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第2話:管理体制の問題だよ!

 三日後。


 シルク王国邸の庭に、朝の光が差し込んでいた。


「お父さん、見て!」


 花壇の前で、カトレアが嬉しそうに手を振っている。


「ん? どうしたの?」


「……このお花、また咲いた!」


 私は、カトレアの隣へしゃがんだ。


 ……おお。


 本当だ。


 ローズ帝国のフォレイクで買ってきた紫色の花が、小さな花をもう一つ増やしていた。


「元気に育ってるね」


「……うん!」


 カトレアは、にこにこと花を眺めている。


 ……ああ。


 平和だねぇ。


 人間と魔族の和平が成立して。


 ドルステン魔国にも家ができて。


 朝顔という新しい家族も増えた。


 そして、そのあと。


 神様が神界の剣を落とした。


 …………。


 ……いや。


 最後の一つだけ、おかしくない?


 でも、それも三日前の話。


 無事に回収して、神殿から返却した。


 神様も、もうしないと約束してくれた。


 ……うん。


 今度こそ、落ち着いた日常が戻ってきたんだ。


「お父さん。今日は、何する?」


「そうだねぇ。お昼を食べたら、みんなでお茶にしようか」


「……おかしも?」


「もちろん!」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなる。


 ……うん。


 私は、こういう時間が好きだ。


 世界を変えるような大事件なんて、毎日なくてもいい。


 大切な家族と、庭で花を眺められる。


 それで、十分幸せなんだよね。


     ◇


 食堂へ戻ると、巴さんが温かいお茶を用意してくれていた。


「お帰りなさい、リアリスちゃん。カトレアちゃん」


「ただいま!」


「……お花、咲いたよ!」


「あら、それはよかったわね」


 巴さんが、優しく微笑む。


 その隣では、桜花が朝食の片づけを手伝っていた。


「リアリス様。お茶をどうぞ」


「ありがとう、桜花」


 ……ああ。


 いいね。


 いつもの家族。


 いつもの食堂。


 いつものお茶。


「リアリスちゃん」


「はい?」


「今日は、少しはゆっくりできそう?」


「うん! 今日は何も予定がないからね!」


 私は、元気に答えた。


「神様からの呼び出しだって、もうないはずだし!」


 …………。


 言った瞬間。


 ふわっ。


 目の前に、淡い光の板が浮かび上がった。


『着信:オリミス』


 …………。


 …………。


 …………。


 ……えっ。


 ……今、何か、嫌なものが見えたような。


「……リアリスちゃん?」


 巴さんが、不思議そうに首を傾げる。


 カトレアも、私を見上げた。


「……お父さん?」


 …………。


 ……いや。


 まだ決まったわけじゃない。


 神様だって、ただ挨拶したくなったのかもしれない。


 私がこの前お世話したお礼とか。


 ……うん。


 きっと、そうだよね。


 私は、気持ちを落ち着けて通話に出た。


「……おはようございます、神様」


『……お、おお! リアリス!』


 …………。


 ……あっ。


 この声。


 前と同じだ。


 嫌な予感しかしない。


     ◇


 画面の向こうには、創造神オリミス。


 ……うん。


 見慣れた姿だね。


 ただし、今日も妙に落ち着きがない。


 目を泳がせている。


 何度も後ろを気にしている。


 ……ああ。


 神様。


 その反応、もう覚えましたよ。


「……神様」


『……何じゃ?』


「三日前、何て言ったか覚えてます?」


『……三日前?』


「剣を返したときです」


『……お、おお! もちろんじゃ!』


「じゃあ、何て言いました?」


『そなたのおかげで助かった、と……』


「そこじゃありません」


『……む?』


「次からは気をつける、って約束しましたよね?」


 …………。


 神様の口が、ぴたりと止まった。


 ……うん。


 これは、まさか。


「……神様」


『……はい』


「……また、何か落としたんですか?」


 …………。


 …………。


 …………。


『……うむ』


 …………。


 …………。


 ……は?


「……またですか!?」


『ひゃいっ!?』


 私は、思わず椅子から立ち上がった。


 ……あああ。


 やっぱり!


 やっぱり、また落としたんだ!


「三日ですよ!?」


『……う、うむ』


「三日前に注意したばかりですよ!?」


『……そうじゃな』


「反省の期間、短すぎません!?」


 …………。


 神様が、しゅんと肩を落とした。


 ……いやいや。


 肩を落とすのは、こっちですよ!


 私は、額へ手を当てた。


 ……はぁ。


 まったく。


 どうして、こうなるかなぁ。


     ◇


「……今度は何を落としたんですか?」


 私は、できるだけ穏やかに尋ねた。


『……槍じゃ』


「……槍?」


『……うむ。神界の槍じゃ』


 …………。


 ……ああ。


 また武器だよ!


「……神様」


『……何じゃ?』


「そもそも、どうしてそんなに武器を持ち歩いてるんですか?」


『……いや、深い事情があってのう』


 …………。


 ……おっ。


 深い事情。


 神様にしか分からない仕事があるのかもしれない。


 世界を守るための点検とか。


 ほかの神々との大事な相談とか。


 ……うん。


 そういう理由なら、まだ納得できるかな。


「……聞きます」


『……この前、そなたに叱られたじゃろう?』


「はい」


『それで、武器をきちんと片づけようと思ったのじゃ』


 ……おお。


 そこは、偉い。


 反省して、ちゃんと片づけようとしたんだ。


「それで?」


『……棚を整理しておったら、槍が手からするりと……』


 …………。


 …………。


 ……えっ。


「……まさか」


『……落ちたのじゃ』


 …………。


 …………。


 …………。


「片づけようとして、また落としたんですか!?」


『……そうなるのう』


 ……あああああ!


 何それ!


 片づけようとしたのはいい。


 そこは、褒められる。


 でも、その結果として神界の槍を地上へ落としてたら、意味がないよ!


「……神様!」


『は、はい!』


「神界って、棚から物を落とすとステラまで落ちるんですか!?」


『……武具を管理しておる辺りは、少しつながりやすくてのう』


 …………。


 ……ちょっと待って。


 そんな危険な場所に、武器の棚があるの?


「だったら、その場所を変えてください!」


『……むむ』


「扉を閉めるとか! 落下防止の柵をつけるとか!」


『……ふむふむ』


「手元が滑っても、外へ出ない仕組みにしてください!」


『……なるほどのう』


 …………。


 ……あれ。


 神様、感心してる?


 そこって、感心するところなのかな。


「神様。これは、ただのうっかりじゃありませんよ」


『……うむ?』


 私は、画面をまっすぐ見た。


「管理体制の問題だよ!」


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 つい、敬語が抜けた。


 でも!


 これだけは、ちゃんと言いたい!


     ◇


「……か、管理体制とな?」


「そうです!」


 私は、指を一本立てた。


「大切なものは決まった場所へしまう!」


『……うむ』


「誰が持ち出したのか、分かるようにしておく!」


『……ふむ』


「使う前とあとで、数を確認する!」


『……ほう』


「落としてもステラへ行かないようにする!」


『……なるほどのう』


 …………。


 ……うん。


 ちゃんと聞いてるみたい。


「……神様」


『……何じゃ?』


「今、武器が全部で何本あるか分かってます?」


『……えっ』


 …………。


 ……えっ?


「……分かってますよね?」


『……そ、それはもちろん……』


「……何本ですか?」


『……ええと……』


 …………。


 長い沈黙。


 ……ああ。


 もう、答えが分かった気がする。


『……あとで、数えるのじゃ』


 …………。


 …………。


「今、数えてください!!」


『ひゃあっ!?』


 ……あああ。


 もう!


 神様、世界を作ったんですよね!?


 そんなすごいことができるなら、武器の数くらい把握してくださいよ!


「……それと、ひとりで適当に片づけないでください」


『……むむ』


「詳しい人に管理してもらうとか、確認する人を増やすとか、方法はいくらでもあるでしょう?」


『……ふむ。そうかもしれぬのう』


 ……うん。


 神様に物の管理を教える日が来るとは思わなかった。


 それも、二度目の落とし物で。


 ……いや。


 私、いったい何をしてるんだろう。


     ◇


「……お父さん?」


 小さな声が、すぐ隣から聞こえた。


 私は、はっとして振り返った。


 カトレアが、心配そうにこちらを見ている。


 ……ああ。


 しまった。


 朝から、大きな声を出しちゃったね。


「ごめんね、カトレア。びっくりした?」


「……うん」


 私は、椅子へ座り直した。


 ……うん。


 娘の前で怒鳴り続けるのはよくない。


 カトレアは、少し考えてから言った。


「……かみさま、また、なくしたの?」


「……うん。そうみたい」


「……おかたづけ、しなかったの?」


 …………。


 ……あっ。


 鋭い。


「……片づけてる途中で、落としたらしいよ」


 カトレアは、目を丸くした。


 それから、とても真剣な顔になる。


「……たいせつなものは、おかたづけ、だよ?」


 …………。


 …………。


 ……うん!


 そのとおり!


 私は、画面を見た。


「……神様。聞こえました?」


『……うむ』


「カトレアでも、ちゃんと知ってることですよ」


『……う、うむ……』


 神様が、ますます小さくなった。


 ……おお。


 娘の正論は、さすがに効いたらしい。


 巴さんが、カトレアの頭を優しく撫でた。


「そうね。使ったものは、ちゃんと片づけないといけないわね」


「……うん!」


 ……うん。


 巴さんが言うと、不思議と説得力が増すね。


 ああ。


 神様。


 巴さんが画面の向こう側にいなくて、よかったですね。


 ……いや。


 見えてるかもしれないけど。


     ◇


「……それで、神様」


『……何じゃ?』


「落とした場所は、分かるんですか?」


『シルク王国の西の方じゃ』


 ……おっ。


 今度は王国なんだね。


「具体的には?」


『……フェルザの近くじゃな』


 ……ああ。


 フェルザ。


 王国西部の山岳地帯にある町だね。


 鉱石や金属加工が盛んなところだったかな。


「……で、フェルザのどこですか?」


『……山じゃ』


 …………。


 ……あっ。


 また、それ。


「山の、どこですか?」


『……山の辺りじゃ』


 …………。


 …………。


「山は広いんですよ!?」


『す、すまぬ!』


 ……ああ。


 もう。


 前も似たようなやり取りをした気がするなぁ。


「槍の特徴を教えてください」


『銀色の柄で、穂先が青く光る槍じゃ』


「普通の人が触れても大丈夫ですか?」


『……あまり勧められぬのう』


「……危ないんですよね?」


『……うむ』


 ……うん。


 それなら、すぐ行かないと。


「分かりました。見つけてきます」


『おお! 助かるぞ、リアリス!』


 ……あっ。


 嬉しそうだね。


 でも、今度はそこで終わらせない。


「回収したあと、ちゃんと話の続きをしましょうね?」


『……う、うむ』


「逃げちゃ駄目ですよ」


『……わ、分かっておる!』


 ……うん。


 本当かなぁ。


 私は、少しだけ不安になった。


     ◇


 通話が終わると、食堂に静けさが戻った。


 ……ああ。


 どっと疲れた。


「リアリスちゃん」


 巴さんが、お茶を差し出してくれた。


「……はい」


「まずは、温かいものを飲んで落ち着きましょうね」


 ……うん。


 ありがとう。


 私は、お茶を一口飲んだ。


 ……ああ。


 おいしい。


 こういうとき、巴さんの淹れてくれたお茶は本当に助かる。


「……もう一度、探しに行ってきます」


 私が言うと、桜花が静かに頷いた。


「ご同行いたします」


「ありがとう、桜花」


 ただし、今回は。


「カトレア。今日は巴さんとお留守番しててくれる?」


「……お出かけ、しない?」


「うん。今度は山の中だからね。危険なものを拾ったら、すぐに戻ってくるよ」


 ……うん。


 この前は、フォレイクの湖を観光できた。


 でも、今日は採掘場の近くかもしれない。


 無理に連れていくような場所じゃないね。


 巴さんが、カトレアへ微笑んだ。


「じゃあ、私と一緒にお菓子を作りましょうか」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなった。


「……うん!」


 ……ああ。


 さすが、巴さん!


「カトレア。すぐ帰ってくるからね」


「……うん。お父さん、気をつけて!」


「ありがとう!」


 私は、その頭を撫でた。


 ……うん。


 今度こそ、さっさと終わらせよう。


     ◇


 出発前に《サーチ》を使った。


 王国西部。


 山岳地帯。


 町フェルザ。


 岩の多い山と、その麓にある採掘場。


 ……うん。


 まず、神様の武器らしい反応を探そう。


 普通の魔法とは違う、神界の力。


 この前の剣を見たから、ある程度は想像できる。


 ……よし。


 私は、少しずつ探索の範囲を広げていった。


 山道。


 人のいる場所。


 鉱石を掘っている場所。


 ……おっ。


 見つけた。


 銀色の長いもの。


 青い光。


 しかも、普通の魔道具とは比較にならない力がある。


 ……うん。


 たぶん、これだね。


 場所は、フェルザの採掘場から少し離れた斜面。


 人通りの少ない岩場だ。


 ……ただし。


 少し下には、鉱山で働く人たちがいる。


 …………。


 ……ああ。


 危なかったなぁ。


 もう少し場所が違っていたら、誰かに当たっていたかもしれない。


「桜花。見つかったよ」


「はい。どちらでございますか?」


「フェルザの山。作業場の近くみたい」


 私は、少し考えた。


「まず、人のいない場所へ《転移》して、現地を確認しよう」


「承知いたしました」


 ……うん。


 神様のミスだからといって、私まで適当にやるわけにはいかない。


 ちゃんと、安全第一だね。


     ◇


 私たちが現れたのは、フェルザ近郊の山の中腹だった。


 岩の間を、冷たい風が通り抜けていく。


 遠くからは、鉱石を掘る音が聞こえた。


 かん、かん。


 ……おお。


 あっちで作業してるんだね。


 私は、少し興味を引かれた。


 ……いや。


 今は観光してる場合じゃない。


 目の前にあるのは、神様の落とし物だ。


「リアリス様」


 桜花が、斜面の先を示した。


「……あちらでございましょうか」


「うん。あれだね」


 そこには、一本の長い槍があった。


 銀色の柄。


 青白く光る穂先。


 岩の割れ目へ、斜めに突き刺さっている。


 ……おお。


 なかなか立派な槍だね。


 前の剣とは、また違った美しさがある。


 ……でも。


 周囲の岩が、少し砕けていた。


 しかも、槍の近くで砂がふわふわ浮き上がっている。


 …………。


 ……ん?


 何だろう。


 普通の槍なら、こんなことにはならないよね。


 ……うん。


 やっぱり、神界の品物は危ないんだ。


「桜花。少し離れていてね」


「はい。お気をつけくださいませ」


 ……うん。


 まずは、安全確認だ。


     ◇


 私は、槍の周囲を《サーチ》で詳しく調べた。


 岩。


 地面。


 空気。


 それから、槍そのもの。


 ……うん。


 槍からは、まだ強い力が漏れている。


 でも、今すぐ爆発するような反応ではない。


 少し安心した。


 ただ、槍が刺さった場所から、岩に細いひびが広がっている。


 ……ああ。


 これは、放っておけないね。


 私は、先に周囲へ《結界》を設定した。


 誰かが近づいても危険な場所へ踏み込まないように。


 そして、槍から漏れる力が周りへ広がらないように。


 ……うん。


 これなら、ひとまず大丈夫。


 私は、槍の手前へ歩み寄った。


 ……あれ。


 穂先が、少し青く光った。


 岩に触れた部分から、小さな石が浮き上がる。


 ……うーん。


 神様。


 こんなものを、片づけ中に落としたんですか?


 ……いや。


 本当に、誰も怪我しなくてよかった。


 私は、改めて思った。


 怒るのは当然。


 これは、世界の安全に関わることなんだ。


     ◇


「……よし」


 私は、岩の状態を思い浮かべた。


 槍だけを抜き取り、周りの岩は崩れないようにする。


 それなら、採掘場へ影響が出ることもない。


 ……うん。


 準備できた。


 私は、そっと槍の柄に手を伸ばした。


 ……おお。


 触れられた。


 ただ、少しだけ抵抗がある。


 前に拾った剣より、深く刺さっているみたい。


 私は、もう少し力を込めた。


 すると。


 すっ。


 槍が、岩の間から抜けた。


 …………。


 ……おお!


 取れた!


 その瞬間、周囲で浮いていた細かな砂が、ぱらぱらと地面へ落ちた。


 青い光も、少し弱くなったように見える。


 ……うん。


 もう、地面へ力が伝わっていないのかな。


 私は、槍を振り回さないよう注意して《収納》へ入れた。


 ……よし!


 回収完了!


 でも、まだ終わりじゃないね。


 槍が刺さっていた岩場には、深い傷がある。


 採掘場へ続く小道にも、小石が転がっていた。


 ……うん。


 ここも、ちゃんと片づけよう。


     ◇


 私は、傷んだ岩場を元の安定した状態へ戻した。


 ただし、鉱山の地形をむやみに変えないように。


 鉱石のある場所や、作業に使っている道はそのまま残す。


 ……うん。


 勝手に工事をしたら、現地の人が困るかもしれないからね。


 私は、最後にもう一度《サーチ》を使った。


 ほかに神界の品物の反応はない。


 山の斜面も安定している。


 近くで働く人たちにも、怪我はない。


 ……ほっ。


 よかったぁ。


「桜花。終わったよ」


「お疲れさまでございます、リアリス様」


 桜花が、静かに微笑んだ。


「……ありがとう」


 ……うん。


 これで、安心して帰れる。


 そう思った、そのとき。


「……おーい! そこの二人!」


 少し下の山道から、男性の声が聞こえた。


 ……おっ。


 誰か来たみたい。


 振り向くと、作業着姿の男性がこちらへ近づいてきた。


 手には、小さな道具袋。


 ……うん。


 採掘場で働いてる人かな。


「こんにちは!」


 私は、先に挨拶した。


 男性は、少し不思議そうに私たちを見た。


     ◇


「……あんたら、こんなところで何してる?」


 ……あっ。


 そりゃ、怪しまれるよね。


 山の中で、知らない人間が二人立ってるんだから。


「ちょっと、落とし物を探しに来てたんです」


「……落とし物?」


「はい。もう見つかったので、帰るところです」


 男性が、岩場の方へ目を向けた。


「……そうか。昨夜、変な光が見えたんだよな」


 …………。


 ……おっ。


 気づいてたんだ。


「変な光、ですか?」


「ああ。山の上の方が一瞬、青く光ってな。何か落ちたんじゃないかって話になってた」


 ……うん。


 たぶん、神様の槍だ。


 私は、少しだけ申し訳ない気持ちになった。


「……それで、何か被害はありました?」


「今のところはな。みんな無事だし、作業もできてる」


 …………。


 ……ああ。


 本当によかった。


「でも、あんたらも気をつけろよ。ここは岩が崩れやすいところもあるからな」


「ありがとうございます」


 私は、深く頭を下げた。


 男性は、少しだけ笑った。


「……気をつけて帰れよ!」


「はい!」


 男性が山道を戻っていく。


 私は、その背中を見送った。


 ……うん。


 普通に働いている人だ。


 毎日、山で仕事をして。


 家へ帰って、ご飯を食べて。


 きっと、家族と暮らしてるんだろうね。


 そういう日常が、神様のうっかりで壊れてしまうかもしれなかった。


 ……ああ。


 やっぱり、ちゃんと叱ろう。


 今度こそ、絶対に分かってもらわないと。


     ◇


 私と桜花は、人目につかない場所へ移動した。


「……さて」


 私は、空を見上げる。


 青い空には、白い雲がゆっくり流れていた。


 ……うん。


 何も落ちてこない、普通の空だ。


 本来、それが当たり前なんだけどね。


「桜花。次は聖国へ行こう」


「はい」


「ケラーさんに連絡するね」


 私は、《映像通話》を開いた。


 ……うん。


 前は、ケラーさんが立ち会ってくれたおかげで、無事に奉納できた。


 今回もお願いしよう。


 ただ。


 ……何て説明すればいいんだろう。


 「この前の剣に続いて、今度は槍を拾いました」


 …………。


 うーん。


 そんな報告、普通はしないよね。


 でも、事実だし仕方ない。


 私は、通話がつながるのを待った。


     ◇


『……使徒様!』


 画面に、ケラーさんの顔が映った。


 相変わらず、丁寧な人だね。


「こんにちは、ケラーさん」


『ようこそ、お声がけくださいました』


「実は、またお願いがありまして……」


『何なりと、お申しつけください』


 …………。


 ……ああ。


 言いづらいなぁ。


 でも、言うしかない。


「……また、神界の武器が落ちてきたんです」


 …………。


 画面の向こうで、ケラーさんが固まった。


『……また、でございますか?』


「……はい。今度は槍です」


 …………。


 長い沈黙。


 ……うん。


 そりゃ、そうなるよね。


 神様のことを信じているケラーさんには、衝撃的な話だろうな。


 私が、そう思っていると。


『……なんと……!』


 ケラーさんの目に、涙が浮かんだ。


 ……えっ。


『再び、神界の御品をお返しする大切な御役目に、立ち会わせていただけるとは……!』


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 そこ!?


「……あの、ケラーさん?」


『ありがたいことでございます……!』


 …………。


 ……おお。


 この人、本当にすごい。


 神様が二度も落とし物をしたという話で、信仰が強まってる気がする。


 ……いや。


 それは、それでいいんだけどね。


「今から神殿へ伺っても大丈夫ですか?」


『もちろんでございます。神像の前をご用意してお待ちしております』


「ありがとうございます!」


 ……うん。


 話が早いのは、ありがたいね。


     ◇


 聖都オリミシアへ着くと、ケラーさんが神殿の入口で迎えてくれた。


「使徒様。お待ちしておりました」


「こんにちは、ケラーさん」


 桜花も、静かに頭を下げる。


 ……うん。


 こうして迎えてもらえるのは嬉しい。


 でも。


 ケラーさん、何だか少し嬉しそうだね。


 ……いや。


 神様の武器が戻るのが嬉しいんだろう。


 私は、念のため確認した。


「ケラーさん。今回のことも、あまり広めないでくださいね」


「承知しております。必要な者にのみ、お伝えいたします」


「あと、武器には絶対に触らないようにしてください」


「はい。かしこまりました」


 ……うん。


 しっかりしてる。


 ……ああ。


 この人が神界の武器を管理した方が安全なんじゃないかな。


 …………。


 いや。


 さすがに、それは神様に失礼かな。


 でも、思っちゃうよね。


     ◇


 神殿の奥にある祭壇には、オリミスの神像が立っていた。


 白い石の、立派な像。


 穏やかな表情。


 威厳のある姿。


 ……うん。


 何度見ても、本人よりずっと落ち着いて見える。


 ……いや。


 それを口に出すのは、やめておこう。


 ケラーさんが、神像へ向かって祈りを捧げた。


 私は、静かに待つ。


 桜花も、少し後ろで見守っていた。


 ……うん。


 神様は少し困ったところがあるけど、ここはケラーさんたちにとって大切な場所なんだ。


 邪魔しないようにしよう。


「……使徒様」


 祈りを終えたケラーさんが、私へ向き直った。


「準備が整いました」


「ありがとうございます」


 私は、祭壇の前へ進んだ。


「それでは、出しますね」


 《収納》から、銀色の槍を取り出す。


 青く光る穂先。


 長い柄。


 ……うん。


 前の剣より、ちょっと大きいね。


 祭壇の上に置くには、位置を考えないと。


 私は、穂先が台からはみ出さないように調整した。


 もちろん、周囲には安全のための《結界》を設けておく。


 ……よし。


 これで、いいかな。


     ◇


「……なんと、美しい……」


 ケラーさんが、槍を見つめて呟いた。


「神界の御品とは、かくも清らかな光を宿すものなのですね……」


 ……うん。


 確かに綺麗だね。


 穂先が青く光って、何だか幻想的だ。


 ただし、私は実際に山で拾ったところを見ている。


 岩に突き刺さって。


 周囲の砂が浮かび上がって。


 山道へ石が散らばってた。


 ……うーん。


 それを考えると、あまり綺麗な思い出ではないね。


「……使徒様」


「はい?」


「今回も、オリミス神様の御許へお返しするのですね」


「はい。そう頼まれてます」


 ケラーさんが、深く頷いた。


 ……うん。


 きっと、もう返し方は分かる。


 前の剣と同じように、神像の前で返す意思を示して、少し待つ。


 ……よし。


 私は、槍の前に立った。


「……神様。落とし物、返しますね」


 …………。


 少しの沈黙。


 ふわり。


 槍の周囲に、青白い光が集まった。


 ……おっ。


 今度は、すぐに反応した!


 槍が、祭壇の上からゆっくり浮かび上がる。


 ケラーさんが、息を呑んだ。


「……おお……!」


 光が少しずつ強くなり。


 次の瞬間。


 ぱあっ!


 槍が、青い光に包まれた。


 そして。


 ……すっ。


 姿を消した。


 …………。


 ……おお!


 今度こそ、ちゃんと戻ったね!


 私は《サーチ》で確認した。


 槍の反応は、もうない。


 ……うん。


 無事、神界へ帰ったみたい。


     ◇


「……神界の御品が、再び御許へ……」


 ケラーさんは、涙を浮かべて神像を見つめていた。


 ……ああ。


 感動してるんだね。


 私も、回収したものを返せたのは嬉しい。


 ただし。


 ……うん。


 今回は、それだけじゃ終われない。


 私は《映像通話》を開いた。


 オリミス本人へ、連絡する。


 ……さあ。


 今度こそ、きちんと話を聞いてもらおう。


 少しすると、画面が明るくなった。


『おお! リアリス!』


 ……あっ。


 いつもの、おじいさん。


「神様。槍は返しましたよ」


『おおお! ちゃんと戻ってきておる!』


 …………。


 神様の顔が、ぱっと明るくなる。


『助かったぞ、リアリス! さすがじゃ!』


 ……うん。


 感謝してくれるのは、嬉しいよ。


 でも。


「……神様」


『……何じゃ?』


「今朝の話、覚えてます?」


『……うむ! もちろんじゃ!』


 ……うん。


 それなら、聞こう。


「今回、槍を落とした原因は?」


『……棚を片づけていて、手が滑ったのじゃ』


「三日前に剣を落とした原因は?」


『……手が滑ったのじゃ』


 …………。


 ……うん。


 両方とも、手が滑った。


「それで。落ちないように、何か対策したんですか?」


『……ええと』


 …………。


 ……あっ。


 嫌な間があった。


『……これから、するところじゃ』


 …………。


 …………。


「……これから?」


『……うむ』


「まだ何もしてないんですか!?」


『……そうなるのう』


 …………。


 ……ああああ!


「それじゃ、また落としますよね!?」


『ひゃいっ!?』


 私は、思わず声を上げた。


 ……もう。


 何で、そうなるかなぁ。


     ◇


「神様! 私、今朝言いましたよね!?」


『……う、うむ』


「武器を数えて! 危ない場所から移して! 落ちない仕組みを作って!」


『……そ、そうじゃった』


 ……いや。


 もう忘れてたの!?


「本当に、お願いします」


 私は、少しだけ声を落とした。


「今回はフェルザの鉱山の近くだったんです」


『……そうであったか』


「下には、働いている人たちがいました。もし落ちた場所が違っていたら、誰かが大怪我してたかもしれません」


 神様が、ゆっくり真面目な顔になった。


『……うむ』


「みんな、普通に暮らしてるんです。家族と一緒に、ご飯を食べて、お仕事をして……」


 ……うん。


 あの山道で会った男性の顔が浮かぶ。


 普通の人。


 毎日、山で働いている人。


「神様だって、その人たちが暮らす世界を作ったんでしょう?」


『……そうじゃな』


「だったら、その人たちの安全も考えてください」


 …………。


 少しの沈黙。


 神様が、ゆっくり頷いた。


『……そなたの言うとおりじゃ』


 ……おっ。


 今度こそ、伝わったかな。


 私は、小さく息をついた。


「……反省してるなら、いいんです」


『……うむ。すまなんだ』


 ……ああ。


 ちゃんと謝ってくれた。


 私は、少しだけ安心した。


     ◇


『……リアリス』


「……はい?」


『そなたには、いつも世話になっておるのう』


 …………。


 ……おっ。


 何だろう。


 神様が、少し真面目な顔をしている。


『そなたが来てから、わしは何度も助けられておる』


 ……うん。


 ……そうだね。


 それは、私も思う。


 でも。


『今回も、感謝しておるぞ』


 …………。


 ……ああ。


 そう言ってもらえるなら、嬉しいな。


「……分かってもらえたなら、いいんです」


 私は、少しだけ笑った。


「ただ、今度こそ同じことを繰り返さないでくださいね」


『うむ!』


 神様が、大きく頷いた。


 ……うん。


 これなら、きっと大丈夫。


 ……いや。


 そう思った、そのときだった。


『……ところで、リアリス』


「……はい?」


『わしが、どのような存在か覚えておるかの?』


 …………。


 ……ん?


 何だろう、急に。


「……神様ですよね?」


『うむ』


「……それが?」


 神様の口元が、ゆっくり緩んだ。


 …………。


 ……あっ。


 この顔。


 何だか、嫌な予感がする。


『そうじゃ。わしはのう……』


 神様が、胸を張った。


 そして。


『……かみさまですぅー!』


 …………。


 …………。


 …………。


 ……は?


 ……えっ?


 今、何て言った?


『かみさまですぅー! えらいんですぅー!』


 …………。


 …………。


 …………。


 ……ああ。


 これ。


 ……私のこと、からかってる!?


『ほっほっほ!』


 神様が、いたずらっぽく笑っている。


 ……うん。


 今、私の中で、何かが切れかけた。


     ◇


「……神様」


『……何じゃ?』


「今、ふざけましたよね?」


『……ふむ?』


「私は真剣に話してましたよね?」


『……うむ』


「それなのに、何ですか?」


 …………。


 神様は、まだ少し笑っている。


 ……ああ。


 もう。


「ふざけてる場合じゃないでしょう!!」


『ひゃあっ!?』


 私は、思わず声を上げた。


 ……うん。


 これは、怒る。


 誰だって、怒るよ!


「神界の槍が落ちたんですよ!? 鉱山の人たちが危なかったんですよ!?」


『……う、うむ』


「それを私が二回も拾って返してるんですよ!?」


『……そ、そうじゃな』


「それなのに、何でそんなに楽しそうなんですか!?」


 神様が、少し考えた。


 そして。


『……いや、場を和ませようかと……』


 …………。


 …………。


「和みません!!」


『ひゃいっ!』


 ……あああ!


 本当に、この神様は!


「神様! ちゃんと聞いてください!」


『……う、うむ!』


「武器は危ないんです! だから――」


 その瞬間。


 ぷつん。


 画面が、真っ暗になった。


 …………。


 …………。


 …………。


 ……えっ。


 ……あれ?


 今。


 ……切れた?


 私は、画面があった場所を見つめた。


「……神様?」


 返事は、ない。


 ……うん。


 通話が切れてる。


 しかも、私が何か操作したわけじゃない。


 …………。


 ……まさか。


「……切ったぁぁぁぁ!?」


 神殿の静かな空間に、私の声が響いた。


 ……いやいやいや!


 怒られるのが嫌で、通話を切ったの!?


 今!?


 ここで!?


 ……神様!!


     ◇


 私は、もう一度《映像通話》を開こうとした。


 …………。


 ……あれ。


 つながらない。


 向こうが、通話を受け付けないようにしているみたいだ。


 …………。


 ……ああ。


 本当に切られたんだね。


「……神様ぁ……」


 私は、両手で顔を覆った。


 ……何なんだろう。


 世界を作るような力を持ってるのに。


 どうして、そんなに。


 ……そんなに、ポンコツなんだろう。


 ……いや。


 まだ、本人には言わない。


 今、それを言ったら、本当に怒りが止まらなくなる気がする。


「……リアリス様」


 桜花が、そっと声をかけてくれた。


「……うん」


「どうか、落ち着いてくださいませ」


「……うん。大丈夫」


 私は、ゆっくり息を吸った。


 ……そうだね。


 ここは、神殿だ。


 ケラーさんたちが、大切にしている場所なんだよね。


 ……あっ。


 そういえば。


 私は、少しだけ横を見た。


 ケラーさんが、祭壇の前で固まっていた。


 …………。


 ……しまった。


 これは、ちょっとまずかったかな。


     ◇


「……ケラーさん」


 私が声をかけると、ケラーさんがゆっくり振り返った。


 その目には、涙が浮かんでいる。


 ……ああ。


 やっぱり、ショックだったんだろうね。


 神様が、あんなことを言って。


 私に怒られて。


 挙げ句の果てに、自分から通話を切った。


 ……うん。


 信仰している人には、辛い場面だったかもしれない。


「……すみません。大きな声を出してしまって」


 私は、頭を下げた。


 ケラーさんは、しばらく黙っていた。


 そして。


「……使徒様」


「……はい」


「……私、感動いたしました」


 …………。


 …………。


 ……えっ?


「……感動?」


「はい」


 ケラーさんが、涙を拭った。


「偉大なるオリミス神様が、使徒様にはあれほど親しげに話しかけられるのですね……」


 …………。


 ……あっ。


 そこ!?


「……いえ、あの」


「神様は、使徒様に心を許しておられるのですな……!」


 …………。


 ……うん。


 心を許してるというか。


 私に甘えてるというか。


 ……いや。


 ふざけてるだけなんだけどね。


 でも、ケラーさんは本当に嬉しそうだった。


「……それに、神様のあの明るい御姿!」


 …………。


 ……ああ。


 何だろう。


 この人、どこまで前向きなんだろう。


「……ケラーさん」


「はい、使徒様」


「武器を二回も落としたことについては、どう思います?」


 私は、恐る恐る聞いた。


 ……うん。


 さすがに、そこは気になるはずだよね。


 ケラーさんは、しばらく考え込んだ。


 そして。


「……神様にも、我々には計り知れぬ御事情があるのでしょう」


 …………。


 …………。


 ……おお。


 揺らがない!


「私には、ただ、神様の御品が無事にお戻りになったことを喜ぶばかりでございます」


 ……ああ。


 なんていうか。


 すごいね。


 ここまで信じられるのは、本当にすごいと思う。


 ……いや。


 事実は事実なんだけどね。


 神様が、二回落としただけなんだけどね!


     ◇


 私は、もう一度神像を見上げた。


 穏やかな顔。


 白い石の立派な姿。


 神殿へ来る人たちを見守っているような、優しい表情。


 ……うん。


 本人より、ずっと立派に見える。


 ……いや。


 こんなことを考えるのは、よくないね。


 私は、神像をしばらく眺めた。


 その口元が、少しだけ笑っているように見える。


 …………。


 ……あれ。


 何だか、腹が立ってきた。


 ……いやいや!


 石像は、何も悪くない!


 これを作って、大切にしている人たちがいる。


 神様の代わりに、神像へ八つ当たりなんてしたら駄目だ。


 ……うん。


 それは、絶対に駄目。


 ……少なくとも、今は。


 …………。


 ……えっ。


 今、何考えた?


 私は、慌てて首を振った。


 ……ああ。


 今日は、ちょっと怒りすぎたみたい。


「……ケラーさん。今日はありがとうございました」


「こちらこそ、使徒様。再び立ち会えたことを、心より感謝いたします」


 ……うん。


 この人の信仰は、本当に揺らがないね。


 私は、桜花と一緒に神殿をあとにした。


     ◇


 聖都の静かな通りを歩きながら、私は小さく息をついた。


「……桜花」


「はい」


「……私、ちょっと怒りすぎたかな」


 桜花が、少し考えた。


「リアリス様のお気持ちは、よく分かります」


 …………。


 ……うん。


 そう言ってもらえると、少し安心する。


「ただ、神殿は祈りを捧げる場所でございます」


「……そうだね」


「ですが、危険な武器を二度も落とされたことについて、注意なさったのは当然かと存じます」


 ……ああ。


 ありがとう。


 私は、ゆっくり頷いた。


「怒っちゃいけないわけじゃないんだね」


「はい」


「ただ、場所と伝え方は考える」


「……さようでございます」


 ……うん。


 ちゃんと覚えておこう。


 ただ。


 次があったら、どうなるだろう。


 ……いや。


 次なんて、ないよね。


 二回も同じことで怒られたんだから。


 ……うん。


 いくら神様でも、もう懲りただろう。


 …………。


 ……そうだよね?


     ◇


 王国邸へ戻ると、食堂から甘い香りが漂ってきた。


「ただいまー!」


 私が声をかけると、カトレアが走ってきた。


「……お父さん!」


「ただいま!」


 私は、しゃがんでカトレアを抱きしめた。


 ……ああ。


 やっぱり、この笑顔が一番だね。


「……落とし物、あった?」


「うん。ちゃんと拾って、神様へ返したよ」


「……よかった!」


 ……ああ。


 いい子だなぁ。


 私は、その頭を優しく撫でた。


「カトレアは、何してたの?」


「……巴さんと、お菓子作った!」


 …………。


 ……おお!


「本当? すごいね!」


「……うん!」


 奥から、巴さんが顔を出した。


「リアリスちゃん、お帰りなさい」


「ただいま、巴さん」


「……ずいぶん疲れた顔ね」


 …………。


 ……あっ。


 分かるんだ。


「……神様と、ちょっと言い合いになっちゃって」


 巴さんが、少しだけ眉を上げた。


「まあ。どうしたの?」


 私は、今日の出来事を説明した。


 神界の槍をまた落としたこと。


 フェルザの山に落ちて、鉱山の人たちが危なかったこと。


 管理の仕方を説明したこと。


 そして最後に、神様がふざけて通話を切ったこと。


 …………。


 巴さんは、最後まで静かに聞いていた。


 そして。


「……それは、困ったわね」


 …………。


 ……うん。


 困った、どころじゃないけどね。


 でも、巴さんが言うと少し落ち着く。


「……うん。困った」


 私は、素直に頷いた。


 巴さんは、優しく微笑んだ。


「危ないことなら、注意するのは大切よ。でも、あなたまでずっと怒っている必要はないの」


 …………。


 ……あっ。


「家へ帰ったら、おいしいものを食べて休みなさい。まずは、あなたが落ち着かないと」


 …………。


 ……ああ。


 やっぱり、巴さんだね。


「……うん。ありがとう」


 私は、少し笑った。


「それに、カトレアちゃんが、今日は頑張ってくれたのよ」


 ……おっ。


 そうだった!


 私は、カトレアへ目を向けた。


「何を作ったの?」


「……これ!」


     ◇


 カトレアが差し出してくれた皿には、小さな焼き菓子が並んでいた。


 少し丸いもの。


 少し細長いもの。


 形はいろいろだけど、どれもおいしそうだ。


「……お父さん、食べて!」


「うん。いただきます!」


 私は、一つ手に取った。


 ……おお。


 香ばしい。


 甘い香りもする。


 さくっ。


 ……ああ。


 おいしい!


「……すっごくおいしい!」


 私が言うと、カトレアがぱっと笑った。


「……ほんと!?」


「うん! 上手にできたね!」


 ……ああ。


 なんだろう。


 さっきまでの怒りが、少しずつ消えていく。


 神様との話で疲れたことも。


 山で槍を拾ったことも。


 神殿で大声を出してしまったことも。


 ……うん。


 今は、少し遠い出来事に感じられる。


「リアリス様」


 桜花が、お茶を注いでくれた。


「ありがとう、桜花」


 ……うん。


 この子も、今日ずっと一緒にいてくれた。


 ありがとう。


 私は、カトレアの焼き菓子をもう一つ食べた。


 ……ああ。


 私が守りたいのは、こういう時間なんだよね。


 神様にも、少し分かってもらえるといいんだけど。


 ……いや。


 神界でのんびりお茶を飲む暇があるなら、武器の棚を何とかしてほしいけど!


     ◇


 夕方。


 カトレアと私は、庭で花を眺めていた。


「……お父さん」


「ん?」


「……かみさま、もう落とさないかな?」


 …………。


 ……あっ。


 やっぱり、気になるよね。


 私は、空を見上げた。


 青い空。


 白い雲。


 何も落ちてこない、普通の空。


 ……うん。


 本来は、こういうものだよね。


「……もう、落とさないでほしいね」


 私は、正直に答えた。


 カトレアが、真剣な顔で頷いた。


「……たいせつなものは、おかたづけ!」


 ……あはは。


 そうだね。


「カトレアは、ちゃんとできる?」


「……できる!」


 ……おお。


 頼もしい!


「それなら、神様よりしっかりしてるかもしれないね」


 カトレアが、きょとんとした顔になった。


 ……あっ。


 余計なことを言っちゃったかな。


 私は、慌てて笑った。


「……ううん。何でもないよ」


 ……でも。


 少なくとも、カトレアなら同じおもちゃを三日おきに落としたりしないと思う。


 ……いや。


 神様の武器をおもちゃと比べちゃ駄目かな。


 でも、心の中ではそう言いたくなっちゃうね。


     ◇


 夜。


 私は、王国邸の窓から星空を眺めていた。


 今日も、星が綺麗だ。


 ……うん。


 神様の二度目の落とし物。


 フェルザの山。


 青く光る槍。


 揺るがないケラーさんの信仰。


 そして。


『……かみさまですぅー!』


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 思い出したら、また腹が立ってきた!


 私は、額へ手を当てた。


 ……いや。


 もう、やめよう。


 巴さんにも言われた。


 家に帰ったら、ちゃんと休む。


 ……うん。


 そうしよう。


 でも。


 神様、今ごろ何をしてるのかな。


 ちゃんと武器を数えてる?


 危ない場所から移した?


 落下防止の仕組みは作った?


 …………。


 ……ああ。


 考え始めると、また心配になってきた。


 私は、小さくため息をついた。


「……神様」


 もちろん、誰も答えない。


「……次は、本当に怒りますからね」


 …………。


 ……いや。


 もう二回怒ったんだけど。


 でも、三回目なんて、絶対にあってほしくない。


 私は、カーテンをそっと閉めた。


 ……うん。


 きっと大丈夫。


 神様も、二度も叱られたんだ。


 今度こそ反省しているはず。


 ……そう信じたい。


 ただし。


 神様の、あのふざけた声だけは、どうしても忘れられなかった。


『かみさまですぅー!』


 …………。


 ……ああ。


 本当にもう!


 もし、次があったら。


 今度こそ、遠慮なく言わせてもらおう。


 ――二度目の落とし物は、無事に返却。けれど神様への信頼は、まだ棚の下に落ちたままだった。

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