第5話:番外編:神界のお茶会
神界には、いくつもの宮殿がある。
その一つが、私と夫の暮らす家だ。
……もっとも。
宮殿という名前から、毎日何か厳かな儀式をしていると思われたら、少し困ってしまう。
私たちにも、普通の暮らしがある。
朝起きて、本を読んで。
時々、ほかの神々とおしゃべりをして。
お茶を飲みながら、甘いお菓子をいただく。
……ええ。
神界でも、お茶の時間は大切なのよ。
私はエレサリア。
学問を司る神で、創造神オリミスの妻でもある。
今日は、自宅へ何人かを招いていた。
……とはいっても、特別な催しではない。
何日か前に顔を合わせたとき、「今度、うちでお茶でもどう?」と声をかけただけ。
人の世界でいうなら、喫茶店へ少し立ち寄るくらいの気軽な集まりだ。
用意したのも、紅茶と焼き菓子、それから小さな果物の盛り合わせ。
……さて。
そろそろ、みんな来る頃かしら。
◇
「エレサリアさーん! 来たでぇ!」
玄関の方から、明るい声が聞こえた。
……あら。
一番乗りね。
「はーい。どうぞ、入って」
扉を開けると、ピンク色の短い髪をした若い男神が立っていた。
キャスケットをかぶり、狩衣を着ている。
商売を司る神、クラリッサだ。
「お邪魔しまーす。いやぁ、今日はええ天気やなぁ」
「ふふ。いらっしゃい」
「おっ、ええ香りするやん。もうお茶入れてくれたん?」
「ええ。ちょうど準備ができたところよ」
「ありがとなぁ。こういう何でもない集まり、好きやねん」
クラリッサは、いつもの調子で笑った。
……この子は、本当に明るい。
商売の話になると、さらに楽しそうになるのだけれど。
その後ろから、落ち着いた声がした。
「お邪魔いたします、エレサリア様」
「あら、ザルキメス。いらっしゃい」
肩まで伸ばした濃い青髪。
白衣をまとい、片眼鏡をかけた細身の男神。
魔法を司る、ザルキメスだ。
「少し早く着いてしまいました。ご迷惑ではありませんか」
「もちろん、大丈夫よ。クラリッサもちょうど来たところなの」
「それは、よかったです」
「なんや、ザルキメス。お茶飲みに来るだけやのに、相変わらず堅いなぁ」
「礼儀は大切ですから」
「ははっ、そういうところやで」
……ふふ。
二人とも、いつもどおりね。
◇
しばらくすると、残りの二人もやってきた。
「こんにちは、エレサリア」
「アズライト、いらっしゃい」
青い長髪が、さらりと揺れる。
海を司る女神、アズライトだ。
今日も青い水着にパレオを合わせ、つばの広い帽子をかぶっている。
……室内では、そっと帽子を脱いでくれた。
「お茶、ありがとう。少しだけお邪魔するわ」
「ええ。好きなだけゆっくりしていってね」
その足元から、小さな声が響いた。
「エレサリアー! お菓子あるぅ?」
……あらあら。
「ヴァルキア。もちろん、あるわよ」
「やったぁ!」
ぴょん、と跳ねたのは、戦を司る女神ヴァルキア。
茶色い髪をポニーテールに結び、ふわりとしたピンクのドレスを着ている。
見た目は八歳ほどの女の子。
身長は百センチくらい。
そして、その腕には、大きなウサギのぬいぐるみ。
……ええ。
今日も、しっかり抱えている。
「その子も一緒なのね」
「うん! もちろん!」
「それなら、椅子をもう一つ用意しましょうか」
「ほんとぉ? ありがとー!」
ヴァルキアは満面の笑顔で、ぬいぐるみを抱き締めた。
……ふふ。
戦の神だなんて、知らなければ想像もできないでしょうね。
でも、この子はこれでいいのよ。
好きなことに素直で、少し騒がしくて。
戦いの話になると、とたんに目が輝く。
……まあ。
今日はお茶会だから、できれば穏やかに過ごしてほしいけれど。
◇
私たちは、日当たりのよい部屋へ移動した。
丸いテーブルに、五人分のカップ。
少し小さめの椅子には、ヴァルキア。
その隣には、ウサギのぬいぐるみ用の席。
……。
…………。
席だけ見れば、六人のお茶会みたいね。
「わぁ! クッキー!」
ヴァルキアが、目を輝かせる。
「ええ。焼きたてよ。熱くはないから、どうぞ」
「いただきまーす!」
さくっ。
「おいしぃ!」
……ふふ。
よかった。
「ええやん、これ。売り物にしたら、人気出るでぇ」
クラリッサも、焼き菓子を手に取った。
「ありがとう。でも、今日は売り物じゃないわよ?」
「分かっとる分かっとる。ただ、こういうの見るとつい考えてまうねん」
「あなたらしいですね」
ザルキメスが、紅茶を一口飲みながら言った。
「それにしても、こちらの茶葉は香りがよい」
「ええ。少し前に見つけたものなの」
アズライトは、カップを両手で包むように持っていた。
「静かでいいわね。外に出ると、みんな何かしら用事を持ってくるから」
「そうね。今日は急ぎの話もないもの。のんびりしましょう」
私も、椅子へ腰かけた。
窓から、柔らかな光が差し込んでいる。
……ああ。
こういう時間は、やっぱりいいわね。
……本当に。
何も起きなければ、もっといいのだけれど。
◇
「……そういえば」
私は、紅茶を置いた。
「今日は、少しだけ主人の話を聞いてもらってもいいかしら」
クラリッサが、顔を上げた。
「おっ、オリミス様の話?」
「ええ」
「珍しいですね」
ザルキメスが、少し首を傾げる。
「何か、お困りのことでも?」
「……ええ。少し、ね」
……。
…………。
少し。
……本当に、少しだったかしら。
私は、夫の顔を思い出した。
『……わしの威厳が……』
……。
…………。
……ふぅ。
深呼吸しましょう。
「実は、主人が先日、神界で管理していた武具を落としてしまったの」
……。
…………。
四人の動きが、止まった。
「……落とした?」
最初に聞き返したのは、アズライトだった。
「ええ」
「この家の床に、ですか?」
ザルキメスが尋ねる。
「いいえ。ステラへ」
……。
…………。
「……はぁ!?」
クラリッサが、思わず身を乗り出した。
「ちょっと待ちぃ! ステラって、あのステラやろ!? 地上の!」
「ええ。そのステラよ」
「……神界の武具を、ですか?」
ザルキメスの声が、一段低くなった。
「……そうなの」
……ああ。
やっぱり、驚くわよね。
私だって、初めて聞いたときは驚いたもの。
……でも、これはまだ始まりなのよ。
「実は、一度ではなくて」
私は、少しだけ言いにくくなった。
「……四度、落としているの」
……。
…………。
………………。
静かね。
とても、静か。
ヴァルキアが、口に運ぼうとしていたクッキーを止めた。
「……よんかい?」
「ええ」
「四度、ですか」
ザルキメスが、片眼鏡の位置を直した。
「……ええ。四度なの」
クラリッサが、両手で顔を覆った。
「……それ、うっかりの範囲超えとらへん?」
「……私も、そう思うわ」
◇
「……ねえ、エレサリア」
アズライトが、静かに口を開いた。
「それ、全部ちゃんと戻ってきたの?」
「……ええ」
私は、すぐに頷いた。
「もう全て神界へ戻っているわ。そこは安心してちょうだい」
すると、四人がほっとしたような顔をした。
……よかった。
心配をかけてしまったわね。
「落としたのは、剣と槍と斧。それから、最後に盾よ」
「……よりによって、武器ばっかりやん」
クラリッサが、呆れたように呟く。
「ええ」
「それぞれ、どこへ落ちたのですか?」
ザルキメスが、真面目な顔で尋ねた。
「最初の剣はローズ帝国のフォレイク近くの森。槍はシルク王国のフェルザ近郊の山。斧はエルフ国のリルフィア付近の森よ」
「……なるほど」
「最後の盾は、獣王国リピト沖の海へ落ちてしまったの」
……。
…………。
アズライトが、カップを置いた。
「海に?」
「ええ。しかも、大きな魚が飲み込んでしまったそうよ」
「……魚が?」
アズライトの目が、少しだけ大きくなる。
「その魚は、大丈夫だったの?」
「ええ。怪我もなく、元気に泳いでいったそうよ」
「……それなら、よかった」
アズライトが、小さく微笑んだ。
……ふふ。
海のことになると、やっぱり気になるのね。
「ほかの場所でも、幸い、大きな被害はなかったわ」
「それは何よりです」
ザルキメスが、少しだけ息を吐いた。
「神界の武具など、地上の人々が扱えるものではありませんから」
「……ええ。私も、そう思うの」
私は、頷いた。
……本当に。
もし、誰かの住む場所へ直接落ちていたら。
取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
……そこを、主人にはもっと理解してほしいのよ。
◇
「……それにしても」
ザルキメスが、片眼鏡に指を添えた。
「なぜ、四度も同じことが?」
……。
…………。
……ああ。
やっぱり、その質問が来るわよね。
「最初は、手元が滑ったそうよ」
「……はい」
「それで片づけようとして、今度は槍を落としたの」
「……なるほど」
「次は、武具を箱へまとめて運ぼうとしたら、箱の底が抜けたそうよ」
「……底が?」
……ええ。
その反応、よく分かるわ。
「そして、最後は……」
私は、少しだけ目を閉じた。
「すでに確認の済んだ盾を、主人が勝手に持ち出したの」
「……持ち出した?」
「ええ。自分で片づけると言って、危険な通路へ入って……足を滑らせたのよ」
……。
…………。
クラリッサが、天井を見上げた。
「……全部、オリミス様本人のやらかしやん」
「……そうなの」
私は、否定しなかった。
「しかも、最後に私が事情を尋ねようとしたら、逃げてしまって」
「逃げたんかい!」
クラリッサが、今度こそ声を上げた。
「ふふ。そうよ。私の書斎の本棚の裏に隠れていたわ」
……。
…………。
アズライトが、目を瞬かせた。
「……エレサリアの書斎に?」
「ええ」
「……見つからないと思ったのかしら」
「本人は、そのつもりだったようね」
……。
…………。
ヴァルキアが、口元にクッキーを当てて笑い始めた。
「あはははっ! おもしろーい!」
「……ヴァルキア」
「だってぇ! エレサリアのお部屋に隠れたんでしょぉ? すぐ見つかるよぉ!」
……ふふ。
そのとおりね。
あの人、追い詰められると、本当に妙な行動をするのだから。
◇
「……ですが、エレサリア様」
ザルキメスが、少し表情を引き締めた。
「四度も起こったとなると、偶然では済ませられません」
「ええ」
「今後は、オリミス様が武具を落とそうとしても、地上へ届かない仕組みを設けるべきでしょう」
……あら。
さすが、魔法の神ね。
そこまで考えてくれるのは、ありがたいわ。
「保管場所の構造そのものを変えて、持ち出しも制限する。確認は、できれば複数の神が行った方がよろしいかと」
「……ええ。全部、そのようにしたわ」
「……はい?」
ザルキメスが、目を瞬かせた。
「もう、済ませたのですか?」
「ええ。危険な通路は封鎖したし、保管場所も移したわ」
私は、指を折って説明した。
「武具の数は全て確認済み。持ち出すときは必ず複数で確認すること。それから……」
少しだけ、微笑む。
「主人が一人で持ち出すのは、禁止にしたの」
……。
…………。
「……なるほど」
ザルキメスは、しばらく考え込んだ。
「それならば、私から申し上げることはありません。的確な対処です」
「ありがとう」
「いやぁ、さすがエレサリアさんやなぁ」
クラリッサが、笑いながら頷く。
「最初からエレサリアさんが管理しとったら、四回も落とさんかったんちゃう?」
……。
…………。
「……それを言われると、少し耳が痛いわね」
私は、苦笑した。
まさか主人が、あれほど繰り返すとは思っていなかったのだから。
……でも。
これからは、私も確認する。
それで、同じことは防げるはずよ。
◇
「……そういえば」
アズライトが、私を見た。
「落ちた武具は、誰が拾ってくれたの?」
……ああ。
そうだった。
肝心な話を、まだしていなかったわね。
「リアリスちゃん、という子よ」
「……リアリス?」
クラリッサが、首を傾げた。
「聞いたことない名前やなぁ」
「ステラで暮らしている、転生者なの」
……。
…………。
「へぇ、転生者か!」
クラリッサが、少し身を乗り出す。
ヴァルキアも、ぬいぐるみの耳を持ったまま顔を上げた。
「転生者ぁ?」
「ええ。少し前に、主人がステラへ送り出した子なのよ」
「……ふむ」
ザルキメスが、小さく頷いた。
……あら?
ほかの三人とは、反応が違うわね。
「もしかして、ザルキメスは知っているの?」
「……ええ。直接お会いしたことはありませんが」
ザルキメスは、紅茶を静かに置いた。
「たまに神界から、彼の様子を見ていました」
「そうなの?」
「彼が使う魔法が、少々気になりまして」
……まあ。
魔法の神らしい理由ね。
「ほな、リアリスって人は、すごい魔法使いなん?」
クラリッサが尋ねた。
ザルキメスは、少しだけ眉を寄せた。
「……すごい、という言葉で片づけるのは難しいですね」
「どういうことや?」
「理不尽なのです」
……。
…………。
……あら。
珍しいわね。
ザルキメスが、そこまではっきり言うなんて。
「《想像魔法》というものをご存じですか?」
ザルキメスが、みんなを見回した。
クラリッサは首を傾げ、アズライトも小さく首を振った。
ヴァルキアは、ぬいぐるみを抱え直す。
「しらなーい!」
「……でしょうね」
ザルキメスが、小さく息を吐いた。
「自分が想像した魔法を、形にできる力です」
「……想像した魔法を?」
アズライトが、聞き返す。
「ええ。通常の魔法体系を学び、使えるようになるという話ではないのです。必要な結果を思い描き、新しい魔法を作ってしまう」
……。
…………。
クラリッサが、腕を組んだ。
「それ、めっちゃ便利やん」
「……便利で済むなら、私も苦労しません」
ザルキメスは、片眼鏡を直した。
「魔法を司る身としては、あれを見ていると、少々複雑な気分になるのです」
……ふふ。
なるほど。
本人に会うより先に、魔法の方へ興味を持っていたのね。
「でも、悪いことに使っているわけではないのでしょう?」
私は、穏やかに尋ねた。
「……ええ。少なくとも、私が見た範囲では」
ザルキメスが頷く。
「むしろ、いろいろと面白い使い方をしています」
「……そうなのよ」
私は、少しだけ嬉しくなった。
「リアリスちゃんは、その力で主人の落とし物を全部見つけてくれたの」
◇
「四つとも?」
ヴァルキアが、目を丸くした。
「ええ。四つともよ」
「どこにあるか、すぐ分かったのぉ?」
「探すための魔法で場所を確かめて、それぞれ安全に回収してくれたそうよ」
「へぇー!」
ヴァルキアの目が、少し輝いた。
……あら。
興味を持ったみたいね。
「最初の剣は、森の中から」
私は、話を続けた。
「次の槍は、人々が働く山の近くから。斧はエルフの森。そして最後の盾は……」
「……海ね」
アズライトが、静かに言った。
「ええ。さっき話した、大きな魚のお腹からよ」
「……それで、魚も無事だったのね」
「そうよ。リアリスちゃんは、魚を傷つけずに盾だけ取り出してくれたの」
アズライトは、軽く頷いた。
「そういう人もいるのね」
……ふふ。
それだけ。
あまり大げさな反応はしないのが、アズライトらしいわ。
「地上の人々も、幸い怪我をせずに済んだの」
私は、紅茶を一口飲んだ。
「でも、リアリスちゃんはそれで終わりにしなかったわ」
「……どういうことでしょう」
ザルキメスが、尋ねる。
「主人へ何度も、危険な武具を落とさないようにと注意してくれたの」
……。
…………。
クラリッサが、きょとんとした。
「……創造神に?」
「ええ」
「転生者が、オリミス様を叱ったん?」
「……そうなの」
……。
…………。
「……ははっ!」
クラリッサが、とうとう笑い出した。
「そら、なかなかおらへん人やなぁ!」
……ええ。
本当に。
私も最初は、少し驚いたもの。
◇
「主人が、何度も同じ失敗を繰り返してね」
私は、みんなへ説明した。
「最初は丁寧に注意してくれていたのだけれど、三度目にはとうとう大きな声で叱られてしまったの」
「……三度も繰り返せば、そうなりますね」
ザルキメスが、もっともらしく頷く。
「……しかも主人ったら、真剣に注意されているのに、自分の威厳ばかり気にするのよ」
……。
…………。
ああ。
思い出すだけで、少し困ってしまう。
「威厳、ですか」
「ええ。叱られる姿を見られたら、神としての威厳がなくなると言って」
「……それは、叱られる原因を作らない方が早いのでは」
ザルキメスの冷静な一言に、私は思わず笑ってしまった。
「ふふ。そうなの。私も同じことを言ったわ」
「ほんま、オリミス様は何してはるんやろなぁ」
クラリッサが、肩を揺らして笑っている。
ヴァルキアは、クッキーを持ったまま首を傾げた。
「ねえねえ。オリミスって、そんなに怒られるのぉ?」
「ふふ。普段はそうでもないのよ」
「へぇー」
「でも、今回は四度も危険なものを落としたでしょう? ちゃんと反省してもらわなければ」
「そっかぁ!」
ヴァルキアが、大きく頷いた。
……うん。
この子にも分かることなのに。
主人にも、もう少ししっかりしてほしいものね。
◇
「……でもね」
私は、カップをテーブルへ置いた。
「リアリスちゃんの話をしていると、不思議と主人への怒りが少し和らぐの」
アズライトが、私を見た。
「……どうして?」
「とても、優しい子だからよ」
私は、少し考えてから続けた。
「武具を拾うだけでも大変だったはずなのに、落ちた場所で人や生き物が危険な目に遭わなかったか、いつも確かめていたそうなの」
……。
…………。
斧が落ちた森。
危うく大きな枝が折れてしまったと聞いた。
槍が落ちた山の近くには、働く人々がいた。
盾を飲み込んだ魚も、無事に泳ぎ去った。
「それにね。主人へ怒ったのも、自分が迷惑をかけられたからだけじゃないの」
「……ほう」
ザルキメスが、静かに聞いている。
「ステラで暮らす人たちには、それぞれ大切な日常がある。神様なら、その人たちの安全を考えてほしい、と」
私は、あのときのリアリスちゃんの真剣な声を思い出した。
「……あの子、そう言っていたわ」
少しだけ、部屋が静かになった。
……ああ。
話してみると、私まで改めて感心してしまうわね。
「地上の暮らしを、大切にしている子なんやな」
クラリッサが、優しく言った。
「……ええ」
私は、頷いた。
「家族と静かに暮らしたいそうなの。そのために、自分の力も使っているみたい」
「……いいわね」
アズライトが、小さく笑った。
「平穏に暮らしたい人の邪魔は、しない方がよいでしょうね」
「ええ。本当に」
私は、少しだけ微笑んだ。
……特に、主人には。
もう、これ以上邪魔をしないでほしいわ。
◇
「……家族と暮らしとる、言うたな」
クラリッサが、何かを思い出したように顔を上げた。
「ええ」
「そのリアリスって人、地上では何しとるん?」
「……そうね。あちこちへ旅をしているみたいだけれど」
私は、少し考えた。
「家を建てたり、お店を開いたりしているわ」
……。
…………。
「……店?」
クラリッサの目が、ぱっと輝いた。
……あら。
やっぱり、そこなのね。
「どんな店や?」
「雑貨を扱うお店や、お茶やお菓子を売るお店。それから、美容のための施設もあるそうよ」
「へぇー!」
クラリッサが、今までで一番楽しそうな顔をした。
「それ、面白そうやん!」
「……商売の話になると、表情が変わりますね」
ザルキメスが、苦笑する。
「そらそうやろ! だって転生者やで? ほかの世界から来た人が、こっちで何売っとるか気になるやん」
……ふふ。
なるほど。
そういうことなのね。
「お店は一つだけやないん?」
「ええ。人の国にも魔族の国にも、いくつかあるみたいよ」
「おおー! ええやん!」
クラリッサは、椅子へ座り直した。
「商売って、違う文化のもんが混ざると面白いねん。新しい品物が広がったり、売り方が変わったりするしなぁ」
「……そうね」
「どんな値段なんやろ。誰が買いに来るんやろ。売れ残りはどうしとるんやろなぁ」
……。
…………。
あらあら。
始まってしまったわね。
「……クラリッサ」
「ん?」
「今日はお茶を飲みに来たのよ?」
「……あっ」
クラリッサが、ようやくカップへ目を向けた。
「せやった! ごめんごめん!」
……ふふ。
商売の神も、好きな話題になると止まらないのね。
でも、リアリスちゃんの商売に興味を持ったことは、少し覚えておきましょう。
あの子は、きっと思ってもみないところで人の輪を広げているのだわ。
◇
「……魔法と商売、ですか」
ザルキメスが、少し思案するように指を組んだ。
「どちらも規格外とは、なかなか興味深い転生者ですね」
「……あなたも、お店が気になるの?」
私が尋ねると、ザルキメスは小さく首を振った。
「いえ。私が気になるのは、やはり魔法の方です」
……ふふ。
でしょうね。
「彼の《想像魔法》は、既存の魔法の組み立て方をあまりにも簡単に飛び越えてしまいます」
「便利ならええやん?」
クラリッサが、気楽に言った。
ザルキメスは、少しだけ眉を寄せた。
「あなたは、商売の仕組みを一瞬で何でも作り替える相手が現れても、そう言えますか?」
「……うーん」
クラリッサが、腕を組んで考えた。
「……でも、それはそれでおもろそうやな」
「……そうですか」
ザルキメスが、肩を落とした。
……あら。
珍しい。
魔法の神が、商売の神に言い負かされているわ。
「ザルキメス」
「はい、エレサリア様」
「リアリスちゃんは、力を見せびらかすために魔法を使っているわけではないと思うの」
「……ええ。それは、私も分かっています」
「それなら、少し安心ね」
ザルキメスが、静かに頷いた。
「……ただし、魔法の神としては、やはり理不尽です」
……。
…………。
私は、思わず小さく笑ってしまった。
……ふふ。
この子も、なかなか頑固なのよね。
◇
「ねえねえ!」
そのとき、ヴァルキアが元気よく手を挙げた。
「なあに、ヴァルキア」
「リアリスって、強いのぉ?」
……あら。
やっぱり、そこが気になるのね。
「どうかしら。私は、戦っているところを見たことがないのだけれど」
「転生者って、強くなること多いでしょぉ?」
「……そうね。いろいろな力を持つ子もいるわね」
「じゃあ、リアリスも強いかも!」
ヴァルキアが、にこにこと笑った。
腕のウサギも、一緒に揺れている。
「ザルキメスー! 強いと思う?」
「……少なくとも、常識に収まらない魔法を扱います」
「わぁ!」
「ですが、魔法が優れていることと、戦闘が得意なことは別です」
ザルキメスが、丁寧に付け加えた。
「……そっかぁ」
ヴァルキアは、少し考えた。
そして、ぬいぐるみをぎゅっと抱き締める。
「じゃあ、ちょっと気になるねぇ!」
……ふふ。
本当に、少しだけの興味みたい。
クッキーのお皿を見ると、すぐに目を輝かせたもの。
「あっ! これ、もう一個食べていい?」
「ええ。どうぞ」
「やったぁ!」
……うん。
今は、お茶とお菓子の方が大切そうね。
それでいいわ。
リアリスちゃんも、地上で普通に暮らしたいのだから。
……あの子の静かな暮らしを、わざわざ邪魔する理由はないものね。
◇
しばらくすると、話題は別のものへ移った。
クラリッサは、最近見つけた珍しい品物の話をしている。
ザルキメスは、何か新しい魔法の考え方を思いついたようで、ときどき考え込んでいた。
アズライトは、穏やかに紅茶を飲みながら話を聞いている。
そしてヴァルキアは、ウサギのぬいぐるみを隣の椅子へ座らせ、二人分のお菓子を眺めていた。
……ふふ。
もちろん、ぬいぐるみは食べられないのだけれど。
「エレサリアー! この子の分、私が食べてもいい?」
「ええ。でも、お腹いっぱいにならないようにね」
「はーい!」
……ああ。
何だか、のんびりするわね。
最初は、主人の不始末を少し聞いてもらうだけのつもりだった。
みんなには、驚かせてしまったけれど。
武具は全部戻った。
危険な通路も閉じた。
管理の方法も決まった。
……これからは、同じ失敗を繰り返さないようにしなければ。
そんなことを考えていると。
「エレサリアさん」
アズライトが、静かに声をかけてきた。
「……なあに?」
「少し、表情が柔らかくなったわね」
……あら。
「そうかしら?」
「ええ」
アズライトは、小さく微笑んだ。
「話せて、よかったんじゃない?」
……。
…………。
……ああ。
そうかもしれない。
主人に何度も叱られてほしいわけではないのよ。
ただ、同じ失敗を繰り返してほしくないだけ。
そのために、どうしたらよいか考えていたから。
誰かに話を聞いてもらうだけで、少し気持ちが軽くなったのかもしれない。
「……ありがとう、アズライト」
「どういたしまして」
……ふふ。
こういう何でもない時間も、大切ね。
◇
やがて、お茶のおかわりもなくなり、窓から差し込む光が少し傾き始めた。
「そろそろ、おいとましよか」
クラリッサが、立ち上がる。
「おいしいお茶、ごちそうさん!」
「こちらこそ、来てくれてありがとう」
「リアリスの店の話、面白かったわ。また聞かせてな」
「ええ。何か聞いたらね」
……ふふ。
最後まで商売の話なのね。
「本日は、ありがとうございました」
ザルキメスも、丁寧に一礼した。
「こちらこそ。お話を聞いてもらえて助かったわ」
「武具の件も、対処済みと伺えて安心しました」
「ええ。もう大丈夫よ」
……今度こそ。
私は、心の中で付け加えた。
「お茶、おいしかったわ」
アズライトが、帽子を手に取る。
「また、時間が合ったらね」
「ええ。またいらして」
ヴァルキアは、ぬいぐるみを抱え直した。
「エレサリアー! ごちそうさまぁ!」
「ふふ。よかった?」
「うん! すっごく!」
「それはよかったわ」
「また来るねぇ!」
「ええ。いつでもどうぞ」
……ああ。
みんな、いつもどおり。
特別な催しではなかったけれど、楽しいお茶の時間になったわ。
◇
四人を見送ったあと。
私は、部屋に戻ってカップを片づけ始めた。
空になったお皿。
少し残った果物。
そして、ヴァルキアが使った小さな椅子。
……ふふ。
ウサギのぬいぐるみの席まで用意したのは、少し大げさだったかしら。
でも、喜んでくれたものね。
窓の外へ目を向ける。
神界の空は、今日も穏やかだった。
……そういえば。
リアリスちゃんは、今ごろ何をしているのかしら。
きっと、家族と一緒に過ごしているのでしょうね。
お茶を飲んだり、庭で遊んだり。
あの子が望んでいる、普通の暮らし。
……ええ。
できれば、そっとしておいてあげたいわ。
私は、テーブルの上に残っていた最後のカップを持ち上げた。
……でも。
どうしても、一つだけ伝えたいことがある。
もちろん、今ここから連絡をするつもりはない。
ただ、胸の中で、そっと思う。
「……リアリスちゃん」
私は、小さく微笑んだ。
「主人の不始末を、何度も片づけてくれて……本当にありがとうね」
……。
…………。
いつかまた、お話しする機会があったら。
今度は、謝るだけじゃなくて。
きちんと、お礼を伝えたいわね。
私は、静かに食器を片づけた。
こうして、神界のささやかなお茶会は終わった。
◇
――一方、その頃。
シルク王国のリアリス邸。
庭では、リアリスが桜花と一緒に花壇を眺めていた。
「……今日は、いい天気だね」
「はい。穏やかな一日でございます」
「うん。こういう日が、一番……」
そのときだった。
「…………っ!」
リアリスが、突然肩を震わせた。
「リアリス様?」
桜花が、心配そうに顔を覗き込む。
「……どうされました?」
「……なんか、今すっごい寒気がした……」
「風邪……でしょうか?」
「いや、まさか。ははは」
リアリスは笑って首を振った。
……けれど、何となく落ち着かない。
さっきまで、あんなに気持ちのいい風が吹いていたのに。
どうしてだろう。
今、背中を何かが通り過ぎたような気がする。
……しかも。
この感覚。
どこか、覚えがあるような……。
「……でも、なんか」
リアリスは、庭の向こうへ視線を向けた。
「……すごく嫌な予感がする」




