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第3話:メイドさんが先生になりました

 学校を作って、カトレアに新しいお友達ができた。


 ……うん。


 ここまでは、とてもいいことだ。


 問題は、その次。


「……先生が足りないんだよねぇ」


 翌朝、私はシルク王国邸の食堂で、焼き魚をつつきながら呟いた。


 今朝は白いご飯に、焼き鮭、だし巻き卵、豆腐とわかめのお味噌汁。


 巴さんが用意してくれた、ほっとする和風の朝ご飯だ。


 ……ああ。


 この塩加減、たまらない。


 ……じゃなくて。


 今は学校の話だった。


     ◇


「リアリスちゃん。お魚、冷めちゃうわよ」


「……あっ。いただきます」


 私は慌てて鮭を一口食べた。


 桜花が、隣で静かに頷いている。


 向かいではカトレアが、だし巻き卵を嬉しそうに食べていた。


「お父さん、きょうも学校?」


「うん。カトレアは行きたい?」


「行く!」


 返事が早い。


 ……ああ。


 そんなに楽しみにしてくれてるんだね。


「でも、今日はまだ体験授業なんだ。ちゃんとした先生を決めたら、毎日通えるようになるよ」


「……せんせい?」


「うん。みんなにお勉強を教えてくれる人」


 カトレアは少し考え、それから首を傾げた。


「セバスじゃ、だめ?」


 ……おっ。


 鋭い質問だね。


     ◇


「セバスは、ほかにも大事なお仕事があるからね」


 私が答えると、本人が静かに頭を下げた。


「お嬢様。学校のお手伝いは喜んでいたしますが、すべての授業を担当するのは難しゅうございます」


「……そっか」


「ですが、必ずよい先生をご紹介いたします」


「ほんと?」


「お約束いたします」


 カトレアが、にっこり笑った。


「じゃあ、待ってる!」


 ……ああ。


 期待されちゃった。


 これは、早く決めてあげたいね。


 私は白いご飯を口へ運ぶ。


 ……うん。


 考えることがある朝ほど、ちゃんと食べないと。


 ……これは、セバスの受け売りだけどね。


     ◇


 食後。


 私は、桜花と巴さん、セバスと一緒に居間の机を囲んだ。


 机の上には、八つの学校の資料。


「一つの学校に、先生が一人ずつ必要だよね」


「はい、旦那様」


 セバスが頷く。


「現状では、各校とも見学や短い体験授業を行っております。ですが、毎日三時間の授業を続けるためには、専任の担当者が必要でございます」


「……そうだよね」


 私は書類を見た。


 シルク王国。


 ローズ帝国。


 フォーサイド魔法国。


 聖国。


 ドルステン魔王国。


 シギラ国。


 エルフ国。


 ジーラット獣人国。


 八つの屋敷の敷地内に、一校ずつ。


 ……立派に作ったのはいいけれど。


 先生の数も、八人必要なんだ。


     ◇


「またホムンクルスを作ろうかと思ったんだけど……」


 私が言いかけると、巴さんが首を傾げた。


「あら。リアリスちゃん、もう決めたの?」


「ううん。だから、相談したかったんだ」


 巴さんが、優しく微笑む。


「だったら、今いる子たちにも聞いてみたらどうかしら」


「……今いる子たち?」


「ええ。一般メイドの中にも、人に何かを教えるのが好きな子はいると思うわ」


 …………。


 ……あっ。


 そうか。


 私は、ぽんと手を打った。


 屋敷には、たくさんのメイドたちがいる。


 しかも、みんなそれぞれ性格も得意なことも違う。


 これまで、屋敷のお仕事をお願いしていたからって。


 ほかのことに興味がないとは限らないんだ。


     ◇


「でも、メイドさんが減っても大丈夫かな?」


 私は、巴さんを見た。


「一つの屋敷に、一般メイドは十人ずつでしょう?」


「ええ」


「一人ずつ先生になったら、九人になっちゃうよ」


「そうね。でも、それで屋敷が回らなくなるとは思わないわ」


 巴さんは、机の上の資料を指さした。


「今の仕事は、みんなで分担しているもの。雑貨屋の商品も自動で補充されるし、無理な仕事量にはしないようにしているわ」


 ……そうだったね。


 おかげで、私は普段のんびりできてる。


 ……いや。


 のんびりできるはずだったんだよね。


「だから、各邸から一人ずつ選んで、残りの九人でお仕事を調整すれば大丈夫よ」


「……本当?」


「ええ。ただし、本人の気持ちも聞いてあげましょうね」


「もちろん!」


 ……うん。


 それが一番大事だよね。


     ◇


 セバスが、書類を一枚取り出した。


「すでに各邸から、教育の仕事に関心を持つ者の名前が届いております」


 …………。


「……えっ?」


 私は、セバスを見た。


「もう?」


「先日の体験授業の後、巴と相談しておりました」


 巴さんが、にっこり笑う。


「ふふ。リアリスちゃんが困っていたからね」


 ……ああ。


 先を越されてる。


 でも、これは嬉しい先回りだ。


「ただ、勝手に決めたわけではございません」


 セバスが、続けた。


「まずは本人たちとお話をしていただければと存じます」


「うん。ぜひ会いたい!」


 私は、書類へ身を乗り出した。


     ◇


 そこには、八人の名前が並んでいた。


 アンナ。


 オリアナ。


 カレン。


 サーシャ。


 ホリー。


 ナターシャ。


 シェリル。


 ラナ。


 ……おお。


 みんな、うちのメイドさんだ。


 と言っても、普段は八つの屋敷に分かれて働いている。


 全員と一度にゆっくり話したことは、あまりないかもしれない。


「今日、集まってもらえるかな」


「はい。すでに各邸と調整しております」


「……セバス、すごいね」


「恐れ入ります、旦那様」


 ……ああ。


 新しく家族が増えるたびに、私は楽になっている気がする。


 ……なのに、どうしてやることは増えるんだろう。


     ◇


 その日の午前。


 シルク王国邸の居間へ、八人のメイドが集まった。


 巴さんの《簡易転移》の扉を使って、それぞれの屋敷から移動してもらった。


 各邸には、いつもの担当メイドたちが残っている。


 ……うん。


 こういうとき、この扉は本当に便利だね。


 居間には、椅子とお茶を用意した。


 私は、桜花と並んで座る。


 巴さんとセバスも、すぐ近く。


「みんな、来てくれてありがとう」


 私が言うと、八人が揃って一礼した。


「こちらこそ、お呼びいただきありがとうございます、リアリス様」


 ……おお。


 息がぴったり。


 なんだか、少し緊張するね。


     ◇


「えっと、今日は先生のお仕事について相談したくて」


 私は、八人の顔を順に見た。


「学校ができたんだけど、毎日教えてくれる人が、まだ決まってないんだ」


 誰も口を挟まず、静かに聞いてくれる。


「巴さんとセバスから、みんなが興味を持ってくれてるって聞いたよ」


 私は、少しだけ笑った。


「でも、無理にお願いするつもりはないから。まずは、みんなの気持ちを聞かせてほしいな」


 すると。


 一人のメイドが、すっと背筋を伸ばした。


 黒いショートカット。


 きっちり整えられたメイド服。


 そして、眼鏡。


「リアリス様。発言してもよろしいでしょうか」


「もちろん!」


「ありがとうございます」


 ……おっ。


 とても真面目そうだね。


     ◇


「アンナと申します。現在はシルク王国邸に勤務しております」


 その声は、きびきびとしていた。


「私は、教師への転任を希望しております」


「……おお!」


「学ぶ機会を求める子どもたちを、きちんと導きたいと考えております。規則は守っていただきますが、理不尽な指導をするつもりはありません」


 ……うん。


 すごく頼もしいね。


 私は、少しだけ笑った。


「アンナって、いつもこんなにしっかりしてるの?」


「はい。仕事に関しては、曖昧にしないよう心がけております」


 ……なるほど。


 これは、厳しい先生になりそうだ。


 でも、怒りたいから厳しいわけじゃないんだね。


「子どもたちが分からないことを、分からないままにするつもりもございません」


「うん。ありがとう、アンナ」


 眼鏡の奥の目が、少しだけ和らいだ。


     ◇


「はーい、次は私でいいですか?」


 明るい声が響いた。


 立ち上がったのは、茶色い髪を長いポニーテールにまとめた女性。


「ローズ帝国邸のオリアナです!」


「こんにちは、オリアナ」


「はい! こんにちは、リアリス様!」


 ……おお。


 元気だねぇ。


 オリアナは、にこにこと続けた。


「私、子どもたちが何かできるようになったときの顔が好きなんです。だから、お勉強ができたら、いっぱい褒めてあげたいです」


「……いいね」


「でも、できなかったときも、ちゃんと一緒に考えます。最初から何でもできる人はいませんから!」


 ……ああ。


 優しいね。


 ローズ帝国邸には、エーデルさんもいる。


 こういう明るい人が一緒に働いているなら、きっと心強いだろうな。


     ◇


「わ、私も!」


 次に立ち上がったのは、長い金髪の女性だった。


 髪はまっすぐ背中へ流れている。


「聖国邸のカレンです! よろしくお願いいたします!」


 そう言って、勢いよく頭を下げた。


 ……と、その瞬間。


 膝が椅子の脚へこつんと当たった。


「あいたっ!」


 …………。


「だ、大丈夫?」


「はい! 大丈夫です! 失礼しました!」


 カレンが、慌てて姿勢を正す。


 ……うん。


 見事なドジっ子だね。


 でも。


「私、先生になったら、子どもたちが失敗しても笑われない教室にしたいんです」


 その声は、真剣だった。


「失敗することって、恥ずかしくないと思うので!」


 ……ああ。


 なるほど。


 さっき転びかけた人が言うと、説得力があるね。


     ◇


「はいっ!!」


 次の瞬間、居間に大きな声が響いた。


「……わっ!」


 私は、少し肩を跳ねさせた。


 赤茶色のミドルヘアの女性が、勢いよく立ち上がっている。


「フォーサイド魔法国邸のサーシャです!!」


「……こ、こんにちは」


「こんにちは、リアリス様!!」


 ……うん。


 すごく、よく聞こえる。


 遠くの廊下にいた人にも聞こえたんじゃないかな。


「私は、子どもたちが『できない』と諦めないよう、全力で応援したいです!!」


「……うん。熱意は伝わったよ」


「ありがとうございます!!」


 ……ああ。


 声が大きい。


 でも、なんだか元気が出るね。


 セバスが、穏やかに声をかけた。


「サーシャ。教室では、少しだけ声量を調整するとよろしいかと」


「はいっ!!」


 ……うん。


 そこから、練習しようか。


     ◇


「ふふ。みんな、元気ねぇ」


 次に立ち上がったのは、緑色の短い髪の女性。


 表情が、とても柔らかい。


「ドルステン魔王国邸のホリーです。よろしくお願いいたします」


「こちらこそ、ホリー」


「私も、教師のお仕事を希望しています」


 ホリーは、ゆったりした声で続けた。


「小さな子は、慣れない場所に来るだけで疲れるでしょう。まずは、安心して座れるようにしてあげたいんです」


 ……ああ。


 何だか、お母さんみたいだ。


「お腹がすいていたら、お勉強にも集中できませんものね」


「……うん」


 そこで、巴さんが深く頷いた。


「あら、よく分かっているわね」


「はい。巴さんのおかげです」


 ……おお。


 この二人、気が合いそうだね。


 ……というか、うちのお母さんが増える気がする。


     ◇


「……では、次は……わたしですねぇ」


 のんびりした声。


 立ち上がったのは、長い黒髪を編み込んだ女性だった。


 動作まで、どこかゆっくりしている。


「シギラ国邸の……ナターシャと申しますぅ」


「こんにちは、ナターシャ」


「こんにちはぁ、リアリス様ぁ」


 ……おお。


 何だか、すごく癒されるね。


「わたしも……先生になれたら……うれしいですぅ」


 ナターシャは、にこりと笑った。


「急いで覚えなくても……いいと思うんです。ひとつずつ……ちゃんと分かっていけば……」


 ……ああ。


 なるほど。


 この人の教室は、落ち着きそうだね。


「でも……出席の確認は、忘れないようにしないとですねぇ」


 …………。


 ……えっ。


 今、自分で心配してる?


「名簿は、セバスに確認していただきますぅ」


 ……うん。


 それがいいかもしれないね。


     ◇


「次は私ですね」


 ごく普通の声がした。


 立ち上がったのは、黒髪の女性。


 髪型も、服装も、立ち方も。


 ……うん。


 何と言えばいいんだろう。


 とても、普通だ。


「エルフ国邸のシェリルです。教師への転任を希望します」


「……うん。よろしくね」


「はい。よろしくお願いいたします」


 …………。


 少しの沈黙。


 私は、続きを待った。


「子どもたちには、分かりやすく、丁寧に教えたいと思っています」


「……うん。いいと思うよ」


「ありがとうございます」


 …………。


 ……終わった。


 いや、悪い意味じゃないよ。


 話し方も内容も、ものすごく普通なんだ。


 ……あれ。


 でも、学校って、そういう先生が一人いるのも大事な気がするね。


     ◇


「はいはーい! 最後は私ですねぇ!」


 明るく弾む声がした。


 ピンク色の髪を編み込んだ女性が、両手を揃えて立ち上がる。


「ジーラット獣人国邸のラナです。どうぞよろしくお願いしますねぇ!」


「よろしくね、ラナ」


「はい、リアリス様! とってもいいお返事です!」


 …………。


 ……えっ。


 いいお返事?


 私、今、褒められた?


「先生になったら、みんなが安心して過ごせる教室にしたいんですぅ。小さな子も、大きな子も、ひとりずつお話を聞いてあげますね」


「……うん」


「分からないことは、恥ずかしがらずにお手々を挙げてくれたら嬉しいです!」


 ……おお。


 幼稚園の先生みたいだね。


 ……というか。


 私まで子ども扱いされてない?


     ◇


「ラナ」


 セバスが、静かに声をかけた。


「教師としての意欲は、よく伝わりました。ただ、ここには成人の方もいらっしゃいますので――」


「あらあら、セバスちゃん。順番を待てて、とっても偉いですねぇ」


 …………。


 ……えっ。


 セバス、ちゃん?


 私は、思わずセバスを見た。


 整った髭。


 白い短髪。


 見た目は六十歳くらいの、完璧な執事。


 その人が。


 ……ちゃん付けされた。


 セバスは、微笑んだまま一礼した。


「……お気遣い、ありがとうございます。ラナ」


 ……おお。


 動じない。


 さすが、交渉の天才。


 私は必死に笑いをこらえた。


     ◇


「リアリスちゃん?」


 巴さんが、私の顔を覗き込む。


「……ううん。何でもない」


「ふふ。そう?」


 ……危ない、危ない。


 ラナの前で笑ったら、私まで何か言われそう。


 そう考えていると、ラナがにこりと笑った。


「リアリス様も、ちゃんとお話を聞けて偉いですよぉ」


 …………。


 ……言われた!


 私は、とうとう顔を伏せた。


 桜花が、隣で口元をほんの少し緩めている。


 ……桜花。


 笑ってるでしょ。


「リアリス様。お顔が赤うございます」


 ……分かってるよ!


     ◇


 ひと通り話を聞いたところで、私は八人へ改めて尋ねた。


「みんな、本当に先生になりたいんだね?」


 八人は、揃って頷いた。


 眼鏡のアンナが、代表するように答える。


「はい。自分たちで考え、希望しました」


「そっか」


 私は、少し安心した。


 ……よかった。


 私が作ったからって、何でも言うことを聞いてほしいわけじゃない。


 みんなが、自分のやりたいことを見つけられたなら、それが一番だ。


「じゃあ、お願いしてもいいかな」


「はい!」


 返事が重なった。


 ……おお。


 新しい先生が、八人。


 ……いや。


 まだ、先生になる準備が必要だね。


     ◇


 セバスが、一枚の書類を広げた。


「旦那様。各邸の人員配置は、こちらでございます」


 私は、覗き込んだ。


 シルク王国邸のアンナ。


 ローズ帝国邸のオリアナ。


 聖国邸のカレン。


 フォーサイド魔法国邸のサーシャ。


 ドルステン魔王国邸のホリー。


 シギラ国邸のナターシャ。


 エルフ国邸のシェリル。


 ジーラット獣人国邸のラナ。


 ……うん。


 ちょうど、各邸から一人ずつだ。


「教師専任になったあとは、普段のメイド業務から外れていただきます」


 セバスが、続ける。


「各邸の残る九人で、従来の仕事を分担いたします。巴と、各邸の担当者にも確認を取っております」


「……本当に大丈夫?」


 私は、念を押した。


 巴さんが頷く。


「大丈夫よ。必要なら仕事の分担を変えるから」


 ……うん。


 安心した。


     ◇


「新しいホムンクルスは、作らなくてよさそうだね」


 私は、指を折って数えた。


 桜花が一人。


 巴さんが一人。


 フラワーズが八人。


 一般メイドとして作った子たちが八十人。


 そこへ、セバスが一人。


 ……合わせて九十一人。


 ほかに、普通の人間のエーデルさんと、猫獣人のキャッツさんがいる。


 ……全部で九十三人。


 その八十人のうち、八人が先生になる。


 残る七十二人が、これまでどおりメイドの仕事をする。


 ……うん。


 誰も新しく作ってないね。


「これで、人数は変わらない」


「左様でございます、旦那様」


 ……よし。


 お屋敷の人員も、ちゃんと守れそうだ。


     ◇


「ところで、リアリスちゃん」


 巴さんが、私を見た。


「先生になる子たちには、教えるための知識が必要でしょう?」


「……あっ」


 私は、思わず声を漏らした。


 ……そうだ。


 先生をお願いできる人が見つかっただけじゃ、まだ足りない。


 文字を教える。


 計算を教える。


 この世界の歴史や地理を教える。


 そして、子どもたちから出てくる質問に答える。


 ……うん。


 結構、大変だ。


「それなら、私が知識を追加すればいいかな」


 私は、何気なく言った。


 …………。


 八人が、静かにこちらを見る。


「……追加、でございますか?」


 アンナが尋ねた。


「うん。《想像魔法》があるから」


 ……ああ。


 言ってから、気づいた。


 ……どうやって?


     ◇


 私は、少しだけ考え込んだ。


 新しいホムンクルスを作るなら、容姿も性格も、得意なことも想像して決められる。


 セバスだって、交渉が得意な執事として生まれてきた。


 でも。


 目の前の八人は、もうここにいる。


 自分で考え、仕事をして、好きなことを見つけた、大切な仲間だ。


 ……一度作ったホムンクルスに、後から能力を追加することなんて、できるのかな。


「……あれ?」


 私は、思わず呟いた。


「リアリス様?」


 桜花が、不思議そうに首を傾げた。


「……今まで、試したことなかったかも」


     ◇


 ホムンクルスを作るとき、私が使っているのは《ホムンクルス作成》。


 名前のとおり、作るための魔法だと思っていた。


 だから、すでに生まれた子に対して使うなんて、考えたこともなかった。


 ……でも。


 《想像魔法》は、私が想像した魔法を作り出せる力だ。


 そして、ホムンクルスを実際に生み出すのは、個別に作った《ホムンクルス作成》。


 なら。


 《ホムンクルス作成》に、既存の子へ能力を追加する効果も持たせられるんじゃないかな。


 …………。


 ……いや。


 そんな都合のいい話、あるのかな。


 ……あるかもしれないんだよなぁ、この魔法なら。


     ◇


「アンナ」


「はい、リアリス様」


「一つ、試してみたいことがあるんだけど」


「何でしょうか」


 私は、考えを説明した。


 《ホムンクルス作成》で、既存のホムンクルスにも能力を追加できるかもしれないこと。


 もし可能なら、教師として必要な知識や、身を守るための能力を与えたいこと。


 ただし、性格や記憶まで変えてしまうつもりはないこと。


 アンナは、最後まで真剣に聞いていた。


「……承知しました」


 そして、少しだけ眼鏡を直した。


「私でお試しください」


「……いいの?」


「はい。子どもたちへ教えるために必要な力であれば、ぜひ身につけたいと考えております」


 ……ああ。


 ありがとう。


 でも、ちょっと待って。


     ◇


「もし途中で変な感じがしたら、すぐに教えてね」


「承知いたしました」


「無理はしなくていいから」


「はい」


「あと、性格が変わっちゃったり、今の記憶がなくなったりするようなら――」


「リアリス様」


 アンナが、静かに私を見た。


「ご心配くださり、ありがとうございます」


 ……うん。


 心配なんだよ。


 だって。


 この子たちは、みんな私にとって家族なんだから。


「まずは、できるかどうかだけ確かめよう」


 私は、ゆっくり手を伸ばした。


「……《ホムンクルス作成》」


     ◇


 アンナの姿を、頭に思い浮かべる。


 黒いショートカット。


 眼鏡。


 真面目で、厳しいけれど理不尽なことはしない性格。


 ……ここは、変えない。


 新しい体を作るわけでもない。


 今いるアンナに、必要な能力だけを追加する。


 ……そう。


 そういうことが、できないかな。


 私は、静かに集中した。


 すると。


 ……あれ?


 いつも新しいホムンクルスを作るときとは、少し違う感覚があった。


 目の前のアンナに、想像したものを重ねられるような。


 ……えっ。


 これって。


     ◇


 私は、一度魔法を止めた。


「……アンナ、何か感じた?」


「……いえ。特に変化はございません」


「そっか」


 ……うん。


 少なくとも、変なことは起きてない。


 桜花が、私の横へ来た。


「リアリス様。何か分かったのでございますか」


「……たぶん」


 私は、目を瞬いた。


「これ、できるかもしれない」


 …………。


 巴さんが、少し驚いた顔をした。


「あら。既存のホムンクルスにも?」


「うん。新しい体を作らなくても、今いる子に能力を足せそうなんだ」


 ……ああ。


 そんなの、もっと早く気づいていれば。


 ……いや。


 今、気づけてよかったのかな。


     ◇


 セバスが、静かに口を開いた。


「旦那様。もし可能でございましたら、追加する内容を明確にしてから行われるのがよろしいかと」


「……うん。そのとおりだね」


 私は、紙を取り出した。


 必要なのは、教師としての知識。


 それから、子どもたちを守るための備え。


 私は、頭の中を整理する。


 まず、《絶対防御》。


 これは、永続。


 ……何かあったとき、先生が倒れてしまったら、子どもたちを守れない。


 もちろん、《絶対防御》だって、どんな相手にも絶対に破れないわけじゃない。


 ……桜花のことがあったからね。


 それでも、守りが増えることに意味はある。


     ◇


 次に、《歴史閲覧》。


 過去に起きた出来事を、映像で確かめられる魔法だ。


 ……これ、授業で使えたら便利だよね。


 昔の暮らし。


 大きな出来事。


 文字だけでは分からないことも、実際の様子を見れば理解しやすい。


 ただし。


「……あっ。先生が毎回、魔力を使い切ってたら大変だね」


 私は、思わず呟いた。


 アンナが首を傾げる。


「魔力、でございますか」


「うん。魔力を消費しないようにしておくね」


 ……そうだった。


 みんなに与えてきた特別な能力は、魔力がなくても使えるようにできる。


 今回も同じようにしよう。


 《歴史閲覧》は、MP消費なし。


 ……よし。


     ◇


 そして、最後。


 教師に必要な知識。


 私は、少し考えた。


 読み書き。


 計算。


 地理。


 歴史。


 動植物。


 それから、各国の文化や暮らし。


 ……あれ。


 一つずつ追加していたら、終わらないね。


 だったら。


「……ステラのことを全部知っている、っていうのはどうかな」


 私は、口に出した。


 …………。


 セバスが、少しだけ目を細めた。


「旦那様。それは、大変広範な知識になりますが」


「……だよね」


 私は、頷く。


 この世界、ステラ。


 その歴史や地理、生き物のことから、各国の習慣まで。


 ……全部って。


 冷静に考えると、とんでもないね。


 でも。


「知識があっても、どう教えるかは本人に考えてもらいたいんだ」


 私は、八人を見た。


「知っていることを、全部一度に話せばいいわけじゃないから」


     ◇


 アンナが、頷いた。


「はい。子どもたちの理解に合わせて、教える内容を選びます」


「うん。そうしてほしい」


 私は、続けた。


「知っていることが多くても、相手の気持ちが分からなかったら、いい先生とは言えないと思うんだ」


 オリアナが、優しく笑う。


「それなら、私たちの出番ですね!」


 カレンも、勢いよく頷いた。


「はい! 何度でも、一緒に練習します!」


 ……うん。


 きっと、大丈夫そうだね。


 私は、アンナへ向き直った。


「じゃあ、今度こそ。いい?」


「はい、リアリス様」


     ◇


 私は、もう一度《ホムンクルス作成》を使った。


 対象は、アンナ。


 今の姿も、声も、性格も、記憶も変えない。


 新しく生まれさせるわけでもない。


 今いるアンナに、必要なものだけを追加する。


 永続《絶対防御》。


 MP消費なし《歴史閲覧》。


 そして、ステラの全知識を持つ、天才的な知識能力。


 ……よし。


 そう、はっきり想像した。


「《ホムンクルス作成》」


 淡い光が、アンナの体を包んだ。


 …………。


 ……おっ。


 光が、消えた。


     ◇


「……アンナ?」


 私は、そっと声をかけた。


 アンナは、静かに目を開いた。


「はい、リアリス様」


「……大丈夫?」


「はい。問題ございません」


 ……よかった。


 私は、ほっと息を吐いた。


「何か、変わった?」


 アンナは、少しだけ考えた。


「……知識が増えております」


「……おお!」


「これまで知らなかった地名や歴史、言語、動植物について、理解できます」


 ……本当だ。


 できちゃった。


 既存のホムンクルスに、後から能力を追加できるんだ!


 ……えっ。


 これまで、一度も試してなかったの!?


 私は、思わず自分の額を押さえた。


     ◇


 セバスが、静かに確認する。


「アンナ。以前のお仕事のことは、覚えておいでですか」


「もちろんです。今朝も調理場の備品を点検しました」


「巴とのお約束は?」


「学校の担当が決まりましたら、持ち場の引き継ぎを終えること、でございます」


 ……おお。


 ちゃんと覚えてる。


 アンナは、眼鏡を直した。


「性格も、変わったとは感じません」


 ……うん。


 そのきっちりした言い方を聞くと、安心するね。


 私は、少し笑った。


「ありがとう、アンナ」


「いえ。今後とも、よろしくお願いいたします」


 ……よかった。


 この人は、ちゃんとアンナのままだ。


     ◇


「《歴史閲覧》も試してみようか」


「はい」


 私は、アンナを学校へ案内しかけて、足を止めた。


 ……いや。最初の確認は、ここで十分だよね。


「例えば、シギラ国が統一される前の、二つの国の様子とか」


 アンナは、少し目を伏せた。


「確認いたします。《歴史閲覧》」


 彼女の前に、淡い映像が浮かび上がる。


 山あいの街。


 鍛冶場。


 荷車を押す商人たち。


 ……ああ。


 ちゃんと、過去の様子が見えてるね。


 アンナは、その映像をすぐに消した。


「問題なく使用できました。魔力の消費もございません」


「……よかった!」


 私は、思わず手を叩いた。


     ◇


「ただし」


 アンナが、少しだけ声を引き締めた。


「授業で使用する場合は、映してよい内容を選ぶ必要がございます」


「……あっ」


 ……そうだね。


 過去には、見せない方がいい出来事だってある。


 戦争も。


 悲しい事件も。


 子どもたちが怖がるようなことも。


 私は、静かに頷いた。


「うん。歴史の勉強だからって、何でも見せればいいわけじゃないもんね」


「はい。年齢や理解度に合わせて扱いたいと考えております」


 ……ああ。


 さすが、アンナ。


 もう先生らしいことを考えてる。


 私は、嬉しくなった。


     ◇


 それから、《絶対防御》も確認した。


 もちろん、本気で攻撃したりはしない。


 ……絶対に。


 念のため、付与した魔法の状態を調べる《付与状態確認》を新しく作った。


「《付与状態確認》」


 アンナに付与した《絶対防御》は、永続。


 問題なし。


 ……よし。


 桜花が、静かに私を見た。


「リアリス様。無事に追加できたようでございますね」


「うん」


 私は、少しだけ笑った。


「これなら、みんなにも同じようにできそうだ」


 八人のうち、残る七人が、期待したようにこちらを見ている。


 ……ああ。


 みんな、ちゃんと先生になりたいんだね。


     ◇


「次は、オリアナ。お願いしてもいいかな」


「もちろんです、リアリス様!」


 茶色のポニーテールが、元気に揺れる。


「私、子どもたちと一緒に覚えることも楽しみだったんです。でも、教えるための知識をいただけるなら、もっと安心できます!」


「うん。よろしくね」


 私は、オリアナにも同じ能力を追加した。


 淡い光が、静かに消える。


「……あっ! 分かります!」


「どう?」


「世界のこと、いっぱい知ってるのに、頭が重たくありません!」


 ……おお。


 それは、よかった。


 本人の明るい笑顔も、そのままだね。


     ◇


「つ、次は私ですね!」


 カレンが、勢いよく一歩踏み出した。


 ……あっ。


 そこ、椅子が――。


「きゃっ!」


 椅子の脚に、靴の先が引っかかった。


 私は、慌てて手を伸ばす。


「《転移》」


 カレンの姿が、ほんの少しだけ横へ移った。


 転びそうだった体が、無事に床へ着地する。


 …………。


「……大丈夫?」


「は、はい! 申し訳ありません!」


 カレンの頬が、ほんのり赤い。


 ……うん。


 新しい知識が増えても、この子のドジっ子ぶりは変わらないんだろうなぁ。


 ……何だか、安心してしまった。


     ◇


 続いて、サーシャ。


「よろしくお願いしますっ!!」


「……うん。もう少し静かにね」


「はいっ!!」


 ……うん。


 全然、静かじゃない。


 でも、能力を追加したあとも、声は元気いっぱいだった。


「これで、あらゆる質問に対応できるよう頑張りますっ!!」


 ……ああ。


 やる気がすごいね。


 ホリーは、静かに順番を待ってくれた。


「リアリス様。ありがとうございます」


「こちらこそ。先生のお仕事、お願いね」


「はい。子どもたちが安心して学べるようにいたします」


 ……うん。


 この人の声を聞くだけで、何だか落ち着くなぁ。


     ◇


 ナターシャの番になった。


「……わぁ……」


 淡い光が消えると、彼女はゆっくり瞬きをした。


「いろんなことが……分かりますねぇ……」


「……大丈夫?」


「はいぃ。とっても……不思議な気分ですぅ」


 ……うん。


 のんびりしてる。


「シギラ国の歴史も……森にいる鳥の名前も……分かりますよぉ」


「よかった!」


 ナターシャは、にこりと笑う。


「でも……教えるときは……急がず、ゆっくりにしますねぇ」


 ……ああ。


 そこは、そのままでいいと思うよ。


     ◇


 シェリルにも、同じ能力を追加した。


「いかがですか?」


 セバスが尋ねる。


「はい。問題ありません」


「体調の変化は?」


「ありません」


「知識は?」


「増えました」


 …………。


 ……普通だ。


 あまりにも普通の返答。


 私は、少しだけ感心した。


 世界の全知識を得ても、こんなに平然としてるなんて。


「シェリル、何か嬉しかったりはしない?」


「はい。嬉しいです」


「……そっか」


「ありがとうございます、リアリス様」


 ……うん。


 やっぱり普通だ。


 でも、こういう落ち着いた人って、意外と貴重なのかもしれない。


     ◇


 そして、最後はラナ。


「はーい! よろしくお願いしまーす!」


 私は、少し笑った。


「じゃあ、ラナ。いくよ」


「はい! いいお声ですねぇ、リアリス様!」


 ……また褒められた。


 私は、《ホムンクルス作成》を使う。


 淡い光が、ラナを包んだ。


 しばらくして、光が消える。


「……どう?」


「はい! とってもよく分かりますよぉ!」


「よかった」


 ラナが、にこりと笑った。


「リアリス様も、最後まで頑張れて偉いですねぇ!」


 …………。


 ……ああ。


 そうだった。


 この人、こういう人だった。


     ◇


 私は、ひとつ大きく息を吐いた。


 八人。


 全員、無事に能力を追加できた。


 今までの姿も、性格も、変わらない。


 新しくホムンクルスが生まれたわけでもない。


 すでに一緒に暮らしてきた仲間たちが、新しい仕事に必要な力を手に入れただけだ。


 ……うん。


 これって、すごくいいことかもしれない。


 私は、八人を見た。


「みんな、ありがとう」


 アンナが、一歩前へ出た。


「リアリス様。こちらこそ、機会をいただきありがとうございます」


「これから、よろしくね」


「はい」


 ……ああ。


 何だか、卒業式みたいな気分だなぁ。


 いや。


 まだ、先生になる前なんだけどね。


     ◇


 そのあと、セバスが改めて八人を集めた。


「それでは、今後の運営についてご説明いたします」


 ……おっ。


 早速、仕事の話だね。


「皆さんには、各邸の学校で教師の仕事を専任していただきます」


 セバスの声は、落ち着いていた。


「授業の準備、教材の確認、子どもたちの安全、そして保護者への連絡。それぞれの学校で責任を持って担当していただきます」


 八人が、真剣に聞いている。


「ですが、一人ですべてを抱え込む必要はございません」


 ……あっ。


 私は、その言葉に頷いた。


 大事だよね、そこ。


     ◇


「学校に関する連絡や相談は、まずわたくしへ」


 セバスが続けた。


「屋敷全体の運営や生活に関することは、これまでどおり巴にもご相談ください」


 巴さんが、優しく微笑む。


「先生になったからって、急に何でも一人でやらなくていいのよ」


「はい!」


 オリアナが、元気よく答えた。


「困ったときは、みんなで話しましょうね」


 ホリーも、ゆっくり頷く。


 ……うん。


 いい感じだね。


 各邸では教師は一人ずつ。


 でも、八人の先生が、互いに相談し合える。


 それなら、少し心強いよね。


     ◇


「それから、もう一つ」


 セバスが、少しだけ真面目な顔になった。


「皆さんが持つ知識は、大変大きなものです。しかし、それをすべて一度に教える必要はございません」


 ……うん。


 それは、私も思ってた。


「五歳のお子様と、十八歳の方では、学び方も違います。相手の理解に合わせることを、忘れないでください」


 アンナが、頷く。


「はい。授業の進め方は工夫いたします」


「また、各校は百名まで収容できますが、最初から百名全員へ同じ内容を一斉に教えるわけではございません」


 ……ああ。


 そうか。


 みんな、得意なことも苦手なことも違うもんね。


「机の画面は黒板の説明を映すために使い、練習問題は一人ひとりの進み具合に合わせて用意いたしましょう」


「それ、いいね!」


 私は、思わず声を上げた。


     ◇


 学校にあるタブレットは、黒板と同じ文字や映像を映すもの。


 ……そうだ。


 練習問題まで、わざわざ魔法で表示する必要はないよね。


 雑貨屋には、取り寄せマシーンがある。

 あれで現代の学習ドリルや問題集、練習用のプリントを取り寄せればいいんだ。


 文字を覚える子には文字の練習帳。

 計算を覚える子には、進み具合に合わせた計算ドリル。


 先生が黒板に説明を書けば、机の画面にも映る。

 そのあとは、手元の問題集を使って練習する。


 ……うん。

 これなら、子どもたちも自分のペースで学べそうだね。


「じゃあ、教材は取り寄せマシーンで揃えよう。先生たちが、必要なものを選べるようにしておくね」


「かしこまりました、旦那様」


 授業で使う教材は、雑貨屋から各校へ届けることにした。

 タブレットは、これまでどおり黒板の内容を映すだけ。


 ……ああ。

 便利なものがすでにあるんだから、ちゃんと活用しないとね。


「それに、手で書く練習も大事だよね」


 私が言うと、アンナが頷いた。


「はい。先生とのやり取りや、手で書く練習も必要と考えます」


「そうだよね」


 私は、少し笑った。


「便利な道具は、あくまでお手伝いだね」


「おっしゃるとおりでございます」


 ……うん。


 何だか、先生たちと話していると、私も勉強になるなぁ。


     ◇


 授業の時間は、一日三時間。


 対象は、当初の予定どおり五歳から十八歳。


 授業料は取らない。


 百人の教室を使いながら、学ぶ内容はそれぞれの理解に合わせる。


 ……よし。


 大事なところは、変えない。


「もし子どもたちが授業に慣れなくても、いきなり叱ったりしないでほしいな」


 私は、みんなへ言った。


 すると、アンナが口を開いた。


「リアリス様。必要な注意は、いたします」


 ……あっ。


 そうだね。


「でも、ただ怖がらせるために怒ることはありません」


 アンナは、真っ直ぐ私を見た。


「子どもたちが、安全に学べる場所にしたいのです」


 ……ああ。


 うん。


 その方が、私も嬉しい。


     ◇


 ここで、ラナがにこにこと手を挙げた。


「はーい。アンナ先生、とってもいいこと言いましたねぇ!」


 …………。


 アンナの眼鏡が、わずかに光ったような気がした。


 ……いや。


 気のせいだよね。


「ラナ。私は子どもではありません」


「あらあら。自分の意見をしっかり言えて、偉いですねぇ」


 …………。


 ……ああ。


 これは、なかなか手強い。


 サーシャが、大きな声で笑った。


「ははっ! いいじゃないですか!!」


「サーシャ、声量を落としてください」


 アンナが、ぴしゃりと言った。


「はいっ!!」


 ……うん。


 この八人、本当に個性が豊かだなぁ。


     ◇


 打ち合わせが終わる頃。


 カトレアが、居間の入り口から顔を出した。


「お父さん!」


「ん? どうしたの?」


「学校、終わったよ!」


 ……あっ。


 そっか。


 今日はシルク王国邸のほかの一般メイドが、見学会と短い体験授業を手伝ってくれていたんだった。


 カトレアは、並んだ八人のメイドを見て、目を丸くした。


「……いっぱい」


 ……うん。


 普段、ほかの屋敷にいる子たちも集まってるからね。


「カトレア。紹介するね」


 私は、眼鏡の女性を指さした。


「この人が、シルク王国の学校の先生になってくれる、アンナだよ」


 アンナが、静かに一礼した。


「カトレア様。どうぞよろしくお願いいたします」


「……アンナさん?」


「はい」


「……せんせい?」


「そうなります」


 カトレアは、少し考えてから微笑んだ。


「アンナ先生!」


 ……ああ。


 いい響きだね。


     ◇


「学校、楽しい?」


 アンナが、カトレアへ尋ねた。


「うん!」


「では、これからも一緒に頑張りましょう」


「はーい!」


 カトレアが、嬉しそうに頷く。


 その様子を見て、オリアナがにこにこした。


「かわいいですねぇ。うちの学校の子にも、早く会いたいです!」


 カレンも、頷く。


「私も楽しみです!」


 ホリーは、優しく目を細めていた。


「最初は、緊張する子もいるでしょうね」


 ナターシャが、ゆっくり頷く。


「……ゆっくり……慣れてもらいましょうねぇ」


 ……うん。


 八人とも、同じ「先生」でも、全然違う。


 それが、何だか嬉しいな。


     ◇


「では、皆さん」


 セバスが、静かに声をかけた。


「それぞれのお屋敷へお戻りください。必要な引き継ぎを済ませた後、学校の準備を進めていただきます」


「承知いたしました」


 アンナ以外の七人は、巴さんの案内で《簡易転移》の扉へ向かった。


 ローズ帝国。


 聖国。


 魔法国。


 魔王国。


 シギラ国。


 エルフ国。


 獣人国。


 ……みんな、違う場所で、子どもたちを待っているんだね。


 私は、一人ずつ見送った。


「みんな、よろしくね!」


「はい!」


 元気な声が、重なった。


 ……うん。


 先生たち、頑張ってね。


     ◇


 翌日。


 シルク王国の学校では、いよいよ先生を迎えての授業が始まった。


 朝のうちに、私は桜花と一緒に教室を見に行った。


 入口では、アンナが出席の確認をしている。


 黒いショートカットに、きちんとした眼鏡。


 そして、いつものメイド服。


 ……おお。


 この格好のまま先生になるんだね。


「おはよう、アンナ」


「おはようございます、リアリス様」


「どう? 準備は大丈夫?」


「はい。教材と出席名簿、緊急時の連絡方法も確認いたしました」


 ……うん。


 さすが、きっちりしてる。


     ◇


 教室には、子どもたちが少しずつ集まっていた。


 小さな子もいれば、背の高い子もいる。


 みんな、少し緊張した顔。


 ……そりゃ、そうだよね。


 今日から、ちゃんとした授業が始まるんだ。


「お父さん!」


 カトレアが、私を見つけて手を振った。


 隣には、先日の体験授業で仲良くなったニーナちゃん。


 ……おっ。


 もう、一緒に座ってるんだね。


「おはよう、カトレア」


「おはよう!」


 私は、娘の頭をそっと撫でた。


「今日はアンナ先生が教えてくれるよ」


「うん!」


 ……ああ。


 楽しそうでよかった。


     ◇


 授業が始まる少し前。


 小さな男の子が、入口で立ち止まっていた。


 お母さんの服を、ぎゅっと掴んでいる。


「……いや」


 声は、小さかった。


「……ひとり、いや」


 ……ああ。


 初めての学校だもんね。


 私が近づこうとすると、アンナが先にしゃがんだ。


「おはようございます」


 男の子は、顔を上げない。


 アンナは、急かさなかった。


「今日は、教室の中を見てから決めても大丈夫ですよ」


 ……おっ。


 思ったより、優しい声。


「一緒に、入口まで行ってみましょうか」


 男の子は、少し考えた。


 それから、母親の手を握ったまま、一歩だけ進んだ。


 ……ああ。


 いいね。


 その一歩で、十分だよ。


     ◇


 やがて、授業の時間になった。


 アンナが、黒板の前に立つ。


「皆さん、おはようございます」


「おはようございまーす!」


 元気な返事が響いた。


「私は、今日からこの学校で授業を担当する、アンナです」


 アンナが、静かに一礼した。


「皆さんには、一つだけ覚えていただきたいことがあります」


 ……おっ。


 何だろう。


「ここでは、分からないことを隠さないでください」


 アンナが、子どもたちを見渡した。


「知らないことがあるのは、恥ずかしいことではありません。だから、質問は遠慮なくしてください」


 ……ああ。


 そうだね。


 子どもたちの表情が、少しだけ柔らかくなった。


     ◇


「ただし、走り回ったり、ほかの人の勉強を邪魔したりしてはいけません」


 アンナの声が、少し引き締まった。


「皆さんが安心して学ぶための決まりです」


 ……うん。


 ここは、厳しい。


 でも、ちゃんと理由がある。


「それでは、始めましょう」


 黒板に、大きな文字が書かれた。


 机の画面にも、同じ文字が映る。


 ……ああ。


 前にセバスがやったときと同じ仕組みだね。


 でも。


 今日からは、アンナの教室だ。


     ◇


 最初は、読み書きの練習。


 簡単な文字を読んでから、今度は自分で書いてみる。


 カトレアは、真剣な顔で筆記具を持っていた。


 ……おお。


 いつもお花を描いているときと、同じ顔だ。


 隣のニーナちゃんが、少し困っている。


 何度書いても、文字の形がうまく整わないらしい。


 カトレアは、自分の紙を見せた。


「ここ、こうだよ」


「……あっ」


 二人で、小さく笑う。


 ……うん。


 教えてもらうだけじゃなくて、助け合うこともできるんだね。


     ◇


 次の時間は、計算。


 大きな黒板に、果物の絵が映った。


 机には、取り寄せマシーンで揃えた、それぞれの進み具合に合う計算ドリル。


 数字を数えるところから始める子。


 足し算を練習する子。


 もう少し難しい計算に挑戦する子。


 ……おお。


 ちゃんと分かれてる。


 アンナは、教室の間を歩きながら、一人ずつ様子を確かめていた。


「ここまでできていますね。では、次の問題を見てみましょう」


「……はい!」


 ……うん。


 百人分の席があっても、全員を一度に同じ速さで進める必要はないんだ。


     ◇


 少しして、一人の少年が手を止めた。


「……先生」


「はい」


「俺、間違えました」


 小さな声だった。


 アンナは、答えを見た。


「そうですね。ここの計算が違います」


 少年が、肩を落とす。


「……すみません」


 すると、アンナが首を横に振った。


「謝る必要はありません」


 ……おっ。


「どこで間違えたか、一緒に確かめましょう。そこが分かれば、次はできるようになります」


 少年が、顔を上げた。


「……はい」


 ……ああ。


 やっぱり、いい先生だね。


 厳しいけれど、理不尽じゃない。


 ちゃんと、約束どおりだ。


     ◇


 最後の時間には、昔の街の様子を映してみた。


 もちろん、子どもたちに見せても安心なものを、アンナが選んでいる。


 大通りを歩く人。


 荷物を運ぶ馬車。


 今とは少し違う形の建物。


 黒板にも、机の画面にも、その光景が映った。


「……うわぁ!」


 教室のあちこちから、歓声が上がる。


「これは、今より昔の街の様子です」


 アンナが、説明した。


「建物や服装が違いますね。どんなところが変わっていると思いますか?」


 次々に、小さな手が上がった。


 ……おお。


 みんな、興味津々だね。


     ◇


 私は、教室の後ろから、その様子を眺めていた。


 ……何だか、不思議だ。


 ついこの間まで、ここは草原だった。


 そこへ建物を作って。


 机や黒板を並べて。


 先生を決めて。


 そして今。


 子どもたちが、目を輝かせながら学んでいる。


 ……ああ。


 作ってよかった。


 私は、隣の桜花を見た。


「……桜花」


「はい、リアリス様」


「いいね、学校って」


 桜花が、静かに微笑んだ。


「はい。皆様、楽しそうでございます」


 ……うん。


 本当に、そうだね。


     ◇


 三時間の授業が終わると、子どもたちは元気に教室を出ていった。


 カトレアが、ニーナちゃんと手を振り合う。


「また明日ね!」


「うん!」


 ……ああ。


 もう、明日の約束だ。


 私は、少しだけ嬉しくなった。


 カトレアが、私のところへ走ってくる。


「お父さん!」


「お疲れさま。どうだった?」


「楽しかった!」


「……そっか」


「アンナ先生、ちょっと厳しいけどね!」


 ……おっ。


 正直だねぇ。


 アンナが、ちょうど近くを通りかかった。


「必要なことは、きちんと注意いたします」


 カトレアが、にこにこ笑う。


「うん! でも、教えてくれるとき優しかった!」


 アンナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「ありがとうございます、カトレア様」


 ……ああ。


 この二人、うまくやっていけそうだね。


     ◇


 その日の午後。


 セバスのもとへ、各校から連絡が届いていた。


 私は、居間でその報告を一緒に聞くことにした。


「旦那様。皆さん、無事に授業を終えられたとのことでございます」


「……おお!」


 まずは、ローズ帝国のオリアナ。


 《映像通話》の画面には、茶色いポニーテールの女性が映った。


『子どもたち、最初は緊張してたんですけど、途中からたくさん手を挙げてくれました!』


「よかったね!」


『はい! 明日は、もう少しみんなが話しやすいように工夫してみます!』


 ……うん。


 明るい教室になりそうだね。


     ◇


 聖国のカレンからは、少し困ったような笑顔で報告があった。


『じ、実は、授業の最初に黒板消しを落としてしまいまして……』


「……あっ」


『でも、子どもたちが拾ってくれたんです!』


 ……おお。


 優しい子たちだね。


『だから、失敗しても助け合える教室にしようって、みんなにお話しました!』


「うん。それ、すごくいいと思う!」


 カレンが、嬉しそうに笑った。


 ……ああ。


 この人のドジっ子ぶり、悪いことばかりじゃないんだね。


     ◇


 フォーサイド魔法国のサーシャ。


『本日の授業!! 大成功でした!!』


「……おお。声、届いてるよ!」


『ありがとうございます!!』


 ……うん。


 映像通話越しでも大きい。


 セバスが、そっと言った。


「サーシャ。明日は、もう少し穏やかにお願いいたします」


『はいっ!!』


 ……ああ。


 頑張って、セバス。


 ホリーからは、魔王国の子どもたちが最初は不安そうだったこと、それでも最後には笑ってくれたことが報告された。


『急がず、少しずつ慣れてもらおうと思います』


「うん。よろしくね、ホリー」


 ……ああ。


 安心して任せられるなぁ。


     ◇


 シギラ国のナターシャは、いつものゆっくりした声だった。


『今日はぁ……みんな、静かに聞いてくれましたぁ……』


「よかったね!」


『お勉強のあとに……昔の道具の映像を見せたんですよぉ……』


 ……おお。


 シギラ国なら、昔の鍛冶道具とかかな。


『みんな、とても興味を持ってくれましたぁ……』


 ……うん。


 ゆっくりでも、ちゃんと伝わるんだね。


 エルフ国のシェリルからも、報告が届いた。


『授業は予定どおり終了しました。問題はありません』


「……そっか。ありがとう!」


『はい。明日も予定どおり進めます』


 …………。


 ……うん。


 安定してる。


 なんだろう。


 この安心感。


     ◇


 最後は、ジーラット獣人国のラナ。


『はーい! みんな、とってもいい子でしたよぉ!』


「おお。よかった!」


『ただ、一人、ほかのお友達のノートを取り上げちゃった子がいたんです』


 ……あっ。


 それは、困るね。


「どうしたの?」


『ちゃんと、いけないことだってお話しましたよ』


 ラナは、にこりと笑った。


 ……ところが。


『でも、同じことをもう一度したら、先生、とっても怒りますからねぇ』


 その一言を言うときだけ、画面の向こうのラナの目つきが変わった。


 …………。


 ……ひっ。


 こ、怖い!


 さっきまで、優しい幼稚園の先生みたいだったのに!


『そしたら、ちゃんと謝って、ノートも返してくれました。仲直りできてよかったですぅ』


 ……あっ。


 もう、いつもの顔だ。


 ……うん。


 この人は、怒らせない方がいいね。


     ◇


 八つの報告を聞き終えた私は、長く息を吐いた。


「……みんな、すごいね」


「それぞれのお考えで、工夫を重ねておられます」


 セバスが、穏やかに頷いた。


「わたくしも、必要な支援を続けてまいります」


「うん。お願い」


 私は、資料へ目を落とした。


 八人の先生。


 八つの学校。


 そして、各邸に残る九人ずつの一般メイドたち。


 誰か一人に、全部を押しつけたわけじゃない。


 みんなが、自分の役割を選んで、支え合っている。


 ……ああ。


 いい形になったんじゃないかな。


     ◇


 そのとき。


「旦那様。一件、ご相談がございます」


 セバスが、別の紙を差し出した。


「……ん?」


「本日、各校へ見学に来られた方々から、同じご質問がございました」


「……同じ質問?」


「はい」


 私は、紙へ目を落とした。


 そこには、短い一文が書かれている。


『大人も、学校で勉強することはできますか』


 …………。


 ……あっ。


 そうか。


 子どもの学校を作ったけれど。


 文字や計算を学びたいのは、子どもだけじゃないんだ。


     ◇


「……セバス」


「はい、旦那様」


「どうしようか」


 私が尋ねると、セバスは穏やかに微笑んだ。


「旦那様のお考えを伺ったうえで、各校の受け入れ方法をご相談できればと存じます」


 ……うん。


 そうだね。


 いきなり約束するのは、よくない。


 今は五歳から十八歳まで。


 授業は、一日三時間。


 教室は、百人まで。


 ……でも。


 学びたい人を、年齢だけで断るのも、何だか違う気がする。


 私は、紙をもう一度見た。


「……明日、みんなと相談しよう」


「かしこまりました」


 ……ああ。


 学校って、作ってからも考えることが多いね。


     ◇


 夕方。


 私は、庭の長椅子で、カトレアの話を聞いていた。


「アンナ先生ね、分からないところを、ちゃんと教えてくれたの!」


「よかったね」


「それでね、ニーナちゃんと一緒に書いたの!」


 カトレアが、小さな紙を差し出した。


 そこには、少し不揃いな文字で。


『はな』


 と書かれていた。


 ……おお。


 私は、思わず笑った。


「すごいね、カトレア!」


「えへへ!」


 娘は、嬉しそうに紙を胸へ抱えた。


 ……ああ。


 新しい先生が来て、初めての一日。


 もう、こんなに素敵なものを持って帰ってきた。


     ◇


「お父さん」


「ん?」


「明日も、アンナ先生のお話聞くの、楽しみ!」


「……そっか」


 私は、カトレアの頭を撫でた。


 すると、隣にいた楓が、静かに口を開く。


「……よかった」


 カトレアが、嬉しそうに笑った。


「うん! 楓お姉ちゃんにも、また教えてあげる!」


 楓が、小さく頷く。


 ……うん。


 今日は、いい一日だったね。


 私は、屋敷へ目を向けた。


 廊下の向こうでは、巴さんとセバスが何かを相談している。


 桜花は、いつものように私のそば。


 ……ああ。


 みんな、頼りになるなぁ。


     ◇


 新しく作った学校。


 新しく決まった八人の先生。


 ……だけど、その先生たちは、もともと一緒に暮らしていた仲間だった。


 私が《ホムンクルス作成》を使って増やしたのは、人の数じゃない。


 みんなができることと、子どもたちの選べる道。


 ……うん。


 それって、何だか素敵だね。


 ただ。


 学びたい大人まで増えたら、学校はどうなるんだろう。


 私は、空を見上げた。


 ……まあ。


 明日、考えよう。


 今日は、カトレアが書いてくれた『はな』の文字を、もう一度見たいから。


 ……それにしても。


 私が教える立場になると思ってたのに。


 学校から、教わることばかりだね。


 ……うん。


 明日も、きっといい日になるよ。

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