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第1話:神様の落とし物と家族観光

 翌朝。


 シルク王国邸の食堂には、パンの焼けるいい香りが漂っていた。


「お父さん、今日はお休み?」


 カトレアが、私の隣から顔を覗き込んだ。


「うん。今日はのんびりするつもりだよ」


「……やった!」


 水色の髪を揺らして、カトレアが笑う。


 ……ああ。


 可愛いなぁ。


 人間と魔族の和平会談。


 ドルステン魔国での屋敷と店の開設。


 朝顔を迎えて、ゴリアテ将軍との騒ぎまであった。


 ……うん。


 振り返ると、かなり忙しかったね。


 でも、ようやくひと段落。


 今日はカトレアと遊んで、巴さんのご飯を食べて。


 桜花と一緒にお茶でも飲みながら、ゆっくりしよう。


 ……ああ。


 完璧な休日の予定だ。


「リアリスちゃん」


 巴さんが、私の前にお茶を置いた。


「はい?」


「本当に今日は、お仕事を入れないの?」


「うん! 今日は何も予定がないよ!」


 私は、胸を張って答えた。


「そう。それなら、ちゃんと休めるわね」


 巴さんが、にっこり笑った。


 ……うん。


 ここ数日、心配かけちゃったもんね。


「お父さん」


「ん?」


「……お花のあと、お菓子も食べたい」


「もちろん!」


 私は、即答した。


 ……あっ。


 また、巴さんに見られてる。


「リアリスちゃん。お菓子は、お昼ご飯のあとよ」


「……はい!」


 ……うん。


 家庭内の平和も、大事だね。


 ……いや。


 私がちゃんと守ればいいだけなんだけど!


     ◇


 朝食を終え、庭へ出ようとしたときだった。


 私の目の前に、小さな光の板が浮かび上がった。


『着信:オリミス』


 …………。


 ……ん?


 神様?


 私は、光の板を見つめた。


 ……いやぁ。


 珍しいな。


 普段は私から連絡することが多いんだけど。


 神様の方から、朝っぱらにかけてくるなんて。


 ……あれ。


 何だか、嫌な予感がするね。


「リアリス様?」


 桜花が、そっと声をかけてきた。


「うん。神様から《映像通話》みたい」


「……オリミス様から、でございますか」


「そうなんだ」


 ……うーん。


 昨日の夜、空に変な光が流れてたんだよね。


 普通の流れ星だと思ったんだけど。


 ……まさか。


 ……いやいや。


 まだ、何も決まってないよね。


 私は、通話に出た。


「おはようございます、神様」


『……お、おお! リアリス!』


 画面に映ったのは、見慣れたおじいさんだった。


 長いパーマの髪。


 ふくよかな体。


 古代ギリシャみたいな服。


 ……うん。


 相変わらず、神様には見えないね。


 ……いや。


 神様本人なんだけど。


『……元気にしておるかの?』


「はい。おかげさまで」


『ほ、ほう! それは何よりじゃ!』


 …………。


 ……ん?


 何だか、妙に声が上ずってる。


 しかも、画面の向こうで何度も左右を見てるね。


「……神様」


『な、何じゃ?』


「何かありました?」


『…………』


 ……あっ。


 黙った。


 ……うん。


 これは、何かあるね。


     ◇


『……その、じゃな』


「はい」


『……ひとつ、頼みがあるのじゃが』


 …………。


 ……おお。


 やっぱり。


「何でしょう?」


『……怒らんで聞いてほしいのじゃ』


 …………。


 ……えっ。


 何だろう。


 神様から、いきなり「怒らないで」って言われちゃった。


 ……ああ。


 これは、絶対に何かやらかしてる。


「内容によります」


『……そ、そう言わんと!』


「じゃあ、聞きますけど……」


 私は、お茶を一口飲んだ。


 ……うん。


 落ち着こう。


 神様だって、たまには困ることがあるよね。


 私にできることなら、手伝ってもいい。


 ……ただし。


 家族との休日を潰すような話だったら、ちょっと考えたいけど。


『……実はのう』


 神様が、ゆっくり顔を近づけた。


『……神界にある武器を、ひとつ落としてしまったのじゃ』


 …………。


 …………。


 ……はい?


「……武器?」


『……うむ』


「……神界の?」


『……うむ』


「……落とした?」


『……う、うむ!』


 …………。


 …………。


 ……えええええ!?


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 私は、思わず椅子から立ち上がった。


「神様が使う武器を、この世界に落としたってことですか!?」


『……そうとも言うのう』


「ほかに何と言うんですか!?」


 …………。


 神様が、画面の向こうで小さくなった。


 ……ああ。


 何だろう。


 朝から、とんでもない話を聞いてしまった気がする。


 私の休日。


 もう、終わったのかな。


     ◇


「……あの、神様」


『……何じゃ?』


「武器って、どういうものなんですか?」


『……剣じゃ』


「剣……」


『神界で管理しておる剣でのう。普通の人間が扱うようなものではない』


 …………。


 ……うん。


 そりゃそうだよね。


 神様の持ち物なんだから。


「それで、どこに落としたんですか?」


『……ローズ帝国の、フォレイクという町の近くらしいのじゃ』


 ……おお。


 フォレイク。


 帝国の南東にある、湖と森が綺麗な町だったね。


 ……いや。


 観光の話じゃない!


「『らしい』って、場所も分かってないんですか?」


『正確な場所までは、分からぬのじゃ……』


 …………。


 ……おお。


 神様。


 すごいな。


 武器を落としたうえに、落とした場所まで曖昧なんだ。


「……そもそも、どうして落としたんです?」


『……うむ。それはじゃな』


 神様は、目を逸らした。


『……ちょっと、手元が滑ってのう』


 …………。


 …………。


 ……手元。


 滑った。


 …………。


「神様!」


『ひゃいっ!?』


「何してるんですか!?」


『す、すまぬ!』


 ……ああ。


 もう。


 何だろう。


 二千年の戦争を、みんなで真剣に終わらせたばかりなのに。


 今度は、神様の落とし物だよ!


 ……いや。


 落とし物って、そういうものじゃない気がするけど。


     ◇


「……それで、神様が直接拾いに来ることは?」


 私が聞くと、神様は困った顔になった。


『……それができれば、そなたに頼んでおらぬ』


「……ああ。そうでしたね」


 神様は、今、この世界に直接手を出すことを制限されているんだった。


 神託などの正式な仕事は別だけど、好き勝手に下りてきて何でもできるわけじゃない。


 ……うん。


 神様にも、いろいろ事情があるんだね。


 ……いや。


 それ以前に、落とさなければよかっただけなんだけど。


「神様のものでも、《サーチ》で探せますか?」


『……たぶん、そなたなら見つけられると思うのじゃ』


 …………。


 ……たぶん。


 何だか、頼りないなぁ。


「もし見つけたら、どうすればいいんです?」


『聖国の神殿へ持って行ってほしい。わしの神像の前に奉納してくれれば、神界へ戻るはずじゃ』


 …………。


 ……あっ。


 返す方法はあるんだね。


「……はず?」


『……う、うむ。そういう仕組みになっておる!』


 ……うーん。


 大丈夫かな。


 でも、現物を神殿へ持っていくしかないらしい。


「分かりました。見つけてみます」


『おお! 助かるぞ、リアリス!』


 ……あっ。


 すごく嬉しそう。


「ただし、無事に回収できたら、ちゃんと反省してくださいね?」


『うむ! もちろんじゃ!』


 …………。


 ……うん。


 そこは元気に答えるんだ。


 私は、少し目を細めた。


「……本当ですよ?」


『……ほ、本当じゃとも!』


 …………。


 ……何だろう。


 どうにも信用できない気がするなぁ。


     ◇


 通話を終えると、私はゆっくり椅子へ座り直した。


 …………。


 ……はぁ。


 朝から疲れた。


「リアリス様」


 桜花が、静かに尋ねた。


「……どうなさいますか?」


「……探しに行くよ。神様の剣がどこかに落ちてるんだって」


「承知いたしました」


 ……おお。


 桜花、落ち着いてるね。


 ……いや。


 私が慌てすぎなのかな。


 そのとき。


「……お父さん?」


 小さな声が、隣から聞こえた。


 カトレアだった。


 ……あっ。


 そうだった!


 今日は、一緒に遊ぶ約束をしてたんだ。


 私は、慌てて向き直った。


「ごめんね、カトレア。ちょっと用事ができちゃった」


 カトレアは、私を見上げた。


「……おしごと?」


「うーん。お仕事っていうか……」


 …………。


 ……どう説明しよう。


 神様が、神界の剣を世界へ落としちゃったんです。


 それを拾いに行かなきゃいけないんです。


 …………。


 ……いや。


 九歳の子に、何て話してるんだろう。


「……落とし物を探しに行くんだ」


 私は、そう答えた。


 カトレアが、首を傾げる。


「……だれの?」


「……神様の」


 …………。


「……かみさま?」


「うん」


 カトレアは、少し考えた。


 それから。


「……かみさまも、もの、なくすの?」


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 そうだよね。


 普通、そう思うよね!


「……どうやら、そうみたい」


 私が答えると、カトレアは真剣な顔で頷いた。


「……たいへんだね」


 …………。


 ……ああ。


 なんて優しい子なんだろう。


 神様にも、聞かせてあげたいな。


     ◇


「リアリスちゃん」


 巴さんが、私の背後から声をかけた。


「……はい?」


「さっきの話、少し聞こえたけれど」


 …………。


 ……あっ。


 聞かれてた。


「大変なことなの?」


「……うん。神様が、神界の剣を落としたみたいで」


 巴さんが、ゆっくり瞬きをした。


「……まあ」


 …………。


 ……うん。


 その一言に、すべてが詰まっている気がする。


「それで、探しに行こうと思うんだけど……」


 私は、カトレアを見た。


「今日は、約束してたからね」


 すると、巴さんは、少し考えてから微笑んだ。


「落とした場所は、どこなの?」


「ローズ帝国の、フォレイクっていう町の近く」


「湖と森がある町だったわね」


「うん」


 ……あっ。


 もしかして。


「リアリスちゃん」


「はい?」


「危ないものをきちんと回収できるなら、そのあとで、みんなで町を見て回るのはどう?」


 …………。


 ……おお!


 なるほど!


 そうか。


 危険なものを先に片づけて、それから家族で観光すればいいんだ!


「……それなら、カトレアとの約束も守れそう!」


 巴さんが、微笑んだ。


「ただし、危ない場所へカトレアを連れていかないこと。無理なら、今日は私とお留守番よ」


「もちろん!」


 私は、力強く頷いた。


 ……うん。


 そこは、絶対に守ろう。


「カトレア。湖のある町へ、お出かけしてみる?」


「……みずうみ?」


「うん。綺麗なお花も咲いてるかもしれないよ」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなった。


「……行きたい!」


 …………。


 ……ああ。


 可愛い。


 よし。


 今日は、神様の落とし物探しと、家族観光。


 ……うん。


 何だか、変な組み合わせだけどね!


     ◇


 出発前に、私はフォレイク周辺へ《サーチ》を使った。


 湖。


 森。


 町。


 その周囲へ、意識を広げていく。


 探すものは、普通の剣とは違う、神界から落ちてきた品物。


 ……うん。


 見つかるかな。


 少しの間、探索を続けていると。


 ……おっ。


 妙に強い反応が、ひとつ。


 森の奥。


 湖から少し離れた、普段あまり人の通らない場所。


 ……ああ。


 そこだね。


 私は、さらに周囲を確かめた。


 近くに人はいない。


 危険な魔獣も、今のところ見当たらない。


 ……うん。


 でも、落ちているのが神様の武器なら、慎重に扱った方がいい。


「桜花。まず私だけで回収してくるね」


「承知いたしました。こちらはお任せください」


「ありがとう」


 カトレアが、不思議そうに私を見る。


「……お父さん、一人で行くの?」


「うん。すぐ戻るよ」


 私は、その頭をそっと撫でた。


「危ないものを拾ってくるだけだからね。桜花と待っててくれる?」


「……うん!」


 ……ああ。


 いい子だなぁ。


 私は《転移》で、森の奥へ向かった。


     ◇


 現れたのは、木々に囲まれた小さな空き地だった。


 周囲には、鳥の声が聞こえる。


 風が、葉を揺らしていた。


 ……うん。


 静かだね。


 私は、もう一度《サーチ》を使った。


 反応は、すぐ近く。


 古い木の根元だった。


 ……おっ。


 あった。


 大きな根の間に、一本の剣が斜めに突き刺さっている。


 普通の剣とは、明らかに違った。


 銀色の刃。


 見慣れない模様の入った柄。


 そして、周囲へかすかに漏れている、淡い光。


 ……おお。


 神様の剣って、こういうものなんだ。


 私は、少し離れた場所から眺めた。


 ……いや。


 綺麗だけど。


 こんなものが森へ落ちてきたら、そりゃ危険だよね。


 しかも、どんな力があるのか、私にはまだ分からない。


 試しに振り回すなんて、絶対にやめておこう。


 私は、周囲をもう一度確認した。


 ……うん。


 人はいない。


 剣の周りへ《結界》を張り、余計な影響が広がらないようにする。


 それから、そっと近づいた。


「……さて」


 私は、剣の柄へ手を伸ばした。


 ……うん。


 触れても、すぐには何も起きない。


 ゆっくり引き抜く。


 剣は、何の抵抗もなく木の根元から離れた。


 ……おお。


 取れた!


 でも。


 ……あれ。


 何だか、ずいぶん軽いね。


 見た目は立派だけど、持つだけなら普通の剣とあまり変わらない。


 ……うーん。


 だからって、危なくないとは限らないよね。


 私は、刃に布を巻き、使わないまま《収納》へ収めた。


 ……よし。


 回収完了!


     ◇


 私は、空き地を見渡した。


 ……うん。


 地面には、剣が刺さっていた跡が残っている。


 木の根も、少し傷ついているみたい。


 そのまま放っておくのは、何だか気になるな。


 私は、木の傷んだ部分を確認してから、元の状態へ整えた。


 ……うん。


 これなら大丈夫。


 森へ危険なものを落としたのは神様だけど。


 あとを片づけるのは私。


 …………。


 ……あれ?


 何だか、立場が逆じゃない?


 私は、思わず空を見上げた。


 ……神様。


 次から、本当に気をつけてくださいね。


 いや。


 次なんて、ない方がいいんだけど。


 ……うん。


 大丈夫。


 たぶん、神様も反省してるだろう。


 ……たぶん。


 私は、もう一度《サーチ》で周囲を確かめた。


 ほかにおかしなものは落ちていない。


 危険な反応もない。


 ……よし。


 これなら、みんなで観光へ行っても大丈夫だね。


 私は、《転移》で王国邸へ戻った。


     ◇


「ただいま!」


 戻ると、カトレアが走ってきた。


「……おかえり!」


「うん。ただいま」


 私は、その頭を撫でた。


 ……ああ。


 やっぱり、いい笑顔だね。


「落とし物、見つかった?」


「見つかったよ。ちゃんとしまってあるから安心してね」


「……よかった!」


 ……うん。


 カトレアにも、安心してもらえたみたい。


 桜花が、そっと近づいてきた。


「リアリス様。ご無事で何よりでございます」


「ありがとう。特に問題なかったよ」


「それはようございました」


 ……うん。


 あとは、神殿へ返すだけ。


 ……だけど。


 少し観光してから、聖国へ向かっても大丈夫かな。


「巴さん。カトレアと桜花と、フォレイクを見て回ってきます」


「ええ。気をつけていってらっしゃい」


「はい!」


 巴さんは、カトレアの服の襟をそっと整えてくれた。


「楽しんできてね。お昼ご飯も、ちゃんと食べるのよ」


「……うん!」


 カトレアが、嬉しそうに頷く。


 ……うん。


 今日は、ちゃんと楽しもう。


 神様のせいで、予定が変わっちゃったけど。


 家族と一緒なら、それも悪くないね。


     ◇


 私たちは、人目につかない場所へ《転移》した。


 フォレイクの町の外。


 森から続く道の近くだ。


 ……うん。


 ここからなら、普通に歩いて町へ入れる。


 湖の方から、涼しい風が吹いてきた。


「……わあ!」


 カトレアが、目を輝かせる。


「……お父さん! お水、いっぱい!」


「うん。あれが湖だよ」


 ……おお。


 話には聞いていたけど、綺麗だね。


 水面が、日差しを反射してきらきら光っている。


 湖の向こうには、緑の森が広がっていた。


 その少し手前には、木造の家々。


 花を飾った小さなお店もある。


 ……ああ。


 何だか、いい町だなぁ。


「リアリス様」


 桜花が、静かに微笑んだ。


「こちらは、空気も穏やかでございますね」


「うん。ゆっくり歩くのによさそう」


 私は、カトレアの手を取った。


「じゃあ、行こうか」


「……うん!」


 ……よし。


 家族観光、開始!


 ……いや。


 最初に剣を拾ってたんだけどね。


 そこは、忘れておこう。


     ◇


 町へ続く道には、何人かの旅人がいた。


 荷車を引いている人。


 背中に荷物を背負った人。


 湖へ向かう家族連れ。


 ……うん。


 思ったより賑やかだね。


 門のところでは、兵士さんが出入りを確認していた。


 私は、いつものように挨拶して、町へ入った。


 ……うん。


 ローズ帝国との友好的な取り決めがあるとはいえ。


 普通に町へ入るときは、普通に手続きをしよう。


 ……いや。


 私が何かするたびに、皇帝へ連絡が行くようになったら大変だもんね。


「……お父さん」


「ん?」


「……あのお花、きれい」


 カトレアが、道沿いに並んだ花鉢を指差した。


 赤い花。


 黄色い花。


 小さな白い花。


 ……おお。


 たくさんあるね。


「少し近くで見てみようか」


「……うん!」


 花を売っていた女性が、笑顔で声をかけてくれた。


「いらっしゃい。気になる花があるの?」


「はい。この子、お花が好きなんです」


 私が答えると、女性はカトレアへ視線を向けた。


「そうなの? どれが好き?」


 カトレアは、少し考えてから、小さな紫色の花を指差した。


「……これ!」


 ……おお。


 可愛い花だね。


 女性が、穏やかに説明してくれた。


「その花は、日当たりのよい場所で育てると、よく咲くのよ」


 カトレアが、真剣に聞いている。


 ……うん。


 こういうときのカトレア、すごく熱心なんだよね。


「……お父さん、お家にも植えられる?」


「うん。きっと大丈夫だよ」


 私は、お店の人へ尋ねた。


「苗を一つ、いただいてもいいですか?」


「もちろん」


 ……うん。


 家に帰ったら、カトレアと一緒に植えよう。


 また楽しみが増えたね。


     ◇


 花のお店をあとにすると、私たちは湖の方へ歩いた。


 水辺には、木で作られた長い遊歩道があった。


 少し離れたところには、湖を眺めるためのベンチ。


 ……おお。


 いいね。


 ここなら、ゆっくりできそう。


「カトレア、少し座ろうか」


「……うん!」


 私たちは、湖の見えるベンチへ腰を下ろした。


 桜花は、隣で静かに景色を眺めている。


 ……ああ。


 風が気持ちいい。


 私は、深く息を吸った。


 ……うん。


 朝から神様に呼び出されて、何が起きるかと思ったけど。


 こうして家族で湖を眺めてると、落ち着くね。


「……お父さん」


「ん?」


「……お水、きらきらしてる」


「本当だね」


 カトレアが、水面を見つめた。


「……お魚、いるかな?」


「いると思うよ」


「……見たい!」


 …………。


 ……あっ。


 そうだね。


 湖に来たんだし、お魚も見たいよね。


 私は、《サーチ》で岸辺を少し調べた。


 ……うん。


 小さな魚が、浅いところにいるみたい。


「じゃあ、あっちへ行ってみようか」


 私は、カトレアの手を取って立ち上がった。


 桜花も、静かについてきてくれる。


 ……うん。


 いいねぇ。


 ただ、家族と湖を歩くだけ。


 ……ああ。


 こういう時間を、もっと増やしたいな。


     ◇


 岸辺へ近づくと、透き通った水の中に小さな魚影が見えた。


「……あっ!」


 カトレアが、嬉しそうに声を上げる。


「……お魚!」


「うん。いるね」


 魚は、ゆっくり泳いでいる。


 そのうち一匹が、石の陰へ隠れた。


 カトレアが、しゃがみ込んで覗き込む。


 ……ああ。


 可愛いなぁ。


「カトレア。水の近くは、気をつけてね」


「……うん!」


 桜花も、少し離れたところで周囲を見守っている。


 ……うん。


 大丈夫。


 でも、子どもが水辺で遊ぶときは、目を離しちゃいけないね。


「……お父さん」


「ん?」


「……あのお魚、どこ行くの?」


「どこだろうね。お家に帰るのかな」


 カトレアは、しばらく考えた。


「……お魚にも、お家ある?」


「うん。きっとあるよ」


 ……あっ。


 よく考えると、魚のお家って説明が難しいね。


 でも、寝る場所や安心できる場所は、きっとあると思う。


「……そっか」


 カトレアは、優しく笑った。


 ……ああ。


 この子は、知らないものに出会うたび、いろんなことを考えるんだね。


 私は、カトレアの隣へしゃがんだ。


「いつか、もっといろんな場所へ行ってみようね」


「……うん!」


 ……よし。


 次の家族旅行は、どこにしようかな。


 ……いや。


 その前に、神様の剣を返さないと!


     ◇


 お昼になったので、私たちは湖を眺められる小さな食堂へ入った。


 ……うん。


 いい香りだね。


 魚を焼く匂い。


 香草の香り。


 温かいスープ。


 ……おお。


 お腹が空いてきた。


 店の人へ聞いてみると、湖で獲れた魚を使った料理が人気らしい。


「それなら、私はそれにしようかな」


「リアリス様。私も同じものをいただきます」


 桜花が答えた。


 カトレアは、少し考えてから小さな魚料理を選んだ。


 ……うん。


 今日も、ちゃんと自分で選べたね。


 料理が運ばれてくると、カトレアの目が輝いた。


「……おいしそう!」


「うん。いただきます」


 まずは、スープを一口。


 ……おお。


 野菜の味が、しっかり出てる。


 続いて、魚を食べてみる。


 皮は香ばしい。


 身はふっくら。


 ……ああ。


 おいしいねぇ。


「……お父さん」


「ん?」


「……これ、おいしい!」


「そうだね!」


 私は、嬉しくなって笑った。


 ……うん。


 やっぱり、観光にはおいしいご飯が欠かせないね。


     ◇


 食事を終えると、カトレアが私の袖を引いた。


「……お父さん」


「ん?」


「……おみやげ、買いたい」


 …………。


 ……おっ。


 お土産!


「誰に買うの?」


「……巴さんと、楓ちゃんと……みんな!」


 …………。


 ……ああ。


 そうだよね。


 家で待っているみんなにも、何か持って帰りたいんだね。


「いいね。じゃあ、一緒に探そうか」


「……うん!」


 桜花が、静かに微笑んだ。


「皆様に喜んでいただけそうな品を探しましょう」


 ……うん。


 そうしよう。


 湖の近くには、いくつかのお土産屋さんがあった。


 木彫りの小さな飾り。


 湖の風景を描いた絵。


 香りのよい茶葉。


 それから、焼き菓子。


 ……おお。


 いろいろあるね。


 カトレアは、棚を一つずつ見て回った。


「……これ、巴さんに」


 手に取ったのは、花の模様が入った小さな布。


 ……ああ。


 優しい柄だね。


「きっと喜ぶと思うよ」


 私は、頷いた。


「……それから、楓ちゃんには……」


 カトレアが、また真剣な顔になった。


 ……うん。


 いいね。


 お土産を選ぶ時間も、旅行の楽しみだよね。


 ……ただし。


 私は、思わず財布を取り出しかけて、手を止めた。


 ……あっ。


 巴さんに言われたんだった。


 何でも買い与えすぎないように、だね。


「カトレア。今日は、一緒に選んだものを少しずつ買おうね」


「……うん!」


 ……おお。


 ちゃんと伝わった!


 ……うん。


 私も、少しは成長してるのかもしれない。


 ……たぶんね。


     ◇


 お土産選びのあと、町の小さな公園にも寄った。


 木陰には、花の咲く低い木。


 広場では、子どもたちが遊んでいる。


 ……うん。


 平和だなぁ。


 カトレアは、花壇をしばらく眺めていた。


 私は、その隣で立っている。


「……カトレア。楽しかった?」


「……うん!」


「それなら、よかった」


 カトレアは、私の手をぎゅっと握った。


「……お父さんと、桜花お姉ちゃんと、来られてよかった」


 …………。


 ……ああ。


 もう。


 そんなこと言われたら、嬉しくなっちゃうよ。


「私も、楽しかったよ」


 私は、その頭を優しく撫でた。


 桜花が、そっと近づいてくる。


「リアリス様。そろそろ、神殿へ向かうお時間でしょうか」


 …………。


 ……あっ。


 そうだった。


 危うく、本当に普通の観光旅行で終わるところだった!


「うん。そろそろ行こうか」


 私は、カトレアへ向き直った。


「カトレア。次は聖国の神殿へ行くよ」


「……かみさまの?」


「うん。落とし物を返しにね」


 カトレアは、少しだけ首を傾げた。


 そして。


「……かみさま、よろこぶかな?」


 …………。


 ……ああ。


 優しいなぁ。


「……うん。きっと、すごく喜ぶと思うよ」


 ……いや。


 絶対に喜ぶよね。


 何しろ、自分で落として、自分では拾いに来られないんだから!


     ◇


 私たちは、町の外にある人目につかない場所へ移動した。


 湖は、午後の日差しを受けて輝いている。


 ……ああ。


 いい町だったなぁ。


 お花も見られたし。


 お魚も食べた。


 お土産も買った。


 ……うん。


 神様のせいで予定が変わっちゃったけど、家族旅行としては成功だね。


「カトレア。次は、別の町にも行ってみようね」


「……うん!」


 私は、桜花と顔を見合わせた。


「じゃあ、行こうか」


「はい、リアリス様」


 ……よし。


 今度は、ちゃんと仕事の続きだ。


 私たちは、《転移》で聖国へ向かった。


     ◇


 聖都オリミシア。


 白い建物が並ぶ街並みは、相変わらず綺麗だった。


 ……うん。


 何度来ても、落ち着く場所だね。


 ……いや。


 前に来たときは、神様と《映像通話》したせいで大騒ぎになったんだった。


 教皇さんが泣いて。


 枢機卿さんたちも、いろいろ大変で。


 ……ああ。


 思い出すだけで、ちょっと申し訳ない気持ちになる。


「……お父さん」


「ん?」


「……白いお家、いっぱい」


「そうだね」


 カトレアが、周りを見上げる。


 ……うん。


 この街も、カトレアには見せたい場所がいっぱいあるなぁ。


 でも、今日は先に神殿へ行こう。


 私は、桜花へ声をかけた。


「桜花。ケラーさんに連絡してもらえる?」


「かしこまりました」


 ……うん。


 いきなり神殿へ行って、神様の剣を出したら。


 たぶん、また大騒ぎになっちゃうからね。


 私は、少し離れた場所で連絡を待った。


 ……いや。


 連絡したところで、結局は驚かれる気もするけど。


     ◇


 しばらくすると、ケラーさんから返事があった。


 神殿の奥にある部屋で話を聞いてくれるらしい。


 ……うん。


 ありがたいね。


 私たちは、神殿の入口で案内を受け、奥へ進んだ。


 白い石の床。


 高い天井。


 神様の姿を描いた絵。


 ……おお。


 相変わらず、立派な場所だね。


 カトレアは、少し緊張した顔で私の手を握っている。


「大丈夫だよ。怖い場所じゃないからね」


「……うん」


 私は、小さく笑った。


 ……うん。


 ここで、神様の剣を返す。


 それが終われば、今日は本当におしまい。


 ……ああ。


 巴さんのご飯が、恋しくなってきたなぁ。


 案内された部屋には、ケラーさんが待っていた。


「使徒様。ようこそおいでくださいました」


「こんにちは、ケラーさん」


 ……うん。


 相変わらず、丁寧な人だね。


 その視線が、桜花とカトレアへ向く。


「お連れの皆様も、ようこそ」


「……こんにちは」


 カトレアが、小さく頭を下げた。


 桜花も、丁寧に挨拶する。


 ……よかった。


 カトレアも、ちゃんと挨拶できたね。


     ◇


「……それで、使徒様」


 ケラーさんが、静かに尋ねてきた。


「本日は、どのようなご用件でしょうか」


「……ええと」


 …………。


 ……ああ。


 どう説明しよう。


 神様が、剣を落としちゃったんです。


 それを拾ってきたので、神像の前へ置かせてください。


 …………。


 ……うん。


 そのまま言うと、何だか神様の威厳がなくなりそうだね。


 でも、嘘をつくわけにもいかない。


「……神様から、頼まれごとがありまして」


 私は、ゆっくり話し始めた。


「神界の品物が、こちらへ落ちてきてしまったそうなんです」


 ケラーさんの目が、少し大きくなった。


「……神界の、品物が?」


「はい。それを見つけて、神像の前へ奉納してほしいと言われまして」


 …………。


 ケラーさんが、黙った。


 ……あっ。


 やっぱり、驚いたよね。


 でも、しばらくすると、その表情が変わった。


「……なるほど」


 …………。


 ……おっ。


「それは、オリミス神様の御意志なのですね」


 …………。


 ……うん。


 そう。


 御意志というより、落とし物なんだけど。


「……はい。神様ご本人からお願いされました」


 ケラーさんは、深く頷いた。


「承知いたしました。では、神像の前へご案内いたします」


 …………。


 ……おお。


 意外と、すんなり。


 ……いや。


 もしかして、深く考えないようにしてくれてるのかな。


     ◇


 神殿の奥には、大きな神像があった。


 穏やかな顔をした、立派な像だ。


 ……うん。


 神様本人を知っていると、ちょっと不思議な気分になるね。


 画面越しでは、さっきまで慌てていたおじいさん。


 ここでは、人々が祈りを捧げる創造神。


 ……ああ。


 どちらも、同じオリミスなんだよね。


 私は、少しだけ神像を見上げた。


 ……うーん。


 像の方が、ずっと落ち着いて見えるなぁ。


 ……いや。


 それは、言わないでおこう。


「使徒様。こちらでよろしいでしょうか」


 ケラーさんが、祭壇の前を示した。


「はい。ありがとうございます」


 私は、桜花へ目を向けた。


「桜花。カトレアを、少し後ろで見ていてくれる?」


「承知いたしました」


 ……うん。


 神様の武器だし、何か起きるかもしれない。


 カトレアには、少し離れた場所で待っていてもらおう。


 私は、祭壇の前へ進んだ。


「……それでは、出しますね」


 ケラーさんが、真剣な顔で頷いた。


 私は、《収納》から神界の剣を取り出した。


 布に包んだまま、そっと祭壇へ置く。


 ……うん。


 まだ、何も起きない。


 私は、包みをゆっくり開いた。


 銀色の刃が、光を受けて輝く。


 ケラーさんが、息を呑んだ。


「……これは……」


 …………。


 ……おお。


 やっぱり、見た目からして違うんだね。


「……神界の剣、ですか」


「はい。神様がそう言ってました」


 ……うん。


 その言い方だと、何だか軽いかな。


 でも、事実だから仕方ないね。


     ◇


 ケラーさんは、ゆっくり膝をついた。


 そして、神像へ向かって深く頭を下げる。


「……偉大なるオリミス神よ……」


 …………。


 ……ああ。


 始まった。


 何だか、とても厳かな雰囲気だね。


 私は、剣と神像を見比べた。


 ……うん。


 このまま待てばいいのかな。


 神様は、奉納すれば戻ると言ってたけど。


 何か特別な言葉が必要なんだろうか。


「……あの、ケラーさん」


「……はい、使徒様」


「何か、決まったやり方はありますか?」


 ケラーさんは、少し考えた。


「……神界の武器を奉納する儀式など、私も初めてでございます」


 …………。


 ……おお。


 そりゃそうだよね。


 神様が剣を落として、人間が拾って返す儀式なんて。


 普通は、ないと思う。


「では、神様に聞いてみますね」


 …………。


 ケラーさんが、目を見開いた。


「……今、ここで?」


「はい。《映像通話》で」


 …………。


 ……あっ。


 まずかったかな。


 前に、聖国で大騒ぎになったことを思い出した。


 ケラーさんは、ゆっくり息を吸った。


 それから、深く頭を下げた。


「……ぜひ、お願いいたします」


 …………。


 ……おお。


 覚悟、できてるんだね。


 私は、《映像通話》を開いた。


     ◇


『おお! リアリス!』


 神様の顔が、画面に映った。


『見つかったかの!?』


 …………。


 ……あっ。


 いきなり、それ!?


「はい。剣は見つかりましたよ」


『おおお! よかった、よかった!』


 ……うん。


 本当に嬉しそうだね。


 ただ。


 私は、横を見た。


 ケラーさんが、床に膝をついたまま固まっている。


 …………。


 ……ああ。


 そうだった。


 信仰の厚い人にとっては、神様の顔を見るだけでも大事件なんだよね。


「神様。いま、聖国の神殿にいます」


『……おお。そうであったか!』


「ケラーさんも、ご一緒です」


 神様が、画面の端へ目を向けた。


『おお。そなたもおるのか』


 …………。


 ケラーさんの肩が、びくりと震えた。


「……お、オリミス神様……!」


 …………。


 ……あっ。


 もう、泣きそう。


『うむ。いつも励んでおるようじゃな』


「……あ、ありがたきお言葉……!」


 ケラーさんが、深く頭を下げた。


 ……うん。


 ここは、そっと見守ろう。


 ……いや。


 私も、神様へ確認したいことがあるんだけど。


「……あの、神様」


『……何じゃ?』


「この剣、神像の前へ置きました。あとは、どうすればいいですか?」


『……うむ。そなたが、返すという意思を示してくれればよいはずじゃ』


 …………。


 ……また『はず』って言った!


「……本当に、それだけですか?」


『ほ、本当じゃ!』


 ……うん。


 今度こそ、信じるよ。


     ◇


 私は、画面を少し横へ寄せて、神像の前へ向き直った。


 ケラーさんは、まだ膝をついている。


 桜花とカトレアは、少し後ろで静かに待っていてくれた。


 ……よし。


 私は、剣の前へ立った。


「……神様」


『……うむ』


「落とし物、返しますね」


 …………。


 …………。


 ……あれ。


 何も起きない。


 私は、剣を見た。


 銀色の刃。


 静かな光。


 ……うーん。


「……神様?」


『……む?』


「……戻りませんよ?」


『……おかしいのう』


 …………。


 ……おお。


 大丈夫かな。


 神様が、画面の向こうで何かを考え始めた。


『……あっ』


 …………。


 ……ん?


『……神像の前で、少し待たねばならんかったかもしれぬ』


 …………。


「……最初から言ってください!」


『す、すまぬ!』


 ……ああ。


 本当に、神様だよね!?


 私は、深く息をついた。


 ……うん。


 待てばいいなら、待とう。


 でも。


 ケラーさんの前で、これ以上神様を怒るのはやめよう。


 ……いや。


 もう、遅い気もするけど。


     ◇


 しばらくすると。


 ふわり。


 剣の周囲に、淡い光が集まった。


 ……おっ。


 今度こそ?


 銀色の刃が、ゆっくり浮かび上がる。


 私は、少しだけ距離を取った。


 ケラーさんが、息を呑む。


「……おお……」


 剣は、神像の前で静かに回転した。


 その光が、少しずつ強くなる。


 ……うん。


 綺麗だね。


 でも。


 何か起きるかもしれないから、まだ油断はしない。


 私は、カトレアたちの方へ視線を向けた。


 桜花が、しっかり見守ってくれている。


 ……うん。


 大丈夫。


 次の瞬間。


 ぱあっ!


 剣が、柔らかな光に包まれた。


 そして。


 ……すっ。


 そこから、姿が消えた。


 …………。


 ……おお!


「……消えた!」


 私は、祭壇を見た。


 布だけが、残っている。


 剣は、もうどこにもない。


 《サーチ》で確かめても、さっきの特別な反応は消えていた。


 ……うん。


 本当に、神界へ戻ったみたいだね。


『……おおお! 戻ったぞ!』


 画面の向こうで、神様が大喜びしていた。


『リアリス! 助かったのじゃ!』


 …………。


 ……ああ。


 よかった。


 これで、本当に終わりだね。


     ◇


「……お、オリミス神様……」


 ケラーさんの声が、震えていた。


 ……あっ。


 そうだった。


 この人にとっては、今の光景もすごいことなんだろうね。


「……神界の剣が、御許へ……」


 ケラーさんは、涙を浮かべて神像を見つめている。


 ……うん。


 感動してるんだね。


 でも。


 私は、何とも言えない気分だった。


 ……いやぁ。


 私からすると。


 神様が落とした剣を拾って。


 神殿へ返しただけなんだけど。


 それが、こんなに厳かな出来事になるんだね。


『ケラーよ』


 神様が、画面越しに声をかけた。


「……は、はい!」


『よく、リアリスに協力してくれたのう』


「……も、もったいなきお言葉……!」


 …………。


 ……ああ。


 また泣いちゃった。


『うむ。これからも励むのじゃぞ』


「……はい! この身のすべてを捧げて……!」


 …………。


 ……いやいや。


 そこまでしなくても!


 私は、慌てて声をかけた。


「ケラーさん。無理だけはしないでくださいね」


「……使徒様……!」


 ……あっ。


 今度は私にまで、すごい目を向けてる。


 ……うーん。


 これは、また大変なことになりそうだね。


     ◇


「……ところで、神様」


『……何じゃ、リアリス』


「今回のこと、ちゃんと反省してます?」


 …………。


 画面の向こうで、神様の動きが止まった。


 ……おっ。


 聞こえてるよね。


『……も、もちろんじゃ』


「……そうですか」


『うむ! 次からは、気をつけるぞい!』


 …………。


 ……次から。


 …………。


 ……いや。


 何だろう。


 その言葉、ちょっと引っかかるね。


「……次があったら、困るんですけど」


『……む、むむ』


 …………。


 ……あっ。


 目を逸らした!


「神様。神界のものは、ちゃんと管理してくださいね」


『わ、分かっておる!』


「武器が人の住む場所へ落ちたら、大変ですよ?」


『……う、うむ』


「今回は誰も怪我をしてなかったからよかったですけど」


『……そ、そうじゃな』


 …………。


 ……うん。


 ちゃんと返事はしてる。


 でも、何となく、安心できない。


 私は、少しだけため息をついた。


「それじゃ、今日はこれで」


『うむ! 本当に助かったぞ、リアリス!』


 通話が、静かに終わった。


 ……ああ。


 やっと、終わった。


 ……はず。


 ……いや。


 今、そんな不吉なこと考えるのはやめよう。


     ◇


 神像の前には、静けさが戻っていた。


 ケラーさんは、まだ少し涙ぐんでいる。


「……使徒様」


「はい?」


「本日は、まことに貴重な場へ立ち会わせていただき、ありがとうございました」


 …………。


 ……おお。


 こちらこそ、助かったんだけどね。


「いえいえ。急なお願いだったのに、ありがとうございます」


 ケラーさんは、深く頭を下げた。


「神の御品をお返しできたのです。これほど光栄なことはございません」


 ……うん。


 この人、本当に信仰が厚いなぁ。


「……あの、ケラーさん」


「はい」


「今日のこと、できれば大騒ぎにはしないでもらえますか?」


 ケラーさんが、少し首を傾げた。


「……と、申されますと」


「神様の武器が落ちていたと知ったら、探しに行く人が出るかもしれませんし。それに、もう返したものですから」


 ……うん。


 わざわざ騒ぐ必要はないよね。


 ケラーさんは、しばらく考えた。


 そして、ゆっくり頷いた。


「……承知いたしました。神殿として必要な記録のみ残し、軽々しく広めることはいたしません」


「ありがとうございます」


 ……ああ。


 よかった。


 これで安心だね。


 ……ただ。


 その顔。


 何だか、さらに尊敬されちゃった気がする。


 ……うーん。


 私、本当に普通に暮らしたいだけなんだけどなぁ。


     ◇


 帰る前に、私はカトレアへ声をかけた。


「カトレア。神様の落とし物、ちゃんと返せたよ」


 カトレアが、にっこり笑った。


「……よかった!」


「うん。ありがとう。待っててくれて」


「……うん!」


 私は、その頭を撫でた。


 桜花も、穏やかに微笑んでいる。


「リアリス様。本日のご用事は、すべて終わりましたね」


「うん。今度こそ!」


 …………。


 ……いや。


 本当に、今度こそだよ?


 私は、心の中で神様へ念を送った。


 ……落とし物は、もうしないでくださいね。


 ……うん。


 これ以上のお願いは、ないと思う。


 ……あっ。


 そうだ。


「カトレア。フォレイクで買ったお花、帰ったら植えようか」


「……うん!」


 その顔が、ぱっと明るくなる。


 ……ああ。


 やっぱり、こっちの方がいいね。


 私は、ケラーさんへ挨拶して、神殿をあとにした。


 ……うん。


 神様の武器の回収。


 無事、完了!


     ◇


 王国邸へ戻ると、巴さんが食堂で待っていてくれた。


「お帰りなさい、リアリスちゃん」


「ただいま、巴さん!」


 カトレアが、嬉しそうに駆け寄る。


「……巴さん!」


「あら、カトレアちゃん。楽しかった?」


「……うん! 湖、きらきらしてた!」


 ……おお。


 早速、報告してるね。


「お魚もいたの!」


「まあ。よかったわね」


 巴さんが、優しく微笑んだ。


 ……うん。


 やっぱり、帰ってくると落ち着くなぁ。


「リアリスちゃん。頼まれごとの方は?」


「無事に終わりました!」


 私は、胸を張って答えた。


「神様の剣も、ちゃんとお返しできたよ」


「それはよかったわ」


 巴さんが、ほっとしたように頷いた。


 そして。


「……神様には、気をつけていただかないといけないわね」


 …………。


 ……おお。


 優しい声なのに。


 何だか、すごく説得力がある!


「……はい。私からも、伝えておきました」


「ふふ。それなら、いいわ」


 …………。


 ……うん。


 神様。


 巴さんに直接叱られなくて、よかったですね。


 ……いや。


 本当に、よかったと思うよ。


     ◇


 カトレアは、買ってきたお土産を並べ始めた。


 巴さんには、花模様の布。


 楓には、小さな飾り。


 ほかの家族にも、それぞれ選んだものがある。


 ……うん。


 ちゃんと、みんなのことを考えてたんだね。


「これ、巴さんに!」


「あら。私に?」


「……うん!」


 巴さんが、布を受け取った。


 そして、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。大切に使うわね」


 …………。


 ……ああ。


 よかったね、カトレア。


 カトレアも、とても嬉しそう。


「お父さん!」


「ん?」


「……次は、お花!」


 …………。


 ……あっ。


 そうだった!


「うん。植えに行こうか」


 私は、苗の入った小さな鉢を持った。


 ……うん。


 今日は、盛りだくさんだったね。


 神様の剣を回収して。


 湖で遊んで。


 おいしい魚を食べて。


 お土産を買って。


 神殿で、神様の落とし物を返して。


 ……ああ。


 普通の休日とは、少し違うかもしれない。


 でも。


 カトレアが笑ってくれたなら、それでいいかな。


     ◇


 夕方。


 庭の花壇には、フォレイクで買ってきた小さな紫の花が植えられた。


「……できた!」


 カトレアが、嬉しそうに声を上げる。


「うん。綺麗だね」


 私は、その隣へしゃがんだ。


 花は、夕方の風にゆっくり揺れている。


 ……ああ。


 何だか、今日のことを思い出すね。


 湖。


 森。


 神様の剣。


 ……いや。


 最後の一つだけ、何だか場違いだけど!


「……お父さん」


「ん?」


「……かみさま、もう落とさないかな?」


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 そこ、気になるんだね。


 私は、少し考えた。


「……うん。もう落とさないでほしいなぁ」


 ……いや。


 願望になっちゃった!


 カトレアが、小さく頷く。


「……わたしも」


 …………。


 ……ああ。


 神様。


 九歳の子にまで心配されてるよ。


 ……ほんとに、しっかりしてくださいね。


     ◇


 夜。


 夕食を終えた私は、食堂で温かいお茶を飲んでいた。


 カトレアは、今日買った花のことを、巴さんに楽しそうに話している。


 桜花は、その様子を静かに見守っていた。


 ……うん。


 いい時間だね。


 朝は、どうなることかと思ったけど。


 終わってみれば、ちゃんと家族で出かけられた。


 しかも、神様の落とし物も返せた。


 ……ああ。


 よかった。


 本当に、よかったなぁ。


 私は、お茶を一口飲んだ。


 ……うん。


 明日こそ、何も予定のない一日にしよう。


 ……いや。


 今日も、そう思ってたんだけどね。


 でも、さすがに。


 神様が同じ失敗を、何度も繰り返すなんて。


 ……ないよね?


 …………。


 ……うん。


 ない。


 ……ないと、信じたい。


 私は、窓の外を見た。


 夜空には、穏やかな星の光が広がっている。


 ……ああ。


 今日は、変な光も見えないね。


 そのことに、少しだけ安心した。


 ……さて。


 明日は何をしようかな。


 カトレアと庭で遊んで。


 桜花とお茶を飲んで。


 巴さんのご飯を食べる。


 ……うん。


 やっぱり、それが一番だね。


 私は、もう一度お茶を口に運んだ。


 ……ただし。


 神様の「次から気をつける」という言葉が、どれほど頼りにならないものだったのか。


 このときの私は、まだ知らなかった。


 ――神様の落とし物は、無事に返却。私の平穏な休日も、どうにか守られた。

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