第3話:神様の奥様が出てきました
四日後。
私は、シルク王国邸の庭で、カトレアと一緒に花壇の手入れをしていた。
「お父さん、この葉っぱ、ちょっと元気ない」
「ん? どれどれ」
カトレアが指差したのは、フォレイクで買った紫色の花だった。
……おっ。
確かに、一枚だけ葉の色が薄いね。
私は、そっと葉を持ち上げた。
虫に食べられた跡はない。
土も、乾きすぎてはいない。
……うーん。
日当たりかな。
「少しだけ、鉢の場所を変えてみようか」
「……うん!」
カトレアは、真剣な顔で頷いた。
……ああ。
いいねぇ。
世界の命運を左右するような話し合いも大切だけど。
私にとっては、カトレアと一緒に花の世話をする時間も、同じくらい大切なんだ。
しかも。
ここ四日間、神様からの連絡はない。
……うん。
今度こそ、本当に平和が戻ってきたのかもしれない。
「……お父さん」
「ん?」
「かみさま、おかたづけできたかな?」
…………。
……あっ。
まだ気になってるんだね。
私は、少しだけ空を見上げた。
よく晴れた、綺麗な青空。
おかしな光は、見えない。
「……きっと、できたんじゃないかな」
「……そっか!」
カトレアが、嬉しそうに笑った。
……うん。
私も、そう信じたい。
だって、二回だよ?
神界の剣を落として。
三日後には、今度は槍を落として。
しかも、ちゃんと注意したら。
『かみさまですぅー! えらいんですぅー!』
…………。
……ああ。
思い出したら、また腹が立ってきた。
……いやいや。
今日はカトレアと花壇を見ているんだ。
神様のことは、いったん忘れよう。
◇
「リアリスちゃん」
庭の方へ、巴さんが顔を出した。
「はい!」
「そろそろ、お茶にしない?」
「おお! いいね!」
私は、じょうろを片づけて立ち上がった。
カトレアも、ぱっと顔を上げる。
「……おかし?」
「ふふ。今日は小さな焼き菓子もあるわよ」
「……やった!」
……ああ。
こういう時間が、最高だね。
私は、カトレアと手をつないで食堂へ向かった。
中では、桜花が湯気の立つカップを並べている。
「リアリス様。お疲れさまでございます」
「ありがとう、桜花!」
いつもの席。
いつもの家族。
おいしそうな焼き菓子。
……うん。
今度こそ、邪魔が入るわけないよね。
そう思って、私は席へ着いた。
すると。
ふわっ。
目の前に、見覚えのある光の板が現れた。
『着信:オリミス』
…………。
…………。
…………。
……は?
私は、光の板を見つめた。
……いや。
待って。
前も、こういうことがあったよね。
平和な朝。
おいしいお茶。
そして、神様からの着信。
…………。
……あっ。
もしかして。
「……リアリス様」
桜花が、いつになく慎重な声で言った。
「……はい」
「オリミス様から、でしょうか」
「……うん」
桜花が、そっとカップを私の前へ寄せた。
「お茶をお飲みになってからでも、よろしいかと」
…………。
……おお。
桜花にまで気を遣われている。
私は、お茶を一口飲んだ。
……うん。
落ち着いた。
大丈夫。
まだ、何も決まっていない。
神様からの連絡が、すべて落とし物の報告とは限らない。
……限らない、よね?
◇
「……もしもし」
『お、おお! リアリス!』
……あっ。
この声。
もう、聞き覚えがありすぎる。
画面に映ったのは、いつもの丸いおじいさんだった。
そして、妙に泳いでいる目。
…………。
……うん。
もう、挨拶をする気力もなくなってきた。
「……神様」
『な、何じゃ?』
「今日は、何を落としました?」
『…………』
…………。
……あれ?
神様、固まった。
『……なぜ、分かったのじゃ?』
…………。
…………。
「分かるに決まってるだろぉぉぉ!!」
『ひゃああっ!?』
私は、思わず立ち上がった。
……あああ!
やっぱり!
三回目だよ!
三回目!!
「もう! 何してるんですか、神様!!」
『……そ、その……』
「前回、何て言いました!?」
『……気をつける、と……』
「管理方法を変えるって言いましたよね!?」
『……う、うむ』
「何でまた落とすんですか!?」
『……それには、事情が……』
…………。
……ああ。
また事情。
毎回、事情があるんだね。
じゃあ、聞いてあげようじゃないか!
「分かりました。聞きます。今度は、どんな事情ですか?」
私がそう言うと、神様は少しだけ安心した顔になった。
『……おお。聞いてくれるのかの』
「……はい」
……うん。
ちゃんと話そう。
最初から怒鳴ってたら、何も解決しない。
……いや。
もう、怒鳴っちゃったけど。
◇
『……実はのう』
「はい」
『この前、そなたに言われたことを実行しようと思ったのじゃ』
…………。
……おっ。
そうなんだ。
「……具体的には?」
『武器を数えたのじゃ!』
…………。
……おお。
ちゃんと数えた!
「それで?」
『危ない場所から移そうとしたのじゃ!』
……うん。
いいね。
「……それで?」
『持ち運びやすいように、まとめて箱に入れたのじゃ!』
…………。
……あれ。
何だか、ちょっと嫌な予感。
「……何本、箱に入れたんです?」
『……いくつかじゃ』
…………。
……いくつか。
もう、その時点で不安なんだけど。
「……それで?」
『箱を持ち上げたらのう……』
神様が、ゆっくり目を逸らした。
『……底が抜けたのじゃ』
…………。
…………。
…………。
……は?
「……底?」
『……うむ』
「……箱の?」
『……うむ』
「……抜けた?」
『……う、うむ!』
…………。
…………。
……あああああ!!
「ふざけんなぁぁぁ!!」
『ひゃああああっ!?』
私は、とうとう叫んでしまった。
……いや!
これは、無理!
我慢できない!
「何で神界の武器を底の抜ける箱に入れたんですか!?」
『……丈夫そうに見えたのじゃが……』
「見た目で判断するなぁ!!」
『ひゃいっ!』
…………。
……ああ。
もう、駄目だ。
怒りが、どんどん湧いてくる。
だって。
箱の底が抜けるって!
それで、またステラに落ちるって!
……もう、神様の仕事が雑すぎる!
◇
「……神様」
『……はい』
「落とした武器、何です?」
『……斧じゃ』
…………。
……斧。
剣。
槍。
そして、斧。
…………。
……おお。
何だか、武器の種類が増えてきたね。
……いやいや!
集めてる場合じゃない!
「何本落としたんですか!?」
『……一本じゃ! それは確かじゃ!』
「本当に!?」
『……ほ、本当じゃ! 残りは拾ったのじゃ!』
…………。
……うん。
そこは、信じよう。
信じたい。
「……場所は?」
『エルフ国の、リルフィアという町の近くじゃ』
……おお。
エルフ国。
リルフィアは、森と湖に囲まれた町だったね。
私も、名前は知っている。
……でも、何でそんなところへ。
「……また、町の近くですか」
『……う、うむ』
「人がいない場所ですよね?」
『……たぶん……』
…………。
……たぶん。
……また、たぶん。
私は、ゆっくり息を吸った。
……うん。
落ち着け。
落ち着くんだ、私。
今は、危険な武器を回収するのが先。
「……神様」
『……何じゃ?』
「その箱、もう使わないでください」
『……うむ!』
「武器を全部数えて、丈夫な場所へ移して、誰かに確認してもらってください」
『……うむ!』
「そして、二度とステラへ落とさない仕組みにしてください」
『……う、うむ!』
…………。
……返事だけは、立派なんだよなぁ。
「……とにかく、探しに行きます。回収したあと、話の続きをしますからね」
『おお! 助かるぞ、リアリス!』
…………。
……あっ。
嬉しそう。
……いや。
ちょっと待って。
「……神様」
『……何じゃ?』
「今度は、途中で通話を切らないでくださいね?」
…………。
『……わ、分かっておる!』
……うん。
よし。
これで切ったら、本当に怒るからね。
……いや。
もう怒ってるけど!!
◇
通話を終えたとき、食堂は静まり返っていた。
…………。
……あれ。
私は、ゆっくり振り返った。
巴さん。
桜花。
カトレア。
三人とも、私を見ている。
……あっ。
そうだった。
家族の前で、思いっきり怒鳴っちゃった。
「……ごめんね」
私は、慌てて頭を下げた。
カトレアが、そっと近づいてきた。
「……お父さん」
「ん?」
「……かみさま、また?」
…………。
……ああ。
もう、説明しなくても分かるようになっちゃった。
「……うん。三回目だよ」
カトレアは、少しだけ考えた。
それから、小さな声で言った。
「……かみさま、おかたづけ、にがてなのかな」
…………。
……うん。
そのとおりだと思う。
でも。
九歳の娘に、神様の弱点を見抜かれちゃったね。
「……そうみたいだね」
私が答えると、カトレアは真剣な顔で頷いた。
「……じゃあ、いっしょに、おかたづけしてあげたら?」
…………。
……あっ。
優しいなぁ。
でも、神界には行けないんだよね。
「ありがとう、カトレア。でも、神様には自分で片づけてもらわないとね」
「……うん」
巴さんが、私の前に新しいお茶を置いた。
「リアリスちゃん」
「……はい」
「怒る理由は分かるけれど、まずは落とし物を安全に回収してきましょうね」
……うん。
そうだね。
「それから、帰ってきたら一緒にご飯を食べましょう」
…………。
……ああ。
巴さん。
優しい。
「……ありがとう。行ってくるよ」
桜花が、私の隣へ来た。
「私も、ご同行いたします」
「うん。ありがとう、桜花」
……よし。
まずは、エルフ国へ。
神様へのお説教は、そのあとだ!
◇
私は、屋敷を出る前に《サーチ》を使った。
エルフ国。
東部の町、リルフィア。
森林と湖が広がる、緑の多い地域だ。
……うん。
危険な落とし物を拾って、神殿へ返す。
それだけだ。
……いや。
毎回それだけのつもりなんだけどね。
私は、意識を広げた。
木々の間。
湖の周辺。
町の近くの道。
大きな魔獣の反応がないかも、一緒に確かめる。
……うん。
神界の斧。
普通の武器とは違う力。
……おっ。
あった。
森の奥から、妙に強い反応が伝わってくる。
町から少し離れた場所。
でも、林業のために人が入ることもあるらしい。
……ああ。
また、危ない場所だね。
「桜花。見つかったよ」
「はい。どちらでございましょうか」
「リルフィア近くの森。作業道から少し入ったところみたい」
桜花が、静かに頷いた。
「周囲の安全を確認いたします」
「ありがとう。私も、もう少し詳しく調べるね」
……うん。
見つけたからって、慌てて飛び込むのはよくない。
エルフの人たちの暮らす森だ。
できるだけ、何も壊さずに回収したいね。
◇
私たちは、人目のない場所へ《転移》した。
現れたのは、リルフィアから少し離れた森の中。
高い木々が、空へ伸びていた。
枝の間から、柔らかな日差しが差し込んでいる。
……おお。
綺麗な森だね。
風が吹くと、葉の擦れる音が聞こえる。
少し離れたところには、小川も流れているようだった。
「リアリス様」
「ん?」
「こちらは、木々が豊かでございますね」
「うん。気持ちがいいね」
私は、思わず深呼吸した。
……ああ。
こんな場所なら、カトレアも喜びそう。
……いや。
今日は連れてこなくて正解だね。
森の奥には、何があるか分からない。
まして、神界の武器が落ちているんだから。
私は、周囲を見回した。
大きな魔獣の反応はない。
人の気配も、今は近くにない。
……うん。
これなら、慎重に近づけそう。
「桜花。少し先に行くね」
「はい。周囲はお任せください」
……よし。
今度こそ、誰にも迷惑をかけずに拾おう。
◇
森の奥へ進むと、少しずつ様子が変わってきた。
枝が、不自然な方向へ曲がっている。
地面に、細い亀裂。
そして、木の葉に混じる、淡い金色の光。
…………。
……あれ。
何だろう。
私は、足を止めた。
《サーチ》の反応は、すぐ近くだ。
大きな木が一本。
その根元に、何かが斜めに突き刺さっている。
……おお。
あれだ!
立派な斧だった。
長い柄。
広い刃。
刃の部分には、細かい模様が刻まれている。
そして、金色の光。
…………。
……うん。
神界の斧って、何だか豪華だね。
……いや。
鑑賞してる場合じゃない。
私は、もう一度周囲を調べた。
斧のすぐ近くに、人はいない。
でも、根元の土が少し持ち上がっている。
木の幹には、新しい傷があった。
……ああ。
これ、落ちた衝撃でできたんだろうね。
私は、そっと斧へ近づいた。
そのとき。
ぱきっ。
小さな音がした。
…………。
……ん?
足元の小枝じゃない。
上だ。
見上げると、大きな枝が、ゆっくり傾いていた。
…………。
……あっ。
危ない!
◇
私は、すぐに《結界》で周囲を守った。
次の瞬間。
ばきんっ!
大きな枝が折れた。
……おお!
結界に触れた枝は、地面へ落ちる前にゆっくり止まった。
……ふう。
危なかった。
もし近くに誰かいたら、大怪我をしていたかもしれない。
桜花が、すぐ隣へ来た。
「リアリス様。お怪我はございませんか」
「うん。大丈夫だよ」
私は、枝を見上げた。
……うん。
この斧、かなり危ないね。
周囲の木にまで、影響が出ている。
神様は、たった一本って言っていたけど。
一本でも十分すぎるほど危険なんだ。
私は、少しだけ顔をしかめた。
……ああ。
本当に、腹が立ってきた。
今朝の神様の言葉。
『箱を持ち上げたら、底が抜けたのじゃ』
…………。
……いやいや。
笑い話じゃないよ。
これは、誰かが死んでもおかしくない事故なんだ。
私は、斧の周囲へ、もう一段《結界》を設定した。
木々も、地面も。
必要以上に傷めないように。
「桜花。ちょっと見守っててくれる?」
「もちろんでございます」
「ありがとう」
……うん。
慎重にやろう。
◇
斧は、太い木の根元に深く刺さっていた。
……うーん。
このまま引き抜いたら、根をもっと傷つけるかもしれない。
私は、斧の刃と木の状態を確かめた。
幸い、傷は一部だけみたい。
でも、根元の土まで割れている。
……そうだね。
先に、木が倒れないように固定しよう。
私は《結界》で、幹と根を支えた。
それから、斧だけが安全に抜けるようにする。
……よし。
私は、柄へ手を伸ばした。
…………。
……おお。
大きいね。
片手で持つには、少し長い。
でも、私なら問題ない。
ゆっくり引き抜く。
ずっ。
斧が、木の根元から離れた。
その瞬間。
金色の光が、ふわっと広がった。
…………。
……あっ。
何だろう。
私は、すぐに《結界》を強めた。
光は、外へ広がることなく静かに消えた。
……ほっ。
よかった。
危険なものを不用意に動かさないようにして正解だったね。
私は、刃に触れないよう注意しながら、斧を《収納》へ入れた。
……うん。
三回目の回収、完了。
…………。
……三回目。
改めて言葉にすると、すごく嫌だなぁ。
◇
回収しても、まだ仕事は残っていた。
斧が刺さっていた木の根元。
傷ついた幹。
折れた枝。
それから、持ち上がっていた土。
……うん。
ちゃんと直しておこう。
私は、森の状態を思い浮かべた。
壊れてしまった部分だけ、元の姿へ近づける。
ほかの木や植物には、なるべく手を加えない。
……よし。
《完全回復》で傷を整えると、幹の亀裂が静かに閉じていった。
根元の土も、落ち着いた。
折れた枝は、安全な場所へ移しておく。
……うん。
これで、歩いてきた人が怪我をすることもないね。
「リアリス様」
桜花が、木を見上げた。
「はい?」
「先ほどの枝は、もし人の上へ落ちていれば、大きな事故になっていたでしょう」
「……うん。そうだね」
私は、静かに頷いた。
「神様にも、そこを分かってほしいんだけどなぁ」
…………。
……うん。
今回は、さすがに怒ろう。
いや。
もう怒ってるんだけど。
何度言っても同じことを繰り返すなら、もっとはっきり伝える必要があると思う。
私は、もう一度で周囲を確かめた。
異常な反応は、もうない。
人も、魔獣も、危険な位置にはいない。
……ほっ。
よかった。
◇
私たちは、森から少し離れた道まで戻った。
その途中、遠くで何人かのエルフが話している声が聞こえた。
「……昨日の光、あの辺りだったか?」
「森の奥らしいが、近づかない方がいいと聞いたぞ」
…………。
……あっ。
やっぱり、気づいてた人がいたんだね。
私は、少しだけ足を止めた。
……うん。
もう危険な斧はない。
木も、地面も、元の状態へ整えた。
でも、心配している人がいるなら、一言伝えた方がいいかな。
私は、桜花と顔を見合わせた。
「少しだけ、話してくるね」
「はい」
……うん。
きちんと説明しよう。
◇
「こんにちは」
声をかけると、二人のエルフが振り返った。
年配の男性と、若い女性だった。
どちらも、背中に木材を運ぶための道具を持っている。
「……人間?」
男性が、少し驚いた顔をした。
「はい。リアリスといいます」
私は、頭を下げた。
「森の奥で、何か光ったという話をされていましたよね」
男性が、頷いた。
「ああ。昨夜、金色の光が見えたんだ。何か起きたのかと思ってな」
……ああ。
やっぱり、斧が落ちたときの光だね。
「その場所なら、私たちが確認してきました」
「……そうなのか?」
「はい。今は危険なものもありませんし、木が倒れる心配もないと思います」
男性が、少し安心したように息を吐いた。
「そうか。助かるよ。あの辺りは、うちの者も木の手入れに入るからな」
…………。
……ああ。
そうだった。
この森は、ただ景色を眺める場所じゃない。
ここで暮らして、働いている人がいるんだ。
私は、改めて頭を下げた。
「でも、しばらくは様子を見てくださいね。何か変わったことがあれば、近づかないようにしてください」
「分かった。気をつけるよ」
若い女性が、私の隣にいた桜花を見た。
「あなたたち、森を調べに来たの?」
「……はい。少し、探し物がありまして」
私は、そう答えた。
「もう見つかりましたので、帰るところです」
「そう。それならよかったわ」
女性が、穏やかに微笑んだ。
……うん。
普通の人たちだね。
仕事をして、森を守って、ここで暮らしている人たち。
私は、その二人へもう一度挨拶した。
……ああ。
本当に、誰も怪我しなくてよかった。
◇
「……リアリス様」
人目のないところまで歩くと、桜花が声をかけてきた。
「はい?」
「本日は、すぐに聖国へ向かわれますか?」
「うん。そうしようと思う」
私は、リルフィアの町がある方へ目を向けた。
森の向こうには、綺麗な湖があるらしい。
エルフの作る布製品も有名だったね。
……うん。
いつか、ゆっくり見に来たいな。
ただし、今日は違う。
観光するために来たんじゃない。
神様の斧を安全に返して、それからきちんと話をする。
それが、今日の目的だ。
ただでさえ、怒りを抑えるのが大変なんだ。
落ち着いてからにしよう。
「じゃあ、ケラーさんに連絡しようか」
私は、《映像通話》を開いた。
…………。
……あっ。
そういえば。
あの人に会うのも、これで何回目だろう。
……うーん。
ケラーさんも、神様の落とし物にすっかり慣れてきちゃったかもしれないね。
◇
ちょうど、そのころ。
ケラーさんは聖都オリミシアの神殿で、ほかの枢機卿たちとの会合を終えたところだった。
……ということを、私はあとで知った。
どうやら、会合の最後に少し変わった話題が出たらしい。
神様との《映像通話》についてだ。
以前、教皇さんたちが神様とお話ししたとき。
あの場にいた枢機卿さんたちは、みんな本当に感動していた。
それなのに。
そのあと、ケラーさんだけが二度も、神様の姿を直接見ている。
……うん。
つまり、今の時点で三回。
しかも、声までかけられている。
……いや。
実際に神様が何をしていたのかを知っている私からすると。
どうにも、複雑な気分なんだけど。
でも、ケラーさんにとっては人生最大級の出来事なんだろうね。
そして。
その話を聞いたほかの枢機卿さんたちが、黙っていられるわけもなかった。
……というわけで。
今日、神殿へ向かうことになった私が、その現場に巻き込まれることになる。
◇
『……使徒様!』
《映像通話》がつながると、ケラーさんが嬉しそうに声を上げた。
「こんにちは、ケラーさん」
『こんにちは。今日は、どのようなご用件でございましょうか』
……うん。
いつもどおり、丁寧だね。
ただ。
画面の向こうから、誰かの声が聞こえた。
『……使徒様、と申されたか?』
…………。
……ん?
別の人がいる?
ケラーさんが、少しだけ横を向いた。
『少々お待ちください……いえ、今、使徒様と……』
…………。
……あっ。
何だか、賑やかだね。
「ケラーさん。今、お忙しいですか?」
『いえ! とんでもございません!』
……おお。
すごい勢いで否定された。
『ちょうど、ほかの枢機卿たちとの会合が終わったところでございまして』
「……そうだったんですね」
……うん。
それなら、日を改めた方がいいかな。
……いや。
神様の斧を返す話だから、あまり先延ばしにはできないけど。
「実は、また神界の武器を……」
『……また、でございますか!?』
…………。
……おっ。
驚いた!
でも。
ケラーさんの目が、みるみる輝いていく。
『……三度目の奉納……!』
…………。
……えっ。
嬉しそう。
……いや。
そりゃ、この人にとっては嬉しいことなんだろうけど。
『……使徒様。ぜひ、神殿へお越しください!』
「……はい。すぐ伺います」
……うん。
いつもの流れだね。
ただし。
画面の向こうで、別の声が叫んだ。
『……三度目!? 今、三度目と!?』
…………。
……あっ。
聞こえちゃったみたい。
◇
私と桜花が聖国の神殿へ着くと。
……おお。
何だか、いつもより人が多い。
入口で待っていたのは、ケラーさんだけではなかった。
頭頂部が少し寂しい、穏やかな顔の男性。
筋肉質で、白い長髪の男性。
それから、黒い長髪の女性。
……ああ。
見覚えがある。
グレンさん。
セドリックさん。
シーリンさん。
ほかの三人の枢機卿さんたちだ!
「こんにちは、皆さん」
私が挨拶すると、四人が一斉に頭を下げた。
「「「「使徒様!」」」」
…………。
……おお。
声が揃った!
桜花も、丁寧に一礼する。
「皆様。お久しぶりでございます」
「桜花殿も、お元気そうで何よりです」
グレンさんが、穏やかに答えた。
……うん。
久しぶりだね。
ただ。
セドリックさんの視線が、何だか熱い。
「……使徒様」
「はい?」
「本日も、オリミス神様とお話しになるのでしょうか!」
…………。
……えっ。
もう、そこ!?
私は、少しだけ戸惑った。
「……必要があれば、そうするつもりです」
すると。
セドリックさんが、ケラーさんへ顔を向けた。
「……ケラー殿!」
「はい?」
「またなのですか!?」
…………。
……あっ。
これは、何か始まりそうだね。
◇
「……先日の神界の剣。そして、槍」
セドリックさんが、指を折って数え始めた。
「それに、以前の教皇猊下との神託!」
…………。
……うん。
三回だね。
「ケラー殿は、すでに三度もオリミス神様のお姿を拝している!」
ケラーさんが、少しだけ胸を張った。
「……ありがたいことでございます」
…………。
……あっ。
ちょっと自慢してる!
「しかも、神様から直接お声をかけていただいたことも、何度かございまして……」
…………。
……おお。
嬉しそうだねぇ。
グレンさんが、静かに咳払いした。
「……ケラー殿。わしも、この身の続く限り、神様のお姿を拝したいと思っております」
「……はい」
「ですから、その……」
グレンさんが、少し言いにくそうに続けた。
「……聖都の神殿長を、しばらく代わってみるというのは、どうでしょうかな?」
…………。
…………。
……ええっ!?
神殿長を交代!?
そんな理由で!?
シーリンさんも、にっこり笑った。
「それは素敵な提案ですわ。神様との対話の機会は、できるだけ公平に分かち合うべきですもの」
…………。
……おお。
すごく上品な笑顔。
でも、言ってることは、かなり本気だ!
「……あの、皆さん」
私は、思わず声をかけた。
「神様と話すために神殿長を交代しても、あまり意味はないんじゃ……」
すると、ケラーさんが真剣な顔で頷いた。
「そのとおりでございます。私が神様をお呼びしているわけではございません。使徒様がお越しになるので……」
…………。
……うん。
よく分かってるね。
……と思ったら。
「「「……使徒様!」」」
…………。
三人の枢機卿さんが、同時に私を見た。
…………。
……えっ。
何?
「……もし次に御用がございましたら、ぜひ私の担当神殿へ!」
「いや、フォーサイドも!」
「ローズ帝国も、お忘れなく!」
…………。
……おおお!?
ちょっと待って!
私は、思わず両手を上げた。
「……皆さん! 落ち着いてください!」
…………。
……ああ。
神様の落とし物のせいで、枢機卿さんたちの間にまで、妙な競争が生まれてる!
……いや。
原因はそれだけじゃないか。
何にしても。
創造神との対面回数で張り合う聖職者って、どうなんだろう。
◇
「……あの」
私は、改めて四人を見た。
「まず、今日の用件を聞いてもらってもいいですか?」
全員が、すっと背筋を伸ばした。
「もちろんでございます、使徒様」
……うん。
さっきまでの騒ぎは、どこへ行ったんだろう。
「実は、神様がまた神界の武器を落としたんです」
…………。
…………。
…………。
四人が、静かに私を見つめた。
……うん。
今度こそ、分かってくれるかな。
「今回は、エルフ国のリルフィアに、斧が落ちまして」
セドリックさんが、目を見開いた。
「……神界の斧!」
「はい。もう回収してあります」
グレンさんも、息を呑む。
「……なんと……」
シーリンさんは、両手を胸の前で組んだ。
「……また、神様の御品を直接拝めるのですね……」
…………。
……あっ。
そうなるんだ!?
ケラーさんも、満足そうに頷いた。
「そうなのです。神様は、使徒様を通じて何度も貴重な機会をお与えくださっております」
…………。
……おお。
ついに、本人が自慢し始めた!
「……ただし、今日は皆様もいらっしゃいますので、どうぞご一緒に」
…………。
ほかの三人の表情が、ぱっと明るくなった。
……うん。
よかったね。
……いや。
喜んでいいことなのかな、これ。
私は、何とも言えない気分で桜花を見た。
桜花は、静かに微笑んでいた。
……ああ。
この子、本当に落ち着いてるなぁ。
◇
神殿の奥。
いつもの祭壇。
白い石で作られた、立派なオリミスの神像。
……うん。
また、ここへ来ちゃったね。
四人の枢機卿さんたちは、神像へ向かって深々と頭を下げた。
そして、私のために場所を空けてくれる。
……うん。
ありがたい。
でも。
今日は、四人もいるんだ。
神様へ文句を言うときは、少し気をつけないとね。
……いや。
もう、三回目だからなぁ。
どこまで我慢できるか、自信がない。
「使徒様」
ケラーさんが、静かに声をかけた。
「こちらへ、どうぞ」
「ありがとうございます」
私は、祭壇の前へ進んだ。
《収納》から、神界の斧を取り出す。
金色の光を帯びた、立派な刃。
長い柄。
……おお。
こうして見ると、本当に綺麗だね。
……ただ。
私は、少し前に、この斧が刺さっていた木を見ている。
折れた枝。
ひびの入った根元。
もし誰かがその下にいたら、と考えると。
……うん。
やっぱり、笑えない。
「皆さん。危険なものなので、触らないでくださいね」
「承知いたしました!」
四人が、揃って答えた。
……おお。
すごい迫力!
私は、念のため《結界》を張り、斧を祭壇へ置いた。
……よし。
返却しよう。
◇
「……神様。三本目、返しますね」
私は、神像へ向かってそう言った。
…………。
少しの沈黙。
ふわり。
斧の周囲に、淡い金色の光が集まった。
……おっ。
今度も、ちゃんと反応した!
斧が、祭壇からゆっくり浮かび上がる。
「……おおお……!」
グレンさんが、震える声を上げた。
セドリックさんは、身じろぎもせずに光を見つめている。
シーリンさんの目からは、涙がこぼれていた。
ケラーさんは、すでに祈りの姿勢だ。
…………。
……うん。
みんな、すごく感動してるね。
でも、私は。
……ああ。
今度こそ、無事に返してくださいよ。
それしか考えていなかった。
金色の光が、ふっと強くなる。
次の瞬間。
ぱあっ!
斧が、柔らかな光に包まれた。
そして。
すっ。
そこから、姿を消した。
…………。
……おお!
無事、返却!
私は、《サーチ》でもう一度確認した。
斧の異常な反応は、消えている。
……ほっ。
よかった。
これで、三本目も神界へ帰ったね。
ただし。
私の仕事は、まだ終わっていない。
……そう。
神様に、お説教しないと!
◇
斧が消えたあとも、祭壇には静かな余韻が残っていた。
四人の枢機卿さんたちは、祈り続けている。
……うん。
邪魔しない方がいいかな。
私は、少しだけ待った。
すると、ケラーさんが顔を上げた。
「……使徒様。まことに素晴らしい光景でございました」
「……ああ。無事に返せて、よかったです」
「ええ。これで、私も四度目の……」
…………。
……あっ。
今、何て言った?
ケラーさんは、自分の言葉に気づいたのか、慌てて咳払いした。
「……いえ。神様のお役に立てたことが、何よりの喜びでございます」
…………。
……うん。
そうだね。
でも。
四回目を数えてたよね!?
隣で、セドリックさんが悔しそうな顔をしている。
「……ケラー殿。今の奉納には我々も立ち会いましたからな!」
「もちろんでございます」
シーリンさんが、微笑んだ。
「これで私たちも、貴重な御役目を分かち合えましたわ」
……ああ。
よかったね。
……ただ。
このあと、もう一つ事件が起きるかもしれない。
私は、深く息を吸った。
「……皆さん。これから神様へ連絡します」
…………。
四人の目が、一斉に輝いた。
「「「「……神様と!?」」」」
…………。
……あっ。
そうなるよね。
私は、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
「……ただし、今日は、少し厳しい話をすると思います」
四人が、真剣に頷いた。
「いかなるお言葉も、ありがたく拝聴いたします!」
…………。
……うーん。
本当に、大丈夫かなぁ。
◇
私は、《映像通話》を開いた。
相手は、もちろんオリミス。
……うん。
さっきの約束、覚えてますよね。
もう、三回目。
いい加減、管理の仕組みをちゃんとしてもらわないと。
画面が、ゆっくり明るくなる。
『……お、おお! リアリス!』
……あっ。
出た。
いつもの丸いおじいさん。
……いやぁ。
何だろう。
神像の立派な姿を見たあとだと、さらに落差を感じるね。
「神様。斧は返しました」
『おお! 確かに戻ってきたぞ!』
神様が、心底ほっとした顔になる。
『いやぁ、助かった! さすがはリアリスじゃ!』
…………。
……うん。
感謝してくれるのは嬉しいよ。
でも。
私は、少しだけ目を細めた。
「……神様」
『……何じゃ?』
「さっきのお話、覚えてます?」
『……うむ! もちろんじゃ!』
「……じゃあ、確認しましょう」
私は、祭壇の前へ一歩進んだ。
四人の枢機卿さんたちは、画面の向こうの神様を見て固まっている。
……うん。
今は、そっとしておこう。
「……今回、斧を落とした理由は?」
『……箱の底が抜けたのじゃ』
「その箱へ、誰が武器を入れたんですか?」
『……わしじゃ』
「その箱は、丈夫かどうか確かめたんですか?」
『……いや……』
「落ちないように、周囲を閉じておいたんですか?」
『……いや……』
…………。
……うん。
想像どおりだね。
「……神様」
『……はい』
「二回目のとき、何て言いました?」
『……管理を改める、と……』
「……それで、今回の結果が?」
『……斧が、一本……』
…………。
…………。
……はぁぁぁ。
私は、思いっきりため息をついた。
……うん。
落ち着こう。
怒るのは、悪いことじゃない。
でも、ちゃんと伝えないと。
◇
「……神様」
『……何じゃ』
「これ、何回目か分かってます?」
『……三回目じゃ』
「そうですね。三回目です」
私は、指を三本立てた。
「一回目は、剣」
『……うむ』
「二回目は、槍」
『……うむ』
「三回目は、斧」
『……う、うむ』
「……全部、神界の武器ですよね?」
『……そうじゃ』
「……全部、ステラへ落ちてるんですよね?」
『……そのとおりじゃ』
…………。
……うん。
もう、言い訳できないよね。
「……神様」
『……はい』
「お前はポンコツか?」
…………。
…………。
…………。
……あっ。
言った。
とうとう、言っちゃった!
でも。
もう、止まらない。
「何で三回も同じことするんだよ!!」
『ひゃあああっ!?』
「二回も説明しただろ! 数を確認しろって! 落ちないようにしろって!」
『……う、うむ!』
「危ない武器なんだから、慎重に扱えって言ったよな!?」
『……そ、そうじゃな!』
「ふざけんな! 毎回毎回、世界に武器を落として、そのたびに私が拾ってるんだぞ!!」
…………。
神様の顔が、みるみる小さくなっていく。
……いや。
画面の中で、縮こまってるだけなんだけど。
「今度はエルフ国の森だった! 木が傷ついて、枝まで折れたんですよ!」
『……そ、そんなことに……』
「そうだよ! 誰かが下にいたら、どうなってたと思う!?」
…………。
神様が、口をつぐんだ。
……うん。
やっと、真剣に聞いてくれたかな。
でも、私はまだ言いたいことがある。
「自分が作った世界だろ!? そこで暮らしてる人たちがいるんだよ!」
私は、思わず拳を握った。
「神様なら、ちゃんと守ってくれよ!!」
…………。
その言葉を口にした瞬間。
胸の奥が、少しだけ苦しくなった。
……ああ。
そうだった。
私は、この神様に《想像魔法》をもらった。
この世界へ転生させてもらった。
カトレアにも、桜花にも、巴さんにも出会えた。
……うん。
感謝してる。
本当に、感謝してるんだ。
だからこそ。
こんなふうに、みんなの暮らしを危険にさらしてほしくない。
◇
『……リアリス』
神様が、静かに口を開いた。
「……何ですか」
『……すまなんだ』
…………。
……あっ。
今度こそ、ちゃんと謝ってくれた。
『……わしが、軽く考えておった』
……うん。
それなら、少しは伝わったかな。
「……分かってくれたなら、いいんです」
私は、ゆっくり息を吐いた。
「でも、次はないと思ってください」
『……うむ』
…………。
……よし。
今度こそ、本当に反省してくれた……。
そう思った、そのときだった。
『……ただ、わしにも、神としての立場があってのう』
…………。
……ん?
『……あまり、みなの前でそのように叱られると……』
…………。
……えっ。
……今、それ言う?
『……威厳というものが……』
…………。
…………。
……あああああ!!
「威厳!? 今さら威厳!?」
『……ひゃっ!?』
「威厳を気にする前に、武器を落とすなぁぁぁ!!」
…………。
私の声が、神殿の高い天井へ響いた。
……あっ。
やばい。
また、神殿で大声を出してしまった。
でも。
もう、どうにも止められない。
「本当に、お前は……!」
私は、言葉を探した。
ポンコツ。
うっかり。
困った神様。
いろいろ浮かぶ。
そして。
「……この、ポンコツ神ぃぃぃ!!」
『ひゃああああっ!?』
…………。
……ああ。
言っちゃった。
完全に、言っちゃった。
……でも。
神様にも、分かってほしいんだ。
何度も同じことを繰り返すのは、駄目だって。
◇
すると。
『……あなた』
…………。
……ん?
画面の向こうから、知らない声が聞こえた。
女性の声。
落ち着いていて、優しそうな声だった。
『……今、何のお話をしているの?』
…………。
神様の顔が、ぴたりと止まった。
……おっ。
どうしたんだろう。
『……あ、ああ! これは、その……』
…………。
……あれ?
神様、さっきより慌ててる。
しかも、画面の外を何度も見ている。
『……お仕事の話じゃ!』
…………。
……おお。
仕事。
……うん。
間違いじゃないかもしれないけど。
ちょっと、言い方が違う気がするなぁ。
『……そう』
女性の声が、静かに答えた。
『……それでは、どうして「ポンコツ神」と呼ばれていたのかしら?』
…………。
…………。
……あっ。
聞かれてた!
神様が、さらに縮こまった。
『……そ、それはのう……』
…………。
……おお。
何だか、すごく怖がってるね。
私は、思わず画面を見つめた。
……誰なんだろう。
◇
画面の向こうで、誰かがゆっくり近づいてきた。
長い金色の髪。
白いワンピース。
穏やかな表情の、綺麗な女性だった。
……おお。
神界にも、こんな人がいるんだね。
女性は、私の顔を見ると優しく微笑んだ。
『……初めまして、リアリスちゃん』
…………。
……えっ。
リアリスちゃん?
……あれ。
その呼び方。
巴さんみたいだね。
「……初めまして」
私は、慌てて頭を下げた。
「リアリスといいます」
『知っているわ。いつも主人がお世話になっているもの』
…………。
…………。
……主人?
…………。
……えっ。
私は、神様を見た。
神様は、石像みたいに固まっている。
……いや。
神殿の像より、ずっと情けない顔なんだけど。
「……あの、もしかして」
『ええ。私はエレサリア。学問を司る神で、オリミスの妻なの』
…………。
…………。
…………。
……えええええ!?
「……神様、奥さんいたんですか!?」
『……お、おるわい!』
……いや。
それは、いるかもしれないけど!
こんなに綺麗で、落ち着いた人が!?
……ああ。
何だか、急に不思議な気分になってきた。
「……初めまして、エレサリアさん」
私は、改めて頭を下げた。
「リアリスです。いつも神様には……」
…………。
……あっ。
何て言えばいいんだろう。
お世話になっています?
……それは、事実。
でも。
落とし物を三回も拾わされてます、って言うのも事実なんだよね。
◇
エレサリアさんは、私の迷いに気づいたのか、優しく首を傾げた。
『……どうしたの?』
「……いえ。その……」
私は、少しだけ神様を見た。
神様が、必死に首を横へ振っている。
…………。
……えっ。
何?
言うな、ってこと?
……ああ。
そういうことか。
私は、にっこり笑った。
「……実はですね、エレサリアさん」
『ええ』
「神様が、三回も神界の武器を落としたんです」
…………。
…………。
…………。
神様の顔が、真っ白になった。
……いや。
もともと白いけど。
『……三回?』
エレサリアさんの声は、穏やかだった。
……うん。
穏やか。
ただし。
目が、まったく笑ってない。
「はい。剣と槍と斧です」
『……そう』
「そのたびに、私がステラで回収して、聖国の神殿から神界へ返していました」
『……まあ』
…………。
……おお。
なんて優しい声。
でも、何だろう。
神様の顔色が、どんどん悪くなってる。
『……あなた』
エレサリアさんが、夫へ向き直った。
『……どうして、私には一度も相談しなかったの?』
『……そ、その……』
『……危険な武器が、ステラへ落ちたのよね?』
『……うむ……』
『……三回も?』
『……う、うむ……』
…………。
……ああ。
これ、完全に怒ってるね。
神様が、とうとう下を向いた。
……うん。
さっきまで威厳を気にしていた人とは、思えない姿だ。
◇
『……リアリスちゃん』
「……はい?」
エレサリアさんが、画面越しに私を見た。
さっきまでの厳しい表情が、少しだけ柔らかくなる。
『……本当に、ごめんなさいね』
…………。
……えっ。
「……いえ、そんな」
『主人が、あなたに何度も迷惑をかけてしまったのね』
…………。
私は、少しだけ言葉に詰まった。
……ああ。
こうして、ちゃんと謝ってもらえると。
怒りが、少しずつ落ち着いてくるね。
「……私のことは、いいんです」
私は、静かに答えた。
「危険な武器が地上へ落ちるのが、心配なんです」
『……ええ。そうよね』
「今回はエルフの人たちが暮らす森でした。少し場所が違ったら、誰かが怪我をしていたかもしれません」
エレサリアさんが、ゆっくり頷いた。
『……それは、許されることではないわ』
…………。
……おお。
分かってくれた。
『主人には、私からもきちんと話をするわ』
…………。
……うん。
その言葉だけで、何だかすごく安心できる。
……いや。
不思議だね。
さっきまで神様に怒鳴ってたのに。
奥さんが出てきただけで、こんなに落ち着くなんて。
『あなた』
『……は、はいっ!』
『あとで、武具の管理状況を全部確認しましょうね』
『……う、うむ……』
『保管場所も、残っている数も、対策が必要なところも』
『……うむ……』
『そして、何を三回も落としたのか、最初から説明してくださいね』
『……は、はい……』
…………。
……おお。
すごい。
これは、逃げられないね。
……いや。
神様、本当に奥さんに弱いんだなぁ。
◇
そのとき、後ろから妙な音が聞こえた。
「……ぐ……」
…………。
……ん?
私は、振り返った。
ケラーさんが、ふらふらと立っている。
その両手は、胸の前で組まれたままだった。
「……ケラーさん?」
「……お、オリミス神様の……」
…………。
……あっ。
何だか、顔色が悪い。
「……奥様……」
…………。
……ああ。
そうだよね。
創造神オリミスの奥様。
しかも、学問の神様。
神様と話すだけでも大事件なのに、今度は女神様まで出てきちゃった。
私は、慌ててケラーさんへ近づいた。
「……大丈夫ですか?」
ケラーさんの目が、ゆっくり上を向いた。
「……女神、エレサリア様……」
…………。
……あっ。
これは、まずいかも。
「……ケラーさん?」
「……ありがた……」
…………。
次の瞬間。
がくっ。
ケラーさんの膝が折れた。
口元には、白い泡まで浮かんでいる。
…………。
…………。
「ケラーさぁぁぁん!?」
私は、慌てて体を支えた。
倒れる前に、そっと床へ横たえる。
《サーチ》で体調を確認する。
……うん!
命に別状はない。
ただ、強い興奮で気を失ったみたい。
……ああ。
よかったぁ。
……いや。
泡まで吹いて倒れるほど、嬉しかったんだね!?
◇
「……ケラー殿!?」
セドリックさんが、慌てて駆け寄ってきた。
グレンさんも、膝をついて様子を確かめている。
シーリンさんは、口元に手を添えていた。
「……なんということでしょう……」
…………。
……うん。
そうだよね。
驚くよね。
ただし。
シーリンさんが見ているのは、倒れたケラーさんじゃなかった。
……あれ。
「……女神エレサリア様まで……」
…………。
……あっ。
そっちだ!
グレンさんが、目を潤ませた。
「……ケラー殿……これで、神様との対面が四度目……そのうえ、女神様まで……」
…………。
……ええっ!?
今、それ数える!?
セドリックさんも、ケラーさんを見つめた。
「……何という幸運の持ち主なのだ……!」
…………。
……いやいやいや!
ケラーさん、倒れてるんですけど!?
私は、思わず声を上げた。
「皆さん! まずは、ケラーさんの心配をしてください!!」
「「「……はっ!」」」
…………。
……ああ。
もう。
この人たち、神様のことになると、とんでもないね。
私は、ケラーさんの呼吸と脈を確認した。
……うん。
大丈夫。
少し休めば、目を覚ますだろう。
安心できるよう、柔らかい寝台を用意して、そっと寝かせた。
桜花も、静かに手伝ってくれる。
……ほっ。
よかった。
……ただ。
私の目の前には、まだ神様と女神様が映っているんだよね。
◇
『……リアリスちゃん』
エレサリアさんが、心配そうに声をかけた。
『……そちらの方は、大丈夫?』
「……はい。少し興奮しすぎたみたいで」
『……そう。よかったわ』
…………。
……うん。
この人、本当に優しいね。
私は、少しだけ笑った。
「ありがとうございます、エレサリアさん」
『こちらこそ。主人が大変な迷惑をかけてしまって……』
「……いえ。きちんと管理していただけるなら、それで十分です」
『ええ。任せてちょうだい』
……うん。
頼もしいなぁ。
すると、画面の端から神様が小さく顔を出した。
『……リアリス』
「……何ですか?」
『……その、わしの威厳が……』
…………。
…………。
……は?
まだ言う!?
私は、思わず眉をひそめた。
「……神様」
『……ひゃいっ』
「今は威厳の話をする場面じゃないでしょう!」
『……う、うむ』
…………。
すると。
『……あなた』
エレサリアさんの声が、少しだけ低くなった。
『……威厳というのは、自分で言い張るものではないわよ』
『……はい……』
…………。
……おお。
一撃だった!
さっきまでの私の長い説教は、何だったんだろう。
『……まずは、きちんと責任を果たしましょうね』
『……はい……』
…………。
……ああ。
すごい。
神様の奥様って、本当にすごいなぁ。
私は、何だか、巴さんのことを思い出した。
……うん。
優しくて。
落ち着いていて。
でも、大切なところでは絶対に譲らない。
……ああ。
そういう人には、誰も勝てないのかもしれないね。
◇
「……エレサリアさん」
『……なあに、リアリスちゃん』
「また何かあったら、ご連絡してもいいですか?」
…………。
神様が、ぎょっとした顔になった。
……あっ。
嫌そうだね。
でも、これは大事なことだと思う。
『……もちろんよ。今度からは主人だけで抱え込まないよう、私も気をつけるわ』
「ありがとうございます」
……うん。
これなら、安心。
……いや。
できれば、もう何も起きてほしくないけど。
エレサリアさんは、優しく微笑んだ。
『……あなたも、無理はしないでね』
「……はい」
『ご家族を大切にしていると聞いているわ』
…………。
……おっ。
知ってるんだ。
「……そうなんです。大切な家族がいるので」
『……ええ。だからこそ、主人のことで休む時間を奪ってしまって、ごめんなさい』
…………。
……ああ。
何だか、申し訳なくなってきちゃう。
「……こちらこそ、さっきは大きな声を出してすみませんでした」
『気にしないで。今回は主人が悪いもの』
…………。
……おお。
はっきり言った!
私は、思わず笑ってしまった。
「……あはは」
エレサリアさんも、微笑んだ。
『それでは、またね。リアリスちゃん』
「はい。失礼します、エレサリアさん」
……うん。
すごく感じのいい人だったなぁ。
……ただし。
最後に、神様の小さな声が聞こえた。
『……あの、エレサリア。もう少し優しく……』
『……あなた?』
『……はいっ!!』
…………。
ぷつん。
通話が終わった。
……ああ。
今度は、逃げるためじゃなくて、奥さんに連れていかれたみたいだね。
……うん。
神様。
頑張ってください。
……いや。
元はといえば、自分が悪いんですけどね!
◇
しばらくすると、ケラーさんが目を覚ました。
「……う……」
…………。
……おっ。
起きた!
「ケラーさん。大丈夫ですか?」
私が声をかけると、ケラーさんはゆっくり瞬きをした。
「……使徒様……?」
「はい。私です」
「……ここは……」
「神殿ですよ。少し気を失っていたんです」
…………。
ケラーさんが、ゆっくり天井を見上げた。
そして。
「……女神様は……?」
…………。
……あっ。
第一声が、それなんだ。
「もう、お話は終わりました」
私が答えると、ケラーさんは少しだけ目を閉じた。
「……そう、ですか……」
……うん。
残念そうだね。
でも、体調が戻ってくれてよかった。
「無理しないでくださいね。もう少し休んでいてもいいんですよ」
ケラーさんは、静かに首を振った。
「……いえ。あれほどの御姿を拝したあとに、休んでなどいられません」
…………。
……いやいや。
休んでください!
すると、ケラーさんは、隣の三人へ向き直った。
「……皆様」
「……ケラー殿」
「……私は、女神エレサリア様とも、お目にかかってしまいました」
…………。
…………。
……あっ。
早速、自慢するんだ!?
グレンさんが、震える声で答えた。
「……わしらも、拝しましたぞ」
「……ええ。そうでしたな」
…………。
……うん。
よかったね。
みんな、同じ場にいたもんね。
でも。
ケラーさんは、しばらく考えてから続けた。
「……ただ、私には女神様がご心配くださったという事実が……」
…………。
……えっ。
それまで自慢!?
シーリンさんが、微笑んだ。
「まあ。ケラー様。次は私にも、そのような幸運が巡るよう祈らなくては」
セドリックさんが、強く頷く。
「……次の奉納の際には、ぜひ私が祭壇の案内を!」
…………。
……あああ。
まだ、次を期待してる!
私は、とうとう頭を抱えた。
「皆さん! 次の奉納なんて、ない方がいいんですよ!?」
…………。
四人が、私を見つめた。
…………。
……うん。
気持ちは分かる。
分かるんだけどね。
神様の落とし物が増えるのを、楽しみにしないでください!
◇
神殿を出る前に、私はもう一度オリミスの神像を見上げた。
……うん。
立派な像だ。
優しい顔。
堂々とした立ち姿。
信者さんたちが心を込めて作ったんだろうね。
……ああ。
何度見ても、本人とは少し違う気がするけど。
……いや。
今日の私は、もう十分言った。
ポンコツ神。
ふざけんな。
……うん。
正直、かなり怒ったね。
でも、神様は私の恩人でもある。
この世界へ連れてきて、《想像魔法》をくれた。
だからこそ、ちゃんとしてほしいんだ。
……うん。
石像へ八つ当たりしても、仕方ない。
私は、神像から目を離した。
「……桜花。帰ろうか」
「はい、リアリス様」
……ああ。
今日は、本当に疲れたなぁ。
でも。
エレサリアさんが出てきてくれたおかげで、少しだけ気持ちが軽くなった。
……うん。
今度こそ、終わったはずだ。
……はず。
…………。
……いや。
この『はず』が、ちょっと不安なんだけど。
◇
王国邸へ戻ると、カトレアが玄関まで走ってきた。
「……お父さん!」
「ただいま!」
私は、しゃがんでカトレアを抱きしめた。
……ああ。
やっぱり、いいね。
家に帰って、この笑顔を見る。
それだけで、疲れが少し消えるんだ。
「……おとしもの、あった?」
「うん。ちゃんと見つけて、返してきたよ」
「……よかった!」
カトレアが、にっこり笑った。
……ああ。
本当に、優しい子だね。
「……かみさま、こんどは、おかたづけできる?」
…………。
……あっ。
その質問。
……うーん。
「今度は、奥さんが手伝ってくれるみたいだからね」
「……おくさん?」
「うん。神様の奥さん」
カトレアが、目を丸くした。
「……かみさまにも、おくさん?」
「そうなんだって」
…………。
……うん。
私も、今日知ったんだけどね。
「……やさしいひと?」
「うん。とても優しい人だったよ」
カトレアが、嬉しそうに頷いた。
「……よかった!」
……うん。
そうだね。
あの人がいてくれるなら、きっと大丈夫。
……たぶん。
◇
食堂では、巴さんが温かい夕食を用意してくれていた。
「お帰りなさい、リアリスちゃん」
「ただいま、巴さん」
「今日は、ずいぶん遅かったわね」
「……うん。いろいろあって」
私は、席へ座った。
桜花も、隣に控えている。
「今日は、神様の奥さんに会ったんだ」
「……まあ」
巴さんが、少し驚いた顔になった。
「神様にも、奥様がいらっしゃるのね」
「うん。エレサリアさんっていう、学問の神様なんだって」
「……そうなの」
「とても優しい人だったよ」
巴さんが、嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、よかったわね」
「……うん」
私は、少し考えた。
そして。
「……でも、神様には、すごく厳しかった」
…………。
巴さんが、静かに微笑んだ。
「ふふ。何度も危ないものを落としたんでしょう? それは、奥様も心配なさるわ」
…………。
……おお。
なるほど。
そういう考え方なんだね。
「……うん。確かに、そうかも」
私は、頷いた。
……ああ。
巴さんとエレサリアさん。
何だか、少し似ている気がする。
どちらも、普段は優しい。
でも、大切な人が間違ったことをしたら、ちゃんと注意する。
……うん。
やっぱり、家族ってそういうものだよね。
私は、カトレアへ目を向けた。
「カトレアも、何か困ったことがあったら、ちゃんと教えてね」
「……うん!」
……ああ。
大切な家族だからこそ。
言いにくいことも、ちゃんと伝えないといけないんだ。
◇
夕食を終えると、私は食堂で少しだけ休んだ。
桜花が、温かいお茶を注いでくれる。
「リアリス様。今日は、いろいろございましたね」
「……うん。本当にね」
私は、小さく笑った。
「神様の斧を拾って、返して、怒って……」
……うん。
今までにないくらい、怒ったかもしれない。
「それから、神様の奥さんに会って」
「はい」
「……ケラーさんが泡を吹いて倒れて」
…………。
……あっ。
そこを思い出すと、ちょっと笑っちゃうな。
「……あはは」
桜花も、小さく微笑んだ。
「皆様にとって、忘れがたい一日になったようでございます」
「そうだね」
……うん。
特にケラーさんは、もう一生分の幸運を使い果たしたんじゃないかな。
……いや。
本人は、まだまだ神様と話したいみたいだったけど。
私は、お茶を一口飲んだ。
……ああ。
落ち着くなぁ。
家に帰れば、こうしていつもの日常がある。
だからこそ、神様にも分かってほしい。
この世界の人たちにも、それぞれ大切な日常があるんだって。
◇
夜。
私は、窓から静かな星空を眺めていた。
今日も、綺麗な星が見える。
……うん。
三回目の落とし物。
エルフ国のリルフィア。
金色の斧。
神殿での枢機卿さんたちの大騒ぎ。
そして、エレサリアさん。
……ああ。
本当に、いろいろあったね。
私は、深く息を吐いた。
……うん。
神様は、ちゃんと反省してくれるだろうか。
今度は、奥さんが管理状況を確認してくれると言っていた。
だから、きっと大丈夫。
……そう思いたい。
私は、さっきの神様の顔を思い出した。
『……わしの威厳が……』
…………。
……いや。
そこじゃないんだよなぁ。
威厳なんて、あとでいい。
まず、落とし物をしないでください。
……うん。
私は、カーテンへ手を伸ばした。
そのとき。
ふと、神殿の神像の顔が浮かんだ。
あの、立派な笑顔。
……何だか、少しだけ腹が立つ。
……いやいや。
神像は悪くない。
そう。
悪いのは、あくまで神様本人。
……うん。
そこは、ちゃんと分けて考えよう。
私は、カーテンを閉めた。
……さて。
明日こそ、カトレアとゆっくり過ごそう。
巴さんのご飯を食べて。
桜花とお茶を飲んで。
……ああ。
それが、一番いいね。
ただし。
私は、まだ知らなかった。
あれほど怒られ、奥様まで登場したというのに。
あのポンコツ神が、まだ、とんでもないものを落としてしまうことを。
――三度目の落とし物は、無事に返却。そして創造神は、ついに奥様に見つかってしまった。




