齢制限をなくす方針が伝えられた。


 セバスが《映像通話》で八人の先生と相談し、各国の担当者にも説明する。


 もちろん、コモド君にも知らせた。


『大人も通えるようにされるのですか』


「うん。みんな、勉強したいみたいだからね」


 コモド君は、画面の向こうで微笑んだ。


『それは、よいお考えだと思います』


「よかった。王国としても問題なさそう?」


『はい。国の学びの場が増えることは、喜ばしいことです』


 ……ああ。


 よかった。


 こういうときに、ちゃんと相談できる相手がいるのはありがたいね。


     ◇


 夕食の席で、私はそのことを話した。


「今日から、大人も学校に通えることになったよ」


「……大人も?」


 カトレアが、箸を止めた。


 巴さんが作った鶏肉の照り焼きが、皿の上でつやつやしている。


 その横には、ご飯と根菜の煮物。


 ……うん。


 今日もおいしい。


「そう。文字や計算を覚えたい人なら、何歳でもいいんだ」


「……おじいちゃんも?」


「うん」


「……おばあちゃんも?」


「もちろん」


 カトレアは、少し考えてから、にっこり笑った。


「じゃあ、ニーナちゃんのお母さんも来られる?」


 ……あっ。


 それは、本人が勉強したいかどうかによるかな。


「もし来たいって言ってくれたらね」


「そっか!」


 ……ああ。


 学校にお友達がいると、気になることも増えるんだね。


     ◇


 ところが。


 その数日後。


「旦那様」


「……はい?」


 セバスが、厚い書類を持ってやってきた。


 ……おや。


 昨日の紙は一枚だったよね。


 今日は、ずいぶん厚くない?


「各校から、入学希望の申し込みが届いております」


「……うん」


「大変、好評でございます」


「……そうなんだ。よかった!」


「ただし」


 ……あっ。


 この人が『ただし』って言うときは。


 大抵、次に何か来るんだよね。


「現在の百席では、受け入れが難しい学校が出始めております」


 …………。


「……えっ?」


     ◇


 私は、書類を開いた。


 シルク王国。


 ローズ帝国。


 フォーサイド魔法国。


 聖国。


 エルフ国。


 ジーラット獣人国。


 ドルステン魔王国。


 シギラ国。


 ……どこの学校にも、大人の希望者が来ていた。


 中には、家族で通いたいという人もいる。


 職場の仲間を連れてきたという人もいる。


 お店の計算ができるようになりたいという人も。


 読み書きができず、いつも誰かに頼んでいるという人も。


 ……ああ。


 こんなに、いたんだ。


 今まで、勉強したくてもできなかった人たち。


     ◇


「一度に百人ずつでは、希望する科目の時間が重なったときに、席が足りなくなるかもしれません」


 セバスが説明した。


「ただし、全員が朝から夕方まで在校するわけではございません。科目を分ければ、時間ごとに受講者が入れ替わります」


「……そっか!」


 私は、机の上に一日の時間割を書いてみた。


 一コマ、一時間。


 それを、六コマ。


 朝から夕方まで学校は使えるけど、一人の生徒が六時間ずっと座る必要はない。


 商人さんなら計算の時間だけ。


 小さな子なら、読み書きの時間だけでもいい。


「じゃあ、教室を少し広げるだけでいいのかな」


「はい。加えて、授業を補佐する人員がいれば、より安心かと存じます」


 ……補佐。


 そういえば、先生は各校に一人だけだったね。


     ◇


「セバス、何席くらいあればいいと思う?」


 私は尋ねた。


「現在は百席。倍の二百席ほどに広げれば、当面は余裕ができるかと」


「……二百!」


 私は、思わず頷いた。


 百人の教室が、二百人の教室に。


 ……二倍。


 これなら、敷地にも収まりそうだね。


「一日六コマなら、延べ千二百席分の受講枠になるわけか」


「左様でございます。ただし、一人で複数科目を受講される方もいらっしゃいますので、千二百人が通えるという意味ではございません」


「……うん。そこは勘違いしないようにしよう」


 席を増やして、それぞれの時間に必要な人が来る。


 ……ああ。


 大きすぎる建物を作るより、ずっと現実的だね。


     ◇


「でも、二百人でも、先生一人で全部を見るのは大変じゃない?」


 私は、首を傾げた。


 黒板の内容は、一人ずつ机の画面で確かめられる。


 練習問題は取り寄せマシーンで用意できる。


 ……それでも。


 困っている生徒が十人いたら、先生は十人のところへ同時には行けないよね。


「各校のメイン教師は、アンナたちのままにしたいな」


「はい、旦那様」


「じゃあ、手伝ってくれる先生を増やすのはどう?」


 セバスが、頷いた。


「各校三名ほど補助教師がいれば、授業中の質問対応や、自習日の個別指導も行き届きやすくなるかと」


 ……おお。


 ちょうどよさそう!


「先生を四人にすれば、子どもたちも質問しやすいかもね」


 ……うん。


 今度は、建物と人員の両方を考えよう。


     ◇


 巴さんにも、意見を聞いた。


「二百人の教室を、八つ?」


「うん。それと、補助の先生を三人ずつ増やしたいんだ」


「あら。みんなのお仕事が広がるのね」


 巴さんが、優しく微笑んだ。


「新しい子たちは、どこに住んでもらうの?」


 …………。


 ……あっ。


 そこまで考えてなかった!


 すると、セバスがすっと紙を差し出した。


「各邸には、予備のお部屋が五室ございます」


「……おお!」


「そのうち一室を三人の共用寝室とすれば、残る四室は従来どおり予備として使用できます」


 ……うん。


 それなら、無理に屋敷まで広げなくていいね。


「でも、学校に人が集まっても、屋敷の生活スペースとは分けましょうね」


「もちろん、巴さん!」


 学校と雑貨屋への道、そして屋敷への道。


 そこは、ちゃんと区別しておこう。


     ◇


 まずは、シルク王国邸の学校から。


 私は、桜花とセバス、アンナと一緒に校舎の周りを歩いた。


 入口から続く通学路。


 隣の建物との距離。


 校舎の横にある花壇。


 ……うん。


 花壇は、絶対に残したい。


「リアリス様」


 アンナが、眼鏡を直した。


「二百席に増やすのでしたら、通路も少し広げていただきたいです」


「そうだね」


「科目ごとに生徒が入れ替わりますので、出入りする方がぶつからないようにいたしましょう」


 ……あっ。


 授業が六コマになったら、そういうこともあるんだね。


 授業と授業の間には、休憩と入れ替えの時間を設けよう。


     ◇


「ほかにも、気になることある?」


「はい。お手洗いと手洗い場の数、教室の空気の流れ、避難経路の案内を確認したいです」


 ……おお。


 先生、詳しい。


 ……いや。


 ステラの全知識を持ってるんだった。


 でも、それをどう使うかは、アンナがちゃんと考えてくれてるんだね。


「階段だけでは移動が難しい方もいらっしゃいます。座席までの通路にも余裕が必要です」


「……うん。分かった!」


 私は、一つずつ紙に書き込んだ。


 大きいだけじゃ、駄目。


 子どもも大人も、お年寄りも。


 みんなが、無理なく使える建物にしないとね。


 ……ああ。


 建物を作るのって、案外、考えることが多い。


     ◇


「それでは、こちらの図面はいかがでしょうか」


 セバスが、書類を広げた。


 ……おっ。


 準備が早い。


 そこには、二百席へ広げた講義室と、ゆとりのある通路が描かれていた。


 出入り口は複数。


 お手洗いも、必要な分だけ増やす。


 段差が苦手な人のために、移動しやすい通路も残してある。


 ……うん。


 巨大な会場のような校舎にする必要はない。


 今ある敷地で、ちゃんと使える教室が一番だよね。


「ありがとう、セバス。これでお願い!」


「かしこまりました」


 ……なんだろう。


 建物を作る前に、みんなと相談するのも楽しいな。


     ◇


 図面を確認したところで、私は校舎の前に立った。


 桜花が、隣へ並ぶ。


「リアリス様。周囲に人はいらっしゃいません」


「ありがとう、桜花」


 想像するのは、今ある学校を無理なく広げること。


 教室は、これまでどおり一つ。


 座席は、二百席。


 黒板の文字や映像が机にも映る仕組みは、そのまま。


 少し広い通路。


 増えた出入り口とお手洗い。


 ……そして。


 花壇は、そのまま!


「《建築》」


 私は、以前作った魔法を発動した。


     ◇


 校舎の壁がゆっくりと移動し、窓と屋根が少し広がった。


 新しい机が並び、通路も整っていく。


 ……おお。


 大きくなった。


 でも、ちゃんと学校らしい大きさだ。


 ……うん。


 これなら周りの景色から浮かないね。


「二百席、確保できております」


 セバスが静かに告げる。


「……よかった!」


 私は、安堵した。


 建物を大きくすることが目的じゃない。


 学びたい人が通えるようにすることが、目的だもんね。


     ◇


 中へ入ると、整然と机が並んでいた。


 百席の頃より広いけれど、奥の方まで見渡せる。


 机の画面も、問題なく動いている。


 アンナが、順番に確認していった。


「席の間隔、通路の幅、案内表示。問題ありません」


「……おお!」


「それから、六コマの入れ替えについても、セバスと時間割を調整いたします」


「うん。よろしくね」


「通常授業は週五日。残る二日は通常授業を休み、自習室として開放します」


 ……ああ。


 分からないことを、じっくり質問できる日があるんだね。


「教師の勤務は交代制とし、休息も確保いたします」


 アンナがきっぱり言った。


 ……さすが。


 先生自身が無理しちゃ、長く続けられないもんね。


     ◇


 それから、残り七つの屋敷も回ることになった。


 シルク王国邸から、ローズ帝国邸。


 そこから、聖国邸。


 ……うん。


 扉を開けるたびに、廊下の色や庭の景色が違う。


 国が変われば、空気まで違って感じる。


 でも、どこの屋敷にも、学校が一つある。


 ……ああ。


 この前、作ったばかりなのに。


 もう全部、大きくすることになるなんて。


 ちょっと予想外だったね。


     ◇


 ローズ帝国邸では、オリアナが待っていた。


「リアリス様! お待ちしておりました!」


「こんにちは、オリアナ」


「教室が二百席になるんですね! 楽しみです!」


 茶色のポニーテールが、元気に揺れる。


「それと、今度、補助の先生を三人ずつ作ろうと思うんだ」


「……えっ! お手伝いしてくださる方が増えるんですか?」


「うん。毎日六コマになったら、大変だろうから」


 オリアナが、嬉しそうに笑った。


「それなら、質問してくれる子が増えても、しっかりお話を聞けそうですね!」


「うん。それが一番だよ」


 ……ああ。


 こういう喜び方をしてくれると、こっちも嬉しいな。


     ◇


 聖国邸のカレンは、図面を両手で抱えていた。


「リアリス様! こちらが、拡張後の配置です!」


「……おお。ありがとう」


 私は、紙を受け取ろうとした。


 ……そのとき。


「あっ!」


 カレンの腕から、別の紙がふわりと落ちた。


 ……うん。


 やっぱり。


「ああっ! 申し訳ありません!」


「大丈夫。今、拾うよ」


「い、いえ! 私が!」


 二人で同時にしゃがみかける。


 …………。


「……あっ」


「……あっ」


 ……危ない。


 頭をぶつけるところだった。


 桜花が、静かに一歩下がった。


 ……いや。


 今、笑ったでしょ。


 ほんの少しだけ。


     ◇


 カレンは、落ちた紙を拾ってから、恥ずかしそうに微笑んだ。


「教室が広くなったら、もっと落とし物に気をつけます!」


「……うん。そうだね」


 ……心配だけど。


 前回の授業では、子どもたちが助けてくれたって言ってた。


 そんな先生も、きっと悪くない。


 フォーサイド魔法国邸へ行くと、サーシャが元気よく迎えてくれた。


「リアリス様!! 拡張、よろしくお願いいたします!!」


「……はい!」


 つられて、私まで声が大きくなった。


 セバスが、少しだけ目を細める。


「サーシャ。声量については、引き続き調整を」


「承知しましたっ!!」


 …………。


 ……うん。


 まだ、時間がかかりそうだね。


     ◇


 ドルステン魔王国邸では、ホリーが小さな子どもたちと話していた。


 私たちの姿を見つけると、優しく一礼する。


「リアリス様。お疲れさまでございます」


「ホリー、こんにちは」


「今日は、教室が広くなると聞いて、みんな楽しみにしているんですよ」


 ホリーの隣で、小さな子が頷いた。


「ひろくなるの?」


「うん。今より少し広くなるよ」


「……おおきいの、こわくない?」


 ……あっ。


 そっか。


 子どもにとっては、大きすぎる建物も怖いかもしれない。


 すると、ホリーがしゃがんだ。


「大丈夫よ。座る場所は、先生と一緒に決めましょうね」


「……うん」


 ……ああ。


 いい先生だねぇ。


     ◇


 シギラ国邸では、ナターシャが待っていた。


「リアリス様ぁ……ようこそぉ……」


「こんにちは、ナターシャ」


「お教室が……二百席になるんですねぇ……」


「うん。今より少し広くなるよ」


「わぁ……」


 ……うん。


 驚き方まで、のんびりしてる。


「それと、今度、補助の先生が三人来る予定だよ」


「それは……うれしいですねぇ……」


「どう?」


「みなさんと一緒なら……一人ずつ、ゆっくり見てあげられますねぇ……」


 ……ああ。


 それ、いいね。


 自習の日なんか、特にぴったりだと思う。


     ◇


 エルフ国邸のシェリルは、いつもどおりだった。


「リアリス様。準備は終わっております」


「おお。ありがとう、シェリル」


「こちらが図面です」


 私は受け取った。


 ……うん。


 きれいにまとまってる。


「何か希望はある?」


「特にございません。必要な設備が揃っていれば問題ありません」


「……そっか」


「ありがとうございます」


 …………。


 ……普通。


 実に、普通だ。


 でも、こういうやり取りが一番落ち着く気もするね。


     ◇


 最後は、ジーラット獣人国邸。


 ラナが、にこにこしながら迎えてくれた。


「はーい! リアリス様、よくいらっしゃいましたねぇ!」


「……うん。こんにちは、ラナ」


「長旅でお疲れではありませんかぁ?」


 …………。


 ……いや。


 転移扉を使って、すぐ来たんだけどね。


「お茶でも飲んで、少し休みましょうねぇ」


「……大丈夫だよ?」


「あらあら。元気なお返事ですねぇ。偉いですよぉ」


 ……また、褒められた。


 桜花が、隣で小さく肩を揺らした気がした。


 ……笑ってるな、絶対。


     ◇


 ラナが気にしていたのは、入口の段差だった。


「小さい子も、大きい子も、おじいちゃんもおばあちゃんも、転んだら大変ですからねぇ」


「うん。そこは、ちゃんと直そう」


「ありがとうございますぅ! リアリス様、優しいですねぇ!」


 ……ああ。


 私、何歳だと思われてるんだろう。


 いや、見た目は若いけどさ。


「それから、みんなが順番を守れるように、並ぶ場所も作りたいですぅ」


「それも、いいね」


 私は、頷いた。


 優しいだけじゃなくて、細かいところも見てるんだね。


 ……やっぱり、先生としては頼もしい。


     ◇


 こうして、八つの学校を順番に広げた。


 どの学校も、同じ《建築》で百席から二百席へ。


 もちろん、通学路や花壇は守ったまま。


 八つの学校。


 八つの教室。


 一校二百席だから、全部合わせて千六百席。


 ……うん。


 これくらいなら、安心できるね。


 しかも、一日六コマある。


 満席なら一校で延べ千二百席分、八校なら延べ九千六百席分の受講枠だ。


 ……おお。


 同じ人が複数回座ることもあるから、受講者の人数とは違うけど。


 建物を何倍にも広げなくても、時間を上手に使えばいいんだね。


     ◇


 それぞれの校舎には、もともとの黒板と机の画面を残した。


 練習用の問題集や筆記具も、必要なものを取り寄せマシーンで揃えた。


 文字を覚えるためのもの。


 簡単な計算を練習するもの。


 もう少し難しい算数に取り組むもの。


 それから、商人さん向けの帳簿の書き方。


 ……うん。


 先生たちが内容を確認して、この世界の暮らしに合わせて使ってくれる。


 現代の教材を、そのまま子どもたちへ渡せばいいわけじゃないからね。


 ……例えば。


 いきなり日本円の計算を出しても、みんな困るだけだろうし。


     ◇


 ここで、もう一つの準備に取りかかることにした。


 そう。


 補助教師だ。


「各校に三人ずつ。全部で二十四人だね」


 私が指を折って数えると、セバスが頷いた。


「はい。既存の先生方は、引き続き各校のメイン教師として、授業の方針と内容をお決めになります」


「うん。アンナたちを交代させるわけじゃないからね」


 補助の先生には、教材の配布や問題の確認、手が止まった子への声かけをお願いする。


 自習の日には、じっくり個別に質問にも答えてもらう。


 ……よし。


 それなら新しい子たちにも、ちゃんとお仕事がある。


「でも、どうせなら、既存のメイドさんから選ぼうか?」


 私が言うと、巴さんが首を振った。


「今は、各邸の九人でお屋敷を回しているの。その子たちまで減らしたら、今度はお屋敷のお仕事が大変になるわ」


 ……あっ。


 そうだったね。


「じゃあ、今回は新しく作ろう!」


 ……うん。


 前の八人は、今いる仲間たちの転任。


 今回の補助教師は、新しく生まれる仲間たち。


 ちゃんと、違う話だ。


     ◇


 私は、桜花と巴さん、セバスを連れて、まずシルク王国邸の広い部屋へ移動した。


 新しいホムンクルスを作るなら、使う魔法は決まっている。


 ……《ホムンクルス作成》。


 新しく生まれる三人は、メイド服を着た女性型。


 名前や細かい個性は、今は決めない。


 でも、子どもにも大人にも、落ち着いて教えられるように。


 読み書きや計算の知識を持ち、先生を支えられるように。


 そして、いつものホムンクルスたちと同じように、永続する《不老不死》と《状態異常無効》も持たせる。


 ……よし。


「《ホムンクルス作成》」


 淡い光の中から、三人のメイドが現れた。


 みんな、きちんと一礼する。


「リアリス様。よろしくお願いいたします」


 ……おお。


 ちゃんとできた!


 セバスが、すぐに前へ出た。


「皆さん。今後はアンナのもとで、学校の補助教師を務めていただきます」


「承知いたしました」


 ……うん。


 息がぴったりだね。


     ◇


 アンナにも、三人を紹介した。


「アンナ。これから一緒に学校をお願いするね」


「はい、リアリス様」


 アンナは三人へ向き直った。


「まずは、授業で使う教材と、子どもたちへの接し方を確認しましょう」


「はい!」


 ……ああ。


 早速、先生の顔だ。


「困ったときは、必ず報告してください。分からないことを、そのままにしてはいけません」


「承知いたしました!」


 …………。


 ……うん。


 厳しいけれど、頼もしい。


 私は、少しだけ笑った。


     ◇


 そこから、《簡易転移》の扉で残り七つの屋敷へ。


 同じように、各校へ三人ずつ補助教師を作った。


 ローズ帝国では、オリアナが笑顔で迎えてくれた。


「みんなで、楽しい授業にしましょうね!」


 聖国では、カレンが三人へ挨拶しようとして、持っていた書類を落とした。


「きゃっ!」


 三人が揃って拾ってくれた。


 ……おお。


 もう、補助してる。


 魔法国のサーシャは、大きな声で歓迎した。


「よろしくお願いしますっ!!」


 補助教師たちも、少し驚いてから元気に返事をした。


 ……うん。


 この学校は賑やかになりそうだね。


     ◇


 魔王国のホリーは、三人へゆっくり仕事を説明していた。


「最初は、みんな緊張するでしょうからね。優しく声をかけてあげましょう」


 シギラ国のナターシャは、嬉しそうに頷いた。


「これで……ゆっくり教えてあげられますねぇ……」


 エルフ国のシェリルは、静かに書類を渡している。


「こちらが教材の一覧です。確認をお願いします」


「はい」


 ……うん。


 普通に、仕事が進んでる。


 そして、獣人国のラナ。


「あらあら、三人とも、きちんと並べて偉いですねぇ!」


 …………。


 ……ああ。


 新しい先生たちまで、子ども扱いされてる。


 でも三人は、にこにこしている。


 ……まあ、仲がよさそうならいいか。


     ◇


 こうして、新しい補助教師が二十四人。


 メイン教師は、アンナたち八人。


 合わせて、三十二人の先生が揃った。


 もともと屋敷で働いている一般メイド七十二人は、そのまま。


 新しい子たちには、各邸の予備室五室のうち一室を三人共用の寝室として使ってもらう。


 残りは四室。


 ……うん。全員、ちゃんと住めるね。


「旦那様。補助教師の追加により、スタッフは合計百十七名となります」


 セバスが、静かに報告した。


「……おお。増えたねぇ」


「はい。ですが、各人の担当は明確にしております」


 ……うん。


 それが一番大事。


 学校を支えてくれる、新しい家族たちだ。


     ◇


 そして、新しい時間割で迎える最初の日。


 私は、少し早めにシルク王国邸の学校へ向かった。


 もちろん、桜花も一緒だ。


 校舎の前には、今日の六コマの時間割が貼り出されている。


 一時間目は、読み書き。


 二時間目は、計算。


 三時間目は、歴史や地理。


 その後にも、暮らしに役立つ勉強や復習の時間が続く。


 ……うん。


 受けたい授業だけを選んでいい。


 だから、仕事のある人も来やすいんだ。


「楽しみでございますね、リアリス様」


「うん!」


 ……さて。


 四人の先生で、どんな教室になるかな。


     ◇


 そこには、もう何人かの大人が並んでいた。


 先日会った、荷物運びの男性もいる。


「おはようございます、リアリス様」


「おはよう。来てくれたんだね!」


「はい。どうしても、文字を覚えたくて」


 ……うん。


 嬉しいなぁ。


 少し離れたところには、手紙を大事そうに抱えたおばあさん。


「おはようございます」


「おはようございます。今日は、よろしくお願いしますね」


「うん。無理せず、楽しんでいってね」


 おばあさんは、にっこり笑った。


 ……ああ。


 この人が、孫からの手紙を読めるようになったら。


 きっと、すごく喜ぶんだろうな。


     ◇


 教室へ入ると、カトレアとニーナちゃんが並んで座っていた。


 ニーナちゃんの淡い赤髪には、今日も花のヘアピン。


 編み込まれた髪が、背中でゆっくり揺れている。


「お父さん!」


「おはよう、カトレア」


「おはようございます、リアリスさん」


「おはよう、ニーナちゃん」


 ニーナちゃんは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。


 ……うん。


 おっとりした、いい子だね。


「今日は、おとなの人も来るんだって!」


 カトレアが、楽しそうに言う。


「そうだよ。いろんな人が一緒にお勉強するんだ」


「じゃあ、ニーナちゃんのお母さんも?」


 ニーナちゃんが、ゆっくり首を横に振った。


「今日は……おうちで、お父さんのお仕事のお手伝いしてるの」


「そっか!」


「でも、お母さんも、そのうち見に行きたいって言ってたよ」


 ……おお。


 見学も歓迎だね。


     ◇


 やがて、一時間目の授業が始まった。


 アンナが、黒板の前に立つ。


 眼鏡。


 黒いショートカット。


 そして、いつものメイド服。


 その後ろには、新しく加わった補助教師が三人。


 ……おお。


 四人並ぶと、ちゃんと学校の先生たちって感じがするね。


「皆さん、おはようございます」


「おはようございまーす!」


 元気な返事が響いた。


「私は、メイン教師のアンナです。今日から、こちらの三人も皆さんのお勉強をお手伝いいたします」


 三人が、静かに一礼した。


 ……うん。


 子どもたちも、ちょっと嬉しそうだ。


「年齢に関係なく、ここでは同じ学ぶ仲間です。分からないことがあれば、遠慮なく質問してください」


 ……ああ。


 いい始まりだね。


     ◇


「そして、ほかの人が分からないことを、笑ってはいけません」


 アンナが、はっきりと言った。


 大人たちも、静かに頷く。


「間違えたところを一緒に確認して、少しずつ進みましょう」


 ……うん。


 アンナらしい。


 今日の一時間目は、読み書きの授業。


 同じ教室で、一文字ずつ覚える子もいれば、文章を書く練習をする大人もいる。


 教材は、取り寄せマシーンで用意したものを先生たちが選んでいる。


 アンナが黒板で基本を説明し、補助教師たちがそれぞれの席を回っていた。


 ……おお。


 先生が四人いると、やっぱり違うね。


 分からないことがあっても、手を挙げたまま長く待たなくてよさそうだ。


     ◇


 まずは、文字を書く練習。


 大人たちも、真剣な顔で筆記具を持った。


 私は、少し離れたところから見守る。


 ……うん。


 みんな、一生懸命だね。


 すると。


「……先生」


 あの荷物運びの男性が、そっと手を上げた。


「はい」


「この文字、これで合ってますか」


 アンナが、紙を見た。


「形は合っています。ただ、こちらをもう少し長くすると、読みやすくなります」


「……なるほど」


 男性は、もう一度ゆっくり書いた。


「……こうですか」


「はい。よくできています」


 男性の顔が、ぱっと明るくなった。


 ……ああ。


 子どもが褒められたときと、同じ顔だね。


     ◇


 少し後ろの席では、おばあさんが困っていた。


 手元には、孫からの手紙。


 文字を一つずつ、確かめている。


 すると、補助教師の一人がそっと隣へ来た。


「難しいところは、ございますか」


「ええ。ここが、どうしても分からなくてね」


 補助教師が、紙を見た。


「まずは、こちらの文字から一緒に練習しましょう」


「はい」


 ……うん。


 焦らなくていいんだよね。


 アンナは教室の前で授業を進めながら、別の補助教師が小さな子の質問に答えている。


 ……ああ。


 こういうために、三人を増やしたんだ。


 今日ひとつ覚えれば、昨日より先へ進んでる。


 私は、何だか嬉しくなった。


     ◇


 休憩の時間。


 カトレアが、ニーナちゃんと手をつないでやってきた。


「お父さん!」


「お疲れさま。どうだった?」


「楽しい!」


 ……うん。


 いつもどおりだね。


 ニーナちゃんも、にこにこしている。


「今日はね、カトレアちゃんと、お花の名前を書いたの」


「おお。いいね!」


「私のおうちにあるお花もね、書いてみたんだよ」


「……おお!」


 ……何だろう。


 学校の授業なのに、お花の話がどんどん増えてる。


 ……まあ、この二人らしいか。


「ニーナちゃん」


「はい?」


「お家のお花も、今度見せてもらえるかな」


「うん! ぜひ来て!」


 ……あっ。


 これは、もしかして。


 お友達のお家へ遊びに行く約束ができたね。


     ◇


「それでね」


 カトレアが、嬉しそうに続けた。


「ニーナちゃんのお家には、アレックスもいるんだよ!」


「……アレックス?」


 私は、首を傾げた。


 ニーナちゃんが、こくりと頷く。


「うちで飼ってる子なの。犬みたいな魔獣なんだよ」


「……魔獣?」


 ……おお。


 飼ってる魔獣。


 この世界だと、そういう家庭もあるんだね。


「お父さんが、ちゃんと国の許可を取ってるんだって!」


 カトレアが、教えてくれた。


 ……うん。


 それは大事だ。


 魔獣は、見た目だけで安全とは限らないもんね。


「Fランクでね……とってもおとなしいの」


 ニーナちゃんが、静かに言った。


「……へえ」


 私は、少し興味が湧いた。


     ◇


 ……ただし。


 魔獣と聞いて、ひとつ思い出したことがある。


 うちの屋敷には、魔獣の侵入を防ぐ《結界》が張られている。


 だから、アレックスを連れて来てもらうのは難しい。


 ……うん。


 それなら。


「今度、ニーナちゃんのお家へ遊びに行かせてもらおうか」


 私は、二人へ提案した。


「本当!?」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなる。


 ニーナちゃんも、嬉しそうに頷いた。


「お母さんに、聞いてみるね」


「うん。ご両親の都合がいい日にしようね」


 ……ああ。


 お友達の家へ行く約束。


 こういうの、何だか懐かしいなぁ。


     ◇


 一時間目の授業が終わる頃。


 アンナが、教室のみんなへ声をかけた。


「本日の読み書きの授業は、ここまでといたします」


「はーい!」


「次の計算の時間を受講する方は、休憩を挟んでお待ちください」


 ……おっ。


 ここで帰る人もいるんだね。


 荷物運びの男性は、嬉しそうに私のところへ来た。


「リアリス様。ありがとうございました」


「……ううん。私は学校を用意しただけだよ」


「今日、初めて仕事に使う文字を自分で書けたんです」


 ……おお。


「次は、仕事が休みの日に計算を習いに来ようと思います」


「うん。待ってるね!」


 男性は、深く頭を下げて帰っていった。


 ……ああ。


 科目を選べる形にして、よかったね。


     ◇


 それから、少しずつ日が過ぎた。


 学校へ来る人たちは、着実に増えていった。


 子どもたち。


 仕事の合間に、必要な一コマだけ受けにくる大人たち。


 文字を覚えたいお年寄り。


 通常授業のない週二日の自習日には、前の授業で分からなかった問題を持ってくる人もいる。


 その日は補助教師を中心に、先生たちが交代で個別に教える。


 ……うん。


 一日六コマ、週五日の通常授業。


 残る二日は、自習と質問の日。


 生徒も先生も、無理のないように通い方や勤務を調整している。


 私も、ある自習の日に学校を覗いてみた。


 今日はアンナがお休みで、補助教師の二人が当番らしい。


 ……うん。


 先生だって、ちゃんと休まないとね。


 教室は、普段より少し静かだった。


 カトレアとニーナちゃんが、机を並べて練習問題を解いている。


「お父さん! ここの字、難しいの!」


「……どれどれ?」


 私が覗くと、補助教師が隣へ来た。


「カトレア様。ここは、最初の一画をもう少し長くすると書きやすくなりますよ」


「……あっ!」


 カトレアが、嬉しそうに筆記具を動かした。


 隣ではニーナちゃんも、分からない計算を別の先生に教えてもらっている。


 黒板の前で一斉に説明する授業とは、ちょっと違う。


 先生と生徒が、隣に座ってゆっくり考える日。


 ……ああ。


 こういう時間も、必要だったんだね。


 通常授業がない日だからこそ、遠慮なく質問できることもある。


 私は、静かな教室を眺めて、少し嬉しくなった。


 でも、意外だったのは。


 年齢が違うからこそ、助け合えることもあるってこと。


     ◇


 ある日。


 カトレアが、家でこんな話をしてくれた。


「お父さん。今日ね、おじさんに文字を教えたの!」


「……おお!」


「カトレアが知ってる字だったから!」


 ……ああ。


 それは、すごいね。


「おじさん、できたって喜んでくれた!」


 私は、娘の頭を撫でた。


「カトレア、偉かったね」


「えへへ!」


 巴さんが、隣で優しく笑った。


「教えてあげられたなんて、すごいわねぇ」


 ……うん。


 勉強って、ただ先生から教わるだけじゃないんだね。


 知っていることを、誰かに伝えることも勉強になる。


     ◇


 ……そういえば、ある日には、意外な人の姿もあった。


 シルク王国の宰相、ミキサーさんだ。


 ……おお。


 王国の宰相まで、学校に来るんだね。


「ミキサーさんも、お勉強?」


「ええ。他国の昔の交易について、学んでおりまして」


 ……おお。


 この人なら、もう何でも知ってそうなのに。


「仕事をしていると、知らないことがいくらでも出てくるのですよ」


 ミキサーさんが、静かに笑った。


「私も、アンナ先生に教わっております」


 ……そっか。


 宰相だって、勉強するんだ。


 しかも、子どもたちと同じ教室で。


 ……ああ。


 なんだか、いいね。


     ◇


 別の日には、逆のことがあった。


 計算の問題で、カトレアとニーナちゃんが困っていたらしい。


 すると、隣にいた商人のおじさんが、商品の数え方を教えてくれたんだって。


「お店でね、こうやって数えるんだって!」


 カトレアが、指を折りながら説明する。


「……なるほど!」


 私は、思わず頷いた。


 ……いや。


 私が感心してどうするんだろう。


 でも。


 その商人さんだって、文字を書くのはまだ練習中なのかもしれない。


 得意なことを教えて、苦手なことは教わる。


 ……うん。


 いい関係だね。


     ◇


 そんなある日。


 セバスが、珍しく少し真剣な顔で書類を持ってきた。


「旦那様。フォーサイド魔法国より、授業内容に関するご相談がございます」


「……ん?」


 私は、顔を上げた。


「何だろう。人数のこと?」


「いえ。魔法についてでございます」


 …………。


「……魔法?」


「はい。魔法国の担当者から、既存の学校で魔法の基礎も教えていただけないかと」


 ……あっ。


 なるほど。


 魔法国なら、そういう希望もあるよね。


「ほかの国からも?」


「現在のところ、魔法国からのみでございます」


「……そっか」


 私は、少し考えた。


 ……うん。


 この国には、魔法を学びたい人が多そうだ。


     ◇


 早速、《映像通話》で魔法国のサーシャと話すことになった。


『リアリス様!! お疲れさまです!!』


「……うん。こんにちは、サーシャ」


 ……声が、大きい。


 相変わらずだね。


『魔法の授業について、ご相談したいです!!』


「うん。聞いてるよ」


『読み書きや計算を覚えた方から、魔法の仕組みも知りたいという声が多くて!!』


 ……ああ。


 そういうことか。


「サーシャなら、教えられる?」


『はいっ!! 既存の魔法に関する知識もあります!!』


 ……うん。


 そうだった。


 先生たちには、ステラの全知識を追加してある。


 サーシャなら、魔法の理論も、ちゃんと説明できるんだね。


     ◇


「ただし、実際に魔法を使う練習は、少し気をつけたいな」


 私は、続けた。


『はいっ!!』


「教室の中で、いきなり火の魔法を使ったりしたら危ないでしょう?」


『承知しております!!』


 ……うん。


 熱意は、十分伝わった。


 セバスが、横から口を開いた。


「旦那様。座学は教室内で行い、実技は安全を確保した場所で、少人数ずつ確認する方法がよろしいかと」


「そうだね」


 私は、頷いた。


 サーシャは知識を教えられる。


 実技は、生徒が扱える範囲の魔法だけ。


 危険な練習は、させない。


「分かった。魔法国の学校だけ、魔法の授業も加えよう!」


『ありがとうございます!!』


 ……ああ。


 画面越しでも、元気が伝わってくるね。


     ◇


 後日、魔法国邸の学校を訪れた。


 サーシャは、黒板の前で魔法の基本について説明していた。


 ……おお。


 魔法国だけに追加した、魔法の基礎の時間だね。


「魔法は、魔力を使って発動するものです!!」


 声が、教室中へ響く。


 ……うん。


 マイク、要らないなぁ。


 補助教師たちは、授業を聞いている人へ、魔法の仕組みが描かれた教材を配っている。


 机の画面にも、基本的な図が映っていた。


 ……うん。


 魔法の実技じゃなくて、まずは安全な座学。


 こういう時間なら、落ち着いて学べそうだね。


     ◇


 授業が終わると、サーシャが私のところへ来た。


「リアリス様!! いかがでしたか!!」


「……うん。とても分かりやすかったよ」


「ありがとうございます!!」


 ……ああ。


 元気だ。


「補助の先生たちとは、うまくやってる?」


「はいっ!! 教材の準備も、質問への対応も、みんな一生懸命です!!」


「……そっか。よかった!」


 サーシャ自身は、魔力を持たないホムンクルスだ。


 補助教師たちだって、特別に魔力を与えたわけじゃない。


 だから、魔法の実技は安全な場所で、実際に魔法を使える受講者に、無理のない範囲で試してもらうことになる。


 ……うん。


 先生だからって、自分で魔法を使わなきゃいけないわけじゃない。


 正しい知識を持って、安全に教えることが大事なんだ。


「危ないことはしないように、ちゃんと見てあげてね」


「承知しました!!」


 ……うん。


 魔法国らしい授業になってきたね。


     ◇


 もちろん、ほかの七つの学校では、魔法の授業は始めていない。


 今のところは、読み書きと計算を中心に。


 歴史や地理、暮らしに役立つことを、少しずつ。


 ……うん。


 国によって、必要なことは違う。


 同じ学校だからって、全部同じ授業にしなくてもいいんだね。


 でも。


 誰でも学べること。


 安心して質問できること。


 その二つは、どの国でも変えたくない。


 私は、そう思った。


     ◇


 その後も、八人の先生から報告が届いた。


 ローズ帝国のオリアナは、商人さんの帳面の練習が大人気だと話していた。


『皆さん、覚えるのが早いんです! 家で使っている帳面を持ってきてくださる方もいて!』


「……おお。それはいいね」


 聖国のカレンは、新しい教材を配っている途中で一度転びかけたらしい。


『でも、今度はちゃんと踏みとどまりました!』


「……おお! 成長したね!」


『ありがとうございます!』


 ……うん。


 何だろう。


 今の会話、先生を褒める話だったっけ。


     ◇


 魔王国のホリーは、年配の受講者に人気があるそうだ。


『皆さん、少しずつ自分のペースで学んでいらっしゃいます』


「うん。いいね」


 シギラ国のナターシャからは、鍛冶職人たちが図面の文字を読む練習を始めたと聞いた。


『昔から使っていた道具の名前も……文字で残せるようになったんですよぉ……』


 ……ああ。


 それは、嬉しいね。


 エルフ国のシェリルは、いつもどおりの報告。


『授業は予定どおり実施しています。問題ありません』


「……ありがとう、シェリル」


『はい。来週も予定どおりです』


 ……うん。


 いつもどおりすぎる。


 でも、安心するね。


     ◇


 そして、ジーラット獣人国のラナ。


『今日も、みんなよく頑張りましたよぉ!』


「……うん。よかったね」


『大人の方も、一生懸命で、とっても偉かったですぅ!』


 ……あっ。


 大人も、子ども扱いしてる。


『でも、一度だけ、お隣の方の答案を勝手に覗いた方がいて……』


「……ああ」


『きちんと注意いたしましたぁ』


 ……うん。


 ……それ以上、聞かなくてもいいかな。


 画面の向こうのラナは、いつもどおりにこにこしていた。


 ……怖い顔、見なくて済んでよかった。


 セバスも、静かに頷いた。


「皆さん、順調のようで何よりでございます」


 ……うん。


 ……順調、だよね?


     ◇


 学校のことが落ち着いてきた、ある休日。


 カトレアとニーナちゃんが、ついに約束を実現することになった。


 そう。


 ニーナちゃんのお家へ、遊びに行くのだ。


 ……おお。


 カトレアが、お友達のお家へ。


 ……何だろう。


 私の方が緊張してきた。


「お父さん! 早く!」


「はいはい」


 カトレアが、嬉しそうに手を振る。


 桜花は、いつものように隣にいる。


 ……うん。


 今日は、学校の用事じゃない。


 ちゃんと、娘のお友達との時間だ。


     ◇


 ニーナちゃんの家は、シルク王都の普通の住宅が並ぶ一角にあった。


 事前にご両親へ連絡し、訪ねてもよいと返事もいただいている。


 庭には、小さな花壇。


 花壇のそばには、木の柵がある。


 ……ああ。


 いいお家だね。


「カトレアちゃーん!」


 玄関から、ニーナちゃんが顔を出した。


 淡い赤髪の編み込みに、花のヘアピン。


「ニーナちゃん!」


 二人が、嬉しそうに駆け寄る。


 ……ああ。


 仲良しだねぇ。


     ◇


「ようこそ、いらっしゃいました」


 ニーナちゃんのお母さんが、玄関で迎えてくれた。


 穏やかな笑顔の女性だった。


「今日は、お招きいただいてありがとうございます」


 私が挨拶すると、女性は少し恐縮したように笑う。


「こちらこそ。いつもニーナが、カトレアちゃんのお話をしているんですよ」


「……おお」


 私は、思わずカトレアを見た。


 娘は、嬉しそうに笑っている。


「お花の話ばっかりなんだよ!」


 ニーナちゃんも、くすっと笑った。


 ……うん。


 それは、学校での様子を見ていれば分かるね。


     ◇


 続いて、お父さんが顔を出した。


「リアリス様。お越しいただき、ありがとうございます」


「こんにちは。今日はよろしくお願いします」


 ニーナちゃんのお父さんは、魔獣について研究する仕事をしているそうだ。


 ……へえ。


 それで、アレックスを飼っているのかな。


「娘が、ずっと楽しみにしておりまして」


「うちもだよ。朝からそわそわしてた」


 カトレアが、少し頬を膨らませた。


「お父さんも、そわそわしてたよ?」


 …………。


 ……あっ。


 見られてた。


 ニーナちゃんのお母さんが、くすくす笑った。


 ……うん。


 恥ずかしいねぇ。


     ◇


 挨拶を済ませると、ニーナちゃんが庭の方へ走っていった。


「アレックスー!」


 ……おっ。


 とうとう登場かな。


 柵の向こうから、とことこと小さな影が近づいてくる。


 茶色っぽい毛並み。


 くるりとした尻尾。


 立った耳。


 ……おお。


 柴犬に、似てる!


 でも、れっきとした魔獣らしい。


「わぁ!」


 カトレアが、目を輝かせた。


「アレックス!」


 ニーナちゃんが呼ぶと、その子は嬉しそうに尻尾を振った。


 ……うん。


 可愛いねぇ。


     ◇


「Fランクの、国から飼育許可を得ている魔獣です」


 ニーナちゃんのお父さんが、説明してくれた。


「人を怖がらせないよう、普段から訓練もしています」


「……なるほど」


 私は、頷いた。


 魔獣だから、誰でも自由に飼っていいというわけじゃない。


 ちゃんと許可を取り、安全に暮らせるようにしているんだね。


「触っても、いい?」


 カトレアが、尋ねた。


 お父さんが、優しく頷く。


「ゆっくり手を出せば、大丈夫ですよ」


 カトレアは、しゃがんでそっと手を伸ばした。


 アレックスが、鼻先を近づける。


 ……ああ。


 大丈夫そうだね。


     ◇


「……ふわふわ!」


 カトレアが、嬉しそうに言った。


 ニーナちゃんも、隣でしゃがむ。


「アレックス、おとなしいでしょう?」


「うん!」


 ……ああ。


 よかったねぇ。


 私は、その様子を眺めながら、ふと思った。


 うちには、モフ太がいる。


 あの子は、見た目こそ縮めてあるけれど、Sランクの魔獣だ。


 ……うん。


 改めて考えると、うちの生活って、普通じゃないね。


 アレックスは、ニーナちゃんの家で家族と暮らしている。


 モフ太は、カトレアの護衛としてうちの庭に住んでいる。


 ……どちらも、大切にされてるんだ。


 それで、いいよね。


     ◇


 その後、二人は小さな花壇を眺めていた。


「これね、お母さんと植えたの」


「かわいい!」


「こっちは、まだ蕾なんだよ」


「うちにも、あるよ!」


 ……うん。


 会話が、ずっとお花だ。


 でも、楽しそうで何より。


 ニーナちゃんのお母さんが、私の隣へ来た。


「学校を作ってくださって、ありがとうございました」


「……あっ」


 私は、少し驚いた。


「いえ。私は建物を作っただけで、勉強を教えてくれているのはアンナたちだから」


「それでも、ニーナがこんなに楽しそうに外で過ごすようになったのは、学校のおかげだと思っています」


 ……ああ。


 そう言ってもらえると、嬉しいな。


     ◇


「それに、わたしも、少し興味があるんです」


 お母さんが、続けた。


「……学校に?」


「はい。家のことはそれなりにできるつもりなんですが、もっと上手にお金の記録をつけられるようになりたくて」


 ……おお。


 家計の管理も、立派な勉強だよね。


「ぜひ、来てください」


 私が答えると、お母さんは笑った。


「大人が通ってもいいと聞いて、安心しました」


 ……うん。


 そう。


 もう、遠慮しなくていい。


 お母さんだって、お父さんだって。


 学びたいことがあれば、勉強していいんだ。


 私は、花壇の前にいる二人を見た。


 ……ああ。


 子どもにとっても、大人にとっても。


 少しずつ、世界が広がっていくんだね。


     ◇


 それから、さらに季節が少し進んだ頃。


 セバスが、また書類を持ってきた。


 ……うん。


 もう、驚かない。


 この人が書類を持ってくるのは、いつものことだ。


「旦那様。本日は、各国の学校に関する経過報告でございます」


「おお。どうなった?」


 私は、机へ身を乗り出した。


 セバスが、ゆっくりと紙をめくる。


「各地で、読み書きや計算ができる方が、少しずつ増えております」


「……おお!」


 それは、嬉しい!


「以前より、商取引の記録をご自身でつけられるようになった方もいらっしゃいます」


 ……ああ。


 ちゃんと、役に立ってるんだね。


     ◇


 王都の市場では、帳面が読めるようになった人が、家業を手伝うようになったそうだ。


 荷札を読むのに、誰かを探さなくても済むようになった人もいる。


 小さな商売を始めた人も、少しずつ増えてきたという。


 ……うん。


 コモド君が心配していたことに、少しは役立っているのかな。


「もちろん、まだすべての人に教育が行き渡ったわけではございません」


 セバスが、続ける。


「ですが、各国から、読み書きができる方の割合が上向き始めているという報告がございます」


「……そっか」


 私は、ゆっくり頷いた。


 すぐに全部が変わるわけじゃない。


 でも。


 昨日まで読めなかった文字が、今日は読める。


 昨日までできなかった計算が、今日はできる。


 ……それが積み重なっていくんだね。


     ◇


 そして、ある日の午後。


 コモド君が、シルク王国邸へやってきた。


「こんにちは、リアリス殿」


「こんにちは、コモド君!」


 桜花が、静かに一礼する。


 セバスは、すでにお茶の準備を終えていた。


 ……うん。


 慣れた光景だね。


「学校のこと、どう?」


 私は尋ねた。


 コモド君は、嬉しそうに笑った。


「各地の商人たちから、お話を聞いております」


「……おお」


「読み書きや計算を学んだことで、家の店を手伝えるようになった方もいるそうです」


 ……そっか。


 最初に相談してくれたのは、コモド君だったもんね。


 きっと、嬉しいんだろうな。


     ◇


「以前、お話しした商人の息子さんを覚えておいでですか」


「……うん。帳面が苦手だった人だよね」


「はい」


 コモド君が、頷いた。


「最近、学校で勉強を始めたそうです」


「……おお!」


「まだすべてを一人で任せられるわけではありませんが、簡単な計算を自分で確かめられるようになったと」


 ……ああ。


 よかったねぇ。


「お父様も、とても喜んでおられました」


「……そっか」


 私は、紅茶をひと口飲んだ。


 ……うん。


 何だか、嬉しい話だね。


     ◇


 コモド君は、少しだけ真面目な顔になった。


「リアリス殿。あのとき、相談してよかったと思っております」


「……いやいや。私も、いいきっかけをもらったよ」


「国としても、感謝しております」


 私は、少し恥ずかしくなった。


「……大げさだよ」


「いいえ」


 コモド君は、首を横に振った。


「学べる人が増えることは、これからの国にとって大切なことですから」


 ……うん。


 そっか。


 私は、少しだけ頷いた。


「じゃあ、これからも続けられるようにしないとね」


「はい」


 コモド君が、微笑んだ。


 ……うん。


 学校って、作ったら終わりじゃないんだね。


     ◇


 数日後。


 私は、またしても居間に呼ばれた。


 ……うん。


 最近、セバスに呼ばれることが多い。


 ……外交のお仕事、増えたなぁ。


「旦那様。各国から、感謝状が届いております」


「……えっ?」


 私は、机を見た。


 そこには、何通もの手紙。


 きれいな封筒。


 それぞれ違う国の印。


 …………。


「……多くない?」


「八か国分でございます」


 …………。


「……全部!?」


 セバスが、穏やかに頷いた。


「はい。学校の設立と運営に関する、お礼のお言葉でございます」


     ◇


 私は、まずシルク王国からの手紙を開いた。


 学校が子どもだけでなく、さまざまな年代の人たちの役に立っていること。


 学ぶ機会を広げてくれたことへの感謝。


 そして、今後も協力していきたいという言葉。


 ……うん。


 ちゃんと、まじめなお手紙だ。


 ……国王からの手紙なんだから、当たり前だけどね。


 ローズ帝国からも、商人の家族たちが喜んでいると知らせが届いていた。


 聖国からは、読み書きができるようになった人が増えているという報告。


 魔法国からは、魔法の基礎を学べる場を作ったことへのお礼もあった。


 ……おお。


 ちゃんと、国ごとに見てくれてるんだね。


     ◇


 さらに。


 エルフ国。


 ドルステン魔王国。


 ジーラット獣人国。


 シギラ国。


 どこからも、学校を作ったことへの感謝が書かれていた。


 ……ああ。


 全部、ちゃんと続いてるんだ。


 私は、手紙を一通ずつ机に並べた。


 八つの国。


 八つの学校。


 八人の先生。


 ……うん。


 なんだか、感慨深いね。


 セバスが、静かに微笑んだ。


「皆さん、大変お喜びでございます」


「……そうみたいだね」


     ◇


「でも、セバス」


「はい、旦那様」


「これ、私だけに届くのは、何だか違う気がするなぁ」


 セバスが、少し首を傾げた。


「と、申しますと」


「学校を動かしてくれているのは、アンナたちでしょう?」


 私は、机の上の手紙を見た。


「巴さんも、各邸のメイドさんたちも、セバスも。みんなでやってくれてることだから」


 ……うん。


 私が作ったのは、建物と、最初のきっかけ。


 でも、それだけじゃ学校は続かない。


「先生たちにも、ちゃんと見せてあげたいな」


 セバスが、深く一礼した。


「かしこまりました。各校へ、写しをお届けいたします」


 ……ああ。


 それが、いいね。


     ◇


 その日の夕方。


 巴さんが、食堂に大きな皿を運んできた。


 今日は、手作りのハンバーグ。


 付け合わせの野菜に、湯気の立つスープ。


 ……ああ。


 いい匂いだねぇ。


「リアリスちゃん。今日もお疲れさま」


「ありがとう、巴さん」


 私は、椅子へ座った。


 桜花も、隣に座る。


 楓は、静かにカトレアのそば。


 セバスは、いつものように食卓の様子を気にかけている。


 ……うん。


 いつもの家族の時間だ。


     ◇


「お父さん!」


 カトレアが、目を輝かせて話しかけてきた。


「今日ね、ニーナちゃんと、お花の名前をいっぱい書いたんだよ!」


「おお。すごいね」


「それでね、アンナ先生に見せたら、ちゃんと読めるって言ってくれたの!」


「……よかった!」


 私は、嬉しくなった。


「あとね、ニーナちゃんのお母さんも、学校に来たんだよ!」


「……おっ」


 あのとき、興味があるって言ってたもんね。


「お母さんと同じ教室で勉強したの?」


「うん! でも、やってる問題は違うの!」


 ……そっか。


 いいね。


 みんな、自分のペースで勉強できるんだ。


     ◇


 その隣で、楓が少しだけ頷いた。


「……よかった」


「うん!」


 カトレアが、にっこり笑う。


「明日はね、ニーナちゃんと新しいお花の名前も書くの!」


 ……ああ。


 本当に、お花が好きだね。


 桜花が、私を見て静かに微笑んだ。


「リアリス様。カトレア様も、楽しんでおられるようでございますね」


「うん」


 私は、頷いた。


 ……いい顔をしてる。


 学校へ行くようになって、カトレアは毎日いろんな話をしてくれる。


 新しく覚えた文字。


 アンナ先生に教わったこと。


 ニーナちゃんと話したお花のこと。


 ……ああ。


 私は、それを聞くのが好きになっていた。


     ◇


 食後。


 私は、庭へ出た。


 空は、ゆっくり夕暮れの色に変わっている。


 屋敷の向こうには、大きくなった学校。


 もう、こんな時間だから、今日の授業は終わっている。


 でも、あの建物には、明日もたくさんの人が来るんだろうな。


 ……子どもも。


 大人も。


 おじいちゃんも、おばあちゃんも。


 ……うん。


 そう考えると、少し嬉しい。


     ◇


「旦那様」


 セバスが、後ろから声をかけた。


「……ん?」


「本日の書類は、すべて整理してございます」


「……ありがとう」


 私は、振り返った。


「セバス。最近、すごく忙しくない?」


「おかげさまで、充実しております」


 ……おお。


 そうか。


 この人、最初は外交の仕事がないって言ってたんだよね。


「学校を作るまでは、暇そうだったのにね」


「左様でございますね」


 セバスが、穏やかに微笑む。


「ですが、旦那様のお役に立てることは、大変喜ばしいことでございます」


 ……うん。


 いい人だなぁ。


 私は、少しだけ笑った。


「いつも、助かってるよ」


「恐れ入ります」


     ◇


 私は、屋敷の方へ目を向けた。


 窓の向こうでは、巴さんが何かを片づけている。


 桜花は、いつものように私のそばへ戻ってきた。


 カトレアの笑い声が、家の中から聞こえる。


 ……ああ。


 結局、私が望んでいたのは、こういう毎日だったんだよね。


 大きな事件が起きないこと。


 みんなが元気でいること。


 それから。


 ……できれば、明日もおいしいご飯が食べられること。


 ……うん。


 結構、大事。


     ◇


 八つの国に、学校ができた。


 アンナたち八人のメイドが、メイン教師になった。


 さらに二十四人の補助教師が加わって、三十二人で学校を支えている。


 一校二百席。


 一時間ずつ、一日六コマ。


 週五日の通常授業と、週二日の自習の日。


 子どもたちには友達ができて。


 大人たちは、新しいことを覚え始めた。


 そして、各国からは感謝の手紙。


 ……うん。


 なんだか、大きなことをした気もする。


 でも。


 私にとって一番嬉しかったのは。


 今日もカトレアが、学校であった楽しい話を聞かせてくれたことだった。


 ……ああ。


 明日も、あの子が笑って帰ってきたらいいな。


     ◇


「リアリス様」


 桜花が、静かに声をかけた。


「そろそろ、お戻りになられますか」


「うん。帰ろうか」


 私は、屋敷へ向かって歩き始めた。


 セバスが、静かに扉を開ける。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 ……おお。


 まだ庭にいたんだけどね。


 私は、思わず笑った。


「ただいま、セバス」


 ……ああ。


 のんびり暮らしたいと思って始まった、異世界での生活。


 気がつけば、八つの国に学校まで作っちゃった。


 ……うん。


 予定とは、ちょっと違う。


 ……でも。


 みんなが笑っているなら、こういう寄り道も悪くないね。


 私は、温かな明かりの灯る家へ戻った。


     ◇


 ……と。


 これで学校の話も、平和にひと区切りついたはずだった。


 ……いや、事件が起きたわけじゃないよ?


 ただ、その翌日。


 私たちは、ちょっと妙なものを見ることになった。


 その日は、巴さんとカトレアを連れて、王都の外にいるモフ太に会いに行った。


 モフ太は、見た目を小さくしていてもSランクの魔獣だ。


 王都の中には入れられないので、会うときはこちらから出向く。


 ……うん。


 その辺りの決まりは、ちゃんと守らないとね。


 私たちを見つけたモフ太が、とことこと駆け寄ってくる。


 いつもの、五十センチほどのもふもふした姿。


「モフ太ー!」


 カトレアが、嬉しそうに手を振った。


 モフ太も、短い前足をぴょこんと上げる。


 ……ああ。


 今日も平和だねぇ。


     ◇


 ところが。


「ねえねえ、聞いて!」


 カトレアは、巴さんの袖を引いた。


「あら、どうしたの?」


「ニーナちゃんのお家にね、アレックスっていう子がいるんだよ!」


「まあ。お友達のお家の子なのね」


「うん! 犬みたいな魔獣でね、すっごくモフモフなの!」


 ……おっ。


 アレックスの話だね。


 カトレアは、両手を大きく広げた。


「毛がふわっふわで、しっぽがくるんってしててね! 撫でると、すっごく気持ちいいの!」


「あらあら。それは可愛らしいわねぇ」


 巴さんが、嬉しそうに頷く。


「今度、お父さんにもいっぱい触ってもらいたいくらい!」


 ……うん。


 もう触ったんだけどね、私は。


 ……と、そこで。


 視界の端にいたモフ太が、ぴたりと動きを止めた。


 …………。


 ……ん?


     ◇


 モフ太の耳が、ぴんと立っている。


 カトレアを見る。


 巴さんを見る。


 そして、もう一度カトレアを見る。


「アレックスね、ほんとにモフモフなんだよ!」


 ……ぐる。


 モフ太が、小さく鳴いた。


 …………。


 あれ?


 なんだか、いつもと雰囲気が違うような。


 すると、モフ太が、いつもの落ち着いた声で尋ねた。


「……アレックスとは、どなたでしょうか」


「ニーナちゃんのお家の子だよ!」


 カトレアが、嬉しそうに答える。


「とっても可愛いんだよ!」


 ……ぐるる。


 モフ太が、真剣な顔でカトレアを見上げた。


「……私も、十分モフモフだと思うのですが」


 …………。


 ……あっ。


 もしかして。


     ◇


「もちろん、モフ太もモフモフだよ!」


 カトレアが、しゃがんでモフ太を撫でた。


 モフ太は、嬉しそうに目を細める。


 ……うん。


 よかった、よかった。


 ……と思ったら。


 モフ太が、少しためらいがちに続けた。


「……アレックスよりも、でしょうか」


 …………。


 …………。


 ……えっ?


 そこ、張り合うところなの!?


「ふふ。モフ太ちゃんも、カトレアにたくさん撫でてほしいのねぇ」


 巴さんは、楽しそうに笑っている。


 カトレアは何も気づかず、モフ太の頭を撫で続けた。


「モフ太も大好き!」


 ……ぐるっ。


 モフ太が、得意そうに胸を張る。


 ……ああ。


 満足したみたいだね。


 ところが、最後にモフ太がぽつりと呟いたのは。


「……次にお会いしたときは、アレックスには負けません」


 …………。


 ……何の勝負!?


 私は、思わず空を見上げた。


 Sランクのバイオレンスグリズリーが、Fランクの飼育魔獣を勝手にライバル認定。


 しかも、争っているのは強さじゃなくて、毛並みのモフモフ具合。


 ……ああ。


 頼むから、平和な勝負にしてね。


 ちなみに。


 当のアレックスは、そんな勝負が始まったことすら、まったく知らないんだけどね。

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