↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/127

第3話:同じ食卓で和平会談を

 翌朝。


 シルク王国邸の食堂には、いつもどおり朝食の香りが漂っていた。


 でも、今日は少しだけ落ち着かない。


 ……いや。


 私が、だね。


 昨日、魔王ドルステンと話してきた。


 人間の四か国と、魔族の国。


 その代表が、今日ここへ集まることになっている。


 ……うん。


 改めて考えると、すごい話だ。


 国王に皇帝、法師長に教皇。


 そして、魔王。


 みんな、私が会ったことのある人たちだけど。


 全員が同じ部屋に集まるなんて、さすがに初めてだ。


「リアリスちゃん」


 巴さんが、私の前に温かいスープを置いた。


「……はい?」


「朝ご飯は、ちゃんと食べなさいね」


 …………。


 ……あっ。


 考え事をして、手が止まってた。


「いただきます!」


「ふふ。今日は大事なお話があるんでしょう?」


「うん」


 私は、スープを一口飲んだ。


 ……ああ。


 おいしい。


 やっぱり、巴さんの料理は落ち着くなぁ。


「でも、巴さん。今日は偉い人たちがたくさん来るから、準備が大変じゃない?」


「そのためにメイドたちがいるんでしょう?」


 ……おお。


 そうだった。


 王国邸には楓も、十人の一般メイドたちもいる。


 みんなで準備すれば、無理な仕事にはならないはずだ。


「会談のお茶とお水は、こちらで用意するわ。お食事を出すかどうかは、話し合いの様子を見て決めましょう」


「うん。お願いします」


「それから、リアリスちゃん」


「……はい」


「あなたは料理やお茶の心配より、ちゃんとお話を聞くこと」


 …………。


 ……あっ。


 それも、見抜かれてる。


「……はい!」


 巴さんは、いつもの優しい顔で微笑んだ。


 その隣では、カトレアがパンを小さくちぎっていた。


「お父さん」


「ん?」


「……今日も、お仕事?」


「うん。今日は、お家で大事なお話をするんだ」


「……そうなんだ」


 カトレアは少し考えてから、私を見上げた。


「……お話、うまくいくといいね」


 …………。


 ……ああ。


 ありがとう。


「うん。私も、そう思うよ」


 私は、その水色の髪をそっと撫でた。


 ……うん。


 この子が普通に朝ご飯を食べられる日を、守りたい。


 きっと、魔族の国にも同じような朝があるんだ。


 今日は、それを忘れないでおこう。


     ◇


 朝食のあと、まずは各国へ《映像通話》で連絡した。


 昨日のうちに大まかな予定は伝えてある。


 だから、今日確認するのは会談の時間と、参加する人の顔ぶれ。


 それから、転移でお迎えに行く場所だ。


 ……うん。


 いつもの観光旅行とは違うから、そこはちゃんと決めておかないとね。


 カバディ王は、ミキサーさんと参加。


 ローズ帝国からは、ヴァリロッサ皇帝とガラントさん。


 フォーサイド魔法国は、キリアさんとモースさん。


 オリミス聖国からは、教皇さんとケラーさん。


 ……よし。


 人間側は、これで八人。


 それぞれ国を動かす立場の人たちだ。


 もちろん、今この場で全部を決められるわけじゃない。


 でも、少なくとも、国へ持ち帰って検討する権限はある人たちばかり。


 ……うん。


 話は、ちゃんと進むはずだ。


 最後に、魔王へ連絡した。


「《映像通話》。魔王ドルステンにつないでください」


 画面に『呼び出し中』の文字が浮かび、しばらくして大きな顔が映った。


『おお、リアリス殿!』


「おはようございます、魔王!」


『うむ! 待っておったぞ!』


 …………。


 ……おお。


 朝から声が大きい。


 でも、元気そうでよかった。


『グリンヒルダも同席する。会談へ持参する書類は、すでに整えておる』


「ありがとうございます」


『確認しておきたい。そなたの屋敷では、吾輩たちの安全は守られるのだな?』


「はい。約束します」


 私は、はっきり答えた。


「ほかの国の方々にも、同じ約束をしています。誰かが武器を使おうとしても、私が止めます」


『……うむ』


「ただし、皆さんに何かを強制するための魔法は使いません。話し合いは、皆さん自身で決めてください」


 画面の中で、魔王がゆっくり頷いた。


『それでよい。吾輩は、そなたの力を昨日見た』


 ……うん。


 あの魔力の試しのことだね。


『守れると言うなら、信じよう』


「ありがとうございます!」


『がっはっは! では、迎えを待っておるぞ!』


 通話が終わった。


 私は、桜花と顔を見合わせた。


「……よし。これで準備はできたね」


「はい。あとは、お二人へのご連絡でございます」


 …………。


 ……あっ。


 そうだった。


 今日の会談には、もう二人呼びたい人がいるんだ。


     ◇


 一人目は、シルベスターさん。


 今回の件で、最初に私へ橋渡しを頼んだ人だ。


 冒険者ギルドは国家の軍隊じゃない。


 でも、魔獣の討伐や街道の警備、住民の避難支援など、実際に困る人たちのことをよく知っている。


 それに。


 ……うん。


 何より、私が相談しやすい。


「《映像通話》。シルベスターさんにつないでください」


 画面がつながると、机に向かっていたシルベスターさんが顔を上げた。


『……リアリスか。何だ、この板は』


「離れた場所から話せる魔法です」


『……もう驚かんぞ』


 …………。


 ……あっ。


 そうですか。


『いや、驚いてはいるが、今は後回しだ。どうした?』


「今日、和平会談を開くことになりまして」


『……何?』


「人間の四か国と、魔王国の代表が集まります」


 …………。


 画面の向こうで、シルベスターさんが机に手をついた。


『……お前、本当に魔王と話をつけてきたのか』


「話を聞いてもらえた、という段階ですけどね」


『……それでも十分、とんでもない話だ』


 ……うん。


 私も、ちょっとそう思う。


「それで、シルベスターさんにも参加してほしいんです」


『……俺に?』


「はい。ただし、オブザーバーとしてです」


 国の代表ではなく、会談の様子を見守る立場。


 必要なら、冒険者ギルドの視点から話してもらう。


 でも、国家間の決定には加わらない。


 そう説明すると、シルベスターさんはしばらく考えた。


『……確かに、現場で何が起きるかなら話せる。だが、俺は国王陛下の代わりにはなれんぞ』


「もちろんです」


『……分かった。引き受けよう』


「ありがとうございます!」


『ただし、リアリス』


「はい?」


『会談が終わるまで、余計な魔法で俺の胃を痛めつけるなよ』


 …………。


 ……えっ。


 そこ!?


「……善処します」


『頼むから、そこは約束してくれ……』


 ……うん。


 何だか、申し訳ない。


     ◇


 もう一人は、勇者の山凪雪彦君。


 あの子は、人間側から見れば魔王と戦う力の象徴みたいな存在だ。


 だからこそ、戦争を避けるための会談に立ち会ってほしい。


 もちろん、あの子一人に何かを決めさせるつもりはない。


 私が教えられることも、きっとあると思う。


 魔法国の冒険者ギルドを通じて、雪彦君に連絡をつないでもらった。


『……あれ!? 師匠!?』


「こんにちは、雪彦君」


『えっ、どうなってるんですか、この画面!』


「《映像通話》っていう魔法なんだ」


『……すごっ』


 ……あはは。


 相変わらず、素直な反応だね。


 私は、今日の和平会談について説明した。


『……魔王も来るんですか?』


「うん。来てくれることになったよ」


 雪彦君の表情が、真剣になった。


『……俺、勇者ですよね』


「うん」


『その俺が、魔王の前にいてもいいんでしょうか』


 …………。


 ……ああ。


 そういう心配もあるか。


「戦うために呼ぶんじゃないよ。話し合いを見てほしいんだ」


『……話し合い』


「人間側も魔族側も、何を守ろうとしているのか。自分の目で確かめてほしくて」


 雪彦君は、しばらく黙っていた。


 それから、まっすぐ画面を見た。


『……分かりました。俺も行きます』


「ありがとう。ただし、国の代表じゃなくて、オブザーバーとしてね」


『はい。勝手に発言したり、剣を抜いたりしません』


 ……うん。


 その言葉を聞けて、ほっとした。


 そうだ。


 もうひとつ、大事なことを伝えておこう。


「それから、会談中はいつもどおり、目立たないようにしてね」


『……はい。お約束、覚えてます』


 …………。


 ……おお。


 よかった。


 人前で「師匠」なんて呼ばれたら、また話がややこしくなりそうだもんね。


 私の本名と冒険者としての偽名のことも、ここではあえて広めない。


 ……うん。


 平和の話だけで、十分大変なんだから。


     ◇


 会談に使うのは、王国邸の広い食堂に隣接した大部屋にした。


 普段は家族で食事をしたり、お客さんを迎えたりする場所。


 今日は大きな卓を中央に置き、全員が顔を見られるよう椅子を並べてある。


 ……うん。


 これなら、誰か一人が上座で偉そうにすることもない。


 人間の代表と魔王が、同じ卓につく。


 それだけでも、今日の意味はあると思う。


「リアリス様」


 桜花が、机の上を確認した。


「はい?」


「お水と筆記具の準備は整っております。必要な資料を置く場所もございます」


「ありがとう、桜花」


「巴様が、お茶の準備を進めてくださっています」


「うん。助かるなぁ」


 ……ああ。


 いつもの家なのに、今日はずいぶん雰囲気が違うね。


 ただ、屋敷の管理をする楓や一般メイドたちには、無理な仕事をお願いしないようにしてある。


 会談中の出入りも、必要最小限にしてもらう。


 何しろ、今日は国の秘密に関わる話が出るかもしれないからね。


 私は、桜花へ向き直った。


「会場には《結界》を張るよ。でも、みんなを閉じ込めるためじゃない」


「承知しております」


「外からの攻撃を防いで、もし誰かが武器を使おうとしても、その場で止められるようにする。それだけ」


 桜花が、静かに頷いた。


「皆様の意思を妨げず、安全のみを確保するのでございますね」


「うん」


 ……そう。


 私は、剣でも魔法でも、あの場にいる誰より強い自信がある。


 昨日、魔王と会って、改めて確認できた。


 だから、誰かを守ることについては迷わなくていい。


 でも、和平の条件を決めるのは、私じゃない。


 それぞれの国の人たちなんだ。


 ……うん。


 そこだけは、間違えないようにしよう。


     ◇


 参加者のお迎えは、桜花と手分けして段取りを整えた。


 まずは王都の城から、カバディ王とミキサーさん。


 次に冒険者ギルドへ寄って、シルベスターさん。


 帝都からは皇帝とガラントさん。


 法都ではキリアさん、モースさん、それから雪彦君が待っていた。


 聖国からは教皇さんとケラーさん。


 全員に行き先と安全の説明をしたうえで、同意を確認し、《転移》で王国邸へお連れした。


 ……うん。


 もう、転移そのものを説明するだけで会談が終わりそう、なんてことはなくなってきたね。


 ……いや。


 キリアさんは、まだ少し気にしてたけど。


 今日ばかりは、魔法の研究はあとにしてもらおう。


 雪彦君が、私のそばへ来た。


「……リオンさん」


「ん?」


「……本当に、こんなに偉い人たちが集まるんですね」


 ……うん。


 そこは、私も同じ気持ちだよ。


「緊張してる?」


「……はい。正直、かなり」


 雪彦君は、深く息をついた。


「でも、ちゃんと見ます。俺が今まで、何のために強くなろうとしてきたのかも、考えたいので」


 …………。


 ……ああ。


 そうか。


 雪彦君も、いろいろ考えてるんだね。


「うん。それでいいと思うよ」


 私は、そっと頷いた。


 ……さて。


 最後のお迎えは、魔王国だ。


     ◇


 魔王とは、出発前にもう一度《映像通話》で確認を取った。


 画面越しに会談の部屋を見てもらい、誰がどこに座るかも伝える。


 これなら、知らない場所へいきなり連れていかれる不安は、少し減るはずだ。


「魔王。部屋は、こんな感じです」


『……ほう。ずいぶん広いではないか』


「みんなで座れますよ」


『うむ。吾輩の体でも大丈夫そうだな!』


 ……あっ。


 そこは大事だったね。


 普通の椅子じゃ、魔王には小さいかもしれない。


 ちゃんと大きめの椅子にしておいてよかった!


 ただ、隣にいるグリンヒルダさんは、真剣な顔のままだった。


『リアリス殿。最後に確認したい。会談中、魔王様に何かあれば、そなたが責任を持って対処するのだな』


「はい。皆さんの安全は、私と桜花が守ります」


『……承知した』


 魔王は、大きく頷いた。


『では、迎えに来るがよい!』


「分かりました!」


 私は桜花とともに、魔王城へ《転移》した。


 昨日とは違い、今日は招待を受けた客人として迎えられる。


 ……うん。


 たった一日なのに、ずいぶん変わるものだね。


 魔王とグリンヒルダさんは、すでに準備を終えていた。


「よろしくお願いします」


「うむ。こちらこそだ、リアリス殿」


 魔王は、堂々と答えた。


 けれど、グリンヒルダさんが身を寄せて小さく何かを耳打ちすると、ほんの少しだけ表情が引き締まった。


 ……ああ。


 この人も、自分の国を背負って来るんだ。


 昨日、お茶を飲みながら話したときとは違う。


 今日は、魔王として席につく。


 ……うん。


 私も、そのことを忘れちゃ駄目だね。


 本人たちの了承を確かめ、二人を《転移》で王国邸へお連れした。


     ◇


 魔王が会談室へ入ると、空気が変わった。


 ……いや。


 今まで静かだった部屋が、さらに静かになった。


 人間側の代表たちが、一斉に顔を上げる。


 魔王も、卓に並ぶ顔ぶれをゆっくり見渡した。


 …………。


 ……うん。


 すごい緊張感。


 魔王の二本の角と大きな翼。


 分厚い肩。


 ただ立っているだけでも、ものすごい迫力がある。


 でも、向かい側の皇帝だって、簡単に気圧される人じゃない。


 その隣には、顔色一つ変えずに書類を整えるガラントさん。


 国王も、法師長も、教皇さんも、まっすぐ魔王を見ている。


 ……ああ。


 この人たちは、本当に国の代表なんだね。


「……ドルステン魔王」


 最初に口を開いたのは、カバディ王だった。


「シルク王国の国王、カバディ・シルク十四世だ」


 魔王が、重々しく頷く。


「吾輩はドルステン。ドルステン魔国の王である」


 続いて、ヴァリロッサ皇帝が名乗った。


「ローズ帝国皇帝、ヴァリロッサ・ローズだ」


「……うむ」


「フォーサイド魔法国、法師長のキリア・レイムです」


「オリミス聖国、教皇パーシー・リリンクでございます」


 ……うん。


 一人ずつ、丁寧に挨拶を交わしていく。


 どこかで剣が抜かれるんじゃないか、なんて心配する必要はなさそうだ。


 ……いや。


 必要がないように、私が守るんだったね。


 私は、全員が着席する前に一歩前へ出た。


「皆さん。今日は来ていただいて、ありがとうございます」


 視線が、私へ集まる。


「最初に、確認だけさせてください」


 私は、部屋の周囲へ《結界》を張った。


 何かが光ることも、音がすることもない。


 ただ、外からの攻撃を防ぎ、部屋の中で危険なことが起きたときには止められるようにしてある。


「皆さんの安全は私が守ります。でも、この魔法で皆さんを拘束したり、意見を変えさせたりはしません」


 魔王が、静かに頷いた。


 皇帝も、腕を組んだまま頷く。


「それと、今日ここで話した内容は、各国が合意した部分を除いて、勝手に公表しないようお願いします」


 ミキサーさんが、一枚の紙を卓に置いた。


「会談の内容は、必要な範囲でのみ記録いたします。非公開の事項も明確に分けましょう」


 ……おお。


 助かる。


「ありがとうございます」


 私は、席の端を示した。


「それから、オブザーバーとして参加するお二人をご紹介します」


 シルベスターさんが、静かに頭を下げた。


「シルク王国冒険者ギルド、ギルドマスターのシルベスターです」


 雪彦君も、少し緊張した様子で続く。


「勇者、山凪雪彦です。よろしくお願いします」


 魔王が、二人を見た。


 特に雪彦君のところで、その目が少しだけ細くなる。


「……勇者、か」


 …………。


 雪彦君の背筋が伸びた。


「……はい」


「吾輩を討ちに来たのではないのだな」


 静かな声。


 広間の空気が、また少し重くなった。


 でも、雪彦君は目を逸らさなかった。


「……今日は、話を聞きに来ました」


 魔王が、ゆっくり頷いた。


「……承知した」


 私は、二人の立場を改めて説明した。


「お二人は決定には参加しません。必要なときに、現場や勇者の立場からお話ししてもらいます」


 全員が頷いた。


 ……うん。


 よかった。


 では。


 いよいよ、和平会談を始めよう。


     ◇


 着席すると、巴さんと一般メイドたちが静かにお茶を運んできた。


 魔王の前にも、ほかの人たちと同じように温かい飲み物が置かれる。


 ……うん。


 誰かを特別扱いせず、同じ卓で同じものを飲む。


 今日は、そういう場にしたかった。


 巴さんは、私の近くを通るときに小さく頷いてくれた。


 ……ああ。


 ありがとう。


 扉が閉まると、会談室には参加者だけが残った。


 机の上には、各国が持参した書類。


 どれも、簡単には決められないことばかりだろう。


 私は、話の進行だけ引き受けることにした。


「では、まずは皆さんから、今の状況と、譲れないことを聞かせてください」


 カバディ王が、ゆっくり口を開いた。


「シルク王国としては、戦争を避けたい。だが、宣戦布告を受けた以上、国民を守る備えをやめるわけにはいかぬ」


 魔王が、静かに頷く。


「……それは吾輩も同じだ」


 皇帝が続いた。


「ローズ帝国は、攻め込まれれば迎え撃つ。しかし、先に剣を振るう理由がないなら、戦わずに済ませたい」


 ……おお。


 皇帝が、最初からこんなに真剣だ。


 いつもなら、強い相手と聞けば手合わせをしたがりそうなのに。


 でも今日は、そういう話じゃないんだね。


 キリアさんは、手元の資料を開いた。


「魔法国では軍の配置を見直しています。ただ、互いが警戒を強めれば、それを相手が侵攻準備と受け取るおそれがあります」


 教皇さんも、静かに言った。


「聖国は、戦闘そのものより、戦いに巻き込まれる民を心配しております。避難も医療も、始まってからでは足りぬことがある」


 …………。


 ……うん。


 みんな、口にすることは違う。


 でも、守りたいものは似ている気がする。


 私は、魔王を見る。


「魔王国は、どうでしょうか」


 ドルステンが、ゆっくり腕を組んだ。


「吾輩の望みも、民を守ることだ。人間諸国が魔族を敵として備えを続けるなら、吾輩も何もせずにはおれぬ」


 ……うん。


 昨日も、同じことを言っていたね。


「だが、吾輩は民を死地へ送りたいわけではない」


 魔王の声が、さらに低くなる。


「その必要がなくなるのなら、剣を収める道を考えよう」


 …………。


 会談室が、しばらく静かになった。


 ……ああ。


 これは、大切な言葉だと思う。


 魔王は、戦う理由を並べるだけじゃない。


 戦わずに済むなら、その道を探すと言ってくれた。


 ……うん。


 ここから、始められそうだ。


     ◇


 最初に議題になったのは、宣戦布告と軍の動きだった。


「交渉を始めるのなら、まず宣戦布告を撤回していただきたい」


 ミキサーさんが、落ち着いた声で提案した。


「そのままでは、王国の軍を通常配置へ戻す理由が立ちません」


 グリンヒルダさんが、すぐに答える。


「宣戦布告を撤回した直後に、人間側が兵を進めれば、我が国だけが不利になる」


 ……うん。


 なるほど。


 人間側からすれば、宣戦布告が残っているのは危険。


 魔族側からすれば、撤回した途端に攻め込まれるのは危険。


 両方とも、筋が通っている。


 皇帝が口を開いた。


「では、こちらも軍の進軍を止める。それを条件にしてはどうだ」


 グリンヒルダさんが、静かに首を振った。


「進軍を止めたという報告を、我々は何によって確かめる?」


「……なるほど」


 ガラントさんが、資料へ何かを書き込んだ。


「逆も同様ですね。魔王国が軍を動かしていないことを、帝国側がどう確認するか」


 ……うん。


 結局は、信じられるかどうかなんだね。


「一度、期限を区切ってみてはどうでしょう」


 キリアさんが提案した。


「正式な和平の条件が決まるまで、新たな攻撃を控える。防衛は続けるが、相手への進軍は行わない」


 魔王が、腕を組む。


「……攻撃された場合は?」


「自国民を守るための防衛は認めるべきでしょう」


 モースさんが答えた。


「ただし、その後の報復をどこまで許すかは別に考えないといけません」


 …………。


 ……ああ。


 そうか。


 攻撃されたからといって、どこまでも攻め返していたら、また戦争になる。


 カバディ王が頷いた。


「期限を設けた相互不攻撃の考え方には、賛成だ」


 教皇さんも続いた。


「まず負傷者を増やさぬこと。それが最優先でしょう」


 グリンヒルダさんは、書類へ目を落とした。


「……期限付きであれば、魔国としても検討に値する」


 ……おお。


 少し、進んだ!


 私は思わず顔を上げた。


 でも、まだ喜ぶのは早いね。


 これは、和平が成立したわけじゃない。


 あくまで、話し合いを続ける間の約束について、方向性が見えただけだ。


 ……うん。


 それでも、大切な一歩だよ。


     ◇


 次に話し合われたのは、約束が守られているか、誰が確かめるかという問題だった。


「一国が自国の軍の動きを報告するだけでは、ほかの国は納得できん」


 皇帝が、真剣な顔で言った。


 グリンヒルダさんも、静かに頷く。


「魔国も同じ意見だ」


「それなら、複数の国で情報を共有する仕組みが必要ですね」


 モースさんが、卓の上に指を置いた。


「ただし、軍の人数や配置を何でも開示するわけにはいかないでしょう」


 ……うん。


 当然だよね。


 そんなことまで全部教えたら、国を守れなくなるかもしれない。


 キリアさんが、紙に線を引きながら話した。


「軍事機密ではなく、国境付近での移動や事故の報告を共有する。まずは、その範囲から始めるべきかもしれません」


 ガラントさんも、頷いた。


「報告に食い違いがあった場合は、双方の説明を求める。即座に報復へ移ることを避けるためです」


 …………。


 ……ああ。


 なるほど。


 みんな、ちゃんと方法を考えている。


 私は、卓の上の紙を見た。


 少しずつ、項目が増えていく。


 新たな攻撃を控えること。


 防衛に必要な行動は区別すること。


 事故や小競り合いが起きたら、まず情報を共有すること。


 ……うん。


 どれも、地味な話かもしれない。


 でも。


 こういう地味な約束が、人の命を守るんだろうね。


「リアリス殿」


 グリンヒルダさんが、私へ視線を向けた。


「ひとつ、確認したい」


「はい」


「そなたの《映像通話》は、互いの国の間でも使えるのか」


「……ああ。できますよ」


 私は、頷いた。


「ただし、必要な相手に連絡できる仕組みを作ることはできますけど、私は情報を勝手に覗いたり、何でも記録したりするつもりはありません」


「……ふむ」


「連絡の方法を用意するのと、何を報告するかを決めるのは、別の話だと思うので」


 キリアさんが、深く頷いた。


「そのとおりです。通信手段があっても、報告の内容と権限は各国で決める必要があります」


 魔王も、ゆっくり頷いた。


「……便利な魔法だ。だが、仕組みだけで信頼は生まれぬな」


「……はい」


 ……ああ。


 この人、分かってくれるんだね。


 私は、少しだけ嬉しくなった。


     ◇


「では、実際に争いが起きた場合について、意見を聞きたい」


 カバディ王が、次の話題を切り出した。


「国境付近や海上で武装した者が遭遇したとき、どちらも相手を敵と判断しかねぬ」


 ……うん。


 そうだね。


 中央大陸と魔族の大陸は海で隔てられている。


 それでも、船や人の行き来があれば、どこかで衝突が起きるかもしれない。


 皇帝が、腕を組んだ。


「武器を持つ相手が現れれば、兵は国を守ろうとする。現場に、毎回君主がいるわけではないからな」


 グリンヒルダさんも、静かに答えた。


「魔国の兵も同じだ。人間の武装船を見れば、上陸を警戒する」


 ……ああ。


 街道で、私たちが兵士に止められたときと似ている。


 最初から相手を信用できない。


 だから、武器を構える。


 それがまた相手を怖がらせる。


 ……うん。


 難しいなぁ。


「武器を向ける前に、互いの身分と目的を確認する取り決めが必要でしょう」


 モースさんが提案した。


「ただ、奇襲を受ける危険は残ります」


「そのための警戒は解かぬ」


 魔王が、きっぱり言った。


「民を守るため、武装した者をそのまま通すわけにはいかん」


 ……うん。


 そこは、譲れないよね。


「では、非武装の使節や連絡役だけでも、事前に知らせる仕組みを作りませんか」


 教皇さんの提案に、卓の向こう側でグリンヒルダさんが顔を上げた。


「……その範囲なら、検討できる」


 ガラントさんが、すぐに書き留める。


「使節の人数、目的、到着予定地。最低限の情報に限定しましょう」


 ……おお。


 また一つ、進みそうだ。


 今の話を聞いていると、外交って、何だか難しい魔法みたいだね。


 ひとつの言葉を間違えたら、相手に違う意味で伝わってしまう。


 ……いや。


 魔法より、ずっと難しいかもしれない。


     ◇


 ここで、カバディ王がオブザーバーの席へ目を向けた。


「シルベスター殿。現場から見た問題はあるか」


「……はい」


 シルベスターさんが、背筋を伸ばした。


「冒険者ギルドには、戦争の噂が流れただけで、依頼を取り下げる者が出てきています」


 ……ああ。


 昨日、ギルドへ行ったときも、みんな落ち着かない様子だったね。


「街道の護衛が足りなくなれば、食料や日用品の運搬にも影響が出ます。魔獣への備えまで手薄になりかねません」


 魔王が、真剣に耳を傾けていた。


 シルベスターさんは続ける。


「我々は国同士の約束を決められる立場ではありません。ただ、争いが始まれば、最初に困るのは軍人だけじゃない」


 ……うん。


 そのとおりだ。


「運搬をする商人、畑を耕す人、道を通る子どもたち。そういう人たちが安心できる状況を、できるだけ早く示していただきたいのです」


 …………。


 部屋が静かになった。


 グリンヒルダさんが、ゆっくり頷く。


「……魔国でも、同じような懸念はある。商人や農民にまで負担が広がるのは避けたい」


 魔王は、しばらく口を閉じていた。


 それから、低い声で言った。


「……吾輩の民も、明日食べるものがなければ困る。戦場で勝つことと、民が暮らせることは同じではない」


 …………。


 ……ああ。


 そこは、魔王も分かってるんだね。


 シルベスターさんは、深く頭を下げた。


「ご理解いただけて、ありがたく思います」


 私は、隣の桜花を見た。


 桜花も、小さく頷いている。


 ……うん。


 今日、シルベスターさんに来てもらってよかった。


     ◇


「勇者殿にも、ひとつ聞いておこう」


 今度は、魔王が雪彦君へ声をかけた。


 …………。


 ……おっ。


 雪彦君の番だ。


 雪彦君は、少し緊張しながら立ち上がった。


「……はい」


 魔王が、まっすぐ彼を見る。


「そなたは勇者だ。魔王を倒すために力を使え、と求められることもあろう」


 ……うん。


 そうだね。


 勇者として召喚された雪彦君にとって、その言葉は軽くない。


「そなた自身は、どう考えておる」


 …………。


 雪彦君は、しばらく黙っていた。


 そして、ゆっくり答えた。


「……正直に言えば、俺は、勇者として強くなれば何でも解決できると思っていました」


 ……ああ。


 あの子、前にそんなことを言ってたね。


 初めて会ったときは、少し自信過剰なところもあった。


 でも、今は違う。


「……でも、戦って勝ったからって、全部が終わるわけじゃないんですね」


 魔王が、黙って聞いている。


「ここにいる人たちは、みんな国や人を守ろうとしています。俺が勝手に誰かを敵と決めるのは、違うと思いました」


 ……うん。


 雪彦君。


 ちゃんと、自分で考えてるんだね。


「俺は、勇者として誰かを守れるようになりたいです。でも、できるなら、誰も倒さずに済む方がいい」


 …………。


 少しの沈黙。


 魔王が、ゆっくり頷いた。


「……よい答えだ」


 雪彦君が、小さく息を吐く。


「……ありがとうございます」


「ただし、理想を持つだけでは民は守れぬ。そなたも、力の使い方を学ぶことだ」


「……はい」


 ……ああ。


 その言葉は、私にもよく分かる。


 剣や魔法が強くても、使う場面を間違えたら大変だもんね。


 雪彦君が席に戻ると、キリアさんが静かに頷いた。


 ……うん。


 魔法国の人たちにとっても、勇者が今のように考えられるのは嬉しいことだと思う。


     ◇


 会談は、少しずつ進んでいった。


 宣戦布告の扱いについては、すぐに撤回を求めるだけでなく、相互の攻撃を控える条件と結びつけて考える。


 使節や連絡役については、事前の通知を検討する。


 偶発的な衝突が起きた場合も、事実確認をせずに報復へ進まないようにする。


 ……うん。


 まだ正式に約束したわけじゃない。


 でも、議題ごとに条件が整理されていく。


 私は、会話の合間に何度かお水を飲んだ。


 ……いやぁ。


 聞いているだけでも、頭を使うね。


 でも、皆さんはもっと大変だ。


 ひと言を間違えれば、自分の国の立場を弱くするかもしれない。


 それでも、相手の話を聞いて、譲れるところを探している。


 ……うん。


 本当に、すごいと思う。


 ただ。


 全部が順調だったわけじゃない。


 新しい話題に入ったところで、空気が少し変わった。


「……では、過去に受けた被害を、どう扱うかだ」


 ガラントさんが、書類をめくった。


 その声に、グリンヒルダさんが反応した。


「……魔国にも、数えきれぬほどの被害がある」


 …………。


 ……ああ。


 そうだよね。


 戦いが長く続いてきたなら、両方の国で大変なことが起きてきたんだろう。


「過去の被害を無視して、今日から仲良くしましょうとは言えません」


 モースさんが、慎重に言った。


「人々の中には、家族や故郷を失った者もおります」


 魔王の声が、重く響いた。


「吾輩の国にもおる」


 …………。


 会談室が、静かになった。


 それまでの話とは、少し違う。


 軍の動きや連絡の方法なら、これから新しく約束できる。


 でも。


 過去に起きたことは、なかったことにはできない。


 ……うん。


 ここからが、難しいんだね。


     ◇


「では、相互に被害の記録を持ち寄り、確認してはどうでしょう」


 キリアさんが提案した。


 グリンヒルダさんが、ゆっくり頷いた。


「記録の照合は必要だろう。だが、被害の責任をどのように分けるつもりだ」


 ……うん。


 確かに。


 何が起きたかを調べるだけなら、まだできるかもしれない。


 でも、どちらが悪かったかを決めるのは、ずっと難しい。


 皇帝が、腕を組んだ。


「先に攻められた側が反撃したなら、その責任は同じにはできん」


「……では、どちらが先に攻めたと考える?」


 魔王が、低い声で問い返した。


 …………。


 皇帝は、しばらく黙ってから答えた。


「それは、事件ごとに調べるしかあるまい」


「……そうだな」


 魔王が頷く。


 ……うん。


 今のところは、落ち着いている。


 でも、グリンヒルダさんが次に口にした言葉で、また空気が変わった。


「……そもそも、人間諸国は魔族を長年の敵として扱ってきた。その歴史を無視して、魔国だけに譲歩を求められても困る」


 ガラントさんが、すぐに答えた。


「魔族側にも、同様の歴史があるはずです。人間諸国だけに責任を求められても、応じられません」


 …………。


 ……ああ。


 そうなるよね。


 どちらの側にも、言いたいことがある。


「責任を問うのであれば、過去の行為を整理する必要があります」


 ミキサーさんが、慎重に口を挟んだ。


「ですが、何代も前の君主が行ったことまで、今の国民すべての責任とするのは難しいでしょう」


 グリンヒルダさんの三つの目が、細くなった。


「……その理屈では、過去の被害を受けた者は、いつまで待てばよい?」


 …………。


 ……ああ。


 誰も、ふざけているわけじゃない。


 みんな真剣だからこそ、答えが出ないんだ。


 私は、黙って話を聞いていた。


     ◇


 少し休憩を挟むことになった。


 巴さんが用意してくれた温かいお茶が、机に置かれる。


 でも、誰もすぐには手を伸ばさなかった。


 ……うん。


 空気が重いね。


 私は、シルベスターさんの隣に立った。


「……どう思います?」


 小さな声で聞くと、シルベスターさんはしばらく卓を見つめていた。


「……難しいな」


「……ですよね」


「どちらも、自分の国の人間を守る責任がある。簡単に譲れんだろう」


 ……うん。


 そこは、よく分かる。


「でもな、リアリス」


「はい」


「それでも、今日は進んでいる」


 …………。


 ……おっ。


「さっきまで互いに宣戦布告を受けた敵同士だった者たちが、何をすれば戦わずに済むかを話している」


 シルベスターさんが、静かに続けた。


「そこは、ちゃんと見ておけ」


 ……ああ。


 そうだね。


 意見が割れているから、失敗したわけじゃない。


 話し合っていること自体が、今までとは違うんだ。


「……ありがとうございます」


「礼は、終わってからにしろ」


 ……うん。


 それも、そうだね。


 雪彦君は、少し離れた席で資料を見つめていた。


 何か言いたそうにしていたけれど、口には出さない。


 ……うん。


 あの子も、約束を守ってくれてる。


 今は、国の代表たちが話す時間だ。


 私たちは、焦らず見守ろう。


     ◇


 休憩を終えると、会談は再開された。


 ただ、今度はさっきほど簡単には進まなかった。


「過去の損害をどう扱うか決めなければ、国民へ説明ができません」


 ミキサーさんが言った。


 グリンヒルダさんは、資料から顔を上げた。


「魔国の民にも、説明が必要だ。何も解決していないのに、戦いをやめると告げるわけにはいかぬ」


「それは、こちらも同じです」


 モースさんが答えた。


「ただ、過去の全責任を今ここで決めることはできません」


 ……うん。


 誰も、間違ったことは言っていない気がする。


 でも。


 話が、同じところへ戻ってきている。


「では、先に謝罪の意思を示すことはできぬか」


 魔王が、重々しく言った。


 カバディ王が、静かに首を振った。


「何に対して謝罪するのかが定まらねば、国を代表して言うことはできぬ」


 ……ああ。


 確かに。


 謝ることが嫌なんじゃなくて。


 何の責任を認めることになるのか、分からないんだね。


「ならば、そちらは過去の非を認めぬのか」


 グリンヒルダさんの声が、わずかに強くなった。


「そのようなことは申しておらぬ」


 国王の声も、少しだけ低くなる。


「しかし、事実を確かめぬまま、王国に責任があると宣言するわけにはいかない」


 …………。


 ……ああ。


 また、少しずつ空気が重くなってきた。


 皇帝が、机へ手を置いた。


「このままでは、何も決まらんぞ」


「だからこそ、原因を整理すべきだと申し上げている」


 キリアさんも、珍しく強い口調になった。


「しかし、原因を整理するための資料が、揃っていないのです」


 ……うん。


 そうだね。


 みんな、同じところをぐるぐる回っている。


 まるで、出口の分からない迷路みたいだ。


 ……いや。


 私が迷子になってるだけかな。


 でも、さっきから同じことを何度も話しているのは、間違いない。


     ◇


「二千年の対立を、一日の会談で終わらせようなど、甘かったか」


 皇帝が、低い声で呟いた。


 …………。


 ……二千年。


 そうか。


 この争いは、そんなに長く続いていたんだね。


 魔王は百年以上生きているけれど、それでも始まりの時代を知っているわけじゃない。


 人間の国の代表たちだって、同じだ。


 グリンヒルダさんは長く政治に関わってきた人らしいけど、二千年前を見ていたわけではないだろう。


 ……うん。


 長い歴史があるなら、分からないことも多そうだ。


「……そもそも」


 私は、小さく呟いた。


 すると、桜花がこちらを見た。


「リアリス様?」


「……あ、いや」


 …………。


 ……うーん。


 何だろう。


 話を聞いていて、少し引っかかったことがある。


 今まで皆さんが話していたのは、戦争をどう止めるか。


 過去の被害をどう扱うか。


 誰が謝るべきなのか。


 ……でも。


 もっと前に、確認することがあるんじゃないかな。


 私は、卓の中央へ目を向けた。


 国王と魔王が、今も真剣に言葉を交わしている。


 皇帝も、法師長も、教皇さんも、険しい顔だ。


 ……うん。


 こんなときに口を挟むのは、ちょっと申し訳ない。


 でも。


 分からないまま話を進めるより、聞いた方がいいよね。


「……あの」


 私が口を開くと、会談室が静かになった。


 全員の視線が、こちらへ向く。


 ……おお。


 すごい圧力。


 いや。


 私の方が強いことは分かってるけど。


 偉い人たちに一斉に見られるのは、また別の話だね。


「ひとつ、聞いてもいいですか?」


 カバディ王が頷いた。


「もちろんだ、リアリス殿」


 魔王も、こちらへ目を向けた。


「申してみよ」


 私は、少し首を傾げた。


「……そもそも、何が原因で戦争してるんですか?」


 …………。


 …………。


 ……あれ。


 みんな、黙っちゃった。


     ◇


「……いや、あの」


 私は、慌てて続けた。


「今までずっと争ってきたのは分かるんです。でも、一番最初は何があったんでしょう?」


 …………。


 誰も、すぐには答えなかった。


 カバディ王が、ゆっくり口を開く。


「……古くから、人と魔族は敵対してきたと伝わっておる」


「……はい」


「王国の記録にも、多くの争いが残されている」


「それは、いつからですか?」


 …………。


 国王が、少し考え込んだ。


「……最初の戦いがいつ、何によって始まったかまでは、確かな記録が……」


 ……あっ。


 そこは、分からないんだ。


 キリアさんも、資料をめくった。


「魔法国の古い文献には、魔族との対立について複数の説があります。しかし、いずれも後世の記述で、最初の発端を直接示すものではありません」


 ……うん。


 なるほど。


 皇帝は、腕を組んでいた。


「帝国にも昔の戦の記録はある。だが、始まりの一件となると……」


 言葉が途切れた。


 教皇さんも、静かに首を振る。


「聖国でも、争いの歴史は伝えられております。ただ、最初の原因を神託によって確かめた記録はございません」


 …………。


 ……おお。


 四か国とも、分からないんだ。


 私は、魔王を見た。


「魔王国では、どうですか?」


 魔王は、しばらく私を見つめた。


「……吾輩が生まれたときには、すでに人間と魔族は敵対しておった」


「……そうなんですね」


「歴代の王から受け継いだ記録もある。だが、最初に何が起きたかを、吾輩自身が見たわけではない」


 グリンヒルダさんも、重々しく頷いた。


「吾も、先代の頃から政に携わってきた。古い資料は調べられるが、発端について伝承が食い違うことは否定できぬ」


 …………。


 ……あれ。


 ということは。


「……じゃあ、皆さん」


 私は、卓を見回した。


「二千年前に、何がきっかけで争いが始まったのか、誰もはっきり知らないんですか?」


 …………。


 沈黙。


 国王も。


 皇帝も。


 法師長も。


 教皇さんも。


 そして、魔王と宰相さんも。


 誰も、答えなかった。


 ……おお。


 そういうこと、なんだね。


     ◇


 私は、椅子に座ったまま少し考えた。


 今まで、皆さんは本当に真剣に話していた。


 お互いの国を守るために、譲れない条件を出し合って。


 それでも何とか歩み寄ろうとしていた。


 ……うん。


 その努力を、無駄にしたくない。


 でも。


 争いが始まった理由が分からないまま、誰が最初に悪かったかを決めようとしても、答えは出ないよね。


 私は、隣の桜花を見た。


 桜花は、いつもの穏やかな目でこちらを見ている。


「……桜花」


「はい、リアリス様」


「ちょっと、思いついたことがあるんだ」


「……はい」


 私は、もう一度卓へ向き直った。


「皆さん。今の話を聞いていて、思ったんですけど」


 カバディ王が、真剣な顔でこちらを見る。


「……何だろうか」


「原因が分からないなら、そこから確かめた方がよくないですか?」


 …………。


 キリアさんが、静かに答えた。


「……それができれば、もちろん望ましい。しかし、二千年前のことを正確に示せる資料が……」


「……うん。そうですよね」


 私は頷いた。


 普通なら、そうだと思う。


 二千年前の出来事を、誰かが直接見ているわけじゃない。


 残った記録も、それぞれの立場から書かれている。


 ……でも。


 私は、普通にはできないことができる。


 剣も魔法も、自分が強いことは分かってる。


 そして、《想像魔法》なら。


 今ここで不足しているものを、補う方法だって考えられる。


 ……うん。


 これまでみたいに、力で何かをねじ伏せる必要はない。


 ただ、事実を確かめる。


 それだけなら、みんなで同じものを見ればいいんじゃないかな。


「……あの、もし」


 私は、ゆっくり口を開いた。


「二千年前に何が起きたのか、実際に確かめられるとしたら、皆さんは見たいですか?」


 …………。


 今度の沈黙は、さっきとは少し違った。


 キリアさんが、ゆっくり顔を上げる。


 グリンヒルダさんの三つの目が、私を捉えた。


 魔王が、低い声で問い返した。


「……リアリス殿。それは、どういう意味だ」


 私は、小さく息を吸った。


 そして、答えた。


「……じゃあ、はっきりさせるために確認しましょうか」


 ――二千年続いた争いの始まりを、全員で確かめるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。