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第3話:お父さん、弱いね

 翌朝。


 私は、シルク王国邸の自室で目を覚ました。


 ……ああ。


 よく寝た。


 窓の向こうでは、小鳥が鳴いている。


 柔らかな朝日が、カーテンの隙間から差し込んでいた。


 …………。


 ……うん。


 平和だね。


 昨日はドワーフの二国で、長く続いていた不仲を解消するための会談があった。


 ギーラ国のスミノ長王。


 シーラ国のケリィ長王。


 それから、ミゲイル王子とイリーナ王女。


 ……ああ。


 みんな、いい人だったなぁ。


 ただし。


 内戦の発端が、お酒の好みだったという事実だけは、どうにも忘れられそうにない。


 …………。


 火酒。


 ワイン。


 …………。


 ……うーん。


 何度思い出しても、すごい話だ。


 あれだけ真剣に歴史を語り合っていたのに、最初の喧嘩はお酒。


 ……いや。


 そこからたくさんの人が傷ついてしまったのだから、単純に笑えることじゃない。


 でも、今の長王たちは話し合うことを選んでくれた。


 ……うん。


 それで、よかった。


 私は、布団から起き上がった。


 さて。


 今日は何をしようかな。


     ◇


 顔を洗って食堂へ行くと、カトレアが先に席へついていた。


 朝から元気な笑顔。


「……お父さん!」


「おはよう、カトレア!」


「……おはよう!」


 …………。


 ……ああ。


 今日も可愛い。


 巴さんが、焼きたてのパンを運んできた。


「リアリスちゃん、おはよう。今日は少しゆっくりなのね」


「うん。今日は大きな予定もないし、のんびりしようかなって」


 巴さんが、嬉しそうに微笑んだ。


「ふふ。それなら、いいわね」


 ……ああ。


 そうだよね。


 最近は、あちこちの国へ行ってばかりだった。


 新しい屋敷。


 国宝泥棒。


 獣王様のお土産。


 それから、ドワーフの和平。


 ……うん。


 どれも大事なことだったけど。


 私が本当に欲しかったのは、家族とのんびり過ごす時間なんだ。


 私は、カトレアを見た。


「……カトレア」


「……ん?」


「今日は、お父さんと一緒に遊ばない?」


 …………。


 カトレアの目が、ぱっと輝いた。


「……いいの!?」


「もちろん!」


「……やった!」


 …………。


 ……あああ。


 この反応!


 それだけで、今日はもういい日だと思える!


     ◇


「……何して遊ぶ?」


 朝食を終えたカトレアが、私の隣へ来た。


「そうだねぇ」


 ……うーん。


 何がいいかな。


 お庭で花を見て回るのもいい。


 お散歩も楽しい。


 ぬいぐるみで遊ぶのも、悪くない。


 でも。


 せっかくだから、何か新しい遊びを教えてあげたい。


 …………。


 ……あっ。


 そうだ。


 私が日本にいた頃、よく遊んだものがある。


 ……リバーシ。


 黒と白の石を置いて、相手の石を挟んでひっくり返す、あのゲームだ。


 ……あっ。


 そういえば、異世界もののお約束だよね。


 日本のリバーシを持ち込んだら、異世界で大流行!


 飛ぶように売れて、大儲け!


 ……みたいな展開。


 …………。


 ……あはは。


 いかにもありそう!


 でも、私は商売でひと山当てたいわけじゃないんだ。


 カトレアと一緒に遊べれば、それで十分。


 ……うん。


 そもそも、盤一つでそんなに流行るわけないよね!


 …………。


 ……たぶん。


 ……まあ、それはそれとして。


 ……うん。


 ルールは簡単。


 でも、考えることは意外と多い。


 子どもの頃は、家族や友達とよく遊んだなぁ。


 ……ああ。


 懐かしい。


「……お父さん?」


 カトレアが、私の顔を覗き込んだ。


「……何か、思いついた?」


「うん。ちょっと面白いものを持ってくるね」


 私は、にっこり笑った。


 ……よし。


 今日は、リバーシで遊ぼう!


     ◇


 私は、空いた卓の上を片づけた。


 カトレアが、不思議そうに見つめている。


「……何するの?」


「盤を使って遊ぶゲームなんだ」


「……ばん?」


「四角い板の上に、丸い石を並べるんだよ」


 …………。


 カトレアが、こくんと頷いた。


 ……うん。


 説明だけじゃ分からないよね。


 見せた方が早い。


 私は、使い慣れた魔法を発動した。


「《取り寄せ》」


 次の瞬間。


 卓の上に、箱が現れた。


 中には、緑色の盤。


 それから、片面が黒く、もう片面が白い石。


 ……おお。


 懐かしい!


 これこれ。


 日本で見慣れた、普通のリバーシだ。


 ……うん。


 わざわざ新しい魔法を作らなくても、《取り寄せ》で用意できるのはありがたいね。


 カトレアは、箱をじっと見ている。


「……お父さん、それ、なあに?」


「リバーシっていう遊びだよ」


「……りばーし?」


「そう。これから一緒にやってみようか」


「……うん!」


 …………。


 ……ああ。


 楽しみだね。


     ◇


 私は、盤を卓へ置いた。


 八列。


 八段。


 全部で六十四の小さな四角。


 ……うん。


 この盤を見るのも、久しぶりだなぁ。


「……ここに、石を置いていくんだ」


 私は、一枚の石を手に取った。


 黒い面。


 くるり。


 白い面。


 …………。


 カトレアが、小さく声を上げた。


「……いろ、かわった!」


「そうだね。裏返すと色が変わるんだよ」


 ……うん。


 これ、初めて見るとちょっと不思議だよね。


 カトレアが、私の手から石を受け取った。


 くるっ。


 黒。


 くるっ。


 白。


 くるっ。


 黒。


 …………。


 ……おお。


 楽しそう。


 もう石をひっくり返すだけで遊びになってる!


「……お父さん!」


「ん?」


「……これ、たのしい!」


 …………。


 ……ああ。


 まだ、ゲーム始まってないんだけどね!


 私は、思わず笑った。


     ◇


「……じゃあ、ルールを教えるよ」


「……うん!」


 カトレアが、背筋を伸ばした。


 ……おっ。


 真剣な顔。


 私は、盤の中央に石を四つ置いた。


 黒。


 白。


 白。


 黒。


 斜めに同じ色が並ぶようにする。


「まず、真ん中にはこうやって四つ置くんだ」


 カトレアが、顔を近づけた。


「……まんなか」


「そう。それから、黒と白に分かれるよ」


 私は、石を二枚持ち上げた。


「どっちの色がいい?」


 少しの沈黙。


「……くろ!」


 …………。


 ……おっ。


 即答だね。


「じゃあ、カトレアが黒。お父さんが白にしよう」


「……うん!」


 ……うん。


 黒が先手。


 白が後手。


 ここまでは簡単だ。


 でも。


 肝心なのは、ここから。


「相手の石を、自分の石で挟むんだよ」


 私は、黒と白の石を並べて見せた。


「例えば、白い石を黒い石で両側から挟むと……」


 真ん中の白い石を、くるりと返した。


「黒になる」


 …………。


 カトレアが、ぱっと顔を上げた。


「……とれた!」


「そう。挟んだ石を自分の色にできるんだ」


 ……ああ。


 言葉で説明するより、実際にやった方が分かりやすいね。


     ◇


「……まっすぐ、並べるの?」


 カトレアが、石を指差した。


 …………。


 ……おっ。


 いい質問!


「そう。縦でも、横でも、斜めでもいいよ」


「……ななめも?」


「うん。ただし、間にある相手の石を、自分の石でちゃんと挟める場所に置くんだ」


 ……うん。


 初めてだと、少し難しいかな。


 私は、盤の隅で見本を作った。


 黒。


 白。


 白。


 そして、少し離れたところへ黒。


「こうやって、相手の石が間に二つあっても……」


 間の白い石を、二つとも返した。


「……ほら」


 カトレアが、目を丸くした。


「……ふたつ!」


「そう。たくさん挟めると、一度にたくさん返せるんだ」


「……すごい!」


 …………。


 ……ああ。


 可愛いなぁ。


「ただし、何も挟めない場所には置けないんだよ」


 私は、何もない隅を指差した。


「置きたい場所を好きに選べるわけじゃないんだ」


 カトレアが、真剣に頷いた。


「……はさむ、ところ」


「そう。よく覚えたね!」


 ……うん。


 分かってきたみたいだ。


     ◇


 盤を最初の形へ戻す。


 真ん中に、黒と白が二つずつ。


「……それじゃ、やってみようか」


「……うん!」


 カトレアは、黒い石を一枚持った。


 そして。


 …………。


 じーっ。


 盤を見つめている。


 ……うん。


 考えてる。


 考えてるね。


 …………。


 ……あれ。


 結構、長いな。


「……お父さん」


「ん?」


「……どこ?」


 …………。


 ……あっ。


 最初の一手が、分からないんだね。


 そりゃ、そうだよ。


 初めてだもん。


「ここを見るといいよ」


 私は、中央の白い石を一つ指差した。


「この白を挟めるように、黒を置くんだ」


 カトレアが、盤を見つめる。


 それから、そっと石を置いた。


 ……おお。


 正解!


「……ここ?」


「そう! そこなら置けるよ!」


 私は、挟まれた白い石を指差した。


「じゃあ、この石はどうなるかな?」


 カトレアは、少し考えた。


 それから。


 くるり。


 白を、黒へ返した。


「……くろ!」


「大正解!」


 …………。


 ……おお。


 覚えるの、早い!


     ◇


 そのとき。


「……リアリス様」


 後ろから、柔らかな声がした。


 桜花だ。


「……何をなさっているのですか?」


「おっ、桜花!」


 私は、盤を見せた。


「リバーシっていう遊びを、カトレアに教えてるんだ」


 桜花が、そっと覗き込んだ。


「……黒と白の石でございますか」


「うん。相手の石を挟んで返すゲームだよ」


 …………。


 桜花が、じっと盤を見ている。


 ……おっ。


 興味あるのかな。


「……カトレア様。楽しいですか?」


 桜花が尋ねた。


「……うん!」


 カトレアは、嬉しそうに答えた。


「……お父さんと、あそんでる!」


 …………。


 ……ああ。


 この一言。


 何て幸せなんだろう!


「……ふふ。そうでございますか」


 桜花の目元が、ほんの少し緩んだ。


 ……うん。


 桜花も、嬉しそう。


「桜花も、あとでやってみる?」


「……よろしいのですか?」


「もちろん!」


 ……ああ。


 みんなで遊べるものが増えるのって、いいね。


     ◇


 それから、私の番になった。


 ……うん。


 白い石を持つ。


 盤を見る。


 …………。


 ……あれ。


 久しぶりだけど、結構覚えてるなぁ。


 置ける場所も分かる。


 カトレアの次の手を少し考えると、だいたいの展開も読めそうだ。


 ……うん。


 でも。


 今日は、勝つことが目的じゃない。


 カトレアと楽しく遊ぶ日だからね。


「……じゃあ、お父さんは、ここにしようかな」


 私は、置ける場所から一つ選んだ。


 白が、黒を一枚挟む。


 くるり。


 黒い石が、白へ変わった。


「……あっ!」


 カトレアが、目を丸くした。


「……わたしの、くろ!」


「そう。今度は、お父さんが返したんだよ」


 カトレアが、少しだけ口を尖らせた。


 …………。


 ……おっ。


 悔しいんだね。


 いいねぇ。


 でも、泣かせたいわけじゃないからね。


「次は、カトレアの番だよ」


「……うん!」


 ……よし。


 楽しみながら覚えよう。



     ◇


 カトレアは、再び盤をじっと見つめた。


 ……うん。


 さっきより真剣だね。


 黒い石を一枚、指で挟んでいる。


「……ここ、いい?」


 そう言って指差した場所は、白い石を斜めに挟めるところだった。


 ……おお。


 もう斜めも見つけたんだ!


「うん。置けるよ」


「……やった!」


 ことん。


 石を置く。


 そして、白い石を返す。


 ……ああ。


 嬉しそうだなぁ。


 私は、盤を眺めた。


 ……うん。


 いくつか置ける場所がある。


 ちゃんと考えたら、私が有利に進められそうだ。


 でも。


 ここで一気にひっくり返しちゃうと、カトレアが覚える前に終わっちゃうかもしれない。


 ……うーん。


 そうだね。


 まずは、カトレアがいろんな石を返せるようにしよう。


「……お父さん、ここにしようかな」


 私は、白い石をそっと置いた。


 自分の石で黒を一枚挟み、ひっくり返す。


 …………。


 カトレアが、顔を近づけた。


「……つぎ、わたし?」


「うん。カトレアの番だよ」


 ……ああ。


 いいね。


 盤の向こうから見上げてくる目が、きらきらしてる。


     ◇


 何手か進んだところで、カトレアの手が止まった。


「……お父さん」


「ん?」


「……どこでも、いい?」


 …………。


 ……あっ。


 置ける場所が分からなくなっちゃったんだね。


「……そうだね。どこでもいいわけじゃないんだ」


 私は、盤の端を指差した。


「ここに置いても、白い石を挟めないでしょ?」


「……うん」


「だから、今は置けないんだ」


 カトレアが、小さく頷く。


「……じゃあ、どこ?」


 …………。


 ……うん。


 すぐに教えてもいいけど。


 せっかくだから、自分で見つけてもらおうかな。


「まず、白い石を一つ見つけてみよう」


「……しろ」


「そう。その白い石の向こうに、黒があるところを探すんだ」


 カトレアの指が、盤の上をゆっくり動く。


 白。


 黒。


 白。


 黒。


 …………。


 ……おっ。


 気づきそう。


「……あっ!」


 カトレアが、小さく声を上げた。


「……ここなら、はさめる!」


 …………。


 ……正解!


 私は、思わず笑った。


「うん! よく見つけたね!」


 …………。


 カトレアが、嬉しそうに石を置く。


 くるり。


 白が、黒に変わった。


 ……ああ。


 自分で見つけられたときの顔って、いいね。


     ◇


「……リアリス様」


 桜花が、少しだけ首を傾げた。


「……この遊びは、最後にどちらの石が多いかを競うのでしょうか」


「うん。最後に自分の色が多い方の勝ちだよ」


 私は、盤を指差した。


「お互いに置ける場所がなくなるまで続けるんだ。置けるところがない人は、その番を飛ばすこともあるよ」


 桜花が、小さく頷いた。


「……なるほど」


 …………。


 ……おっ。


 理解、早いなぁ。


「石の数が多ければ、多いほど有利なのでございますね」


 …………。


 ……あっ。


 そう言われると、ちょっと違うんだよね。


「途中では、そうとも限らないんだ」


「……と、申しますと?」


「今たくさん取っても、そのぶん相手にいい場所を渡しちゃうことがあるからね」


 私は、盤の四隅を指差した。


「特に角は、一度取ったらひっくり返されないんだ」


 ……うん。


 リバーシをやってた頃、それだけはよく覚えてる。


 角を取られると、途端に苦しくなっちゃうんだよね。


 桜花は、しばらく角のマスを見ていた。


「……角を取るために、それ以外の場所を利用する……」


 …………。


 ……ん?


 ……あれ。


 桜花、何か考えてる?


「……そのような考え方も、ございますね」


 ……おお。


 もう、そこまで気づいたの!?


 私は、思わず桜花を見つめた。


 …………。


 ……いや。


 この子、剣術でも相手の動きを読むのが得意なんだよね。


 リバーシだって、すぐ強くなるのかもしれない。


     ◇


「……お父さん!」


 カトレアの声で、私は盤へ目を戻した。


「ん?」


「……こっち、みて!」


 …………。


 ……あっ。


 ごめんごめん。


 つい、桜花と話し込んじゃった。


「どうしたの?」


 カトレアは、盤の中央を指差した。


「……わたしの、くろ、いっぱい!」


 …………。


 ……おっ。


 本当だ。


 中央付近に、黒い石が増えている。


 ……うん。


 カトレアが上手に挟めたところが、少しずつ広がってきたね。


「すごいね!」


「……えへへ!」


 …………。


 ……ああ。


 この笑顔のためなら、何回でも負けられそう。


 ……いや。


 まだ、勝負は終わってないんだけどね。


 私は、白い石を一枚持った。


 …………。


 ……うーん。


 ここに置くと、次にカトレアが角を取れるな。


 でも、その角はまだ遠いか。


 じゃあ。


 あえて、少し控えめな手を打とう。


 私は、ルールどおりに白い石を置き、一枚返した。


 ……よし。


 これなら、カトレアにもまだチャンスがある。


 ……って。


 何だか、私の方が真剣に考えてない?


 ……いや。


 負けるために考えるのも、意外と難しいんだね!


     ◇


 盤の上は、少しずつ黒と白で埋まっていった。


 カトレアは、一手ずつ丁寧に考える。


 時には、私に質問する。


 時には、自分で置ける場所を見つける。


 …………。


 ……うん。


 ちゃんと、覚えてきたね。


「……ここ!」


 カトレアが、石を置いた。


 くるっ。


 くるっ。


 白い石が、二つ黒に変わる。


「……ふたつ!」


「うん。二枚も取れたね!」


 その隣で桜花が、じっと盤を見ている。


 ……あれ。


 視線が、あまり動かない。


 それなのに、何となく全部の石を数えているような気がする。


「……桜花?」


「はい、リアリス様」


「そんなに難しい顔しなくてもいいんだよ?」


 桜花が、ほんの少しだけ目を細めた。


「……失礼いたしました。つい、次の手が気になりまして」


 …………。


 ……おお。


 もう、考えてるんだ。


 私は、思わず笑った。


「あとで、桜花も対戦してみようね」


「……はい。楽しみにしております」


 ……うん。


 楽しみ、か。


 ……でも。


 その目、何だか決闘前みたいなんだけど!?


     ◇


 さらに盤が埋まってくると、カトレアが小さく首を傾げた。


「……お父さん」


「ん?」


「……くろ、へった?」


 …………。


 ……おっ。


 気づいた。


 さっきまで黒が多かったのに、白が少し増えてきた。


 ……うん。


 リバーシって、途中で一気に変わることがあるからね。


「そうだね。でも、まだ終わりじゃないよ」


「……まだ?」


「うん。最後に石が多い方の勝ちなんだ」


 カトレアは、盤を見つめた。


 …………。


 ……あっ。


 ちょっと心配そう。


「……お父さん、つよい?」


 …………。


 ……えっ。


 そんなこと聞くの!?


 私は、少し考えた。


 ……うーん。


 昔は、そこそこ遊んだ。


 勝ったこともある。


 負けたこともある。


 でも、今は。


「……どうだろうね」


 私は、笑ってごまかした。


「カトレアが強いのかもしれないよ」


 …………。


 カトレアの目が、また輝いた。


「……わたし、つよい?」


「うん。頑張ってるよ」


 ……うん。


 これは、本当だ。


 初めてなのに、ちゃんとルールを覚えてるもんね。


     ◇


 そして。


 盤の四隅のうち、一つが空いたまま残った。


 ……おっ。


 角だ。


 私は、そこへつながる手を打てる状態だった。


 でも。


 ……ここで取ったら、カトレアは苦しくなりそう。


 ……うーん。


 今日は、まず楽しんでもらう日。


 私は、別の置ける場所を選んだ。


 …………。


 白を置く。


 黒が一枚、白へ返る。


 カトレアが、盤をじっと見る。


「……あっ!」


 小さな声。


 ……おお。


 何か見つけた?


「……ここ!」


 カトレアは、空いていた角へ黒い石を置いた。


 …………。


 ……正解!


 縦の列に挟まれた白い石が、次々と黒へ変わる。


 くるっ。


 くるっ。


 くるっ。


「……いっぱい!」


 カトレアが、声を上げた。


「すごいね! 角が取れたよ!」


 ……うん。


 あの角、ちゃんと自分で見つけた。


 私は、思わず嬉しくなった。


 ……ああ。


 やっぱり、こういう遊びって楽しい。


     ◇


「……リアリス様」


 桜花が、そっと私へ声をかけた。


「……はい?」


「……ただ今の一手は」


 …………。


 ……あっ。


 もしかして。


 桜花、気づいた?


 私は、何でもない顔で微笑んだ。


「うん。カトレア、上手になったよね」


 桜花は、私をじっと見た。


 …………。


 ……うっ。


 この子。


 絶対、分かってる!


 私が、角を取らずに譲ったこと。


 ……いや。


 ルール違反はしてない。


 ちゃんと置けるところに打ってる。


 ただ、一番有利な手を選んでないだけだ。


 …………。


 ……あれ。


 何だか、ものすごく言い訳っぽいな。


「……はい。とても上達なさっています」


 桜花が、穏やかに答えた。


 ……ほっ。


 よかった。


 カトレアの前で、余計なことは言わないでくれた。


 ……うん。


 ありがとう、桜花。


     ◇


 最後の一手が終わった。


 盤は、黒と白の石でいっぱいになっている。


 ……おお。


 完成した!


 私は、カトレアへ微笑んだ。


「じゃあ、数えてみようか」


「……うん!」


 黒い石を、一つずつ数える。


「……いち、に、さん……」


 カトレアが、指を差しながら数えていく。


 ……うん。


 少しゆっくりだけど、一生懸命だ。


 私は、途中で数え間違えないように見守った。


 黒い石は、三十八枚。


 白い石は、二十六枚。


 …………。


 ……うん。


 ちゃんと、私が負けたね。


「……カトレア、黒が三十八枚。お父さんの白が二十六枚」


 カトレアが、私を見た。


「……どっち?」


「カトレアの勝ちだよ!」


 …………。


 …………。


「……やったぁ!」


 カトレアが、ぱっと両手を上げた。


 ……あああ。


 可愛い!


 私は、思わず拍手した。


「すごい! 初めてなのに勝っちゃったね!」


「……お父さんに、かった!」


 …………。


 ……うん。


 そうだね。


 私も、嬉しいよ。


     ◇


 勝ったカトレアは、嬉しそうに盤を見つめていた。


 くるり。


 くるり。


 残った石を、まだ何枚かひっくり返している。


 ……うん。


 石を触るのも楽しいんだね。


「……お父さん!」


「ん?」


「……もういっかい!」


 …………。


 ……おお。


 おかわり!


「もちろん!」


 私は、笑った。


「じゃあ、最初に戻そうか」


「……うん!」


 カトレアが、黒と白の石を箱へ集める。


 私は、盤の中央へ四つ並べ直した。


 …………。


 ……ああ。


 こういう時間。


 本当に、いいなぁ。


 王様たちと難しい話をするのも、大切だけど。


 家族で遊んで笑う時間は、それとは違う大切さがある。


「……つぎも、かつ!」


 カトレアが、元気よく宣言した。


「……あはは。お父さんも、負けないぞ!」


 …………。


 ……うん。


 言ってみただけだけどね!


 私は、黒い石をカトレアへ渡した。


     ◇


 二回目は、カトレアも少し慣れていた。


 最初の一手を、今度は自分で置いた。


「……ここ!」


「うん。正解だよ!」


 くるり。


 石を返す。


 …………。


 ……おお。


 さっきより、速い。


 私は、白い石を置いた。


 カトレアは、次の置ける場所を探す。


 そして。


「……こっち!」


 …………。


 ……おっ。


 今度は、一手で二枚返せるところ。


 ……うん。


 ちゃんと覚えてる。


 私は、嬉しくなった。


「すごい。もう一人でできそうだね」


「……お父さん、みてて!」


「うん。見てるよ」


 …………。


 ……ああ。


 真剣な横顔。


 盤の上へ手を伸ばす小さな指。


 ……うん。


 今日は、本当にいい日だ。


     ◇


 そのとき。


 食堂の入口から、小さな足音が聞こえた。


「……リアリス様」


 …………。


 ……おっ。


 楓だ。


 橙色の短い髪。


 小柄な体。


 いつもどおり、落ち着いた顔。


「おはよう、楓!」


「……おはようございます」


 楓は、私へ一礼したあと、盤を見つめた。


 …………。


 ……あれ。


 興味あるのかな。


「……それ、何?」


「リバーシっていうゲームだよ」


 私は、説明した。


「黒と白の石で、相手の石を挟んでひっくり返して、最後に数が多い方が勝ちなんだ」


 楓は、少しだけ首を傾げた。


「……相手の石、奪う」


「まあ、そんな感じだね」


 …………。


 ……あれ。


 何だか、言い方が物騒になった!?


「でも、危ない遊びじゃないからね!」


 私が慌てて付け加えると、楓は小さく頷いた。


「……承知いたしました」


 ……うん。


 この子も、真面目だね。


     ◇


「……楓おねえちゃん!」


 カトレアが、楓へ手を振った。


「……わたし、かった!」


 …………。


 ……おお。


 もう報告してる!


 楓が、ほんの少し目を細めた。


「……おめでとうございます、カトレア様」


 ……うん。


 優しい。


「……お父さん、まけた!」


 …………。


 ……あっ。


 そこも報告しちゃう!?


 私は、思わず笑った。


「うん。負けちゃった」


 楓が、私を見た。


 …………。


 ……あれ。


 この目。


 桜花と同じような気がする。


「……リアリス様が、でございますか」


「うん。カトレア、強いんだよ」


 …………。


 楓は、少しだけ首を傾げた。


「……そうでございましたか」


 …………。


 ……うっ。


 何だろう。


 絶対、全部分かってる気がする!


 ……いや。


 私が手加減してることくらい、気づくよね。


 でも、それでいいんだ。


 カトレアが楽しく遊んでくれればね。


     ◇


 私とカトレアの二回目の勝負は、さらに盛り上がった。


「……お父さん、そこ!」


 カトレアが、盤の端を指差した。


「……ここ?」


「……ちがう! しろ、はさめる!」


 …………。


 ……あっ。


 もう、私に教えてくれてる!


 私は、思わず笑った。


「そうだね。じゃあ、そこに置こうかな」


 白を置いて、黒を返す。


 …………。


 カトレアは、嬉しそうに頷いた。


「……できた!」


 ……うん。


 先生みたいになってきたね。


 ただし。


 私は、もう一つ置ける場所を見つけていた。


 そちらの方が有利な手。


 でも、カトレアが教えてくれた手も、ルール上は正しい。


 ……うん。


 今日は、それでいい。


 桜花と楓が、並んで盤を見つめている。


 …………。


 ……あれ。


 二人とも、何だか静かすぎない?


 私は、ちょっと気になった。


 ……いや。


 普段から静かな子たちなんだけどね。



     ◇


 やがて、二回目の対局も終わった。


 黒い石が、四十一枚。


 白い石が、二十三枚。


 …………。


 ……うん。


 今度も、カトレアの勝ち!


「……やったぁ!」


 カトレアが、嬉しそうに声を上げた。


「すごい! 二回連続だね!」


 私は、思いきり拍手した。


 ……ああ。


 この子、最初よりずっと置く場所を見つけるのが速くなってる。


 勝ち負けだけじゃなくて、少しずつ上達しているのが分かる。


 ……うん。


 嬉しいなぁ。


 ところが。


 カトレアは、じっと私の顔を見た。


「……お父さん」


「ん?」


「……よわいね」


 …………。


 …………。


 ……えっ。


 今、何て?


「……お父さん、よわい!」


 …………。


 ……ああああ!


 言われちゃった!


 ……でも。


 満面の笑顔!


 嬉しそうに笑ってる!


 …………。


 ……うん。


 いいんだ。


 お父さんは、それでいいんだよ!


「……あはは。カトレア、強いねぇ」


「……えへへ!」


 私は、思わず頭を撫でた。


 ……うん。


 まさか、こんなに喜んでもらえるとは。


 負けるのも、悪くないね。


     ◇


「……リアリス様」


 桜花が、そっと私へ声をかけてきた。


「……ん?」


「……カトレア様は、本当にお上手になられましたね」


「うん。そうだね」


 …………。


 私は、ちょっとだけ目を逸らした。


 ……あれ。


 どうしたんだろう。


 桜花の言い方、何だか含みがある。


「……ただ」


 …………。


 ……ただ?


「……リアリス様も、たいへんお優しいと思います」


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 やっぱり、気づいてる!


「……あはは。今日は遊ぶ日だからね」


 私が小さな声で答えると、桜花は柔らかく微笑んだ。


「……はい」


 ……うん。


 それ以上は、何も言わない。


 助かるね。


 ……いや。


 でも。


 何だか、見透かされてると恥ずかしいなぁ。


 楓も、私たちの話を静かに聞いていた。


 そして。


「……リアリス様」


「……はい?」


「……わたくしも、対局してみたいです」


 …………。


 ……おっ!


 楓も、やりたいんだ!


「もちろん! じゃあ、次は楓と……」


 私が言いかけると。


「……差し支えなければ」


 桜花が、静かに口を開いた。


「……私と楓で、対局してもよろしいでしょうか」


 …………。


 ……えっ。


 桜花と楓?


 …………。


 ……おお。


 いいね!


「もちろんだよ!」


 私は、にっこり笑った。


 ……うん。


 どんな勝負になるんだろう。


     ◇


「……カトレア」


「……ん?」


「今度は、お姉ちゃんたちの勝負を見てみようか」


 カトレアが、嬉しそうに頷いた。


「……みる!」


 …………。


 ……うん。


 こういうのも、いい勉強になるね。


 私は、石を全部箱へ戻してから、もう一度盤の中央に四つ並べた。


 黒と白が、斜めに同じ色になるように。


 ……よし。


 準備完了。


「黒は先手だよ。どっちにする?」


 桜花が、楓を見た。


「……楓。お先にどうぞ」


 …………。


 ……おお。


 お姉ちゃんらしい。


 楓は、小さく一礼した。


「……ありがとうございます。では、黒を」


「……承知しました。私は白で」


 ……うん。


 決まったね。


 私は、二人へルールをもう一度説明した。


 相手の石を縦、横、斜めに挟んで返すこと。


 挟める場所にしか置けないこと。


 置ける場所がなければ、その番は休むこと。


 最後に、自分の色が多い方が勝つこと。


 そして、角は取られないこと。


 …………。


 ……あれ。


 二人とも、説明する前から分かってるような顔をしてる。


「……質問はある?」


「……ございません」


「……ありません」


 …………。


 ……おお。


 即答。


 ……うーん。


 本当に、初めてだよね?


 私は、少しだけ不思議に思った。


     ◇


「……では、始めてください」


 私が言うと、楓が黒い石を持った。


 ことん。


 中央の白を一枚挟む場所へ置く。


 くるり。


 石が、黒へ変わる。


 ……うん。


 正しい一手だね。


 次に、桜花。


 盤を一度見たあと、すっと白い石を置いた。


 …………。


 ……おっ。


 迷わない。


 しかも、ちゃんと黒を挟んでいる。


 楓も、すぐに次の石を置いた。


 …………。


 あれ。


 速いなぁ。


 まだ序盤だから?


 ……いや。


 二人とも、明らかに盤の先を読んでいるような気がする。


 ことん。


 くるり。


 ことん。


 くるり。


 …………。


 石を置く音が、規則正しく響く。


 ……ああ。


 なんだか、いい感じ。


 ……いい感じ、なんだけど。


 …………。


 ……えっ。


 あまりにも静かすぎない?


     ◇


 私は、カトレアと一緒に盤を見つめた。


「……お父さん」


「ん?」


「……はやいね」


「うん。速いねぇ」


 …………。


 ……いや。


 私たちが一局するのに使った時間より、ずいぶん速く進んでる気がする。


 しかも。


 楓が石を置くたびに、桜花の手がもう次の石へ伸びる。


 桜花が返すと、楓がすぐに別の場所を見つける。


 …………。


 ……うん。


 何だろう。


 見ているだけなのに、ちょっと緊張してきた。


「……桜花」


「はい、リアリス様」


「……楽しい?」


「……はい。たいへん」


 …………。


 ……おお。


 よかった。


「……楓は?」


「……楽しい」


 …………。


 ……うん。


 二人とも、声は静か。


 表情も、ほとんど変わらない。


 でも。


 ……何だか、周囲の空気が違うんだけど!?


     ◇


 楓が、盤の端近くに石を置いた。


 ……おっ。


 黒が、たくさん返る。


 カトレアが、小さく声を上げた。


「……楓おねえちゃん、すごい!」


 楓が、ほんの少し目を細めた。


「……ありがとうございます」


 …………。


 ……ああ。


 嬉しそうだね。


 でも、その次の瞬間。


 桜花が、白い石を角へ置いた。


 …………。


 ……おお!


 角だ!


 しかも、端に並んだ黒い石が、一気に白へ変わった。


 カトレアが、目を丸くした。


「……いっぱい!」


 ……ああ。


 すごいねぇ。


 私も驚いた。


 桜花は、静かに楓を見た。


「……楓。失礼いたしました」


 …………。


 ……えっ。


 何で謝るの!?


 楓は、少しも動じない。


「……いえ。次はこちらでございます」


 …………。


 ……おお。


 次?


 黒い石が、ことん。


 その一手で、別の方向の白が黒へ変わる。


 …………。


 ……うわぁ。


 そう来たか。


 何だか、本気で戦術を組み立ててる!


     ◇


 盤の上は、少しずつ複雑になっていった。


 角は、桜花が一つ。


 楓が一つ。


 残りの二つは、まだ空いている。


 …………。


 ……うーん。


 どちらが有利なんだろう。


 今の石の数だけなら、楓の黒が多い。


 でも、桜花の白にも、広がる余地がある。


 ……あれ。


 私、さっき桜花に『途中で多くても有利とは限らない』って教えたよね。


 ……うん。


 二人とも、その意味を完全に理解してるみたい。


「……桜花」


「……はい」


「……そこへ置くと、楓に角を取られない?」


 私が、つい口を挟んだ。


 すると、桜花が少しだけ目を細めた。


「……ご心配、ありがとうございます」


 …………。


 ……うん。


 何だろう。


 その声。


「……しかし、こちらも考えがございますので」


 …………。


 ……おお。


 そうなんだ。


 私は、口を閉じた。


 ……いや。


 観戦者が勝手に助言するのも、よくないよね。


 カトレアが、私を見た。


「……お父さん、しずかに」


 …………。


 ……えっ。


 そこ、カトレアにも注意されるの!?


「……はい」


 私は、小さく頷いた。


 ……うん。


 今日は、お父さんの立場が弱いなぁ!


     ◇


 楓が石を置く。


 桜花が返す。


 楓が別の列を挟む。


 桜花が斜めを使う。


 ……うん。


 上手いね。


 どちらも、よく考えてる。


 ……それにしても。


 二人とも、笑わない。


 歓声も上げない。


 ただ、淡々と石を置いていく。


 …………。


 なのに。


 何で、こんなに白熱して見えるんだろう!?


「……楓」


 桜花が、静かに声をかけた。


「……はい」


「……次の一手、大切でございますね」


 楓は、盤を見たまま答えた。


「……承知しております」


 …………。


 ……あっ。


 やっぱり、真剣勝負だ!


 カトレアも、いつの間にか黙って見守っている。


 ……おお。


 この子まで、何だか真剣だよ。


 私は、思わず背筋を伸ばした。


 ……うん。


 もう、ただの遊びじゃなくなってない?


     ◇


 終盤。


 置ける場所が、少なくなってきた。


 楓が、黒い石を持ったまま盤を見つめる。


 …………。


 ……あれ。


 止まった。


 初めて、長く考えてる。


 楓の顔は、相変わらず落ち着いていた。


 でも、ほんの少しだけ目を細めている。


「……桜花お姉様」


「……はい」


「……この盤は、難しいですね」


 …………。


 ……おっ。


 楓が、難しいって言った!


 桜花は、微笑んだ。


「……はい。私も、そう思います」


 …………。


 ……ああ。


 楽しいんだね。


 難しいけど、楽しい。


 きっと、そういうことなんだ。


 私は、嬉しくなった。


 ……うん。


 リバーシ、持ってきてよかった!


 楓が、ようやく石を置いた。


 ……おお。


 そこか。


 私は、静かに盤を見つめた。


     ◇


 最後の空きマスが埋まった。


 ……ふう。


 終わった!


 私は、つい息を吐いた。


 ……あれ。


 私、何もしてないのに疲れてる!?


「……お父さん!」


 カトレアが、私の袖を引いた。


「……どっち、かった?」


「……そうだね。数えてみようか」


 私は、黒と白を一枚ずつ数えた。


 ……うん。


 黒が三十三枚。


 白が三十一枚。


 …………。


 ……おお。


 接戦!


「……楓の勝ちだね!」


 楓が、小さく頭を下げた。


「……ありがとうございました、桜花お姉様」


 桜花も、静かに微笑んだ。


「……こちらこそ。よい勝負でございました」


 …………。


 ……ああ。


 いいね。


 姉妹で遊んで、ちゃんと挨拶して。


 ……うん。


 そうだね。


 これで、終わり。


 ……と思ったら。


「……もう一局、お願いいたします」


 桜花が、そっと言った。


 …………。


 …………。


 ……えっ。


 もう一局!?


     ◇


 楓は、ほとんど間を置かずに頷いた。


「……喜んで」


 …………。


 ……おお。


 どちらも、やる気満々!


「……あはは。気に入ってくれたみたいだね」


 私が言うと、桜花が、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……はい。たいへん興味深い遊びです」


 楓も、小さく頷く。


「……一手で、結果が大きく変わるのが面白いです」


 …………。


 ……うん。


 分かる。


 そうなんだよね。


 それが、リバーシの楽しいところ。


 私は、二人に石を並べ直してもらった。


「……次は、黒と白を交代してみようか」


「……承知しました」


「……はい」


 …………。


 ……よし。


 二回戦だね。


 でも。


 私は、ふと時計を見た。


 …………。


 ……あれ。


 もう、お昼が近い。


「……二人とも」


「……はい?」


「……お昼ご飯は、ちゃんと食べようね」


 …………。


 二人が、同時に私を見た。


「……もちろんでございます」


「……承知しております」


 …………。


 ……うん。


 返事は完璧。


 でも。


 盤を片づける気配は、まったくない!


 ……いや。


 まだ、お昼の時間じゃないからいいんだけど。


 ……ああ。


 これは、ちょっと心配になってきた。



     ◇


 二回戦が始まった。


 今度は、桜花が黒。


 楓が白。


 ……うん。


 先手と後手が変わると、違った勝負になりそうだね。


 桜花が黒を置き、楓が白を返す。


 ことん。


 くるり。


 …………。


 ……おっ。


 楓、さっきより慎重だ。


 盤の隅に、何度も視線を向けている。


 ……うん。


 さっき桜花に角を取られたことを、ちゃんと覚えてるんだね。


「……楓」


「……はい、桜花お姉様」


「……先ほどとは、違う展開になりそうですね」


「……はい」


 …………。


 ……えっ。


 それだけ?


 二人には、何か通じているみたいだけど。


 まるで剣を構えたときの会話だなぁ。


 ……いや。


 これは、ただのリバーシだからね!?


     ◇


「……お父さん」


 カトレアが、私の袖を引いた。


「……おねえちゃんたち、けんか?」


 …………。


 ……えっ。


 喧嘩?


 桜花と楓は、いつもどおり静かに石を置いている。


 だけど、確かに少し張りつめているように見えるね。


「大丈夫。勝ちたいと思うくらい、ゲームが楽しいだけだよ」


「……そっか!」


 カトレアは、ぱっと楓の方を向いた。


「……楓おねえちゃん、がんばって!」


 楓の指が、ぴたりと止まった。


「……ありがとうございます、カトレア様」


 ……おっ。


 嬉しそう。


 ほんの少しだけ、声が柔らかくなった。


 すると。


「……カトレア様」


 桜花が、そっと声をかけた。


「……私も、頑張っております」


 …………。


 ……あっ。


 桜花まで、応援が欲しいの!?


 カトレアは二人を見比べた。


 そして。


「……ふたりとも、がんばって!」


 …………。


 桜花も楓も、同時に小さく頭を下げた。


 ……ああ。


 平和だねぇ。


 ものすごく真剣な顔をしてるのに、やっぱり平和だ。


     ◇


 しばらくして、桜花が石を持ったまま考え込んだ。


 ……おっ。


 今度は桜花が、長く考えてる。


「……桜花?」


「……はい」


「困ってる?」


「……いえ。楓の次の手を考えておりました」


 …………。


 ……おお。


 自分の手じゃなくて、相手の次の手!


 ……やっぱり、すごいなぁ。


「……桜花お姉様」


 楓が、淡々と声をかけた。


「……お待ちしております」


 …………。


 ……あれ。


 ただの一言なのに、妙に緊張感があるんだけど!?


「……失礼いたしました」


 桜花が、黒い石を置く。


 楓も、すぐに白を置いた。


 …………。


 ……うん。


 もう、何も言わずに見守ろう。


 ……いや。


 普通の遊びなんだけどね!


     ◇


 終盤になると、盤の端まで石が並んだ。


 桜花は角を二つ。


 楓も角を一つ。


 ……うん。


 どっちも上手い。


 カトレアが、真剣な顔で石を追いかけている。


「……お父さん、どっち?」


「まだ分からないよ。最後まで見てみよう」


 カトレアが、こくんと頷いた。


 ……ああ。


 この子も、楽しんで見てるんだね。


 最後の空きマスが埋まったところで、私は石を数えた。


 黒、三十四枚。


 白、三十枚。


 …………。


 ……おお。


 今度は桜花の勝ち!


「……おめでとう、桜花!」


「……ありがとうございます」


 楓も、静かに一礼した。


「……お見事でございました」


「……楓も。たいへん難しい勝負でした」


 …………。


 ……うん。


 これで一勝一敗。


 ……あれ。


 嫌な予感。


「……もう一局、お願いいたします」


 桜花が、静かに言った。


 …………。


 ……やっぱり!


 楓も、すぐに頷いた。


「……喜んで」


 …………。


 ……ああ。


 これは、終わらないやつだ!



     ◇


「……二人とも」


 私は、時計を見てから声をかけた。


「そろそろお昼ご飯の時間じゃない?」


「……はい、リアリス様」


「……承知しております」


 …………。


 ……おお。


 ちゃんと聞いてくれた。


 ただし、二人とも石を並べ直し始めている。


 …………。


 ……えっ。


 始めるの!?


「……ちょっと待って!」


 私が慌てた、そのとき。


「桜花ちゃん、楓ちゃん」


 食堂の入口から、優しい声がした。


 …………。


 ……あっ。


 巴さん!


「お昼ご飯ができたわよ」


 巴さんは、にっこり微笑んでいた。


 桜花と楓が、同時に石から手を離した。


「……はい、巴さん」


「……承知しました」


 …………。


 ……おお。


 すごい。


 あれだけ勝負に夢中だった二人が、一瞬で切り替わった!


「遊ぶのもいいけれど、食事はちゃんと食べないとね」


「……はい」


「……はい」


 …………。


 ……ああ。


 今日も、お母さんが一番強い。


 リバーシでも、きっと強そうだなぁ。


 ……いや。


 まだ、やったことないんだけどね。


     ◇


「……ところで、リアリスちゃん」


 巴さんが、私の方へ顔を向けた。


「カトレアちゃんとは、遊べた?」


「うん。二回も対戦したんだ」


「まあ。それはよかったわね」


 ……うん。


 楽しかったよ。


 本当に。


「それで、どちらが勝ったの?」


 …………。


 ……あっ。


 そこ、聞いちゃう?


「……二回とも、カトレアだよ」


 その瞬間、カトレアが両手を上げた。


「……わたし、かった!」


「あら、すごいわね!」


 巴さんが、嬉しそうに笑った。


 カトレアは、胸を張った。


「……お父さん、よわいの!」


 …………。


 …………。


 ……あああ。


 また、言われちゃった!


 私は、思わず苦笑した。


「……あはは。まだまだ修行が足りないね」


 ……うん。


 実際には、手加減してるんだけど。


 カトレアが楽しそうだから、これでいい。


 巴さんが私をちらりと見た。


 それから、ほんの少し口元を緩めた。


 …………。


 ……あっ。


 完全に、分かってる!


 もう、お母さんには何も隠せないなぁ。


     ◇


 昼食の席でも、カトレアはリバーシの話をしていた。


「……くろと、しろ!」


「ふふ。そうなのね」


「……はさむと、くるっ!」


 小さな手が、空中で石をひっくり返す。


 …………。


 ……ああ。


 ちゃんと覚えてるんだ。


「ねえ、カトレアちゃん」


 巴さんが、優しく尋ねた。


「今度、私にも教えてくれる?」


 …………。


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなった。


「……うん! おしえる!」


 ……おお。


 カトレア先生、誕生!


「じゃあ、楽しみにしてるわね」


「……うん!」


 …………。


 ……いいねぇ。


 最初は私とカトレアの二人だけで遊ぶつもりだったのに。


 桜花も。


 楓も。


 巴さんも。


 少しずつ、みんなが興味を持ってくれてる。


 ……うん。


 こういうの、嬉しいなぁ。


     ◇


 ところが。


 昼食の途中で、私は少し気になることに気づいた。


 桜花と楓が、いつも以上に静かだ。


 ……いや。


 この二人、普段から静かなんだけど。


 何だか、考え事をしているように見える。


「……桜花?」


「はい、リアリス様」


「……どうしたの?」


 桜花が、少しだけ首を傾げた。


「……先ほどの盤面を、振り返っておりました」


 …………。


 ……えっ。


 今も!?


「……楓も?」


 楓が、静かに頷いた。


「……はい。次の対局では、少し変えたいところがございます」


 …………。


 ……おお。


 反省会まで始まってる!


 巴さんが、にっこり微笑んだ。


「桜花ちゃん、楓ちゃん」


「……はい」


「……はい」


「ご飯の時間は、ご飯を楽しみましょうね」


 …………。


 ……あっ。


 いつもの声。


 優しい声。


 でも、なぜか逆らえない声。


「……かしこまりました」


「……承知しました」


 …………。


 ……ああ。


 やっぱり、お母さんが最強だね。



     ◇


 午後になって、カトレアは庭の花壇へ水をあげに行った。


 ……うん。


 いつもの日課だね。


 私は、窓から小さな背中を眺めていた。


 小さなじょうろ。


 丁寧に水をあげる手。


 花の様子を一つずつ確かめる、真剣な横顔。


 ……ああ。


 今日のリバーシでも、こんな顔をしていたなぁ。


 初めての遊びなのに、一生懸命考えていた。


 最初は置ける場所も分からなかったのに。


 少しずつ覚えて。


 自分で石を置けるようになって。


 最後は、勝ったと大喜びして。


 …………。


 ……うん。


 こういう成長をそばで見られるのって、嬉しいね。


 私は、庭へ出た。


「カトレア、お花の調子はどう?」


 すると、カトレアがぱっと振り向いた。


「……お父さん! こっち!」


 小さな手が、花壇を指差している。


 ……おっ。


 何だろう。


「……お花、さいた!」


 …………。


 ……おお。


 淡い黄色の、小さな花。


 その隣には、白い花も咲いていた。


「本当だ。綺麗だね!」


「……うん!」


 …………。


 ……ああ。


 毎日ちゃんとお世話してるもんね。


 頑張った結果が見えるのは、嬉しいことだよね。


 ……うん。


 リバーシの石と、お花。


 まったく違うものだけど。


 どちらも、カトレアの小さな頑張りが見える気がした。


     ◇


 花壇のそばのベンチへ腰かけると、カトレアが隣に座った。


「……お父さん」


「ん?」


「……りばーし、また、やろうね」


 …………。


 ……おっ。


 またやりたいんだ!


「もちろん。いつでも一緒に遊ぼう」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなった。


「……つぎも、かつ!」


 …………。


 ……あはは。


 もう、勝つ気満々!


「お父さんも頑張らないとね」


「……うん!」


 …………。


 ……おお。


 応援までしてくれた。


 私は、思わず笑った。


 ……いやぁ。


 お父さん、かなり弱いと思われてるんだろうなぁ。


 でも。


 ……それでいい。


 今日のカトレアは、本当に楽しそうだったから。


 いつか、もっと強くなったら。


 そのときは、少しずつ手加減を減らしてみよう。


 ……うん。


 本気で対戦しても、笑って終われる日が来るといいね。


     ◇


 夕方。


 屋敷へ戻ると、桜花と楓が、また盤を挟んでいた。


 …………。


 ……おっ。


 やってる!


 今度は、卓の上に一つの盤。


 その両側へ二人が座っている。


 ……うん。


 昼食のあとは、ちゃんと休んでいたはずなんだけど。


 もう、勝負を再開したんだね。


「……桜花、楓」


「……リアリス様」


「……お帰りなさいませ」


 …………。


 ……あれ。


 二人とも、すごく落ち着いてる。


「……また、対局してたんだ?」


 桜花が、静かに頷いた。


「……はい。どうしても、もう少し試したい手がございまして」


 楓も、小さく頭を下げた。


「……私も、でございます」


 …………。


 ……ああ。


 そういうことか。


 遊びの中でも、考えたいことがある。


 ……うん。


 いいね。


 私は、盤を覗き込んだ。


 黒と白が、ちょうど半分くらい並んでいる。


 …………。


 ……おっ。


 また、接戦かな。


「……どっちが勝ってるの?」


 私が聞くと、二人が同時に答えた。


「……まだ分かりません」


「……最後まで、分かりません」


 …………。


 ……おお。


 そうだったね!


 私は、思わず笑った。


     ◇


 私は、二人の横へしゃがんだ。


「……リバーシ、気に入ってくれた?」


「……はい」


 桜花が、ほんの少し口元を緩める。


「……相手の一手によって、考えるべきことが変わります。とても興味深いです」


 楓も、小さく頷いた。


「……同じ盤でも、同じ展開になるとは限りません」


 …………。


 ……うん。


 そうなんだよね。


 私は、思わず嬉しくなった。


 地球では、身近にあった遊び。


 だけど、この世界では、初めて見るもの。


 それを、二人がこんなに楽しんでくれるなんて。


 ……ああ。


 持ってきて、よかったなぁ。


 そのとき、ふと思いついた。


「……そうだ」


 桜花と楓が、私を見る。


「一つの盤を取り合わなくてもいいように、二人にもそれぞれ用意しようか」


 …………。


 桜花が、少しだけ目を見開いた。


「……よろしいのですか?」


「もちろんだよ」


 私は、笑顔で頷いた。


 ……うん。


 《取り寄せ》なら、同じものをまた用意できる。


「《取り寄せ》」


 卓の端に、箱が二つ現れた。


 同じ八列八段の盤。


 同じ黒と白の石。


 収納用の箱も付いている。


 ……よし。


「一つは桜花。もう一つは楓に」


 私は、それぞれへ差し出した。


 桜花が、丁寧に受け取る。


「……ありがとうございます、リアリス様。大切にいたします」


 楓も、深く頭を下げた。


「……私も、大切にいたします」


 …………。


 ……ああ。


 喜んでくれた。


 ただし。


 私は、念のため付け加えた。


「お仕事やご飯の時間を忘れないようにね」


「……もちろんでございます」


「……承知しております」


 …………。


 ……うん。


 返事は、完璧。


 ……でも。


 何だか、少し心配だなぁ。


     ◇


 その夜。


 夕食を終えたあとも、カトレアはリバーシのことを話していた。


「……お父さん!」


「ん?」


「……楓おねえちゃんと、桜花おねえちゃん、すごかった!」


「そうだね。二人とも上手だったね」


 カトレアが、嬉しそうに頷く。


「……でもね」


「……うん?」


「……わたしも、二回かった!」


 …………。


 ……おお。


 また、その話!


 私は、思わず笑った。


「うん。すごかったよ!」


 すると、カトレアがにっこり笑った。


「……お父さん、弱いね!」


 …………。


 …………。


 ……あああ。


 三回目!


 今日だけで、何回言われたんだろう!


 ……でも。


 こんなに嬉しそうなら、もう仕方ない。


「……あはは。次は頑張るよ」


 カトレアが、満足そうに頷いた。


「……うん!」


 …………。


 ……ああ。


 よかった。


 私は、娘の頭をそっと撫でた。


 ……うん。


 たまには、弱いお父さんでもいいよね。


     ◇


 寝る前。


 私は、今日のことを思い返していた。


 朝は、カトレアとリバーシ。


 お昼は、みんなで食事。


 午後は、庭で花を眺めて。


 夕方には、桜花と楓の勝負を見ていた。


 …………。


 ……ああ。


 何て、平和な一日なんだろう。


 昨日まで、国と国の仲を取り持つために、歴史の真相まで調べていたのに。


 今日は、家族と黒い石と白い石をひっくり返していた。


 …………。


 ……うん。


 こっちの方が、私には向いてる気がする。


 もちろん、困っている人がいたら助けたい。


 でも、できれば。


 そんな大きな事件が起きない日も、たくさん欲しい。


 ……ああ。


 こうしてカトレアと遊んだり。


 桜花や楓が楽しそうにしているのを見たり。


 巴さんの料理を食べたり。


 ……うん。


 それだけで、十分幸せだね。


 私は、卓の上に残しておいたリバーシの箱を見た。


 小さな盤と、六十四個の石。


 たった、それだけの遊び道具。


 でも、今日一日で、ずいぶんみんなを楽しませてくれた。


 …………。


 ……おっ。


 そうだ。


 カトレアも、ほかのお友達と一緒に遊べたら喜ぶかな。


 ……うん。


 それも、楽しそうだね。


 いつか、みんなで対戦してみようか。


 ……ああ。


 きっと、賑やかになるだろうなぁ。


 私は、そっと箱の蓋を閉じた。


 ――ドワーフ二国の和平交渉を終えたリアリスは、久しぶりに娘と過ごす一日を楽しんだ。《取り寄せ》で用意した小さな盤上遊戯は、カトレアの笑顔を生み、桜花と楓の静かな闘志にも火をつけた。その遊びが、やがて各国へ広がっていくことなど、このときのリアリスはまだ知らない。

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