第6話:魔王の国にも店を開きます
翌朝。
シルク王国邸の庭には、まだ少し冷たい風が吹いていた。
「お父さん、こっち!」
カトレアが、花壇の前から手を振っている。
「うん。今行くよ!」
私は、小さなじょうろを持って、そのあとを追いかけた。
……ああ。
いい朝だね。
昨日は、人間の四か国とドルステン魔国の間に、正式な和平が成立した。
二千年も続いていた争いを、これから終わらせていく。
……うん。
とても大きな出来事だった。
でも今日は、まずカトレアとの約束だ。
「……このお花ね」
カトレアが、背の低い花を指差した。
「昨日より、咲いたんだよ」
「本当だ。花びらが増えたみたいだね」
「……うん!」
カトレアは嬉しそうに頷いた。
私は、その隣へしゃがむ。
……うん。
世界を変えるような会談をした翌日に、家の庭でお花を見てる。
何だか不思議だけど。
私は、こういう時間が好きなんだ。
「お父さん」
「ん?」
「……まおうさん、もう、こわくない?」
…………。
……ああ。
昨日、和平ができたことは話したけど。
魔王本人のことも、気になってるんだね。
「うん。強くて大きい人だけど、ちゃんとお話しできる人だったよ」
「……そうなんだ」
「それに、お菓子が大好きみたい」
カトレアが、目を丸くした。
「……おかし?」
「うん。特にイチゴのショートケーキ」
「……わあ!」
…………。
……おっ。
そこに反応するんだ。
「……わたしも、すき!」
「そうだね」
私は、思わず笑ってしまった。
……うん。
魔王とカトレアに、共通の話題ができちゃった。
……いや。
あの二人が並んでケーキを食べるところを想像すると、何だかすごい絵になりそうだね。
「……いつか、一緒に食べられるといいね」
「……うん!」
カトレアが、にこっと笑った。
……ああ。
そういう日が来ると、いいなぁ。
◇
花壇への水やりを終えると、私たちは食堂へ戻った。
巴さんが、温かいお茶を用意してくれている。
「お花は、ちゃんと見られた?」
「うん! カトレアと一緒に見てきたよ」
「……たくさん、咲いてた!」
カトレアが報告すると、巴さんは嬉しそうに微笑んだ。
「それはよかったわね」
……うん。
約束も守れたし。
今日は、もう一つやることがある。
「巴さん。午後から、魔王国へ行ってこようと思うんだ」
「あら。昨日帰ってきたばかりでしょう?」
「うん。でも、向こうに家を作る約束をしたからね。場所の相談をしてこようと思って」
巴さんは、少し考えてから頷いた。
「そういうことなら、分かったわ。ただし、無理はしないのよ」
「もちろん!」
その言葉を聞いたカトレアが、私の袖を引く。
「……お父さん、また行くの?」
「うん。今度は新しいお家を作るんだ」
「……まおうさんの国に?」
「そうだよ」
カトレアは、少し考えていた。
そして。
「……お花も、植える?」
…………。
……あっ。
そこなんだね!
「もちろん。花壇も作ろうと思ってるよ」
「……じゃあ、できたら見たい!」
「うん! 安全を確かめてから、案内するね」
……ああ。
約束が、また一つ増えた。
でも、今度は楽しみな約束だ。
「桜花。今日も一緒に来てくれる?」
「もちろんでございます、リアリス様」
食堂にいた桜花が、静かに頷いた。
「ありがとう。じゃあ、準備しようか」
「かしこまりました」
……うん。
新しい国で、新しい家。
何度か経験してきたけど、やっぱり少しわくわくするね。
◇
午後。
私と桜花は、ドルステン魔国へ《転移》した。
現れたのは、魔都ヴァルキアの城門近くにある、あらかじめ人通りを確かめておいた場所。
和平が成立したからといって、魔族の人たちが私の魔法に慣れたわけじゃないもんね。
魔都の門へ近づくと、兵士たちがこちらに気づいた。
「……人間!」
……あっ。
やっぱり、まだ驚くんだね。
でも、すぐに一人の兵士が前へ出てきた。
「……リアリス殿でしょうか」
「はい。こんにちは」
兵士は、私と桜花を見比べた。
そして、少しだけ表情を緩めた。
「先日の、和平の仲介をされた方だと聞いております」
……おお。
もう知らせが届いてるんだ!
「はい。今日は魔王と、屋敷の場所について相談する約束で来ました」
「承知いたしました。城へ連絡いたします」
兵士は、仲間へ合図を送った。
……うん。
前に来たときは、ここへ辿り着くまでに六人の兵士と戦うことになったんだよね。
今日は、剣を向けられない。
ただ、それだけなのに。
何だか、ずいぶん違う場所へ来た気がする。
「……リアリス様」
桜花が、小さく声をかけてきた。
「ん?」
「皆様の視線が、以前より柔らかいようでございますね」
「……うん。そうだね」
……ああ。
よかった。
和平って、きっとこういうところから始まるんだ。
◇
しばらくすると、城から迎えの兵士がやってきた。
案内されて入った応接室には、魔王ドルステンとグリンヒルダさんがいた。
「おお、リアリス殿!」
魔王が、大きな声で迎えてくれる。
「こんにちは、魔王!」
「うむ! よく来た!」
……うん。
相変わらず元気だね。
でも、私の視線は、魔王の横に置かれた小さな箱へ向いた。
…………。
……あれ。
見覚えがある。
昨日、巴さんが包んでくれたケーキの箱だ。
「……魔王。ケーキ、どうでした?」
私が聞くと、魔王の顔がぱっと明るくなった。
「うむ! 大変美味であった!」
…………。
……おお。
よかった!
「吾輩はもちろん、グリンヒルダもたいそう気に入っておった!」
「……魔王様」
グリンヒルダさんが、静かに咳払いした。
「本日は、屋敷のご相談でございます」
「……む。そうであったな!」
…………。
……あはは。
魔王。
今日も宰相さんに助けられてるね。
私は、用意してきた地図を取り出した。
「できれば魔都から遠すぎず、近所の方の暮らしに迷惑をかけない場所がいいんです」
グリンヒルダさんが、すぐに地図へ目を落とした。
「候補地は、いくつかございます。市街地の外側で、今は使われていない土地を調べておきました」
……おお。
もう調べてくれてたんだ!
「ありがとうございます!」
「ただし、周辺に農地や街道がございますので、現地を見て判断いたしましょう」
「はい。ぜひ!」
魔王も、腕を組んで頷いた。
「うむ。吾輩も参ろう!」
…………。
……えっ。
魔王も来るの!?
グリンヒルダさんが、少しだけ目を細めた。
「……魔王様。ご公務が」
「屋敷の場所を決めるのも、公務であろう!」
…………。
……あっ。
何だか、楽しそうだね。
グリンヒルダさんは、深く息をついた。
「……承知いたしました。ただし、帰城後の予定は動かせません」
「うむ!」
……ああ。
本当に、いい組み合わせだなぁ。
◇
案内されたのは、魔都の外側に広がる緩やかな丘だった。
近くには街道があり、その向こうには畑が見える。
少し離れたところには、小さな家がいくつか並んでいた。
……うん。
悪くないね。
街からも近いし、景色もいい。
ただ、私は最初に周囲を《サーチ》で確かめた。
人の家。
農地。
普段使われている小道。
地下を通る水の流れ。
……うん。
大きな建物を建てるなら、そういうものを塞いじゃいけない。
「このあたりは、どうでしょう」
グリンヒルダさんが、丘の上を示した。
「公有地で、現在は使われておりません。周辺の住民にも利用状況を確認しております」
「ありがとうございます。でも、あの小道は残したいですね」
「……小道?」
「はい。畑と街を行き来するときに使っているみたいなので」
私が指差すと、グリンヒルダさんが目を細めた。
「……なるほど。地図には載っておりませんでしたな」
……うん。
地元の人だけが使っている道なのかもしれない。
魔王が、腕を組む。
「ならば、屋敷を少しずらせばよい!」
「そうですね」
私は、地形を思い浮かべた。
丘の上の空いた場所。
街道へ続く安全な入口。
小道や畑にはかからない配置。
……うん。
ここなら、ちょうどよさそうだ。
「この場所にしたいです」
グリンヒルダさんが、静かに頷いた。
「それでは、土地の使用を正式に認めましょう」
「ありがとうございます!」
魔王も、大きく笑った。
「がっはっは! いよいよ魔国にも、リアリス殿の家ができるのだな!」
……うん。
そうだね。
私も、楽しみになってきた。
◇
「それじゃ、建てますね」
私は、丘の上へ歩いていった。
魔王とグリンヒルダさんは、少し離れたところで見守っている。
……うん。
今までの屋敷と同じように、三階建て。
部屋の配置は共通にして、みんなが迷わず使えるようにする。
内装は、魔国のイメージカラーである紫を少し取り入れよう。
でも、建物全部を紫色にするわけじゃない。
……いや。
さすがに、それは落ち着かなさそうだもんね。
私は、完成した姿を頭の中に思い浮かべた。
住む人が安心できる家。
明るい食堂。
ゆっくり休める部屋。
庭と花壇。
敷地内には雑貨屋。
屋敷にはサロンも設ける。
……うん。
このくらいかな。
「《建築》」
光が、丘の上へ広がった。
次の瞬間。
それまで何もなかった場所に、大きな屋敷が現れた。
…………。
……おお。
完成!
建物の周囲には、ほどよい広さの庭。
その外には、街道から続く入口。
小道も畑も、ちゃんと残っている。
……よし。
予定どおりだね。
……ただ。
後ろが、とても静かだ。
……あれ。
私は振り返った。
魔王が、口を開けて固まっている。
グリンヒルダさんも、三つの目を大きく見開いていた。
…………。
……あっ。
この反応。
何度か見たことある。
「……リアリス殿」
魔王が、ようやく声を出した。
「はい?」
「……今、建てたのか?」
「はい。完成しました」
…………。
「……一瞬で?」
「はい」
…………。
魔王が、ゆっくり屋敷を見上げた。
「……がっはっはっは!」
……おお。
笑った!
「いやはや! そなたの魔法は、どこまで規格外なのだ!」
……あはは。
そう言われると、ちょっと照れるなぁ。
でも。
私は、自分の魔法が規格外なことは、ちゃんと分かっている。
だからこそ、使うときには周りの人への影響も考えないとね。
「近所の方が驚くと思うので、あとでちゃんとご挨拶しないといけませんね」
グリンヒルダさんが、静かに頷いた。
「……その点まで考えていただけるなら、安心です」
……うん。
建てるのは簡単。
でも、そこで暮らすのは、これからなんだから。
◇
続いて、屋敷の周囲へ《結界》を設定した。
範囲は、ほかの屋敷と同じ半径五百メートル。
ただし、守るのは危険な魔獣から。
魔族の人たちが普通に通ったり、畑仕事をしたりすることを妨げるものではない。
もちろん、近所の方が使っている小道も、そのまま通れるようにしてある。
……うん。
これなら、大丈夫。
屋敷の中には、ほかの屋敷と行き来するための扉も用意した。
……ただし。
巴さんの《簡易転移》は、まだつながっていない。
扉そのものはあっても、今は普通の扉だ。
……あっ。
そうだった。
ほかの屋敷と行き来できるようにするのは、巴さんのお仕事なんだよね。
あとでお願いして、ちゃんと設定してもらおう。
もちろん、知らない人が勝手に行き来できないようにすることも忘れずに。
「リアリス様」
桜花が、屋敷の周囲を見渡した。
「はい?」
「すべて、問題なく整っております」
「ありがとう、桜花」
……うん。
建物も、設備も。
いつもどおり、ちゃんと完成した。
でも。
まだ、一番大事なものがないね。
「……桜花」
「はい」
「この家にも、家族を迎えようか」
桜花が、嬉しそうに微笑んだ。
「はい。ぜひ」
……うん。
そうしよう。
◇
私たちは、屋敷の庭へ移動した。
魔王とグリンヒルダさんも、興味深そうについてきている。
「今度は、何をするのだ?」
魔王が聞いた。
「この家を管理してくれる子を迎えようと思って」
「……管理する者?」
「はい。ほかの屋敷にも、それぞれ担当の子がいるんです」
……うん。
楓。
杏子。
藤。
蘭。
みんな、私の大切な家族だ。
この屋敷にも、同じように一緒に暮らしてくれる子がいてほしい。
私は、頭の中に一人の少女を思い浮かべた。
見た目は十三歳くらい。
背は、百五十センチほど。
髪は、濃い桃色の短い髪。
表情は落ち着いているけれど、仲間には優しい。
仕事はきっちり。
それでいて、楽しいこともちゃんと楽しめる子。
……うん。
いいね。
名前は、もう決めてある。
朝顔。
花の名前を持つ、新しい家族だ。
「《ホムンクルス作成》」
淡い光が、庭の中央へ集まった。
光がゆっくり形を作り。
その中から、一人の少女が現れた。
濃い桃色の短い髪。
小柄な体。
整ったメイド服。
少女は、ゆっくり目を開けた。
そして、私を見つめる。
「……リアリス様」
…………。
……おお。
ちゃんと、話してくれた。
「こんにちは。朝顔」
少女が、静かに頭を下げる。
「朝顔と申します。よろしくお願いいたします」
「うん! よろしくね」
私は、そっと微笑んだ。
「今日から、ここが朝顔のお家だよ」
朝顔は、屋敷を見上げた。
それから、私へ視線を戻す。
「……はい。大切に、お守りいたします」
…………。
……ああ。
頼もしいね。
私は、朝顔の頭を優しく撫でた。
朝顔の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
……うん。
可愛いなぁ。
「でも、無理はしないでね。お仕事だけじゃなくて、楽しく暮らしてほしいから」
「……はい」
朝顔が、小さく頷いた。
その顔は、さっきより少し嬉しそうだった。
……よし。
新しい家族、一人目だね。
◇
「……リアリス殿」
魔王が、少し不思議そうな顔をしていた。
「はい?」
「今の少女は……そなたの魔法で?」
「はい。ホムンクルスです」
「……ホムンクルス」
グリンヒルダさんが、興味深そうに朝顔を見た。
「……人間に見えるが」
「人間の姿にしています。でも、朝顔は朝顔ですからね」
……うん。
見た目が人間に似ているからって、それが何かを決めるわけじゃない。
朝顔は、私の家族だ。
魔王は、しばらく朝顔を見つめていた。
そして。
「……ふむ。では、朝顔殿」
…………。
……おっ。
いきなり「殿」だ。
「……はい」
朝顔が、まっすぐ魔王を見る。
「吾輩はドルステン。この国を治めておる」
「存じております。よろしくお願いいたします、魔王様」
……うん。
丁寧だね。
「がっはっは! こちらこそよろしく頼む!」
魔王が、大きく笑った。
……ああ。
よかった。
朝顔も、緊張してる様子はない。
それなら。
「次は、朝顔と一緒に働いてくれる仲間だね」
私は、庭の空いた場所へ目を向けた。
ほかの屋敷と同じように、一般メイドを十人。
それぞれが自分の意思を持ち、仕事も休息も分担できるように。
みんなに、《不老不死》と《状態異常無効》も永続付与する。
……うん。
朝顔一人に、家事も店も全部任せるのは絶対に駄目だ。
みんなで働いて、みんなで休む。
それが、うちのやり方だからね。
私は、十人の姿を思い浮かべた。
「《ホムンクルス作成》」
光が、再び庭へ広がる。
そして、十人のメイドたちが現れた。
外見はそれぞれ違う。
髪の長さも、背丈も、表情も。
でも、みんな優しい顔で私を見ていた。
「初めまして。リアリスです」
私は、笑顔で挨拶した。
「これから、よろしくね!」
十人が、揃って頭を下げた。
「よろしくお願いいたします!」
…………。
……おお。
元気だね!
「朝顔。この子たちと相談して、お仕事を分担してね」
「……はい。皆と協力いたします」
……うん。
これで、この屋敷も賑やかになりそうだ。
魔王が、何度も頷いている。
「……なるほど。そなたは、こうして各国に家族を増やしておるのだな」
「……そうですね」
私は、朝顔たちを見た。
「……家を増やすつもりが、家族も増えちゃうんです」
……うん。
でも、それが嬉しいんだよね。
◇
ひととおり挨拶を終えると、朝顔と十人のメイドたちは、屋敷の仕事の分担を話し合い始めた。
……うん。
早速、相談してるね。
店の準備をする人。
厨房を整える人。
庭を見て回る人。
それぞれ、得意なことや希望を確かめながら決めている。
……ああ。
いいね。
私は、朝顔のそばへ行った。
「朝顔。困ったことがあったら、すぐに言ってね」
「……はい。ありがとうございます」
「あと、ほかの屋敷の子たちとも会えるようにしてあるから」
朝顔が、少し顔を上げた。
「……楓さんや、杏子さんたちに?」
「うん。藤も蘭もいるよ」
……あっ。
朝顔にとっては、みんなお姉さんみたいなものだね。
「……会えるのが、楽しみです」
朝顔が、小さく微笑んだ。
……ああ。
可愛い!
「うん。あとで紹介するね」
私は、少し考えた。
「まずは、巴さんに会ってもらおうかな」
……うん。
この屋敷の仕事も、巴さんが全体を見てくれているからね。
それに、巴さんに《簡易転移》を設置してもらわないと、みんなも気軽には来られないんだった。
……いや。
今、巴さんは仕事中かな。
急に呼び出すのは、やめておこう。
「あとで、予定を聞いてみるよ」
「……承知いたしました」
朝顔が、静かに頭を下げた。
……うん。
いい子だなぁ。
◇
次は、雑貨屋の準備だ。
店の入口は、街道から分かりやすい位置にしてある。
ただし、畑の作業や近所の人たちの通行を邪魔しないように。
……よし。
と思ったところで、私は店の入口を見上げた。
…………。
……あれ?
ちょっと待って。
入口が、いつもの雑貨屋と同じ大きさだ。
……うん。
普段なら、それで問題ないんだけど。
私は、隣に立っている魔王を見た。
大きな二本の角。
背中の翼。
そして、二メートル半ほどの身長。
…………。
……あっ。
魔王、これだと頭を下げないと入れないんじゃない!?
「……魔王」
「何だ、リアリス殿!」
「ちょっと、あのお店の入口に立ってもらえますか?」
「……む? うむ、よかろう!」
魔王が、入口へ歩いていった。
そして、扉の前で足を止める。
…………。
角が、上の枠に当たりそうだ。
翼を畳んでも、横幅が少し窮屈そう。
魔王は、ぐっと首を下げた。
「……入れぬこともないぞ!」
…………。
……いやいやいや!
魔王が入れるかどうかだけの問題じゃないから!
「すみません! すぐ直します!」
私は、慌てて店の方へ向き直った。
そうだった。
魔国には、魔王よりもっと大きい人もいるんだ。
角も翼も尻尾も、人によって形が違う。
人間の国と同じ入口や天井の高さじゃ、そもそも買い物ができない人が出てしまう。
……ああ。
これは、私の考えが足りなかったね。
「リアリス殿。どうするのだ?」
「雑貨屋を、魔族の皆さんに合わせて大きくします!」
私は、今の店の構造を頭に思い浮かべた。
入口は、三メートルを超える大柄な人でも、角をぶつけずに通れる高さ。
翼を畳んだ人が、すれ違えるくらいの幅。
天井も、通路も、買い物をする場所も広く。
大きな体の人が方向を変えられるようにして、商品棚の間も十分に空ける。
もちろん、小柄な人が使う棚や、手の届く高さの会計台も残そう。
……うん。
大きい人だけの店にするわけじゃないからね。
私は周囲に誰もいないことを確かめ、店の建物だけを改めて思い浮かべた。
「《建築》」
ふわりと光が広がり、雑貨屋が一回り大きくなった。
入口も広く、天井も高い。
店内の通路も、ゆったりしている。
……よし!
「魔王。今度はどうでしょう?」
魔王が、もう一度入口へ向かった。
今度は頭を下げず、そのまま通り抜ける。
翼にも十分な余裕がある。
「……おお!」
魔王が、大きく笑った。
「がっはっは! これなら吾輩も悠々と入れるぞ!」
……ほっ。
よかった!
でも、もうひとつ。
……商品も、考えないとね。
私は、店に並べる予定の品物へ目を向けた。
人間の国と同じ大きさの服や日用品だけでは、魔族の大きな人たちには合わない。
そこで、よく使う商品は人間国の店より少し大きめのものを基本にして、さらに大柄な人向けの特大サイズも用意することにした。
もちろん、小柄な魔族や人間のお客さん用の大きさも残す。
お菓子や飲み物だって、大きい人には少し多めの量があっていいよね。
……うん。
ただし、大きくした分は材料もたくさん使う。
だから、大きいサイズの商品は人間国のものより値段を少し高く設定しよう。
サイズと値段が分かるように表示して、お客さんが自分で選べるようにする。
……よし。
これなら、買い物がしやすそうだ。
グリンヒルダさんが、広くなった店を見渡した。
「……体格の違いまで考えていただけるとは」
「いえ。言われるまで気づかなかったんです」
私は、少しだけ頭をかいた。
「せっかく魔国に店を作ったのに、入れない人がいたら悲しいですから」
魔王は、満足そうに頷いた。
「うむ! これなら皆が来られるな!」
……うん。
やっぱり、実際に暮らす人のことを考えるのが大事だね。
営業するのは、ほかの屋敷と同じく朝九時から夜七時まで。
一般メイドたちが交代で担当し、朝顔一人に負担が集中しないようにする。
商品は《取り寄せ》の魔道具で補充できる。
……うん。
ここも、今までと同じ仕組みだね。
ただ、並べるものは、魔族の人たちが実際に欲しいと思うものを中心にしたい。
何しろ、私はまだこの国の暮らしを全部知っているわけじゃない。
……うん。
勝手に決めつけない方がいいよね。
「魔王。少し、相談してもいいですか?」
「うむ! 何だ?」
「魔族の人たちは、普段どんなものを買うんでしょう?」
魔王が、少し考えた。
「……そうだな。食べ物や道具は、人間の国と大きく違わぬ。だが、好みや体格はさまざまだ」
……ああ。
そうだね。
昨日見た魔族の人たちも、みんな姿が違った。
角のある人。
翼のある人。
尻尾を持つ人。
それなら、服や道具も違ってくるかもしれない。
「最初は、何を求めているか聞きながら増やしていこうかな」
「それがよかろう」
グリンヒルダさんが頷いた。
「魔都には、長く商売をしている者たちもおります。既存の店と競合する商品については、価格や扱い方に配慮いただければ」
「はい。もちろんです」
……うん。
安すぎるものを大量に売って、近所のお店を困らせるつもりはない。
新しい店を開くなら、近くの人たちとも仲良くやりたいもんね。
「それから、試してみたい食べ物もあるんです」
私は、少し笑った。
「魔国の皆さんにも、いろんな国の味を楽しんでもらえたら嬉しいので」
魔王の目が、ぱっと輝いた。
「……菓子か!?」
…………。
……あっ。
まずお菓子なんだね!
「お菓子もありますけど、ほかにもいろいろです」
「うむ! 楽しみにしておるぞ!」
……あはは。
やっぱり、魔王だなぁ。
◇
屋敷の外へ出ると、何人かの魔族の人たちが、遠くからこちらを見ていた。
……うん。
そりゃそうだよね。
さっきまで何もなかった丘の上に、いきなり大きな屋敷ができたんだから。
私だって、近所でそんなことが起きたら見に行くと思う。
しかも、建てたのは人間。
……うん。
まだ警戒されていても、仕方ない。
私は、魔王とグリンヒルダさんへ声をかけてから、人々の方へ歩いた。
桜花と朝顔も、一緒についてきてくれる。
「こんにちは」
私が声をかけると、角のある年配の男性が、少し驚いた顔になった。
「……人間、か?」
「はい。リアリスといいます。今日から、この屋敷を使わせてもらうことになりました」
男性は、屋敷を見上げた。
「……魔王様が、許可したのか」
「はい。お話しして、場所を決めました」
…………。
男性は、しばらく黙っていた。
そして。
「……あんたが、和平の仲介をしたっていう?」
……おっ。
もう知ってるんだ!
「……はい。皆さんが話し合えるよう、お手伝いしました」
男性は、少しだけ眉をひそめた。
「……それで、ここに住むのか」
「はい。ときどき来て、家族と過ごしたいんです」
……うん。
正直に言おう。
「それと、雑貨屋も開く予定です」
「……雑貨屋?」
「はい。買い物ができるお店です。何か欲しいものがあれば、相談してもらえたら嬉しいです」
男性の隣にいた女性が、静かに口を開いた。
「……人間の店なのに、魔族が入ってもいいの?」
…………。
……ああ。
そういう心配があるんだね。
「もちろんです。ここは魔族の国ですから」
私は、笑顔で答えた。
「魔族の皆さんに来てもらいたくて、作ったんです」
女性が、少しだけ目を見開いた。
隣の男性も、驚いた顔になった。
……うん。
まだすぐには信用してもらえないと思う。
でも。
ちゃんと話して、少しずつ分かってもらえたらいいな。
「……そうか」
年配の男性が、小さく頷いた。
「……なら、開いたら一度覗いてみる」
…………。
……おお!
「ありがとうございます!」
私は、思わず頭を下げた。
男性は、少し照れたような顔で背を向けた。
……ああ。
いいね。
こういう小さなやり取りが、これから増えていくと嬉しいな。
◇
少しすると、店の入口に看板が付いた。
朝顔たちが、商品の配置を確認している。
私は、《取り寄せ》の魔道具が正常に動くことだけ確かめた。
……うん。
大丈夫。
ほかの店と同じように、陳列していない品物も、案内を見て注文できる。
ただ、魔国で初めて売るものについては、用途をきちんと説明してもらおう。
何だか分からないものを、いきなり買わされるのは嫌だもんね。
「……リアリス様」
朝顔が、私の袖をそっと引いた。
「ん?」
「お店の入口に、最初のお客様がいらっしゃいました」
…………。
……おお!
もう!?
私は、扉の方へ目を向けた。
さっき話した、角のある年配の男性だった。
その隣には、長い尻尾を持つ女性。
二人とも、少し緊張した様子で中を覗いている。
「いらっしゃいませ!」
私が声をかけると、男性が小さく頷いた。
「……言ったからな。覗いてみるって」
「ありがとうございます!」
……ああ。
本当に来てくれたんだ。
私は、商品棚を案内した。
日用品。
保存の利く食べ物。
ちょっとしたお菓子。
それから、魔族の人たちが使いやすいように、サイズを確認して用意した道具類。
……うん。
最初から全部そろっているわけじゃない。
でも、これから少しずつ増やしていけばいいよね。
「……これは、何だ?」
男性が、小さな袋を手に取った。
「お茶です。お湯を入れて飲むんですよ」
「……人間の国のものか」
「はい。でも、魔族の国で飲んでも美味しいと思います」
……うん。
そういうところから、仲良くなれるかもしれないね。
女性は、お菓子の棚を見ていた。
「……こっちは?」
「甘い焼き菓子です」
…………。
……おっ。
興味を持ってくれたみたい。
私は、試食用に小さく分けたものを渡した。
女性が、一口食べる。
…………。
……どうかな。
少しの沈黙。
そして。
「……おいしい」
…………。
……おお!
「それなら、よかった!」
女性が、少しだけ笑った。
……ああ。
嬉しいなぁ。
人間の国で売っていたものを、魔族の人たちにも喜んでもらえた。
それだけで、今日ここへ来た意味がある気がする。
◇
そんな穏やかな時間が流れていた、そのとき。
外から、どしん、どしん、と重い足音が聞こえてきた。
…………。
……ん?
何だろう。
私は、店の外へ目を向けた。
街道の向こうから、大きな影が近づいてくる。
……いや。
大きいなんてもんじゃない。
身長は、三メートルくらいあるんじゃないかな。
筋肉質の体。
頭には、立派な一本角。
全身は、毛深い。
……おお。
すごい迫力だね。
その魔族の後ろには、何人かの兵士がついていた。
近所の人たちが、道の端へ避けている。
…………。
……うん。
有名な人なのかな。
大きな魔族は、私たちの前で足を止めた。
「……ここか!」
…………。
……おお。
声も大きい!
「魔王様の許しを得て、人間が屋敷を建てたというのは!」
私は、前へ出た。
「はい。私です」
大きな魔族が、私を見下ろした。
「……お前が?」
「リアリスといいます。初めまして」
私が頭を下げると、相手は少しだけ目を細めた。
「……ふん。俺はゴリアテ! ドルステン魔国の将軍だ!」
…………。
……おお!
将軍さんだった!
……なるほど。
それなら、強そうなのも納得だね。
でも。
……あれ。
何だか、怒ってる?
◇
「リアリスと言ったな!」
「はい」
「聞いたぞ! 貴様が魔王様と友好の取り決めを結んだ人間だと!」
「……そうです」
……うん。
そうだけど。
それが、どうしたんだろう。
「魔王様は、貴様を認めたらしいな!」
「……はい。ありがたいことに」
「だが、俺はまだ認めておらん!」
…………。
……あっ。
なるほど。
この人は、納得してないんだね。
ゴリアテさんの後ろにいた兵士たちが、少し困った顔をしている。
……うん。
魔王の許可があるなら、勝手に止められない。
でも、将軍さんが怒ってるから、放っておくわけにもいかない。
……そういうことかな。
「何が心配なんですか?」
私は、落ち着いて聞いた。
ゴリアテさんは、腕を組んだ。
「……人間が、魔都のすぐ近くに屋敷を構えた! 魔王様は許したが、俺たち兵が、それを警戒せずにいられるか!」
…………。
……ああ。
そっか。
この人も、国を守る仕事をしているんだ。
「もちろん、警戒していいと思います」
「……何?」
「将軍さんなら、国の安全を考えるのは当然ですから」
ゴリアテさんが、少し眉を動かした。
……うん。
ただ、ひとつだけ。
「でも、私はここに住んで、お店を開きたいだけなんです。魔王国を攻めるつもりはありません」
「……口では、何とでも言える!」
…………。
……うん。
前に、街道の兵士さんからも言われたね。
今は和平が成立したばかり。
言葉だけで信用してもらうのは、難しいんだろう。
「それなら、どうすれば安心してもらえますか?」
ゴリアテさんは、しばらく私を見た。
そして。
「……貴様の力を見せろ!」
…………。
……あっ。
やっぱり、そうなる?
「俺は、弱い者が魔王様の信頼を得たなど、簡単には信じられん!」
……うん。
なるほど。
この人、強さを大事にするんだね。
でも。
私は、自分が強いことをちゃんと分かっている。
剣でも、魔法でも。
ここで本気を出したら、将軍さんに大怪我をさせかねない。
……それは、嫌だな。
「私の強さを証明するために、誰かを傷つけるつもりはありません」
私は、はっきり答えた。
「お話ならできますけど、決闘は遠慮したいです」
「……何だと!」
ゴリアテさんが、目を見開いた。
「俺が怖いのか!」
…………。
……ああ。
その受け取り方になるんだね。
「怖いわけじゃないですよ」
私は、落ち着いて続けた。
「ただ、戦いたくないんです」
……うん。
戦って勝てる自信はある。
でも、勝つ意味がない。
せっかく和平が成立したばかりなのに。
ここで、人間と魔族が殴り合う理由を増やしたくないんだ。
◇
「……リアリス様」
静かな声が、私の隣から聞こえた。
……おっ。
朝顔だ。
朝顔は、ゴリアテさんをまっすぐ見つめている。
その表情は、いつもどおり落ち着いていた。
「……私が、お相手いたしましょうか」
…………。
……えっ。
朝顔が?
「……大丈夫?」
「はい」
朝顔が、小さく頷いた。
「この方は、リアリス様の実力を確かめたいのではなく、強さを持つ者がここにいることを確認したいのだと思います」
…………。
……ああ。
なるほど。
ゴリアテさんが心配しているのは、魔都の近くに知らない人間が住むこと。
その人間が何をするか、誰が止められるのか。
……うん。
朝顔の言うことも、分かる。
「……でも、無理しないでね」
「もちろんでございます」
朝顔は、ほんの少しだけ笑った。
「……ここは、私が守るお屋敷ですので」
…………。
……ああ。
そうだった。
朝顔は、この家の管理を引き受けてくれたんだ。
力も、ちゃんと持っている。
私は、自分で作ったホムンクルスたちの強さを知っている。
……うん。
朝顔なら、相手を傷つけすぎずに止められると思う。
ただし、ゴリアテさんも魔国の将軍だ。
油断していい相手じゃない。
「桜花。何かあったら、すぐ止めよう」
「承知しております」
……うん。
私も、結界を準備しておこう。
そうすれば、どちらが危なくなっても、すぐ守れる。
◇
朝顔が、一歩前へ出た。
「……ゴリアテ将軍」
「……何だ、小娘!」
「決闘をご希望でしたら、私がお相手いたします」
…………。
ゴリアテさんが、朝顔を見下ろした。
……いや。
これは、すごい身長差だね。
三メートルほどの将軍さん。
百五十センチほどの朝顔。
……うん。
ちょうど、倍くらいだ。
「……お前が、俺と戦うだと?」
「はい」
「……ふざけるな! 俺は将軍だぞ!」
朝顔は、まったく表情を変えなかった。
「……存じております」
「ならば、退け!」
「リアリス様は、不要な争いを望んでおられません」
朝顔が、静かに続けた。
「ですが、この屋敷の安全をお確かめになりたいのでしたら、私がお見せいたします」
…………。
……おお。
朝顔。
落ち着いてるなぁ。
ゴリアテさんの眉が、ぴくりと動いた。
「……面白い!」
…………。
……あっ。
笑った。
「そこまで言うなら、受けて立とうではないか!」
……うん。
こうなったか。
でも、決闘するなら、ちゃんと条件を決めよう。
「待ってください!」
私は、二人の間へ入った。
「戦うなら、怪我をさせないこと。それから、どちらかが動けなくなったら、すぐに終わりです」
ゴリアテさんが、私を見た。
「……それでは、勝負にならん!」
「なりますよ。力を確かめたいだけなら、相手を殺す必要はありません」
私は、はっきり言った。
「それに、ここはお店の前です。お客さんや近所の人に危険が及ぶようなら、私が止めます」
…………。
ゴリアテさんが、少し黙った。
それから、腕を組む。
「……ふん。よかろう!」
……ほっ。
よかった。
「朝顔も、無理しないでね」
「はい。リアリス様」
朝顔が、静かに頷いた。
……うん。
じゃあ、始めようか。
◇
決闘の場所は、屋敷から少し離れた開けた場所にした。
街道にも、畑にも、家にも影響が出ないところ。
私は、周囲へ《結界》を張った。
戦う二人を閉じ込めるためではなく、衝撃が外へ伝わらないようにするためのもの。
……うん。
これなら、安心して見守れる。
ゴリアテさんは、両腕を大きく回した。
……おお。
筋肉が、すごいね。
地面へ足を踏み込むたびに、土が少し沈んでいる。
でも。
朝顔は、いつもどおり静かに立っていた。
小さな体。
濃い桃色の髪。
メイド服の裾が、風に揺れている。
…………。
……いやぁ。
見た目だけなら、どう考えても大人と子どもの勝負だね。
でも、私は朝顔の強さを知っている。
桜花と同じように、ホムンクルスとして必要な力を持たせている。
……うん。
相手は魔国の将軍。
でも、朝顔が一方的に危険になるとは思わない。
「……始め!」
私は、合図を出した。
次の瞬間。
どんっ!
ゴリアテさんが、地面を蹴った。
…………。
……おお。
速い!
三メートルの大きな体なのに、動きが鋭い。
踏み込みだけなら、並の剣士では目で追えないかもしれない。
……うん。
さすが将軍さんだ。
でも。
朝顔は、動かなかった。
…………。
……いや。
正確には、ほんの少しだけ体をずらした。
ゴリアテさんの拳が、空を切る。
直後、朝顔が小さく一歩踏み込んだ。
……おっ。
肩に触れた?
いや。
押したみたいだね。
次の瞬間。
「……ぬおっ!?」
ゴリアテさんの大きな体が、わずかに傾いた。
…………。
……おお。
体勢を崩した!
朝顔は、手を離して静かに後ろへ下がった。
……うん。
無理に追い打ちはしないんだね。
「……貴様!」
ゴリアテさんが、目を見開いた。
「……今のは、何だ!」
「……体勢を崩しただけでございます」
朝顔が、穏やかに答えた。
「……何!?」
…………。
……あはは。
確かに、そうなんだけどね。
でも、あの大きな体を簡単に動かしたんだから、驚くよね。
◇
「……もう一度だ!」
ゴリアテさんが、今度は慎重に構えた。
……うん。
さっきの一撃で、朝顔の力を認めたんだろうね。
足を止め、相手の動きを見ている。
……おお。
やっぱり将軍さんだ。
力任せに突っ込むだけじゃない。
朝顔も、静かに呼吸を整えた。
……いや。
この子、ほとんど息も乱れてないけど。
ゴリアテさんが、右へ動いた。
続いて、左。
……おっ。
朝顔の反応を見ている。
次の瞬間、低い姿勢から腕が伸びた。
朝顔は、半歩だけ下がる。
拳が届かない。
さらに、ゴリアテさんが体をひねった。
……あっ。
反対の腕が来る!
でも、朝顔はその動きに合わせて、相手の懐へ入った。
……うん。
すごいな。
大きな体の相手を、ちゃんと見てる。
朝顔の手が、ゴリアテさんの腕へ触れた。
そして、力の向きを少しだけ変える。
どんっ!
ゴリアテさんが、片膝をついた。
…………。
……おお!
今度は、完全に崩された!
「……くっ!」
ゴリアテさんが、地面へ手をついた。
でも、すぐ立ち上がる。
……うん。
まだ戦う気だね。
ただし、朝顔は追いかけない。
相手が立つのを待っている。
……ああ。
いい子だなぁ。
「……ゴリアテ将軍」
朝顔が、静かに言った。
「……何だ!」
「……そろそろ、終わりにいたしましょう」
…………。
……おっ。
朝顔。
もう、終わらせるつもりなんだ。
ゴリアテさんの顔が、少し赤くなった。
「……まだだ! 俺は、まだ負けておらん!」
…………。
……ああ。
そうか。
将軍としての誇りもあるんだね。
でも。
ここで無理をすれば、怪我につながる。
……うん。
朝顔も、分かっているはずだ。
◇
ゴリアテさんが、もう一度踏み込んだ。
今度は、両腕を広げて朝顔の動きを封じようとしている。
……あっ。
捕まえるつもりだ。
小さな朝顔を、力で押さえ込もうとしてるんだね。
でも。
朝顔は、慌てなかった。
相手の腕が届く直前、足を半歩だけ引く。
次の瞬間。
すっ。
……えっ。
朝顔の姿が、ゴリアテさんの横へ移動した。
いや。
目で追えなかったわけじゃない。
分かってたけど、それでも速いね。
朝顔は、ゴリアテさんの腕を取った。
そして。
大きな体を、その場でくるりと回す。
…………。
……おおっ!?
次の瞬間。
どさっ!
ゴリアテさんが、背中から地面へ倒れた。
もちろん、柔らかく整えておいた場所だ。
大きな体が転がっても、土埃が少し上がっただけ。
……うん。
これなら、怪我はしない。
朝顔は、すぐに片膝をついた。
倒れたゴリアテさんの腕を、無理のない角度で押さえている。
「……参りましたか?」
…………。
……おお。
完全に動きを止めた!
ゴリアテさんが、ぐっと力を入れた。
……うん。
まだ動こうとしてるね。
でも。
朝顔の手は、びくともしない。
……おお。
すごい。
「……ぬおおおっ!」
ゴリアテさんが、もう一度力を込めた。
……でも、動かない。
「……う、動かん……!」
…………。
……あっ。
そこまで言ったら、もう勝負はついたね。
私は、一歩前へ出た。
「そこまで!」
朝顔が、すぐに手を離して立ち上がる。
ゴリアテさんは、しばらく地面を見つめていた。
……うん。
怪我はない。
《サーチ》でも、ちゃんと確かめた。
よかった。
朝顔も、落ち着いた顔で相手を見守っている。
……ああ。
誰も傷つかずに終わったね。
◇
「……将軍さん、大丈夫ですか?」
私が声をかけると、ゴリアテさんがゆっくり起き上がった。
「……くっ」
…………。
……あっ。
悔しそうだね。
でも、腕も足も問題なく動いている。
私は、少し安心した。
「……こんな小娘に……」
ゴリアテさんが、朝顔を見た。
……うん。
何とも言えない顔だ。
朝顔は、まっすぐ相手を見ている。
「……ご無礼をお許しください」
…………。
……おっ。
朝顔が謝った。
「……必要以上に痛めつけるつもりはございませんでした」
ゴリアテさんは、しばらく黙っていた。
そして。
「……ふん!」
…………。
……あっ。
また怒る?
私は、少しだけ身構えた。
でも。
「……見事だった!」
…………。
……おお!
「……俺の負けだ!」
ゴリアテさんが、はっきり言った。
……よかったぁ。
ちゃんと認めてくれた!
「……小さいからと、侮っていた!」
ゴリアテさんは、朝顔へ頭を下げた。
「……すまなかった!」
…………。
……おお。
将軍さんも、ちゃんと謝れるんだね。
朝顔が、小さく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
……ああ。
何だか、いい感じ。
私は、二人へ近づいた。
「将軍さん。これで少しは安心してもらえましたか?」
ゴリアテさんが、私を見た。
「……ああ。少なくとも、この屋敷を守る者が弱くないことは分かった!」
……うん。
それなら、よかった。
「でも、私たちは魔王国と戦うためにここへ来たわけじゃありません」
私は、ゆっくり続けた。
「この家で暮らして、近所の人たちとも仲良くなりたいだけなんです」
ゴリアテさんは、しばらく私を見つめた。
そして。
「……分かった!」
…………。
……おお。
「魔王様が認めた理由も、少しは分かった気がする!」
……ああ。
嬉しいな。
この人も、ただ強さにこだわっているだけじゃない。
国を守ろうとしているんだね。
◇
そこへ。
「……ゴリアテ!」
大きな声が、こちらへ響いた。
……おっ。
聞き覚えがあるね。
振り返ると、魔王が歩いてきていた。
その隣には、グリンヒルダさん。
……ああ。
さっき、城へ戻るって言ってたけど。
騒ぎを聞いて、来たのかな。
「……魔王様!」
ゴリアテさんが、背筋を伸ばした。
「貴様、何をしておる!」
魔王が、低い声で言った。
……うん。
これは、ちょっと怖いね。
でも。
ゴリアテさんは、すぐに頭を下げた。
「……申し訳ありません! 人間の屋敷を警戒し、力を確かめようとしておりました!」
「……まったく!」
魔王が、腕を組んだ。
「昨日、和平が成立したばかりではないか!」
…………。
……ああ。
ちゃんと怒ってくれてる。
「しかも、リアリス殿は吾輩の友人だ! その家族へ決闘を挑むとは、何事か!」
…………。
……おお。
友人。
魔王が、そう言ってくれた。
何だか、少し嬉しいね。
私は、一歩前へ出た。
「魔王。将軍さんも、魔国の安全を心配していたみたいです」
魔王が、私を見る。
「……うむ?」
「私たちは誰も怪我してませんし、朝顔のことも認めてくれました」
私は、ゴリアテさんを見た。
「だから、もう大丈夫だと思います」
…………。
魔王は、しばらく私と朝顔を見比べた。
そして、深く息を吐いた。
「……リアリス殿がそう申すなら、今回はよかろう」
……ほっ。
よかった。
「ただし、ゴリアテ!」
「……はっ!」
「次に誰かの力を確かめたいときは、先に相手の意思を聞け!」
…………。
……おお。
そうそう。
それが大事だよね。
「……承知いたしました!」
ゴリアテさんが、深く頭を下げた。
……うん。
これなら、きっと大丈夫。
でも。
グリンヒルダさんの三つの目が、朝顔をじっと見ている。
……あれ。
何だろう。
「……リアリス殿」
「はい?」
「今の少女は、魔国の将軍を容易に制圧したのでございますな」
…………。
……あっ。
そうだね。
「……はい。朝顔は、強いですから」
私は、素直に答えた。
グリンヒルダさんは、ゆっくり額へ手を当てた。
……ああ。
また、いつもの反応だね。
◇
騒ぎが収まったころには、店の前に何人もの魔族が集まっていた。
……うん。
そりゃ、気になるよね。
大きな将軍さんが、あんなに小さな朝顔に負けちゃったんだから。
でも、私はそれを宣伝に使うつもりはなかった。
強いから買い物に来てください、なんて言われても困るだろうし。
ここは、普通のお店なんだから。
「……皆さん」
私は、集まった人たちへ声をかけた。
「驚かせてしまって、すみません。もう危ないことはありません」
近くの女性が、少しだけ首を傾げた。
「……あの女の子、強いのね」
「はい。でも、普段はここの管理をしてくれる子です」
朝顔が、静かに頭を下げた。
「朝顔と申します。よろしくお願いいたします」
…………。
……おお。
丁寧な挨拶。
さっきまで将軍さんを押さえてたのに。
今は、いつもの可愛い朝顔だね。
年配の男性が、小さく笑った。
「……なら、次は普通に買い物させてもらおうか」
「もちろんです!」
私は、笑顔で答えた。
……うん。
こうして、お客さんが増えるのは嬉しい。
朝顔とメイドたちが、店の入口へ並ぶ。
「いらっしゃいませ」
……おお。
もう、ちゃんとお店になってる!
今日は、まだ試しに開けているだけだけど。
みんなが安心して入れる場所にしていきたいね。
◇
「……ところで」
ゴリアテさんが、私の隣へ来た。
……おっ。
何だろう。
「……その店には、食べ物もあるのか?」
「はい。ありますよ」
ゴリアテさんが、少しだけ目を細めた。
「……辛いものは、あるか?」
…………。
……おお。
辛いもの!
「ありますよ。いろいろ」
「……ほう!」
……あっ。
ちょっと嬉しそうだね。
「例えば、こんなのはどうでしょう」
私は、《収納》から小さな容器を取り出した。
中には、赤い調味料で漬け込んだ野菜。
……うん。
これなら、どうかな。
「キムチっていう食べ物です」
…………。
ゴリアテさんの目が、大きくなった。
「……キムチ!?」
……おお。
知ってるんだ!
「好きなんですか?」
「……大好きだ!」
…………。
……あはは。
さっきまでの険しい顔が、嘘みたいだね。
「じゃあ、少し試してみます?」
「……よいのか!?」
「もちろんです」
私は、小皿に少し取り分けた。
ゴリアテさんが、一口食べる。
…………。
……どうかな。
しばらく沈黙。
そして。
「……うまい!!」
…………。
……おお!
「辛さがよい! 酸味もよい! これは、うまいぞ!」
……あはは。
すごく喜んでる!
「それなら、よかったです」
私は、笑顔で答えた。
「お店にも置いてみますね」
「……本当か!?」
「はい。もし気に入ったら、また買いに来てください」
ゴリアテさんが、大きく頷いた。
「……うむ! 必ず来る!」
…………。
……ああ。
何だか、面白いね。
魔王はイチゴのショートケーキ。
将軍さんはキムチ。
……うん。
魔国の偉い人たちは、食べ物の話になると急に親しみやすくなるのかもしれない。
「……リアリス殿」
魔王が、私のそばへ来た。
「はい?」
「吾輩の分の菓子も、もちろんあるのであろうな?」
…………。
……あっ。
やっぱり!
「ありますよ!」
「うむ! それなら安心だ!」
…………。
……いやいや。
お店の心配って、そこなの!?
グリンヒルダさんが、静かに息を吐いた。
……ああ。
この人、今日も大変だね。
◇
ひと段落したところで、私は屋敷へ戻った。
朝顔も一緒に来てくれる。
「朝顔。今日は、頑張ったね」
「……ありがとうございます」
「でも、さっきみたいな決闘は、できればもうしないでね」
朝顔が、少しだけ目を伏せた。
「……はい。私も、望んでおりません」
……うん。
そうだよね。
この子は、戦うためだけに生まれたわけじゃない。
家を守る力は持っていても、普段は普通に暮らしてほしい。
「……でも、朝顔がいてくれて安心したよ」
私は、笑顔で言った。
朝顔が、ゆっくり顔を上げた。
「……本当ですか?」
「うん。すごく頼もしかった」
…………。
朝顔の頬が、ほんの少しだけ赤くなった。
……ああ。
可愛い!
「……リアリス様」
「ん?」
「……私も、ここで暮らせることが嬉しいです」
…………。
……ああ。
そう言ってもらえると、私も嬉しい。
「これからも、よろしくね」
「……はい」
朝顔が、小さく頷いた。
……うん。
五つ目の家にも、大切な家族ができたね。
◇
夕方前。
魔王とグリンヒルダさんは、そろそろ城へ戻ることになった。
「リアリス殿!」
「はい!」
「今日は、よいものを見せてもらった!」
魔王が、屋敷を見上げた。
「一瞬で家を建て、将軍を負かすほどの者を迎え、店まで開いた!」
……あはは。
言われてみれば、確かにいろいろあったね。
「でも、まだ始まったばかりですよ」
私は、店の方を見た。
魔族の人たちが、少しずつ買い物に来てくれている。
朝顔たちも、落ち着いて対応していた。
……うん。
これから、少しずつ慣れていってほしい。
「このお店も、皆さんに必要だと思ってもらえるようにしていきたいです」
魔王が、重々しく頷いた。
「……うむ。吾輩も、そう願う」
グリンヒルダさんが、続ける。
「魔国側でも、周辺住民への案内や、商人たちとの調整を進めましょう」
「ありがとうございます」
……うん。
こうして協力してもらえるなら、安心だね。
魔王は、朝顔にも声をかけた。
「朝顔殿!」
「……はい、魔王様」
「この屋敷と、リアリス殿を、頼んだぞ!」
朝顔が、静かに頭を下げた。
「……お任せください」
……うん。
頼もしいね。
魔王が、大きく笑った。
「がっはっは! では、また会おう!」
「はい。また!」
魔王たちが帰っていく。
私は、その背中を見送った。
……ああ。
こうして、魔王と普通に「またね」って言える。
何だか、すごいことだよね。
◇
……さて。
店も開いたし、ゴリアテさんとの騒ぎも収まった。
でも、まだ忘れちゃいけないことがある。
……そう!
《簡易転移》と、朝顔の顔合わせだ。
私は、朝顔を呼んだ。
「朝顔。少しだけ時間をもらえる?」
「……はい。リアリス様」
「巴さんに扉をつないでもらって、それから楓たちも紹介したいんだ」
朝顔が、ほんの少し目を輝かせた。
「……皆様に、お会いできるのですね」
「うん! 今日のうちに紹介するよ」
……ああ。
この子、楽しみにしてくれてたんだもんね。
私は《映像通話》で巴さんへ連絡した。
『あら、リアリスちゃん。お家はできた?』
「うん! 朝顔も、十人のメイドたちも元気だよ」
『まあ。それはよかったわ』
「それで、巴さん。まだ《簡易転移》をつないでないんだけど、設置をお願いしてもいい?」
『もちろんよ。そろそろ、そちらへ行こうと思っていたところなの』
…………。
……おお。
さすが巴さん。
「じゃあ、今から迎えに行くね!」
『ええ。お願いね』
私は桜花に屋敷を見てもらい、一度《転移》で王国邸へ戻った。
そして、巴さんを連れて魔国邸へ。
……うん。
設置する前だから、最初だけは私の《転移》で移動しないとね。
◇
「まあ。素敵なお屋敷ね」
魔国邸の玄関に立った巴さんが、ゆっくり周りを見渡した。
「内装は紫を基調にしてみたんだ」
「ふふ。落ち着いた色で、いいと思うわ」
……おお。
褒めてもらえた!
そこへ、朝顔が一歩前へ出た。
「……初めまして。朝顔と申します」
巴さんは、少し腰を落として、少女と目線を合わせた。
「私は巴よ。よろしくね、朝顔ちゃん」
「……はい。よろしくお願いいたします」
……ああ。
いいねぇ。
巴さんは、そっと朝顔の頭を撫でた。
「お仕事のことも、困ったことがあったら何でも聞いてね。一人で抱えなくていいんだから」
「……はい」
朝顔の頬が、ほんの少しだけ緩んだ。
……うん。
やっぱり、巴さんには不思議な安心感があるよね。
「じゃあ、扉を見せてもらえる?」
「こっちだよ」
私が案内したのは、屋敷の廊下に用意した一枚の扉。
巴さんは、扉へ手を添えた。
「ここから、王国邸やほかのお屋敷へ行き来できるようにするわね」
「うん。お願いします!」
「《簡易転移》」
扉の縁を、柔らかな光が走った。
巴さんは、しばらく目を閉じていた。
そして、ゆっくり手を離す。
「……はい。これでつながったわ」
…………。
……おお!
「もう使えるの?」
「ええ。ちゃんと確認しましょう」
巴さんが扉を開ける。
向こうには、見慣れた王国邸の廊下があった。
……あっ。
本当につながってる!
巴さんが向こうへ一歩出て、すぐ戻ってきた。
「ふふ。問題なさそうね」
「ありがとう、巴さん!」
私は、思わず笑顔になった。
……うん。
これで五つ目の屋敷も、ほかの四つと行き来できるようになった。
もちろん、扉を使える人の管理も、巴さんと朝顔にお願いする。
知らない人が勝手にほかの国へ行けたら、大変だからね。
「朝顔。これからは、困ったら遠慮しないで連絡してね」
「……はい」
朝顔が、丁寧に頭を下げた。
……ああ。
これなら安心だね。
◇
「それから、もう一つ」
巴さんが、朝顔を見て微笑んだ。
「お姉さんたちにも、会っておきましょうか」
…………。
……おお。
そうだった!
私は、《映像通話》で楓、杏子、藤、蘭に連絡した。
みんなの仕事の区切りを確かめて、少しだけ魔国邸へ来てもらうことにする。
それぞれの屋敷は、一般メイドたちが仕事を続けてくれている。
結界もあるし、すぐ戻れる扉もある。
……うん。
短い時間なら、大丈夫そうだね。
最初に現れたのは、楓。
「……リアリス様」
「こんにちは、楓!」
橙色の短い髪が、こちらへ向いた。
楓の視線が、朝顔で止まる。
「……新しい子?」
「うん。朝顔だよ」
朝顔が、静かに頭を下げた。
「……朝顔と申します。よろしくお願いいたします」
楓は、少しだけ近づいて、その手を取った。
「……楓。よろしく」
…………。
……おお。
楓が、自分から手を取った!
何だか、嬉しいなぁ。
続いてやってきたのは、杏子。
白から淡い桃色へ変わる髪を揺らしながら、朝顔の前に立った。
「……杏子です。会えて嬉しいです」
「……私も、嬉しいです」
朝顔が、ちょっと緊張したように答える。
……うん。
そうだよね。
初めてお姉さんたちに会うんだもんね。
その次は、藤。
薄紫色の髪の少女は、新しい屋敷をちらりと見回したあと、朝顔へ小さく頷いた。
「……藤。困ったら、何でも聞いて」
「……ありがとうございます」
そして、最後に蘭がやってきた。
淡い桃色の髪が、朝顔の濃い桃色と並ぶ。
……おお。
何だか、姉妹みたいだね。
「……蘭と申します」
「……朝顔です。よろしくお願いいたします」
二人が、そっと頭を下げ合う。
蘭は、少しだけ微笑んだ。
「……お花、一緒に育てられると嬉しいです」
…………。
……あっ。
いいね、それ!
「このお屋敷にも花壇があるよ!」
私が言うと、朝顔の目が少しだけ輝いた。
「……ぜひ、ご一緒したいです」
……ああ。
可愛いなぁ。
そのあと、楓が朝顔の隣へ並び、杏子も藤も蘭も、自然に近づいた。
最初は少し緊張していた朝顔も、いつの間にか小さく笑っている。
……うん。
よかった。
ちゃんと、仲良くなれそうだね。
「朝顔。今日からこの子たちも、みんな家族だよ」
「……はい。とても、嬉しいです」
朝顔が、私を見上げた。
……ああ。
そんな顔をされたら。
やっぱり、頭を撫でたくなっちゃうね。
私は、そっと朝顔の頭を撫でた。
楓も、杏子も、藤も、蘭も、みんな静かに微笑んだ。
……うん。
これで、魔国邸も本当に家族の家になった気がする。
ひとしきり話したあとは、四人ともそれぞれの担当邸へ戻っていった。
もちろん、いつでも会える。
扉一枚でつながっているんだからね。
巴さんは一足先に《簡易転移》の扉から王国邸へ戻り、私と桜花はもう少しだけ魔国邸の様子を確認することにした。
「朝顔。あとはよろしくね」
「……はい。リアリス様」
「明日も、無理しすぎないでね」
「……承知いたしました」
朝顔は、私と桜花へ丁寧に頭を下げた。
……うん。
また、すぐに会えるね。
◇
屋敷の仕事をひととおり確認したあと、私は桜花と一緒に王国邸へ戻った。
今度からは、屋敷の扉でも行き来できる。
ちょっとした買い物に魔国へ行くことも、できるんだ。
……いや。
それを聞いた巴さんが、また何か言いそうだね。
「ただいまー!」
玄関を開けると、楓が出迎えてくれた。
「……おかえりなさいませ、リアリス様」
「ただいま、楓!」
その奥から、カトレアが走ってきた。
「……お父さん!」
「ただいま!」
私は、カトレアを抱き上げた。
……ああ。
やっぱり、可愛いなぁ。
「……お家、できた?」
「うん! ちゃんとできたよ」
「……お花は?」
「花壇も作ったよ」
カトレアが、ぱっと笑った。
「……見たい!」
「もちろん。もう安全も確認できたから、今度一緒に行こうね」
「……やった!」
……うん。
その約束も、ちゃんと守ろう。
桜花が、隣で微笑んでいる。
……ああ。
今日は、朝顔にも会えたし。
魔族の人たちにも、少しずつお店を見てもらえた。
良い一日だったなぁ。
◇
夕食の席では、巴さんが新しい屋敷のことを聞いてくれた。
「魔国のお家も、無事にできたのね」
「うん。朝顔っていう子も迎えたよ」
「あら、新しい子が増えたのね」
巴さんが、嬉しそうに微笑んだ。
「今度、会いに行かなくちゃ」
「ぜひ! 朝顔も楽しみにしてたよ」
……うん。
巴さんが行けば、きっとみんな安心すると思う。
何しろ、うちのお母さんみたいな人だもんね。
「それで、魔王さんはどうしてたの?」
巴さんが、何気なく聞いた。
…………。
……あっ。
魔王。
今日も、ケーキの話をしてたなぁ。
「……とても元気でしたよ」
「ふふ。それなら、よかったわ」
……うん。
間違ってない。
全然、間違ってないよ!
カトレアが、私の袖を引いた。
「……まおうさん、ケーキ好き?」
「うん。すっごく好きだよ」
「……じゃあ、いつか一緒に食べたい!」
…………。
……ああ。
そうだね。
そのうち、魔王をお茶に招くのもいいかもしれない。
もちろん、仕事の話じゃなくて。
普通に、みんなでお菓子を食べるために。
「うん。いつか、そうしようね」
カトレアが、嬉しそうに頷いた。
……ああ。
楽しみだなぁ。
◇
夜。
私は、シルク王国邸の窓から空を見上げていた。
今日も、星が綺麗だ。
……うん。
王国。
帝国。
魔法国。
聖国。
そして、魔国。
これで、五つの国に帰れる家ができた。
……おお。
改めて考えると、すごいことだね。
でも。
私は、家の数を増やしたいだけじゃない。
それぞれの国で、仲良くしてくれる人が増えていくのが嬉しいんだ。
王国の人たち。
帝国の人たち。
魔法国の人たち。
聖国の人たち。
そして、今日出会った魔族の人たち。
……うん。
いろんな国の人が、安心して笑えるようになったらいいな。
「リアリス様」
後ろから、桜花が声をかけた。
「ん?」
「今日は、お疲れさまでございました」
「ありがとう、桜花」
私は、窓の外を見たまま答えた。
「……何だか、和平って、すごいことだね」
「……はい」
「最初は、ただ魔王に話を聞きに行こうと思っただけだったのに」
……うん。
そこから、会談が始まって。
二千年前の真相が分かって。
五か国が、同じ約束をして。
今日、魔国にも家ができた。
……ああ。
何だか、あっという間だったね。
「……でも、これからなんだよね」
私は、静かに言った。
「はい。皆様の新しい暮らしは、これから始まるのでございます」
……うん。
そうだね。
和平は、できた。
でも、仲良く暮らせるようになるには、時間がかかる。
小さなお店。
何気ない挨拶。
一緒に飲むお茶。
そういうものが、少しずつ人と人の距離を縮めていくのかもしれない。
……うん。
今日の朝顔のお店みたいにね。
「さて。明日は、ちょっとのんびりしようか」
「ふふ。そうなさるのがよろしいかと」
桜花が、静かに笑った。
……ああ。
そうだよね。
最近、いろんなことがありすぎたもん。
たまには、家族でゆっくり過ごしたいな。
私は、もう一度夜空を見上げた。
そのとき。
遠くの空で、小さな光が、ひとすじ流れた。
…………。
……ん?
今の、流れ星かな。
でも、普通の星にしては、少し変わった光り方だったような。
……うーん。
気のせいかな。
「リアリス様?」
「……あ、いや。何でもないよ」
私は、首を振った。
……うん。
きっと、ただの流れ星だろう。
それより、明日は何をしようかな。
カトレアとお花を見て。
巴さんのご飯を食べて。
桜花とお茶を飲んで。
……ああ。
それだけで、十分幸せだね。
私は、窓をそっと閉めた。
……うん。
これで、魔王国にも帰れる家ができた。
二千年の争いを越えて、人と魔族が新しく歩き始める。
その第一歩を、私も見届けることができた。
……よかった。
本当に、よかったなぁ。
ただし。
夜空の向こうで、何かが起き始めていることには。
このときの私は、まだ気づいていなかった。
――魔王の国にできた五つ目の家。そこには、新しい家族と、新しい日常が待っていた。




