↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
67/127

第3話:地下オークションの招待状

 たった一枚の招待状。


 貴族同士が集まる夜会や、珍しい品を披露する催しなら、それはきっと、どこにでもあるものなのだろう。


 でも。


 その紙に書かれた日時と場所が、人の人生を取り返しのつかないものに変えるとしたら。


 そんなものを、招待状と呼んでいいのだろうか。


 ……私は、このときまだ知らなかった。


 私が確かめようとしていた噂は、思っていたよりもずっと、深いところに根を張っていたのだ。


     ◇


 翌朝。


 シルク王国邸の食堂には、いつもと変わらない朝の光が差し込んでいた。


 カトレアは、昨日描いた花の絵を巴さんに見せている。


「これが、帝国のお家に置いたお花なの」


「あら、綺麗ね。花びらの色もよく覚えているわ」


「うん! 窓のところにあるから、お日様も当たるんだよ」


 ……うん。


 楽しそうだね。


 巴さんも、優しく頷いていた。


 私は、その光景を眺めながら朝食を取っていた。


 目の前には、焼いた魚と温かい汁物。


 いつもなら、ひと口食べるたびに美味しいなぁと思っているところだ。


 でも今日は、少しだけ味が遠く感じる。


「リアリスちゃん」


 巴さんが、私を見た。


「今日、帝国へ行くのね」


「うん。まずは皇帝に連絡して、それからクオシンさんと向かう予定だよ」


「……そう」


 巴さんは、カトレアへ目を向けた。


 それから、また私へ視線を戻す。


「カトレアちゃんのことは心配しなくていいからね」


「ありがとう」


 カトレアが、私を見上げる。


「お父さん、お仕事?」


「うん。今日はちょっと大事なお話をしてくるよ」


「そっか。気をつけてね」


 ……ああ。


 この子は、少しずつ言葉が増えてきたね。


 でも、こうして心配してくれる可愛らしさは、そのままだ。


「うん。ちゃんと帰ってくるよ」


 私は、カトレアの頭をそっと撫でた。


     ◇


 朝食を終えて、自分の部屋へ戻る。


 机の上には、昨夜まとめたメモがある。


 帝都で耳にした行方不明者の噂。


 皇帝から聞いたゴゾーラ子爵の名前。


 アリーナさんが教えてくれた、クオシンさんと子爵の面識。


 そして、昨日の王城での話し合い。


 ……うん。


 これだけ整理しておけば、説明はできそうだ。


 私は、手元へ魔力を集めた。


「《映像通話》」


 目の前に、薄く光る画面が現れる。


 ローズ帝国のヴァリロッサ皇帝へ連絡を取るためだ。


 少しして、画面の向こうに見慣れた顔が映った。


『おう、リアリス! どうした、朝から!』


「おはよう、皇帝。ちょっと相談があるんだけど、今は時間ある?」


『……また、何かやらかしたのか?』


「いやいや、まだ何もしてないよ!」


 ……あっ。


 まだ、って言い方も変かな。


 皇帝は、豪快に笑った。


『ははは! ならいい! 話してみろ!』


 私は、昨日王城で話したことを手短に説明した。


 ゴゾーラ子爵と面識がある人物が見つかったこと。


 その人物が、子爵から話を聞く協力を申し出てくれたこと。


 ただし、相手はシルク王国の第一王子だということ。


 画面の向こうで、皇帝の表情が変わった。


『……第一王子だと?』


「うん。クオシンさん」


『ほう。あの王子がな』


 皇帝は、少し考えた。


『よし。まずは直接話を聞こう。昼前なら城にいる。来られるか?』


「ありがとう! それじゃ、本人と一緒に行くね」


『ああ。ガラントにも同席させる』


 ……うん。


 そこまで考えてくれるなら、ありがたいね。


 通話を終える前に、皇帝がふっと笑った。


『……ところで、リアリス』


「ん?」


『随分と面白いことになってきたな。楽しみにしているぞ』


「……何を?」


『決まってるだろう。久しぶりに会えるんだ、今度こそ手合わせを――』


「……皇帝?」


 そこで、画面の向こうから別の声が聞こえた。


『陛下。今はその話ではございません』


 ……おっ。


 ガラントさん!


 助かった!


     ◇


 通話を終えると、扉が控えめに叩かれた。


「リアリス様」


「桜花? どうぞ」


 入ってきたのは、銀色の短いおかっぱ髪の桜花だった。


 いつもどおり、姿勢が綺麗だ。


「皇帝陛下とのお話は、終わられましたか」


「うん。昼前に会えることになったよ」


「承知いたしました。では、私も支度を」


「……桜花」


 私は、少し迷ってから声をかけた。


「今日は、ここで待っていてもらってもいいかな」


 桜花の目が、わずかに見開かれた。


「……私が、ですか」


「うん」


 いつも一緒にいる桜花に、留守番を頼むことは多くない。


 だからこそ、言いにくかった。


「今日はクオシンさんと二人で話を進める予定なんだ。皇帝への説明も、子爵への訪問もね」


「……はい」


「桜花がいると余計に警戒されるかもしれないし、昨日もそういう話になったから」


 桜花は、すぐには答えなかった。


 私は続けた。


「何かあれば連絡する。だから、今日は巴さんたちとここにいてほしいんだ」


 少しの沈黙。


 それから、桜花が静かに頭を下げた。


「……かしこまりました」


 ……うん。


 ありがとう。


 そう言おうとしたとき、桜花が顔を上げた。


「ただし、リアリス様」


「ん?」


「どうか、ご無理だけはなさらないでください」


「もちろん」


 私は、笑って答えた。


 でも、桜花の表情は、いつもより少しだけ硬かった。


     ◇


 出発前。


 私は、巴さんにも予定を伝えた。


「皇帝に会って、そのあとクオシンさんが子爵へ話を聞きに行くよ。私は外で待つつもり」


「そう。桜花ちゃんは?」


「今日はお留守番をお願いしたんだ」


 巴さんは、少し驚いたようだった。


 そのあと、静かに頷く。


「分かったわ。こちらは任せてね」


「ありがとう」


 カトレアも、廊下から顔を出した。


「お父さん、行ってらっしゃい!」


「いってきます!」


 ……うん。


 いつもと同じ挨拶。


 でも、今日に限っては、少し重く感じた。


 私は、桜花へ向き直った。


「帰ってきたら、ちゃんと話すからね」


「……はい。お待ちしております」


 その返事を聞いてから、私は一人で屋敷の庭へ向かった。


 目指すのは、まずシルク王城。


 昨日約束した、クオシンさんとの合流だ。


     ◇


 王城では、クオシンさんがすでに待っていた。


 ……おっ。


 早いね。


 昨日と違って、今日は外出用の上等な服を着ている。


 深い色の上着に、丁寧に整えられた襟元。


 髪も綺麗に整えられていた。


 ……ああ。


 こうして黙って立っていると、本当に立派な王子様だね。


「おはようございます、クオシンさん」


「……チッ。遅え」


「……えっ。約束の時間には、まだ余裕がありますよ?」


「俺より遅く来たんだから、遅えんだよ」


 ……ああ。


 はい。


 やっぱり、いつものクオシンさんだ。


「皇帝から、昼前に来ていいと返事をいただきました」


「……で?」


「まず帝国邸へ《転移》して、そこからお城へ向かおうと思ってます」


「さっさとしろ。無駄話で時間を潰すな」


 ……うん。


 今日も、口が悪いねぇ。


 私は苦笑しながら頷いた。


「分かりました。こちらへどうぞ」


 彼は、短く鼻を鳴らした。


     ◇


 王城の人目につきにくい場所へ移動する。


 そこで、私はクオシンさんへ確認した。


「《転移》は初めてですよね?」


「ああ。だから何だ」


「ちょっと驚くかもしれませんけど、すぐに着きますよ」


「……ふん。さっさとやれ」


 ……あっ。


 ずいぶん、堂々としてるね。


 私は、ローズ帝国邸の庭を思い浮かべた。


「《転移》」


 ふわりと景色が変わる。


 石造りの王城の壁が消え、次の瞬間には帝国邸の庭。


 木々が風に揺れ、屋敷の窓から朝の光が差し込んでいた。


 ……うん。


 到着!


「……は?」


 後ろから、短い声。


 振り向くと、クオシンさんが周囲を見回していた。


「……おい。ここはどこだ」


「ローズ帝国の、私の屋敷です」


「……はぁ?」


 私は、笑顔で答えた。


「帝都に着きましたよ」


 クオシンさんの額に、少しだけ青筋が浮かぶ。


「……お前、今、何をした?」


「《転移》です。説明したとおり、一瞬で移動できる魔法で」


「そんなもん、知ってる! ……いや、知ってはいるが……」


 ……おっ。


 ちょっと動揺してる?


 クオシンさんは、深く息を吐いた。


「……チッ。気に食わねえ魔法だな」


 ……うん。


 便利なんだけどねぇ。


     ◇


 庭から屋敷へ入ると、留守を守ってくれていた一般メイドたちが迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、リアリス様」


「ただいま。今日は、お客様をお連れしたんだ」


 メイドたちは、クオシンさんへ丁寧に頭を下げる。


「ようこそお越しくださいました」


 その声を聞くと、クオシンさんは姿勢を正した。


「……ああ」


 ……うん。


 今は、まだ普通の返事だ。


 彼は、屋敷の内装を見回した。


 家具や照明。


 整えられた床。


 季節の花を飾った小さな花瓶。


 ……おっ。


 気になるのかな。


「こちらで少し休んでから、帝城へ向かいましょう」


 私が言うと、クオシンさんは不機嫌そうに答えた。


「……好きにしろ」


 ……あはは。


 お客さんなのに、偉そうだなぁ。


     ◇


 応接室へ入ると、メイドが紅茶と焼き菓子を用意してくれた。


 香りのよい紅茶。


 小さく丸く焼いたクッキー。


 どちらも、屋敷の敷地内にある雑貨屋で販売している商品だ。


 ……うん。


 見慣れたお茶の時間だね。


「どうぞ」


 私が勧めると、クオシンさんはカップを持ち上げた。


 一口、紅茶を飲む。


 ……おっ。


 何だか、顔が変わった?


「……何だ、これは」


「紅茶ですけど……?」


「そんなことは見りゃ分かる!」


 ……あっ。


 怒られちゃった。


 クオシンさんは、もう一口飲んだ。


「……香りがいいな」


「気に入りました?」


「別に」


 ……あはは。


 そう言うわりに、もう半分くらい飲んでるよ。


 私は、クッキーの皿を彼の前へ寄せた。


「お菓子もどうぞ」


「……ふん」


 クオシンさんが、一枚つまんだ。


 さくっ。


 小さな音。


 しばらく無言。


 それから、もう一枚。


 ……うん。


 これ、気に入ってるね。


     ◇


「……おい」


 クオシンさんが、私を見た。


「はい?」


「この菓子、どこの店で売ってる」


「うちの雑貨屋で売ってますよ」


「……は?」


「このクッキーも、今飲んでる紅茶の茶葉も、敷地内の雑貨屋で買えるんです。お土産にもできますよ」


 クオシンさんは、皿へ目を落とした。


「……そうか」


 そして、また一枚取った。


 ……ああ。


 素直に美味しいって言えばいいのに。


「お口に合って、よかったです」


「勝手に決めつけるな。腹が減ってるだけだ」


「……はい」


 ……うん。


 やっぱり、この人はこの人だねぇ。


 クオシンさんは、紅茶を飲み干した。


 それから、空のカップを机へ置いて言った。


「……もう一杯」


 …………。


 ……おっ。


 おかわり!


「はい。すぐに」


 私は、メイドに目で合図した。


 ……あはは。


 不思議だなぁ。


 こんなに口が悪いのに、お茶を飲む姿は結構優雅なんだね。


     ◇


 ただ。


 お茶を飲んでいるあいだも、話す内容は昨日の続きだった。


「……で、皇帝は何と言ってた」


「昼前なら会えるそうです。ガラントさんも同席してくれるみたい」


「そうか」


 クオシンさんは、少し考えた。


「話す順番は決めてあるな?」


「はい。まず私から経緯を説明して、それからクオシンさんに――」


「違う」


 ……おっ。


「俺が自分で話す。お前は聞かれたことだけ答えろ」


「……分かりました」


「余計な一言を足すな。帝国の皇帝に、下手な誤解をさせたくねえ」


 ……うん。


 確かに、そこは大切だ。


「それから、子爵に会ったときも、俺の邪魔はするなよ」


「はい。外で待ってます」


 クオシンさんは、短く頷いた。


「……ふん。それならいい」


 口調はいつもどおり荒い。


 でも、今の彼の言葉には、一つずつ目的があるように感じた。


 何を聞いて。


 何を話して。


 何をまだ話さないか。


 ……ああ。


 この人、考えることはちゃんと考えてるんだね。


 問題は、その言い方なんだけど。


     ◇


 帝城へは、屋敷から通常どおり大通りを通って向かった。


 空は晴れていて、道沿いの商店もいつもどおり賑わっている。


 ……うん。


 昨日と変わらない帝都だ。


 でも、今は景色が違って見える。


 商品の値段を書いた札。


 店先で交わされる商談。


 忙しそうに荷を運ぶ人。


 ……それらを見るたびに、昨日聞いた言葉が浮かぶ。


 ――人を、売り買いする。


 私は、隣を歩くクオシンさんを見た。


 彼も、帝都の様子を眺めている。


 ただし、顔はいつもどおり不機嫌だ。


「……何だ」


「いえ。何でも」


「だったら、じろじろ見るな」


 ……うん。


 すみません。


 私たちは、やがて帝城の門へ着いた。


     ◇


 門に立つ兵士へ声をかけると、すぐに案内の者が現れた。


「リアリス殿。本日はお連れ様もご一緒と伺っております」


「はい。シルク王国の第一王子、クオシンさんです」


 クオシンさんが、前へ進んだ。


 姿勢を正し、静かに一礼する。


「シルク王国第一王子、クオシン・シルクと申します。本日は皇帝陛下にお目通りの機会を賜り、誠に光栄に存じます」


 …………。


 ……えっ?


 思わず、隣を見た。


 誰?


 ……いや。


 クオシンさんだよね!?


 あの人が、こんな丁寧な言葉を?


 兵士も、深く頭を下げた。


「恐れ入ります。こちらへどうぞ」


「よろしくお願いいたします」


 ……おお。


 姿勢も、声の高さも、穏やかだ。


 まるで、別人。


 私は、少し遅れてその後ろを歩いた。


 ……ああ。


 王子様って、こういうこともできるんだね。


     ◇


 案内されたのは、以前皇帝と話したことのある会議室だった。


 扉が開く。


「リアリス殿、ならびにシルク王国第一王子クオシン殿下をお連れしました」


「おう! 入れ!」


 ヴァリロッサ皇帝の大きな声。


 部屋には、皇帝とガラント宰相がいた。


「リアリス! よく来たな!」


「こんにちは、皇帝」


 私は、いつもどおり挨拶した。


 すると、クオシンさんが一歩前へ出る。


「ヴァリロッサ皇帝陛下。このたびは突然の訪問にもかかわらず、貴重なお時間を賜り、心より御礼申し上げます」


 彼は、綺麗に頭を下げた。


「シルク王国第一王子、クオシン・シルクでございます。本日は、陛下へ直接ご説明申し上げたい事柄があり、参上いたしました」


 …………。


 ……えっ。


 いや、待って。


 今朝、私に『遅え』って言ってた人だよね?


 皇帝が、少しだけ目を丸くした。


 そして、大きく笑った。


「ははは! ずいぶん礼儀正しい王子だな! 楽にしろ!」


「恐れ入ります。お心遣いに感謝いたします」


 ……おお。


 完璧だ。


 完璧に、王子様だ!


     ◇


 ガラント宰相が、椅子を勧めてくれた。


「どうぞ、お掛けください」


「ありがとうございます」


 クオシンさんは、綺麗な所作で着席した。


 私も、隣へ座る。


 皇帝は、私たちを交互に見ていた。


「それで、クオシン殿。俺に話があるそうだな」


「はい。陛下には、まず今回の訪問の趣旨をご説明いたします」


 ……うん。


 話が始まるね。


 私は、口を挟まずに聞くことにした。


 クオシンさんは、昨日の王城で話した内容を、順番に説明し始めた。


 帝都で行方不明者の噂があること。


 違法な奴隷売買が疑われていること。


 その疑惑に、ゴゾーラ子爵の名が挙がっていること。


 そして、自分が以前その子爵と面識を得ていたこと。


 話の順序は、分かりやすかった。


 何が確かで、何がまだ噂なのかを、丁寧に区別している。


 ……ああ。


 すごいね。


 あの粗暴な口調の人と、本当に同じ人物なのかな。


     ◇


「……以上の事情から、私個人として、ゴゾーラ子爵との旧交を温める形でお話を伺えればと考えております」


 クオシンさんが、静かに続けた。


「もちろん、現時点で子爵の罪を決めつける意図はございません。帝国の統治権を侵すような行いも、厳に慎む所存です」


 皇帝の顔が、少し真面目になった。


「ふむ」


 ガラント宰相が、片眼鏡を直す。


「つまり、シルク王国からの正式な使者としてではなく、殿下個人の訪問ということですね」


「おっしゃるとおりでございます」


 クオシンさんは、頷いた。


「父王より、帝国に対する調査命令を受けた事実はございません。あくまで私自身の判断によるものです」


 ……うん。


 昨日用意した記録のとおりだ。


 皇帝は、机へ肘をついて考えていた。


「……それで、もし本当に奴隷売買があったら?」


 クオシンさんは、落ち着いて答えた。


「その際は、直ちに陛下へお知らせいたします。処置は帝国の法とご判断に委ねるべきと存じます」


 ……おお。


 これなら、勝手に事件を起こすことにはならない。


 私は、内心ほっとした。


     ◇


「リアリス」


 皇帝が、私の方を見た。


「はい?」


「お前は、どういうつもりでこの王子を連れてきた?」


 ……おっ。


 私にも質問だね。


「昨日の話を聞いて、何かできないか考えたんだ。でも、証拠がないまま勝手に動くのはよくないと思って」


 私は、正直に答えた。


「クオシンさんが子爵と知り合いだと聞いたから、協力をお願いしたよ」


「無理やり連れてきたのか?」


「違うよ。クオシンさん自身が手伝うって言ってくれたんだ」


 皇帝は、クオシンさんへ目を向けた。


「そうなのか?」


 クオシンさんは、姿勢を正して答えた。


「はい、陛下。私の意思でございます。リアリス殿から強制された事実はございません」


 ……ああ。


 はっきり言ってくれたね。


 私は、少しだけ嬉しくなった。


 皇帝も、ゆっくり頷いた。


「なるほどな」


     ◇


「……ただし、一つ条件がある」


 皇帝が、低い声で言った。


 室内の空気が、少しだけ張りつめる。


 ……あっ。


 やっぱり、そう簡単にはいかないよね。


 ガラント宰相も、皇帝へ目を向けた。


「陛下」


「分かっている」


 皇帝は、私をまっすぐ見た。


「帝国の貴族に近づくことを認める以上、俺も責任を持つ。お前たちが勝手に屋敷を荒らすような真似は、認めんぞ」


「うん。もちろんだよ」


 私は、頷いた。


「もし何か見つかったら、すぐに皇帝へ報告する」


 クオシンさんも、丁寧に頭を下げる。


「陛下のご意向、承知いたしました。必ず遵守いたします」


 皇帝は、少しだけ満足そうに頷いた。


 それから。


「……それと、リアリス」


「ん?」


「今回の件が片づいたら、俺と手合わせをしろ」


 …………。


 ……えっ?


     ◇


「……手合わせ?」


「ああ!」


 皇帝の顔に、いつもの笑みが戻った。


「前から、ずっと頼んでるだろう!」


 ……ああ。


 そういうこと!


 私は、思わず天井を見上げそうになった。


 人身売買の話をしていたはずなのに、そこで手合わせが出てくるんだねぇ。


「皇帝。それ、今の話と関係ある?」


「ある! 大いにある!」


「……どこが?」


「お前を自由に動かすなら、俺にも一つくらい楽しみがあっていいだろう!」


 ……うーん。


 理屈が、よく分からない。


 ガラント宰相が、深く息を吐いた。


「……陛下。条件に含めるべきお話ではないかと存じますが」


「固いことを言うな、ガラント!」


 ……あはは。


 いつもの二人だ。


 私は少し迷った。


 皇帝が自分の楽しみを条件にしている。


 でも、それで帝国が協力してくれるなら、今は断る理由もない。


「……分かった。今回の件が終わったら、手合わせするよ」


「本当か!」


「うん。ただし、安全な場所で、怪我をさせない範囲にしてね」


「ははは! 約束だぞ!」


 ……うん。


 約束しちゃったね。


 ……まあ。


 あとで何とかしよう!


     ◇


 クオシンさんは、そのやり取りを静かに見ていた。


 皇帝が笑うと、彼は穏やかな表情で一礼する。


「陛下とリアリス殿は、たいへん親しいご間柄なのですね」


「おう! この男は面白いぞ!」


「さようでございますか。陛下のお眼鏡にかなうとは、さすがでございます」


 …………。


 ……おお。


 褒めた!?


 クオシンさんが、私を褒めた!?


 ……いや。


 これは、皇帝の前だからだね。


 絶対、そうだ。


 私は、顔に出さないようにした。


 皇帝は、豪快に笑っている。


「よし! 今回の面会は認める。だが、くれぐれも証拠なく踏み込むな。何かあれば、まずガラントに知らせろ」


「ありがとうございます、陛下」


 クオシンさんが、深く頭を下げる。


「私も、そのようにするよ」


 私が言うと、皇帝は満足そうに頷いた。


 ……うん。


 これで、ようやく動けるね。


     ◇


 帰り際、ガラント宰相が私たちを呼び止めた。


「リアリス殿、クオシン殿下。少々よろしいでしょうか」


「もちろん」


「はい。何なりとお申し付けください」


 ……おお。


 クオシンさん、相変わらず丁寧。


 ガラントさんは、声を落とした。


「子爵について、現時点でこちらから断定できる情報はありません。ただ、帝都での行方不明者の噂自体は、私どもも把握しております」


 私は、頷いた。


「うん」


「子爵の名が出たからといって、ひとりの人物に目を向けすぎないでください」


 ……あっ。


 桜花も、昨日似たことを言っていたね。


「もし別の場所で人が捕らえられているなら、子爵が無関係であっても、その人たちは救われません」


 ガラントさんの声は、静かだった。


 けれど、言葉が胸に残る。


「……分かった。忘れないよ」


 クオシンさんも、丁寧に答えた。


「ご忠告、痛み入ります。事実の確認に徹し、何か得られましたら速やかにご報告いたします」


 ガラントさんは、一度だけ深く頷いた。


「よろしくお願いいたします」


 ……うん。


 今度こそ、子爵のところへ行く準備ができた。


     ◇


 帝城を出たあと。


 私とクオシンさんは、大通りを少し歩いた。


「……おい、リアリス」


「はい?」


「いつまでぼけっとしてんだ。行くぞ」


 ……あっ。


 戻った!


 さっきまでの完璧な王子様口調は、帝城の門を出た途端、綺麗に消えてしまった。


「……あの。さっき、すごく丁寧でしたね」


 思わず私が言うと、クオシンさんが眉をひそめた。


「あぁ? 当たり前だろ。相手は皇帝だぞ」


「……うん。そうですよね」


「お前相手にまで、あんな面倒な喋り方する必要がどこにある」


 ……ああ。


 そういうことなんだね。


「貴族はな、相手を見て話すもんだ。皇帝には礼を尽くす。子爵にも必要なら頭を下げる。そうしなきゃ話にならねえこともある」


「……なるほど」


「だからって、お前に愛想を振りまいてやる義理はねえからな」


「……はい」


 ……うん。


 本当に、はっきり言う人だ。


 でも、少しだけ分かったことがある。


 この人は、礼儀を知らないんじゃない。


 知っていて、使い分けているんだ。


 ……それなら。


 普段の態度も、少しは直せそうなものなんだけど!


     ◇


「ゴゾーラ子爵の屋敷は、分かるんですか?」


「ああ。以前、会合のあとに招かれたことがある。場所くらいは覚えてる」


「……それなら、安心ですね」


「安心だと? まだ何も分かっちゃいねえだろうが」


 ……あっ。


 そうだね。


「すみません。道のことだけです」


「……チッ。いちいち言い直すな」


 …………。


 ……難しいなぁ。


 私は、隣を歩くクオシンさんを見た。


 彼は、周囲の建物を確かめながら進んでいる。


 表情は不機嫌そうだけど、行き先には迷いがない。


 こういうところは、頼りになるんだね。


 それでも。


 今日は彼を一人で子爵邸へ入れることになる。


 もし本当に犯罪をしている人物なら、危険がないとは言えない。


「……クオシンさん」


「何だよ」


「中へ入るときは、本当に一人で大丈夫ですか?」


「だから、何度言わせんだ。俺が一人で入るから意味があるんだろ!」


「……分かりました」


「お前は外で大人しく待ってろ。余計なことをすんなよ」


 ……はい。


 また念を押されちゃったね。


     ◇


 ゴゾーラ子爵邸は、帝都の大通りから一本奥に入った場所にあった。


 高い塀。


 金色の飾りがついた大きな門。


 庭には、立派な噴水と石像。


 その向こうに見える屋敷は、窓枠にまで細かな装飾が施されていた。


 ……おお。


 随分、派手な屋敷だねぇ。


 どこを見ても、金色のものがある。


 門の持ち手。


 門柱の彫刻。


 屋敷の扉。


 ……うーん。


 お金があることを、何としても見せたいのかな。


 クオシンさんが、小さく鼻を鳴らした。


「……趣味の悪い屋敷だな」


「……そうですか?」


「見りゃ分かるだろ。全部、金を見せびらかすための飾りじゃねえか」


 ……ああ。


 確かに、そう見えるね。


 でも、それだけで悪い人だとは決められない。


 私たちが確かめるべきなのは、屋敷の趣味じゃない。


 子爵が、人の自由を奪っているのかどうかだ。


     ◇


「じゃあ、俺は行く」


 クオシンさんが、上着の襟を直した。


「……はい。気をつけてくださいね」


「俺に指図すんな」


 ……うん。


 最後まで、口が悪い。


 私は、少し離れた通りへ移動した。


 門が見えるけれど、通行人からは目立ちにくい場所。


 そこで待つことにした。


 クオシンさんが門へ近づく。


 すると。


 ……おっ。


 姿勢が変わった。


 肩の力が抜け、顔には穏やかな笑み。


 声をかけた門番へ、丁寧に一礼している。


 ……ああ。


 また、王子様だ!


 少しして門が開き、クオシンさんは屋敷の中へ入っていった。


 私は、閉じていく門を見つめた。


 ……さて。


 ここからは、待つしかないね。


     ◇


 ――その頃、ゴゾーラ子爵邸。


 突然の来訪者を知らせる報告が、屋敷の玄関へ届いていた。


「シルク王国の第一王子殿下が?」


 執事が、門番へ尋ねる。


「はい。クオシン・シルク殿下と名乗られております。子爵閣下へご挨拶を、と」


 執事は、少し考えた。


 他国の王族。


 しかも、子爵と一度面識がある相手だ。


 軽く扱ってはならない。


「応接室へご案内しろ。閣下へ知らせてくる」


「かしこまりました」


 クオシンは、穏やかな笑みを浮かべた。


「突然お伺いしたのはこちらでございます。どうぞお気遣いなく」


「恐れ入ります、殿下」


 執事が頭を下げる。


 その様子を見ていた門番も、背筋を伸ばした。


 誰が見ても、礼儀正しい王子だった。


     ◇


 応接室に通されたクオシンを迎えたのは、金色の置物だった。


 壁にも、棚にも、机にも、金の装飾がある。


 高価そうな酒杯。


 大きな石像。


 絨毯には、複雑な金糸の模様。


「……立派なお部屋ですね」


 クオシンが、静かに言った。


 執事は、嬉しそうに頷く。


「閣下が特にお気に召しているお部屋でございます」


「なるほど。子爵閣下の審美眼がうかがえます」


 声は穏やかだった。


 胸の内では、別の言葉が浮かんでいた。


 ――金、金、金。


 どこを見ても、そればっかりじゃねえか。


 こんな飾りで偉く見えると思ってるなら、ずいぶん安い頭だ。


 しかし、顔には出さない。


 今日は、相手の本音を聞くために来たのだ。


     ◇


 やがて、扉が開いた。


「おお! これはこれは、クオシン殿下ではございませんか!」


 大きな腹を揺らしながら、一人の男が入ってきた。


 五十歳ほど。


 背はそれほど高くないが、太っているためか、ひどく大きく見える。


 白髪混じりの薄い髪。


 丁寧に整えた髭。


 高価な衣服。


 両手には、宝石をはめ込んだ指輪がいくつも。


 部屋には、濃い香水の匂いが広がった。


 ――ゴゾーラ子爵。


「本日はようこそお越しくださいました! いやはや、まさか殿下自らお運びくださるとは!」


 子爵が、頭を下げた。


 ただし、大きな腹が邪魔なのか、あまり深くは曲がらない。


 クオシンは、すぐに立ち上がる。


「ゴゾーラ子爵閣下。突然の訪問にもかかわらず、お時間を賜り、心より御礼申し上げます」


「何をおっしゃいます! 殿下のためなら、いつでも歓迎いたしますぞ!」


 子爵は、満面の笑みを浮かべた。


 その目だけが、クオシンの衣服や装飾品を素早く確かめていた。


     ◇


「いやはや、殿下はますますご立派になられましたな!」


 子爵が、向かいの椅子へ腰を下ろす。


 椅子が、小さく軋んだ。


「次にお会いするときは、王としてお迎えすることになるやもしれませぬな!」


「身に余るお言葉でございます」


 クオシンは、静かに微笑んだ。


「子爵閣下こそ、ご健勝のご様子で何よりです」


「ほっほっほ! 健康だけは金では買えませんからな!」


 そう言いながら、子爵は傍らの使用人へ指を鳴らした。


「おい。茶だ。上等なものを持ってこい」


「かしこまりました」


 使用人が頭を下げる。


「……遅いぞ。客人を待たせる気か?」


「も、申し訳ございません」


 まだ部屋を出てもいない使用人へ、子爵が吐き捨てた。


 先ほどまでの愛想のよい声とは、まるで違う。


 クオシンの手が、膝の上で小さく握られた。


 だが、表情は変わらなかった。


     ◇


「実は、本日は子爵閣下へ一つご相談がございまして」


 クオシンが切り出した。


「ほう。殿下から、私へですかな?」


「はい。以前お会いした際、交易や珍しい品の取引にお詳しいと伺いました」


 子爵は、嬉しそうに目を細めた。


「おお、よく覚えておいでで!」


「私も近頃、少々変わったものを探しておりまして。普通の商店には並ばないような品、と申しましょうか」


「……ほう?」


 子爵が、身を乗り出した。


「どのような品でございましょう」


「例えば、熟練の職人にしか扱えない工芸品。あるいは、そのような品を作り続けられる、腕のよい働き手などです」


 子爵の目が、わずかに光った。


「……働き手、ですかな」


「はい。王族の身では、一人雇うにも手続きが必要でして。私個人の趣味のためには、何かと不便なのです」


 クオシンは、少し困ったように微笑んだ。


 子爵が、大きな声で笑う。


「ほっほっほ! 殿下もお若い! 欲しいものを自由に手に入れたい、そのお気持ち、よく分かりますぞ!」


 その言葉に、クオシンは穏やかに頷いた。


「お恥ずかしい限りでございます」


     ◇


「……実はですな、殿下」


 子爵が、声を落とした。


「私には、そうしたお悩みを解決できる心当たりがございまして」


「それは、大変興味深いお話です」


「ほっほっほ! 働き手というものは、逃げたり、文句を言ったり、給金を求めたりするから面倒ですな」


 クオシンは、黙って聞いた。


「ですが、最初から逃げられないようにしてしまえば、その心配も要りませぬ」


 子爵は、実に楽しそうに笑った。


 まるで、壊れにくい道具の話でもしているようだった。


「……なるほど」


 クオシンは、ほんのわずかに声を落とした。


 ――逃げられないように?


 人間を何だと思ってやがる。


 胸の奥で、怒りが燃え上がる。


 しかし、笑顔は崩さない。


「……大変、参考になります」


 その言葉に、子爵はますます上機嫌になった。


     ◇


「世の中、きれいごとばかり言う者が多くて困りますな!」


 子爵は、指輪をはめた手を振った。


「自由だの平等だのと、働く側が偉そうに! 貴族がいてこそ国は成り立つというのに!」


「……さようでございますか」


「下々の者は、我らのために働くのが筋というものです。食わせてやるだけでも感謝すべきでしょう!」


 クオシンは、静かに頷いた。


「子爵閣下は、実に実際的なお考えをお持ちなのですね」


 子爵の顔が、嬉しそうに緩む。


「さすがは殿下! いずれ国を治める御方は、物事の本質を理解しておられる!」


 クオシンは、微笑みを返した。


 ――何が本質だ。


 金で人を買えると思ってるだけじゃねえか。


 だが、今は黙って聞く。


 目の前の男に、本性を話させる。


 そのために、この屋敷へ来たのだから。


     ◇


「ちなみに、子爵閣下」


 クオシンは、穏やかに切り出した。


「そのようなお話は、どちらで詳しく伺えるのでしょうか」


 子爵は、部屋の扉へ目を向けた。


 それから、使用人に言った。


「おい。外で待っていろ」


「かしこまりました」


 使用人が退出する。


 扉が閉まると、子爵は椅子の上で身を乗り出した。


「実は、二日後に、ささやかな催しを予定しておりましてな」


「二日後、ですか」


「ええ。この屋敷の地下でございます。選ばれた方々だけをお招きする、特別な夜会ですぞ」


 クオシンは、ゆっくり頷く。


「……どのような催しなのでしょう」


「ほっほっほ。いわゆる、オークションでございます」


「オークション……競りでございますね」


「さよう! 欲しい品を選び、もっとも高い値をつけた者が手に入れる。それだけの話でございます」


 子爵は、嬉しそうに腹を揺らした。


 クオシンは、音も立てずにカップを置いた。


「……大変、興味深いお話です」


     ◇


「今回の品は、なかなかの上物揃いでしてな!」


 子爵が、得意げに続けた。


「働き盛りの男、若い女、腕のよい者。どれも、需要のある品ばかりでございますぞ」


 ――男。


 女。


 腕のよい者。


 子爵の言う『品』が、何なのか。


 もはや、疑う余地はなかった。


 クオシンは、ほんの一瞬だけ息を止めた。


「……人を、お扱いになるのですか」


 子爵は、にやりと笑った。


「殿下。そこは言い方でございますよ」


「……言い方、ですか」


「商品に、余計な名前をつける必要はございません。価値があり、買い手がつく。それで十分ではございませんか」


 クオシンの胸の内で、怒りが膨れ上がった。


 だが、彼は少しも顔に出さない。


「……なるほど。私には、まだ勉強すべきことが多いようでございます」


「ほっほっほ! 私がいくらでもご指南いたしますぞ!」


 子爵が、上機嫌で笑った。


 その笑い声だけが、やけに大きく響いていた。


     ◇


「……差し支えなければ、今回の品について、もう少しお聞かせいただけますか」


 クオシンは、あくまで購入希望者の顔で尋ねた。


「もちろん、もちろん! 殿下のご関心とあらば!」


 子爵は、指を折って数え始めた。


「男が十五。女が三十。合わせて四十五でございます!」


 クオシンの指先が、膝の上でわずかに動いた。


「……四十五名も」


「ええ! なかなか揃えられぬ数ですぞ!」


 子爵は、胸を張った。


「男のうち三人は、腕のよい職人です。鍛冶や細工に詳しい者もおります。殿下がお求めの働き手としても、きっとお役に立ちましょう」


「……職人が、三名」


「ええ。逃げる心配もございません。長く使えますぞ」


 子爵が、軽く笑った。


 ――十五。


 ――三十。


 ――四十五。


 数字が、クオシンの胸の奥に刻まれていく。


 彼らは品物じゃない。


 生きた人間だ。


 そう怒鳴りたくなる気持ちを、彼は必死に押しとどめた。


     ◇


「それほどの人数ですと、お値段も相当なものなのでしょうね」


 クオシンが尋ねた。


 子爵の目が、嬉しそうに光る。


「ほっほっほ! お目が高いですな!」


 太い指が、机を叩いた。


「男は、白金貨三枚から十枚ほど。技能のある者には、もちろんそれなりの値をつけます」


「……女性は、いかがでしょう」


「こちらは、白金貨五枚から三十枚と幅がございましてな」


 子爵は、楽しそうに説明した。


「年齢、容姿、使い道。そういったものによって値が変わります。欲しがる客が多ければ、さらに吊り上がることもございますぞ」


 ――値段。


 人に、値段。


 子爵は、その数字を口にすることに一切ためらわなかった。


 クオシンは、手にしていたカップを静かに戻した。


「……大変、参考になります」


 声は、揺れなかった。


「いやあ、さすが殿下! 価値を分かっておいでだ!」


 子爵が笑う。


 クオシンは、微笑みを返した。


 ――理解したのは、お前の頭がどれだけ腐ってるかってことだ。


     ◇


「……子爵閣下」


 クオシンは、少しだけ声を落とした。


「これほど貴重な催しへ、私のような者がお邪魔してもよろしいのでしょうか」


 子爵は、大きく目を見開いた。


「何をおっしゃいます! 殿下ほどのお方をお断りする理由などございませんぞ!」


「恐れ入ります。ただ、私的な用向きで帝都へ来ているものですから、あまり大げさな形にはしたくないのです」


 子爵は、何度も頷いた。


「もちろん、もちろん。お立場は重々承知しております!」


 そこで、少しだけ声を潜める。


「もっとも、あの催しへお入りいただけるのは、招待状をお持ちの方のみとなります」


「招待状、でございますか」


「ええ。身元の確かな客人だけを、特別にお招きするのです。万一にも、余計な者が紛れ込んでは困りますからな」


 クオシンは、静かに頷いた。


「それは、当然のご配慮と存じます」


 子爵の口元が、ますます緩む。


「ほっほっほ! 殿下は話が早い!」


 子爵は、嬉しそうに手を叩いた。


「招待状をご用意いたしましょう。ぜひ、ご参加くださいませ!」


     ◇


「ありがとうございます」


 クオシンは、丁寧に頭を下げた。


「ただ、恐縮なのですが……」


「何でございましょう」


「明日まで、帝都でいくつか私用が残っております。招待状は、宿泊先へお届けいただけますでしょうか」


 子爵の目が、わずかに細くなった。


「……宿泊先、ですか?」


「はい。今回の訪問は公務ではございませんので、王城を通すよりも都合がよろしいのです」


 クオシンは、穏やかに微笑んだ。


「お手数をおかけいたしますが、ご容赦ください」


 子爵は、少しの間考えた。


 それから、腹を揺らして笑う。


「なるほど! 殿下にも、いろいろとご事情がおありなのですな!」


「ご理解いただけて、幸いでございます」


「もちろん、もちろん! では、どちらの宿へお届けしましょう」


 クオシンは、道中で確認しておいた普通の宿屋を受取先に指定した。


 帝都の大通りから少し外れた場所にある宿だ。


 王家の施設でも、皇帝の宮殿でもない。


 受取人は、クオシン本人。


 封書を届けるだけなら、不自然ではない場所だった。


「承知いたしました。明日までに必ずお届けしますぞ!」


「ありがとうございます。二日後の催しを、楽しみにしております」


 その言葉を聞いて、子爵が満足そうに笑った。


     ◇


「殿下」


 ゴゾーラ子爵は、身を乗り出した。


「最後に、一つだけ」


「何でございましょう」


「二日後は、ぜひ、十分なご予算をお持ちくださいませ」


 ……予算。


 子爵にとっては、何よりも大切な言葉だった。


「よい品を見つけても、競り負けてしまっては残念でございますからな」


 クオシンは、丁寧に頷く。


「貴重なご助言、ありがとうございます」


「ほっほっほ! 殿下でしたら、白金貨を惜しむようなこともございませんでしょう!」


「品の価値に見合うのであれば、検討したく存じます」


 子爵の目が、再び輝いた。


 ――白金貨。


 ――価値。


 ――競り勝つ。


 その一つ一つの言葉が、人間を指している。


 クオシンは、自分の指が椅子の肘掛けを強く掴んでいることに気づいた。


 今すぐ立ち上がって、この男の顔へ言ってやりたい。


 人間は商品じゃねえ、と。


 だが、まだ早い。


 ここで怒れば、地下にいる四十五人がどうなるか分からない。


 ――あと少しだ。


 そう自分に言い聞かせる。


 表情には、柔らかな微笑みだけを浮かべていた。


     ◇


 子爵は、上機嫌で立ち上がった。


「では、二日後を楽しみにしておりますぞ、殿下!」


「こちらこそ。子爵閣下のお心遣いに、厚く御礼申し上げます」


 クオシンも、丁寧に立ち上がった。


 子爵は、わざわざ玄関まで見送りに出てきた。


 応接室の外には、執事と使用人たちが並んでいた。


「おい、お前ら! 殿下を丁重にお送りしろ!」


 子爵の声が、急に荒くなる。


 使用人が、びくりと肩を揺らした。


「……かしこまりました」


「少しでも粗相をしたら、ただじゃ済まんぞ!」


 子爵は、吐き捨てるように言った。


 クオシンは、何も言わなかった。


 ただ、使用人たちへ静かに頭を下げる。


「本日は、皆様にも丁寧にご対応いただき、ありがとうございました」


 使用人たちが、驚いたように顔を上げた。


 それから、急いで頭を下げる。


 クオシンは、再び子爵へ向き直った。


「それでは、失礼いたします」


「ほっほっほ! また、お目にかかりましょう!」


 最後まで、王子らしい所作。


 最後まで、穏やかな微笑み。


 クオシンは、そのまま屋敷をあとにした。


     ◇


 門が閉まる。


 その音を聞いたゴゾーラ子爵は、すぐに執事へ向き直った。


「……ふん。いい客が来たものだな」


「第一王子殿下でございますから」


「王子だろうと何だろうと、金を落とすなら上客だ」


 子爵は、宝石の指輪を眺めて笑った。


「白金貨を惜しまん客なら、いくらでも歓迎するわい」


 執事が、静かに頭を下げる。


「招待状の手配をいたします」


「うむ。必ず届けろよ。あれだけ金のありそうな客を逃したら、大損だ」


「かしこまりました」


 子爵は、腹を揺らしながら廊下を進んだ。


 向こうから来た使用人が、慌てて道を譲る。


「おい! ぼさっとするな!」


「も、申し訳ございません!」


「まったく。使えん奴ばかりだ」


 子爵は、鼻を鳴らして歩き去った。


 絨毯の上を進む足音。


 金色の装飾。


 綺麗に磨かれた床。


 豪華な屋敷は、何事もなかったかのように静かだった。


 ――その地下で、四十五人の人間が何を思っているのか。


 子爵は、一度も考えようとはしなかった。


     ◇


 ……その頃、私は。


 ゴゾーラ子爵邸から少し離れた通りで、門を眺めていた。


 時間が、ゆっくり過ぎていく。


 ……うーん。


 長いね。


 クオシンさんが入ってから、結構経った気がする。


 私は、周囲を見回した。


 馬車が一台、通りを横切っていく。


 その後ろを、荷物を抱えた男が歩いている。


 屋敷の門番は、相変わらず同じ場所に立っていた。


 ……うん。


 表から見る限り、何も変わっていない。


 ただの立派な貴族の屋敷だ。


 庭も、綺麗。


 窓も、綺麗。


 通りも静か。


 ……それなのに。


 私は、どこか落ち着かなかった。


     ◇


 《サーチ》を使えば、周辺にいる人や魔獣の反応は分かる。


 でも、それだけだ。


 誰が何を考えているのか。


 どんな話をしているのか。


 その人が何の罪を犯したのか。


 そんなことまでは、分からない。


 ……ああ。


 今までは、魔獣の居場所が分かるだけで十分だったんだけど。


 今回は、違う。


 数えた反応だけで、屋敷の中にいる誰かが捕らわれているとは判断できない。


 働いている使用人もいるだろう。


 客人だっているかもしれない。


 その中から、どうやって助けを求めている人を見分ける?


 私は、息を吐いた。


 ……難しいな。


 《想像魔法》があっても、何を確かめるべきかを知らなければ、判断はできない。


 今、屋敷に入っているのはクオシンさんだ。


 私は、彼が無事に戻るのを待つしかない。


     ◇


 しばらくして。


 門の方へ目を向けたとき、私は小さな影が動いたことに気づいた。


 ……ん?


 人影が、塀の角からこちらへ近づいてくる。


 銀色の短い髪。


 見慣れた姿勢。


 ……あっ。


「……桜花?」


 声を抑えて呼ぶと、その人影が立ち止まった。


「リアリス様」


 ……おお。


 やっぱり、桜花だ!


「どうしてここに?」


 私が尋ねると、桜花は静かに頭を下げた。


「申し訳ございません。お屋敷でお待ちするよう、仰せつかっておりましたが……」


 少しだけ、言葉が止まった。


 私は、桜花の顔を見た。


 普段とほとんど変わらない表情。


 でも、目元には、どこか心配そうな色があった。


「……何かあった?」


「いいえ。何もございません」


 桜花は、静かに答えた。


「ただ、どうしても気になりまして」


 ……ああ。


 心配してくれたんだね。


     ◇


「……来ちゃったんだ」


 私が小さく言うと、桜花はもう一度頭を下げた。


「申し訳ございません」


「ううん。怒ってるわけじゃないよ」


 私は、慌てて首を振った。


「でも、よく場所が分かったね」


「巴さんに帝国邸へ向かうことをお伝えし、《簡易転移》の扉を使いました。帝国邸からは、歩いて参りました」


 ……ああ。


 なるほど。


 屋敷同士の扉があれば、魔力がなくても移動できるもんね。


「……そっか」


 私は、桜花を見た。


 この子は、いつも私のそばにいてくれる。


 今日も、一緒に来たかったんだろうな。


「心配させて、ごめんね」


「……いいえ」


 桜花は、首を横に振った。


「私は、リアリス様のお傍にいたいだけでございます」


 その言葉に、胸が少しだけ温かくなった。


「ありがとう」


 私は、静かに頷いた。


「じゃあ、一緒に待とうか」


「はい」


 桜花は、私の隣へ並んだ。


 ……うん。


 これなら、少し安心できそうだ。


     ◇


 待っている間、桜花が屋敷へ目を向けた。


「……あちらに、クオシン様が」


「うん。今、子爵と話してくれてるんだ」


「……そうでございますか」


 私は、小さく頷いた。


「今回は、クオシンさんのおかげで話が進んだよ」


 桜花が、こちらを見る。


「皇帝陛下とも、お話はできましたか」


「うん。許可をいただけた。あとで手合わせをすることになっちゃったけど」


 桜花が、少しだけ目を丸くした。


「……手合わせ、でございますか」


「うん。皇帝らしいよねぇ」


 私は、苦笑した。


 桜花も、ほんの少しだけ微笑んだ。


 ……ああ。


 少し、普段の空気が戻ってきた。


 でも。


 門へ目を戻した瞬間、また胸の奥が落ち着かなくなった。


 ……中で、どんな話をしているんだろう。


     ◇


 やがて。


 門の向こうに、人影が現れた。


 ……おっ!


 クオシンさんだ。


 門番が扉を開き、彼を送り出している。


 クオシンさんは、門番へ丁寧に一礼した。


 穏やかな笑顔。


 綺麗な姿勢。


 ……うん。


 最後まで、王子様だね。


 そして。


 門が閉まり、彼が通りの角を曲がったところで。


「……チッ!」


 聞こえたのは、盛大な舌打ちだった。


 ……あっ。


 戻った!


 クオシンさんは、私を見つけて眉をひそめる。


「おい、リアリス。まだそんなところにいたのか」


「……待ってろって言ったの、クオシンさんですよね?」


「口答えすんな」


 ……うん。


 やっぱり、いつもの人だ。


 けれど。


 近づいてきた彼の表情は、いつもよりずっと険しかった。


     ◇


「……どうでした?」


 私が声を落として尋ねると、クオシンさんは周囲を見回した。


「ここでする話じゃねえ」


「……分かりました」


「場所を変えるぞ。できれば、誰にも聞かれねえところだ」


 私は、頷いた。


 ……ああ。


 何か、分かったんだね。


 クオシンさんは、桜花へ視線を向けた。


「……おい。そいつ、何でここにいる」


「すみません。心配して、来てくれたみたいで」


「……はぁ?」


 クオシンさんが、深く息を吐いた。


「だから、一人で待てと言ったんだろうが」


「……それは、私が桜花に伝えたので」


 私は、苦笑した。


 桜花が、静かに頭を下げる。


「ご迷惑をおかけいたしました」


 クオシンさんは、少しだけ顔をしかめた。


 それから、ふん、と鼻を鳴らす。


「……もういい。とにかく行くぞ」


 ……うん。


 今は、そっちが先だね。


     ◇


 私たちは、帝都の大通りから離れた、人通りの少ない道へ移動した。


 クオシンさんは、ほとんど口を開かなかった。


 その沈黙が、妙に重い。


 さっきまで、口を開けば悪態をついていたのに。


 ……変だな。


 何となく、そう思った。


 桜花も、静かについてくる。


 少しして、クオシンさんが足を止めた。


「……リアリス」


「はい」


「先に言っておく」


 私は、彼を見た。


 その顔には、いつもの傲慢な笑みも、苛立ちを隠さない不機嫌さもなかった。


 ただ、強い怒りがあった。


「……子爵は、真っ黒だ」


 ……え?


 私は、言葉を失った。


     ◇


「……どういうことですか」


 ようやく声を出すと、クオシンさんは、低く吐き捨てた。


「人を売ってやがる。あの豚野郎、自分の口で喋りやがった」


 ……人を。


 売っている。


 私は、足元の石畳を見た。


 ……ああ。


 噂じゃ、なかったんだ。


 でも。


 まだ、落ち着いて聞かなきゃ。


「……何を、聞いたんですか」


 私が尋ねると、クオシンさんは一度だけ息を吐いた。


「二日後だ」


「……二日後?」


「子爵邸の地下で、オークションをやる。あの野郎が自分で主催してるそうだ」


 私は、顔を上げた。


 ……地下。


 子爵邸の。


「参加者は招待状を持った連中だけだ。俺のところにも送ると言いやがった」


 ……招待状。


 ……本当に?


「どこへ送ってもらうんですか」


「帝都の宿だ。受取先は指定してきた」


 クオシンさんは、唇を噛んだ。


「……明日には届くはずだ」


 ……明日。


 そして、二日後。


 時間が、急に現実味を帯びてくる。


     ◇


「……人数は?」


 自分でも、どうしてその言葉が出たのか分からなかった。


 ただ。


 聞かなければならないと思った。


「……何人、いるんですか」


 クオシンさんが、私を見た。


 その目は、厳しかった。


「……男が十五人」


 私は、息を止めた。


「女が、三十人」


 …………。


 ……四十五人。


「男のうち三人は、腕のいい職人だと自慢してやがった。逃げられねえから、長く使えるってな」


 私は、何も言えなかった。


 頭の中で、数字だけが繰り返された。


 十五。


 三十。


 四十五。


 ……ああ。


 四十五人も。


     ◇


「……金額まで言ったぞ、あいつ」


 クオシンさんが、苦々しく言った。


「男は白金貨三枚から十枚。女は五枚から三十枚だと」


 ……白金貨。


 私は、その言葉を聞いても、すぐには意味を飲み込めなかった。


 金額は分かった。


 でも。


 何の金額なのか、考えたくなかった。


「年齢だの容姿だの、使い道だので値段が変わるって、嬉しそうに喋りやがった」


 クオシンさんの拳が、硬く握られた。


「あの野郎、四十五人のことを一度も人間扱いしなかった」


 ……ああ。


 その言葉が、胸に刺さった。


 私は、何とか声を出した。


「……本当に、そんな話を?」


「ああ。全部、あいつの口から聞いた」


 クオシンさんは、短く答えた。


 いつもの大きな声ではなかった。


 だからこそ、重く響いた。


     ◇


「……リアリス」


 クオシンさんが、私の顔を覗き込んだ。


「お前、顔色が悪いぞ」


「……大丈夫です」


 私は、答えた。


 本当に大丈夫なのかどうか、自分でも分からなかった。


 私の頭には、カトレアの顔が浮かんでいた。


 朝、笑って送り出してくれた小さな顔。


 お父さん、お仕事頑張ってね。


 ……ああ。


 同じように誰かを待っている人が、四十五人の向こうにもいるんだろうか。


 それとも。


 もう待っている人さえ、いないんだろうか。


 私は、目を閉じた。


「……クオシンさん」


「何だ」


「教えてくれて、ありがとうございます」


 クオシンさんが、鼻を鳴らした。


「礼なんざいい。あいつの顔を見たら、胸糞悪くなるだけだ」


 ……うん。


 それは、分かる。


 私は、ゆっくり息を吸った。


     ◇


「まず、皇帝に知らせましょう」


 私が言うと、クオシンさんが頷いた。


「ああ。当然だ」


 彼は、子爵邸の方を振り返った。


「……だが、今すぐ門をぶち壊すような真似はすんなよ」


「……分かってます」


「招待状が届けば、さらに証拠になる。場所も日時も、あいつが自分で指定した」


 ……そうだね。


 皇帝も、証拠なく踏み込むなと言っていた。


 今度は、ただの噂じゃない。


 でも、ここで勝手に動いたら、四十五人がどこかへ移されるかもしれない。


 そんなことは、絶対に避けたい。


「……それなら、帝国邸へ戻りましょうか」


 私は、静かに言った。


 クオシンさんが、頷いた。


「……ああ」


 桜花は、ずっと黙って私の隣にいた。


 その手が、そっと私の袖へ触れた。


「リアリス様」


「……うん」


 何か、言おうとした。


 でも、上手く言葉にならなかった。


 私たちは、ゴゾーラ子爵邸から背を向けて歩き出した。


 ――二日後。


 あの煌びやかな屋敷の地下で、四十五人の人生が値踏みされる。


 今は、その事実だけが、頭から離れなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。